アンパンマン3 〜闇を晴らす光〜
【登場人物】
・アンパンマン……あんぱんから生まれた愛と勇気の戦士。仲間達と共に、最大の敵であるくらやみまんに挑む。
・ジャム……ジャムおじさんと呼ばれて親しまれているパン職人。くらやみまんから恨みを買い、狙われている。
・ばいきんまん……帰ってきた男。再びアンパンマン達と対立するが、その理由は不明。
・ドクター・ヒヤリ……自身の居城でひたすら研究を続けてきた孤独な科学者。亡き娘との再会を願って、くらやみまんと結託する。
・くらやみまん……事件の裏で暗躍する謎のマジシャン。暗闇空間を操り、自らの使命を果たすべく行動する。
【プロローグ】
〜深夜—コーキン星・僻地"ヒヤリ城・研究室"〜
誰も寄りつかない、暗く静かな星の一角に佇む居城。その一室で、ドクター・ヒヤリは黙々と研究に勤しんでいた。
「これで……」
氷の結晶に、研究の末に練り上げた液体を注ぐ。液体を取り込んだ結晶は光り輝き、そして——
「……失敗か。」
何も起きなかった。試行回数、一万七百二十四回。ヒヤリの実験は尽く失敗していた。
「もう、諦めろということか?」
「そんな事はありませんよ。」
「……誰じゃ。」
心の折れかけたヒヤリに声を掛けた人物。振り返った先に立ったその男は、黒いマントとシルクハットで身を包み、不気味なほどに白い歯を見せて笑っていた。
「私はくらやみまん。各地を旅して回っている、しがないマジシャンです。」
「……流れのマジシャンなんぞ呼んだ覚えは無い。あいにく芸を楽しむ気分じゃないんでな。帰ってくれ。」
冷たく突き返したヒヤリの反応を見ても、くらやみまんは意にも介さない様子で話を続けた。
「私は、あなたの力になりたくて此処を訪ねたんですよ。私の手品で、あなたの願いを叶えて差し上げます。……愛する娘さんに、もう一度逢いたいのでしょう?」
「……お前さん、なぜその事を?」
娘にもう一度逢いたい。それは、ヒヤリのかけがえない願いだ。飢餓の時代から燻り続けていた導火線に、火が点けられようとしていた。
【一】
何も無い、暗闇の中心にアンパンマンは立っている。何故そこにいるのか分からず戸惑っていると、どこからか声が聞こえてくるのだ。
"敵を滅ぼせ。お前は争うために生まれてきた。使命を果たすんだ。"
*
*
*
「……うるさい!」
〜某日・朝"ジャムのパン工房"〜
アンパンマンが悪夢から目覚めると、そこは住み慣れた工房の寝室だった。向かいにある寝床に目をやると、やはりそこにしょくぱんまんの姿は無かった。
「……帰ってない、か。」
今から一ヶ月前。アンパンマンの大切な家族だったロールパンナが、姿を消した。彼女を探して、しょくぱんまんは連日連夜星中を飛び回っている。今は彼のほうが姿を消してしまいそうなほどだ。
「……そろそろ配達の時間だ。」
疲れが取れずに重いままの身体を押して一階のリビングへと降りていくと、そこには何やら険しそうな表情を浮かべるジャムの姿があった。
「おはよう、ジャムおじさん。何かあったの?」
「おぉアンパンマン、おはよう。……実は今日配達に行くはずだった学校がな、"丸ごと消えた"らしい。そこにあったはずの校舎が消え、後には更地しか残っていなかったと。」
「……え?」
ここ一週間にかけて、星に住む子供達が失踪する事件が頻発していた。最近になって見るようになった悪夢と合わせて、アンパンマンは逃れられない不吉さを覚えてならなかった。
「……ジャムおじさん。実は僕、最近悪夢を見るようになったんだ。生まれた頃に聞こえてた声が、また夢の中で僕に"使命を果たせ"って。」
アンパンマンの言葉を聞いて、既に寄せていた眉間の皺をより一層深めるジャム。
「……そうか。ロールパンナとしょくぱんまんの事もある。"何か"が起きているんだ。」
「……くらやみまん。」
「なに?」
アンパンマンが、不意にその名前を呟いたのとほぼ同時。勢いよく工房の玄関扉が開かれ、とても焦った様子のバタコが額に汗を浮かべながらそこに立っていた。
「おぉバタコ。チーズの散歩……どころではなさそうだな。何があった?」
「大変よ、おじいちゃん。町が……!」
〜コーキン星・流星町〜
流星町は、飢餓からの復興の証として星に住む者達で創った町だ。バタコの報せを受けてやってきたアンパンマンがそこで見たのは、無惨に壊された建造物の数々と、それをやったであろう一人の男の姿だった。
「君は……ばいきんまん!」
「よぉ、アンパンマン。俺様が帰ってきたぜ。」
ばいきんまんは得意げに笑うと、握っていた氷の結晶を辺りに散らした。すると、それは瞬く間に形を変え、まるで兵士のような姿になった。三体ほどの氷の人形が、生きているかのように首を動かして滞空するアンパンマンを睨みつける。
「……それは?」
「こいつらは"ヒヤリ兵"。俺の新しい家族さ。」
ヒヤリ兵達が一斉に飛び上がった。その機動力は凄まじく、間もなくアンパンマンは周囲を取り囲まれてしまった。
「僕を狙ってる……何故だ、ばいきんまん! 君はファミリーを探しに出たんじゃなかったのか!」
「そうだ。そして俺様は見つけたんだよ。新しい"家族"をな。」
標的を貫こうと氷槍を構える兵達に対抗するべく、身構えるアンパンマン。そして、戦いの火蓋が切って落とされた。
「来る!」
兵のうちの一体が、恐ろしい勢いでアンパンマンに突撃を仕掛けた。間一髪でマントを翻し、突き放たれた氷槍を避ける。その瞬間に兵達から"恐れの無さ"を感じ取ったアンパンマンは、まさしくそれらが生物でない事を悟った。
「くっ……。」
「いくら貴様でも三対一では分が悪いだろう。いつまで持ち堪えられるか、ここで見ていてやる。」
そう言いながら、ばいきんまんは得意げに笑った。
〜同時刻"ジャムのパン工房・一階リビング"〜
バタコの報せを受けてアンパンマンが飛び出していってから、もう幾ばくか経つ。しょくぱんまんとロールパンナの事もあって、ジャムは不安を募らせていた。
「おじさん、大丈夫?」
ジャムの事を心配したバタコが声を掛けた。
「ああ……儂は大丈夫だ、バタコ。お前がいてくれるおかげだ。ありがとう。」
「おじさん……。」
その時だった。工房の玄関扉が、何者かによって叩かれた。
「……誰だろう。」
「町の事もある。バタコ、二階の部屋に隠れていなさい。」
「……うん。」
二階へと避難する孫娘の姿を見届け、ジャムは意を決して扉を開いた。するとそこにいたのは——
「……あんた、ヒヤリさんか。」
「久しぶりじゃな、ジャムさん。」
かつての友、ドクター・ヒヤリ。パン職人であるジャムと科学者のヒヤリは畑こそ違えど、何かを造り出す者同士で馬が合った。そんな彼と疎遠になってから、もうどれほど経つだろうか。
「本当に久しぶりだ。ヒヤリさん、あんた今まで何処に。」
ジャムはそんな旧友を宅内へ招き入れ、リビングの椅子に腰掛けるように促した。そうして彼と向かいあって座ったヒヤリが、先の問いに応える。
「誰もいない静かなところに根城を築いてな。そこで研究を続けていた。あいつを……ヒヤリコを呼び戻す研究を。」
「あんた……まだそんなことを。」
ヒヤリの娘であるヒヤリコは、飢餓の時代に短すぎる一生を終えた。愛娘の死を受けて悲しみに暮れるヒヤリの姿を、ジャムはよく覚えている。
「ヒヤリさん……悪いことは言わない。もう研究は辞めて、ヒヤリコさんの死を受け入れるんだ。」
「何故じゃ、ジャムさん? あんたも儂と同じ……家族を失ったじゃないか。あんたには儂の気持ちが分かるはずじゃ。」
「……確かに。息子を選んでくれたヒヤリコさんには感謝してもしきれんし、二人を失った時は儂も悲しみや辛さでどうにかなりそうだった。……でもな、ヒヤリさん。失われた命は二度と戻ってこない。そして残された者は、それを受け入れて生きるしかないんだ。そうしなければ、尚のこと死んでいった者を苦しめることになる。」
「……違う。」
「え?」
ヒヤリが、激情に満ちた目でこちらを睨んだ。
「……ヒヤリさん?」
ヒヤリが、ゆっくりと立ち上がりながら二階を指差した。
「……あんたには、あの娘がいた。儂とは違う。だから、そんな綺麗事が吐けるんじゃ。」
「……。」
何も返せなかった。確かにジャムには、バタコがいた。息子の忘れ形見が、護るべき存在が失意の底から掬い上げてくれた事を、否定は出来なかった。
「……そうだ。儂には護るべきものがあった。だがそれだけではない。生命ある限り前を向けるのだと、儂はただそう信じて、あの飢餓の時代から今まで生きてきた。ヒヤリさんにも、そうであってほしい。」
「……ジャムさん。あんたにも、儂と同じになってもらう。」
「何?」
ヒヤリが、まるで呟くようにそう言った次の瞬間、一瞬だけ視界が暗転した。そして次にジャムの視界が開けた時、ヒヤリの傍らには黒いシルクハットの男が立っていた。
「あ、あんたは……?」
戸惑った様子のジャムを前に、男は白い歯を見せて笑った。
「初めまして、ジャムおじさん。私はくらやみまん。ドクター・ヒヤリの研究パートナーです。」
「……その名前、さっきアンパンマンが。」
身体を強張らせるジャムの姿を見たくらやみまんが、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「初対面で申し訳ありませんが、あなたの大切な方をお預かりしました。取り戻したくば、一人で死神山の頂上に来てください。……では。」
「……さらばじゃ、ジャムさん。」
それだけ言うと、ヒヤリとくらやみまんは黒いモヤに包まれて姿を消した。後に残されたジャムの心に、不安が込み上げる。
「……バタコ!」
ジャムの呼びかけに、彼女が応えることは無かった。それから身支度を整えジャムが工房を飛び出すまで、そう時間はかからなかった。
〜同時刻・流星町〜
「アン……パンチ!」
アンパンマンの拳が、ヒヤリ兵の一体を砕いた。きらきらと歪に輝きながら、兵の断片が散っていく。
「くっ……これで、あと二体か!」
肩で息をしながらも、変わらぬ闘志で対敵へと構え直すアンパンマン。そんな様子を見て、ばいきんまんが舌を打った。
「貴様……面倒だな。」
「ばいきんまん……君にどんな事情があって変わってしまったのか、僕には分からない。それでも僕は星のみんなを助ける。助ける為に、戦う!」
アンパンマンが、得意の高速特攻で一気にばいきんまんとの距離を詰めた。肉薄し、友と呼び合った男に向き合う。
「喰らえ、ばいきんまん! アンパンチ!!」
「ふん!」
アンパンマンの側頭に大きな衝撃が走った。ばいきんまんが、手にした氷のハンマーで殴り抜いたのだ。たまらず吹き飛ばされ、衝撃で揺れる視界をなんとか定めながら立ち上がるアンパンマン。
「……そんなもの、一体……どこから……?」
「ドクター・ヒヤリの技術、"氷錬成"だ。小さな氷の塊からあらゆるものを瞬時に生み出し、俺様の武器とする。ただファミリーを手に入れただけじゃない。俺自身も、強くなったのだ。」
「く……まずい……。」
足が震えて動かないアンパンマンにトドメを刺そうと、ハンマーを持ったばいきんまんが近づいてくる。次の一撃を受けて耐えられる自信が、アンパンマンには無かった。
「……僕は、生きて」
「いいや、貴様はここで終わりだ! 死ね!!」
ハンマーが振り下ろされ、咄嗟に目を閉じるアンパンマン。そして今まさにハンマーが標的の頭を砕こうかという、その刹那であった。
「アンパンマンは、僕が助ける!」
アンパンマンの身体を、もう一人のパン戦士が掬い上げて宙に舞った。標的を見失い、ばいきんまんの得物が空を切る。
「く……貴様は!」
「……しょくぱんまん!」
アンパンマンに肩を貸しながら、しょくぱんまんはゆっくりと地に足を下ろした。そして、なおもバイキンマンの方を注視しながらアンパンマンに告げる。
「アンパンマン……すみません、君一人に負担をかけてしまって。」
「いや……助けてくれてありがとう。しょくぱんまん、二人でやろう!」
「はい!」
ようやく体勢を整え直したアンパンマンとしょくぱんまんが、並んでファイティングポーズをとる。思わぬ乱入者に、ばいきんまんは再度舌を打った。
「これは……まずい。俺様は退散する。ファミリー達よ、あとは頼む。」
そう吐き捨てると、ばいきんまんは己の身体を宙へと浮かび上がらせてそのまま遠方へと飛び去って行った。
「ばいきんまん……どうして……。」
「アンパンマン、いくよ!」
「あ、うん! オーケー!!」
拳に力を込め、身体を引き絞る両者。狙うは対面から槍を構えて向かってくる、二対の氷兵。
「「ダブルパンチ!!」」
アンパンマンとしょくぱんまんが同時に放った拳が、ヒヤリ兵達の胴を砕いた。あたりに氷片を散らしながら、瞬く間に崩れていく氷兵達。そんな様子を見ながら、アンパンマンはやはりあの男の影を感じずにはいられなかった。
「……アンパンマン、どうしたんですか。そんな暗い顔をして。」
「いや、ばいきんまんが変わってしまった事……声の事……そして学校が消えた事も。全部、裏で手を引いてる奴がいるんじゃないかって。」
「……なるほど。ではアンパンマン、僕はこれで。彼女を、探さなければいけませんから。」
そう言うと、しょくぱんまんは背を向けて歩き出した。今止めなければ、二度と引き戻せなくなる。アンパンマンはそう思った。
「待ってよ、しょくぱんまん! ずっと工房に帰ってないよね。たまにはジャムおじさん達に顔を見せてあげてよ。その後で……みんなで探しに行こう。」
「……分かりました。」
〜ジャムのパン工房〜
「ただいま……あれ、ジャムおじさん?」
「いないんですか?」
二人が帰ると、工房には誰の気配もしなかった。
「……しょくぱんまん、探しに行こう。ジャムおじさんもバタコさんも……誰もいないなんてのは変だ。」
「……そうですね。僕も、何か嫌な予感がします。」
二人は、手掛かりを求めて飛び立った。そんな彼らの様子を、チーズは不安そうに見つめていた。
【二】
〜???〜
バタコが目を覚ますと、そこは真っ暗で何も無い空間だった。
「……ここは。」
「おはよう、バタコさん。」
「……あなたは?」
バタコに声を掛けたのは、シルクハットを被った黒衣の男だった。男は笑みを浮かべている。
「私はくらやみまん。そしてここは……命の真実を写す空間。」
「どうして……私をここへ。」
「あなたには申し訳ないが、利用させていただく。あの男に、ジャムに復讐する為にね。」
くらやみまんの口から出た育ての親の名前に、バタコの心臓は早鐘を打った。
「……どうしておじさんに復讐なんて。あの人は誰に対しても優しい、素晴らしい人よ。」
くらやみまんが、浮かべていた笑みを解いて憎しみに顔を歪めた。イラついたようにかりかりと、シルクハットのツバを弄り出す。
「……お聞かせしましょう。あの男の罪。あの男が、私にした仕打ちを。」
*
*
*
〜二十三年前"コーキン星・とある道端"〜
くらやみまんは、道の端で男を待っていた。失意に暮れた、星の未来を憂う男だ。
「……来ましたか。」
重い足取りでくらやみまんの前を通り過ぎようと歩いてきたその男は、名をジャムと言った。
「もしもし……そこのお方。」
「……ん、私か?」
呼び止められたジャムは、嫌な顔ひとつせずにこちらへと振り返った。その純粋な心根に、くらやみまんは"この男しかいない"と確信した。
「あなた……随分と暗い顔をしていますね。何か、あったのですか。」
「何かあったかと言えば……ある。息子もヒヤリコさんも逝ってしまって、私は必死になって残されたバタコを育ててきた。だが、飢餓は一向に良くならないし、私自身もう歳だからな。ただ不安なんだよ。……すまんな、見ず知らずのあんたにこんな話を。我ながらだいぶ参っているらしい。」
「……そんなあなたに、これを。」
くらやみまんは、一冊の絵本をジャムへと手渡した。名は『星の運命』。自身で書いた、大切な作品だった。
「そこに書いてある内容を読めば、あなたの心の不安はすぐに取り払われるでしょう。是非、ご一読ください。」
「……ありがとう。」
怪訝な顔をしながらも、ジャムはパラパラと絵本のページをめくりながらその場を後にした。絵本には、憎しみに囚われ破滅を迎える二星の運命が綴られている。そしてそれを読んだ者もまた、憎しみに囚われるのだ。
「造物は造り手の心を映す。故にあなたには、憎しみを抱いていただきますよ。そして……戦士を造っていただく。憎しみに囚われて争う、そんな戦士をね。」
遠ざかっていくジャムの背を見送りながら、くらやみまんは笑った。
〜同日・夜"ジャムのパン工房"〜
男から手渡された絵本を読みながら、ジャムは言いようのない激情を募らせていた。一向に作物を実らせない星への怒り、息子夫婦を奪われた理不尽への憎しみ。そういった負の感情が次々と湧いては消えていき、気付けばジャムはパン生地をこねていた。造らなければならないと、そう思わされていたのだ。
(何故……アイツ等が死んで私が残されなければいけなかった。どうして……!)
その時、粉だらけのジャムの手が幼子に引っ張られた。その幼子が誰なのか、ジャムは知っている。
「……バタコ。」
「ねぇ、おじさん! この前の絵本の続き、読み聞かせて!」
少女は、とても純粋な瞳をしていた。
「……全く、しょうがないなぁバタコは。今日は最後まで読むから、早く寝るんだよ。」
「はーい!」
自分の中の負の感情が溶けていくのを感じながら、ジャムはそばにあった絵本『星の運命』を開いた。
「お互いの……」
「おじさん?」
そこから先を、ジャムは声に出して読むことが出来なかった。バタコや、自分より先を生きる者達には希望を持っていてほしい。そう思ったからだった。
「 ……手を取り合った二つの星のカケラは、近くにあった小さくてまだ名前も無い星に降り注ぎました。そこでも……」
その日、『星の運命』は『流れ星の奇跡』へと姿を変えた。飢餓を乗り越えた後も物語は伝え広まり、やがてそれは星の子供達に親しまれる物語となっていったのだった。
*
*
*
〜くらやみのせかい〜
「あの男は、私の物語を書き換えた。到底許せるものではない。」
そう語ったくらやみまんは確かに怒りを見せていた。どうやら彼が語ったことは全て真実のようだと、バタコは理解した。
「でも、どうしてそんな回りくどいことをしたの。戦士を造る……あなたなら簡単に出来そうだけど。」
「出来ましたとも。私は生命の根源を司る存在ですから。でもね、私は導き手であらねばならない。それこそが私の生まれた意味。生きる意味なのだから。」
「……。」
くらやみまんは、マントを翻してバタコに背を向けた。
「私が直接手を下すことはない。ただ他の命を導き、生まれた意味を全うする。あなたにはそのための駒として、手元にいていただきます。……では。」
そう言い残して、くらやみまんは姿を消した。一人残されたバタコは、ただ叔父とその家族の無事を祈ったのだった。
〜 ヒヤリ城・研究室〜
ヒヤリは、氷の結晶に液体を注いだ。 一万七百二十五回目の挑戦で、それはついに身を結ぶ事となる。
「お、おお……。」
声を震わせるヒヤリの傍で、くらやみまんが事の次第を見守っている。そして光り輝いた結晶は形を変えていき、やがて一人の少女となった。
「やりましたね、ドクター・ヒヤリ……あなたの愛娘、ヒヤリコさんです。」
「あんたが造命術を教えてくれたおかげじゃ。……なぁ、ヒヤリコ。」
父の呼びかけに呼応して、ヒヤリコは目を覚ました。
「こんにちは、お父さん。」
「……」
「……お父さん?」
「……違う。」
ついに目の前に蘇った愛娘を前にして、ヒヤリの心は何ひとつ動かなかった。少しの喜びも、涙すら湧いて来ない。そこで、ヒヤリは悟った。
「そうか……ジャムさんの言った通り、もうヒヤリコは戻って来ないのか。」
自分がここに至るまで費やしてきた歳月が、音を立てて崩れていくのを感じた。そして弱ったヒヤリの心に、くらやみが侵食する。
「ヒヤリさん……まだ希望はありますよ。この星を滅ぼして、星の命そのものを基に生命を再生するのです。今の彼女は、まだ不完全なんですよ。」
「ああ、そうか……そうじゃな。まだ、希望はある。」
何が希望で、何が絶望なのか。ヒヤリにはもう分からなくなっていた。
〜"コーキン星・郊外の泉"〜
ロールパンナは、森の深奥に位置する泉へと向かって歩いていた。小鳥の囀りと木々がさざめく音が、壊れかけた自分の心を癒してくれる。そんな、お気に入りの場所だ。
「……珍しいわね。ここに私以外の人がいるなんて。」
泉に到着すると、そこには珍しく先客がいた。歳は十代初めといったところか。ロールパンナの言葉に気付いて振り向いたその少女は、どこか憂げな表情をした、綺麗な佇まいをしていた。無言でこちらを不思議そうに見つめる彼女に、ロールパンナは声を掛ける事にした。
「……あなたも、ここが好きなの?」
ロールパンナの問いに、少女は不思議そうな表情を浮かべながら答えた。
「好き……ではないわ。ここに来れば、自分が何者か見つめ直すことができる。……そう思うから。」
「そう……私はロールパンナ。あなたは?」
「……ヒヤリコ。私はヒヤリコよ。」
まるで二人の出会いを喜ぶかのように、小鳥が羽ばたいた。泉のそばに腰を下ろしたヒヤリコが、ロールパンナに問う。
「ねぇ、あなた……自分が何の為に生まれてきたか。考えた事はある?」
「え……そうね。それは考えた事無いけど、何がしたいかなら考えた事があるわ。」
ロールパンナも、ヒヤリコの隣に腰を下ろした。洞窟でしょくぱんまんと語り合った日が、妙に懐かしく思えた。
「私は、もっと広い世界を見たいと願った。でもそれは、もう叶わない。私の心は壊れてしまったの。」
「そう……なの。ごめんなさい、辛い事を言わせてしまって。」
「いいのよ。ヒヤリコ……どうしてそんな事を聞くの?」
「……。」
ヒヤリコは、水面に映った自分の顔を眺めた。波紋で揺らぐ輪郭を見て、それが自分の本質なのだと思った。
「私は……望まれて生まれてきた、はずだった。でも私に愛をくれる人はいなかったわ。誰も私を見ていない。だから、私は自分が何の為に生まれてきたのかを見つけたくなった。それさえ見つけることができれば、きっと私の心は満たされるはずだから。」
「……そう。」
ロールパンナは、自分の胸に手を当てた。心臓が等間隔で鼓動を奏でるのが分かり、ホッとした。あの一件以来、時折訪れる黒い衝動が怖くてたまらなかった。
「……ねぇ、ヒヤリコ。私はね、自分が何をしたいかを考えた方がいいと思うわ。」
「……どうして?」
「"何のために生まれたか"なんて……そんなの誰にも分からないから。」
「……。」
「私は、いつ自分が自分で無くなるか怖がりながら今を生きている。そんな苦しい日々だから……せめて心情だけは、明快でいたいと思う。」
ロールパンナのその言葉を受けて、ヒヤリコは自分の考えを紡いだ。
「何をして生きるか……ってこと?」
「そうね。それを突き詰めていったら……もしかしたらそれが、生まれた意味になるのかも。」
「……分かった。ありがとう。」
少しだけ晴れやかな顔になったヒヤリコが、ゆっくりと立ち上がった。彼女が差し出した手を取って、ロールパンナも立ち上がる。
「ロールパンナ、あなたと出会えてよかった。」
「私もよ、ヒヤリコ。」
「……ロールパンナ、あなたに頼みがある。」
「え?」
父親を止めたい。それが、ヒヤリコの願いだった。
【三】
〜二日後・朝"死神山・山頂"〜
ジャムは、悲鳴を上げる身体を押しながらなんとか山頂まで辿り着いた。すっかり消耗した体力に耐えきれず、そばの岩場に腰を下ろす。
「くそ……誰もいないじゃないか。」
時間が経てば経つほど、安否の分からないバタコの事が不安に思えてくる。
「ヒヤリさん……あんたが望んでいたのは、本当にこんな事だったのか?」
その時、視界が一瞬暗転した。そして次にジャムの視界が開けた時、やはりそこにはあの男がいた。
「……くらやみまん。」
「やあ、ジャムさん。やはりあなたは強い人だ。こんな短時間で山頂までたどり着くとは……まずは褒めておきましょう。」
白い歯をたたえた笑みを浮かべながら、くらやみまんがジャムに対して拍手を送った。こんなにもしらじらしい拍手があっただろうかと、ジャムは奥歯を噛み締めた。
「……バタコは?」
「ええ、しっかりとここに。」
くらやみまんが羽織っていたマントを広げると、その裏側からドス黒いモヤが放出された。それはしばらく主の真横に滞留すると、やがて自らが包み込んでいた命——ぐったりと倒れたバタコをジャムの眼前へと晒した。
「……バタコ!」
「安心してください。今はただ気を失っているだけですよ。あの場所は、彼女には堪えたようだ。」
「……お前の目的は何だ。なぜ、バタコを危険に晒す?」
「……。」
くらやみまんが、浮かべていた笑みを解いて持っていた氷片を辺りに散らした。それらは瞬く間にヒトガタを形づくり、動き出した無数の氷兵がジャムを取り囲む。
「あなたへの復讐は私のちっぽけなエゴに過ぎない。私の為すべき使命……それは再び、両星に争いをもたらす事。」
「なに?」
「……来ましたか。」
くらやみまんが、嬉しそうに笑った。ジャムが振り返ると、上空からこちらへとやってくる二人のパン戦士がそこにいた。
「おじさん!」
「ジャムおじさん、助けに来ました!!」
マントをはためかせながら山頂へと降り立ったアンパンマンとしょくぱんまんが、ジャムを取り囲んでいた氷兵達を瞬く間に拳で砕いていく。そうして全て倒し終わると、なおも拳を握り続ける二人がくらやみまんへと向き直った。
「くらやみまん……やっぱりお前が!!」
「お前は……あの時の!」
自らの前に降り立った二人の戦士を見て、くらやみまんは大いに笑った。生まれて初めて、本当の満足というものを得た気がした。
「……ようこそ、私の息子達。これが最後だ。」
「最後、だと?」
ジャムの言葉に呼応するように、遠くの方で爆発が起きた。星のあちこちで、悲鳴が産声を上げる。
「な、なんだ……!?」
「これは……くらやみまん、お前の仕業か!」
アンパンマンとしょくぱんまんが自身を睨むのを見て、くらやみまんは心のうちで優越感が大きくなるのを感じた。
「ジャムがここへ一人で来ることも、あなた達がそれを追ってここへやって来ることも……全ては私の導き通り。そしてあなた達という護り手が居なくなった星を……ばいきんまんの軍勢が滅ぼすのです。」
アンパンマン達が砕いたヒヤリ兵の氷片は、時をかけて増殖を続けた。それらが今、ドクター・ヒヤリの指令を受けて一斉に動き出したのだ。
「くそ!」
アンパンマンが、マントをはためかせて空へ飛んだ。しかしそんな彼を、暗く巨大なモヤが阻む。
「くっ……。」
「この山頂一帯は私の闇が既に包みました。ここから抜け出ることは叶わない。」
何も出来ない不甲斐なさで、アンパンマンもしょくぱんまんも奥歯を噛み締めた。そして、ジャムが何かを理解したように口を開く。
「そうか……。お前は、ばいきんまんにこの星を襲わせることで彼に対する人々の報復心を煽ろうとしているんだな? 星の命は簡単には死なない。だからこそ、再び異星の象徴としてばいきんまんを担ぎ上げ、報復に立ったこの星との争いをもたらそうという事か。」
「さすがジャムおじさん。よくお分かりですね。」
ただ、刻だけが過ぎていく。そうして手をこまねく彼らのもとに、一匹の犬が吉報をもたらすべく駆けていることを、まだ知る者はいない。
【四】
〜 ヒヤリ城・研究室〜
ヒヤリは、戸棚から取り出したアルバムを開いた。すっかり埃を被ったそれには、今は亡きヒヤリコの成長の記録が遺されている。
「……ヒヤリコ。」
今頃は、死神山の頂上でくらやみまんが最後の仕上げを行なっている筈だ。
「儂は……」
「おとうさん。」
「……。」
研究室の扉が、幼き頃の愛娘によって開かれていた。しかし、ソレが自分の娘ではない事をヒヤリは知っている。
「……何しに来た。」
「あなたを止める為に来た。」
そう言いながら彼女の傍に立ったのは、頭をターバンで巻いたパン戦士だった。
「お前さんは?」
「私はロールパンナ。彼女の……ヒヤリコさんの友達よ。」
「友達……そうか。もう友達が出来たのか。」
ヒヤリコが、少しだけ息を吸い込んだ。彼女の肩はかすかに震えていたが、ヒヤリはそれが、緊張から来るものか恐怖によってそうさせられているのか分からなかった。そんな彼女の肩に手を置いたロールパンナが、一歩前に出て語りかける。
「……ドクター・ヒヤリ。もう、やめましょう。あの計画はただこの星を滅ぼすだけ……争いや滅びからは何も生まれない。」
「そんな事はない。破滅は闇をもたらし……そこから新たな命が生まれる。儂はその命を、ヒヤリコに与える。そうすれば、元の娘が戻ってくる。」
「……私は、そんなこと望んでない。」
ヒヤリコが、そう言い放った。
「……お父さん。私、お父さんの娘として生まれて来れて幸せだって思ってる。きっと、本当の私だって。」
「……違う。私が戻ってきて欲しいと願ったのは、お前ではない。」
「でも私の名前は、ヒヤリコよ。お父さんが、そう名付けたくれたんじゃない。」
「……今更儂にどうしろと? もう、過去は取り戻せない。あの男に手を貸した罪も、娘との日々も……もう、手遅れじゃ。」
ロールパンナが首を横に振った。等間隔な心臓の鼓動が、彼女に響く。
「ヒヤリさん。生きとし生ける者は、皆やり直すことが出来るわ。……その為に命はあるんだと、私は思ってる。」
「やり直す……か。」
ヒヤリが、手に持っていたアルバムを戸棚に戻した。その様子を見ながら、ロールパンナは言葉を紡ぎ続ける。
「でもやり直すってことは、過去を振り返る事じゃない。前を向いて、生きていくという事。あなたなら大丈夫よ。だって、そんなにも大切に思ってくれる家族がいるんだから。」
「……ああ。」
そう頷くヒヤリの表情は、彼の心の氷解を物語っていた。
〜同時刻・流星町〜
無機質に動く氷兵達が、修繕に取り掛かろうとしていた町に侵攻していた。兵達の放る氷の爆弾が、建物を次々と破壊していく。
「なんで……。」
カバオは、そんな町の様子を路地に立ち尽くしてただ見ていた。恐怖で身体が動かず、見ている事しか出来なかったのだ。食べる喜びを知り、学校へ行くのが楽しくなった。友達と遊ぶ事も増えた。全てが良く変わった、はずだった。それが今や学友達は忽然と姿を消し、復興の象徴だったはずの町も蹂躙されている。
「……なんだ、カバ族のガキか。」
「ひっ……!」
カバオの前に、氷の槍を握ったばいきんまんが立った。震えるカバオに、いやらしく笑ったばいきんまんが言う。
「怖がるんじゃなくてよ。もっと恨め。俺様は"ばいきんまん"。お前達の星を滅ぼす、バクテリ星の使者さ。」
「さ、させないぞ……そんなこと……!」
「そうか。じゃあ、死ね。」
容赦なくばいきんまんが槍を振り上げ、カバオが目を瞑った、その時。
「なんだ?」
突如として、空に轟音が轟いた。空を裂くように響き渡るソレはどんどんと近づき、やがてその音の主である巨大な鉄塊がその場にいたばいきんまんを踏み潰した。
「え、え……?」
戸惑うカバオを他所に、鉄塊——鋼鉄の巨人のハッチが開いた。そして中にいた男が姿を見せる。
「俺様が、帰ってきたぜ。」
その男の名は、ばいきんまん。アンパンマンの永遠の好敵手だ。
「よし、行くぞお前達!!」
「「おう!!」」
ばいきんまんの掛け声に合わせ、彼の頭上に滞空していたUFO型の飛行艇から二人の影が降り立った。
「ドキンちゃん!!」
「ホラーマン!!」
そして、彼らの名乗りに続いて降り注ぐ無数の影。
「「「「かびるんるん!!」」」」
ホラーマンが投げたブーメランが氷兵達の首を飛ばしていき、ドキンちゃんの槍で突かれた氷兵の身体が瞬く間に縮んでいく。ばいきんまんが、ファミリーを連れて帰ってきたのだ。
「アンパンマン……なんだか分からんが、ここは俺様達が引き受けるぞ。」
ばいきんまんの操るだだんだんが、決意の雄叫びをあげた。
〜死神山・山頂〜
「なんだ、今の雄叫びは。何が起きている!?」
苛立ち、声を荒げるくらやみまん。そこへ、足を泥だらけにしたチーズがジャムの元へと駆けてきた。
「ち、チーズ。お前どうして……」
戸惑うジャムに、チーズはばいきんまんの帰還を伝えた。そして、彼らが星を守っている事も。
「そうか……伝えてくれてありがとう、チーズ。……アンパンマン!!」
「ええ、僕も聞いていました。くらやみまん! どうやらお前の計画は失敗したみたいだな。」
苛立ちで歯を強く噛み締めたくらやみまんが、ハットのツバを弄っている。
「……いや、まだ私にはドクター・ヒヤリの氷錬成技術がある。ドクターの造り出した氷兵団を使って、次こそ両星の争いを……」
「残念だけど、それも無理ね。」
「……なに?」
くらやみまんが、なおも苛立ちを募らせながら声のした上空を見上げた。そこにいたのは、ロールパンナだ。
「ロールパンナ……!」
しょくぱんまんが、少しだけ苦しそうにその名を叫んだ。そんな彼の方は見ないまま、ロールパンナはくらやみまんに話を続ける。
「ドクター・ヒヤリは自らの過ちを受け入れて、前に進む決意をした。もう、あなたに協力する事はない。」
「……どいつもこいつも。」
くらやみまんが、ハットを弄るのを止めてそう呟いた。そして山頂を包んでいた闇が主へと収束していき、なんとくらやみまんの身体は山一つを覆うほどの巨体へと膨れ上がったのだった。
「なっ……!」
驚愕する一同。
「命は暗闇から生まれる。だから、私は生きとし生けるものを導く"くらやみまん"なのだ。」
くらやみまんが、全身から闇を放出した。そして放出されたくらやみが、その場にいた全員を包んでいく。
「こ、これは……!?」
「く……意識が……。」
「ロールパンナ……。」
「こんなにも……あっさりと……。」
やがて、そこには誰もいなくなった。
〜くらやみのせかい〜
気が付くと、何も無い暗闇の中心にアンパンマンは立っていた。その周りには動かなくなった家族達の屍が転がっている。
「こ、これは……。」
訳がわからず狼狽えていると、またもどこからか声が聞こえてきた。
"敵を滅ぼせ。お前は争う為に生まれてきた。使命を果たすんだ。"
「……違う。」
"なに?"
初めて子供達にパンを届けたあの日の喜びが、アンパンマンの心に溢れてきた。ジャムと心を通わせ、ばいきんまんとたべものを分け合った時の温もりが、その手に宿る。
「僕は、みんなを助ける為に生まれてきたんだ。そしてこれからも、僕はみんなの助けになりたい。」
その身体に光が収束していく。そして輝いた拳を掲げ、アンパンマンは叫んだ。
「——アンパンチ!」
*
*
*
〜死神山・山頂〜
「何故だ……私は導き手として生まれてきたのに……なのに何故、誰も私に導かれない……。」
もはやほぼ消えかかり、頭だけとなったくらやみまんがうわ言のようにそう繰り返していた。そんな彼の前に立ったアンパンマンが告げる。
「簡単な事だ。君が導ける生命なんて、最初から無かったんだよ。」
「……。」
もはや完全に意志を喪失したくらやみまんは、さらさらと黒い粒子となりながら風に乗って消えていったのだった。
「……そうだ、みんなは!?」
アンパンマンが振り返ると、そこには意識を取り戻して立ち上がる皆の姿があった。
「……よかった。」
愛する家族のもとへと駆け寄るアンパンマン。こうして、戦いは終わった。
【五】
〜二日後・朝"ジャムのパン工房"〜
「おぉアンパンマン、起きたか。」
「すみません……僕ずっと寝てたみたいで。」
「あんな事があったんだ、仕方ないさ。」
そう言いながら、今日もジャムはパン生地をこねている。
「そういえばな、居なくなっていた子供達が戻ってきたぞ。今はバタコが配達に行ってるところだ。」
「……そっか。よかった。」
ジャムの話によれば、あの戦いが終わって工房へと帰宅すると、アンパンマンはすぐに眠ってしまったらしい。よほど疲れていたのか、泥のように眠り続けていたようだ。
「……なあ、アンパンマン。くらやみまんは、結局何者だったんだろうか。」
そう尋ねるジャムは、どこか遠い眼をしていた。何やら古い記憶を辿っているように見える。
「そうですね……彼も、僕達と同じだったのかもしれない。」
「え?」
「……ただの想像ですけど。すみません、ジャムおじさん。僕、ちょっと出てきます。」
「……うん。」
ジャムに見送られながら、アンパンマンは友達のところへと向かったのだった。
〜コーキン星・郊外の泉〜
しょくぱんまんが林道を抜けると、その先の泉にロールパンナは佇んでいた。しょくぱんまんが来て驚いたのか、目を丸くしている。
「……しょくぱんまん。どうして此処に。」
「ヒヤリコさんから此処の事を聞いたんだ。それで来てみたら、君にまた会えた。」
「……そう。」
しばらく、二人とも無言の時間が続いた。
「……ねぇ、ロールパンナ。また工房でみんなで暮らさないか。僕は、君に戻ってきて欲しい。」
「……無理よ。私は大切な家族を傷つけた。それに、また何時ああなるか分からないの。だから、私はみんなのところには戻れない。」
胸に手を当て、鼓動を確認する。早鐘を打つ自分のこころが、ロールパンナをひどく不安にさせた。
「……ロールパンナ。君は、ヒヤリさんに言ったんだよね。"生きとし生ける者は、全てやり直すことが出来る"って。だったら、君だってやり直せる。僕も……あの時の過ちを悔いて、やり直したいと思ってる。」
「……。」
何も言えなかった。ロールパンナは、ただ怖がっている自分の心の弱さを知っていた。それと向き合うには、まだ時間が必要なのだ。
「……ロールパンナ。僕、ジャムおじさんと一緒にパンを焼く事にしたんだ。美味しいパンを焼いて……君を、待っています。」
そうして、しょくぱんまんは家族の待つ家へと帰っていった。ロールパンナは一人、水面に揺れる自分の姿を見つめた。
「私も……やり直してみようかな。」
帰る場所がある。そんな純粋な幸せを、彼女はただ噛み締めたのだった。
【エピローグ】
〜辺境の森・ばいきんまんラボ〜
アンパンマンが工房の扉を叩くと、中から鉄面をつけたばいきんまんが現れた。
「……やっと起きたか、寝ぼすけめ。」
「ごめんごめん。……ばいきんまん、帰ってきたんだね。」
「ああ。俺様はファミリーを見つけた。だから、戻ってきたのだ。」
部屋の奥で、無数の影が蠢いている。
「彼らが、君の新しい家族か。」
「家族じゃない。"ファミリー"だ。」
かびるんるんに、ドキンちゃんとホラーマン。そしてばいきんまん。彼らがいなければ、アンパンマン達は負けていただろう。
「ありがとう、ばいきんまん。僕達を助けてくれて。」
「よせ。俺様達はただ自分の心に従って動いただけだ。……おお、来たか。」
「え?」
アンパンマンが振り返ると、そこにはドクター・ヒヤリがいた。その後ろには、ヒヤリコの姿もある。
「あなたが……ドクター・ヒヤリ。」
「アンパンマン……じゃったか。随分と世話をかけたな。申し訳ない。」
「いえ、それは……今日は、どうしてここに?」
「ちょいと、ばいきんまんに用があってな。」
見ると、ヒヤリは大量の書物を抱えていた。背中にも何やら凄そうな機械を背負っている。
「ヒャッヒャッヒャ……この機械が気になるようじゃな。」
「あ、ええ。」
そんな二人の会話を聞いていたばいきんまんが、ずいと前へと躍り出てきた。何やら得意げだ。
「聞いて驚くなよ、アンパンマン。俺様はこのドクター・ヒヤリと共に……新しい星を創る!! その名もバイキン星だ!!」
「……えぇ!?」
星を創る。そんな事が本当に可能なのかと、アンパンマンは耳を疑った。
「で、出来るのかな……そんな凄い事。」
「出来るとも。なぁ、博士?」
ヒヤリが、仰々しく咳払いをした。
「物質には必ず組成式が存在する。例外は無い。それを紐解いていけばいつかは……出来るだろう。私とソイツの技術があればな。技術の進歩とは目覚ましい。遠い未来には、時を駆ける装置なんてモノまで出来ているかもしれんぞ。」
「へぇ……。」
ふぅと息を吐き出したばいきんまんが、その手をアンパンマンへと差し出した。
「ありがとう、アンパンマン。俺様を過去から解き放ってくれて。」
「こちらこそありがとう、ばいきんまん。僕の友達でいてくれて。」
固い握手を交わす二人。そんな彼らの後ろで、空に陽が昇っていた。生きている限り前を向き続ける。そんな生命の進む道を、これからも光は照らし続けるだろう。
〜完〜
アンパンマン3 〜闇を晴らす光〜