その批評は恋文であった

　シャルル・ボオドレール、という、ぼくが好きな詩人がいる。
　かれ、第一に詩作が得意であり、第二に得意なのは悪口であった。
　かれは自分が適合できない仏蘭西という国へ口汚い弓を幾度もいくども投げつけ、禁止性のつよい国家に反逆する様に背徳的な詩を歌い、見事発禁処分という光栄なる冠を受けとった。
　かれの残した批評にも亦、その卓越した悪口（批判＝否定ではないので、敢えて悪口と書いておく）がみられうる。天より恵まれ我に磨かれぬいた豊かな言語感覚、本質を見抜く洞察力、否定に傾きがちなストイシズム、そして傑れた比喩表現等の鋭い才覚を総動員させ、色々な芸術作品、或いは芸術家そのものを、現代の日本人の感覚でいうと、殆ど罵っている。元来かれの作家人生は美術批評からはじまっていることもあって、その批判精神は磨きぬかれていた様だ。
　仕事の質の伴った反骨精神に尖りにとがったかれ、「我を理想に縛り冷然たる孤高を志向するダンディ」として頗るサマになっているとぼくは感じる。人間としては好きになれないけれども、生き方じたいも恰好いいとじつは想っているところがある。
　（眼元が荒みすぎているが）長身痩躯の美男子で、借金を繰り返し服を買いつづけて獲得したファッションセンスは抜群、自己本位でサディストな性格ですらどことなしにサマになっている、他者の評価にオドオドするどころか軽蔑され嫌われるのを光栄として強靭な背骨を伸ばしてすくと立ち、されどじつは孤独を抱み、それから視線を離さずむしろ磨いて卓越した芸術を残し、亦芸術家としての生を生活すべてに貫かせたところなんかも甚だクールである。
　ぼく自身は悪口が苦手だから共感じたいはないのだけれども、しかし、やはり最も好きな詩人のひとりであることには変わりない。

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　かれ、元より人間ができていないほうで、言動は幼稚きわまりない感じ、不遜な悪ガキがそのまま成長し「我、天才」というプライドをもった反社会的な芸術家というのが色々な研究書・評伝を読んだ感想、短くまとめれば社会良識に沿った努力をすることから逆走し、失墜する様に堕ちつづけみずから淪落の湖へ沈んで、荒みやつれた眸にこそ映る地獄の美（悪の花）を謳った、十九世紀を代表するデカダン詩人の始祖である。
　吉田健一や齋藤磯雄なぞは「かれこそが健全、かれ以外が不健全」「あの時代が不健康であるからボオドレールだけが健康で」と偏った憧れをもってボオドレールを論じているが、ぼくはかれと一度だって会いたくない。怖い。
　かれの傍迷惑な幼稚さを語るならば、たとえば齋藤磯雄──ぼくはかれの貴族意識に同族嫌悪があり、とても苦手だ──の訳した何とかいう作家の書いた評伝に書かれてあった、こんな挿話がある。

　友人を訪問する際のこと、ボオドレールは友を愕かせようと髪の毛を緑に染めて訪れたが（この時点で発想がクソガキである）、友人はおじさんの悪趣味な嗜好を知り魂胆を見抜いていたので、敢えてそれに触れない。
「ところで君、僕の頭をどう想う？ 変わっているだろ？」と苛々して自分からいうと（ぼくもこういう派手好みな挑発性があるのでやりたい気持凄く解るのだけれども、それを披歴しわざわざ嫌がらせをすることの卑しさ・莫迦らしさも理解しているつもりだ）、友人は「いんや、巴里じゃ珍しくもないよ」と冷然な返し、田舎生れなのもあったかもしれない、かれはブチ切れて机かなにかを思いきり蹴っ飛ばし、プンプン怒りながら帰ったらしい。

　そんな挿話の多い人間なので、ぼくはかれに可愛らしさもなにも感じたことがない。
　傑れた仕事ではあるけれども、批評文にみられうるかれの冷然で偏向的な洞察、冷笑的で風刺めいた暗いユーモア、亦悪いのはわが身への自己否定を他者へ投げつける様な人格非難である、実に、じつに愛のない批判的態度がかれのそれだった。

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　されど一つだけ、全くもって批評になっていない、ふだんの否定精神どころか批判精神だってまるで欠けている、批評として頗るヘタでドモりにドモった、抱き締めたいほどに愛らしい批評文を見つけたことがある。
　それはかれの敬愛していた（しすぎてわが身と同一視していた）エドガー・アラン・ポオ論というべく批評文であり、かの大批判家・ボオドレール、ポオを論じるにあたっては唯々作品を「凄いんだよ！ 凄いんだよ！」と褒めちぎり、英雄へ憧れる少年の様な調子で「それ等がどう佳いのか」を論じることすら覚束ない、かれの作品を翻訳していることを純粋な文学青年のそれの様な微笑ましい口調で自慢し、まるで「エドガア・ポオ！ 天才天才！」と高く掲げてまつりあげ、作家本人の悲劇的な生涯を美談として涙ぐましく語って、人格を賛嘆するだけでは飽き足らず容姿まで絶賛、然り、完全に単なる恋文（ラブレター）であった。
　ぼくはここに初めてかれのかわゆらしいところを見て（ぼくは文学者フェチなところがあって、何故といいかれ等抑々が生き辛い人間に産まれていそうなのに、人生をみずから理想と仕事に限定させ更に生きることを苦しくさせる、人間くさくて愛らしい病める社会不適合者が多いから）、「何だ、ボオドレールだって人間らしい愛らしさ溌溂じゃんか」、と自己韜晦ダンディを志向したかれが鬱陶しがるにちがいない感想をもったのだけれども、かれがポオを語るにあたってはそう論じるほかなかったのもむりはないだろう。かれ自身とかれのポオへの憧憬・愛着は０距離どころから、はや心の根にまで食い入り重なっていたので、そういうものを論じることは元よりできないものではないだろうか。すくなくとも、客観的に細部を把握することはできないといえはしまいか。

　抑々が批判的に論じたいという意欲も湧かないのが憧憬と愛着の感情の重なった心の本音である様で、たとえばこれと同じことを語った或る哲学者も、三島由紀夫は美というものを殆ど論じていないと指摘している。
　ぼくは父親に「三島由紀夫なんて読むな」としばしば怒鳴られ禁止されていたので、欲しいものをすべて我慢して全集を購い、父を呪う様に小説は始めから終わり近くまで、評論も殆ど読んだのだけれども（ちなみに小説は豊穣の海の途中で放り投げた、いまでは完全に飽きている）、確かにかれ、美なるものを詩的に観念的に謳う様に語るだけ、法学部卒のかの論理家・三島由紀夫をして、わが美学論というものを書かしめた意欲というものはなかったのかもしれない。
　ぼくはボオドレールおじさんのろくでもない性格に何故かしら共感がある、ボオドレールも亦、（かれの幼少期に亡くなった父を思慕しながら）干渉・強制ばかりする義父を呪い反抗していた様だ。ボオドレールとかれの詩編には１２歳以来愛着があるし、週に幾たびかは夢中で読み耽る生活を、三十を直前としたいまでも続けている。
　告白するけれども、ぼくはかつて「我、ボードレリヤン」と気取り月の手取数万程度にして「スニーカーなんて沓じゃない」とぼくなんかと友人関係を結んでくれていた数少ない心のひろい友人たちへのたまって、ドレスシューズしか履かない時期があった。服飾文化に詳しい方は解るかもしれないけれども、真夏でもジャケットを脱がない為に（ちなみに真夏でもジャケットを脱がないのは近代英吉利の文化で、当時英国の真夏は１４度すら滅多に超えず３５度程度で湿度の高い日本でするのは躰に悪すぎる、そしてたいていの人間からすればなにも恰好よくない）、汗疹だらけになっていたがそれを佳としていた。かれの様に演技的な人格を披歴する自己韜晦的ダンディになりたかったのだ。
　そんなぼくであるから「ボオドレール読むな」と誰かにいわれた日には、宅急便で髪を真赤に逆立てて「惡の華」「巴里の憂鬱」を携えて家宅侵入し、淑やかに強引に贈呈致しましょう。

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　然り、ボオドレールもぼくもただのひねくれ小僧であり、自己否定を他者否定に転じて「自分に同苦しろ」ととんでもない意欲で暴言を吐いた経験のある人格破綻者、根っから病んでいる見栄坊、それ等を鏡で視つづける大自意識家──ぼくの場合はうじうじそれを自責し色々な書物を実践して治そうとしたけれども、すればするほど心捻じ曲がった──元より天邪鬼の幼稚な人間であった。

　ぼくの大々々好きな詩人である萩原朔太郎は──むろん、こんな感情はボオドレールに対してある筈がない──「ふらんすへ行きたしと思へども」から始まる綺麗な詩を書いたが、ぼくは大金を払って迄仏蘭西に行きたいと想ったことはない。それよりはお洒落をして、都心の服屋か美術館にひとりで行きたい。たとえ仏蘭西を訪れたとしても、ボオドレールの墓参りくらいしかしたいことがない。そうであるなら好きではあるのだろう、けれども、ぼくはそこまでかれを愛していないことが書きながら発覚した様だ、何故といい、この文章ではボオドレール先生の悪口をかなり書いてしまったから。