還暦夫婦のバイクライフ 50

紀伊半島を旅する 3日目

 ジニーは夫、リンは妻の、共に還暦を過ぎた夫婦である。
 朝6時、ジニーは目覚めた。窓まで行きカーテンを少し開ける。眼前には志摩の多島海が朝日に浮かび上がっている。美しい景色だ。
「よし!今日は天気良いぞ」
「ジニーお早う。天気どう?」
「お早う。良く晴れている」
「それは良かった」
「朝食も部屋だっけ。その前にお布団片付けに来るんよな」
「7時過ぎに来るよ。着替えなきゃ」
ジニーもリンも、浴衣を脱いで着替える。浴室に干してあった合羽もたたみ、傘もしまう。
「失礼しまーす。お早うございます」
布団片付け部隊がやってきて、手際よく片付けてゆく。その後仲居さんがやってきて、朝食の準備をする。卓の上に次々に料理が並ぶ。朝食なのに、品数と量がすごい。
「それでは、終わりましたらご連絡ください」
そう言って仲居さんは退いた。
「リンさん、朝から大量だ」
「すごいね。ワタリガニのみそ汁、香の物、いかの刺身、塩サケ、つくね汁・・・」
「いただきます」
ふたりはさっそく食べる。食べ始めると案外入るもので、すっかり完食してしまった。
「これは体重増えている自信があるな」
ジニーは立て続けの暴食で、身体が重く感じている。食事の終わりを連絡して、仲居さんに片付けてもらう。
「さて、準備するか」
バッグの中を一度出して、整理しながら詰め直す。用意できたので部屋を出て、フロントまで行き精算を済ませる。それからバイクまで行き、バッグを取り付ける。ふと気付くと、早朝は晴れていた空が厚い雲に覆われている。
「あ!リンさん雨が降って来た」
「あらら、南の方は降っていないみたいだし、このまま突っ切る?」
「いや、合羽着よう。ずぶぬれになるぞ」
二人はせっかく片付けた合羽を引っ張り出し、着込む。バッグにも防水カバーをかける。
「ジニーどうする?海岸線走って南に下る?」
「いや、晴れてたらそれでよかったんだけど。景色もいいし。でも雨なら早く動ける方が良いな。昨日走って来た道を逆戻りしよう。お伊勢さんまで戻って高速乗るよ」
「わかった~」
 小雨が降りしきる中、二人は賢島の宿を出発した。昨日走った道をトレースする。
「リンさん、ガソリン入れるよ」
「了解」
道沿いのスタンドを見つけ、給油に入る。2台で21L入った。
「ハイオク188円か。意外なほど普通だな」
「そうね、少しだけ高いかな。まあ、観光地だしこんなもんかな」
満タンになって、今日一日はガソリンの心配はいらない。
スタンドを出て県道32号で山越えして伊勢まで戻り、伊勢I.Cから伊勢自動車道に乗る。雨が本降りになり、雨足が強くなる。濡れた路面に気を配りながら走り、JCTで紀勢自動車道に乗り換える。そこから南へどんどん走る。やがて雨雲が切れて雨が止んだ。
「リンさん、休憩」
「了解」
二人は紀北P.Aに入った。駐輪場にバイクを止めて、降りる。手足を充分に伸ばし、それから合羽を脱ぐ。トイレを済ませてお茶を買う。ベンチに座ってお茶をシェアしながら休む。
「もう雨は降らんかな」
「そうねえ・・・雨雲レーダーで見る限り、降らないわね」
「じゃあ、合羽は脱いじゃおう。バッグの上に置いて、防水カバーかけて抑え込めばいいや」
20分ほど休憩してから、二人は出発する。紀北P.Aを出発して紀勢道をさらに南に下り、終点の熊野大泊I.Cで一般道に降りた。そこからさらに南に走る。
「ジニーその道の駅に寄って」
リンは道の駅熊野花の窟の案内板をみて、ジニーに寄るように言った。
「了解」
二人は道の駅の駐車場に止まった。
「この奥に花の窟神社があるのよ。寄ってみたくてね」
「へえ、行ってみよう」
ジニーが時刻を確認する。丁度11時だった。
「時間は余裕だな」
 道の駅が併設する神社は、巨大な岩盤がご神体だった。見上げると、岩から境内の上を横切るようにロープが張ってあり、それに大きな御幣のような飾りがぶら下がっている。
「ジニー、イザナミノミコトが火の神を生んで亡くなった後に葬られた御陵だって」
「それは古いな」
「日本最古の神社みたい」
「ふ~ん」
御神体に参拝して踵を返す。
「ジニー、御朱印もらってくるね」
「はい」
リンは社務所に寄り、御朱印をもらった。普段は宮司さん一人で世話をしているようだ。
「リンさん、次行くよ」
「わかった、次は那智の滝ね」
二人はバイクまで戻り、準備を整える。
「出ますよ」
「どうぞ」
道の駅熊野花の窟を出発して、R42を南へと下る。しばらく走ると、那智勝浦新宮道路に行き当たった。
「ジニーそれに乗れってナビ様が言ってる」
「了解。これって高規格道路かな?」
「じゃない?」
自動車専用道を先に進む。
「ジニーその先降りろって」
「オッケー」
那智勝浦I.Cで降りる。信号を左折して、県道43号、46号と走り、つづら折れを上って那智の滝に到着した。有料バイク駐車場に止めて、管理人さんに2台分400円を支払う。
「何時?12時50分か。ハラ減ったなあ」
「そう?」
二人はバイクにジャケットを脱いで引っ掛ける。そこからは歩きだ。入り口に鳥居が立っていて、飛龍神社とある。鳥居をくぐり、参道を歩いてゆくと道は下りの石段になった。降り切った所の正面に、那智の滝が見えた。高い崖の上からまっすぐに落ちている。途中で岩壁に当たり、水煙を上げている。
「初めて来た。でかいねえ」
「私、昔一度来たと思うんだけど、うっすらとした記憶しかないや」
「碁石に使っている那智黒の産地だと思ってたんだけど、周囲の岩が特に黒いという感じじゃないな。別の所で産出するのかな?」
「知らんけど?」
入場料二人分600円を支払い、奥に歩いてゆく。滝の近くの展望所で、写真を撮る。
「ここも中国からのお客さんが多いね。ネット界隈で言われているような行儀の悪さも一切ないし、やっぱりSNSで拡散されているのは悪意のある偏向動画だな」
「ジニーそれは今更でしょ?そんなのみんな知ってるよ」
リンがあきれたように言う。
「さてジニー、次行くよ。ハラ減ったな」
二人は来た道を戻る。石段をのんびりと上り、鳥居をくぐってバイクの所に戻る。隣のお店に食堂も併設されていたが、満席のため諦めた。ジニーは、斜めになっている駐輪場からリンのバイクを動かす。比較的平らな所まで移動して、リンに渡す。
「サンキュー」
リンはバイクにまたがり、エンジンを始動した。ジニーは自分のバイクにまたがり、傾斜を利用してそのままバックする。エンジンをかけて道で転回する。
「行くよー」
「どうぞー」
13時30分、二台のバイクは那智の滝を後にして、つづら折れの道を戻る。少し走った所に、大きなお土産屋さんがあった。
「リンさん、食堂もあるみたい。寄ってみる」
「いいよ」
ジニーは店の広い駐車場に乗り入れた。そこから少し奥の隅にバイクを止める。
「えらい奥に止めたねえ」
「うん。でも正面入り口には近いぞ」
バイクを降りて、脱いだヘルメットをバイクに引っ掛けて二人は店内に向かう。
「ジニー残念。食堂はお休みです」
「仕方ない。何かお土産買っていこう」
お土産を物色した二人は何点か購入して、バイクに戻った。準備を済ませて出発する。来た道を戻り、再び那智勝浦新宮道路に乗る。
「ジニー終点まで行ったら左折して、その先右折でR42に入ってね」
「オッケー」
二台のバイクは順調に走り、R42に乗る。そこからずっと走ってゆくと、左手の海岸に奇岩群が見えてきた。
「リンさん、橋杭岩だ」
「あ、橋杭岩。寄ります」
二人は道の駅くしもと橋杭岩でバイクを止める。バイクを降りてヘルメットを脱ぎ、そこから見える奇岩群をしばらく眺めた。
「面白いことになるもんだなあ」
成り立ちの案内板を見ながら、ジニーがつぶやく。
「紀伊半島って、こういう景色が多いね」
「うん」
「売店何かあるかな」
リンは売店へ向かった。ジニーはしばらく風景を眺めてから後を追った。
「ほらジニー、みかんがあったよ」
リンが温州ミカンの袋を手に持っている。
「早いな。極早生?」
「今は結構早くからあるよ。以前はこの時期にみかん何て無かったけどね」
リンはみかんを買って嬉々としている。二人は早速一個づつ取り出して食べてみる。
「お、思ったより甘みがあって、適度の酸味。いけるな」
「そうね~いいんじゃない」
愛媛県民の悪い癖で、みかんを見るとお手並み拝見のような意識が出てくる。他県のみかんだとなおさらで、ついつい辛口の品評をしてしまう。だから、いけるという評価はかなり良いのだ。
「あとは宿で頂こう」
みかんはバッグに仕舞われた。
 30分ほど休憩して、14時50分道の駅を出発した。次は潮岬だ。R42を走り、県道41号を岬へ向けて左折する。そのまま走ってゆくと、潮岬灯台入り口の案内を見つけた。駐車場にバイクを止める。
「ここから少し歩きだな」
駐車場から200mほど歩いて灯台に着いた。入館料を二人分600円支払い、敷地に入る。
「わあ、太平洋だ。水平線しか見えない」
すっきりと開けた景色が眼前に広がる。
「ジニー灯台上がるよ」
二人は灯台の中に入った。中は急な廻り階段で、特に最後は狭い急な鉄製階段だ。体を縮めるようにして登り、上部から外に出る。
「お~高い!足がすくむ」
「ひゃあ、景色良いね~。下で見るよりもさらに見通しが良いや」
「僕は高くて怖い」
「平気だって」
リンに引っ張られてジニーも外の回廊をぐるっと歩く。次々に下から人が上がって来るので、あまり長居せずに降りる。灯台一階にある展示室をぐるっと見て回り、灯台を出た。
「ジニーこっちに神社がある。潮御崎神社だって」
「行ってみよう」
灯台の敷地をぐるっと回りこむように歩き、石段を下りて神社に向かう。
「また石段か」
ジニーがうんざりとした声を出す。
「大したこと無いって」
リンが平気なノリで返す。
 神社にお参りしてから、来た道を引き返す。ジニーが石段をゆっくりと上り、ふうっと息をつく。二人はバイクまで戻り、準備を整える。
「リンさん今何時?」
「丁度16時。宿には何時って言ってるの?」
「18時」
「余裕だね」
そう言って二人は岬を出発した。県道41号を戻り、R42との交差点を左折する。
 ひたすら海岸線を、白浜目指して走る。のんびりと走る車列の単調な走りに飽きたのか、リンのあくびが始まった。
「リンさん、眠くなった?」
「・・・眠い」
ジニーは嫌な汗をかき始める。そこからさらに30分、ジニーは道の駅の案内を見つけた。
「リンさん、この先道の駅がある。止まるよ」
「よろしく」
そこから少し走り、道の駅すさみに乗り入れた。そのまま車両スペースに止める。
「あ~しんど。眠くて死にそうだった」
「のろのろの車列に捕まったからなあ」
ヘルメットを脱いでバイクに引っ掛ける。それから構内をうろつき、展望台から太平洋を眺め、日蔭のベンチに座って休憩する。一夜干しになりかかっていたのでお茶を買ってきて飲む。
 40分ほど休憩してリンが復活する。17時20分、道の駅を後にして走り始める。
「リンさん、ここから紀勢自動車道に乗るよ」
「わかった」
道の駅を出てすぐに導入路に入る。すさみ南I.Cから乗り入れる。無料区間なので車が多い。それでも早いペースで進み、南紀白浜I.Cにあっという間についた。
「ジニーここ下りるって」
「わかった」
I.Cからまっすぐ県道34号に乗り換える。
「道なりですよ」
「はい」
南紀白浜空港の滑走路の下をくぐり、白浜スカイロードを進む。
「そこの交差点左」
「はい、左」
「突き当り左」
「はい、左」
左に曲がってすぐ、本日の宿に到着した。
「あった」
ジニーは車寄せ入り口にバイクを止めた。リンがその後ろに止める。
「え~どうしたらええん?」
「宿の人が来たから聞いてみる」
ジニーは出迎えてくれた宿の人に聞く。
「リンさん、地下の駐車場に止めてって」
「え!ここからじゃ入れないな。すこし下がれば・・・」
そう言ってリンは、バイクにまたがったまま後じさりを始めた。そしてジニーが声をかける間もなくバランスを崩す。
「あ~~‼」
リンは叫びながら、右にゆっくりと倒れてゆく。ジニーは一歩も動けず、見ているしかなかった。
「いててて」
右に倒れたバイクの下敷きになったリンが、這い出してきた。
「大丈夫?どこか挟まった?足は?」
「大丈夫、なんともない」
それを聞いて安心したジニーは、バイクを起こしにかかる。見ていた宿の人たちが駆けつけて、バイクは簡単に起き上がった。ジニーがすぐにダメージをチェックする。
「ブレーキレバーは・・折れてない。ペダルは・・・平気。カウルに傷が入ったくらいか」
「あああ~やっちゃった。カウルがキズキズだあ」
リンがしょげる。
「走るのには支障ないよ。レバー折れてたらアウトだったけどね」
そう言いながらジニーはスターターを回すが、エンジンが始動しなかった。
「あー、制御が入ったか」
ジニーはキースイッチをオフ、オンして、制御をリセットする。再びスタータを回すと、エンジンはかかった。
「リンさん、このまま地下に乗っていくから荷物取りに来て」
「わかった」
ジニーはリンのバイクを地下駐車場に乗っていき、指定されたところに止める。リンが後からついてきて、荷物を下ろしにかかる。ジニーは自分のバイクに戻り、地下駐車場のリンのバイクの横に停めた。宿の人が二人来て、荷物を運んでくれた。ジニーはフロントでチェックインして、部屋まで荷物を運んでもらう。そこで、食事の用意とかその他の説明を受ける。
「ではごゆっくり」
仲居さんが退出する。
「ご飯部屋食だね。19時からだって」
「今何時?18時ちょっと過ぎか。お風呂行けるな」
「私も行く」
二人は風呂支度して、大浴場に向かう。男湯は誰も居なくて、ジニーは貸し切り状態でゆっくりと温泉を堪能した。
 部屋に戻ってすぐに、ドアがノックされる。
「失礼します。お食事の用意に伺いました」
ドアを開け、仲居さんが手際よく料理を並べてゆく。次々と並んでゆく料理を見て、ジニーは食べ切れるだろうかと思う。準備ができたタイミングで、リンが風呂から帰って来た。
「リンさん、ビール頼もう」
「そうね、地ビール2本お願いいたします」
「かしこまりました」
ずらりと並んだ料理と、地ビールがそろった。
「追加などございましたら、フロントにお申し付けください」
仲居さんが退出する。
「では、お疲れ」
「お疲れ様」
ビールで乾杯して、料理に箸をつける。
「今日の料理も豪勢だね。アワビが1枚付いているよ」
「そりゃもう、宿代奮発しましたから」
リンがどうだという顔をする。
 うまい料理をたらふく食べ、追加で地酒も注文して二人はすっかりいい気分になった。後片付けをしてもらい、布団も敷かれてからお土産コーナーを見に行く。おおむねあたりを付けて、宅配用の段ボールもゲットして部屋に戻る。窓のカーテンを開けて、夜景を見る。白浜海岸の砂浜が、周りの照明に照らし出されて白く浮かび上がっている。しばらく景色を眺めてから、ジニーはもう一度温泉に浸かりに行くことにした。
「リンさん、もう一度風呂に行ってくる」
「あ、そうなん?私はもう寝るよ」
「うん」
ジニーはタオルを持って、再び大浴場に向かった。やはり誰も居ない大浴場を、貸し切り状態で湯船につかる。
「ああ~やっぱり気持ちいい。それにしても今日は最後に気が抜けてたなあ」
ジニーはあれほど気を使ってリンのサポートをしてきたのに、最後にやらかしたのを悔やんでいた。
「明日は長距離だ。最終日だし、絶対気を抜かない」
ジニーは温泉につかりながら、そんなことを考えていた。

還暦夫婦のバイクライフ 50

還暦夫婦のバイクライフ 50

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-10-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted