放置【TL】ドントタッチユー

手先器用系男子

1 未完

 千隼(ちはや)は大学からの帰り道、溜息を吐いた。今日も話しかけられなかった。話しかけると決心して数日、緊張と間の悪さが重なり、声をかける時機を逃していた。
 何を話しかけるか、昨晩、入念に調べ、考え、組み立てたというのに、まず声をかけるところで躓(つまず)いている。積極的な気性ではなかったのだ。向かないことはするべきではない。話しかけられる時が来るのを自然に待てばいいのだ。
 異性と話すのが苦手なわけではなかった。自ら話しかけようとは思わなかったが、話す機会は多かった。今日もひとつ、恋愛感情の陳述を聞いてきたところだった。
 だが思えば、自ら強く望み、個人的な用事を以って話しかけるということはあまりしたことがなかったように思う。特に知り合いでもない相手ならば尚更だ。
 千隼は重げに携えた睫毛をしぱつかせた。肩は落ち、猫背になっていた。
 迷惑をかけるだけだ。与り知らないところで関心を持たれ、会話の機会を窺われ、一挙手一投足を観察されている。彼もその点に関しての不快感はよくよく承知している。
 目にするたび心臓が高鳴り、夜毎その姿を思い描き悶々とするくだらない煩悩を言い包め、説得し、諦めるべきだ。しないほうが賢明な努力もある。
 アパートのある下町に、橙色の日が落ちていく。遠くに見えるビル群によって明かりが欠ける。
 長い階段を下り、二昔前の風情溢れる商店街を通っていく。
 並びは把握しているつもりだった。しかし彼は見慣れない店を発見した。看板には魘夢(えんむ)堂と書かれている。古着屋とも手芸屋とも判じられない構えだった。外から見るに、雑貨屋にも思えた。キーホルダーがぶら下がっている。ふざけたカピバラのぬいぐるみで、ふと、彼の脳裏には、このぬいぐるみをカバンから垂らす意中の人の姿が映った。
 いきなりプレゼントは、重いだろうか。重いだろう。自身に置き換えたとき、感謝より疑念のほうが強くなる。
 しかしそれでも、印象を強く残しておきたくなる。自分が選んだものを渡したい。喜んでほしい。利用価値を高めなければ関わる必要性がない。
 気付くと、足を踏み入れていた。ぶら下がったカピバラはふざけた面構えで目を閉じている。
 店内は古書店のような雰囲気で、カウンターには、店員なのか、カウンター台に足を上げ、新聞を広げている老人がいた。否、老人ではないようだった。銀世界よりも白い白髪のために老人に見えたが、肉付きや雰囲気からして老人ではないようだった。
 接客対応をするつもりはないらしい。声も掛けず、新聞に集中している。あの紙束に、そこまで面白いことが書かれていただろうか。
 千隼は店を出ようと踵を返した。その際に、「推しぐるみコーナー」と題され、飾りたてられた棚を目にした。パステルカラーの布がつり下げられ、綿人形が
服を着て、靴を履き、帽子を被っている。上の段には野箆坊(のっぺらぼう)の丸裸、禿頭のぬいぐるみが並んでいた。他にも目だの口だのを模したワッペンが売られている。
 アルバイト先の喫茶店で、時折、主に女性客がこういうぬいぐるみや人型のアクリル板、フィギュアやフェルトをテーブルに出して写真を撮っているのを見たことがある。あれはアニメ、漫画、ゲームのキャラクターだったこともあれば、実在する人間でもあった。
 実在する人間を、ぬいぐるみにしている……
 千隼は棚の隅に置かれていた本を手に取った。雑誌の大きさだった。表紙には彩りに溢れた人型ぬいぐるみが並んでいる。"How to 推しぐるみ 誰でも作れるカワイイぬい"。
 ページを捲る。写真と型紙が載っている。
 "推しぐるみ カワイイおめめ刺繍 初心者編"も手に取った。揃えるべき道具や縫い方の写真やイラストが載っていた。後半には様々な形の目のイラストがカタログよろしく載っている。
 千隼は、少し吊り気味な大きな目を探していた。実在する人物をデフォルメし、アニメ調に置き換えるのは、おそらく難しいのだろう。彼は絵は描かないし、アニメを観たり漫画を読んだりする趣味もなかった。だが、ひとつだけ分かっていることがある。内側から胸を叩く女は、気の強そうな目付きをしている。
 開いたページに、猫を彷彿とさせる図案を見つけた。
 口は小さい。口元にほくろがある。
「立ち読みで全部暗記できんのか」
 真後ろから声がかかり、千隼は振り返った。白髪の男が立っている。遠目でみると70過ぎて見えたが、立つと背は高く、年の頃も千隼とあまり変わらないように思えた。突き放すような美しさは、儚げでもあり、棘を纏っているようでもある。映画で観た陰陽師のような出で立ちが胡散臭い。
 アニメや漫画のキャラクターの服装を模倣して遊ぶ文化があるらしい。おそらく、この者もそうなのだろう。
「すみません……」
「色白ならふわボワ08のあんずミルクだな。黒髪なら夕月夜グレーにしておけ。黒じゃ重く見える」
 千隼は息を呑んだ。特徴を言い当てられている。読心術でも体得しているというのか。
「この毛足の長い布で猫耳も作れる」
 白髪の男は喉奥で笑うと、千隼に迫る。棚に伸ばされた手が、獣毛を思わせる布を掴んだ。
「何を……言って……」
「クク……ヘンタイめ」
 白髪の男はカウンターに戻っていく。何のキャラクターかは知らないが、よくなりきっている。


 千隼は紙袋を抱えていた。
 白髪の店員がキャッシュレジスターの抽斗(ひきだし)を締めた。
「"悪用"するなよ」
「なんですか、"悪用"って……」
 転売するな、着火剤にするな、そういう意味合いなのだろうか。
「クク……」
 千隼は相手にしなかった。とても店番をしていていい従業員ではなかった。すぐ潰れるのだろう。それまでに他の手芸屋を探さねばならない。
 何故、手芸屋が必要なのだろう。これきりだ。
 千隼は溜息を吐いた。抱えた紙袋が軋る。予定外の散財だった。浪費癖はないつもりでいた。無駄遣いという他ない。使うのかも分からない布切れを買ってしまった。どうかしていた。気の迷いだ。



 苦い汁が喉を通った。目が染みる。時計を見ると、日付が変わって暫く経っている。閑静な住宅地は静けさに包まれ、世界は機能していないかのようだった。
 千隼の前のテーブルには刺繍枠が置かれていた。彼は己の意外な器用さ、才能を自覚しなければならなかった。教本に忠実に従ったとて、こう上手くはいかなかっただろうという、初めてにしては緻密な刺繍が出来上がった。
 椅子に凭れ、天井を見上げる。
 あの女(ひと)は今頃、夢の中にいるのだろうか。自分に似せようとした綿人形が作られているなどとは知る由(よし)もなく、彼女は眠っているのだろうか。それとも、まだ起きているのだろうか。何をしているのだろう。交際相手はいるのだろうか。
 布に糸を巻いているときは、期待と妄想に膨らんでいた胸が、今は苦しい。
 夕食を摂るのも、入浴するのも忘れていた。
「待っててね……」
 なめらかな質感の布を撫でる。グレーを帯びた紫色のグラーデションのある瞳を、自画自賛した。間違いなかった。不愉快な店員の存在も忘れ、選んだ甲斐がある。
 彼はシャワーを浴びた。そして濡れた髪の乾ききらないうちにベッドに転がった。
  珠己(たまき)さん……
 声には出せなかった。胸を苦しくさせる女(ひと)の名を口にすると、腹の下の辺りが鼓(つづみ)を打つようだった。常時は眠っている箇所が目を覚ましたようだった。けれども千隼は何時間も座り続け、何時間も集中状態にあって疲れていた。とても全身の血潮を掻き回す気にはなれなかった。
 眠ってしまえば、身体の奥の疼きも治まるだろう。その肌や髪に触れてみたいのは彼の本心だった。だがそれは段階を経てからの欲望であることも彼は分かっていた。まずは話し合いたい。自身のためだけに向けられる声と言葉を聞きたいのだ。だというのに、彼の血肉は彼に無理解だった。
 固く目を瞑った。脳裏には求めていた女が居座っているというのに曖昧だった。何度も遠くから盗み見ているはずだが、彼の目は、彼の脳は、事細かく彼女の姿を描き出せない。


 ぬいぐるみが1体できた。水で落ちるマーカーが布から透けている。ビギナーズラックともいうべきか、将又(はたまた)、教本に忠実に進めたせいか、予期していたものよりも悪くない出来栄えだった。心做(こころな)しか、思い浮かべていた人物にも似て見えた。"推しぐるみ"としても完成度は高く、また目的も十分に果たしているように思われる。
 テーブルの上のぬいぐるみを観賞する。縫目も規則正しく、乱れが少ない。綿の量も過不足はない。造形に感心していた最中、ぬいぐるみが裸であることに気付いた。デフォルメされた平坦で寸胴な四肢に艶(なま)めかしさはない。だというのに、千隼は気拙さを覚えた。父親から大学入学祝いに贈られたまま使えずにいた
ハーパディーのハンカチを小さな身体に巻いた。まるで新生児の包(くる)み布団だ。しかし彼はそれで満足した。
 軈(やが)て通学時刻が迫っていることに気付く。朝飯も摂らず、アパートを飛び出した。
 晴れやかな秋の朝に迎えられる。日差しは強いが暑くはなかった。柔らかな風に包まれ、商店街を抜けていく。電車に乗り3駅。歩いて10分。大学構内で、彼女を見かける。1人だった。今が絶好の機会だった。挨拶のひとつでもしてみるべきだ。邪推されても構わない。気持ちを悟られても問題ない。
 近付いた。すると彼女の気の強そうな目がこちらを向いた。視線が搗(か)ち合う。千隼の口が開く。しかし彼女は外方を向いた。知り合いではないのだ。一方的に思い慕っているに過ぎない。そういう相手の視界に一瞬でも映じることができた点について、今は噛み締めるべきなのだ。何より、朝から彼女を目にすることができたのだ。
 胸を引き絞られる感覚を往なす。1限目の講義と3限目の講義も、彼女と重なるのだ。
 同じ方向に向かっていく。華奢な後姿を眺めることができた。黒いシャツに、赤のカーディガンと、紺色の細身のジーンズがやはりどこか冷淡な印象を与える。黒いリュックサックには白い花のストラップが揺れている。
 彼女が隣を歩いてくれたなら、どれだけ幸せなことだろう。
 二昔ほど前の風情溢れる商店街を案内してみたかった。彼女に紹介したい店がいくつもある。気に入ってくれるだろうか。どういう表情を見せるのだろうか。
 後姿が、1限目の講義が開かれる3号館に消えていく。
 千隼は目を伏せた。くだらない妄想で彼女を消費している。
「珠己さん……」
 自分の影に、無音で呼びかける。
 腹が減った。彼は購買で肉まんを買ってから3号館に向かった。ロビーのボックスベンチに腰掛け、結露した肉まんを食らう。まだ講義室は開いていなかった。柱の傍に、意中の人が佇んでいる。スマートフォンを見るでもなく、茫(ぼう)と室内を見回している。
 努めて彼女を見ないようにした。あまり視線をくれていると、嫌がらせのようだ。見ず知らずの人間から寄せられる好意が大してありがたく感謝すべきものではないことを、千隼も当事者として知っていた。一体何を見て、どこを評価し、どの程度知ったうえで好意を打ち明けるのか。
 ふと、他意もなく、彼は柱のほうへふたたび目を向けてしまった。またもや視線が搗ち合う。偶然だった。けれども彼にとっては偶然が偶然ではなかった。それでも冷静な頭が、それがいかに偶然の賜物であったのか説き伏せるのだった。



 水曜日は4限目で終わる。大学からの帰り道、魘夢堂に立ち寄った。型紙は教本にいくつか載っていた。千隼は布を吟味していた。
 やる気のないアルバイトらしき白髪の従業員は、今日もカウンターに足を乗せ、陰陽師を彷彿とさせる和装を身に纏っていた。
「ジーパン作りてぇからって、デニム生地にする必要はない」
 白髪の従業員は大きな欠伸をすると、腕組みをして、目を瞑った。寝るつもりのようだ。
「え……?」
「ダンガリー生地にしておけ。手縫いで、しかもサイズは15cmくらいだろうが。人間が履くわけじゃない。それともテメェはそんな器用なのか」
「随分と大きな寝言ですね」
「フン……置き換えるって考えを持つこったな」
 従業員は鼻で嗤った。
 しかし千隼は言われたとおり、ダンガリー生地を買った。接客態度は今まで見たことのあるどの店員よりも劣悪だったが、助言をする親切心というものはあるようだ。否、返品対応が厄介なのかもしれない。
 早速、帰宅すると飲まず食わずで服を作った。洗濯機が洗濯終了の合図を出し、彼は洗われたぬいぐるみを干した。裏から透けていたマーカーペンも落ちている。洗剤の控えめな匂いがした。水分はほぼ飛ばされていたが、濡れているぬいぐるみを胸に抱いた。
 脳髄が痺れるようだった。肋骨が開き、飢えた心臓が、ぬいぐるみをカメレオンよろしく引き摺り呑んでしまいそうだ。
「かわいい……」
 もはや千隼にとって、その腕に収まっているのは布の塊ではなかった。懸想(けそう)して已(や)まない女性だった。
 漠然とした何かから、存在すらのかすら疑わしい恐ろしい存在から、守りたいと思った。そしてそれが可能なのだと驕った。
 干すのが惜しかった。早く、服を縫い終わらせ、着せてみたい。逸(はや)る気持ちを抑え、彼は教本に忠実に服を縫った。
 朝、大学構内で見た後姿が目蓋の裏に張り付いている。
 時刻が日付を跨いだ頃に服が仕上がった。夕食を摂っていないことに気付く。
 買い置きのカップラーメンを食らい、シャワーを浴びる。
 髪がある程度乾くまで、床に座り、干されたぬいぐるみを見上げた。少しの間、扇風機を当てた。まだ片付けていなかった。日当たりのいい部屋は10月になっても温かく、湿気が多い。
 想人を模したぬいぐるみが風に煽られ、回っている。1回転する。まだ服を着せていなかった。綿の詰まったペールオレンジの布だ。膨らみも括れもない。しかし
彼は顔を背けた。
 寝る時間だ。
 明日こそ、日付では今日、彼女に声をかける。彼女が自分を覚えていたなら儲けものだが、おそらく普段の反応からして覚えてはいない。
「珠己さん……」
 長い集中が体力を削いだ。身体の内側に溜まった熱さを解放する余力はなかった。高校時代はこうはならなかった。体力に構うことなく、欲望に身を任せていた。けれども大学生になり運動をする機会が激減した。体力が落ちたのか。将又、落ち着いたのか。


 ぬいぐるみを作り続けた。すべて黒髪に色白の、吊り目で、女性を思わせた。5体目を作り終えたところで要領を理解すると、今度は型紙を改造しはじめた。頭頂部の輪郭に沿わせれば、獣の耳を付けられる。
 彼は魘夢堂に寄った。帰りに魘夢堂に寄り道するために大学に向かっていたのかもしれない。
 態度の悪い店員を一瞥し、布売り場を漁る。
「三毛猫だな」
 新聞が吠えた。ドラマで聞いたことのある銃声に似ていた。
「は?」
「ツンケンしたメス猫は大概、三毛猫だろうが」
「猫って大体、ツンケンしていますよ」
「うるせぇよ」
 しかし千隼は納得した。三毛猫だ。まさに三毛猫だった。ちょうどよく、漁っていた棚から三毛猫柄のロールが現れた。
「毛足の長い布あるだろう。逆毛にして耳の内側にすれば猫だ」
 千隼はカウンターに乗った足の裏を睨んだ。
「ヘンタイめ」
「ねこ耳は、割りと一般的だと思いますけれど」
「"悪用"するんだろ?」
 千隼は訳が分からなかった。法に背くつもりはなかったし、公序良俗に反するつもりもなかった。
 布を買うと、彼は急いで帰った。急いで裁縫道具に向かい、持論の正しさを証明しようと型紙を作った。端をわずかに折り込み、耳の模様を見せたほうが、猫の耳という感じがありはしないか。形をとる。描き写す。裁ち切り、縫う。
 大きすぎたか。しかし大きいほうがかわいいのではないか。
 6体目のぬいぐるみは相変わらず黒髪で、色白で、吊り目で、女性を思わせる。しかし5体と違うのは、三角形の大きな耳を生やしていた。毛足の長い布を耳の内側に使ったため、手触りはなめらかで柔らかい。尻尾も生やした。
 まだ洗ってはいないためにマーカーペンが透けていたが、彼は満足だった。全裸で、猫の耳と尻尾を生やしている。布の他に、彼は金色の鈴と赤いリボンも買っていた。最後の集中力を振り絞り、首輪を付けた。
 彼の眼は、粘性を帯びて明かりを反射させていた。
 息が荒くなる。その呼吸で、ぬいぐるみの首から下がる鈴を鳴らせそうだった。
 数日間、彼は体内の埋火(うずみび)を見ないふりしていた。しかしぬいぐるみ制作に彼は満足感を覚えていた。
 県何位、全国何位というような成績を修めていた高校時代の生活と比べると、体力の衰えを認めざるを得なかったが、まだ若い肉体なのだった。異性愛者の彼の肉体は、異性を求めてしまうのだった。思い描き、昂らせてしまうのだった。そして彼には、そういうとき、どうしても制御することができず、思い浮かべてしまう相手がいるのだった。
 千隼は深く息を吐いた。5体のぬいぐるみたちが棚からこちらを見ている。
 性について、開き直れず、割り切れずにいる。長い付き合いでも、まだ慣れない。
 早々にシャワーを浴びた。そしてある程度髪が乾くと、布団に入った。寝るにはまだ早い。明かりは消さず、棚の上のぬいぐるみ5体を眺めた。多少の差異はある。それは技術の向上によるものでもあり、試行によるものでもあった。どれが最もモデルに似ているのか。愚問だ。どれも彼女に似ているように思えた。
 明日は会えるだろうか。明日こそ話しかけられるだろうか。明日は何を作ろうか。服を作ろうか、今度は人魚をモチーフにするか……
 人魚姿の等身大の女性が脳裏を過った。考えないようにしていた大きな胸が鮮明に思い浮かんだ。華奢な体格だというのに胸はそうではなかった。むしろそのために腰回りの細さが強調されるのだった。彼女は胸元を曝け出す服装はしない。しかしゆとりのある寸胴な服装もしないのだった。豊かな胸が丸みを帯びて、後ろ側から布を押し出して、張り詰めているのだった。
 無視された身体の奥の熱は寝静まる気はないらしい。むしろ、今が起床時間なのだとさえ思っている様子だった。脈を打ち、体積を増やしている。
 寝てやり過ごしたい。だがそうはならないことも彼は理解していた。
 数度目の寝返りをうつ。焦っているわけではない。だが落ち着いてもいられない。もどかしさが募る。
 欲求を満たさなければ寝られない。
 掛布団を蹴り、足元に丸めた。ふとテーブルを見ると、三角形の耳を生やしたぬいぐるみがいた。首輪を付けた三毛猫が散らかしたままの裁縫道具に寄りかかって立っている。
 気付くと、寝間着のスウェットごと下着を下ろし、勃ちあがった性器を握っていた。
 蕩けた目は、白地に橙色と黒色を重ねた模様の三角形を二つ生やしたぬいぐるみに向けられていた。赤い首輪が彩りを強調する。
「かわいい……」
 あのぬいぐるみが想人だったらどうしよう。想人がぬいぐるみにされてしまったらどうなるのだろう。自力で逃げられず、この恥ずかしい有様を見るしかないのだ。
 千隼は硬くなった肉棒を扱いた。脳髄を揉み拉(しだ)かれるような快感が生まれ、止められなくなってしまう。
 一心不乱に上下運動をしているのは利き手だけだというのに、彼は息を荒げていた。
「珠己さん……、珠己さん……!」
 唇が動く。声にはならなかった。吐息が掠め取っていった。
 指で作った輪で気持ち良くなることしか考えていなかった。ぬいぐるみに見られていることも、彼の腕を速くした。
 想いを寄せた女性に、恥ずかしく情けない、惨めな姿を曝しているのだ。ただでさえ人を嫌っていそうな吊り気味の大きな目に侮蔑の色が注ぎ込まれたときの、彼女の表情が見てみたかった。何を言うのか知りたくなった。
 けれども彼女の前で、自涜をするわけにはいかない。彼女の前ならば、勃つものも勃たないだろう。しかし千隼は彼女の前で陰茎を擦り上げていた。
 全裸に真っ赤なリボンの首輪をつけた猫耳の想人に見下されている。

放置【TL】ドントタッチユー

放置【TL】ドントタッチユー

好きピで"推しぬい"を作り続ける人と謎の手芸屋。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2025-12-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted