ありがとう


 不安に駆られつつも俺は首を伸ばし、周囲を見回した。
 俺は屋上にいて、よく知っているはずの学校の風景がこうも違って見えるものかと感心した。
 まだ昼間なのに、人っ子一人いないのだ。
 砲撃のショックで、窓ガラスが何枚も割れている。
 コンクリート製の池はキャタピラで破壊されて水が半分になり、コイたちは背中を見せて当惑している。
 インコや文鳥でかしましいはずの鳥小屋は入口を壊されてとっくの昔に逃げ出し、1羽も残っていない。
 校長室と職員室は一発ずつ砲弾を食らい、壁に大穴が開いている。
 生徒も職員も全員が避難しているが、それは周囲の家々も同じで、人の姿はない。
 だが例外もあり、300メートルほど離れた郵便局の影に一人いるのが見える。
 先ほどキラリと反射光があったから、双眼鏡でこちらを観察しているのだ。
 警察官か、もしかしたら自衛隊の制服を着ているだろう。
 何とか連絡を取ることはできないだろうかと考え始めたが、俺の手元に携帯電話などない。
 立ち上がって手を振り、大声を出すことはできるが、双眼鏡男よりも先に戦車が俺を見つけるだろう。機銃の雨を降らされてはたまらない。
 塀の隙間からもう一度戦車を振り返り、今日起こった出来事を、俺は順番にもう一度整理することにした。
 一言で言えば、どこからともなく突然現れたたった1台の戦車が、町の機能を完全に麻痺させたということだ。
 砲撃でいくつかの建物をまず破壊し、人々を町の外に追い出すことに成功していた。
 あれは本当にパニック映画、怪獣映画もかくやというシーンだった。
 その証拠に、避難路となった道路には、人々が落としていった荷物や、脱げた靴が点々と散らばっている。
 今日は月曜。
 1時間目の授業が始まる直前のことだった。
 俺はクラス当番で、花に水をやるために一人で屋上へ上がった。
 そこへこの騒ぎが始まったのだが、俺は逃げ遅れてしまった。
 あわてた誰かが火災報知機を作動させ、防火扉が自動で閉じた。
 防火扉を開く方法はすぐにわかったが、そのときには校舎内はもぬけの殻。
 そしてこの場所が気に入ったのだろう。戦車は2棟の校舎の間に身を落ち着け、今はピクリともしないのだ。
 エンジンまで止めたのは、燃料を節約するためだろう。これは持久戦になるということだ。
 町の外では何が起こっているだろう。
 俺は想像しようとした。
 誰かが110番に通報したのは間違いない。
 だが警察がすぐに話を信じただろうか。
「戦車だって? そんなものが町の中に現れるわけないじゃないか」
 最初の通報者は悪戯と処理されただろう。
 だが同じ内容の通報が4つ、5つと続くうち、やっと本気にしたかもしれない。
 警察は最も近くの交番に命じ、様子を見に行かせるだろう。
 クジ運の悪い巡査が誰かは知らないが、今どこにいるかは知っている。
 機銃掃射をまともに食らい、パトカーの残骸が校門のそばで燃えているのだ。
 実は燃えたパトカーは一つではなく、もう1台ある。
 少し遠くだが、黒い煙が見えるからだ。校舎の影で、俺から直接は見えない。
 数人の殉職者を出し、やっと警察は戦車の存在を信じただろう。
 しかしここからが問題だ。これは警察で対応できる案件だろうか。
 警察が県庁に報告するのは当然としても、その先がまずい。
 県知事が自衛隊を呼ぶかもしれないのだ。
 日本の役所は縄張り主義。自分の庭に他人が入ることを極度に嫌う。
 どうなるのかなあと思っていると、現場の静寂を破ったのは、とんだ伏兵だった。
 ヘリコプターの音が聞こえるので見上げると、赤い機体が接近するのが目に入った。
 側面には大きく新聞社名が書いてある。
 俺と戦車と双眼鏡男しかいない、ほぼ無人の街で社名を宣伝しても無意味だが、それも長くは続かなかった。
 戦車は砲塔上に小型ミサイルを装備し、それが火を吹いたのだ。
 ヘリは一瞬で火の玉となり、パトカーたちの仲間入りをした。
 慎重に身を隠しつつ、俺はもう一度戦車を観察した。
 見れば見るほど、うまい場所に身を隠している。
 2つの校舎に挟まれた狭い中庭。
 校舎が絶好の防御壁になる。敵を狙いたければ、戦車はほんの10メートル前進すればいい。
 事実、ヘリをほふったあと戦車はバックし、校舎の間の元の場所へ戻り、再びエンジンを切った。
 あの狭い場所を空から狙い撃ちするのは、戦闘機でも難しい。
 それからいくら時間がたったのだろう。
 絶望的な事態にくたびれてしまい、俺は座り込んで、コンクリート壁にもたれかかった。
 そのまま眠り込んでしまったようだ。
 目が覚めると、もう正午だった。道理で腹が減るわけだ。
 砲撃もヘリの音も聞こえず、周囲は静かだ。
 戦闘は一時休止なのかもしれない。
 俺は食料を探しに行くことにした。
 そのためには下へ降りなくてはならない。
「おっとっと、その前にトイレ」
 変な節をつけてつぶやきながら俺は階段を下りて行ったが、トイレでは驚きが待っていた。
 俺は一人ではなかったのだ。時ならぬ連れションをやる羽目になった。
 チャックを下ろすまで気が付かなかった。学校にいれば、誰かと並んで用を足すなんて珍しいことじゃないからね。
「おい斎藤、お前も逃げ遅れたのか?」
 俺は気楽に声をかけたのだが、斎藤はビクリと驚き、もう少しでこぼすところだったようだ。
「ああ帯刀……」
 言っておくが、タテワキという読みにくいのが俺の名字だ。先祖が武士だったかどうかは知らない。
 斎藤と俺は特に親友ではない。雑談をしたことがないわけではないが、趣味も違うし遊んだりはしない。
 斎藤が手を洗い始めたので俺もマネをし、トイレを出て廊下を歩き始めたので、何も考えずについて行った。
「どこか安全な脱出ルートを知っているんだろう」
 と思ったからだ。
 ところが違った。そうじゃなかったよ。
 斎藤は俺を中庭へ連れて行った。そこにはもちろんあの戦車がいる。
「そっちはだめだ」
 俺は小声で言ったのだが、斎藤は気にせずどんどん歩いて行く。
 戦車とは意外と大きなものだ。
 知らぬうちに真横まで来てしまい、俺は見上げる羽目になった。
 オリーブドラブという濃い緑色に塗られ、タミヤのプラモデルで知っている第二次世界大戦の戦車たちとは違って、箱のように四角い形をしているのは爆発反応装甲というやつだろう。
 俺はやっと気が付いた。
「これは最新型の戦車じゃないか……」
 立ち止まり、キャタピラにもたれかかりながら斎藤が口を開いた。
「その通りさ。メーカーの研究所から持ち出してきたんだからな」
「嘘だ」
 斎藤はニヤリと笑い、
「なぜそう思う?」
「研究所に置かれている戦車が砲弾やミサイルを積んでいるはずないじゃないか。燃料だって入っていないはず」
「そうじゃないんだな。全備試験と言って、運用時と完全に同じ状態、同じ重量にして行う試験があるんだ。こいつは研究所のダイナモに乗せられていた」
「それをどうやって持ち出した?」
 斎藤はもう一度笑った。
「それは秘密にさせてくれ。いろんな人間の首がかかっているんでな」
「この戦車、乗員は一人でいいのか? 普通は3人ぐらい必要なはずだが」
「自衛隊は定員不足だからな。少ない人数で運用できるよう研究が進んでいるのだよ。この戦車は一人乗りさ」
「まさか取扱説明書を読みながら運転してるのか? お前はアムロ・レイか? シャアはどこだ?」
「シャアはあんたかもな」
「……。それにしてもお前、すごいことをやったもんだな」
「ああ、いくら未成年でもただではすむまいよ。それだけは覚悟してる」
 斎藤が車輪に足をかけ、戦車に乗り込むのを、呆然とし、脳みそがしびれたような気分のまま俺は見送ることになった。
 乗員のハッチは、車体の一番高い場所にある。そこに身を落ち着けながら斎藤は振り返った。
「先週のことだが、僕が教科書を忘れてきたとき、机をくっつけて見せてくれたことに感謝してるよ。あれはとても嬉しかった」
「気にするなよ」
 斎藤は車内に姿を消しかけたが、もう一度顔を出した。
「本当にうれしかった。僕に親切にしてくれたのは、校内であんた一人だけだからな。それだけを言いたかった」
「そうかい。わかった」
「あんたとだったら親友になれたかもしれないという気がするよ」
 今度こそ口を閉じ、斎藤はハッチをガチンと強く閉めてしまった。ゴトンとロックの回転する音がする。
 次の瞬間、轟音とともにエンジンが息を吹き返した。
 斎藤がアクセルを踏み込んだのだろう。
 戦車はグイと前進し、中庭を出ていこうとする。
 俺はと言えば取って返し、気が付いた時には階段を駆け上がっていた。
 再び屋上に出て見まわすと、戦車が校門を押しつぶし、駐車してあった校長のベンツをペチャンコにするところだった。
 だが俺が発見したのはそれだけではない。
「戦車だ。1個中隊はいるな」
 校門から続く大通りにその姿が見えたのだ。
 県知事の要請を受けて、やっと出動してきたのだろう。
 いかにも待ち伏せている雰囲気で、1小隊が通常3台の戦車だから、中隊なら9台だ。
 それらが待ち構える中へ、斎藤はためらうそぶりも見せずに突き進んでいったのだ。
 もちろん、それがやつを見た最後だった。

ありがとう

ありがとう

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-11-26

Copyrighted
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