04 背中合わせ 前編
01章~07章
01
5月の第三月曜日。
「家入先輩!」
部活を終えたジンジは、グラウンドと校舎を結ぶ橋の途中まで来たところで声を掛けられた。
声は橋を渡ったすぐ先の、旧校舎と体育館の間にある中庭の方からだった。
その中庭の左側の体育館の近くに人が立っている。
ジンジは夕暮れの中の人影に近付きながら、首をひねる。
知った顔の後輩なのだが……と首を傾げるジンジに
「カコ先輩と同じ、バレー部の2年生です」と影は言った。
……それは分かっている。
カコからノートを写させてもらう代わりに、会ってあげてと言われた後輩だ。
体育館裏で会う約束をしていて、結局来なかった娘なんだけれど……その後ある日の部活の終わりに、あの娘だよ、と遠目にカコから教えられたので、顔だけは覚えている。
だが名前が思い出せないのだ。
言い淀むジンジを、彼女は上目遣いで見ている。
カコが、会うんだから名前だけは教えとくね、とあの時教えてくれたはずだったと、その場面を思い返しながら、ジンジは千数百億個の脳細胞をフル回転させた。
「ヒ・カ・リ…?」
すると、その娘の表情が一変した。
「覚えていてくれたんですね、ありがとうございます」
彼女は一気に駆け寄って来ると、勢いそのままに、ジンジに頭を下げた。
「それも、ヒカリ、って呼んでくださるなんて」
彼女の声はひっくり返っていた。
あの雨の日、体育館裏で会うからと、カコはその後輩の名前を教えてくれていたはずだったのだが、一度会うだけだから、とジンジは失礼にも、彼女の名前を上の空で聞いていたのだ。
あの時カコは……
「部員はみんな、ヒカリって呼んでるんだよ」
「ふーん、新幹線ひかり号のヒカリね」と自分が何気なく口にしたのを思い出したのである。
ヒカリはモジモジしながら、さらに一歩近付いて来た。
「そ、それじゃあ」と迫るヒカリに、ジンジはタジタジとなった。
ヒカリは、えいッ! っと言わんばかりに肩に力を込めていた。
「わたしのことをヒカリって呼んでくださったんだから……だったら、わたしも家入先輩のことをジンジ先輩って呼んでもいいでしょうか?」
そうヒカリは、一息で言い切っていた。
何を突然そんなことを、オレは君の名前を憶えていないんだ……と思いながらも、強い押しに圧倒されて
「か、構わないよ」と返してしまっていた。
するとヒカリは、薄暗がりの中でもはっきりと見えるくらいに嬉しそうな顔になっていた。
ジンジは焦った。
そのあまり……
「ぶ、部活は、も、もう終わったのか?」と分かりきった質問をしてしまったいた。
自分が終わったのだから、もう下校時間で、特別なことが無い限りは学校を出なければならないのである。
「ええ、今日はもう終わりです。サッカー部も終わりですよね?」
「ああ、オレらも終わり。そう言えばバレー部も、今日はグラウンドグで練習してたよな」
体育館は、バスケット部と交代で使うことになっており、今日はバレー部がグラウンドで練習する日だったのである。
バレー部もグラウンドで練習してたんだから、終わったのは分かるじゃないか、なに言ってんだおれは……
ジンジは所在なく辺りを見回した。
「そうだ、カコ先輩なら、用事があるからって先に帰りましたよ」
訊いてもいないのに、ヒカリは教えてくれた。
「用事がある?」
ジンジは首をかしげた。
「部活が終わったら、お先に、って先に帰ってしまいました」
「そうなのか」
「一緒に帰ろうと思ってたんですか?」とヒカリはジンジをのぞき見た。
慌ててジンジは、大袈裟に否定した。
「いいや、そうじゃ無い」
うわ~話が続かない、何か喋べらなきゃ、どうしよう……オレはクリームパンとメロンパンが好きだって言ってみるか、それで何秒保つ?
あれこれと頭の中で考えている間に、永遠と思われる沈黙の時間が流れていった。
*
「ヒカリ」
その時、彼女を呼ぶ男子の声があった。
二人が顔を向けると、声の主が橋を渡って来るところだった。
「岡戸くんじゃないの」とヒカリが言った。
「センカンじゃないか」とジンジ。
やって来たのは、サッカー部2年の岡戸ムサシだった。
「家入先輩じゃないスか――」
岡戸は、ジンジだったことに驚いたようだった。
そして、不思議そうにヒカリとジンジを交互に見やっていた。
「先輩とヒカリは知り合いだったんスか?」
「そうだよ」とヒカリは声を弾ませていた。
「バレー部の墨木先輩が家入先輩と同じクラスなの。それに同じ小学校出身だったから、だんだん一緒に帰るようになって……それでお知り合いになったんだよ」とわざわざ説明までしてくれていた。
そうだっけ? 一緒に帰ってたっけ? とジンジは心の中で首を傾げていた。
「そうだったんスか」
岡戸の声のトーンが、ほんの少し落ちていた。
二人は気付かない。
「ところで岡戸くん、そのセンカンって何、あだ名なの?」
「サッカー部の先輩からはそう呼ばれてるんだ。名前がムサシだから、戦艦武蔵でセンカンって――」
落ちたトーンは、もう何処にも無かった。
「へぇ~知らなかった。カッコいいじゃん」
「な、何ならヒカリも……オレのこと、セ、センカンって呼んでくれていいだぜ」
彼の狼狽(うろたえ)るさまが、ジンジにも伝わってきた。
今度はジンジが、ヒカリとセンカンを交互に見やった。
「そぉ~お、ならそう呼んじゃおっかなぁ~」
ヒカリは、甘えた声で言った。
「お、おう。いいぞ」
返すセンカンも、まんざらでも無いようだ。
「じゃあ、そうする。ね、センカン!」
いやぁ~、と照れまくるセンカンだった。
「ごちそうさまです」とジンジ。
するとヒカリが、即座に反応していた。
「そ、そんなんじゃありません」
焦ったヒカリは、ジンジの詰襟の腕に冗談っぽく手を伸ばした。
ジンジはさりげなく身体を横にして、ヒカリの手を流していた。
「でさ……もうそろそろ帰らないかい?」とジンジ。
「そ、そうですよネ! か、帰りましょう」
ヒカリはドギマギしていた。
今のは何なんだ? とセンカンは、訳が分からず二人を交互に見ている。
じゃあ、とジンジは、先輩の特権を利用して、半ば強引に歩きはじめていた。
「待ってくださいよう」とヒカリが慌てて動いた。
センカンは小走りでヒカリの横に並んだ。
ジンジの後ろを、ヒカリとセンカンが並んで歩いて付いて来た。
三人は旭東通りまで出た。
ヒカリとジンジは、右に折れた。
センカンは左だ。
ヒカリとジンジはグラウンドを右に見ながら一ツ葉の方へ歩いてゆく。
二人になっても、ヒカリはジンジの横には並ぼうとしなかった。
少し距離を置いて黙って後ろを付いて来るだけだった。
*
昭和町交差点を渡って二つ目の角を右に曲がる。
そして左に曲がる角まで来た。
そこでジンジが後方を振り返った。
旭東通りを最初に曲がった、その道の真ん中にヒカリが立っていた。
この前と同じ所に立っている。〈01 先輩 02章〉
立ったまま、ずっとジンジのことを見ていたようだ。
ジンジが、アディダスのバッグを頭の上まで持ち上げると、ヒカリは嬉しそうにペコリと頭を下げた。
02
翌日の火曜日、朝。
教室に入ると、ジンジは鞄を掛けたままの格好でカコの席まで行った。
「おはよう」
後ろから驚かせてやろうと思っていたのに、カコは振り返って笑った。
なんだよ気付いてたのかよ、とジンジは頭を掻いた。
「どうしたの? 何かあった? 訊きたいことでもあるの? ノート?」
カコが矢継ぎ早に訊いてきた。
「ノートはまた今度……大事な時まで取っとく」とジンジは返していた。
カコはそれにも
「いつも大事なんじゃないの」と冗談っぽく返した。
ジンジは、その台詞を聞かなかったことにした。
「実は昨日、部活の帰りにヒカリに声を掛けられたんだ」
「ああ、ヒカリね、ジンジに憧れてるヒカリね」
それを言うなよ、とジンジは苦笑いした。
「実はさ、そのヒカリのほんとの名前が思い出せないんだよね」
「この前教えたじゃない」
カコは呆れて口を尖らせていた。
「島田彩子って言うんだよ。ちゃんと覚えといてあげなきゃ可哀想だよ。もう~」
「しまだ・あやこ?」
カコは指で、彩の字を机の上に書いた。
「彩子の彩は、ひかりって意味もあるの。だからヒカリ」
「そんな意味があるのか。誰がそんなややこしいあだ名を付けたんだ?」
「確か自分で言ってたと思うよ。バレー部に入部して、自己紹介の時にそう呼んでくださいって言ったんだと思う」
「そうなんだ」
「最初はオドオドしたりするところがあったんだけど、一度そうと決めたら、自分の思いや考えを、はっきり主張するところがあるんだよね。だからジンジと話をしてみたいって、わたしに頼んできたんだと思うよ。言い出すまでは結構悩んでたみたいだけど――」
なるほど、とジンジは、昨日帰り際に声を掛けてきたヒカリの行動を思い出していた。
そして、道の途中に立って、振り返ったジンジにペコリと頭を下げたことも……
「それで?」とカコが言った。
「で、って……?」とジンジは訊き返していた。
「訊きたかったのは、それだけ?」
「あ、いや、その島田さんが言ってたんだ……」
「ヒカリって呼んでやったら」とカコが割り込むと、ジンジは黙った。
「どうしたの?」
「やっぱり(島田に)しっかり許可取ってから、そう呼ぶことにする」
「そうなんだ」
でも多分、ジンジは彼女のことを、ヒカリとは呼ばないだろう。
何となく、そんな気がする。
「その島田さんが言ってたんだ。昨日は用事があってすぐに帰ったんだって?」
「う、うん。ちょっとした家事都合だよ」
ジンジを見上げながら、カコは右手で襟足を撫でていた。
その時、自習始まりの予鈴が鳴った。
「じゃあ席に戻るわ」
壁の時計を見上げながらジンジが言う。
カコはそのまま身体を戻して机に向かい、中から教科書とノートを取り出そうとしていた。
その横をジンジが通り過ぎる。
「似合ってる」
ジンジは独り言でも言うように、低い小さな声で呟いてた。
カコの家事都合は、髪をカットしに行くことだったのだ。
「ありがと」
しかしその声は、席に戻ってしまったジンジの耳には届かなかった。
03
朝礼台は、校舎を隔てる橋を渡ったグラウンドの入口の端に寄せてある。
そのグラウンドを一望出来る朝礼台を陣取り、シゲボーとジンジは弁当を広げていた。
そろそろ食べ終わろうとするころ、そこにセンカンがパンをかじりながらやって来た。
「なんか(用事でも)あンのか?」
シゲボーは、最後のおかずを口に放り込んでいた。
「用ってほどでは無いンすけど」
センカンは口に入れていたパンを、しっかりと飲み込んだ。
「これから(サッカー)やるんだから、あるなら早くしてくれよな」
ジンジは、空になった弁当箱を片付けていた。
「家入先輩に、ちょっと相談が――」
「えッ、オレに? シゲボーじゃねぇの?」
ジンジは、手を止めて顔を上げた。
「家入先輩に、です」
センカンは、はっきりと言った。
「(サッカーして遊びながら)走り込もうと思ってたのに」
「分かってます」
センカンは、頭を掻きながら謝った。
「じゃあ、部活が始まる前でどうだ?」
ジンジは即座に提案していた。
とにかく走りたくてウズウズしているのだ。
「それなら、それでいいです」
センカンは頷いた。
「じゃあ決まり……な!」
ジンジは朝礼台の上に立ち上がると、そのまま飛び降りてグラウンドに走った。
空の弁当箱は朝礼台の上に置きっぱなしだ。
シゲボーも、朝礼台から飛び降りた。
シゲボーは、走り出そうとした足を止めてセンカンに振り返った。
「お前もっと走れ!」
「はい?」
「もっと走って、脂肪を筋肉に変えろ! そうすれば今よりスピードが上がる。スピードが上がれば当たりも強くなるから」
センカンの背丈は、シゲボーやジンジと変わらないが、体重は3割増しでぽっちゃりしているのだ。
それだけ言うと、シゲボーはジンジの後を追った。
二人の背中を見ながら
「弁当食った後のこのパンがいけねぇンだな」
まだ残っていたパンを、センカンは一気に口の中に放り込んでいた。
04
放課後。
サッカー部の部室は、プール下の更衣室のひとつが割り当てられている。
練習着に着替えて部屋を出たところに、センカンが走ってきた。
「(練習)始まんかンな」
「すぐ行きます」
センカンはジンジと入れ替わりに部室へ飛び込んだ。
ジンジはプール脇の監視塔まで行って、ストレッチをしながらグラウンドを眺めていた。
バレー部は、今日もグラウンドに出ていた。
本来ならば、バスケットボール部が外で練習する予定のはずだったが、土曜日に他校との練習試合が控えているので、今週はずっと体育館を使用したいとの要望があり、バレー部がグラウンドで練習することになっている。
先週、部活が終わってみんなで一緒に帰る道すがら
「その代わり、来週はずっとバレー部が体育館を独占することになってるんだよ」とカコは嬉しそうに話していた。
グラウンドでは、既に1年生と2年生がネット張りの作業を始めていた。
働いているのは、入部したばかりの1年生で、2年生は張り方を細かく指示しながら見ている。
時々、2年生から1年生に声が飛んでいるさまを、眺めるともなくジンジは見ていた。
「すいません。遅くなりました」
そこへセンカンが走って来た。
部室から監視塔までの、たったこれだけの距離で、もう息が上がりかけている。
「で、話ってのは?」早く練習をしたいから、ジンジは直ぐに訊いた。
「実は……」
センカンは、昼休みと同じように頭を掻いていた。
「部活のことか?」
「違います。オレ、サッカー凄ェ好きですから。部活のことじゃ無いです」
勢いよく頭を横に振った。
部活のことならジンジじゃ無くて、主将のヤッチンか副将のシゲボーに相談するはずである。
「じゃあ何だよ?」
ジンジは、足首を回しながら次の言葉を待った。
「は、い……」
言い淀みながら、センカンはジンジの左横に立ち、屈伸を始めた。
「あそこ……」
センカンはある方向を見ていた。
ジンジは、あそこって? とバレー部の一番左のネットの方に目を向けた。
そこにヒカリを見付けた。
彼女はこっちを見ていた。
ヒカリは、ジンジが気付くよりも前からこっちの存在を知っていたようだ。
「ヒカリがこっちを見てるでしょう?」
二人の他に周りは誰もいないのに、センカンは小声になっていた。
誰が? とジンジはとぼけた。
「ヒカリですよ」
「ああ、島田ね」
ジンジは彼女に、軽く挨拶を送った。
ヒカリは大きく手を振って返してきた。
センカンは軽く右手を上げた。
挨拶を返したかどうかも分からない動きだった。
そしてセンカンは、バレー部に……と言うよりヒカリから背を向けていた。
センカンとジンジは、互いに肩を並べて、正反対の方を向く恰好となってしまった。
バレー部の誰かが、多分2年生だろう、ヒカリに話しかけているが、それはセンカンが背中を向けた後だった。
「先輩とヒカリって、知り合いだったンですね」
センカンは昨日と同じことを訊いた。
「うん、まぁ」
知り合いになったきっかけがどうも……なのでジンジは曖昧に答えていた。
「きのう、先輩とヒカリって結構親しそうに話してたじゃないですか」
「島田は墨木の後輩で、たまたま帰りが一緒になって顔見知りになっただけだぞ」
鈍感なのか? 多分そうなのだろう……
ジンジにはヒカリと一緒に帰っていた覚えが無いのだ。
「墨木さんと島田がよく話しをしているのを見掛けます。それとあと三人の先輩たちと五人で話しているところも見掛けます」
「菅野(ナオコ)と江本(ユウコ)と武藤(タカコ)だ」
良く見てやがンなぁ、とジンジは三人の部活まで教えてやった。
「ヒカリも先輩たちと同じ小学校だから、帰る方向が一緒なんですよね」
センカンは自分を納得させるように頷いていた。
「それで家入先輩も、自然にヒカリと顔見知りになったって訳ですよね」
ひとつひとつを確認するように、センカンは話を続けた。
「先輩が島田のことを知っているから……だから先輩にお願いしようと思ったンです」
急に〝ヒカリ〟が〝島田〟になっていた。
サッカー部の1年生たちが、練習用ボールを抱えてグラウンドに運び入れ始めた。
「お願い?」
唐突に
「実はオレ、島田のことが好きなンすよ」
監視塔の壁を見上げながら、センカンは切り出していた。
「好き……」
ジンジは思わずセンカンを見ていた。
はい、とセンカンは頷いていた。
昨日の、センカンのぎこちない態度を、ジンジは思い出していた。
「告白しようと思ってます、いやします!」
真剣な顔で、そう言った。
その後に照れ笑いが続いた。
「それを何故、オレに言うンだ?」
「だから、先輩と島田が知り合いだからですよ」
「答えになって無いぞ」
ジンジには、チンプンカンプンである。
「三人とも同じ小学校の出身だから、帰る時も……えっと墨木先輩でしたっけ?」
ジンジは頷いた。
「その先輩たちと一緒のことが多いんですよね。それで先輩も、自然に島田と顔見知りになったって訳ですね」
同じことを何度も言われているのだが、ジンジは黙って聞いていた。
「だから先輩に頼むンです。オレが話したがっている……って島田に伝えて欲しいンです」
「会ってやってくれって、オレが彼女に頼むのか?」
「はい」
ジンジは天を仰いだ。
「お前ねぇ、自分で言えよ」
「駄目なんスか?」
センカンは驚いていた。
快く引き受けてくれると思っていたからだ。
「何故オレなんだよ? オレに頼む理由が分かンねぇよ」
「先輩なら絶対引き受けてくれると思ってました」
センカンは言葉に詰まった。
しかも今のも答えになっていない。
「話がしたい。……って自分で伝えればいいだけじゃないかよ」
「2年になってクラスが別れてしまって、それ以来話をする機会がまったく無いんです。二人っきりになる時間なんて一瞬も無んです」
センカンは言葉を切った。
「昨日オレは……」と、また言葉を切った。
「オレは島田があそこにいるのを知ってたんですよ。だからチャンスだと思って行ってみたんです。そしたら、先輩と話してるじゃないですか」
センカンはプールの監視塔を見上げながら睨んでいる。
睨む相手はジンジだ。
「先輩がいなかったら話せたかも知れないのに……」
「オレがそのチャンスを潰したってのか?」
「そうは言ってません。でも先輩が、先輩が島田と知り合いだってことを昨日まで知らなかったから……」
センカンは沈黙した。
どう話を続ければいいか迷っているのだ。
「あそこで島田を見付けた時は、バレー部の誰かといると思ったんです。それなら直ぐ別れちゃうだろうし。それから何とかすれば話をするチャンスがあるかな?と思ったんですが……でも行ってみたら先輩じゃないスか。先輩と島田の関係って何だ?と思ったら舞い上がっちゃって――」
センカンはぶちまけるように喋った。
「さっきも言ったじゃないか。島田は墨木の後輩で同じ小学校の出身だからって、だたその理由だけの知り合いだぞ」
「ほんとにそれだけなンすか?」
センカンは反論した。
「疑ってンのか?」
ほんの少しだが、ジンジにも後ろめたい気持ちが無くはなかった。
「疑っているわけじゃ無いンです」
センカンは首を横に振りながら、ため息をついた。
そして次の瞬間には、人なつっこい笑みに変わっていた。
「それなら、なおのこと引き受けてくれますよね。先輩にお願いしたいです。かわいい後輩だと思って――」
「オレじゃなくて他の奴に頼めば? 例えばクラスの……」
センカンは駄目です、と手を振った。
「クラスの奴に頼んじゃったら、すぐ広がっちゃいますよ! そうなったら島田に悪いし」
「誰にも言うなって頼めよ」
「そんな友達いないっス」
ほんとかよ? とジンジの顔はそう言っている。
「じゃあ手紙を書けよ。何日の何時に何処どこで会ってくれないかって下駄箱にでも机の中にでも入れろよ」
「オレ、字が下手くそだから」
「なに変な理由をくっ付けてんだよ」
「文章を考えるのも苦手なんです」と無茶苦茶なわがままが返ってきた。
気持ちが伝わればいいじゃんかよ、とジンジは言いたかった。
すると、センカンはいきなり向き直り、両手を合わせた。
「だからとにかくお願いしますよ。オレにチャンスをくださいよ」
お願いします、と今度は頭を下げた。
次は土下座しそうな勢いである。
「部活が終わったら、島田はたいがい先輩たちと一緒に帰ってるじゃないスか。そん時そ~と横に並んで、チョコチョコって話してくださいよ」
「お前も一緒に帰れば」
「一緒に帰るったって大通り(旭東通り)までじゃないスか。そこまで30メートルもありませんよ。そんな短い距離じゃあ、絶対無理っス」
参ったなぁ~、とジンジはバレー部の方へ目を向けた。
そこへ、バレー部の3年生がグラウンドに現れた。
ナオもいるし、カコも姿を見せた。
センカンは、困ったような、そして泣きそうな顔で、監視塔に頭を垂れた。
何度頭を下げれば気が済むのだろう。
ジンジが引き受けてくれるまでは下げ続けるのであろう。
「分かった。分かったからもう頭を上げろ」
ジンジは、センカンの背を撫でるように叩いていた。
「言ってみるだけだぞ」
センカンは頭を上げた。
「本当っスか?」
その顔は、安堵で一杯になっていた。
「ありがとうございます」
また頭を下げた。
「頭を下げるのは、止めろって言ったろ!」
ジンジは強い口調になっていた。
半分は呆れていたし、次第に面倒臭くなってきていた。
「はい、わかりました」
「練習やるぞ」
ジンジはセンカンに背を向けて、ゴール前に集合している仲間のもとへ走った。
ジンジの横を、センカンがダッシュで追い抜いていった。
「げんきんな奴……」
そう言った同じ口からは、ため息しか出なかった。
05
翌日の朝、水曜日。
ジンジは普段より少し早く登校した。
休み時間は慌ただしいし、昼休みはグラウンドに出て走り回るし、放課後になれば二人とも直ぐに部活に行ってしまうし、帰りは仲間たちと一緒でゆっくりと話をしている余裕なんて無いし――。
結局ジンジは、朝一番に相談するのがベストだと考えたのである。
*
カコは教室に入るなり、鞄を肩に掛けたまま、窓際のジンジの席に寄ってきた。
「おはよう、早いね」とカコ。
「おはよー」
「ちょっと待ってて」
「オレがそっち行くよ」
カコは、立ち上がろうとしたジンジの肩に手を置いた。
「いいよ、話を聞く、なら窓際の(ジンジの)席の方が気持ちいいから」
開かれた窓からは、5月の風が吹き込み、教室の中を揺れ動き、廊下へと流れ出ている。
何も言ってないのに……とジンジはカコの姿を追っていた。
席に鞄を置いて戻ってきたカコは、ジンジの前の椅子に横座りして窓の方を向いた。
前の席のクラスメイトは、いつも時間ギリギリに教室に飛び込んでくる男子だ。
「準備OKだよ。昨日、部活前にグランドで話してた後輩とのことでしょう?」
どうして? とジンジは目を丸くした。
「昨日、みんなと一緒に帰っている時に、何か考え事してたみたいだったし――」
「そうか」
「でも部活に行く前まではそんなようすは無かったし、だから」
そこまで分かってくれているのならばと、ジンジはさっそく昨日のセンカンとの会話を切り出していた。
*
「どうしよう?」
ジンジはうなだれていた。
「どうもこうも無いでしょう。頼んでやるって、言っちゃったんでしょう?」
「はい、そのとおりです」
「困ったね――」
カコはジンジの机に左肘を置いて、窓の外の景色に目をやっている。
朝の陽差しが、彼女を照らしている。
吹き込む風は、頬と唇、そしてカットしたばかりの髪を包み込んで遊んでいた。
ジンジは、背筋を伸ばして距離を取った。
動きに反応したカコが、左のジンジに顔を向けた。
「何、見てるの?」
「カコ見てた」とあっさり。
言葉にこだわりは無かった。
そして……この空気感だった。
ドキドキするけど、落ち着くような、そいでもって安心していられるような感じ――
ジンジは意識しないままに唇を緩めていた。
直後に慌てて口を押さえていた。
瞳は、キョトキョトとあらぬ方向をさまよった。
「それで、どうするの?」と訊かれ、ジンジは意識をそちらに向けた。
「だから早く来たんでしょう?」
そうだった、とジンジは尻を動かして、座り心地を確認していた。
「でも二人のことだから、オレたち外野があれこれ言ってもなぁ~」
「ジンジはもう内野手になってると思うけど」
「上手い表現だな」とジンジ。
カコが睨んできた。
「真面目に考えなきゃ」
「そうだね、真剣にネ~」
カコもしっかりと椅子に座り直していた。
06
「お二人さんはとお~っても仲がいいのね……」
声に顔を上げると、ナオがそこに立っていた。
「おはよーどうしたの?」
「どうしたの? じゃないでしょ! 何か忘れてない?」
ナオは両手を腰に当てて、カコの前に進み出た。
するとカコは、弾かれたように立ち上がり、両手で口を覆った。
「ごめん、すっかり忘れてた……」と手を合わせた。
「再来週の土曜日のバレー部の練習試合のことで、打ち合わせするはずだったの――」
カコは、ジンジにも謝った。
「大丈夫だよ。練習試合の打ち合わせはお弁当のときでいいよ」
気にしないで、とナオ。
「ごめん」
カコはまた手を合わせた。
「と言うことでね……わたしもお二人の話に混ぜてもらってもいいかしら?」と提案し、早々に空いている椅子を持ってきた。
参加する気まんまんである。
「そうだな、菅野の意見も訊いてみたい気もするな」とジンジ。
「いいの?」とカコ。
「構わないさ」とジンジはナオの参加を歓迎した。
「ジンジがいいって言うならいいけど……」と何か引っかかる言い方だ。
「三人寄れば、何となんとやら……だから」
「文殊の知恵、でしょ」
それじゃあ、とナオは椅子に腰掛けた。
分かった……とカコもやっと腰を下ろし、それからゆっくりと、話を始めた。
「実は、サッカー部にヒカリのことが好きな後輩がいて、二人で会う機会を作ってくれないかってジンジが頼まれちゃったの」
「ヒカリのことが好きな男子がサッカー部にいるんだ」とナオ。
カコの話は続いた。
*
「なるほど……つまりそのサッカー部の後輩は、ジンジに月下氷人(げっかひょうじん)の役をやってくれないかってことね」
「月下氷人、ずいぶん古風な言い方をするのね」
「うん、月下氷人ね。悪ィけど翻訳してくんないか?」
ジンジはニガ笑いと一緒に頭を掻いた。
「月下老と氷上人は、どちらも昔の中国の占い師で縁結びの神様でもあるの、それを組み合わせた造語ってことだよ」とカコが説明する。
「つまりジンジは、その後輩に縁結びの神様の役をやってくれって頼まれたってことでしょう」とナオが補足する。
「ジンジはヒカリのことは知ってるよね。たまにわたしたちと一緒に帰ってるから、顔くらい分かるわよね?」
ジンジは言葉を飲み込んだ。
そしてあやふやな頷き方をしていた。
カコがナオに、話をしてもいいの? と確認したのはこのことだったのだ。
「じゃあ簡単じゃない。まずはカコがジンジをきちんとヒカリに紹介して、それからジンジがさり気なくヒカリに言えばいいわけでしょ! それくらい出来るよね、カコそうだよね――」
ジンジは沈黙した。
カコも困った顔でナオを見ている。
そしてジンジは力無く首を横に振った。
「どうしたの? 何か問題でもあるの?」
「それがね……」とカコはジンジに目線を移した。
ジンジは、いいよ、と椅子の背に身体を預け、頭の後ろで指を組んだ。
カコは、ヒカリとジンジが一度だけ体育館裏で会っていたことも含めて、これまでのいきさつを説明していた。
*
話を聞き終わった後の、ナオの最初の行動は、頭で組んでいたジンジの肘を小突くことだった。
「そうだったんだ、知らなかった。ふ~ん、ジンジもやるじゃない」
「向こうが勝手に……」
ジンジは組んでいた手をほどき、今度は胸の前で組み直していた。
「勝手にじゃないと思うよ。ジンジの何かがヒカリの何かに触れたんだネきっと――」
ナオはジンジにではなく、カコに向かって話をしている。
「何かって、なんだよ」
ジンジの問いかけにナオは笑った。
「わたしはそんなこと知らないわよ。ボクのどこが気に入ったんですか?って、直接ヒカリに訊いてみればいいじゃない」と笑った。
「でもそうなってくると、話は変わってくるよね。憧れてるジンジから、別の人に会ってくれないか……て言われるのは、ヒカリにとって相当なショックだよね」
そしてナオは、真面目な顔でジンジに向き直った。
「やっぱりジンジ、月下氷人なんか止めるべきだと思うよ」
カコも同時に、首を縦に振っていた。
「勇気を出して一人で何とかしなさい!……って、後輩に言うべきだよ」
「でも、引き受けちゃたし……」
「そんなのいいの! 自分で言わせるようにするの!」
ナオの口調には勢いがあった。
「どうしてそんなに、自分で言うことにこだわンだよ?」
ナオの押しの強い意見に躊躇いながらも、訳を訊かずにはいられなかった。
渋々引き受けたにしても、引き受けたからには何とかしてやらなければ……とジンジにも意地があった。
「あのねジンジ、女の子はね……」
ナオは椅子から身を乗りだし、優しく語った。
「本人に直接言ってもらうのが一番嬉しいんだから」
「センカンは直接言うと思うけど?」
「最初っから自分で何とかするって意味よ。誰かに手伝ってもらって会う機会を作ってもらうなんて、もっての他よ!」
男と女は違うのものなのか?
ジンジは、カコの橋渡しでヒカリと会ったことを思い出していた。
「最初に第三者に言われたら、その誰かが〈まず〉二人のことを知ることになっちゃうでしょう」
「(もう知っちゃってるけど)まあ、そうだな……」
「いずれみんなが知ることになるかも知れないけど、女の子はそれまでは誰にも知られたくないって思うものなのよ――」
「そんなもんなのか?」
「そうよ、絶対そうなの! 他の誰かに会う都合を付けてもらったりするよりは、直接本人から〈いついつ会ってください〉って言ってもらってそれから〈好きです〉〈付き合ってください〉〈憧れています〉〈お友達になってください〉はたまた〈その髪型〝凄く〟似合ってます〉って言われるのが一番なの!」
「凄く……って言うのを忘れた」
「何それ?」
「何でもない、独り言……」
一瞬、ジンジの目線はカコに流れた。
「とにかく、最初っから最後まで、本人の口から言って欲しいものなの! 女の子はみんなそうよ」
ナオはカコに振り向き、微笑んだ。
「とにかく、直接言うべし!」
ナオは机を叩きそうなほどの勢いで、ジンジに断言していた。
07
放課後。
部活も終わり、カコとジンジは仲間たちと体育館の脇に集まっていた。
イケピンもいた、ナオもいた、ユウコもいた、シンコもいた、そしてポンタとタカコもいた。
他、数人の後輩の中にヒカリもいるし、センカンもいた。
今日はいやに大所帯じゃねぇかよ、とジンジは辺りを見回した。
ヒカリは、ナオとカコの三人でかたまっていた。
センカンは、後輩の男子たちと一緒だ。
そして、その一団は、数十メートルの距離を歩いてバス通りに出ると互いに挨拶を交わし、北と南に別れた。
ジンジは南グループ、一ツ葉方面の最後尾を一人で歩いていた。
未だにどうすればいいのか分からないのである。
肩を落とし、薄暗くなった地面を眺めながら歩いていると、気付かぬうちにカコが横に来ていた。
「言ったの?」
「まだ……」
「そう……」
そのまま二人は、黙って仲間たちの後を付いてゆく。
顔を上げると、ナオがユウコとタカコにヒカリを紹介していた。
いつもの顔見知りだから、すぐに打ち解けてコロコロと笑う仲になっていた。
ことが終わるまで、ナオはジンジにヒカリをなるべく近付けないようにしてくれているのだ、とカコは思った。
でもわたし達と別れてしまえば、短い距離だがヒカリとジンジは二人っきりになってしまう。
その時ジンジはどうするの? と思いを巡らせていると……ジンジが足を止めていた。
「どうしたの?」と訊いて、待った。
やがてジンジが口を開いた。
「これからセンカンを追い掛けて行って、自分で何とかするように話してみるよ」
言うとジンジは、左肩から掛けた鞄を右手に抱え、アディダスのバッグは左腕で抱えた。
「いってらっしゃい」の言葉に
ジンジは踵を返すと走って行ってしまった。
「どうしたの?」
ユウコが振り返っていた。
ヒカリとナオとタカコも歩みを止めていた。
「ううん、何でもないよ」カコは四人に歩み寄った。
「走って行っちゃったじゃない」とナオ。
「忘れ物をしたんだって」のカコの言葉に、ナオが微笑んだ。
「凄く慌ててたみたいですけど……」とヒカリ。
ヒカリはあれこれと訊きたそうだ。
「とっても〝大切なもの〟を忘れたんだって……」とカコ。
「慌てて取りに戻らなければならないほど、大事なものって何なのかしら?」とユウコ。
カコは、走っているジンジの姿を想像した。
「ナオの説教が効いたのかも」
「説教……ですか? ナオ先輩が家入先輩を怒ったんですか」
ヒカリが声をあげる。
「そうだよ。ジンジは鈍(にぶ)チンだから、こと男子と女子に関しては幼稚園児並の思考しか持ってないんだよ……」
言い終わらぬうちに、ナオはカコの鞄を叩いていた。
ポン、と小気味よい音が響いた。
「どうしたんですか?」とヒカリ。
「ううん、何でもないよ」
ナオは笑いながら、カコを睨んでいる。
ユウコとタカコが笑っていた。
つられてヒカリも笑っている。
「ほんとに先輩たちは、仲が良くて羨ましいです」
……と急に、ヒカリは笑いながらお腹を押さえていた。
「どうしたの?」
気付いたタカコが寄って来た。
ヒカリは下腹に手を置いたまま身体を折った。
慌てたみんなが、集まって来た。
「今朝からちょっとお腹の調子が悪くて……でも大丈夫です。もう痛くありません」
ヒカリはようようと身体を起こした。
「ほんとに?」
「無理しないでね」
ナオに言われてヒカリが頷く。
「ほんとだよ。調子が悪かったら、明日の部活は見学でもいいからね。大事を取って休んでも構わないからね」
「ありがとうございます」
「ほんとに無理しちゃ駄目だよ」とカコ。
「大丈夫です。無理はしません」ヒカリは笑って応えていた。
「じゃあ、ゆっくり帰ろうか」とユウコ。
「そうね、家入くん……うんにゃ、ジンジを待っててもしょうがないから、ほら、帰ろ帰ろ」とタカコ。
ヒカリは、ジンジが走って行った学校の方を振り返った。
身体を戻すと、みんなが待っていてくれた。
やがてヒカリは、先で待つ四人をゆっくりとした足取りで追い掛けていた。
後編へ続く……
04 背中合わせ 前編