手帳 2026年Ⅰ
毎年一冊の手帳を、翌年に使う手帳を買うようになってずいぶんになる。選ぶのと迷うのが嫌いな私だが、手帳についてはあれこれ考えるようになった。
人生はたった数分のことでさえ、生きてこの目で見てみなければ分からない。そんな長い人生のうちの一年を、そのまっさらな手帳に埋めていく作業というのは、まさに人生そのものであって、予定があってもそれは仮定であって、あらかじめ決まっている先の予定でも、言ってしまえばまだ見ぬ未来の出来事である。手帳を買った時には想像だにしなかった出来事が人生には起こるのだとここ数年、しみじみと感じている。
誰もがきっと良い出来事、楽しい出来事、幸せな出来事を、まっさらな手帳に真っ黒になるほど 埋めたいと思うだろうが、そうはいかない。大切な人の不幸であったり、身内の不幸であったり、苦難や試練がやってくることもある。生きているだけで丸儲けではないが、命さえ取られなければ何とかなると開き直れば何とかなるのである。
その年の手帳を見て日記ではないが、何もなかったと大晦日に一年を振り返ることができるのも、またそれも幸せなことなのである。
今年は怪我、手術、入院というなるべく縁遠いところにあって欲しい出来事が、身近な家族である母に起こってしまったが、それでも生きていれば丸儲けである。来年はこんなことがない一年となるように、鬼がいたら笑われそうだが、そう祈らずにはいられない11月の終わりである。
手帳 2026年Ⅰ
2025年11月16日 書き下ろし
2025年11月26日 「note」掲載