映画『果てしなきスカーレット』レビュー
①かなりのネタバレを含みます。前情報なしに本作を観たい方はご注意下さい。
全編フルCGなのかと思ったらそうではなく①主人公であるスカーレットが生前に過ごしていた16世紀のデンマーク時代の絵はセル画、②復讐に失敗したスカーレットが堕ちる《死者の国》ではCGという描き分けがなされていました。
この点は『竜とそばかすの姫』の時と同じですが、本作の場合、物語のベースにシェイクスピアの『ハムレット』があるからか、『竜とそばかすの姫』 の時より①と②の表現の違いで《死者の国》の舞台感覚がさらに強調されます。その《死者の国》に生前と同じく愚かな姿ばかりを積み重ねていく人々を観察しては「人間とは何だ?」という根本的な問いをテーマとして提示する狂言まわしまで現れ出すと、スクリーンは一段とシェイクスピア風味が増し増しな状態に至ります。
ここに権謀術数渦巻く氏族社会の荒波に揉まれ、人間不信の状態にあるスカーレットと対峙するもう一人の主人公、聖(ひじり)が現代社会に生きるものとして平和の大切さを知りながら、最後の最後で「人を守る為に人を殺す」という暴力の矛盾に手を染める瞬間まで加わると、いよいよ画面は灰色のシェイクスピアに。スカーレットがその手を真っ赤に染める結末も万事OKな道筋が敷かれます。実際、スカーレットはその絶望に向けて歩みを進めていくのです。
そこに介入する神の気まぐれは、一見するとご都合主義的に思える部分も確かにありますが、FoolはFoolな因果に死ぬという描写だと捉えれば酷く納得できる所があり、ここも実にシェイクスピアだなぁと鑑賞していてムフフな気持ちになりました。答えを知る賢人としての父親の存在が、スカーレットを始めとする《死者の国》の亡者より最も純粋な死者として扱われていたのも皮肉めいて見えましたし、本作は徹頭徹尾、劇作家ウィリアム・シェイクスピアをリスペクトした作品だといえるでしょう。
《死者の国》での背景美術もその全部が精巧極まる舞台装置。スカーレットが最果ての地へと続く階段を踏む場面なんてその綺麗さに思わず感嘆の声を上げてしまいました。恐らくは多くの人が脱落するであろう例の渋谷スクランブル交差点でのスカーレット×聖のダンスも、オペラのような総合芸術の一環だと解釈すれば(少なくとも私にとっては)全然アリの映像表現。その延長線上で、真のラストを迎えたスカーレット=芦田愛菜さんがその美声でエンドロールを飾る演出には忖度なしの感動を覚えました。芦田愛菜さんについては声優としての演技も抜群で、スカーレットの内心を余す所なく汲み取る素晴らしさに納得されっぱなし。予告編で受ける印象とはまるで違うので、この点が心配な方はご安心下さい。反対に、芦田愛菜さんのファンの方はより一層彼女を好きになる絶好の機会を心ゆくまで堪能して欲しい。声優「芦田愛菜」には賞賛の声を惜しまない私です。
以上のように『果てしないスカーレット』は本当に舞台にしても面白いかも、と観終わってすぐ直観するぐらい舞台的な一作です。とても良き作品なので、酷評をジャンプ台にして無防備に飛び込んでみるのも一興だと思いますよ。意外性に恃むのもありです。興味がある方は是非。お勧めです。
映画『果てしなきスカーレット』レビュー