04 背中合わせ ②

09章~16章

        09

 水曜日、朝。
 ジンジが教室に入るなり、カコが駆け寄って来た。
「ヒカリが入院しちゃった」
「入院?」
「急性盲腸炎なんだって、昨日の夜、救急車で運ばれたらしいの」
 今朝早く電話が鳴り、カコの母親が出た。
 相手は島田の母だった。
 昨日、ヒカリは帰宅するなり腹痛を訴え、救急車で県立病院まで運ばれたとのことだ。
 夜のうちに手術は終わり、その後ヒカリがカコへ連絡を入れて欲しいと頼んだのだそうだ。
 連絡を受けたカコは、電話でナオにも伝えた。
「ジンジが岡戸くんを追い掛けて行ったあとに、帰りながらお腹が痛いって言ってたんだ――」
「手術は成功したんだろ?」
 カコは頷いた。
「だったら一週間くらいで退院出来るンじゃないのか?」
「だと思う」
「なら、そんなに心配するこも無いと思うけどな」
「そうだよね」また頷く。
「そうだ」
 ジンジは、教室の壁の時計を見上げた。
「センカンに伝えてくるわ」
 自習開始には、まだ少し時間があった。
「そうだね、そうしてあげて。多分知らないと思うから。……それはそうと」
「渋ってたけど納得してくれた」
「よかったね」
「行ってくる」
 カコが慌てて呼び止める。
「鞄、カバン」
 ジンジは鞄を肩から掛けたままだった。
「いけね」
 鞄を外してカコに預ける。
 ジンジは教室を飛び出した。


        10
 
 放課後。
 部活の帰り。
「センカン、部活休んだ」
 まるで独り言のように呟いていた。
 横をカコが歩いている。
「昼休みにヤッチン(サッカー部主将)の教室まで来て、今週一杯休ませてくれって申し出たらしい」
「そうなんだ」
「センカンと同じクラスの後輩が部活の時教えてくれたんだけどさ、あいつさ授業が終わったら、すっ飛んで帰ったらしい」
「きっとお見舞いに行ったんだよ」
「そうだ、岡戸くんが納得してくれたってこと、ナオにも言っといたよ」
「サンキュー」
「どういたしまして」
 カコの声は優しかった。
「それはそうと、ユウコやタカコも知ってんだろ?」とカコを見る。
 カコはジンジの視線を受けた。
「今朝あれだけバタバタしてたから、ユウコが何かあったのか?って訊いてきて、お弁当食べながら二人に話したよ。大丈夫だった?」
「ぜんぜん大丈夫さ」
 二人の前を、ナオとユウコ、タカコ、イケピンとシンコ、ポンタが歩いている。
 みんなの背中を眺めながら、ジンジはカコと一緒に歩いている。
 六人はそれぞれの仲間たちと、それぞれに好きな距離を取って、笑いながら歩いている。
 そしてジンジは……、急に黙りこくってしまった。
「どうしたの、急に静かになっちゃったじゃない」
 カコが口を開いていた。
 沈黙が嫌だったわけでは無い。
 ジンジがまた何かを考えているようだったので、その何かを知りたいと思ったのだ。
「考えてた」
「何を?」
 ジンジは少しだけ間を置いた。
「もしカコが、島田みたいに入院でもしたらオレはどうするかなって考えてた」
「どうするの?」
「……」
 カコは待った。
「逢いにゆくと思う」
「逢いにきてくれるのは嬉しいけど、ベッドに横になってるんだよ。それに眠ってたら話も出来ないかも知れないよ」
「それでもいいさ」
「いいの?」
「いい!」
「退屈しない?」
「しない!」
「そう」
「ずっといる!」
 そうしっかりと聞こえた。

        11

 土曜日の放課後。
「あした、県立病院へヒカリのお見舞いに行ってくる」
 カコがそう言ったのは、部活の後にみんなと一緒に帰っている時だった。
 宮崎県立宮崎病院は、宮崎市北高松町にある宮崎市最大の病院である。
 橘通り四丁目交差点の角にある橘百貨店の横を東西に走っている国道10号線を西に向かって、約600メートルほど行った場所に建っている。
 逆に行った東の方には宮崎駅がある。
 宮崎駅から病院までは、徒歩で15分の距離だ。
「部活の休憩時間に話し合って、そういうことになったの」
「誰と行くの?」
「わたしとナオ、他に後輩が二人。あんまりたくさんで行くと迷惑かと思って――」
「まさか、自転車で行くのか?」
 宮中からは、行こうと思えば自転車でも行けるからだ。
「バスにする。ナオと一緒にバスで行って、病院のロビーで後輩と待ち合わせするつもり」
「ここからだと、平和台ゆきのバスに乗ればいいんだよな」
 昭和町バス停から平和台行きに乗り、県立病院前で降りればいいのである。
「そう」
「月曜日にようすを聴くかせてくれよ」
「わかった……」

        12

 月曜日、朝。
 カコはジンジの席に座っていた。
 教室に入るなり、ジンジが焦って寄って来るさまを眺めながら、カコはおはよーと笑った。
「早く話をしてあげたくて……」
 何処か浮き浮きとしたようすが見て取れる。
「今日の笑顔は三割増しだな」
「わかる?」
 カコは両手を頬にあてた。
「何となくだけど、……わかるよ」
 ジンジもつられて笑った。
「お見舞いに行って、何かいいことでもあったのか?」
「早く鞄置いてきなよ」
 カコはジンジの席を立ち、まだ空いている向かいの椅子に移った。
 ジンジは急いで鞄の中身を机の中に押し込み、教室の後ろの棚に鞄を置いて戻って来た。
 ジンジが席に着くなり、カコは切り出していた。
「岡戸くんを見たの」
「え? 昨日は日曜日……だよな」
 ジンジは目を丸くした。
「一緒に見舞いに行った後輩が彼を見付けたの……」
「センカン、何か言ってたか?」
「ううん」カコは首を振った。
「後輩たちは、慌ててトイレに飛び込む彼を見ただけだから――。岡戸くんは、わたしたちに見付かる前に上手く隠れられたと思ったみたいだよ」
 笑いがこぼれていた。
 ジンジは、センカンの慌てぶりが目に浮かんで苦笑いした。
「だからわたしたちも、彼を気付かなかったふりをしてヒカリの病室へ向かったわけ――」
 ジンジは身を乗り出し、右手で机の上に頬杖を付いた。
「でね……、病室へ入るなり、後輩たちがヒカリを質問攻めにしたんだから。彼と何を話してたの?って訊いたら、岡戸くんは学校での出来事を〝一人で勝手に喋った〟だけで帰ったって言うんだよ。それも、ほんの5分くらいで……」
「想像できるよ」
「後輩があまりにもキャーキャーからかうもんだから、看護婦(看護師)さんに、静かにしなさい!……って注意されたんだから」
「よっぽど五月蠅かったんだ」
「それにね、岡戸くんは毎日来てたみたいなの――」
 ジンジは驚きと感心がごっちゃになっていた。
 しかも、センカンのその行為に納得している自分がいるのも分かっていた。
「岡戸くんはね、先週の土曜まで、その日の授業のノートを毎日ヒカリに渡すだけで、あとは何か話をするわけでも無く帰ってたんだって」
「ノート? センカンは島田とはクラスが違うはずだけど……」ジンジは首を捻った。
 放課後になって直ぐに見舞いに行ってるのなら、ヒカリと同じクラスの誰かからノートを借りて写す時間は無いはずだ。
 しかもそんなことをしていたら、回りに勘ぐられるに決まっている。
「それがね、クラスが違っても教わることは同じだからって……。初めてお見舞いに来てノートを手渡す時に言ってたらしいよ。それとネ、解らないところがあったら退院してからクラスの誰かに訊いてくれって」
「あいつらしいな」ジンジは苦笑いした。
「岡戸くんって言うより、男の子だからだと思う。好きな女の子のために何かしてあげたいって思ってるんだけど、ちょっとだけズレてるって言うか……」カコは肩をすくめた。
「そのようすをネ、ヒカリははにかみながら話をするンだよ。聴いてるわたしたちも恥ずかしいやら、くすぐったいやらでさ――」
 カコは夢中で話をしている。
「それでね、後輩がそのノート見せてって言ったら、嫌だって言うンだよ。だたその日の授業の内容が書いてあるだけなんだろうけどネ。でも分かるんだ……」
 自分のことのように嬉しそうだ。
「結局ね。後輩が休んでた分のノートを渡そうと準備してたけど、渡さずに帰ってきたったんだよ。可笑しいでしょう」
 身振り手振りを交えて楽しそうに話をするカコだった。

        13

 ヒカリは月曜日に退院し、水曜日に登校してきた。
 部活へは顔を出したが、当分の間は見学させるつもりだとカコが教えてくれた。

 木曜日の放課後。
「あれ、ジンジは?」
 体育館脇で待っていたカコは、彼の姿が見えないのを不思議に思った。
「ちょっと居残り練習するってさ――」
 帰り支度を終えて部室から出てきたシゲボーが教えてくれた。
「最近、ゴール前にボールを上げるタイミングが納得出来ないんだってさ。今日も大分トンチンカンはことやってた。だからギリギリまで練習するって――」
「そうなんだ」
 カコはグラウンドへ目を向けた。
 それから何処を見るともなく視線を戻していた。
「帰ろうよう」
 ナオがカコの肘をつついた。
 ユウコもいる。
 池ピン、シンコ、ポンタ、タカコの面々もカコを待っている。
「そだね」カコの笑みは、いつものそれに戻っていた。

        14

 今日もヘトヘトだ。
 一人練習を終えたジンジは、そのまま帰るのも億劫だから少し休んでから帰ることにした。
 暗くなるまでには、まだ少し時間がある。
 ジンジは朝礼台に登った。
 誰もいないグラウンド。
 服が汚れるのも構わず、ジンジは両手を頭の後ろで組んで寝っ転がった。
 空を見上げる。
 5月の空には、さまざまな形の雲が浮かんでいた。
 あれは何て言う雲なんだ? ……流れる雲を眺めながら、その名前を考えた。
 うろこ雲だろ? ひつじ雲だろ? 幾つかの名前は浮かんでくるのだが――、
 どの雲がその名前なのかが分からない。
 ジンジの頭の仲で、形と名前が合致するのは入道雲だけだった。
 しかし、入道雲の季節は夏であり、今は浮かんでるわけがなかった。
「それにしてもいい天気だ。こんな天気のことを五月晴れって言うんだな」
 つい考えていたことが言葉となってこぼれ出ていた。
 すると……
「えへん」と咳払いが聞こえた。
 反射的に身体を起こして振り返った。
「違うよ。五月晴れはね、梅雨の季節の晴れ間のことを言うんだよ」
 カコだった。
 笑っている。
「さつき、……って呼びかたは旧暦の五月の呼び方なの。だからほんとは六月になるんだよ」
「?、そっか! 六月ならもう梅雨に入ってるよな」
「梅雨の合間のスッキリ晴れた時のことを五月晴れっていうんだって――」
「ふ~ん」
「納得いったの?」
 五月晴れのことでは無い。
 居残り練習の成果を訊いているのだ。
 ジンジは力無く首を振った。
「そう」
「すぐ出来るようになるもんでもないからな」
 あっけらかんとした返事が返ってきた。
「何事も繰り返しが大事だもんね」
「ああ」
 ジンジは自分を納得させるように頷いていた。
「ところで……」
「なに?」
「先にみんなと帰ったんじゃないのか?」
「一緒に帰ってたんだけど、忘れてたことを思い出したって言って戻ってきちゃった」
 カコは舌を出して肩をすくめた。
「忘れモノ?」
「ううん。〝忘れてた〟こと――」
 するとカコは、鞄を開けて淡いピンク色の封筒を取り出していた。
「これを読もうと思って――」
 ジンジに見えるようにかざした。
「手紙?」
「うん」
 カコは朝礼台の階段に足を掛けた。
「あっちを向いてくれる」
 手紙を持った手でグラウンドの方を差す。
 ジンジは、言われるままに向きを変えた。
「これでいいのか?」カコに背を向けるかたちとなる。
「うん」
 朝礼台の上に立つ気配がした。
 カコはジンジの背中の埃を、手紙とは反対の手でゆっくりと払った。
「サンキュー」
「どういたしまして」
 そしてカコは、ジンジの背に寄り掛かって座った。
 背中合わせ……
「そのままでいてネ」
 頷く気配がカコの背に伝わった。
 封を開ける音が耳に届いた。
「誰から?」
 カコの背中を感じながら、ジンジが訊く。
「ヒカリから。昼休みに突然やって来て、読んでくださいって渡されたの」
 便箋を取り出す紙擦れの音。
「ジンジのそばで読みたかったんだ。そばで読まなきゃいけないって思ったの……」
 温もりが背中に広がってくる。


        15

 カコ先輩へ……
 ごめんなさい。
 突然、こんな手紙を渡されて戸惑っていると思います。
 でも、今の私の気持ちをどうしても誰かに伝えたくて
 そして誰に伝えるのが一番良いのか
 いいえ、今の私の気持ちを誰に知ってもらいたいのかを考えあぐねて……
 カコ先輩なら一番分わかってもらえると思って、書いています。

 あれは今年の二月の出来事でした。
 昼休みのことです。
 私は仲の良いクラスメイトと三人で、日向ぼっこがてらにグラウンドに出ていました。
 私たちは、グラウンドの右奥にあるバックネット横の鉄棒の近くで話をしていました。
 私たちの話は、男子のことでした。
 一人は、クラスメイトの中に気になる男子がいるみたいで、その男子が誰なのか? 当てっこしながらからかい合っていました。
 もう一人は、別のクラスに気になる男子がいるみたいでした。
 でも私には……、
 私にはクラスメイトの中にも、同じ2年の中にも気になる男子なんていませんでした。
 同い年の男子の話し方や行動が、どうしても幼く見えてしまっていたからです。
 私には年の離れた二人の兄がいて、いつもその兄たちと話をしていたので、そのせいかも知れません。

 そんな他愛のない話をしていたとき、私の背中に触れるものがありました。
 それは「危ない。……ごめん」と言いながら、私の背中を押してくるのです。
 私が、身をすくめて丸くなりながら振り返ると、そこに背中がありました。
 背中は、両手を後ろに回して、私の身体を包み込むようにしていました。
 背中は、空を見上げていました。
 私も見上げると、サッカーボールが私たちに向かって飛んでくるところでした。
 私はさらに押され、倒れそうになりました。
 でも、後ろに回された手が私の身体を強くつかんで転ばないように支えてくれていました。
 私も、倒れちゃいけないと強く踏ん張りました。
 その拍子に、私のオデコが背中の人の肩にぶつかったのです。
 ゴツンと大きな音がするほど強く当たりました。
 そしてドスンという音が、その人の背中から伝わってきたのです。
 後で二人に教えもらったのですが、ボールが背中の人の胸に当たった音だったらしいのです。
 そして背中の人は、足下に落ちたボールをグラウンドの中央に大きく蹴り出していました。
 背中の人が振り返りました。
 知らない先輩でした。
 先輩は「ケガしなかったか? 大丈夫か?」と心配そうに声を掛けてくれました。
 私が大丈夫ですと返事をすると「ごめんな」と謝って走って行ってしまいました。
 その後クラスメイトが駆け寄ってきて、心配そうに私に声を掛けてきました。
 オデコに手を当てながら、私は大丈夫だと答えました。
「凄い音がしたよ」一人が言うと、もう一人も頷いていました。
 私は石頭です。
 しかもオデコだったので全然痛いとは思いませんでした。
 反対にその先輩は、私の石頭のせいで相当痛かったんじゃないかと心配したほどです。
 でも、あの時振り返った先輩の顔は痛そうな素振りは見せずに、私のことだけを心配してくれているようにしか見えませんでした。
「あの人は誰?」
 走って行った先輩を目で追いながら聞いたのですが、二人にも分かりませんでした。
 でもたぶん、あれだけボールの扱いが上手な人なら、きっとサッカー部の先輩だと思ったのです。

 その日の部活は体育館だったので、私は翌日のグラウンドでその人を探してみることにしました。
 そして、背中の人は、やっぱりサッカー部の先輩だったのです。
 練習を見ていて分かりました。
 高く飛んでくるボールを、先輩は胸で上手に勢いを止めているのです。
 どんなに強いボールでも、簡単にトラップしています。
 あの時も、胸でボールを受け止めた時の音が先輩の背中から響いてきたんだと思いました。
 ボールから、わたしを守ってくれたのだと思ったのです。

 先輩を意識するようになったのは、それからです。
 しかもその先輩がカコ先輩と話をしているではないですか……。
 そして、背中の人が家入先輩であるということも分かり、しかも同じ小学校の出身だということも知ったのです。
 それ以来、私は家入先輩のことが少しでも知りたくて、出来るだけ先輩たちと一緒に帰るようにしたのです。
 一番後ろを追いかけて行きながら、カコ先輩と家入先輩が話をしているのを見ていたのです。

「どうしたの? いつものヒカリらしくないね?」
 ある日の下校の時でした。
 先輩たちの後ろに付いて歩いていた私に、カコ先輩が声を掛けてくたのです。
 その頃の私の頭の中では、家入先輩の存在がどんどん膨らんでいて、どうしようも無い状態だったのです。
 私は思い切って……、カコ先輩に家入先輩に対する〝憧れ〟という思いを打ち明けました。
 そしてカコ先輩のお陰で、先輩と体育館の裏で話をすることが出来たのです。
 あの時は、部活で疲れて眠っている先輩に、一方的に喋っただけですけど……。
 でも私は、それで充分でした。
 膝を抱えて眠っている先輩に話し掛けている時……、あの時はとても幸せな気持ちだったのです。

 でもしばらくすると、
 これまでは憧れだったジンジ先輩のことが、別の意味で、気になってしょうが無くなってしまった自分がいることに気付きました。
 ジンジ先輩の心の中には、想っている人がいることは分かっています。
 遠く離れたところからジンジ先輩を見ているから分かるのです。
 でも……、分かっていても、どうしようも無いことがあります。
 別の自分に気付いてしまって以来、他のことが考えられないくらいジンジ先輩のことで頭がいっぱいになってしまったのです。

 カコ先輩も好きです。
 でもジンジ先輩も好き。
 どうすればいいの?
 どうして?
 何故好きになっちゃったの?
 思い悩む日々が続きました。

 そして先週の月曜日のことです。
 カコ先輩が家の都合で、部活が終わってすぐに帰ってしまった時のことです。
 私はジンジ先輩を待ちました。
 どうしても話がしたくて、二人でもう一度話がしたくて待っていたのです。
 何を話すか、そして何をどうするか、というわけではありませんでした。
 会って二人で、ジンジ先輩と、ただもう一度だけ話がしたかったのです。

 思いが通じたのかも知れません。
 会いたい、会えるかなと思っていた先輩がそこに現れたのですから……。
 私は勇気を振り絞って、先輩に声を掛けました。
 そして先輩は私のことをヒカリと呼んでくれたのです。
 先輩に会えた嬉しさと、ヒカリと呼んでくれた嬉しさで、私は舞い上がってしまいました。
 私は甘えるような気持ちで、先輩に近付いていきました。
 このまま一緒に帰れれば、いろんな話が出来るのではないかと……、期待で胸がいっぱいでした。
 そこへ、岡戸くんが現れたのです。
 岡戸くんが現れた時は、私はなんてついてないんだろうと思いました。
 岡戸くんは関係無いでしょ! 邪魔しないで……、と思ったほどです。
 しかも、岡戸くんが現れてからの先輩は、とても居心地が悪そうでした。
 突然現れて先輩と私のことを勘ぐる岡戸くんに戸惑ったようです。

 学校を出て、岡戸くんとはすぐに別れたのですが、私は先輩の横に並ぶことが出来ませんでした。
 あの時強引に「帰るぞ」って言っていた先輩の短い言葉の中にはどんな意味があったのか?
 きっと、岡戸くんと私の関係を計りかねていたのだと思います。
「そうじゃありません。岡戸くんと私はそんな仲じゃありません」と二人になったら言おうと何度思ったことか……。
 でも先輩のそばに近付くことが出来なかったのです。
 私はただ、先輩と二人で話をしたかっただけなんです。
 でも、結局今度も……。
 その翌日の夜、私は盲腸で入院してしまいました。

 そして手術をした翌日の水曜日のことです。
 岡戸くんが、突然病室に現れたのです。
 面会時間が終わるギリギリの時間でした。
 一番最初にお見舞いに来てくれるのは誰かなぁ? きっと親友の二人だと勝手に思っていたのですが、来てくれたのが岡戸くんだったのに、私はびっくりしてしまいました。
 彼は学生服のままで、肩から鞄を掛けていました。
 やってきてくれた時間から考えても、岡戸くんは授業が終わるとすぐに来てくれたんだと思います。
 今も……
 とまどいながら病室のドアの横に立っている岡戸くんを思い出すことが出来ます。
 岡戸くんは恥ずかしそうに近付いてくると、鞄から一冊のノートを取り出しました。
 ノートを開き、その間に挟んであった4枚の紙を何も言わずに差し出したのです。
 それはノートを切り取ったものでした。
 とても丁寧に切り取られていました。
 それには、その日の授業の内容が書かれていました。
 それから毎日です。
 彼は、その日の授業内容を書いて切り取ったノートを持ってきては、黙って帰っていったのです。
 岡戸くんが帰った後、何度も何度も、繰り返しノートを手にしている私がいました。
 授業の内容以外、何も書かれていないノートでしたが、枚数が増えるごとに、私をことをこんなにも思ってくれている切り取られたノートだと思うようになったのです。

 岡戸くんは男子の中で、ほんの少しだけ仲が良い程度の……、ただの人でした。
 でも今は、この手紙を書きながら……、それとは違う、別の気持ちを持っている私がいます。

 登校してすぐに、私は岡戸くんの教室へゆき、
 岡戸くん……、いいえ、センカンと映画にゆく約束をしました。
 私から行こうと誘ったのです。
 その時のびっくりした彼の顔がとても可笑しくて……、そしてその後笑ったセンカンの笑顔が私の心を温かくしてくれていました……。

        16

 カコの身じろぎが、ジンジの背に伝わってきた。
「帰ろう」カコが呟く。
 ジンジは立ち上がり、朝礼台から飛び降りた。
 カコが封筒を鞄の中に大事そうに仕舞うのを黙って見ていた。
 何も訊こうとは思わなかった。
 ただ黙って、朝礼台から降りてくるカコを待っていた。
 
 おしまい

04 背中合わせ ②

04 背中合わせ ②

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-05

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