小編集 54
531 悲しい一人ずもう
ハジカミさんの妄言がひどく精神科にかかるようになった。
歩けないのに立ち上がるので何度も転んでいた。
でも、不思議と骨折しない。受け身がうまいのか……
そして、転んだことも忘れる。
もう、転んで入院しろ!
と、こちらも心の中で暴言を吐く。口に出す職員もいた。
ハジカミさんのために職員は疲弊していた。
暴言、暴力がすさまじい。
便をする時に大騒ぎ。
「産まれる〜 先生呼んで!」
病気のせいだ。娘さんによると穏やかな方だったらしい。
精神薬のせいで朝は起きられなくなった。それでも食事しないと薬を飲ませられないので起こす。
もう、箸の持ち方も忘れたようにおぼつかない。眠って茶碗を落とす。中身も床にぶちまける。カップを落とす。飲み物にはとろみ剤が入っているので掃除が大変。
それでも朝はおとなしい。ごめんなさい、と謝る。
午後はひどいらしい。車椅子には立ち上がるとピーピー鳴るようにセンサーをつけた。
車イスから腰を浮かすとチェアセンサーが検知し、大事に至る前に介護士が駆けつけることができるというもの。
夕方私が仕事に行くとピーピー鳴りまくっている。テーブルにハジカミさんひとりだけ。キッチンに近い席なので私は何度も手招きされる。
もうすぐごはんです、と言っても帰ると言って立ち上がる。完全には立てず、ドスンと座り込む。
仕事になりゃしないから放っておく。言うことは支離滅裂。
ここは上野でしょ?
何か用? 文句あるんですか?
さわらないでっ!
あなた、家に遊びにいらっしゃいよ。一緒に帰りましょ。
もう、知らないっ!
何を叫んでもいいんです。立ち上がらないでくれたら。
まるで一人ずもう。立てないのに何度も何度も挑戦する。
実りのない物事に必死で取り組むハジカミさん。
寝言よりひどい暴言ずもう。
ひとりで何度も立ち会い、立っている時間だけピーピー鳴っている。
頑張れ!
おお、バランスの奇跡!
⭐︎
『立ち会い』とは、力士同士が呼吸をあわせて『立ち合う』のが語源。
審判など第三者によらず、競技者同士の合意によってはじめて競技が開始されるという意味で、対戦形式のスポーツの中ではきわめて稀有な形態である。
ジャン・コクトーは『バランスの奇跡』と讃えた。
【お題】 寝言ずもう
小編集 54