映画『そこにきみはいて』レビュー

①相当程度のネタバレを含みます。前情報なしに観たいと考えている方はご注意下さい。

「LGBTQやアセクシャル、あるいはアロマンティックといった性に関する記号をそれぞれの人物が包み隠すことなく、目の前の相手に曝け出す」。
 その積み重ねを繰り返す本作は、多様性の理想に向けて真正面からカメラを構えます。その画角の中で彼や彼女は社会の少数派という点で同志にはなれても、性的傾向に明確な違いがあるから決定的な所で相容れず、ぶつかり合い、お互いを弾き飛ばしてしまう。それが「自分らしく生きる」選択をした結果なのだからどうしようもなく、ビリヤード台に点在する玉のような佇まいで、各々の孤独は深まっていくばかり。特にアセクシャルで、かつアロマンティックである主人公の香里が性愛で繋がるのを当然視する社会状況を前に居場所を見失っていくのには言葉が出ませんでした。
 香里は会社の後輩だった女性に面と向かって罵倒されても平然としていられるぐらいに強い人です。けれどその強さも自分以外の誰もが「別の生き物」と割り切っていることの裏返しだと理解すれば、誰との間でもコミュニケーションが発生していない結果でしかないのだと分かります。最初から何もかもが違うのだから、何をどう言われても気にならない。気にしない。気にしても仕方ないと彼女は何度も、何度も諦めてきた。そんな想いが「福地桃子」という造形言語に優れた演者の形を通して語られるのです。感情の動きが少しも認められない真顔は、けれど横を向けば惚れ惚れするぐらいに雄弁で、なのにこちらを向けばまたその感情を殺してしまう。そんな彼女の笑顔を正面から見ることができたのもたった一度だけ。性も愛も絡まない無邪気な遊びを彼女は子供たちと一緒になって心から楽しんでいた。その瞬間、瞬間に「恋人」を見つけられる彼女はそれ以上を望まない。ただ、それだけで良かったんです。
 そんな香里とパートナーになろうとした建流は、自らが同性愛者であることを彼女に打ち明けることができずに自殺を選択します。抱え続ける性欲を持て余し、買春をしてでもそれを解消して、そんな事を繰り返す自分に嫌気がさしても香里を別れることをしなかったのは、彼女の居場所になろうと努力する明かしだったように思います。それにいまさら本当の自分を曝け出そうにも最愛の人である中野慎吾は異性と結婚し、人気小説家として社会的成功も収めている。会いに行っても、二度と来ないでくれと強く拒まれました。だから自分はもう後にも先にも進めない。その絶望を、香里も理解できなかったのです。
 中野慎吾の方にも複雑な事情はあって、建流と同じ同性愛者である自分を徹底的に否定し、彼を好きな気持ちにも固く蓋をして社会にアジャストする道を選びました。にも関わらず建流の真意を知りたいから付き合ってと腕を引っ張る香里に嫌々ながらも同行し、建流の実家や、自死する前に香里が彼と行った最後の旅行先を二人で訪ねていくに連れ、あちこちのネジがガタガタになり、遂には全てを香里に明かそうとする。生前の建流ができなかった事を彼がしようとするのです。本当に苦しそうに、何度も言葉を詰まらせて。
 そんな彼の告白を、けれど香里が静止します。
 その行動は、表面的に見れば建流と同じ状態に彼を追いやるもののように思えます。
 けれど直前のシーンで① 自分を罵倒した後輩(女性)が香里のことがずっと好きだったと告白し、肉体関係を持とうとするのを香里が激しく拒んだ結果、「自分が同性愛者だからでしょ?」と彼女を深く傷付けてしまったことや②自暴自棄になって建流と同じように買春をし、挿入寸前までいったがその気持ち悪さに耐え切れず気絶しまった香里の痛ましい表情を観た後だと、非常に建設的な意味合いを持つ選択に見えてくるのです。
 本当の自分を曝け出すために、身に付けているものを全て脱ぐ。その時に彼や彼女は否が応でも傷を負わなければいけないのでしょうか?
 そんな問いを観客に投げ掛けるようにして、本作のラストでは頻繁に映される「趣味のランニングに励む香里」の撮り方に意図的な工夫が施されていました。それまでは街の風景を丸ごと切り取る形で映し出されていた香里のランニングが、最後には彼女の息づかいが聞こえるほどに接近して撮影されていたのです。その足取りが劇中で一番軽やかだったのは、後者の画角で「社会」に関する情報がバッサリと切り落とされているからだと私は思いました。そこでやっと気付けるのです。変えるべきものが何なのか、という大切なポイントに。


 好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いといえる。そんな当たり前のことを当たり前にできない彼や彼女の苦しみを変わらない社会の上で語り続ける限り、同じ苦しみが再生産されるのなら性に関する記号はただの呪いと化してしまいます。マジョリティだからといって異性愛が異常視されないのを不思議に思う、それすらもいまだ禁忌(タブー)になるのなら、私たちが目指すべき未来はどこにあるのか。その足元から慎重に考えなければならないでしょう。
 多様性は決して優しいものじゃありません。それでも、と力を込めて伝えられるものを映画「そこにきみはいて」がずっと探しています。当事者「同士」の相容れない立場から社会に向けて大きな一石を投じる作品です。興味がある方は是非。

映画『そこにきみはいて』レビュー

映画『そこにきみはいて』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted