ランスの仮面
Ⅰ
「えっ」
突然の。
「僕に……ですか」
こくり。
「えーと……」
これは。
(何か)
引き締まる。
「わかりました」
未熟な。まだ胸を張って名乗ることもできないような。
「行きます」
それでも。
「僕が」
ぐっ。
「力になれることがあるなら」
Ⅱ
「うわ……」
久しぶりの。
(空が)
島での暮らしが長かったせいだろう。
違う。
何がと意識するより先にそれを感じる。
単純に、高い建物が多いということもある。
それに加えて、人が。
(違う)
はっきり。
(ここは)
普通の。平和の。
世界なのだと。
「あ」
くいくい。
「すいません、ハナさん」
あわてて。
「それで、ハナさんが行きたいところって」
くいくい。
「え……」
それは。
「ここ……ですか」
イメージと。遠い。
「あの」
合っているのか。確かめるより早く。
「あっ」
中に。
「ハ、ハナさん」
止まる。
「えっ」
こちらを。
(ああ)
一人では入りづらい。だから。
(でも)
本当に。
(……あっ)
無表情な中。いら立っているのが。
「ご、ごめんなさい」
そばに。
(え……?)
やはり。無表情ながら。
(緊張……)
している?
(何が)
普通のショッピングビルとしか思えないのだが。
(だから)
かとも。
似合わない。
というか、こういうところに興味を持つような人ではないはずで。
「あの……」
もじもじ。なかなか中に。
「えーと」
こういうとき。騎士ならば。
「どうぞ」
手を。
(……あれ?)
取らない。
どこか。不満そうな。
「え、えーと」
何か間違っていただろうか。
「っ」
思い至る。
「あ、あの」
こちらも。もじもじしながら。
「お手を……レディ」
こくっ。
(よかったんだ)
ほっと。
(うーん)
しかし。自分たちが手をつないでいる図は。
(親と子ども……)
いや。
せめて、兄妹としておこう。
「は?」
そこは。さらに意外な。
「本屋さん……ですか」
こくこく。
「はぁ」
わからない。
本を読むところなど、すくなくとも自分は一度も見たことがない。
「大丈夫……ですよね」
首を。
「間違ったところに来たというような」
ふるふる。横に。
「そうですか」
ますますわからない。
「何か、ほしい本でも」
島を出てまで。
「え?」
ふるふる。違うらしい。
「でも」
本を買う以外に何の用事が。
「あ……」
くいくい。
「あの」
何を。聞くより早く。
「ここって」
並ばされた。そこは。
「サイン会……」
店内のイベントスペースと思しき場所。
すでに長い列が。
「ハナさん、ひょっとして」
うなずき。取り出したのは。
「ランスの」
仮面。そういうタイトルの。
「えー……と……」
それは。
「漫画ですか」
こくこく。
「ひょっとして」
サイン会とは。その作者の。
「あっ」
歓声。
と。わかりやすく。
「ハナさん……」
そわそわそわそわ。
(乙女……)
言いたくなるような。
(知らなかった)
ここまで。思い入れの。
(そんなに)
おもしろいのか。こちらは普段あまりそういうものは読まない。もちろんタイトルも作者も聞いたことがない。
(それでも)
サイン会が開かれ、ファンも集まるということはきっと人気作なのだ。
「あっ、始まるみたいですよ」
そわそわそわそわそわそわそわそわ。
(大丈夫かな)
心配に。
「あ……」
列が。前に。
「ほら、ハナさん」
うながされ。うつむいたまま。
(次だな)
順番は。
「ハナさん」
動かない。
「え、ちょっ」
周りの目が。
「すみません」
あたふたと。
「サインを」
当たり前の。
(うう……)
苦笑の気配。
「妹さん?」
はっと。前に座っている――おそらくこの人が。
「いえ、その」
違う。といっても、何と説明すべきか。
「付き添いで」
あいまいな。どちらとも取れる。
「わっ」
くいくい。袖を。
そして、漫画の本を渡される。
「あ、あの」
あわてて。
「お願いします。この本に」
「はい」
快く。
(ふぅ)
息。安堵の。
「うわぁ」
感嘆の。
「これ、『ランス』の初版本だ。懐かしい」
「ものすごくファンみたいで」
「『みたい』?」
「あ、いや」
よけいなことは。
「でも、小さい子が持っててくれてるなんて、うれしいな」
心からの。
(小さい子……)
普段なら。憤りを隠さないところだが。
(ハナさん……)
もじもじもじもじ。続行中だ。
「はい」
裏表紙に。サインをされた本が差し出される。
うつむいたまま。それを受け取る。
「あっ……」
そのとき。
「………………」
じーっと。
(?)
何か。おかしなところが。
(まさか)
騎士。そう気づいたわけでも。
「あの」
思わず。
「あっ」
我に。
「ご、ごめんなさい。そんなわけないから」
(え?)
ますます。
「ありがとう。これからも応援してね」
こくり。もじもじしつつも。
「ハナさん」
うながす。後ろにもまだまだ列は続いている。
名残惜しそうに。
それでも、サイン本をぎゅっと胸に抱いて。
(乙女……)
とは。すこし違うのかもしれないが。
「よかったですね」
こくこく。
(本当に)
うれしそうだ。
長いとは言い切れないながら、それでもそばにいればわかってくるものはある。
(道理で)
いろいろ普段と違うとは思っていたが。
そもそも、格好が。
たいていはまったく頓着しない人なのだが、今日は慣れないながらも普通と呼んでいい女性らしい衣服をまとい、短い頭髪もきちんと整え、薄く化粧もしている。
「綺麗ですよ」
自然と。
「あっ」
さすがに。
「いえ、その、指導を受けている立場でこんな」
へどもど。
(う……)
じー。見られる。
「すみません」
うつむき。アイスコーヒーのストローをくわえる。
これでは先ほどと立場が逆だ。
「きゃあっ」
そこに。
「!」
席を。
我ながら。多少は騎士らしく。
「見てきます」
わざわざ断るところがまだ。
「あ……」
ビル内の喫茶スペースを出てすぐ。エレベーターの前で。
「眼鏡、眼鏡」
あわあわと。膝をついて。
「あの」
手伝いましょうか。問いかけるより早く。
「あっ」
差し出される。
「ハナさん」
手さぐりで。
「あっ、これです」
顔に。
「!」
目を。
「ハ……」
驚き。それがやわらかく崩れ。
「やっぱり」
ぎゅっ。抱きしめる。
「ハナちゃん!」
Ⅲ
(咲咲花花〔さきさか・はな〕……)
変わった名前。
下はそれほどでもない。
苗字が。
(『咲咲花』って……)
サキサカと。読もうと思えば読めるのかもしれないが。
「じゃあ、委員長、お願いね」
「えっ」
不意の。
「あ、わ、わかりました」
ずり落ちかけた。眼鏡を直し。
(うわぁ……)
小さい。近くで見るとますます。
(本当に)
同じ中学生かと。
(まあ)
こちらがただうすらデカいだけ。その自覚はある。
「よろしく、咲咲花さん」
じー。見られる。
「あ、あの」
じー。
「隣の席だし、何か困ったことがあったら言ってね」
何も。言われない。
(う……)
さすがに。
「じ、じゃあ、そういうことで」
逃げるように。
(変わった子だな)
突然の転校生。
この森羅(しんら)学園ではあまり珍しくない。なんでも、海外に提携している団体があるとのことで。詳しいことはよく知らないが。
(外国……)
見た目は。おそらくこの国の出身ではない。
(だったら)
なぜ、日本名? いろいろと事情はあるのかもしれないが。
(話してくれるかな)
あまり。期待はできない気も。
(まあ)
おとなしそうな子で。そこはよかったと。
思い違い甚だしかった。
「さっ、咲咲花さぁぁん!」
あり得ない。
「ちょっ、危な……危ないからぁーーっ!」
届いているかどうか。
こちらは地上。そして、向こうは。
(はぅぅ……)
目まいが。
どう見ても。
見上げるしかない高さに。
見間違いではなく。
(どうやって)
あんなところに。
(まさか)
登ったというのか。
校舎の壁を。
いま自分が見ているそのままに。
ロープや道具を何も使うことなく素手のみで。
(なんで)
意味が。
と、そんなことよりいまは。
「降りてーっ! お願いだから、下に」
はっと。
「いや、その、だ、だめーーっ! 落ちたら危ないからーっ! だから」
だから? どうすれば。
助けが来るまで、あそこにしがみついて待てと。
「ああっ……」
よじよじよじよじ。
まったく危なげのない。
いや、普通に考えれば危険この上ない状況のはずなのだが。
「あ」
ついた。
てっぺん。屋上に。
「はあぁ……」
へなへな。力が。
同じく見守っていた周囲からは、歓声と共に拍手も聞こえたりするが。
(そんな場合じゃ)
ない。間違いなく。
「はい。これからはこんなことがないよう……すみませんでした!」
ただただ。頭を下げるしかない。
「ふぅ」
職員室を出て。
「咲咲花さん」
隣の。
「どうして、あんなことしたの」
答えない。
(なんで)
先生の前でもこの調子だった。
反抗的。
そういう態度ではまったくないのだが。
無言。無表情。
ただ。
「あの」
いまさらながら。
「言ってること……はわかるよね」
こくこく。
(わかるんだ)
そう。こうして反応はちゃんと返してくれる。
「だったらね」
言い聞かせるよう。
(お姉さんか)
身長だけはこちらがずっと上だが。
「これから、ああいう危ないことはしないでね」
かしげる。首を。
(え、えーと)
これは。どういう。
「いや、だから、ああいう」
そこで、はっと。
「危ないと思ってない?」
こくこく。
(い、いや)
危ない。普通は。
(普通じゃ)
ないのか。
(確かに)
まったく危なげはなかったのだが。
「そ、それでも」
あわてて。
「みんなが心配するからね。やっぱり、だめだよ」
言うと。
(ふー)
こくり。うなずいてくれたのを見て。
(やっぱり)
話せば。ちゃんとわかってくれる子なのだ。
Ⅳ
相変わらず。まったく言葉はかわさないながら。
「あっ、ハナちゃーん」
「ハナちゃん、こっちこっちー」
「お菓子あるよ、ハナちゃーん」
とことこと。
「ハナちゃん、あーん」
「やーん、かわいー」
「まだまだ入るよ、ほらー」
リスのように。頬をふくらませ。
「………………」
離れた席で。
(なんだか)
おもしろくない。
ずっと面倒を見てきたのは自分なのに。一緒に先生に怒られたりもしたのに。
なのに。
(ううん)
悪くはない。ことで。
思っていたよりずっと早くクラスのみんなと打ち解けたのは。
マスコットのようなかわいがられ方ではあるものの。
(嫌な気は)
当人は。
していない。はずで。
「………………」
やはり。
(あっ)
無意識に。開いていたノートの端に。
(うわー)
そっくりな。
(似てるよー)
我ながら。
写実的。というより、かなりデフォルメされてはいるのだが。
(似てる)
そもそも当人が。
ある意味、キャラクターっぽいと。
「!」
じー。
「ささっ、咲咲花さん!」
覆いかぶさる。
「何でもないから!」
じー。
「その、あの」
言えない。本人を前に。
その本人を勝手に。
(怒って……)
は。いるようには見えない。
といっても、いつもと変わらぬ無表情では。
「あの」
おそるおそる。
「ごめんなさい」
きょとん。
(えーと)
見て。なかった?
(だったら)
よかった。というか。
(う……)
じー。見つめられ続ける。
「あ、あの」
後ろめたい。
「咲咲花さんって」
そう。口にして。
(えーと)
聞きたいことは。
ある。たくさん。
けれど。
(聞いて)
いいのか。
(うー)
それでも。
「あのっ」
意を決し。
「わたしのこと、どう思ってる?」
言って。
(……あ)
何を。真っ先に聞くことか。
「いや、その、あのね」
じー。
「だから、その」
じー。
(えぇぇ……)
どう。なのだ。
この反応は。
「ひょっとして」
おそるおそる。
「嫌い……だったり」
ふるふる。
「あ……」
はっきり。
「そう」
ほっと。思っていた以上に。
「よかった」
きょとん。首を。
「え、えっと、だからね」
何と。
「あっ」
ぴょん。そばの椅子の上に。
「わわっ」
なでなで。
「………………」
座っていても。まだ高い位置にあるこちらの頭を。
「な……」
あぜんと。
「なんで」
またも。首を。
(これって)
通じているような、いないような。
(まあ)
悪い気持ちでは。
「ふふっ」
なんだか。
「ふぅ」
こわばりかけていた。心が。
「……ありがと」
言って。
笑顔を返した。
Ⅴ
「ハナが世話になってるんだってな」
「………………」
ぼうぜん。
(デ……)
デカい。大きい。
巨体。そんな言葉がまったく大げさでない。
自分も。
大きいほうだとは。
けど、それは無駄にヒョロ長いだけで。
ぜんぜん違う。
縦だけでなく、横も。
厚みも。
目の前に立たれるだけで視界を完全にふさがれてしまう。
そんな。
「んー?」
ぐぐっ。顔が。
「どうしたー」
「ひゃはっ!?」
間抜けな。
「ハナが世話になってるって」
「すみませんっ!」
あわてふためき。
「あっ、いえ、あやまるようなことはしてなくて、ハナちゃんをいじめたりなんてしたりしてなくて」
「はぁ?」
「せ、『世話になってる』って」
「あー」
納得。
「そっちの意味じゃねーよ」
つん。
「ひゃひぃっ!」
尻もち。あっさり。
「あ、おい」
驚いて。
「大丈夫かよ」
がばっ。
「!」
持ち上げられた。
いや、抱き上げられた。
(こ、これ)
お姫様だっこ!?
「あ……や……ひゃ……」
「んー?」
またも。顔間近。
「大丈夫か、おまえ」
「あ……ひ……」
大丈夫で。なく。
「あひゃあっ!」
さらに顔。
「あぁ?」
不本意そうに。
「なんだよ。いじめてんじゃねって」
(ハナちゃん……)
心配してくれて。
「よっと」
下に。
「悪ぃな」
頬をかき。
「別におどかすつもりはなかったんだぜ」
「は、はぁ」
なくとも。十分に驚かされるだけの。
「ほら、ハナ」
肩に乗っていたところを。
「あ……」
つまみ上げ。
「ああっ!」
ポーン。高々と。
「ちょ、待っ、なっ!」
右に左に。必死に。
「!」
着地。
「………………」
すぐ。目の前に。
「ハナちゃぁん……」
へなへな。
「もう……びっくりして」
なでなで。
「ハ、ハナちゃんっ」
知らない人の前で。
(ハナちゃんは……ともかく)
こちらにしてみれば。
「あはははっ」
豪快な。笑い声。
「仲良くしてもらってるみたいだな。よかった、よかった」
「は、はぁ」
お母さん――なのだろうか。
(ええと)
お父さん。ではないはずで。
大人の男性としても信じられないほどに巨大ではあるが。
出ているところは出ているし、服装だって。
(チャイナドレス……)
正直『なぜ?』な。
ただ、似合ってはいて。派手な刺繍のほどこされた真っ赤な服は、威圧的な巨体と相まって強烈な存在感を放っている。
「こ、こんにちは」
いまさらながらの。
「おう」
男らしい。
「あ、あの」
あらためて。
「こちらこそ、ハナちゃんには仲良くしてもらって」
「なーに、なーに」
バンバンッ。
「う……くっ」
乱暴だ。どこまでも。
「あ? だから、いじめてねって」
またも。抗議を。
相変わらずの無言に無表情ではあるが。
(やっぱり)
お母さん。ではないにしても。
近しい人ではあるのだ。
「ハナちゃんは」
不思議と。緊張も解け。
「本当に、とても」
そこからがうまく。
「いいって、いいって」
バンバンッ。
「うくっ……」
また。
「変なやつだろ、こいつ」
(いやいや……)
目の前の『この人』に言われるのも。
「けどまあ、レディに優しくするのは当然だからな」
レディ?
(まさか)
自分の。
「よっと」
「ひゃあっ」
また――
「レディだろ」
(うう……)
この扱いは。
逆に。レディと思われていない気が。
「ひゃっ」
こちらの腕の中に。
「ハナちゃん!?」
お姫様だっこ。自分が。
「おー、ハナも仲間外れはイヤか」
こくこく。
(い、いや)
亀の上に子亀、子亀の上に孫亀な状態に。
「あーっはっはっはっ!」
ご機嫌に。豪快な。
(……何なの)
ただただ。
脱力するしかなかった。
「いやー、おもしれぇ嬢ちゃんだな」
こちらが。
「あ、ありがとうございます」
間の抜けた。
「好きなんだよ」
「えっ」
ドキッ。
「好きって」
「ハナだよ」
頭を。なでるというか飲みこんでしまうような。
「高いところがな」
「……へ?」
高いところ。
(あ)
思い出す。転校間もなくの登攀事件。
(じゃあ)
こちらのことも。
「………………」
「ん?」
けげんそうに。
「どうした、どうしたー」
バンバンッ。
「うぅくっ……」
どこまでも。
「縮こまってんじゃねぇよ。せっかくいい身体してんのによぉ」
(いい……カラダ!?)
赤面。
(あ……)
ただ。背が高いと。
(そう)
それだけ。
「あっ」
くいくい。
「ハナちゃん……」
また。こちらの気持ちを察したように。
「これからも仲良くしてくれよな」
微笑ましそうに。それを。
「じゃあ、そろそろ島に帰るわ。がんばれよ、ハナ」
「えっ!」
驚いて。
「あのっ」
思わず。
「一緒に暮らしては」
「んー?」
「あ……」
躊躇。そんなことまで聞いてしまって。
「ない!」
(なっ……)
そんな力いっぱい。男らしいけど。
「だからさ!」
バンバンッ。
「ぐ、ぐふっ」
「面倒見てやってくれよー、こいつの」
(面倒?)
と言うより以前に。
(これまで)
一体、どういう生活をしてきたのだ。
Ⅵ
「テント!?」
しかも。学校の屋上に。
「あっ!」
まさか。外壁を登ったのも。
(い、いやいや)
中から! 普通は建物の中からで。
(って)
学校にテントの時点で普通ではないのだが。
(許可は)
出ては。いるのか。
さすがにまったく気づかないということはないはずだ。
(まったく……)
気がつかなかった。こちらは。
(……ふぅ)
身近にいると思っていて、これだ。
「あ」
くいくい。
「……ごめんなさい」
きょとん。
(だって)
情けない。
(友だちの)
つもり。でしか。
「あっ」
くいくい。
(また)
情けない。
「……?」
くいくい。引かれ続ける。
「あ……」
上に向けた。指の先。
「わぁ」
あった。
「こんな」
知らなかった。
都会とは言えないながら、それなりに建物のある街の中で。
「こんなに」
広がる。暮れかけた空いっぱい。
「すごい」
心から。
「きれいだね」
こくこく。
「ハナちゃんは」
これを見たくて。ここに。
(そう)
なのか。
テントまで張ってというのは、さすがに大げさすぎる気も。
『高いところが好きなんだよ』
思い出す。
「ハナちゃん」
見られる。
「して……あげようか」
きょとん。
「き、来て」
強引に。
「行くよっ」
気合を。
「ほら!」
高く。かかげ。
「えいっ」
肩に。
「………………」
できた。
(肩車……)
思っていたより。あっさり。
(軽いから)
そういうこと以上に。
(嫌がられなかった)
それが。
(っていうか)
やる前に確認をという。
「よ、よかったかな?」
いまさら。
「あ……」
こくこく。
「そう」
ほっと。
「ごめんね」
きょとん。
「いきなり、こんな」
ふるふる。
「そう……」
見上げる。
「きれいだね」
また。
違う。
(二人で)
見る。空は。
(なんだか)
違う。
それは、たぶん。
(共有)
そんな大げさでなく。
(一緒に)
場所を。時間を。
想いを。
(これって)
伝わる。
言葉がなくとも。
「だよね」
うなずいて。くれた。
「転校!?」
突然すぎる。
「嘘……」
ふるふる。
「そんな」
では。
「この前のって」
来訪。突然の。
(手続き……)
おそらくは。
「知らなかったよ」
こぼれる。
「なんで」
止まらない。
「なんで言ってくれないの!」
困った。ような。
「あ……」
何を。
「ごめん」
ふるふる。
「………………」
そうだ。
わからない。
(何を)
わかったようなつもりで。
「ごめんね」
途方に。暮れたような。
「ごめん」
それでも。
それしか。
「っ」
耐えられなく。
「いいから!」
何がどう。言えないまま。
駆け出していた。
Ⅶ
「ハナちゃん……」
あらためて。
「嘘みたい」
しみじみ。
「ふふっ」
笑みが。
「あの」
そこへ。
「お知り合い……なんですか」
同じく。
「そうだったんですか、ハナさん」
こくこく。
「え、でも」
先ほどは。そんな様子。
「だって」
ぎゅっ。抱きしめ。
「ハナちゃんだなんて思わなかったから」
「ああ」
それは。
「変わらなかったから……」
かと。
変わらな『過ぎた』というか。実年齢とかけ離れたいまの容姿からもそれは。
「あ」
不機嫌の。
「い、いえ、そんなつもりは」
どんなつもりと。
「あの」
すると。
「ハナちゃんの……」
おそるおそる。
「彼氏さん?」
「ええっ!」
あわてて。
「そ、そんなわけ」
「えー?」
からかうように。
「それって、ハナちゃんに失礼じゃない?」
「えええっ!」
そんな。
「なんて」
苦笑し。
「確かに、ちょっと問題あるよね」
どういう意味だろう。
「だったら?」
あらためての。
「えーと」
言葉を。
「部下……というか」
「部下!」
驚き。これまでにも負けない。
「ということは、ハナちゃんが上司!?」
こくこく。誇らしげに。
「そうなんだ……」
感心の。
「何の会社? どういう役職?」
「え……」
それは。
「あ」
答えない。というか、これまでのように何も言わないのを見て。
「そうだよね」
わかっていると。
「がんばってるってことだよね。それで十分だよね」
こくこく。
(確かに)
がんばっては。
(けど)
どこまで。
(……知らないんだ)
だから。
「っ」
ふるふる。首を。
「はい」
わかったと。
「? どうしたの」
「あ、いえ」
嘘は。
「何でも」
あいまいな。
「ふふっ」
それでも。
「いい人なんですね」
「そんな」
恐縮。しつつ。
「先生」
「えっ」
「ですよね」
漫画家なら。
「まあ」
はにかみ。
「ぜんぜんまだまだだけど」
ふるふる。
「ハナちゃん」
ほころぶ。
「そうだよね」
心から。
「わたしの本、読んでくれたんだよね」
こくこく。
「知ってたんですか、先生が書かれてるって」
ふるふる。
「え……」
知らなかったのか。
「あっ、ペンネームだから」
わかったと。
「じゃあ、偶然」
こちらも。驚き。
「……あるんだね」
再び。
「よかった」
抱きしめる。
「漫画を描いてきて……今日が一番」
それは。
(……よかった)
そばで見ていても。心のあたたまる光景だった。
『そうだったの』
「はい。よろこんでましたよ、ハナさん」
電話越し。
『……ふぅ』
「えっ」
明らかな。
「あの」
何か。
「問題が」
『ある』
すかさずの。
「で、でも、昔のお友だちですし」
『昔ならまだね』
つまり。いまは。
「騎士……だから」
『そうよ』
しかし。
『知ってるわよね』
「えっ」
『………………』
あぜんの。
『はぁー』
あからさまな。
「あ、いえ、だって」
突然すぎて。
『何にも知らされてない前提で話すわね』
「……お願いします」
言うしか。
『そこは騎士の存在しない世界なの』
「は?」
何を。
「……いますよ」
『あなたたちはね』
またも。あきれの。
『知ってた?』
「えっ」
『騎士のこと』
それは。
「こちらにいたころ……ですよね」
『そっ』
知らなかった。
『在香(ありか)さんからも聞いてないのよね』
「はい」
申しわけなく。
『まあ、いいわ』
あきらめの。
『鳴(めい)クン』
「は、はい」
『そこから戻ってきなさい。明日にもね』
「えっ」
それほどの。
『いいわね』
「あ……」
あっさり。
「………………」
ただ。手元を。
「あっ」
後ろに。
「いえ、その、あの」
どう。言えば。
Ⅷ
「ハナちゃーん」
大きく。手を。
「すみません、遅くなって」
隣でも。無表情ながら手が振り返されて。
「ふふっ」
笑みが。
「どこに行こうか、ハナちゃん」
じー。
「えっ、わたしの好きなところでいいの?」
こくこく。
(通じてる……)
感心する。
(やっぱり)
友人。だからこそ。
(そうだよ)
再開の約束をして。それを果たさず帰るなんて。
「どうしたの?」
「えっ」
眼鏡越し。こちらを。
「あ、いえ」
あらためて。
「いいんですか」
「え」
「僕が」
こうして。
「ああ」
わかったと。
「だって、ハナちゃんが」
こくこく。
「仲間外れはかわいそうって」
こくっ。
「はぁ」
何とも。
「じゃ、行こっか」
仲良く。手をつなぎ。
「うれしいな」
しみじみ。
「後悔してたの」
きょとん。
「転校のとき、ちゃんとさよならが言えなかったって」
自然と。二人の会話(?)に。
「そのことがね、ずっと忘れられなくて」
と。笑顔に。
「それで漫画家になっちゃったのかな」
(えっ)
つながらない。
それでも、ここで割って入るのは無粋だと。
「ほら、ハナちゃん」
到着。
「へぇ」
感嘆の。こちらも。
「きれいですね」
「でしょう」
街を見下ろせる高台。ありふれた景色なのかもしれないが、それでも美しいとは確かに感じる。
「ハナちゃんなら気に入ってくれると思って」
こくっ。
「えーと」
ためらいを。見せつつ。
「して……あげよっか」
こくこく。
「わかった!」
勇んで。
「えいっ」
(わ……)
肩車。
「うわー」
万感。こみあげる。
「ハナちゃん、ぜんぜん変わらない」
じわり。
「うれしい……」
それは。
(……うん)
二人の。大切な。
「っ」
そのとき。
「………………」
平静を。
(誰だ)
見られている。通りすがりの興味のまなざしといったものではない。
(監視……)
何の。誰の。
わからないながらも。
(昨夜)
警告された。これが。
「ねー、ハナちゃん」
一方。
「おなか、空いてる?」
こくこく。
「だよね」
肩からおろし。
「ちゃんと持ってきてるから」
シートを引くと、ランチボックスを並べ始める。
「ほら、あなたも」
「あ……はい」
視線から意識をそらせないまま。
それでも、気づかれたそぶりを見せないよう、シートの上に座る。
「あ」
すでに。頬をいっぱいに。
「こういうとこも変わらないなー」
愛おしげに。
「は、はあ」
こちらが。むしろ恥ずかしく。
「あなたも」
「はい」
いいのかと。旺盛な食欲を見せている『上司』に。
(う……)
こくこく。OKが。
(ハナさん……)
気づいていないのか。
(久しぶりの)
再会。それにすっかり。
「あ、あのっ」
いたたまれず。
「僕、飲み物でも買ってきます」
「あっ、それならもう」
声に。背を。
(どこだ)
視線を感じた方向。そちらにまっすぐ行くような真似はしない。
さりげなさを装いつつ。
それでも早足の。
(こっちから)
間違いない。と。
「鳴クン」
「!」
耳元。
「甘い」
あらがう間もなく。
「……っっ」
首に。
「こんなことだと思った」
(まさか)
それでも。認めるしか。
「ミン……さ……」
「フンッ」
一息。
「……く……」
あっさり。
(なぜ……)
わからない。まま。
ぺちぺち。
「……う……」
目を。
「ハナ……さん……」
じー。
「あっ」
そうだ。自分は。
「す、すいません、僕」
何をどう。言っていいのか。
「あ、見つかった?」
そこへ。
「こんなところにいたんだ」
「は、はあ」
しどろもどろに。
「寝てたの?」
そんなわけ。意識こそなかったが。
「疲れてるんだね」
優しく。
「あ」
なでなで。こちらも。
「ハナさん……」
これでは。
「いいお天気だもの」
そういうことでは。
「わたしたちもちょっとお昼寝しようか」
こくこく。
「え……あ、あの」
何かを。言う間もなく。
「い、いや」
同じ木陰に。
並んで。
「………………」
どういう。
「すぅ……」
寝息が。もう一方はやはり沈黙のまま。
「……ふぅ」
確かに。
(いい天気)
ではあった。
Ⅸ
(……つかまらない)
あれから。折を見て連絡を取ろうとしたが。
(ミンさん)
どういうことなのだ。
(あれは)
間違いなく。だったはずで。
(なんで)
それが。
「嫌いだった?」
「えっ」
手が。止まって。
「い、いえ、とてもおいしいです」
あわてて。
「………………」
かすかに。すまなそうな。
「あの、本当に」
言えば言うほど。
「ハナちゃんは」
隣の席で。
「よろこんでくれて」
昼と同じく。頬いっぱいに。
「はい、ハナさんは」
直後。
(……あ)
では、こちらは。ということに。
「いいの」
微笑。
「いい人なのね」
「い、いえ」
またも。
「よかった」
本心から。
「あなたで」
「え……」
どういう。
「ハナちゃんのそばに」
複雑な。
「もし」
ぽつり。
「悪い人がいたらどうしようって」
「ええっ!?」
そんな。
「合格」
言うも。
「かな」
全面的とは。
「ちょっと情けないけど」
こくこく。
「う……」
「ハナちゃんが一番わかってるよね」
こくっ。
「はは……」
力なく。
「でも、本当に楽しかった」
せつなげに。
「戻らなくちゃ」
「えっ」
「仕事がね」
笑みを。作り。
「ハナちゃんもでしょ」
無反応。
「ハナちゃん」
そっと。
「本当に優しいね」
小さな手が。抱きしめ返す。
「ハナちゃん……」
そのまま。
(えーと……)
声を。かけづらく。
(まあ)
かけることも。
幾年かぶりの。
(でも)
どう。思って。
『そこは騎士の存在しない世界なの』
重い。
(それでも)
存在している。
自分たちは。
その気持ちまではどうにもできないと。
(ハナさん……)
仲良く。寄り添う姿に。
「あの」
つい。
「実はハナさんは」
瞬間。
「!?」
テーブル越し。
「ぐほっ!」
フライングクロスチョップ。
「ハナちゃん!?」
華麗な着地。テーブルの上の料理も飲み物も一切無事なまま。
「ぐ……ぐふっ」
直撃。立つことが。
「どうしたの、いきなり」
こちらも聞きたい。
「うぐ!?」
立たされる。
倒れた椅子も戻し。そこに。
「………………」
何事も。なかったように。
(む……)
無理が。
さすがに思ったものの、当人は自分の席に戻り、再び旺盛な食欲で頬をパンパンにするのだった。
「ちょっと、スカイランサーみたいだった」
別れ際。
「え……」
聞き覚えの。
「スカ……?」
「あ」
残念そうに。
「見てないんだ」
「えっ」
ぎゅうぅ~。
「痛っ」
太ももを。
「怒らないで、ハナちゃん」
怒られるようなことなのか。
「わたしの漫画」
「え……」
「主人公なの」
「あっ」
怒るのも。
「すみません、僕……」
「いいの、いいの」
気にしていないと。
「それでもつき合ってくれたんだ」
「は、はぁ」
「ハナちゃんのために」
正確にはつき合わされたのだが。
「やっぱり、いい人だね」
(う……)
面と向かって。言われるのはやはり。
「いえ、普通で」
「そんなことないよ。ねー、ハナちゃん」
こくこく。
(え、えーと)
うなずかれても。ある意味でこちらより『普通でない』人に。
「ハナちゃん」
駅の前。
「ありがとう」
言って。
「わたしの漫画、これからも読んでくれる?」
こくっ! 力いっぱい。
「……よかった」
それだけを。
「あっ」
思いがけなく。あっさり。
「………………」
あぜんと。
「あ」
我に。
「あ、あの」
いいのかと。
「ハナさん……」
反応は。なかった。
Ⅹ
戻ってからも。
(何だったんだろう)
気には。かかって。
(まあ)
当人が。
(……いや)
無表情。
(ハナさん)
どう。思って。
「あっ」
ふらり。
「ハナさん!」
驚いて。
「どうしたんですか? ごはん食べなかったとか」
それくらいしか。
「違う……」
らしい。
「あっ」
ふらふら。しながら。
「休んだほうが」
いつも元気印である分。余計に。
「放っときなさい」
「えっ」
それは。
「ミンさん」
思いがけない。
姉妹同然。言っていい。
「忘れなさい」
ふらついている。その耳元で。
「あ、あの」
どういう。
「あっ」
ふるふる。頭を。
(ハナさん……)
何を。
「あきらめなさい」
念を押すよう。
「ハナ」
無表情。しかし、はっきり。
「厳しい世界みたいね」
不意に。
(えっ?)
先ほどから何の。
「そういうこともあるわよ」
ふるふる。またも。
「ハナ」
語気が。
「ミ、ミンさん」
見ていられず。
「どうしたんですか」
それだけを。それだけしか。
「ショックなのよ」
「は?」
「終わったの」
何が。
「ハナの大好きな」
「……!」
まさか。
「漫画がよ」
突然のこと。だったらしい。
「ハナさん……」
なぐさめようが。ずっと沈んだままで。
「あ、あの」
それでも。
「連絡を取ってみたら」
事情を。
「あ……」
ふるふる。拒絶の。
(どうして)
気にならないのか。
ならないはずが。だって、こんなに。
(僕たちが)
騎士。だからなのか。
(それでも)
友人同士が。
「………………」
なら。
「あの」
おそるおそる。
「お休みをいただけますか」
(よかったのかな)
ここまで来ながら。
(えーと)
見上げる。
(ここで)
いい。はずで。
「失礼しま……」
いや、ビルのエントランスでこのあいさつは。
(じゃあ)
何と。
「え、えーと」
入るなり、ますます戸惑って。
「あのっ」
それでも。
「よろしいですか!」
おかしい。
(あ……)
きょとん。受付の女性の。
「うう」
苦笑されるも。
「あ、ありがとうございます」
説明されるまま。用紙を手に取る。
(ここに)
名前と訪問の理由、その相手を。
(………………)
しかし。
(何て)
書けば。
用件があるのは確かなのだが。
(どうして)
連載が終了したのか。そう書いて。
(教えて)
くれるとは。
「あっ」
不審そうな。
(早く……)
何か。
「あのー」
そこに。
「どうされたんですかー」
「あ、いえ」
あせり。
「その、書き方がよくわからな」
「ふんっ!」
「ぐほっ」
容赦ない。
「あーら、どうしたんですかー」
猫なで声で。
「ご気分が悪いんですかー? では、こちらにー」
抵抗できず。
(な、なんで……)
先日と。同じ。
(ミン……さん)
その声は。
Ⅺ
「人違いです」
(い……)
いやいや。
「ミンさんで」
「ナースです」
その時点で。
(なぜ)
病院でも何でもないオフィスビルに。
(それ以前に)
どうして。自分の前に。
(先回り……)
思ったものの、それはそれで。
(なんで)
こんな格好で。
「あの」
堂々巡り。それでも。
「僕は」
真剣な。
「ハナさんのために」
「だったら」
制され。
「まずは自分が元気にならなくちゃ~❤」
「……え?」
どういう。
「む、無理が」
全体的に。
「は?」
剣呑な。
「この格好に? 無理するんじゃないって?」
「そんな」
言ってない。
「ハッ!」
我に返り。
「あー、ダメダメ。在香さんじゃないんだから」
(やっぱり……)
その名前が出た時点で。
「ハッ!」
再び。
「いまのは聞かなかったわよね」
「………………」
何と。
「とにかく」
強引に。
「寝てなさい」
「は?」
「患者は何もしないこと。いいわね」
圧が。
「い、いや」
そういうわけに。
「また眠らされたい?」
「う……」
勝てない。
「いい?」
念を押し。
「………………」
一人。
「……い……」
行ってしまった。
「ど、どうし……」
おろおろ。
(ここって)
簡易の医務室。というより休憩室か。
(こんなところに)
残されて。
(……いや)
ただ。おとなしくは。
「ごめんなさい」
口に。
「っ」
そのとき。
「あ、あれ?」
影。
窓の外に。
(ここ……って)
ビルの高層階。見える限りでは。
「!」
ひょい。斜め上から。
「ハナさん!?」
窓辺に。
「ちょ、な、ななっ」
何をして。
「う……」
じー。ガラス越し。
「いえ、あの、その」
こちらが。詰問されているような。
「ごめんなさい」
再びの。
「あ」
こくっ。許すと。
「あ、ありがとうございます」
思わず。
「あ、ちょっと!」
スッ。
「ま、待っ」
窓を。しかし、高所のそれが簡単に開くことはなく。
「くっ!」
扉のほうへ。
「きゃっ」
「あ、すみま――」
謝罪を。
「!」
直後。
「あっ」
向こうも。
「ひょっとして」
眼鏡越し。
「ハナちゃんの」
息を。
「どうして」
「そ、その」
まさか。こんなところで当人と。
(当人……!)
はっと。
「あのっ」
あわてて。本来の。
「あ!」
背を。
「え、ち、ちょっと」
あせって。
「待ってくだ――」
足が。
「!?」
ズダーーン!
「だっ!」
顔面から。
「く……」
まさか。こんな。
(患者って)
言われていた。本当に何か身体に。
「あ」
からみついて。
「ハナさん!」
どこから。外にいたはずで。
「……!」
部屋の中。
身体を出せないようわずかにしか開かない。その窓が。
(まさか)
あそこから。
いや、いくら小柄とはいえ。
「あっ」
我に返り。
「は、離してください」
ふるふる。
「え……」
じー。
「いや、あの」
責められている。
「僕は」
ただ話を。
「な……」
ふるふる。許さないと。
「どうして」
答えは。
「あの」
それでも。
「ハナさんは」
心配で。それで。
「う……」
やはり。見つめられ。
「わ」
言っていた。
「わかりました」
こくっ。うなずくも。
「あ、あの」
離れない。
(うう……)
どうすれば。
「ハナさん」
弱り切って。
「ここは、その、会社で」
こくこく。
「こんなことをしていると」
迷惑が。
「先生に」
ぴくっ。
「ハナさん?」
離れる。
「あ……」
手が。
「ど、どうも」
あわてて。それを。
(やっぱり)
心配。その想いは。
「会いに行きませんか」
ぴくっ。
「よろこぶと思いますよ、ハナさんが来てるって知ったら」
ふるふる。
「そんな」
頑なに。
「友だちで」
ぴくっ。
「ハナさん……」
やはり。騎士ということが。
「あ、あの」
思い出したと。
「ミンさんもこちらに」
ぴくぴくっ。
「え……」
知らなかったのか。
「いえ、その」
どう。言えば。
「あっ」
歩き出す。
「あの、ど、どこに」
答えない。
「ハ、ハナさん」
怒っている。
(どうして)
わからない。そんなことだらけだった。
Ⅻ
「あの」
本当に。
「いいんですか」
うなずく。とはならず。
「ハナさん……」
複雑な。
(やっぱり)
まだ。
「あ……!」
人が。向こうから。
「お、おつかれさまです」
思わず。
(う……)
きょとん。されるも。
(ふぅ)
とがめられることなく。
「よかったですね、ハナさん」
こちらも。
(まあ)
めずらしくないのだろう。
子どもが。
漫画の出版社を見学しに来るのは。
(子ども……)
口には。
(う)
見られている。
(でも)
ほとんど。完璧と。
ただ野球帽をかぶっただけで。
「ファンですものね」
きょとん。
「だから、いいんです」
強引な。
(それにしても)
どこへ。行けば。
(聞くしか)
素直に教えてもらえるかは。
「って、ハナさん!?」
くいくい。あらたに通りかかった人に。
「ち、ちょっと」
あわてて。
「あの、この子は」
ぎゅうっ。
「痛っ」
怒っている。
「えっ」
向こうから。
「あ、ありがとうございます」
迷子なら。一階の受付で相談するようにと。
「う……」
ますます。機嫌が。
「え……僕は」
こちらに。
「その」
保護者。が一番自然か。
本当の関係を口にしたら、かえって不審に。
(あ)
そもそも、向こうは迷子を連れていると。
「え、えーと」
どう。
「先生に」
つい。
「会いに……」
本当の。
「アシスタントです」
(えっ)
それは。
「あ……」
いた。
「ご迷惑をおかけして」
頭を。あわててこちらもそれにならう。
隣でも同じように。
「ハナちゃん……」
眼鏡の。奥。
「来て」
短く。そして、背を。
「あっ」
思いがけない。
「すみません」
とにかく。後に。
「そればっかり」
「……!」
「情けない」
ズバリ。
「あ……う……」
こんな。キツい人だったかと。
「ハナちゃん」
ぴくっ。
「帽子が曲がってます」
いそいそ。
(ハ、ハナさん)
そんなことより。
「行くわよ」
「は、はい」
こちらも。ただ従うばかりだった。
無言の。
(まあ)
いつもと変わりはないのだが。
加えて、頬も。
パンパンで。
山盛りにされたカレーライスのために。
(あ……)
見つめる。目が。
先ほどまでの厳しさから一転。
「っ」
こちらの視線に気づき。
「どうやって」
つくろうように。険のある声で。
「ビルに不法侵入したの」
「不法って」
そんなつもりは。
(ナース服の人が)
自分を。どうやら連れこんだらしい。
意識を奪った上で。
(そんな)
言えない。あり得ない。
いや、実際にあったのだが。
(それに)
もう一方も。そういう『つもり』だけはなかったはずで。
(うう……)
しかし。
「ごめんなさい」
「また」
ますます。
「どうして、あやまるの」
(どうしてって)
「悪いのは」
言って。
「………………」
「?」
「はぁっ」
息を。大きく。
「違う……」
「えっ」
「違う違う違う違う!」
堰が。
「………………」
あぜん。
「あ、あの」
何が。
「あっ」
いつの間に。
「ハナちゃん……」
なでなで。背伸びをして。
「……っく……」
くしゃり。
「ハナちゃぁぁん……」
無防備な。
「馬鹿だねえ」
自分に。
「あやまるのは」
ふるふる。
「でも」
再び。
「……ぅ……」
涙。
「ハナちゃん」
頭を。もたせかける。
(……そうだよ)
これが。騎士なのだと。
(僕も)
いつか。
「きゃっ」
不意の。
「ハナちゃん!?」
驚く。こちらも。
「え……なっ」
喫茶店。人目もある中。
(いきなり)
お姫様だっこ!?
「あの、ハ、ハナちゃん」
外へ。
「ち、ちょっ」
あわてて。追うしか。
「待ちなさい」
止められた。
「そこの野球少年」
カチン。
「あっ!」
はるかに。オフィス街では違和感の。
「ミンさん!」
「フフッ」
意味深に。
「何のこと?」
こちらが聞きたい。
(ミンさん……)
の。はず。
自信が。
(大体)
なぜ。ナース。
あらためてなのだが。
「あ、あの」
だっこ。されたまま。
「どういう」
こちらに。
「え、えーと」
答えようが。
「あっ」
下に。
「ハナちゃん」
心配そうに。
「あ……」
平気。うなずく。
「ハナ」
厳しい。ナース姿をしていても。
「わかっているの?」
応えない。
が。
(あっ)
かすかに。目が。
「ハナ……」
やわらぐ。
「帰るわよ」
応えない。
「まだ、いまなら」
言って。
「………………」
その先を。
(いまなら?)
何だと。
(何か)
起こるとでも。
「っ」
その変化は。
「最悪ね」
「え……!」
知って。こうなると。
「な、何? どうしたの?」
気づいていないのは。
「きゃっ」
再び。
「ハナちゃん、も、もう」
拒もうとするも。
「ハナ」
こちらも。
「行けるわね」
こくっ。
「鳴クンも!」
「はいっ」
背筋が。
「えっ、ちょっ、何」
さすがに。
「来るわよ!」
来た。
「!?」
目を。
「な……」
昼間のオフィス街に溶けこんでいた。通行人たちが一斉に。
「槍!?」
手に。それは。
「走って!」
一直線。
続く。
ためらいのない。
「万里小路(までのこうじ)流!」
(えっ!?)
いつの間に。
こちらの勢いにひるみ、逆に前に出ようとしたところを。
「はっ!」
気合。しかし、力みのない。
(あっ)
完璧。言いたくなる。
(すごい)
相手の攻撃を。そのまま。
自分でも、ここまでやれるとは。
「ぼうっとしない!」
「っ」
背を向けたまま。
(すごい……)
あらためての。
「返事!」
「は、はいっ」
続く。
開いた包囲の隙間。
「うおぉっ!」
ねじこませる。
駆ける。
オフィス街。一直線に。
「っ……っっ……」
だっこされたまま。口を。
「大丈夫」
代弁するよう。
「守ります」
言っていた。
ⅩⅢ
「わたしたちのせいなんだけどね」
言われた。
「……え?」
それは。
「僕たちの」
「そう」
あっさり。
「………………」
とっさに。
「で、でも」
なんとか。
「あんなこと」
予測できる。はず。
「できた」
またも。
「わたしたちはね」
真剣な。
「いてはいけない国にいるの」
「………………」
言葉が。
「ど……」
それでも。
「どうして」
「この国で騎士は存在しないことになっている」
言って。視線を。
「ハナちゃん、大丈夫?」
こくこく。
「でも……重かったでしょ」
ふるふる。
「優しいね」
しみじみ。
「ふぅ」
ため息。そんな光景に。
「ミンさん……」
なぜ。
「慎重に」
「えっ」
「のはずだったんだけど」
どういう。
「ハナちゃん、力持ちなんだね」
こちらは。
「あっ、ボルダリング?」
きょとん。
「でしょ。高いとこに登るの好きだったから」
こくこく。それは。
「だからかー」
納得と。
「い、いや」
そういうことではなく。
「鳴クン」
袖を。
(あ……)
都合の。悪いことか。
二人の前では。
都会のオアシス。
そう。
名前は知っていたが、こんなところにあるとは知らなかった。
公園、と言うには緑が密な。すこし離れただけでも、人目を避けて話を聞かれないようにするには十分な。
「存在しないの」
それは。
「この国に騎士は」
何度目かの。
「正確には承認されていない」
「承認……」
はっと。
「それって」
「そのままの意味」
指を。
「主権実体」
「へ?」
「そう呼ばれる組織よ」
「………………」
知らない。
「はぁー」
ため息。
「キミねぇ」
にらまれる。
「一応は騎士なんでしょう」
(一応って)
言い返せない。
「現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)」
自分たちの所属する。現代でもなお、世界各地に一万もの騎士を擁する集団。
「それがそうよ」
「え……」
つまり。
「主権……実体」
「そう」
うなずく。
「国家に並ぶ権利と資格を持つ団体。実際、国家間の争いに国と同格の立場として参戦した歴史もある」
歴史。その重み。
結成九百年を超えるがゆえの。
「それでも」
かすかに。
「すべての国じゃない」
苦い。
「その立場を承認していないところも少数だけど存在する」
「それが」
この国。自分の生まれ育った。
「知らなかったでしょう」
こちらを。
「現代にも騎士がいるなんて」
「それは」
「ただの名誉称号じゃない。本当に騎士槍を手にして戦う、ね」
「………………」
その通りだ。〝師〟に島につれていかれるまでは。
「あっ」
そうだ。
「あの、ミンさん、万里小路流って」
「教わったの」
さらり。
「この格好もそう」
「ええっ!」
ナース服も!?
「知ってるでしょう」
「う……」
知っている。
(師範なら)
こういうことを。
「すこしはカモフラージュにもなるかと思ってね」
言いつつも。複雑な。
「あっ!」
思い出す。
「カモフラージュって」
当然。
「あの」
襲いかかってきた。
(でも)
承認されていない。それだけで。
「……!」
つながる。
「そう」
気づきが。正しいと。
「この国は」
そこへ。
「わっ」
不意に。
「ハ、ハナさん?」
あわあわ。無表情ながら。
「まさか」
再びの。
「先生は!?」
あわてて。
「……っ」
いた。うずくまって。
「あの」
怪我でも。
「……たい……」
こぼれる。
「わたし……」
嗚咽と。
「やっぱり描きたいよぉ!」
ⅩⅣ
ランスの仮面――それは。
(えぇ……?)
同じ。
(ハナさん……)
違うのは。
(仮面が)
それだけ。あとはもう。
仮面をつけた謎の騎士。正体はクラスメイトの小柄な女の子だが、そのことは周りの誰も気づいていないと。
(騎士って)
はっきり。
「あ、あの」
顔を上げると。
「おもしろかった?」
「う……」
逆に。
「その」
口ごもるも。
「おもしろかったです」
正直な。
「おもしろいのよねー」
困ったと。
「だめなんですか?」
納得が。
「おもしろいなら」
問題は。
「あっ」
思い出す。
(だったら)
なぜ。終わりに。
『やっぱり描きたいよぉ!』
心を衝く。
(先生には)
想いが。
「どうしてるかしら」
「えっ」
不意の。
「あ……そ、そうですね」
離れで。いま。
(それにしても)
ギシギシ。きしむ板張りの。
(変わらない)
万里小路流道場。
都心にあると思えないほど年季の入った。
(まあ)
都会のすべての建物が新しい。と限ったものでもなく。
『エイジングハウスよ、エイジングハウス』
古民家などと呼ばれるのは『そこまでじゃないし、人寄せのウソものっぽい』などと嫌っていた。
現在、その主は不在だ。
遠い異国の〝弟子〟たち相手に、いまもなかば理不尽な指導を行っているのだろう。
この自分がされたのと同じように。
「失礼します」
戸を。
(う……)
変わらない。
座蒲団でうずくまったまま。
当然のように、お茶にも手がつけられては。
「あっ」
そこで。
「ハナさんは」
一緒に。いると。
「えっ」
顔を。
「………………」
泳ぐ。瞳。
「あー」
隣で。
「まずい」
「えっ!?」
何が。
「ちょっと」
引っ張られる。
「あの、その、ハナさんは」
「もうここにはいない」
そんな。
「じゃあ、どこに」
「決まってるでしょ」
決まってるのか。
「戻ったのよ」
「……!」
まさか。
「あそこに」
「あそこによ」
念を押す。
「出版社のビルによ!」
(どうして)
思うも。
(ミンさん)
ずっと付き合いの長い。その人が。
「あっ!」
いた。
(ま、また)
壁を。
(なんで)
中からでなく。いや、簡単に入れてくれないとは思うが。
「あの子らしい」
「ミンさん……」
言っている場合では。
「つかまえてきなさい」
「は!?」
そんな。あっさり。
「命令よ」
「う……」
上位者には絶対服従。それが騎士の掟。
『どうやって』
言いたいところを。
「は、はい」
うなずくしか。
(情けない)
思いながらも。
「ハ、ハナさーん」
「バカ!」
すぐさま。
「バレたら大騒ぎでしょ!」
「それは」
その通りなのだが。
幸いというか。周りを行くスーツ姿の人々は自分たちの用事に気を取られているようで。
「あ……」
生々しく。先ほどの〝襲撃〟のことが。
「とりあえず」
肩に。
「いまのところは平気みたい」
「えっ」
なぜ。
(あっ)
警戒を。していないはずが。
(そうか)
こちらを行かせるのは。自分はここで退路の安全を確保するため。
(そんなことも)
わからず。何をぐずぐず。
「行きなさい」
上位者には絶対服従。
それだけに。
重い。
そのことを承知している者だけが騎士を名乗れる。
「行きます」
あらためて。
己にも。言い聞かせるよう。
「ああ、先生の」
こちらを見た。受付のほうから。
「何か忘れ物でも」
「いえ、その」
言葉を濁していると。
「はい、そうです。アシスタントの方が」
内線で。
「わかりました。そちらにお通しします」
あっさり。
「どうぞ」
入館証を渡される。
「ど、どうも」
恐縮しつつ。
(ハナさんは)
どこに。
ほんのわずかいただけで、中に詳しいとはとても言えない。
それでも。
(上)
とだけは。
(先生……)
悲しむ。その姿に。
「あっ」
締まりかけたエレベーターが。
「の、乗ります」
思わず。
「あ……一番上を」
親切に。同乗者が。
「………………」
沈黙の。
(ん?)
と。
(あれ?)
普通のオフィスビル。のはず。
(屋上……)
Rの表示。そのまま他の階に止まることなく。
「え、あ、あの」
このようなビルで。屋上に直通ということは。
「あっ」
開く。そこに。
「ハナさん!」
前に。
「っ」
槍先が。こちらに。
「な……」
なぜ。
「!」
背後から。
「あっ」
親切にボタンを押してくれた。
(まさか)
肯定の。
「ようこそ」
やわらかく。
「現世騎士団のみなさん」
間違いない。
「!」
突先が。
「うわっ!」
ギリギリ。かがみこんだ頭上を。
「乱暴ですね」
見た。
「……!」
止めていた。指にはさんだ一枚の紙片で。
(名刺!?)
馬鹿な。
「まずはご挨拶を」
丁重に。
「『ランスの仮面』を担当させていただいております」
(!)
何と。
(あっ)
槍に。動揺の。
「先生には」
それを見越したよう。
「いつも、お世話になっております」
槍が。
引かれる。
(ハナさん)
当然と。言うべきか。
(けど)
問答無用に槍を向けた。その騎士の〝本能〟のほうは。
「あ……」
深々。頭を。
「いえいえ」
謙遜するように。
「どうぞ」
名刺を。
(も、もらうんだ)
くいくい。
「えっ」
手を。こちらに。
「あの」
何を。
「お気になさらないでください」
察したと。
「先生方は普段あまり名刺を持たれませんから」
(あ……)
名刺交換。
(い、いやいや)
くいくい。
「持ってませんよ、僕も」
当然で。
「本当にお構いなく」
にこやかに。
(一体)
何者だ。
「あ、あの」
おそるおそる。
「先生の……担当さん?」
「はい」
うなずき。
「わたくしが休載をお勧めしました」
「!」
つまり。
「あっ」
戦意が。またも。
「あらためて」
一礼。
「わたくし」
驚きの。
「来世騎士団(ナイツ・オブ・ヘヴン)の代理人です」
ⅩⅤ
「ば……」
馬鹿な。
(でも)
可能性を指摘され。思い起こされたのも。
(〝ヘヴン〟……)
〝騎士団〟の宿敵。自分が所属する直前、存亡を賭けた大戦をくり広げた。
「この国は」
はっと。
「騎士を承認していません」
「!」
それは。
「だから」
指を立て。
「槍はナシです」
「え……」
こくこく。
「ハ、ハナさん」
何を。
(大体)
先に。こちらを。
「ペンは槍より強し」
「……!?」
「言うではありませんか」
違う。微妙に。
「というわけで」
何が。
「行きましょう」
「い、行く?」
どこに。
「決まってるでしょう」
落ち着きの。まま。
「打合せですよ」
「よろしくお願いします」
カチコチ。
(ハナさん……)
どういうつもりで。
緊張の。これでは本当に。
「では、作品を」
(いやいや)
そんなものが。
「あるんですか!?」
差し出される。
(まさか)
最初からこれを渡すという目的も。ただ抗議をするのではなく。
(これが)
正々堂々。ということになるのか。
出版社に対しての。
「拝見します」
受け取りつつ。
「あ、コーヒー、どうぞ」
(そんな)
場合では。言いたいが。
(う……)
場所的には。とてもいい雰囲気のクラシックな喫茶店で。
「カレーもどうです?」
ぐぅぅぅ~。
(ハ、ハナさん)
緊張していても。
と、だから、そんな場合では。
(それにしても)
喫茶店にカレー。この界隈では基本なのだろうか。
先につれていかれた店でも。
(あ……)
そうだ。そもそも自分たちは。
「あ、あの」
かなりの疑問は。ありつつ。
「先生の、その」
「ちょっと待って」
手を。
「集中してますから」
原稿に。目を落としたまま。
(い、いや)
だから。こんなことを。
「だめですね」
ガーン。ショックの。
(いや、ハナさん)
本気で。
「ただし、これは当誌の現在の方向性を鑑みた上での意見です」
一転。にこやかに。
「どうでしょう」
どう?
「こちらで」
悠然と。
「本格的に学んでみるおつもりは」
ビビッ。ふるえが。
(ハナさん!?)
本気で。
「いかがです」
こくこく。
「ちょっ」
さすがに。
「ベンは」
指を。
「槍より強し」
こちらに。
「言ったでしょう」
言われた。
「あなたも」
「えっ」
「どうです?」
「ええっ!」
それは。つまり。
「っ」
こくこく。
「ハ、ハナさん」
本気か。本当に。
「決まりましたね」
「えええっ!?」
決まって。
「期待してますよ」
肩に。
「あ、いえ」
その手を。
(ううう……)
払えなかった。
ⅩⅥ
「ここです」
古い。道場も相当なものだが。
(エイジング……)
まさに。な。
昭和中期を思わせる建築様式。上が一回り小さな二階建て。壁面をところどころ伝う植物のつるも『まさに』だ。
「聖地です」
「えっ」
「この辺りは」
(ああ……)
そういう。
「漫画の」
「伝説と呼ぶべき先生方がたくさんいらしたんですよ」
「どうして」
「家賃が安かったからです」
身もふたもない。
「でなければ、遊園地ができたりもしませんよ」
そうかもしれないが。
「いまは事情が違いますがね。もっと家賃の安い西の……あるいは逆に東方面に都心を出て」
「あ、あの」
そんなことより。
「まあ、アシスタントさんと作業は別々ということも多いんですが。そもそも上京しない方もたくさん」
「だから!」
強く。
「どうして、僕たちが」
と。すでに。
「あれ!?」
いない。
「さあ、あなたも」
うながされる。
「いや」
拒もうと。
「う……」
すでに。
「ハ、ハナさん……」
中では。
「いいですねー」
畳敷きの四畳半。それと完全に調和した丸いちゃぶ台の前で。
「すばらしい気合です」
(すばらしい?)
見た目は。そう。
なのか。
(こんな)
いつ用意したのだろう。
ハチマキに黒ぶちの丸眼鏡。ランニングシャツに腹巻という。
(昭和……)
かと。
「あ、ペン先の替えはこちらに用意してありますから」
(ペン……)
紙にGペン。
これもいまではかなりレトロなスタイルと何かで見た記憶が。
(まあ)
デジタル機器を使いこなすほうが想像はしづらい。
「ほら」
「えっ」
「先生にお茶を」
「あ、は、はい」
反射的に。
「えーと」
台所はすぐ隣に。かなりせまい。
キッチンでなくてこれもまさに『台所』な。あるいは『お勝手』か。
ガスコンロに火をつけ、丸いアルミのやかんでお湯を沸かす。常滑の急須に茶筒から適量の茶葉を入れる。この手のことは道場で仕込まれている。
湯飲み。寿司屋で出てきそうな円筒形の大きなそれに熱い番茶を注ぎ。
「お待たせしました」
こくっ。こちらを見ることなくうなずき、ペンを動かし続ける。
「が、がんばってください」
思わず。
「では、わたくしは」
「えっ」
行ってしまうのかと。
「不安ですか」
直截な。
「戦っているのです」
はっと。
「クリエイターは、みな、その不安と」
「い、いや」
そういうことでは。
「がんばってくださいね」
にっこり。
「あ……」
行かれてしまう。
「………………」
一人。ではなく。
(ハナさん)
カリカリカリカリ。
(ま……)
真面目だ。というより真剣な。
(それにしても)
どこで描き方を。
独習。あるいは。
(誰か)
描いていた。それを。
最近気づいた。普段言葉を口にしないせいか、見ることや聞くこと、いわゆる観察力には人並外れたところがあると。一度見ただけで、複雑な手順も覚えてしまうような。
(でも)
誰の。身の回りには。
(あっ)
そうか。
(先生の)
学生時代。その。
(だから)
いっそう。何とかしたいと。
「……わかりました」
うなずき。
「お茶、さしかえますね」
こくっ。
(そうだ)
できることは。ただ。
ⅩⅦ
(あ……)
暗い。室内。
(寝ちゃって)
うっかり。といっても、やることのほとんどない身には逆に限界が。
「あっ」
声が。
「っ……」
闇の中。影がそれに反応する。
「しーっ」
こちらに。
「起きちゃうから」
言われて。
「ハナさん」
ちゃぶ台に。おおいかぶさるようにして。
「かわいい」
確かに。愛らしい寝顔で。
鼻ちょうちんも。
「がんばってくれてるんだね」
これまた昭和な。大きいどてらを布団代わりにかけ。
「わたしのために」
「えっ」
すると。
「図々しいって思った?」
「あ、いや」
「違うんだよ」
しみじみ。
「ハナちゃんはね」
見つめる。
「いつでも、誰かのために一生懸命なんだ」
それは。
「自分のことよりずっと」
目を細め。
「困ってる人がいたら絶対に放っておかない。ちっちゃな身体でいつも走りまわってた」
「………………」
わかる。
「同じですよ」
「えっ」
「優しく」
まさに。いま。
「……そうね」
しみじみ。
「ハナちゃんの優しさが」
伝わる。そう。
「わたしも今日はここで寝ようかな」
言って。
「キミも一緒に寝る?」
「ええっ!」
さすがに。
「ぼ、僕は」
とっさに。
「道場に戻ります!」
いまなら。ここを離れても。
(大体)
つれてきたのが襲撃の黒幕と思われる人物で。こんな迂遠なことをしておいて隙を突くような真似をするとは考えにくい。
けれども。はっきり。
(〝ヘヴン〟……)
どういうことなのか。知る必要があった。
「ふっ! はっ!」
気合。薄暗い板張りの道場に。
するどい。それでいて動きに力みはない。
(根本)
万里小路流合気の。
あっさりそう語れるほどに容易なことではない。
どうしても。
人体は声と共に力が入るようになっている。重い物を持ちあげるとき、自然に出てしまうのがその一例で。
完全に。抜き切って。
でありながら、抜いていない。
(すごい)
ここまで体得できている人間を。正直、師以外に知らない。
「感服しました」
心から。
「ふぅ」
こちらを。
「鳴クン」
「は、はいっ」
くいくい。手招かれる。
「え……」
それは。
(相手を)
しろと。
「で、でも」
心の準備が。
(……いや)
常在戦場。古流ではそれが当然の心構え。
「お手合わせ」
構えを。
「よろしくお願いします」
「カン違いしないで」
「えっ」
「万里小路流合気では」
真剣な。
「あなたが先輩よ」
「っ……」
その通りだ。
「失礼しました」
あらためて。
「一手」
緊張は。むしろ増す思いで。
「ご教授させていただきます」
「お願い」
短く。
「!」
踏みこまれる。
ためも、ひねりもない。
すべるよう。
(やっぱり)
完全に。呼吸をつかんで。
(でも)
応じられる。
知っている。
(師範の)
動き。究極と言えるその一切の外連のなさ。
はるかに及ばない自分。
それでも。
(見て)
目稽古。その言葉の通り。
「はっ」
知って。いる。
感じる。
目には頼らない。
むしろ、薄暗がりのほうが。
身体の。
厳しい習練を叩きこまれ刷りこまれたそれの。
応じるまま。
「ふっ」
「はぁっ」
かすかな気合。夜気をふるわせる。
踊るように。
流れるように。
ⅩⅧ
「おはようございます」
出勤。というか。
(働いてるわけじゃ)
ないのだが。
や、家事手伝いと。それも立派な。
「わっ」
ぐい。湯のみが。
「は、はい、お茶ですね」
さっそくの。
「あっ、わたしはコーヒーね」
「は――」
うなずきかけ。
「えっ!」
カリカリカリカリカリカリ。
「な……」
ダブルで。
「コーヒーは?」
「あ、は、はいっ」
あわてて。
「えーと」
あった。
(インスタント……)
いまでは。逆に。
「あのー」
お伺いを。
「早く!」
「は、はいっ」
怖い。雰囲気がまったく。
「でも」
やわらぐ。
「こういうの久しぶり」
ちゃぶ台をはさみ。
「誰かと一緒に」
笑みが。
「しかも、Gペンって」
手は。止まらず。
「お、お待たせしました」
それぞれ。
「ミルクと砂糖」
「あ、すいません」
コーヒー瓶の横にあったこれまたレトロなポーションとスティックシュガーを。
「知ってる?」
ポーションを。手に。
「褐色の恋人」
「えっ」
「これのキャッチコピー」
くすくす。笑い出し。
「どう思う?」
「ど、どう」
「初めて見たとき不思議だったの。『えっ、白いでしょ』って」
「………………」
「違うんだよねー。褐色〝が〟恋人なんだよねー」
「はあ」
「まー、向こうから見ればこっちが恋人なんだけど」
「あ、あの」
「ていうか、そもそも『褐色』って呼び方がねー。あははっ」
(う……)
完全におかしなテンションに。
しかし。手は休まない。
「はー」
心から。
「いい」
しみじみ。
「なんか」
それだけで。
(よかった)
笑顔。つくろいではない真実の。
(ハナさんも)
よろこんで。
(う……)
それどころでは。
一心に。無表情ながら。
「が、がんばってください」
それだけを。
「話しかけないで」
「………………」
おとなしく。引き下がるしかなかった。
「ふー」
小さな庭に出て。
「すごいなあ」
一生懸命。どんなことであってもその姿には胸打つものがある。
(ハナさん)
ここまで考えて。
(いや)
それこそ。ただ一生懸命なだけ。
描けなくなった友人の分まで、自分が力になろうと。
(力に)
しかし。
(本当に)
どういうつもりなのだ。
(こんな)
ペンは槍より強し。本当にペンで勝負させるつもりで。
『槍で戦うことは禁止よ』
昨夜。
(ミンさん……)
はっきり。釘を刺された。
『だから』
宵闇の修練の後。
『まあ、できることをよね』
手合わせの真剣さから一転。はにかみながら。
つまり。
(戦うための)
それも。手段。
(これだって)
きっと。
「よし」
軽く。気合を。
「あの」
四畳半に。
「何か用事は」
「食事」
すぐさま。
「ほら、ハナちゃんがお腹空かせてるでしょ」
ぐぅ~~~。ぎゅるるるるぅ~~。
(た……)
確かに。小さな身体からは信じられない獣のような。
それでも手は止めないのだが。
「あの、何を」
「簡単に食べられるもの」
こちらを見ることなく。
「描きながら食べるから」
「えっ」
そういうものか。それが当たり前なのか。
(あ……)
聞いたことが。
ずっと昔、下町に暮らしていた有名な浮世絵師は、目覚めるなり寝床で絵を描き、食事もすべて出前。掃除もほとんどせず散らかり放題だったと。
(そこまで)
して。完全に打ちこんで。
初めて。
「わ、わかりました」
気おされつつ。
「おにぎりかサンドイッチで」
「あと、バナナ」
「バナナ?」
「ハナちゃんが好きだから」
こくこく。
「わかりました……」
知らなかった。
食欲旺盛。好き嫌いのまったくない人の『好み』というのはかえって。
(けど)
知っていて。
(やっぱり)
そのつながりはこちらの思っている以上に。
「すぐ買ってきます」
言って。
「遅い!」
ぎゅぅぅぅぅ~。ぐぉるるぅぅぅぅ~~。ぐぉりゅりゅりゅりゅぅぅぅ~~~。
「す、すみません」
もはや怪獣レベルの。
「どうぞ」
手渡す。
「何これ?」
「バナナサンドを」
注文通りに。
「あのねえ」
そういうことではと。
「あ」
頬ばる。
「ハナさん……」
一サンド。全部口の中に。
「ふぅ」
もういいと。
「ありがとう」
言って。自分も。
「あー、糖分しみるー」
満更でも。
(大変だなあ)
当人も。付き合うほうも。
(でも)
こうして。生まれてくるものたちは。
(戦える)
そして。
(幸せ)
なのか。そんな。
「足りない!」
「えっ」
厳しい。
「もう、ないの?」
「あ、その、すぐに」
「ハナちゃんが」
指さす。
もぐもぐ。継続中。
これが終わる前にと。
「わかりました」
言う他。なかった。
ⅩⅨ
そんな日々が続き。
(いいのかな)
思わないでも。なく。
それでも。
(いまは)
集中してもらいたい。
というか、よけいな口が出せる空気ではなく。
道場と仕事場の往復が続き。
そして。
「………………」
脱力の。
気づいて。
「あ、あの」
声を。
「どうかしましたか」
「できた」
「えっ」
「会心の」
勢いよく。
「『ランスの仮面』よぉっ!」
一瞬。言葉が。
「……お」
それでも。
「おめでとう……ございます」
それだけは。
「おつかれさまっしたぁ!」
おかしなテンションのまま。
「行くわよ!」
「は?」
さすがにの。
「行くって」
「叩きつけてやるのよ」
叩きつける?
「これを! この傑作を! あいつらに!」
それは。
(まさか)
とにかくも。一人で行かせるわけにはいかなかった。
「ボツです」
事もなく。
「先生」
テーブルの向こう。
「だめって言ったじゃないですかぁ」
やわらかく。
けれど、その中に。
「わかりません」
肩を。
「どうして」
それだけは。
「んー」
困ったと。
「だめです」
それだけを。
「わかりません!」
直後。
「っ……」
こらえきれず。
「あ、あのっ」
見ていられない。
「おもしろいですよ、本当に」
「あなたは」
おだやかに。
「口を出さないでください」
そんな。
「これは」
微笑して。
「仕事の話です」
関係ない。言いたい。
(レディが)
涙。
(あ……)
認めていない。
(じゃあ)
これも。
「認められません」
「……!」
「くり返しますが」
差し戻される。
「この作品は」
それを。
「………………」
受け取らない。
「ふぅ」
嘆息。
「友だちが」
ぽつり。
「楽しみにしてくれてたんです」
ふるえる。
「つなげてくれたんです」
あふれる。
「もう会えないと。そう思ってた子と」
「そうですか」
わずかに。
「だから、やめられないと」
「はい」
「いいですね」
(えっ)
反応が。
「じ、じゃあ」
こちらも。驚き。
「はい」
うなずく。
「それにしましょう」
「!」
歓喜の。
が。
「……それ?」
「はい」
にっこり。
「いい話じゃないですか」
「………………」
「先生の体験をそのまま漫画に」
「そうじゃないんです!」
激昂。
「ぜんぜん違う! わたしは……わたしは」
パンパン。
「っ」
音。小さな。
「あっ!」
ガラス窓の向こう。
「ハナさん!」
べったり。
「ちょっ……また」
だから、誰かに見られたら。
(う……)
見られている。
「あ、あの」
おかしい。思いつつ。
「入っても」
「いいですよ」
あっさり。
「わっ」
にゅるり。
(す、すごい)
こんなせまい隙間から。
「ああ」
思い出したと。
「あなたも」
こくこく。
「では」
差し出された。それを。
「拝見」
手に。
「ふーむ」
しばしの。その間に。
「ハナちゃん……」
なでなで。
「ごめんね」
ふるふる。
「でも、わたし」
すると。
「すばらしい!」
絶賛の。
「ということに」
(な……)
どっちだ。
「さて」
こちらを。
「提案です」
「えっ」
「お二人がよろしければ」
悠然と。
「合作ということでいかがです」
ⅩⅩ
「馬鹿にしてる!」
ドン! 卓上の丼が。
「あ……わっ」
あわてて。
「あっ」
しょんぼり。
「ち、違うの。ハナちゃんとが嫌っていうことじゃなくて」
こくこく。
「ハナちゃん……」
わかっている。そう。
「ごめんね、ごはんの途中で」
ふるふる。
「いっぱい食べてね」
こくっ。
(いっぱい……)
ラーメン三杯に加えてチャーハンまでたいらげているが。
「おいしい?」
こくこく。
「基本だよね、チャンラーは」
言って。
「………………」
思案の。
「あの」
おそるおそる。
「餃子」
「えっ」
何を。
「ラーメンとチャーハンと餃子」
「は、はあ」
何と。
「ぜんぜん違うものだよね」
それは。
(そう……)
なのか。
「なのに」
なのに?
「そう!」
立ち上がる。
「あっ」
もぐもぐもぐもぐ。
「あわてなくていいよ、ハナちゃん」
こくっ。
(五杯目……)
勢い変わらず。
「ハナちゃん」
笑顔を。
「ありがとう」
きょとん。
「わかった」
(えっ)
何が。
「わたし」
拳を。
「がんばるね」
それは。
(えーと……)
どういうことに。
「よろしく、ハナちゃん」
頭を。
(あ)
こくこく。
わかったと。うなずくのだった。
「うーん」
仕事場に。戻り。
「どうしよう」
正直な。
「ねぇ、ハナちゃん」
首を。斜めに。
「難しいよねぇ」
こくこく。
(伝わってるなぁ)
あらためての。
「わたしはね、ハナちゃん」
それでも。
「ちょっとワクワクしてきたの」
微笑。
「だって」
指を組み。
「楽しいし」
こくっ。
「だよねぇ」
通じ合う。
「合作なのよね」
唐突に。
「最初から」
(え……)
どういう。
「ハナちゃんとわたしの」
(あっ)
そうか。モデルとして。
「よし!」
気合の。
「描き直す!」
力強く。
「誰も文句のつけられない『ランスの仮面』に!」
「えっ!」
それは。大丈夫で。
「やったるでぇ!」
おかしな。また。
「ハ、ハナさん」
がんばれー。手を。
「やるね!」
(男らしい……)
思わず。
「よーしよーし!」
どっかと。ちゃぶ台の前に座りこみ。
「ハナちゃん!」
こくっ。
「立って!」
………………。固まる。
「あ、あの」
さすがに。
「立ってますけど」
「違う!」
違わない。
「ハナちゃんらしく立って!」
またも。
「あの」
言わずには。
「それはどういう」
「だめなの!」
かきむしる。
「わたしたちが決めちゃ! それは本当のハナちゃんじゃないの!」
「お、落ちついて」
あわあわ。こちらも。
「ハナちゃん!」
ぴしっ。気をつけ。
「それがハナちゃんらしいポーズ?」
汗。
(ハナさん……)
追いつめられている。表情が変わらなくともそれは。
「さあ!」
うながされ。
(えぇぇ~……?)
ふよふよ。
「ハナちゃん……」
頭を振る。
(まあ)
おかしい。けれども。
(注文のほうも)
無茶が。
「ハナちゃん」
ずいっ。
「わかってる?」
ふるふる。
「そう……」
がっくり。
「わかってもらえないなんて」
(い、いや)
だから。
「おーい!」
そこへ。
「わっ」
軽い。地響き。
「うおー。ちっさい家だなぁ」
その通りではあるが。
それ以上に。
「あっ!」
驚きの。
「ハナちゃんのお母さん!」
(ええっ!?)
「あ……そうじゃなくて」
言葉に。
「まあ、そんなもんだからな」
身をかがめ。玄関を。
「うおっ」
それでも。
「あの、裏からなら」
「そっか」
こだわりなく。
「すいません、お客様に」
すっかり。主のような。
「よいしょっと」
縁側に。
「あっ」
座ろうとして。
「平気か?」
「えっ」
「いやー、壊しちまうのも」
可能性は。
「お」
バサッ。庭に直接。
「いいもんあんじゃねーか、ハナ」
シート。行楽用の。
「っしょ!」
ズン! またも。
「あ、あの」
「いいって、いいって。地球がオレの椅子だ」
豪快な。
「おまえらも……って言いたいけど、オレ一人で満杯だな」
確かに。
「すみません……」
恐縮しつつ。縁側に。
「あっ」
一人。
「お」
うれしげに。
「久しぶりだなー。ここがおまえの指定席だもんな」
こくこく。肩の上で。
(ハ、ハナさん)
いいのか。年齢的にも。
いや、見た目にはまったく違和感が。
「これよ!」
「えっ」
だだっ! 四畳間に駆けこむ。
「あ、あの」
すぐさま戻り。
手には、スケッチブック。
「ポーズ!」
瞬間。
「あ……」
カチコチ。
「しまったー」
失策。と。
「自然に……って言ってももう無理だよねぇ」
こくり。すまなそうに。
「ううん、いいよ」
らしいと。
「わかった気がする」
それは。
「ハナちゃん」
真剣な。
「遊びに行かない?」
ⅩⅩⅠ
「ほーれ、ハナー!」
高々と。
(うわ……)
あんな高さまで。
「よっと」
受け止め。というか着地。
周りから拍手が。
(サーカス……)
完全に。
「いいなー、わたしも」
「い、いや」
無理は。というか無茶だ。
「あっ、そうね」
我に返り。
「よーし」
鉛筆を。
(まあ)
自然な姿。というのは見せられているのかもしれない。
以前にも訪れた高台の公園。
青空の下。お気に入りの場所で。
伸び伸びと。
といった実年齢でもないはずだが。
「もういっちょ行くぞーっ!」
どちらも。何の屈託もない。
「はは……」
いいのかもしれない。
自分が。
なんだか。
(合作……)
こういうのも。一つの形。
「おい、鳴」
「えっ」
呼ばれて。
「はい、なんで」
むんず。
「!」
まさか。
「いっくぞーーーっ!」
まさかまさかまさか。
「わーーーーっ!」
まさかの。
「ひゃっ」
キャッチ。お姫様だっこで。
「なんだ、その情けない悲鳴は。オレが落とすとでも思ったか」
(ううう……)
情けないのは。この状況。
「ふふふふふっ」
(あ……)
笑って。
「おっ、嬢ちゃんもやるか」
「結構です」
あっさり。
そして、スケッチに没頭する。
「そっか」
気分を害した風もなく。
「え」
またも。つまみ上げられ。
「ハナ、行くぞー」
「えええっ!?」
まさかまさかまさかまさかまさかまさか!
「おらぁーーーーーっ!」
「ぎゃぁぁーーっ」
情けない。どころではない。
「!」
キャッチ。
ゆるぎなく。小さな身体で。
「ハ、ハナさん……」
お姫様だっこ。
完璧な。
「おーい、パスパース!」
まだ!?
「うぅわぁぁーーーっ」
軽々。
さらにあがる歓声。
「やっ、やめてくださーーーい!」
そんな。光景を。
「………………」
無言で。
描き写し続けていた。
「はぁっ……はぁっ……」
とんでもない目に。
「ありがとう」
「えっ」
横に。
「鳴くん……でいいかな」
「は、はい」
「鳴くん」
あらためて。
「いいかな」
「え?」
それは。だから。
「ハナちゃんを」
「え……」
「好きなようにして」
「………………」
とっさに。どう。
「ううん、これまでも散々」
意味が。
「あっ、ハナちゃん」
そこへ。
「ごめんなさい」
きょとん。
「あ」
こちらを。
「いえ、僕は何も」
「鳴くんはどうでもいいの」
どうでもいいのか。
「わたしね」
ずいっ。
「ハナちゃんに本気で取り組む」
きょとん。またも。
「合作だよ」
差し伸べた。
「よろしく」
手を。
「あ……」
握り。
「ふふっ」
寄り添う。
「ありがとう」
「よかった、よかった」
そんな光景に。
「ぜんぜん、よくないですから」
ため息まじり。
「お、ミン」
「なんで、館長まで来てるんですか」
ぐったりと。
「やー、久しぶりだしさー」
「それだけですか」
ぎろり。
「怒んなよー」
ひらひら。大きな手を。
「せめて、わたしのところにまずは」
「いや、だって」
かすかに。青く。
「おまえ、在香の姐さんのとこにいんだろー」
「不在ですよ、主は」
「つってもさー」
指を。情けなく。
「なんか、ヤじゃん」
「いい大人の言うことですか」
しかも、組織のトップに立つ人間の。
「つーかさー」
不満げに。
「任せてるだろー、区館のことは」
「それとこれとは話が別です」
あきれて。
「大きすぎますから」
「生まれつきだよ」
「じゃなくて」
影響力が。
「いまでも表向きは館長なんです」
「オレはいつ辞めたって」
「やめてください」
にっこり。
「だから、そう」
「じゃなくて」
わかっていて。
「あれで〝ヘヴン〟が完全に滅びたわけじゃない」
くらいのことは。
「まあな」
事実。
「この国だって」
高台から。都市を眺め。
「いろいろあんだろ」
「ええ」
わかっているなら。
「わからないんです」
正直。
「本当は」
何を。現在のその目的は。
「復活か?」
「そんな」
だったら。
「とにかく」
悠然と。
「ここでやりあうわけにはいかねえんだろ」
うなずく。
「だったら」
不敵な。
「簡単じゃねえか」
ⅩⅩⅡ
「うわぁ!」
子どものように。
「すごい、すごい!」
「へへーん」
どうだと。
「即売会」
にかっ。
「っつーんだろ」
「は、はい」
驚きが。まだ。
「だって」
見渡す。
「この規模は」
「キボ?」
首を。
「あー、デカいってことか」
「はい」
「オレが」
「えっ」
「冗談だよ、ハハハッ」
豪快に。
「好きなんだよ」
「え……」
「こいつら」
見渡す。
「あんたらの作ったものが」
こくこく。
「ハナちゃん……」
「まー、こいつが宣伝部長みたいなもんだからな」
ぽんぽん。頭を。
「他の区館からもずいぶん来てるみたいだぜー」
「クカン……?」
「まー、世界中からってことだ」
うんうん。と。
「世界中……」
再びの。
「すごい」
「すごいだろー」
得意満面。
「つか、すごいのはあんたらなんだけどな! ハハッ!」
バンバンッ!
「うぐっ」
「おっと」
力が入りすぎ。
「やべぇ、やべぇ。大事な先生に何かあっちゃあな」
「そんな」
「見てるぜ」
「えっ」
見ていた。
「わ……わわ……」
会場の。集まった多くの人たちの視線が。
「大人気だもんなー」
こくこく。
「行ってやれよ」
「い、行く?」
「待ってんだぜ」
言われ。
「……はい」
うなずいて。
「よしよし」
歓声に迎えられる。その姿をうれしそうに。
「考えましたね」
そこへ。
「公海上ですか」
「まー、そもそも海はオレらのフィールドだからな」
伝統的に。小さな島を拠点とした歴史が長いからこそ。
「それにしても」
感慨の。
「こんなに早くまたこれに乗ることになるなんて」
大型の特殊輸送船。
先日。この船は多くの騎士と馬たちを乗せ、決戦の地へと赴いた。
そこには、自分たちもいた。
(あのとき)
こうした日を迎えられるとは。
「うれしいだろうさ」
そっと。柱を。
「こいつも」
その言葉に。
「……ええ」
感慨。深く。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
「えっ」
聞こえてきた。いななき。
「ちょっと、館長」
「あ?」
「『あ?』じゃなくて。馬まで乗せてるんですか」
「そりゃ、乗せるだろ」
当然と。
「ファンなんだから」
「えぇぇ~……」
その『ファン』たちに。
「ぷりゅりゅー」
「ぷーりゅー」
「えっ、ちょっ」
あぜんと。
「馬!?」
「はぁ」
そばで。
「馬です」
それしか。
「ぷりゅー」
すりすり。
「きゃっ」
驚く。も。
「……ふふっ」
こちらからも。
(よかった)
ほっと。
「あら」
その目が。
「あの子はおとなしいのね」
「ああ」
そこには。
「トルカです」
名前を。
「ハナさんの馬なんですよ」
「えっ」
(あ……)
言って。よかったのかと。
「へぇー」
興味津々。
「キミ、ハナちゃんの馬なの?」
こくっ。
「ホントだ、そっくり」
確かに。言葉――でなくいななきを口にしないところも。
「優しい目」
そっと。鼻先に。
「わっ」
すりすり。
「……やっぱり」
しみじみ。
「優しい」
うれしそうに。
「きゃっ」
と。不意にの。
「ハナちゃん!?」
持ち上げられ。そのまま。
「ひゃっ……」
共に。
馬上の人に。
「え、ちょ、これは」
大勢に見つめられる中。
「あっ」
歩き出す。
(これって)
パレード。まさに。
「は、恥ずかしいって」
さすがにの。
「ハナちゃん、もう」
しょぼん。
「あっ、ううん、ハナちゃんの馬が嫌ってわけじゃなくて」
「ぷりゅぅー」
「ぷりゅりゅぅー」
「馬そのものが嫌ってわけでもなくて!」
(通じてる……)
訴えているほうも賢いというべきか。さすがは騎士の馬で。
(騎士の)
人気。圧倒的な。
こちらも信じられないほどの。
いくら、宣伝して回ったとはいえ。
(おもしろい)
から。ではある。
加えて深く。心を打つものがあったのかもしれない。
騎士の。
友情。
騎士ではない相手。すなわち、自分たちが護るべき普通の人との。
秘密でも。いまは秘密にするしかなくても。
いつか。
それは。
(みんなの)
希望。
「ち、ちょっと、鳴くーん」
「あっ」
なんとかしてほしいと。こちらを。
「あの、えーと」
あわてるも。
「がんばって……ください」
くらいしか。
「もうっ!」
こうなれば。
「行っちゃって、ハナちゃん!」
こくこく。
「ひゃあぁっ」
微笑ましげな視線の。その中を。
「跳ばなくていいからぁーーーっ!」
悲鳴。けれど、それは。
「ひゃっ……あはははっ」
解き放たれた。
そんな。
「もっと行っちゃって、ハナちゃーーん!」
甲板に。
「ひゃっほぉーーーーーっ!」
はしゃぐ。声が。
ヒヅメ音と共にこだました。
ⅩⅩⅢ
「知りません」
引かない。
「あなた方の都合なんて」
どこまでも。
「わたしはこれが描きたいんです」
「………………」
沈黙の。後。
「わかりました」
「っ……」
油断しない。安易に期待などしない。
「……ふぅ」
頭を。
「困りましたねえ」
何と言われても。
「どうしてもですか」
「どうしてもです」
「どうしても」
口に。
と。一転。
「認められないんですよ」
「っ」
ぞくり。
「その空気さえ醸成してはならない」
何を。
「わかるでしょう」
「わ……」
ふるえが。
「わかりま……せん」
「そうですか」
不吉な。何か。
「わたしは」
原稿を。
「絶対に」
抱え。飛び出す。
「絶対ですか」
ため息の。
「そんなもの」
「はっ、はっ……」
あせり。だけが。
(ううん)
むしろ、恐怖。理由の判然としない。
(なんで)
理由より、何より。
いまは。
「だめですよ」
「!」
前に。
「え……ええっ」
先回り? けど、そのようなルートがこのビルに。
「あー」
手で。顔を。
「わかっていない」
「えっ」
「どうして」
指を。
「後ろにいたのがわたしだと思うんです」
「え……」
何と。
「どうして……って」
そんなことは。
「あなたにとって」
たんたんと。
「何がわたしなんです」
何が。
「そんなの」
担当の編集者。で。
(あれ?)
目の前の――『人』は。
「編集者」
「っ」
「担当」
それで。
「あなたの情報量としては十分なはず」
「あ……」
その。通り。
「以外は切り捨てられる」
そんな。ことは。
けど。
「………………」
答えられない。
(どうして)
男か女か。若いか年配か。どんな顔か性格か。
どうしても。
「役割だけあればいい」
顔を。覆う。
「そういうものなんです」
「っ……」
のっぺらぼう。とっさに。
(名前も)
すべて。
「あなたは」
逆に。
「あなたですか?」
「えっ」
思いもかけない。
「わた……しは」
自分は。
「わたしで」
その。はず。
(はず?)
だめだ。
ゆらぐ。
自分が何なのかさえ。
「っ」
落ちる。手にしていた。
「だめっ!」
覆いかぶさる。
「これは」
これだけは。
「……いい」
はっきり。
「わたしが何だって」
そんなことより。
「わたしは!」
ある。確かに。
「くっ!」
駆ける。逃げてきたほうへ。
「向いていたのかも」
その背を。
「しれないのに」
見やり。
「いまさらですが」
「はぁっ!」
出た。
「はぁ……はぁ……」
青空の。下。
「あ、あれ!?」
なぜ。
ただ夢中で走ってきたとはいえ。
(それが)
こんな。
「っ」
前方。
「嘘……」
逃げ道をふさぐよう。スーツ姿の。
「!?」
後ろにも。
「なんで」
わけが。
「あ……」
迫ってくる。
じりじり。包囲を狭め。
「嫌……」
どうしようも。
「助けて」
こぼれる。
「ハナちゃーーーーーーん!!!」
影が。
「!」
舞い降りる。
「ああっ……!」
息もつかせぬ。身構える間もなく集団の一角が吹き払われる。反応した者たちも、まったく相手になることなく突き伏されていく。
「――!」
その。顔に。
(仮面)
知っている。知らないはずが。
だって、自分が。
「スカイランサー!」
その名を。
「あ……」
こちらを。
「やっぱり」
そのものだ。まったく同じ仮面の。
「っ」
手を。
「きゃっ」
お姫様だっこ。しかも、片腕で。
そして、もう一方の手に。
「!?」
開く。
翼のように。騎士槍の左右脇から。
「すごい……」
本物。それを目の当たりに。
「!」
跳んだ。
「あ……や……」
飛んだ。共に。
絶妙なバランスの。
滑空。
オフィス街の上空を。
「すごい……」
感嘆の。その言葉しか。
不安も恐怖も。
なく。
ただ、ただ。
自分が。
「うわぁ」
解き放たれている。
感じる。
夢の中のよう。
けど、それはずっとリアルで。
「すごい」
くり返す。
「っ」
旋回。
グライダーのようにゆっくりと弧を描き。
「ひゃっ」
着地。
「ふわ……」
降ろされた瞬間。さすがにへたりこむ。
「あ」
手が。
「あ、あり……が」
舌が回らない。思っていたほど平気ではまったく。
「わ……」
ぽんぽん。優しく。
「……スカイ……」
こぼれる。
「ランサー」
こくっ。
「やっぱり」
いるのだ。ここに。
自分の。
すべてをかけてもいいと思えた。
「うれしいよぉ」
すがりつく。
「ありがとう……ありがとう……」
ただ。
「あっ」
あわてて。空の上でも手放さなかった。
「これ!」
前に。
「わたし、守ったから! あなたを! わたしの」
ためらいなく。
「すべてを」
誇らしく。
「わっ」
なでなで。
「……ありがとう」
心から。認められた思いで。
「あっ!」
しかし。
「ス、スカイランサー!」
声が。
「来る! 来るよぉ!」
あの。ビルの屋上にもいた。
手にした長柄にまったくそぐわないスーツ姿の男たち。
「あっ!」
飛び出す。
一人。
武装した集団に迷いなく立ち向かう。
「スカイランサ―」
その姿は。
まさに。自分がずっと魂をこめて描いてきた。
「先生!」
はっと。
「め、鳴くん」
「こっちに!」
そうだ。自分がここにいては。
「スカイランサー!」
それでも。最後に。
「がんばって!」
こくっ。確かに。
応えて。
ⅩⅩⅣ
「やってくれましたね」
悠然と。
「これがどういうことか」
瞳に。ゆらめく。
「わかっているのでしょうね、〝騎士団〟さんは」
「………………」
沈黙の。
「おやおや」
肩を。
「ご存じでしょう。承認を受けていない国における活動。それがどれほど重大な違法行為であるか」
「……よく言う」
ぽつり。
「あなたのほうはどうなの」
「こちらの?」
「街中で槍を振るわせて」
「とんでもない」
大げさな。身振り。
「ペンです」
「えっ」
「ペンは槍より強し」
にっこり。
「ですよ」
「へぇ……」
そういう。
「だったら」
しかし。
「騎士なんていない」
そう。
「ヒーロー」
いま。戦っているのは。
「でしょう」
「……ほう」
こちらも。不敵に。
「大好きだものねぇ」
さらに。
「ヒーローのこと」
この国は。
「でしたら」
引かず。
「足りないものがありますね」
「足りない?」
はっと。
「怪人……」
ヒーローの。敵。
「いいえ」
頭を。
「それより、もうちょっとだけ」
いたずらめいた。
「怪獣ですよ」
「!」
遠目にも。それははっきり。
「な、何、あれ」
隣でも。
(まさか)
聞いている。
〝大戦〟の折。敵の軍団を乗せ、海上で襲ってきたという怪物。
「海馬(シーホース)……」
馬というより『海月(くらげ)』に近い巨大なシルエット。
それが。
都心東部を流れる広大な川の中から。
「っ」
狙いは。
「先生」
真剣な。
「ここを動かないでください」
騎士としては失格。
「……わかった」
覚悟の。
「行ってあげて」
うなずき。駆け出していた。
圧倒的。巨大。
前に。
あまりに。
小さな。
それでも。
止まらない。
スーツの一人を踏み台に。
舞い上がる。
高く。
旋回。その勢いを借り。
「あっ」
ズゥゥゥゥゥゥゥン!!! 突き刺す。
「……!」
会心の一撃。だけに。
「危ない!」
遅れた。
水中から飛び出した触手。それが小さな影を払い飛ばす。
「くっ」
水面を。飛び石のように跳ね、そのまま河川敷を無防備に転がる。
「大丈夫ですか!」
大丈夫な。わけ。
「あ……」
立ち上がる。
仮面が。
空の色そのままの光を。
(強い)
わかっている。そんなことは。
それでも。
その小さな身体に。
炎。
不屈の。
いままでにないと思えるほど。
(友だちの)
大切な人の。
ため。
そうだ、それこそ騎士の。
ヒーローの。
「あっ」
再び。向かって。
(む……)
無茶だ。大きさが。
どれほど渾身の突きをくり出したところで。
「!」
一直線。〝飛燕(ひえん)の槍〟の〝翼〟を展開させ、川面をすべるように。
「っ……」
するどい翼で。
旋回。巨体を斬り刻む。
(だめだ)
まさに、かすり傷。
人間が手にできる程度の武器ではまったく深部まで届かない。
(このままじゃ)
触手が次々と。
かろうじて避けているが、ますます攻撃は困難に。
ジリ貧。
いや、明らかな劣勢。
(どうすれば)
加勢。いや、未熟な自分では。
「とんでもねえなぁ」
「!」
その声は。
「ええっ!?」
しかも。その顔に。
「お手製だぜ」
あちらのも合わせて。と。
「フン!」
ズゥゥゥン! 金棒のごとき槍が河岸をふるわせる。
「よっしゃ!」
気合を。
「な……」
何を。
決まっている。
「うおおおおおおおっ!」
突進。異形の騎士槍〝六角の槍〟をふり回しながら。
「海じゃ、レイナの姐さんに後れを取ったがなぁ! 今度はそうはいかねえぞ、〝ヘヴン〟の海坊主! この」
高らかに。
「グランドランサーが相手だぁぁっ!!!」
ⅩⅩⅤ
名前の通り。
大地を踏みしめ。
「あ」
だが。相手は。
「チッキショーーーっ! こっちに来やがれぇーーーっ!」
無茶を。
「あ……っ」
その間にも。苦戦は。
「うぉおーい!」
すると。
「こっち来ぉーーい! こっちだ、こっちーーっ!」
今度は。
「っ」
こちらに向かって。
「ええっ!」
止まった。まっすぐ立てた騎士槍の尖端に。
(トンボ……)
まさに。
止まるほうもすごいが、それでまったくゆらがないのも。
「よぉし」
(えっ)
何を。
「行っくぞぉーーーーっ!」
雄たけびを。
「!?」
野球のバットのごとく。
大きく。後ろに。
「うぉぉらぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!!」
振り抜く。
「えええっ!?」
放たれた。
弾丸。これまでとはケタ違いのスピードで。
「!」
突っこんだ。
「………………」
「………………」
そして。
「……あー」
頭を。
「突っこませただけじゃダメだよなー」
(ええっ!?)
そんな。いまさら。
(だ……!)
大丈夫か。しかし、確かめるすべが。
「っ?」
巨体が。ゆれ出す。
「あ……」
ぶるぶるぶるぶる。遠目にもはっきりと異変が。
「!」
飛び出した。
竜巻のごとき。
回転。
それが巨影を内から突き破る。
「よぉーし、作戦通り!」
(え……)
本当に。
「よっしゃ、行けーーっ!」
声援に。応え。
怒濤の連続アタック。
ただ斬るだけの先ほどとは違い、刃の回転によって威力と範囲の増した攻撃は、はっきりそれとわかる傷跡を刻みこむ。
(これなら)
いける! 思ったところに。
「まずいな」
(えっ)
どこが。何が。
「限界だ」
限界?
「あ……」
こちらに。
「え……えっ」
ふらつく。軌道で。
「うわぁぁぁっ!」
あわてて。
「くっ!」
伏せた。その頭上を。
「!」
ズゥゥゥン!
「あ……」
刺さった。
「……だ……」
我に。
「大丈夫ですか!」
駆け寄る。
「あ」
仮面の奥。
目が。完全に。
「回りすぎだな」
「そ、そんな」
そういうことにはなるのだろうが。
「あっ!」
迫る。巨塊。
川の水を押し分け。
線上にえぐれた無数の傷を見せつつ。それでもまったく戦意を失うことなく。
「う……あ……」
腰が。へなへなと。
「こっちに来てくれりゃあ」
「……!」
逆に。
「いくらでもやりようはあるんだよ」
不敵に。仮面からのぞく口もとが。
「すこし休ませてやりな」
言い置いて。
「うぅおらぁぁぁぁーーーーっ!」
突撃。
すかさず無数の触手が。
「ふぬぅあーーっ!」
ふり回す。
なぎ払う。
バチーーーーン! 派手な音を立てて次々とはじき返される。
一本たりともまったく届く気配がない。
(す、すごすぎる)
圧倒的な。
初めてだった。最強に限りなく近い騎士のその力を目の当たりにしたのは。
「あっ」
しびれを切らしたのか。
触手の攻撃がやみ、山のような巨体そのものが迫ってくる。
「逃げ――」
しかし。
「来いよ」
(!?)
無茶すぎる。
いくらこちらも常人離れしているとはいえ、あくまで人間レベルの話で。
巨塊。
その前には、何の意味も。
「ああっ!」
のしかかられた。
というより、のまれた。
一瞬で。
「あ……や……」
大変なことに。
いま、まともに動けるのは自分しか。しかし、どうやって助け――
「!」
ドゥオオオオオオン!
「なっ……」
吹き飛んだ。
「っ」
ズゥゥン! 仰向けに。
「あ……うぁ……」
高々と。中心部で握った騎士槍をかかげ。
「効くなぁ」
会心の。
「回転ってやつはよぉ」
(え……!)
まさか。同じく。
いや、違う。
(槍だけを)
バトンのように。
(そんな)
持ち方から。そう考えるしか。
腕力だけでできる芸当ではない。
器用さ。それも超絶的な。
(確かに)
見た目と裏腹の繊細な指先を誇る人でもある。料理や細工物など、玄人顔負けの一品を作りあげたりするくらいに。
(それが)
ここでも。遺憾なく。
「フン」
どうだとばかり。
「信じられない……」
「あっ」
いつの間に。
「先生」
こちらなど。まったく目に入らず。
「グランドランサーまで」
(あ……)
そういうことに。
「!?」
こちらに。触手が。
「危ない!」
身を挺し。
「っ」
ズバァンッ!
「あ……!」
鮮やかに。
「スカイランサー!」
歓喜の。
(……!)
目で。こちらに。
「わかりました」
うなずく。
「先生のことは」
こくっ。
「うおらぁぁっ! 逃げんじゃねえぇっ!」
(ええっ!?)
とんでもない。川に向かおうとする怪物を素手で。
おそらく。
こちらを狙ったのは人質目当て。しかし、うまくいかず、いまはただ必死に離脱しようとしているのだ。
「お」
復活に気づき。
「ちょうどいい。おまえも手伝え」
え? と。
「バーカ、同じことしろとは言ってねえよ」
苦笑。
「ケリつけんだろ」
ハッと。
「二人でな」
こくっ! 強く。
(何を)
それでも。終局間近なのは。
「フンッ!」
力が。これまで以上に。
ただでさえたくましい四肢が、倍にもふくれあがって。
「うぬぬぬぬぬぬぬぬ」
(!?)
わずかに。
(ま、まさか)
見間違い。いや、本当に。
「嘘だ」
騎士を相手に。それを騎士である自分が口にしてしまうほど。
持ち上げた。
自分の何十倍もある怪物を。
「ふぬぬぬぬぬぬぬぬ」
さすがに。余裕の表情とはいかないが、それでも。
「行くっ――」
渾身の。
「っぜぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!」
「!?」
なんと。
怪物をつかんだまま一回転。
その勢いで。
「どうぅぅぉおらぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!!」
大空に。
「信じられない……」
隣から。完全に同意だ。
「あっ!」
放り上げられた。それを追うようにして。
「スカイランサー!」
飛ぶ。
両刃を出した槍を身体ごと回転させ、ヘリコプターのように急上昇。
「えっ!?」
すり抜ける。
「な……」
なぜ。
と、怪物の上昇が止まる。
「……!」
当然のように。その重塊は引力のまま。
「あっ」
落下地点に。
「来いよ」
極太の槍を構え。
(まさか)
落ちてきたところを。
(無茶だ)
圧倒的質量。
そこに、降下の勢いまで加わっている。
いくら何でもただでは。
(に、逃げ……)
逃げない。
まっすぐに。目をそらすことなく。
「ランスぅぅぅ……」
(っ)
これは。
「チャァァァァーーーーーーージ!!!」
必殺の。騎士最強の。
「!」
ドゥゥゥゥン!
見事。
ど真ん中を。
(でも)
このままでは。
「スカイランサー!」
はっと。
「あっ!」
なんと。
(そうか)
いったん通り過ぎたのは。
(上から)
そこに。あらためて回転を加えた。
(いける!)
突撃(ランスチャージ)――
「!」
上下から。とてつもない衝撃が。
「先生!」
覆いかぶさった。直後。
「っ!」
パァァァァァァァァァァァン!!!
「――!」
はじけ飛んだ。
大量に。
散った水滴の向こう。
「あ」
虹が。見えた。
ⅩⅩⅥ
「本当に」
目を。
「いいの?」
「はい」
迷いのない。
「惜しいわねー」
言いつつ。笑みを。
「こっちにもファンはいっぱいなのに」
「はい」
うなずいて。
「だから、描き続けます」
ためらいなく。
「ここで」
「そう」
それ以上は。
「あ」
忘れていたと。
「秘密ね」
「?」
「ヒーローのことは」
「ああ」
やわらかく。
「当然じゃないですか」
「当然なんだ」
「はい」
「言わなくても」
胸に。
「ヒーローは」
手を。
「みんなの心の中にいるんですから」
しょんぼり。
「あ、あの」
おそるおそる。
「こちらに」
残る。そういうことも。
「あ……」
ふるふる。はっきり。
「ハナさん」
そうだ。
「騎士……ですもんね」
こくっ。
(だから)
帰らなくては。
ここは。
騎士の承認されていない世界。
だから。自分を。
騎士であることをまっとうするためには。
「ハナちゃん!」
ぴくっ。
「よかった……」
息を切らせ。
「また黙って行っちゃうつもりだったんでしょ」
何も。それでも。
すまなそうなその背中が。
「わかってる」
微笑み。
「ハナちゃんが一番つらいんだよね」
はっと。
「だから」
そっと。
「言えないんだよね」
背が。向け続けているそれが。
「ハナちゃん」
優しく。
「いいから」
それは。
「いまだけは」
ふり返る。
「ただのハナちゃんで」
瞬間。
「わっ」
飛びこんだ。
「ふふっ」
うれしそうに。
「ハナちゃん……」
寄り添った。
「なんで」
騎士の認められていない国に。
(そもそも)
〝騎士団〟の関係者を受け入れる学校が。
「こういうためだろうが」
「こういう」
まったくわからない。
「見ろよ」
見ては。
「友情」
うんうんと。
「いいもんじゃねえかー」
満足そうに。
「それはいいんですけどね」
「おーい」
ノリが悪いと。
「『いいんですけどね』じゃねーだろー」
(じゃあ)
何と言えと。
「いいんだよ」
あたたかな。眼差し。
「こういうことで」
「はぁ」
それ以上は。
「まぁ」
それでも。認める。
「いい光景ではありますけどね」
「高いたかーい!」
大よろこび。両手をふって。
「あ、あの」
いいのか、これで。別れのときに。
「えーーいっ」
思い切って。
投げ上げられる。
「きゃっ」
逆立ち。両肩に手を置き。
「あはははははっ」
なんだか。おかしくて仕方ないと。
(まぁ)
いいのか。二人には。
これが。
「ハナちゃん、すごーい」
ゆらがない。くるくる回ってみせても。
「軽い軽い、すごいねー」
何でも。
二人の間では。
「ハナちゃん」
そして。
「ありがとう」
言った。清々しい笑顔で。
ランスの仮面