蹉跌の月

蹉跌の月

1・朔望

 ぱきっ、と乾いた音がした。
 耳に入った音、ではない。
 体の中、直接脳に届いた小さな音。

弥依(みい)ちゃん!どうしたの!玄関で!」
 お母さんの声がする。

「ぱきっていった…痛い…」
 蹲って、そう言うのが精一杯。

 入学式参列仕様でお粧ししていたお母さんは、慌てふためいてお父さんを呼びに行った。
 で、やっぱりいつもの小汚ない格好から一転、イケメン(当人比)に変身したお父さんがやって来て、上がり框にあたしを座らせる。
 
「捻挫か?」って、足首を触ってきたけど、みるみる大きくなる足に異変を感じたのか、触るのを止めて、「病院だ!」って。
 
 ───かくして、
 あたし杉田 (すぎた)弥依(みい)は高校の入学式には出ることは無く、病院へ行くことになった。
 なんてこった。

 病院に着くと、看護師さんが車イスを押してやって来た。
 く、車イス?いや、歩けないけど。
 さすがに大袈裟な気もするけど、地に足がつけないから仕方ないのか。
 まさか、高校デビューが車イスから始まるなんて。
 捻挫なんだろうけど、大事になってしまった。

 それにしても。
 待合室というのは、何ともはや。
 かれこれ一時間は待ってる。
 足は、昔の魔法少女みたいに膨らんでいる。
 
 気を紛らすために、お母さんとヲタトーク。
 持つべきはオタクな母だと思うわ。
「ほら、見て。片足だけサリーちゃんみたい」
 真っ青な顔して、だけど話しかけるあたしにちゃんと乗ってくれる。
 
 お父さんは貧乏ゆすりが止まらないけど。
「杉田さん、杉田 弥依さん」
 さて、やっと呼ばれましたよ。

 それから、
 レントゲンを撮って、また診察室に戻って。
 うーん…と考え込むお医者さん。
「CT撮りましょう」って。また一時間。
 
『だいこうかいものがたり』って、母のバイブルのひとつでもある古いアニメ。
孤高のキャプテンは幼い心を充分に惹き付けていて、CV勢雄 祥匡(せお よしまさ)と共に、我ら母子の心を掴んで離さない。
そんな話で盛り上がって。
お父さんは、煙草を吸える所を探して彷徨って。

 CTを撮って、またまた診察室に戻って。
 うーん…と、また考え込むお医者さん。
「MRIを撮りましょう」って、それから二時間。
 すっかり夕方になってしまった。

『右踵骨前突起骨折』
 骨折と聞いて、お父さんもお母さんも息を飲むのが聞こえた。
 息ってホントに飲み込むのね、なんて呑気なことを考えてたけど、『しょうこつ』とはなんぞや?
「踵の骨ですよ。こう前の方に回り込んでて、この先の5ミリくらいが、折れてますね」だと。
 
 レントゲンで見つけられなくて、CTでおやっ?となって、MRIでやっと確信できた…というか、「ここ、折れるんだ…」って呟き、お医者さん?何を言ってるのかな?

 そのまま、あたしは入院ってことになってしまった。
 
 今日、金曜日で土日は手術出来ないから、最短でも月曜日になると。
 入れる器具──ボルト?──も特注らしくて、細くて長いのを探さなきゃらしくて、それが見つかり次第なんだって。
 無かったら作らなきゃらしい……

「じゃあ、準備して戻ってくるから!」っていうお母さんに、「あ、携帯ゲーム、『デイムメイカー』でお願いします」って、言ったら「ここでもゲームか?」って、お父さんに呆れられた。いいじゃん。

 通された病室は六人部屋で、五人の患者さんがいた。
 みいんな、年上で、おばさ…お姉さん。
 
 電球取り替えようとして椅子から落ちたおばあさんとか、大腿骨を削って同じ長さにするおばさんとか、まずは病状公開(自己紹介)で、今日入学式だったって言うと、皆さんを涙ぐませてしまった。申し訳ない。

 戻ってきたお母さんから、体を拭いてもらって、寝間着代わりのTシャツと短パンに着替えさせてもらう。
 あう。お風呂に入れないのがツラい。
 ま、仕方ない…しかた…
「ああ!」
 と、声を上げたあたしに、お母さんがびびる。
 
「どうしたの?痛かった?」
明後日(日曜日)…デイムメイカーの店頭イベント、当たってたのに行けない…よね?」
「……月曜に手術かもだから、無理でしょうね」
「ああ!勢雄(せお)さんが見られたかもしれないのに!!」
「バカね。勢雄(せお)さま…勢雄さんが無料イベントなんかに来るわけないじゃない。クレジットもされてないのに」

 母……冷静。
 ま、確かに。

『デイムメイカー』の隠しキャラ的クリス様。
 出現条件だけでも煩雑で、表だった情報も殆どない。
 
 掲示板では、ちらほら話題になってるみたいで、サジェストには出てくるけど、悲しいかな未成年。掲示板は見ちゃいけません、ってお父さんに厳しく言われている。
 お父さんたら、建築現場で働いてるせいか、怒ると怖いのよ。逆らえません。

「お母さん、代わりに行ってきて。で、特典、貰ってきて」
 って言ったら、「娘が大変な時にいくわけないでしょ!」って怒られた。その娘の頼みなのに。大人ってタイヘン。
 
 いいもんねー。
 こうなったら、クリス様追っかけまわしてやる。
 攻略対象じゃないかもだけど、構わん。

「……でさ、これって勢雄さんだよね?」
 ゲーム画面のクリス様を眺めて、イヤホンを母の耳に入れる。
 クレジットされていないキャラボイス。
 |専門家(声オタの母)の見解を仰ぐ。
「うん。非常に近いと思われます。所謂、似てる人や真似っこしてる人とは、一線を画してます」

 母よ。
 あたしよりも勢雄さんのお声を聴いてきて(年の功)、全盛期にイベントライブを追っかけてた、あなたのその耳を信じますよ?
 

2・蛾眉


 病院って、消灯早いー!
 八時って、小学生でも眠くないわ。
 なので、お布団かぶってクリス様攻略(出来るのか謎だけど)に励む。

 だって、足は吊ってるし、寝返りも出来ないし。
 ただでさえ寝付きが悪いのに、無理です。

 それになんだか今夜は、救急車のサイレンがやけに多い。
 ……あ、そうか、ここ救急病院だ。
 そりゃそうだわ。

 廊下のほうがほんのり明るくて、
 足音こそしないのに、誰かが忙しなく動いてる気配だけは伝わってくる。
 看護師さんって夜なのに、タイヘン。
 あたしには無理だな。うん。

 さて、クリス様、クリス様。

 『デイムメイカー』ってゲーム。
 所謂、乙女ゲー、恋愛シミュレーションってやつ。
 今時、攻略対象を落とすって、Web小説の異世界ものにしかないんじゃないかな?
 お母さんが若い時は、一世を風靡したらしいけど。
 
 で、そんなお母さんが同人やってた時の(そんなことまでやってたんですね、母)、友達の知り合いの知り合いが携わってるらしくて、薦めてくれたの。
 顔も知らないらしいけど。
 
 まあ、グラフィックはキレイだし?
 流行りの声優さんがCVで、それなりに楽しめるのだけど、何て言うのかな…攻略対象、薄っぺらくない?!

 宗教も、戦争も、政治さえない世界。
 そこで、王子様目指すとかどんな夢子ちゃんよ。

 そんなわけで、各自を象徴する宝石入りのプレゼントはともかく、指輪は受け取る気になれなくて、いなしていた。

 なんかね、他の人生?の方がワクワクするのよ。
 例えば『料理』。
 極めて、『愛情』があれば『お母さん』。
 『社交』をプラスで『町の食堂』。
 全てを鍛えて、『一流シェフ』!

 恋愛シミュレーションの意味?さて?

 で、そんな時、町のインフラにチョット口を出したら、クリス様が登場した。

 ほえ…。
 こんなに遅く登場するのに、声までついてましてよ?って、母に聞いてみたら「隠しキャラかもしれないわね。それに…」勢雄さんのお声じゃない?って。

 出現させるまでもタイヘンで、悉く息子のセイレン様が顔を出す。
 君じゃないんだよ。

 あれ?
 ヒロインが聖女様みたいになったとき、地図の中央に、街が現れた。

 ぐりっ、と目の奥に痛みが走る。
 ふわっと湧く、吐き気。
 ほんの、一瞬。
 看護師さんを呼ぶべき?とも思ったけど、なんだか一層、廊下は慌ただしいし、こんな時間まで起きてることを咎められそうなので、寝ることにした。

──病院の朝って早いー!のかな?
 本来なら学校に行く時間…ま、今日は土曜日だけど。
 完全に春休みボケですね。

 朝ごはん食べたら、床擦れを防ぐ運動をして、お母さんが来てくれてリンゴ剥いてくれた。ん、定番。
 そしたら、お医者先生が来て、ボルトが見つかったから月曜日に手術します、って。
 
 全身麻酔……なのね。麻酔って、効くメカニズムが分かってないって言葉が頭を駆け巡る。
 蘊蓄だけが変に詰まっている自分の脳みそが嫌になる。知らなきゃ、知らないままなのにね。

 それで、明日は昼から絶食ですって。
 お母さんは手術の準備に早々に帰っちゃった。さみしい……時はクリス様っ!

───やったぜ。実にやり直すこと十五回。やっと、クリス様エンドを迎えたぜ。
 あら、窓の外が明るいじゃない。
 そのまま、国民的ヒーローやら、ヒロインを見ながら、最後の食事(大袈裟)をした。
 
 同室のおねえさんたちに、お昼ごはんが配られている。
 食べない時は食べなくても平気なのに、食べられないって思ったら、食べたくなる。
 白米の香りって、イイモノデスネー。
 ……はあ…

 そんな時、スマホのアラームが鳴った。
 あうっ!イベントに行くのに遅刻しないようにかけておいたんだ。
 未練はあるけど、仕方ない。
 カミサマ、憐れなワタシに、なにかご褒美ください。
 なんのカミサマ?
 ……勢雄さんで、いっか。

 夕方、サイレンの音。
 そういや、一日中聞こえてはいた筈なのに、慣れって怖いわ。
 てか、緊急搬送される人って多いのね。
 
 夕ごはんも食べられないし、徹ゲーしたせいか起きていられない…誰かの書いたイベントルポ見たいのに…いるのかな?ルポ書いてくれる人…いや、公式くらいは書いてくれると信じている!

 夜よりも、廊下を急ぐ音が聞こえる。
 ナースシューズの音のない音。
 時折、きゅって踏み返して。
 ざわざわ…
 とろとろ、とろ……。

───丁字帯って、要するにふんどしなのね。
 処置室に移って、手術の準備。
 ううっ!いろんな管。
 点滴、ぐりぐり。ぺしっ、ぺしっ、って腕を叩かれていたのに、結局、親指の付け根に針が刺される。
 叩かれた腕の立場は?
 手術着の下が、ふんどし一丁なのを思い出すと笑いが出る。

 1、2、……

 …………うわぁ!不快、不快!
 痛いのか、吐きたいのか、自分の身体か自分でないみたいに。
 指先のオキシメーターが、食いちぎるみたいで。
 パタパタと看護師さんが部屋に入ってきて、あー処置室なんだと少しずつ状況を把握する。
 指が痛いとだけ告げて、寝ることを勧められた。

 夢を見ていた。
 
 やけにリアルで長い夢を。

 幼馴染みのお兄ちゃん。
 手の届かない、キレイな男の人。
 穏やかな新婚生活。
 お兄ちゃんの突然の死。
 身籠ったあたし。
 出産するあたし。
 ───死んだ、あたし。…………

 眠りから覚めて、ようやく夢が『デイムメイカー』だと気付いた。
 だって、クリス様若いんだもん。
 セイレン様だって、幼かったし。
 
 それに、お兄ちゃんって……、ラドスって誰なんだよ。
 
 それに、その上。
 出産の妙に生々しい痛みと、やけに現実的な感触。

 なんだったんだ?


 やっと、ごはんが食べられるようになって、激痛のカテーテルがはずされて、一人立ちが出来るようになった、車イスで。
 トイレで用が足せるって、素晴らしい。

 リハビリ室にも行けるもんね!
 リハビリ室にしか行けないんだけど。
 せめて、気合いを入れようとお気に入りの音楽を聴きながら、赴く。
 
 って、談話室?
 こんなところあるんだ。
 時間までまだあるから、入ってみようかな?と、覗いていたらイヤホンが転げ落ちた!
 入学のお祝いにお父さんが買ってくれた、ちょっといいやつ。

 車イスの下に転げていて、初心者なあたしは運転に自信がないし、下手に動いてイヤホンを轢いてしまうのはもっと嫌だ。

 そんな風に身動きが取れないでいたら、背後からがらがらと、なにかを引きずりながら近寄ってくる気配がした。

「どうか、なされましたか?」
「どわっ!……!」

 耳元で囁かれた声が、背中を走り抜け腰に突き刺さる。
 ――何が起こったんだ?
 
 あ、事情説明をしなきゃよね。

「失礼しました。車イスの下にイヤホンが落ちてませんか?拾っていただけるとありがたいです」
 恐る恐る、声の主に顔を向ける。

 かの人は腰を屈めてイヤホンを拾って、あたしの手に納めてくれた。

「探し物はこちらでよろしいですか?」
 
 妙に芝居がかった物言いだけど、
 だけど、この声ってまさか。
「…しぇおさん…?」
 噛んだ。

「……おや。あぁ……こんな可愛いお嬢さんに、お見知りいただけるとは――光栄の極みでございます。」

 お父さんより上なのか下なのかも図り知れない、謎の人。
 
 いや、勢雄さんみたいだけど。
 笑いを堪えるように、立っていて…いて…
 なんで、点滴なんだ?
 

3・弓張


「お、お母さん!しぇおさんがいた!」

 病室に戻ると、お母さんが来ていたので、早速報告…したら、また噛んだ。

「何を言っているの?まずは、落ち着きなさい」
 と、冷静に返されてしまった。

「せ、勢雄さんがいたの!今!イヤホン拾ってもらった!」
 そんなわけないじゃない…というお母さんを余所目に、スマホで情報を収集する。
 
『勢雄 祥匡(よしまさ)、声優、入院、原因』
 思い付く単語を検索窓に打ち込む。
 あれれ?意外と出てこないぞ?
 ……入院してるんだよね?点滴を引きずっていたし。
 で、『デイムメイカー』って入れたら、とあるSNSが引っ掛かった。

『もー!最悪!“デイムメイカー”のイベント行ったら知らない人が血吐いて中止!赤生さん見に行ったのに!』
 という、赤生(アイテール)推しのコメントだった。
 ので、公式に飛んで、ようやく記事を見つけることが出来た。

 『本日、予定しておりました“デイムメイカー”店頭イベントは、出演者の急病により、中止となりました』

 イベントのルポは、現実の痛み──特にカテーテル──に負けて、追うことを失念していた。行けなかった悔しさもある。
 というか!なんで、名前が出てないの!
 勢雄さんのことかどうかも分からない。

「あら?デイムメイカー」
 って、声がした。
 見知らぬ看護師さん。

「はじめまして。いつもは消化器病棟にいるの。今日はヘルプね」
 と、体温計を渡される。
 
 体温計を額にかざされ、スマホを弄りたくてしょうがない気持ちを押さえつつ、
「看護師さん、デイムメイカーをご存知で?」
「ええ。そのイベントにも行ったわよ」
「この!倒れたのってどなたなんですか?!血を吐いたって!」
 
──看護師さんは「ふぅー」って、溜め息をついた。
「個人情報…なのよねえ……そんな泣きそうにしないの」
 と、困った顔をしてる。
 あたし、泣きそうに見えてるんだ…
 
「今の私はそのイベント会場に居合わせた一般人です」
 そう言って、大きく息を吸う。
 そっと、顔を近づけて、
 
「勢雄 祥匡さんって方。血は吐いたけど、軽い胃潰瘍だから大丈夫。くれぐれも内緒だからね」
 耳元でこそっと、教えてくれた。
 
「代わりって言ったらなんだけど、今度、時間がある時にでも私の話、聞いてくれるかな?」
 って、悲しげな顔を無理矢理笑顔にして、別のおねえさんの検温へ行った。

 看護師のお姉さんは次の日に来てくれた。
 制服姿とは違う私服のお姉さん。
「ホントは患者さんと個人的に仲良くしちゃダメなんだけどね」
 と、言って、志山風花ですって自己紹介してくれた。

「早速だけど…」と、切り出した志山さんの話は、まさかの異世界転生物語だった。

 それは、あたしの夢と繋がってる気がした。

「ミリア?」
「話からすると貴女の子供ね」
 実際、志山さんが会ったのは三才のミリアという子らしい。

 ゲームではクリス様から聞かされるだけの物語。
 生まれて間もなく、何者かに殺される妹。
 その子の名前は出てこないし、物語上三才にはならない。
 
「でね、セイレン様が来たのよ」
「何ですと!」
「そりゃあ、もう。ホログラムな美麗なセイレン様が漂っていたわよ、二日前」
「この病院に?」
「この病院に!」

 二日前なら、手術の翌日、カテーテルが苦痛でしかなかった時か。
 セイレン様に会えなかったのは少し残念だけど、カテーテル姿を見せなくて良かったのかもしれない。
 
 ──それにしても、あちらとこちらで、随分時間の流れが違うのだと思った。

 夢なのか、妄想なのか。
 ──現実なのか。
 ……ん?

「セイレン様、何しに来たんです?」
 そう聞くと、志山さんは顔を歪めた。

「あのね、多分…憶測だけど、ミリアの中の人を迎えに来たんだと思うんだ」

 セイレンさまが現れた病室で、何日も目を覚まさなかった人がいて。
 その人が身罷ったとき、セイレン様も同時に消えたらしい。

「ミリア…さん…?ゲームの世界に行ったって事なんですかね?」
「まあ、そもそもゲームの世界があるのかって事なんだけどさ。だから、誰かに話したかったんだけど、適任者が身近にいて助かったわ」

 夢なのか、妄想なのか。
 ──現実なのか。
 それ、なんてラノベ?って、笑い飛ばすのは簡単だけど、“見た”って言われたら、信じたい。
 
 あたしが、生んだ子供かもしれない子。
 幸せだったらいいな、と思った。

 そんなこんなで、リハビリの時間となった。
 結構、お話ししてたのね。
 あたしが病室を出ようとしたら、お母さんが来て、志山さんとお話ししてる。
 ……あたしの病状とかじゃなく、オタトークなんですね。
 母、ぶれないな。

 思うに、リハビリってドラマなんかじゃ「…あ、歩けない」「頑張るのよ!」とか、泣いて感動の一場面を彩るけど、あたしの場合はマッサージだな。
「今日も頑張りましたね。お疲れ様です」と、言われるけど、どう考えても頑張ってお疲れ様なのは先生の方だと思うのよ。

 マッサージ…じゃない、リハビリを終えて談話室の前を通ると…あれは、勢雄さんですわ!
 んー……入院してるの(プライベート)に、声かけちゃダメかな?でも…でもだよ?あ!昨日のお礼!
 口実見っけ!
 
「勢雄……祥匡さん?」
 疑問系で声かけちゃったよ。
 
振り向いたその人は、思いの外不機嫌全開の表情で、「はぁん?」って、声が聞こえてきそうだった。

 それでも、「昨日はありがとうございました、イヤホン」って、なんとか言うと、若干、眉間の皺が解けて、
「お嬢ちゃんも、物好きだなぁ…」
 ……な、なんか昨日と違うぞ?
 
 ご機嫌斜めみたいだし、お礼も言ったし、その場を立ち去ろうとしたら、「暇潰しに付き合え」と、引き留められた。

 そのまま、談話室に拉致…じゃなくて、連れ込まれるのに、勢雄さんは車イスを押してくれて、点滴は外れたんだなーって思った。
 
 入り口の自販機で「なんか飲むか?」って言われて、「お茶」って返したら「味がついてなくていいのか?ま、いっけど」って、麦茶を買ってくれた。
 勢雄さんは……飲めないらしい。
「酒、煙草はともかく、コーヒーくらいよくないか?」って、ぶつくさ言いつつ、あたしの麦茶だけ持って車椅子を押して、談話室の中に入った。

「もしかして…ご機嫌斜めそうなのって、煙草(ヤニ)切れですか?」
 お父さんと一緒だ。
 勢雄さんは自分の顔をまさぐりながら、
「顔に出てたか?いかん、いかん」って慌ててる。なんか、可愛いぞ?

 そこからはなんか…高校入試の面接を彷彿させるやり取りが繰り広げられた。
「杉田 弥依、十五歳です。入学式の朝に転んで骨折しました。……スリーサイズとかも聞きますか?」
 勢雄さんは、あたしにスッと視線を巡らせると、「いや、それはいい」
 ……失礼だな!育ち盛りなんだよ!

で、話は『だいこうかいものがたり』となった。
「お嬢ちゃんの生まれる前だろう?」
「母の教育の賜物です」
「なんだよ、それ」って、大笑い。
 
でも、ムッとしてるよりずっと良いよ?

 で、『デイムメイカー』の話に流れた。
「ああ、もしかしてお嬢ちゃん、赤生(アイテール)や|石舘(セイレン)推しで、繋がり持とうとしてるのか?残念だった…」
「あたしは勢雄(クリス様)推しですけど?」っ!……本人の前だよ、あたし…。
 ……でも、あたし以上に、勢雄さんが照れてませんか?なんだこの大型犬。

「……しっかし、血は繋がらないとはいえ、“ふたり”の子持ちだろう?お嬢ちゃんは枯れ専なのかね?」
「枯れって…自分で言って傷つかないでくださいよ。それと、クリス様には実の子“ひとり”ですよ?」
「あん?上の子(セイレン)は拾って、下の子(ミリア)はメイドと庭師の子だろ?」
「上の子も、下の子も実の子で、下の子は早死にしてるんですけど……」

 それ、あの時の『夢』の話だ。
 メイド(あたし)、スーラが生んだ下の子。

 談話室の外に、志山さんが通ったのを見つけたので、「志山さん!」と声を出して引き留める。
 
「院内では静かにしてください…て、珍しい組み合わせですね?どっちがナンパしたんです?」
「勢雄さん!だけど、そうじゃなくて、勢雄さん、あたしたちの夢を知ってる!」

 我ながら、なに言ってんだ?と思った。

4・豆栗


「なんか、違ったか?ゲームの仕事はそれしかしてないから、確かだと思うが?」
 と、勢雄さんは言う。
 
 ええ、専ら舞台ばかりに出演されて、中学生のあたしには敷居が高うございましたから、よく承知しておりますとも。
 クリス様が勢雄さんなんじゃ?と思いはしたものの、確かめる術はなくて……あれ?

「デイムメイカーって、勢雄さんクレジットされてないじゃないですか。クリス様も巧妙に隠されてるし。なのに、なんでイベントには出てるんです?」
 
 あたしの言葉を聞いた、勢雄さんはそっぽを向いてるし、志山さんは笑って、
「そのイベントで、情報を公開する筈だったのよねー」
 なんですと!
 
「あの、中止になったイベントですか?あ!だから、公式にも“誰が”倒れたのか書かれて無かったんですか!」
「そんなとこまで見てるのかよ。そうだよ、俺と共に発表したいんだと。……ったく迷惑な話だ」

「では!またイベントがあるんですね!」
「いや、今度はネット限定だと。リアルイベントはやらないって、聞いてるぞ?」
「…くすっ。また、血でも吐かれたら大変ですものね」
 と、言う志山さんの突っ込みに、
「あぁ、たまたま会場にフットワークの軽やかな看護師がいて、吐血と同時にステージに駆け寄って、息をするように応急処置を繰り広げる、なんてないだろしな。まあ、その節は世話になった」
 勢雄さん、それじゃあ、言い訳したいのか、お礼したいのか分かんないよ。

「私も、救急車で出勤させていただいて、一石二鳥でした」
「志山さん!勢雄さんの命の恩人!」
「命って…目の当たりにしたら、医療関係者なら当然だと思うよ」
「それでもです!ありがとうございます!」
「…ったく、お前は俺のなんなんだよ」
「ファンですけど?何か?」
「あー、ソウデスカ」

「ぷっ!あはは、おっかしい…!勢雄さんって渋さ売りにしてますって、見せかけておいて、若い子と漫才するんだ。いやー意外な一面を見せていただきましたわ。息ぴったり!」
 って、吹き出した志山さんは、目尻を拭いながら大笑いしている。

 あたしはなんとなく勢雄さんの顔に目が行って。
 そしたら勢雄さん、なんだか間の抜けた顔してて。
「ほら、勢雄さん。笑われてますよ?」
 って、突っ込んであげたら、
「お前さんだろ?」
 って、返された。
 
 志山さん、笑いすぎて咳き込み出したよ…。

 と、勢雄さんはすっとウォーターサーバーから水を持ってきてた。
 い、いつの間に。
 志山さんに渡して、背中とんとんして。
 …………う、羨ましくなんかないもんねっ!

───で。
 
 擦り合わせな訳ですよ。
 まず、
「スーラって、分かります?」
「クリスのとこの、メイドだろ?そうそう、そいつが二番目、生んだんだ。たしか旦那は……なんてったかな?」
「ラドス」
「そう!ラドス。でも変なんだよな?ラドスって、クリスの親代わりをしてた記憶もあるんだよな?なんでだ?」
 質問返しされちゃった。
 
 この人、ちゃんと設定を理解してるんだろうか?それとも設定の理解と演技は別物ってことなんだろうか?わかんないけど。

「それ、公式の設定じゃないです。まず、クリスの…メリクリオス家の使用人に名前はついてません」
 ウィキもなく、攻略したあたしをなめんなよ?
「クリス様の家庭環境は、クリス様が話すだけでビジュアルはないんです」
「…?じゃあ、わらわらといた…いや、四人か。茶髪のねーちゃんたちはなんなんだ?」
 
「少なくても、ゲームではないですね。……もしかして、設定資料的なものなんじゃないですか?ほら、キャラとか世界とか、プロなら踏まえるもんなんじゃないんですか?」
 知らんけど。

 すると、勢雄さんは言いにくそうに頭を掻いて、
「俺、そういう資料で深掘りするタイプじゃねーんだよな。だから、見てない。台本と現場のノリ。あとはディレクションで補完、でなんとかなんだよ」
 
 そういうものなのか?
 あたしはまだまだ雛っ子、なんだなって感じちゃった。
 
「考えるな、感じろって訳ですな」
と、志山さんがコロコロと笑いながら、あたしにウィンク。
 
「さすがに雑じゃねーか」
勢雄さんの探るような視線で、頭ポンポンされて。「セクハラじゃねーぞ」って、手を引っ込めたけど――寧ろ御褒美。
 
 あ、…気遣われてるんだ……?……もう…自己嫌悪。
 うー! えっと…
「さすが、プロ!て、ことですか?」
 なんて素頓狂なこと、言っちゃった。

「……で?結局それがなんなんだ?」
 あ、核心。

 志山さんとあたしは顔を見合わせて、頷きあった。
「スーラやらなんやらは、あたしも夢で見たんですよー。で。」
 
 バラエティー番組よろしく、手の平を志山さんに向ける。次どうぞ。
「図らずも、私も夢で見たんですよ。物語(ゲーム)で殺される子視点で、クリス様の二番目の子、ミリアの。」

 ん。わかるよ、勢雄さん。
 中二病を目の当たりにして、二の句が継げないね。
 呆れてるのか、可哀相なのか。
 そんな顔。
  
「……流行りのどっか行っちまう系か?お前ら、大丈夫か?」
「……まあ…私も実際、仕事中この病院でセイレン様見るまで、ただの夢なんだと思ってました」

「――はあぁ?病院で?この?」
「はい。この病院で、です――」

 すると、勢雄さんは拳で、とんとんって唇を叩いて黙ってしまった。
 長考。
 談話室のテレビの音。
 他の人の話し声。
 エアコンの音、がノイズのように流れ出す。
 ぼこっと、ウォーターサーバーが音を立てたとき、ようやっと勢雄さんが口を開いた。

「……殺される子って、ラウノか?」

 志山さんの目、後ろからぽんって叩いたら、ぽろって落ちそうなくらい見開いて頷いた。
 
 スーラ(あたし)が、いなくなった後のお話(展開)
 ――――あたしは、勢雄さんに何を教えたいのだろう?
 何を、分かってもらいたいんだろう。

「…はあぁ……」
 って、勢雄さんの深く長い溜め息。
 ご自分の頭をぐしゃぐしゃって掻きむしって。
 勢雄さんはあたしの顔をじいって見て、
 ふわって頭に手を置くと、ワシワシしてきた。
 お風呂の回数制限があるから、きれいじゃないですよ?とでも言いたかったけど、言えなくて。

「ま、そんな不思議なことも、あっていいじゃねーか?」
 って、ひどく優しい顔で微笑んでくれた。
「……それに」
 って、神妙な面持ちに変化して続けたのは、
「合わせるようでなんだが、俺のも夢だ。ここに運ばれて治療するのに痛み止め打たれて、朦朧としてて。たぶんあれだな、イベントの流れで、ワケわかんなくなってたのかな?」
 
 話を合わせてくれてるのかな?とも思ったけど、勢雄さんの手はずっとあたしの頭に置かれていて、むず痒い。
「で、たぶん脳内電波かなんかで共通の夢を見ましたな、お話なのか?」
 あ、勢雄さん、頭ワシワシ止めないで。
 離された手を名残惜しく眺めていたら、
「ここだけの話なんですけど」
 と、志山さんは、勢雄さんとあたしを引き寄せて、内緒話の体勢をとった。
 
 うんと、声を落として
「私が見たセイレン様が消えた時、ひとりの患者さんが亡くなったんです。きらきらと光って、天使みたいに消えたんです」

 昨日話してくれたことと、内容こそ同じだったけど、志山さんの言葉は熱を帯びていた。

「んー…その、なんか違うゲームの世界があるとしてよ?じゃあ、クリスが流行りのループしてるってのは、一体何なんだか見当つくか?」
 
「ループ?」
 あたしは、志山さんと顔を見合わせる。
「デイムメイカーに魔法はないですよ?」
「魔法かは知らん。黒髪の子と結婚して、その後――巻き戻った?そういや、いつもと違うって思ったっけ?」
 馬鹿話と一笑しないどころか、顎に手を当てて集中する勢雄さん。
 
「なかなかに、壮大でしんどそうな夢見てますね」
「だから、設定って思ったんだろ。俺が声を録ってない部分の――必要最低資料って勘違いしたんだろうよ。あまりにもエンディングの一枚絵だったからな」

 ――スチル、か。
 あ、もしかして、そう思ってあたしはスマホを探った。
 
「奥の手、になるかは謎ですが、これ見てみません?」
 

『独り言ち──変若水/ヲチミズ』side;勢雄


 ───ああ、そうだ。
 
 役者になりたかった。
 舞台でも、映画でもいい。
 重厚な、存在感のあるそんな役者。
 
 食うために受けた吹き替えのオーディションで、うっかり役がついちまって、うっかり人気なんか出てしまって、ずるずると抜け出せなくなって。

 果ては歌ったり、芝居しない舞台(ステージ)に引っ張り出されたり。
 そんで、まぁ、俺もちやほやされて、舞い上がって。
 
 でも、芝居は芝居。
 それなりに楽しんだが、ある時すっと、熱は覚めた。

 チマチマと貯めた金が、そこそこの額になり、ちょっと休むかと、セーブしながら仕事してたら、嫁が出ていった。
 人の縁なんて、存外脆いものなんだな、と思い知った。

 ──あっという間に十年経っていた。
 
 何とかなるもんだな?と、思ったが、流石に金は尽きるし、お子さま向けの番組を見ていたやつらがいい年になり、俺を引っ張り出したがる。
 
 ……で、何で女子供のオモチャの仕事なんだよ。
 溜め息しか出ないが、金払いはいい。
 仕事は、仕事だ。

 と、割りきろうとしていたが、気持ちは割りきれてなかったらしい。
 
 一昔前は、観客席なんざ見えもしない、でっかい小屋(劇場)でやってたイベントとやらは、最近ではCD屋の店頭でやるらしい。

 芝居をしない空間。
 はっきり見える客。
 押し出される苦痛。
 そりゃ、血吐いて倒れもするってもんだ。

 胃潰瘍、だと。
 ぽっかりと穴が胃に開いた。
 酒?タバコ?悪いか。

 イベント会場(CD屋)で気を失って、
 目覚めたら、シラナイ天井ってやつだ。
 年は取りたくないねー。

 病院でタバコ吸える場所を探してうろうろしてたら、談話室があった、が禁煙かよ。
 ったくよ。

 車椅子で、もたもたしてる子供がいたから声かけてみたら、コイツ、俺を知ってやがる。
 見れば…中学生か?
 余所行きの顔して誂ってみりゃ、涙ぐんでやがる。
 やりすぎたか?

 何だかんだで翌日も変な縁があるのか、談話室前で声をかけられた。
 いい加減、煙草(ヤニ)切れが甚だしい。
 いらっとしたまま振り返ったら、怯えとる。
 すまん。
 ジュース買ってやるから、勘弁してくれ。

 なんというか、不思議な子だと思う。
 俺のファンを声高にするが、要求がない。
 もしかしたら、知らないだけなのかもしらんが、「何かやって」がない。
 いや、『だいこうかいものがたり』のキャプテンは遠回しで熱望されてるみたいだが、声にしない。
 若い子特有の、くるくる変わる表情というのは、誰のものでもいいもんだな。
 なんて思えるほどには、年食ったわけだ。
 あーあ…

 いつの間にか、看護師が合流している。
 吐血の際に、たまたま客としていた看護師。
 看護師は健全に、|セイレン《石舘》推しらしい。
 
 ん。そうだよ。一昔前の俺のファンとか、おかしいぞ?中学生(お嬢ちゃん)と、思ったら高校生かい!
 入学式に入院とは気の毒なこった。
 よし、おっちゃんが遊んじゃる。
 いい暇潰しだ。
 

 ――――なんだそりゃ?
 同じゲームをやってる、嬢ちゃんと看護師。
 同じゲームに、声を入れた俺。
 ま、俺は俺の出てるところしか知らんが、それにしても、だ。
 記憶と一致しない。

 ひとつしか用意されていない結末。
 知ってる。
 そう聞いたし、台本にもそう書いてあった。
――「奇跡の聖女が見出した、運命の救世主<メシア>」
 …………なんじゃ、そりゃ?だけど。
 聖女が出来たことで、宗教のない世界に教会が発生し、概念さえなかった物語で《《結婚式》》が行われる。
 
 じゃあ、俺が知ってる、違う物語はなんなんだ?
 二次創作なんて、見たこともないし、もちろん作らない。
 仕事は仕事。
 録音してしまったら終わり。
 その筈だ。

 でも、確かに続いている。
 
 セイレンを引き取った。
 スーラが子供を生んだ。
 ミリアと名付けた。
 ラウノと会った。
 
 ――――夢?

 馬鹿げてる…で、片付けていいものか?
 
 セイレンの殺した子、ラウノ。
 それが、この看護師だとしたら?
 
 ───霧のように消えたのは、帰った(戻った)だけ、とでもいうのか?

 俺は、セイレンの震える肩を《《思い出して》》いた。

5・既望


 なになにと、勢雄さんと志山さんが、あたしのスマホを覗き込む。
「クリス様を攻略すると見ることが出来る、スペシャルコンテンツです」
「クリス様だけ?狡くない?セイレン様には無いの?」
 志山さん、かわいいな。好き。
 
「セイレン様はちゃんとゲーム内でいくつもムービーありますよ。クリス様はムービーも無いし、エンディングもひとつしかないんですよ」
 
 …………そうよ、ひとつなのよ。
 
 それこそセイレン様には、ハッピーエンドやら、トゥルーエンドやら、はては闇落ちしたりといくつかのエンドが用意されているのに、クリス様だけは『結婚式』が、最良で唯一のエンディング。

「あーすまん、それ、俺のせいだわ。出るのごねて、スケジュール押したんだよ」
 なんですと!?
 
「それで、パッケージにクレジットもされてないんですか?!」
 つい、大きな声が出ちゃったけど、勢雄さんは動じもせず、拗ねてるみたいな顔してる。
 
「ゲームって一人で録るんだぜ?あんま、好きじゃねーんだよ。別の仕事もあったしな」
「それって、言い訳?大人なのに」
 
「るせ。やなもんは、やなんだよ」
 こどもか?
 
「まあまあ、杉田さん。勢雄さんは血を吐くほど嫌だったんだから、勘弁してあげなさいな。血を吐くほど、だったんだ・か・ら」
 志山さん、目が笑ってません。

「……ふぅ……吐血するほど嫌だったんなら、仕方ないですね。――で、話を戻しますけど、結婚式の後、巻き戻ったんですか?――いつまでも拗ねてないで下さい」
 話が進みません。

 勢雄さんはチラッと、あたしのスマホを見て、あたしを見て、肩を落とした。
 ええ?なんで?あたし、言いすぎた?!
 
「……ああ、巻き戻って、いつもより若いな、って思って、テルルにセイレンを迎えに行く車に乗ってた」
あたし(スーラ)の妹が、運転手してました?」
 
「ああ。いつもは、セイレンが町の子を殺した時に戻ってたから、“おかしいな”と、思ったな」
「それ、セーブポイントですよ。周回プレイで、クリス様狙いの時だけ、『町の子殺し』からやり直せる」
 
「なんで、クリス様だけ…」
「出てくるのが遅いから?分かんないけど」
 
「なんで、殺した後なんだ?殺す前なら止められるじゃねーか?」
「家出するセイレン様を、ヒロインと一緒に探すか探さないかが分岐だから…?」
 
「でもよ?フツー、そういうループ?とかって、区切りっていうか、一旦死んでから起こったりするだろ?そうじゃねーんだわ」
「? どういうことです?」
 
「セイレンの結婚式なんかは、まあ、区切りっぽかったけど、いきなり突然くるんだよ。ぴたって周りが止まったかと思うと、白い靄がかかって暗転すんだ。飯食ってたり、仕事してたりしてる最中もお構いなしに」
 
「なんでしょう?エンディングみたいですけど、わかんないや。ごめんなさい」
 
 結局、奥の手は奥の手にならなかった。
 いいとこ見せたかったな。
 
 したら、勢雄さんはまた、頭ぽんぽんしてくれてて、
「いっか、ま、夢だしな、夢。奇妙な話だが考えても、たらればだ」
 と、大きく伸びをした……のに、その手はまた、あたしの頭に戻った。
 
 と、志山さんが上目遣いで、あたしを見てる。
「…ねえ…どうしたらセイレン様エンド、見られるの…私、町の子殺しても、最初からやり直しになるんだけど…」
 捨てられて何とかみたいになってますけど。
 
「ああ、石を持ってないとダメですよ。だけど、指輪だけは貰っちゃいけない」
「それだ!指輪貰ったよ…最初の子に。ほいって、くれるんだもん」
「あーあ。ダメですよ、本命以外から貰ったら」と、志山さんと攻略の話に突入しそうだったんだけど、あたしの頭から勢雄さんの手が離れた。
 
「なんか、めんどくさそうなゲームだな?楽しいか?」
「楽しいですよ!クリス様が勢雄さんと気づいた時から、俄然張り切りました!」
「お、おう、そうか。よかったな」
「はい!」
 よくよく考えたら、本人に向かってなに言ってんだ?だけど、ホントだもん。仕方ないよね!


 ◆

──夜の帳が下りた街。
窓の外には、虫の点す灯りにも似た火が、辺りに漂っている。

その静寂に放たれた矢のような鋭い嘶き。
心臓の鼓動が胸の奥で低く響いた。

一歩、また一歩と未知の足音が近づいてくる。

そこに現れたのは、黒銀の髪を肩に揺らす男。
黒曜の石に彩られた装飾を襟にまとい、
緑の瞳をいたずらっぽく光らせている。

「……ここまで辿り着くとは、驚いたよ。見つけてくれて、ありがとう」

彼は名乗りを省き、ただゆらゆらと微笑んだ。

「ああ、自己紹介はいらない。君のことは全部知っている」

その瞬間、静かなピアノの旋律が、
壮大なオーケストラへと変調し空気を揺さぶった。

視界いっぱいに広がる白光の中、
六つの影が並び立つ。

各々を象徴する石が、さまざまな装飾品へ形を変える。

その中心に、あり得ない存在感を纏う
――黒曜石の化身、クリストファー。

「彼ら全員と紡ぐ物語の先に、まだ見ぬ真実が待っている」

やわらかで、印象的な低い声が告げる。

そして目の前には、
淡く輝く《選ばれし者の証》が浮かび上がった。

・すべての顛末を受け止め、なお歩む者
・時の環に落ちた“欠片”を拾い集めし者
・語られぬ記憶に触れ、忘却の門を開きし者


「……さあ、行こうか。君の望む未来へ」

緑の瞳が真っ直ぐに射抜く。
白光が扉のように開き、
その先に新たな世界が広がっていた。

───Special Thanks
 
─────

「……さあ、行こうか。君の望む未来へ」
「どわあっ!びっくりした!耳元は卑怯です!」
 
 こうやって勢雄さんは、背後からあたしを驚かすのがすっかり定着してしまっている。
 そりゃあ驚くけど、あたしには御褒美以外の何物でもないんですけど!

「…お嬢ちゃん、ホントに好きな?それ」
「だって、勢雄さんですよ?!好きですよ!」
「……ま、いっか」
 呆れたように、照れたようにそっぽ向く横顔。――素敵。

「で、勢雄さんはまた一人で寂しく談話室ですか」
「…お嬢ちゃんもだろ?」
 その声には意外にも誂いはなくて、なんか、元気ないのかな?
 ……入院してるんだから、元気はないか。

「あたしにはクリス様がいますもん!」
 気になるけど、聞いていい立場じゃない。
 あたしは、ただのファンだ。
 
「そうか。じゃあ心配ないか。退院が決まったよ」

 ――――えっ?

「…あ、そ、そうなんですね。これで、お仕事バリバリ出来ますね!何から始めるんですか?アニメ?ゲーム?それともお芝居?テレビとか?映画とか?あ、ハリウッドとか?あたしが見られるものにして下さいね。そうじゃなくても見るけど…」

 最後まで言いきる前に、あたしの頬を勢雄さんの指がなぞる。
 勢雄さん、物憂げですよ?

「……泣きながら言ってんじゃねーよ…」

 あたし、泣いてたんだ。

6・片割

 勢雄さんが退院した後、あたしが退院するには二ヶ月を要した。
 退院したらしたで、直ぐに夏休みになってしまって、遅れた勉強を取り戻すのは、至難の業だった。
 よって、高一の夏休みは補習で終わった。

 とはいえ、高校生活はそれなりに楽しく過ごして。
 告白とかもされちゃったりして、お付き合いとかもしてみたけど、女の子と遊ぶほうが楽しくて、放っといたら罵倒された。
 
 いっけどね。
 
 入試だなんだって、ばたばたして、
 あっという間に大学生になっていた。
 
 相変わらず勢雄さんは舞台三昧で、チケット買う身にもなれや、なんだけど、そこはこう……惚れた弱みってやつよね。
 日参したい気持ちを堪えて、初日と千秋楽だけは押さえることで我慢した。
 時々、お母さんがチケットを用意してくれたのは助かった。素直に甘える。
 ありがとう、母。

 で、夏休み。
 チケット代のためにも、バイトでもやろうと検討していたら、母に電車で二時間程離れた観光地を薦められた。
 なんでここ?って聞いたら、お父さんと遊びに行きたいから!って。
 まだ学生のあたしになに言ってんだ?この人は。
 
 まあ、お父さんには反対されましたわな。
「住み込みでバイト?未成年なのに何考えてんだ」って。
 あたしもそう思う。

 母曰く、家族経営のお店のお宅で泊まらせて頂けてのお仕事らしい。
 ……って、母? すでに決定事項なのですね?

 そんなこんなで、大学一年の夏休みは、
 気づけばもう全てお膳立てされておりました。
 勢雄さんの舞台だけは観に行かせてください、後生ですから。

 ───で、気づけば夏某日。
 ニヒルな面持ちの電車に小一時間ほど揺られてやってきました、観光地。

 その駅の片隅に、ひっそりと象さんが御座したお城の情報を発見。
 今はいらっしゃらないのね。
 お亡くなりになって幾星霜。
 アイドルだったという象さんに、合掌。

 駅前のお土産やさんをするすると通り抜け、裏通りに。
 そーいや、父と母はこの後、もう少し先にある遊べる温泉で遊ぶんだとか…大学生より遊んでないか?ま、夫婦仲良いのは何より。

 そうして着いたのは、なかなかの店構えのかまぼこやさん。
 観光客もちらほらいるけど、地元密着型な様相で、お隣は同じ屋号の居酒屋さん。
 て…屋号…。

「かまぼこのせお……??って、もしやお母さん?!」
「そのとーり!なんと、勢雄さんのご実家であらせられます!」
「なんだと!」
 あたしより先に、お父さんが驚いた。

「昔のファン仲間では有名なのよ。思い返して探してみたら、バイト募集してたから、一石……何鳥かしら?」
 なんて、涼しい顔してる。
 
「……ここで、お泊まり?」
「あら?嫌かしら?」
 ぶるぶる、頭をふって、勢雄さんのスケジュールを思い出す。
 ん。地方公演中。
 で、半月後に戻り公演。
 多分、会うことはない。

 店先で騒いでいたら、すんごい和服美人さんが現れた。

「おや?もしかして祥匡(あの子)のファンかい?久しぶりだねぇ…」
 
 粋とか、イナセとか、この人のためにある言葉なんでは?と思うような美人さん。
 お母さんがお父さんをそっちのけで、
「バイトをお願いした者です。初めてでご迷惑お掛けしますがよろしくお願いします」
「こちらが?あの子もいい年して、えらくまあ、若い子引っ掻けたこと」
 あたし、引っ掛けられてたの?いやいや。

「何々?!お兄ちゃんのファン?!そんなのまだ存在してたんだ!」
 と、先の美人さんとは、タイプの違う美人さん。おお…目が癒される…。

 お母さんは、何か言いたげなお父さんを引きずって、あたしをその場に残して去っていった。
「おっふろ!おっふろ!」
 ……母?

 ろくな紹介もなしに取り残されたあたしだけど、美人さんたちを失望させては居たたまれない。
「杉田 弥依、十八才です!ご迷惑お掛けしますが、よろしくお願いします!」
 元気良く宣言したぜ。

「何から始めましょう!」
 と、働く気満々だったけど、
「明日からでいいわよ。今日はゆっくりなさい」
 いいんですか?美人(はは)さん。
 
「そうそ。この辺初めてでしょ?暇な旦那に案内させるから──」
 美人妹さんがすっと奥に入ると、優しげな男の人を連れてきた。
「これ、うちの旦那。…ほら!可愛いからって手出しちゃダメよ」
 と、あたしの手から荷物を引き取った。
 
「僕は君だけだし、義兄さんの秘蔵っ子に手出し出来るわけないじゃない」
 ? 秘蔵っ子とな?
 ポカンとしていたら、
「「「彼女じゃないの?」」」
 って、見事な三重奏。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
 声量の調整?出来るわけないわよ。
 何がどうなってんだ?

 お三方は顔を見合わせて、プチ家族会議に入ったようだ。
 うちの母は一体どんな斡旋をしてるんだ?
 そうだった、とか、あー、とか時折聞こえてくるけど、お他所のお宅の事情に首を突っ込んではいけない。
 聞こえないように離れて、陳列棚を眺めてよう。

 わ、可愛いな。
 かまぼこ?しんじょっていうのね。中に海老さんがいる。
 へえーかまぼこって一口で言っても、色々種類があるんだな。
 と、壁の隅に勢雄さんのサインと写真があった。
 勢雄さんっ!若い!
 うわっー!

「それ、二十年は前の写真よ。二十歳くらいの時かしら?」
 と、美人(はは)さんの解説。
「あの頃は、ここにも連日女の子が押し寄せてねーびっくりしたわよ。今じゃ閑古鳥だけど」
 て、顔に似合わない声でガハハって笑いだした。
 やっぱ兄妹だなー。勢雄さんみたい。妹さんの方が美人さんだけど。
 
「へえー。でも、今の方が素敵ですよね」
 ……あれ?……美人な母子は顔を合わせたあと、あたしの方に向いて、ふわって微笑んだ。ううっ…美のステレオ放送。
「あの子も幸せ者だ」
 って、ん?あたし、なんか変なこと言ったかな?言ったな。
「さて、そろそろ行こうか」
 と、妹旦那さんが声をかけてくれたので、乗ります!杉田逃げます!

「おー!大将!白昼堂々浮気かい!」
 と、道行く方から声がかかる。

「違います!僕は妻一筋です!夏休みのバイトの子です!」
 て、いちいち説明してるのが可愛い。
 てか、きっと回りの人たちも分かってて言ってる。
 うちの方じゃ、こんなご近所付き合いってないから、フィクションだと思ってたよ。

「人気者なんですね」
「遊んでるだけだよ。隣の居酒屋が僕の店。皆、常連さん。こっちはいけるほう?」
 人差し指と親指を、くいっと動かす旦那さん。
「? こっち?とは?」
 何だろう?
「お酒。飲まないの?」
「未成年ですから」

 お酒って美味しいのかな?
 入院中の勢雄さんも、酒だ、煙草だって言ってたよな。
 
 商店街を闊歩していたら、六回は浮気疑惑をかけられた。
 ん。人気のお店なんですね!

「戻りました!」
 ただいま、は違うかな?と思ったんだけど、美人(はは)さんが、悲しそうな顔になった。
 え?
「他人行儀じゃない」
て言われるけど…あう。
「えっと…すいません、えーっと、勢雄さん!」

 ……間違ってないよね?
「それ、言っちゃったら、皆『勢雄』」
 何でも、美人妹旦那さんは婿養子なんですと。

 美人妹さんは、自分を指差して
「わたしはおねえさん、とかでいいよ。旦那は」
「大将とか呼んでくれたらいいよ」
「では、私のことは、祥華(しょうか)とお呼びなさい」
 え?いやいやいやいや!ダメでしょう!目上の方を名前呼びとか!
「なんで、母さん。敷居をぐっとあげるの」
 そうです!美人…じゃない、おねえさん、その通りです!
「女将さんとか言われたくないもん」
 て、可愛いかよ。 

「ご馳走はないけど、召し上がれ」
 お風呂(温泉!)から上がって居間に通されると、食卓には所狭しとお皿が並んでいる。
 海鮮!うお…
「お魚ばっかりでごめんね。かまぼこも店の余り物だし」
「お魚大好きです!甲殻類は神!です!」
「そりゃ、良かった。たんと召し上がれ」
 
 気になってた、しんじょのお吸い物。
 ふわふわして、美味しゅうございます。

 ごちそうさまでした。


 
 

7・哉生

 それから、長期の休みの度に勢雄さん家にはお邪魔していた。
 二十歳になったときに、「お酒解禁だね!」って大将に言われたけど、なんとなく飲めなかった。なんでかな?わかんないけど。
 
 わかんないことと言えばもうひとつ。
 
 商店街の方々が、あたしを長男の嫁扱いしてくる。ちーがーうー!退院してから、あたしがお芝居を一方的に観に行くだけで、話してもないのに!もう…困る…ん……困る。

 ――

『満員御礼。お好きな出演キャストの撮り下ろしフォトポストカードを特製フォトスタンドでお手元に!』
 
 勢雄さんの舞台の千秋楽に来たらそんな企画がされていた。
 初日には無かったよね?
『ご購入者先着十名様に本日終演後握手会開催!』
 なんですと?!

 一番人気は、セイレン様のCVだった石舘さんで、既に売り切れてる。流石だね。
 志山さんに、教えてあげたいけど、赤ちゃん生まれたばかりだから無理かな?メールだけ送っとこ。
 
 …………あら?勢雄さんたら、売れ残ってるじゃん!……もう、仕方ないなあ…と、購入して、握手会……予約して。
 
 ――どんな顔して会えばいいんだろう?
 あたし、あの頃どんな顔をしてただろう。
 会いたいのかな?───会いたいな。

「よう、久しぶり」
「どわっ!だから耳元はやめてくださいって!」
 背後からの懐かしいやり取り。
 含み笑いで、全くもう、自分だけ楽しんで。
 この人、ホントにこれ好きだな。

「可哀想だから買ってあげましたよ」
 思い切りすまして言ってやる。
 ふんだ。
 
「一昔前ならあいつらにも負けてなかったんだけどな」
 と、言いながらもちっとも悔しそうじゃない。なんで?
 一昔前って、お店にあった写真の頃のことかしら?
 ご実家にまで、ファンが押し寄せて来てたんですものね。
 ――――むっ。…え?あれ?おや?
 パシって自分の頬叩いたら、勢雄さんがキョトンとしてる。相変わらず可愛いかよ。
 
 に、しても、
「何でまた、こんな自虐的な企画を……」
 って、悪態をつくあたしに、
「どっかの恥ずかしがり屋さんに気を遣ったつもりなんだが?こうでもすれば、哀れな年寄りにお慈悲をくれる優しいお嬢ちゃんが現れると思ってな」
 って、祥華さんにも似た笑みが溢れる。
 やっぱ、親子だなー。素敵。

 あれ?
「あたしに会いたかったの?」
 気になることは聞いておく。
 これ大事。
 
「アンケートだけって、寂しいじゃないか?しかも毎回、びっしりと書き込んで来るのに、楽屋に顔出しもしない。水臭い」
 そういうことね。
 
 会いたかった、と言われたのも驚いたけど、一々アンケートをちゃんと読んでることにも驚いた。
 
 でも…名前。
 ニックネームで記入で、住所も電話番号も書かなくて良かったから、『スーラ』って書いてたのに、ホントに気づいたのかな?

「お、推し活とはそういうものです。線引きは必要って……アンケートって読んだんですか?」
 気のせいだ。ん。そう。
 
「読むよ。しっかり全員で回し読む。『スーラ』さんのアンケートは、みんな楽しみにしてる」
 マジか?!
 うわっ!
 初日にアンケート用紙を持って帰って、何日も推敲して。
 楽日に出すのを常として、結構びっしり書いてたのに。

 勢雄さんは、あたしの頭に手を伸ばしたけど、触れずに引っ込めた。
「折角キレイにしてるのに、弄ろうとして済まなかった」
 って…いいのに。
 
──
 
 卒業後は、プロダクション・テルルで働くことになった。
 一度だけ病院で会ったゲーム屋さんは、あたしのことを覚えてなかったみたいだけど、勢雄さんと一緒の時に会ったって話で思い出してくれた。「公開前に、先輩(クリス)落とした子だ!」って、なんかそれ人聞きが悪くない?

 んで、会社では目下、『デイムメイカー』のパズルゲーム化が企画、進行されているらしい。
 データの救済措置――つまりはリサイクルなんですね。

 あたしの心の支えであり、青春の光(笑)だった『デイムメイカー』への扱いが、癪に障りはするけれど、今一度陽の目を見るのですね!……って、言ったら「陽の目、見たっけ?」って、社員さんたち?!自社製品だよ!酷くない!

――――
 
 歓迎会のこぼれ話で聞いたところ、『デイムメイカー』は当初、クリス様は攻略ルートどころか、声がつく予定はなかったらしい。
 処が、件のゲーム屋さんが、勢雄さん曰く『うっすい縁』で引っ張って来たことで、一部の開発さん、シナリオさんその他にやる気の火をつけた、と。
 だから、パッケージにクレジットもない扱いだったんですねー、と染々。
 お酒を注がれようとしたけど、「飲めないんで」って断っちゃった。
 ………。

 パズルゲームな『デイムメイカー』には、まあ思うところは色々ありはするけれど、勢雄さんの新録のお声が聴けるのなら、何事にも代えがたい。そしたら、面白がったゲーム屋さんが「勢雄先輩を口説き落としてくださいよ~」って。いや、無理じゃない?あたしにそんな力はなくってよ?
 てか、会うの?会っていいの?

 この間の舞台から、まだ三ヶ月もたたないのに勢雄さんは次の舞台に出演し()ていた。
 今回は客演とはいえ、間が無さすぎませんか?道理でご実家には全くもって現れないわけだ。
 しっかり初日は観たんだけど。
 
 そしたら、ゲーム屋さんが打ち合わせを兼ねて、就職祝いしてもらいなさいって、金曜日のソワレのチケット付きで、勢雄さんと会う約束を取り付けてくれた。
「『新人』の『女の子』を『一人』で『夜』に行かせるのは大いに気が引けるんだけど、次の日は休んで良いから楽しんできて!」
 って、仕事…なんですか?てか!次の日、土曜日ですよ?だまされてる?あたし。

 夜、かあ。
 なんとなく、お酒を検索してみる。
 へえ…カクテル言葉なんてあるんだ。
 ……
 『真意が知りたい』プレリュードフィズ
 『胸の痛み』カカオフィズ

 や、お店にカクテルあるとは限らないし!知ってるとは限らないし!
 第一、お酒のお店とは限らないし!
 
 あたし、どうしたいんだろう?

───

「おう、待たせたな、就職、おめでとさん」
「どわっ!もう!何度言ったら!」
 この人、自分のお声の破壊力を知ってるのかしら?
 
「デイムメイカーの続編を作るんですよ!」
「……はぁ?そんなに売れてないだろ?」
「はい!悲しいくらい売れてないです!なので、今回は流行りのパズルゲームです!キャラだけ登用です!新規録音、宜しくお願いしますね!」

 勢雄さんは、くすくすと腰を折って笑い出した。
「だよな。…ったくブレねーな。で、ファミレスとかでいいか?」
「あたし、初めては勢雄さんって決めてたんです!」
 
 何を言ってるんだ?あたし。
 ほら、勢雄さんたら、笑うのも忘れて豆鉄砲食らった鳩になってるじゃない!
「お酒!お酒飲みに連れてってください!」
 咄嗟に口から出たけど、間違ってない。
 ん。合ってる。
 合ってることにしてください。

「…あ、あーね。もう、そんな勘違いさせるようなこと言うもんじゃねーぞ?」
 頭…ぽん…ぽん…。
 ……
「勘違い…するの?」
 ぽん、ぽん。
 
「世の中の男が、だよ。おっさんだから間違いにならないんだぞ?」
 両手を腰にして、偉いぞポーズ。

 ……ふん、勘違いしろよ。

 大将のお店みたいな居酒屋さんを予想してたら、ホテルのバーに連れていかれた。
 勢雄さんが、都内でお仕事の時に宿泊しているホテル。
 昔の役者仲間がフロントさんで、内緒で自由が利く……って、内緒で何するの!って聞いたら、帰れなくなった役者さんを(追加料金で)泊めてあげたりできるくらいの融通が利くんですって。持つべきものは仲間だね。

 そんな感じで、あたしの初体験の夜が始まったのです。
「なに、ニヤニヤしてんだ?気持ち悪いな」
「気持ち…!失礼だな!」
「やーらしーこと考えてんじゃねーぞ。こういうところの方が、いらん火種をつけねーんだ」
 って、言われて、ああ、この人は気の良いおっちゃんじゃなかったんだと思った。
 この人は、メディアに顔出ししている、特殊な人なんだ、と。


 

8・二十三夜

 触り慣れない感触に、違和感を覚える。
 冷たい、硬いシーツ。
 家…ではないな、ならどこなんだ?

 恐る恐る、薄目を開ける。
 睫毛の隙間から、明るい光が差し込んでる。
 夜…だった筈、だよね?

 ──知らない天井。
 病院…と似てるけど…ホテル?ホテル?!
 シーツの感触がダイレクトに太腿に当たってるんだけど…頭だけぐるっと動かして、壁に、着ていたはずのスーツが、ご丁寧にハンガーに掛けてあるのを見つける。

 えっとぉ…

 一人掛けのソファーに座り、眠っている勢雄さんが目に入る。

 やっちまったんでしょうか?
 自分を肌掛けの中で確認すると、大きなTシャツを着ている。中は夕べ着ていたタンクトップで、…………パンツは履いてる。
 ……

 記憶を辿ると、二杯目に口をつけた所でぷっつりと途切れている。

「気分はどうだ?吐き気はないか?」
「どわっ!だから、耳元はやめてくださいって!」
 てか!正面から、耳打ちって!
 いつ目を覚ましたんですか!
「ん、元気そうだな。良かった」
 勢雄さんはそのまま、ベッドに腰かけた。
 
 あたしの耳元で惜しげもなく商売道具(イケボ)で囁く。
 ありがたや…じゃない。

「すいません!ご迷惑をおかけしました!」
 ベッドの上で、土下座する。
 
「いや、俺の監督不行き届きだろ。具合悪くなければいいさ。あ、親御さんには連絡しといたぞ」
 親?とな?
「親…どうやって?」
「ん?入院中に交換したぞ?知らなかったのか?」
「知りません!…っの、母め…いつの間に」
「それより、姿勢は戻し給え。あちこちから、色々覗けるぞ?」

 勢雄さんの言葉に、自分の姿を見ると、大きなTシャツの首から胸が丸見え(タンクトップだけどね!)で、太股も晒している。
「……がっ!お、お粗末様ですっ!」
 と、慌てて肌掛けにくるまる。
「なんだそれ」
 笑いたければ笑えば良いさ。
「喜んで頂き、ありがたき幸せでございますぅ」
 頭からすっぽり被ってしまった肌掛けの隙間から勢雄さんを見れば、笑いながら──微笑みながら、あたしを見てる。

 ねぇ?そんな顔されたら期待しちゃうよ?

「じゃあ、俺はシャワー浴びてくるから、着替えちまいな。|劇場(小屋)入りの三時までなら遊んでやる」
「|(ソワレ)の時って、三時入りなんですか?!ご迷惑じゃないですか?!」
「迷惑なら提案しないさ。楽な格好がいいなら買いに行ってもいい」
「え、いや。着てきた服で充分でございます」
 ふっ、と笑い声をあげて勢雄さんはベッドから立ち上がり、スーツを渡してくれた。

 浴室からの水音を聞きながら、スーツを眺める。
 ……着替え、させてくれたんだよね……
 胸…足…ぜーんぶ見られてるの?
 
 改めて色恋の頭数に入ってないことを、実感して、目頭に熱が走り、鼻の奥が痛い。
 あーあ。
 ダメじゃん……

 てかさ。思うのよ。
 恋人でもない男の人に、こんな風に扱われちゃって、この先あたしは別の人と恋愛できるのかしら?
 基準が勢雄さんになっちゃうのって、どうなんだろ。
 いっそ。  いっそ、貰ってくれたらいいのに────

 スーツに着替えて、大きくため息を吐いた時、勢雄さんが浴室から現れた。
 幾分湿った髪だけど、きちんと浴室で身支度してる。
「なんだ?大きなため息だな。幸せが逃げていくぞ?」
「…ふっ、勢雄さんだけあたしのパンツ姿を見て、ズルいなって思ったんですよ」
「俺のパンツが見たいのか?」
「そういう訳でもないですけどね」
 我ながら、訳の分からないことを言ってるのは自覚してます。

「で?どうすんだ?なにする?なにしたい?」
 矢継ぎ早に聞かれて、特にしたい事もないのに気づく。
 あたしもシャワー浴びたいけど、それは家に帰ってからしろ、って止められた。
 気持ち悪いかもだけど、我慢しとけって。
 やっぱり、勢雄さんはズルいな。

「勢雄さんって、何でバツイチなの?」
「儲け話を避けたからじゃないか?ただでさえ不安定な職で、安定から逃げたからな」
「ふぅん…大人は大変だね」
「君もその大人の仲間入りしたんだろ?」
「そうだった…!」

 馬鹿話が楽しい。
 打てば返るって、こんなことなのかな。
 心地好い遣り取り(リズム)

「メシでも、茶でも、取りあえず出るか」
「このままここで、おしゃべりでもいいですよ?」
 少し間を空けて、言葉を掴んだ勢雄さんが言う。
「いや、出掛けよう。腹へった」
 その姿に、なんかもやっとした。
 いらっとかな?うー!

「人目を避けたいんですか?二人きりは避けたいんですか?どっちなんです?」
 考えなしに口をつく言葉。
 責めたい訳じゃないのに、これじゃあ、責めてるみたいだ。
 
 勢雄さんは、おっきな溜め息をついて、手で顔を覆った。
 いつもの余裕綽々の表情は見せてくれない。
 指の隙間は開いていて、あたしを見てるから、睨み付けてやる。

 エアコンの自動風量の強さが変わる音がして、冷たい空気が止まる。

 あたしは、勢雄さんをソファーに押し倒して、キスしてやった。
 軽く、触れるだけのキス。
 こんなんで、何か変わるなんて思ってない。
 そんな簡単に堕ちる人ならばこんなにも抉らせてはいない。

 ただ、貴方を想っているのだと、刻みつけたかった。
 深く、深く刻み付けることが出来ればいいと浅はかなのは百も承知。

「やめとけ」
 冷静な勢雄さんの声。
 大好きな、勢雄さんの声。
 こんな、困った顔をさせたかった訳じゃない。
 
 自分の意思とは関わり無く勝手に流れ出る涙。
「なんで、どうして…あたしは、ファンでいたかったのに…どうして…試すみたいな…握手会なんかしたんですか!」

「あー…それは、謝る。すまん。久しぶりにおまえさんと話したかったんだ。申し訳ない」
「へっ…?」
「…ぐぉ!」

 素直に謝られて腰が抜けて、あたしは勢雄さんのお腹の上に体重を落としてしまった。

「ごめんなさいっ!」
「…勘弁してくれよ。|夜公演(ソワレ)あんだぞ?」

 そう言って、勢雄さんの手はあたしの頬に伸びた。
 尻餅で止まった涙の跡を拭ってくれてる。

「おまえさんが、二十年早く生まれてきてくれてたらな」
「それなら、勢雄さんが二十年遅く生まれてきてくれてもよかったんじゃないですか?」

「「でもそれじゃ絶対会ってない」」
 あたしたちは大笑いした。

「そろそろ下りて貰えませんかね」
 て言う勢雄さんに、なんだか悔しいから想いっきり抱きついてあげた。
 
──── 
  
 祝福の、鐘が鳴る。
 祝福の、花が舞う。
 祝福の、鳥が飛ぶ。

 祝福の…、
 …祝福の…、
───祝福…。


「なんて顔してんだ」
「別に、何でもないですよ」
「折角の晴れの日だって云うのに、仏頂面はよせ」
「泣くの堪えてるだけです。お化粧剥げちゃう」
「泣きたいのか?」
「ダメですか?」
「いや、別に」

いつもの軽口。
いつもの笑顔。
そう、いつもの。
今日は、あたしの結婚式だ。
幸せ、だ。

「じゃあ、後でな」

そう言って、扉を出ていく勢雄さん。
思えば、長い付き合いになったな。

あれから───
 病院で出会ってから十年……

「それにしても、芸能人と知り合いなんて、びっくりしたよ」

私の隣で、微笑む彼。
勢雄さんとは違う。
熊みたいなおっきい体。
あたしをちゃんと抱きしめてくれる人…

「スゴいでしょ?」
自慢気に微笑むと、しゅんとしてる。
もう、仕方ないな。
「雲の上の人だよ…」
って、彼の頭を抱きしめる。

彼の頭を胸に抱いて、
ごめんね。
これで最後にするから、今だけ勢雄さんを思わせて。

 ────初恋には、厳重に蓋をして、
でも、キレイなリボンを掛けて、
胸の奥に仕舞っておくから。

そう決めたのに、笑うんじゃねえよ。
挫けそうになるじゃん。

……ばーか。

泣きそうになってるあたしの頬を、彼のおっきな手が包んだ。
 
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 

『独り言ち──月読/ツクヨミ』side:勢雄

 本心を幾重にも入れ子する。
 そんなこと、ずっと当たり前にやって来た。
 それが、罷り通る職業──役者。

「あんた、いつまで弥依ちゃんほっとくの! そんなんじゃ、かっさらわれちゃうわよ!」
 お袋よ……世間様に顔向けできる年齢差だと思ってるのか? アイツの両親は、俺より年下なのに。

 ──けど、
 ひどく雑に、そのくせ頑丈に梱包された本心の行き場は、
 お袋たちの言う通りにすれば、丸く収まるのだろうか。

 複雑に寄せ集まって、きれいな紋様を作る寄木細工の絡繰魂箱。
 俺の中で確かに存在して、
 手に取ることもできず、
 ただ、戸棚にしまって眺めている。

 例えば……
 アイツと二十年前に出会ったとする。

 ……ダメだ、俺、結婚してた。
 ──二十年前の俺が、今のアイツに会う……想像つかねぇ。

 多分、一ミリも興味は湧かない。
 そんな気がする。

 ────

惣羽田 五月(そうだ いつき)さんです! 四月吉日に披露宴です! つきましては、その司会をぜひ勢雄さんにお願いします!」
 正月を控えた日、珍しく俺を呼び出したアイツが言った。

「俺は高いぞ」
「そこはほら、おともだち価格で、ね?」
「友達だったのか?」
「もー、勢雄さんのいけず!」

 ちら、と彼女の横に座るソイツを見ると、熊のぬいぐるみを連想させる。

「嘘だよ。ご祝儀だ」

「惣羽田さんは、造園のお仕事してるの」
 ……ああ、そうか。
 なるべき縁ってことか。

 それだけ言うと、彼女は彼の隣で運ばれてきたジュースに口をつけた。

「……あの、すいません。ぼく、アニメとか疎くって……でも、間違ってたらすいません。『夏椿のはなのいろ』に出てませんでしたか? 武将の役で」
「チョイ役だったのに、よく知ってるな」
 で、隣の女、なんで自慢げに頷いてる。

「チョイ役だなんて! 有名武将じゃないですか。あの武将の最期って、歌舞伎でも見せ場になってて、こう、派手な感じで。でも……あなたの最期は静かで、本当に全てを見切ったみたいで、印象的だったんです」

 ウンウン、と彼女は大きく頷いて、
「流石、勢雄さんの演技よね」
「おまえ、ドラマもチェックしてたのか」
「当たり前じゃないですか。勢雄さんですよ?」
「……ったく、おまえは俺のなんなんだよ」
「ファンですけど、なにか?」
「あー、ソウデスカ」

「ぶっ! あはは! 勢雄さんって渋い顔して、ノリいいんですね」
 と、隣の彼が吹き出した。

「勢雄さん、笑われてますよ?」
「おまえさんだろ?」

 と、笑いすぎて咳き込み出した。
 彼女はすっと水とハンカチを差し出し、背中を叩く。
「ほら、落ち着いて」

 俺は、届かなくて行き場のなくなった自分の手を見ていることしかできなかった。

「君、早まったんじゃないか?」
 ちょっとだけ、嫌味。
 女々しいな、俺も。

「何かに打ち込めるのは、いいことです」
 真っ直ぐな瞳。
 一拍おいて、見つめ合い、笑い合う二人。
 …………良かったな。

「いいお式だったねー! まさか私たちまで呼んでいただけると思わなかったよ! 弥依ちゃん、きれいだったね!」
「俺様の司会の賜物だな」
「はいはい」
「そうだねぇ。ホントに弥依ちゃん、きれいになったねぇ。──でも、君もきれいだよ」
「……まあ……」
「……なにやってんだ、バカップル」
「バカップル上等。羨ましいでしょ~お兄ちゃん」
「そうですよ。地元商店街でも『勢雄の長男が弥依ちゃん棄てた』って、盛り上がってますよ」
「棄てたって……」
「だから、さっさと捕まえとけって言ったのに。ぐずぐずしてるから。自業自得だよ」
「お袋! だから、そんなんじゃないって!」

「まあ、そんな時は!」
「楽しく呑もー!」
「おー!」
「……呑みたいだけじゃねーか」

 見上げれば──蒼い月。
 グラスに浮かべて、幻を飲み干す。

「弥依ちゃん、いい子だったね」
「……お袋。──ああ、そうだな」

「あんなにきれいになって。惜しい?」
「──ああ、そうだな」

「一緒にお酒呑みたかったなぁ」
「えっ……。あ、ああ、そうか」

「……おや? 財布でも落としたかい?
 ……まったく、仕舞い込み過ぎだよ。
 ──大切だった?」

「……ん、大切だ」

1『ひとりごつ──アシハラ』side志山

 金曜は夜勤だった。

 アル中の疑いで運ばれてきた患者さん――佐東さんは、ただ深く眠っているだけのように見える。
 …………一先ず、経過観察。

 明け。
 明日も夜勤だなー。
 土日の進級進学ラッシュで、お母さん看護師はこぞって有給を取っている。
 致し方ない。
 取りあえず、寝よう。

 日曜日。
 今日も夜勤だけど、最近はまってるゲーム『デイムメイカー』のショップイベント(昼の部)に、這うような心持ちで出掛ける。
 
 隣町のショッピングモール。
 …うっ!喧騒が眩しい…。
 あ、ついでに靴下買わなきゃ…
 
 ──
 ああ…石舘さん(セイレン様)…素敵だわ。
 それにしても、私はいつになったら、セイレン様を攻略できるのでしょう?
 なんて思いを馳せていると、いつしかステージは神妙な雰囲気に変わっていた。
「そして本日、ついに解禁…」と、MCさんが片手を広げたその刹那、注目すべく指し示した手の先――。
 テープで仕切られただけのステージのキャストが一人、膝をついて踞っている。
 
 きゃあ!とざわめく客。
 キャストの口を押さえた手から、ポタポタと床に滴り落ちる、血。
 
 スタッフさんの一人が「先輩っ!」と、吐血の人物の体を抱き起こそうとしているのが目に入る。
 
「抱えちゃダメ!」と叫ぶと同時に、私の体は動き出していた。

「タオル下さい!私は看護師です!」
 ゆっくりと彼の頭を抱え、横向きに寝かせて回復体位を保ち気道を確保。
 血の色は鮮やかな赤。
 意識は、混濁している。
 集まっていた客は、スタッフが誘導して帰してくれている。
 ん、助かった。
 
「タオルです!」
 と、最初に彼を抱き抱えようとしたスタッフが数枚のタオルをもって現れた。
「救急車、呼びました!」
 お、素早い対応。
 
 よし。
 タオルを受け取り、口回りの血を拭う。
 背中に触れると、げぼっと、黒い血の塊が出る。
 胃酸の臭い。
 ヤバい!

 ここに来る前に買った、靴下のビニール袋を指に被せ、上からタオルを巻く。
「失礼します!」
 声を掛けて、タオルを巻いた指を口内に突っ込む。
「噛まないでね」
 口の中の血溜まりを掻き出す。

 脂汗、真っ青な顔色。
「救護室です!連絡を受けて来ましたが、お手伝いできますか?」
 と、手にはAED。
「大丈夫、意識あり、呼吸あり、なのでAEDは不要です…ただ、このニトリル手袋は使わせていただきます。ありがとう」
 指に巻いていたタオルを外し、手袋を装着し直した。
 
 バイタルを確認しながら、救急車を待つ。
 ここで私ができること、――今は経過観察だけだ。
 

 救急車が到着。隊員に現状報告。
「吐血量は多く、主訴は“鮮血から暗色凝血”に移行。気道クリア維持してます。」
 
 この方――勢雄さん――マネージャーさんがいないようで、付き添える人がいないとのことを後輩さん(先輩と呼んでたからね)から引き継ぐ。
 後輩さんは、ゲーム会社の営業さんで、血塗れの現場の片付けで、手が離せない。
 
 「看護師さん、お願いします!」と、隊員さんと後輩さんから頼まれてしまう。
 後輩さんには、搬送先が落ち着いたら、こちらに連絡してくださいと名刺を預かった。

 …で、私は本日の夜勤に救急車で出勤することになった。
 救急病院に勤めてると、こんなこともあるのね。

 …に、しても、だ。
 血。
 そこそこお気に入りの服だったのにー!
 
 看護服に着替えて、時計を見ていると
「志山、大変だったねーって、スゴい血だよ。引き継ぎまで時間あるでしょ?洗っておいで」
 主任様。ありがとうございます。
 ん。救急車出勤のお陰で、まだ時間ある。
 洗濯しよ。

「あら?風太…じゃない、志ノ山療法士。病棟(こちら)で出会うとは、珍しいわね」
 洗濯室に向かう道すがら、風太(恋人)に会う。
 
「これは、志山さんではありませんか。今日から入院する患者さんが珍しい箇所を、折ったとかで、一緒に写真(MRI)見て欲しいって先生に呼び出しくらってね。君がこの辺にいるのも珍しくない?」
 と、言われたので、手に持っていた血塗れのブラウスを広げて見せた。
 
「うわっ…返り血?誰、ヤったの?」
 おい!人聞きが悪いぞ?
「失礼だな、人命救助だよ。」
 風太は、きょとんとしてる。
 
「出勤前に?」
「出勤前に」

 軽く状況を説明すると「ったく君は…」と、極上の微笑みを浮かべた。
「では、正義の戦士(看護師)、志山嬢のために、夜勤明けにはお召し物を持って、馳せ参じましょう」
 と、執事みたいに深々と一礼する風太。
 なんだよ、それ。

 そっちがその気なら、
「苦しゅうない。そちの願いを叶えよう」
 とか、ばか芝居に乗ってみた。
 ついいつもの調子で風太が頬を寄せて来たので、答えようとしたら「…コホン!」と、わざとらしい咳がした。
 はい、病院でした。

 ナース・ステーションに行くと、引き継ぎまでにはまだ幾分ある。
「あ、志山。さっきの緊急搬送の方、落ち着いたわよ。患者さんも不幸中の幸いよね、志山が側にいて」
「いえいえ。ご連絡ありがとうございます」
 
 後輩さんの名刺を取り出して、机の上の電話から外線。
「葦原医院です。はい、こちらに受け入れました。ええ、大事には至らないようです。はい、え、宜しいんですか?ええ、助かります。ご家族への連絡、お願いいたします」
 
 電話を置くと、主任が、
「連絡ついた?あのさ、つかぬことを聞くけど、運ばれた人ってもしや勢雄 祥匡?」
 と、聞いてきたが紹介前に倒れたので私は知らない。
 
「声優さんだと思いますけど…有名なんですか?」
「いや、わたしも声優業の方は知らないけど、時代劇に出てた人に似てるなぁと思って。そんなに頻繁にテレビに出るタイプではないけど、ちょこちょこ…名脇役?バイプレーヤー?って言うのかしら?そんな感じで見かけるから」
 
 へえ…俳優さんなんだ、と思ったけど引き継ぎが始まったので、話はそこで終わった。

「金曜日に運ばれた佐東様は、小康状態を保っています」
 金曜日に、過剰摂取で運ばれてきた担当患者の引き継ぎを受ける。
「お見舞いは?」と聞くと、引き継ぎの看護師は首を振った。
 運ばれてきた時もそうだったけど、希薄な家族関係を感じて、流石にいらっとした。
 
 怖いからいや、病院に置いといてって、実の子供に対して言うことか?
 確かに薹は立ってるかもだけど……けど。まあ、あるにはある。
 特段珍しくはない。
 私から――言えることはない。

 引き継ぎから二時間、ルーティンをこなしながら、事務所番をしていたら、夜間受付から電話が入る。
「はい。消化器科、志山です。…はい。ああ、勢雄様ですね。どうぞお通しください。」
 なんと、夕方に緊急搬送された勢雄様のご家族が見えた、とのこと。
 電車で二時間はかかる遠方から。
 時間的に、車かな?
 
「あの…こちらに勢雄 祥匡が運ばれたと聞いたんですけど。あ、勢雄 祥匡の母です」
 ナース・ステーションの窓口を覗き込んできたのは、うわっ!スゴい美人っ!
 いや、落ち着いて。
 
「ええ。今は眠られてますが、お顔を見て行かれますか?」
「……はいっ!」
「お兄ちゃんは?大丈夫なの?」
 もう一人いた。こちらもタイプの違う美人。
 奥様かな?と思ったけど、お兄ちゃんって言ってたから妹さんか。
 
「ええ。吐血はありましたけど、軽度の胃潰瘍ですので、手術もないかと。後日改めて検査がありますので、検査次第ですけど」
 と、極めて業務的に伝えると、緊迫していた二人の顔は緩んだ。
「「良かった~」」
 
 更に後からやって来た男性と妹さんは抱き合って喜んでる。
 仲のいいご家族なんだな、と思った。
 ──金曜日の、あの人と違って…

「こちらです」
 と、病室を案内する。

 ドアを開けても、照明はつけることは出来ないので、ホントに顔を見るだけだ。

「ホントに、なんでこの子は…黙って頑張るかね…」
「…莫迦だからじゃない?ねえ?」
「僕に同意を求めないで…」
 ん。仲の良さそうな家族だ。

 安心したところで申し訳ないが、諸々の書類に同意、記入を促した。
 

 
 
 
 
 
 
 

2『ひとりごつ──タヂカラ』side志山

 夜勤明け、約束通り風太は着替えを持ってきてくれた。
 洗ったブラウスは乾きはしたけど……うーん…人の血は消毒したいよね。
 
 ありがたく受け取った袋の中には……高校の時のジャージが入っていて――――いや、確かに部屋着だけどさ。
 部屋着なんだよ!って、言ったら、
「これ以外を着てる君が想像つかなかった」って、どんなさ!
 
 振るぞ!……と、ジャージを取り出すと、新品の春物のカーディガンとブラウスが現れた。
 私の好きな色。
 好きな手触り。

「貢献の戦士(看護師)殿に、心ばかりの報奨品です」
 って。風太ったら照れ臭そうに舌を出して、微笑んで。
 
 ……っもう、どんな殿様だよ。
 
「ありがたく頂戴致します」
 恭しく言ってやると
「うむ、苦しゅうない」
 この馬鹿話はいつまで続くんだろうね。

 新品の春色のカーディガンに袖を通し、しばしカフェで朝ごはんをした後、風太は仕事に、私は家路へと向かった。

 アパートの玄関に着いて、鍵を差してからはたと思う。
 スーパーに寄るの忘れた…!
 ……ま、いっか。
 一眠りしてからにしよう。

 で。
 シャワー浴びて、ジャージに着替えて、小ざっぱりして――眠りの前にセイレン様。
 なんだけど。
 流石にゲームの中とはいえ、何度も子供を殺すのは気が引けるんですよ?
 そろそろ攻略できないかしら?
 同じ所でぐるぐるして、お目当てのセイレン様とは、どうにもさっぱり進展が無い。
 ――のに、別の子と山賊になったりしちゃう。
 っうか、山賊エンド何種類あるのよ…このゲーム。 

 それ以上にやっぱりわかんないのは、町の子を殺す、やさぐれたセイレン様。
 
 理由なんてわかんない。
 そういうシナリオ。
 そこに偶然、通りかかるヒロイン。
 
 不敵な笑みで立ち去るセイレン様……
 ワケわかんないけど、けど顔がいいっ!
 でも、ヒトゴロシはダメだよ…

 ――――あれ?
 目の奥に、ずくんと痛み。
 あー、目蓋が重い。
 開けてらんない。
 うー、せめてセーブ……しなきゃ……。……

 …………
 ――――

 …………っはっ!何時っ!
 時計を見ると、まだお昼前。
 うわ…全然寝てない。
 それ故か、脳みそがだる重い。
 目を開けた、僅かな時間が気だるい。
 風太、ごめん。晩ご飯、作れないかも……

───

 はう!重たい目蓋を開くだけ開けると、部屋が朱い。
 二度寝ですね。
 うわーやっちまいましたねー。
 
 ……お腹……刺されてない。
 当然。あれは、夢だ。
 ふーっ…疲れる夢だった。
 夢の中で、三日?過ごしてたわよ。
 そろそろ風太が上がるかな?
 ご飯買ってきて、とメッセージを送っとこう。

───

 鍵が開く気配がして、カレーの匂いが鼻を突く。
 開かない目蓋に光を感じ、
「まぁた、リビングで転寝して。寝るなら、ちゃんとベッドで寝なさいって、言ってるでしょ」
 と、風太の声がする。
「……カレー…」
 カレーの匂いが近付いて、口はすっかりカレーなんだけど、目蓋は降りたまま。

「……もしかして、ずっとゲームしてたの?」
 呆れる風太の声に、目が覚める。
「いえ!違います!寝てたほうが多いです!」
「なら、いいけど。唐揚げカレーと、焼き肉どっちにする?」
「カレーを頂きたいです」

 テーブルにお弁当の袋を置いて、風太は台所でお茶を用意して持ってきてくれる。
「先に食べてて。顔洗ってくるから」
 って、私のご飯が先なのね。しかもお茶つき。
「風太はいいお婿さんになるよ」
「正義の戦士(看護師)の為でしたら」
 そのネタ、まだ引きずるんですね。

 先に食べててもいいと言われたけど、ほんのちょっとなんだから、風太を待つ。
 ん。目蓋はやっと活動位置についた。
 やー重かった。
 …ん?
 おや?お腹…これって…
 
「先に食べててよかったのに」
「いえいえ、そう言うわけにはいきません」
「なんか、話したいの?」
「あ、うん。あのね、変な話なんだけど、夢見てたんだ」
「夢?」

「あのね、私、異世界転生してたかも」
「……それって死んでからするんじゃないの?風花は生きてるよね?」
「うん。こちら時間で約八時間。あちら時間で三日の…あ、転生じゃないかも。転移?」
「夢じゃなくて?そんな勤務時間な、転移とか転生なの?」
「うん。あのね。これ見て」
 ジャージを捲ってお腹を見せる。

 お臍のすぐ上に、七センチほどの縦長の楕円――赤黒く盛り上がった肥厚性瘢痕。
 皮膚は完全に塞がっている。
 
「――っ!なにこれ……湯たんぽでも抱いてたの?」
「春先のこの時期に?むしろ冷房入れたいわ。第一、うちに湯たんぽは無い」
「知ってるし、冷房はまだ早い。――一昨日は無かったよね?」
「ん。無い。言ってしまえば帰ってきてシャワーした時も無かった」
「明らかに数週間は経ってる痕だよね?触ってもいい?」
「……ん。痛くも痒くもないんだけどね」
 
「そんなに触らないの!処置はしたの?!」
「まだ…カレー食べてから……はい!今します…けど、この状態のこれ、ワセリン塗るしかなくない?」
「ったくもう、自分の事に無頓着過ぎ!……それもそうか…気休めでも塗っとこう」

「で、それが転生とか転移とかと関係あると?」
「…ん。夢の中でね、ここ、刺されたの。セイレン様に。にゅるっとセイレン様から出たナイフが私のお腹に吸い込まれるみたいに、……こう、ぐさっ、て。ナイフがめり込む?吸い込む?そんな感じ」
 
 風太は、なに言ってんだ?の顔だけと、ゆっくりと(くう)を見たあと、私を見て、
「怖かったな」
 って、肩を抱いてくれた。
 
 ん。
 怖かった。
 私は風太の胸に頭をこてん。

 けどね、美しくもあったのよ。
 嫉妬に燃えた、セイレン様の――蒼碧の瞳が。

「……怖かったの?」
「……怖かったよ?」

 その日も風太は私を抱き枕にして、離してくれませんでした。

――
 
 カーテンから、うっすら朝日を感じると同時に目覚めてしまった。
 それにしても寝すぎだわね。

 漸く解けた、風太の腕を抜け出して、台所に向かう。
 お弁当の容器はちゃんと洗って、水切りしてあって――風太、偉い。
 取りあえず、お米と食パンと卵、牛乳を確認。
 朝ごはんと、お昼のお弁当でも作るか!
 
 ケトルにお湯の用意して、卵を割ったところで、
「おはよう、眠れた?」
 と、風太の声。
「おはよう。それはもう…寝すぎな程に」
 フライパンに卵を流す。
 
 風太は紅茶の準備。
 食パンを焼いて、お皿にオムレツ乗せて。
 テーブルに置いて朝ごはん。

「痕、どうなった?」
 ジャージを捲ってお腹を出すと、
「ん。――あれ?無い」
「……はぁ?……ほんと、無いね。でも、なんかコリコリしてない?」
「だねえ?……あれ?消えた」
 二人して触っている最中に、ふっと消えたしこり。
 潰れた感じでもない。
 痛くもない。
 風太と私は、顔を見合わせて首を傾げた。

 風太に「後は好きにしな」とおにぎりだけ持たせて送り出す。
 私は今日は中番なので、もう少し時間がある。
 お洗濯日和よねっ!

 ――

 午後出勤して、引き継ぎ。
 勢雄さんは午前中に意識覚醒。
 一先ず安心。

 佐東さんは――相変わらずの昏睡状態。
 家族は来てない。

 申し送りを確認して、バイタルチェックに
佐東さんの病室に向かう。
 薄日の差す、何もない部屋。

 バイタルチェックをしていたら、ベッドの横の辺りがキラキラとし始めた。
 陽の光というよりは、ライブでメタルテープが飛んでるみたいな人工的なキラキラ。

 はい?
 はっとして、酸素・吸引・アラーム――よし、異常なし。
 『光』だけが、“経常”の外にある。 

 その光から時を止めるように、ゆっくりとCGの様な、ホログラムで揺らめく青年が現れる。
 
 ここ、病室だよね?
 ……ってあれ?
「セイレン様?」

 この顔はセイレン様だ。
 私がよく知るセイレン様とは髪の色が違うけど。

 暗く俯いていた青年の瞳だけが此方を向く。
 蛍光灯のハム音の隙間を縫うように、清音が耳に飛び込む。
『――――誰だ?』
 言葉は、頭の中で鳴った。
 
「銀髪のセイレン様が成長してる?なんで?」
 自分の疑問ばかりが口をつく。
 セイレン様は苛立たし気に眉間に皺を寄せる。

 おおっ。その不機嫌な目はまるで紅い髪のセイレン様のようですぜ。

『おまえ、何故僕の名を知っている』
 うーん…昨日のあれは、夢ではなかったと云うことなんだろうか?
 てか、今が夢なのか?
 分からん。

「私、ラウノです」
 で、通じるのかな?

 くーっと目が細められる。
 えーっとお、……怖いよお。
『……ラウノ…?』

「十歳の時に貴方に殺されたラウノです!」
『馬鹿な、僕が殺したぞ!』
 
 ……ええーっとお、なんでそんな可哀想な子を見る目で見られているのかな?


 

3『ひとりごつ──ゴトビキ』side志山

 睨めっこから先に視線を外したのはセイレン様だった。
 碧色の瞳に銀色の睫毛がかかり、視線はベッドに眠る佐東さんへと注がれる。

『この者は……ミリアか』
 顔も歳も違う筈なのに、断言している。
「私には分かりません」
『心馳が同じだ』
 愛し気に彼女を見つめる瞳に、きゅんとする。

 それから、またしても憎々しげな目をされたけど、仕事をするために一旦別れた。
 セイレン様は私にしか見えてないみたいだし、ホログラムな体は物に触れないようだ。

 運良く風太に会ったので、事の一端を話す。
「……と、云うことで今夜セイレン様を連れて帰ろうと思うんだけど…」
 あ、なんか怖い顔になった。
 それは、それで良い。
「ふぅ…分かってる?おれ以外の男と、二人っきりになりたいって言ってるんだよ?」
 おれ?…怒ってらっしゃいますね。
「……あ、はい」
 
「――なんて、冗談だよ。さっき母さんがまた、スマホゲームのやりすぎで指痛いって連絡あって、診に行くつもりだったから――でも間違いは起こさないようにね?」
「ホログラムと?」
 呆れたように、溜め息の連発。
 幸せ、逃げちゃうよ?……とか、言える雰囲気じゃないですね。
 
「君があっちに引きずられないようにってこと」
「?だってあっちに風太いないじゃん?行かないよ」
 って言ったら、風太、真っ赤。
 勝った。

 ――――そうして、セイレン様自身、八時間放置されている間に、この世界が自分の生まれた世界とは異なることや、自分の姿は私以外からは認識されていないことを悟ったらしい。

 聡いね、話が早いや。
 じゃ、就業後の看護師がいつまでも病室に居るのも何なんで出てもらっても……出られるのかな?
 出られました。
 幽霊って訳ではないんですね。

『今思えば羨慕していたんだ』
 私のアパートでホログラムなセイレン様は切り出した。
「単純なヤキモチではなくて?」
 すると、憎々しげな笑みを浮かべて
『それもある』
 ま、正直ですこと。

 自分と同じくらいの少年が、妹と楽しそうに一緒にいる事が許せなかった。
 ……ん、そうか…そうなんだね。
 風太、ごめんね。
 君もそうだったんだね。

 スマホで【デイムメイカー】のホームページを探して見せ、セイレン様の世界が、この世界の人間の|創造(物語)の世界ではないか伝える。

『……全く知らない筈なのに妙に馴染むのはその所為か?落ち着きはしないが』
 って、セイレン様はキョロキョロと見回した。やん。あんまり見ないで。

『この女、随分様相が違うな』
 神妙な面持ちで、ヒロインを指差す。
「ヒロインに逢ったの?」
『マーリア、とか云ったか。ミリアを手に掛けようとしたので屠ろうとしたが仕留め損ねた』
 さらっと怖いこと言うなあ、おい。

「あの世界は、多分この子で成り立ってるから、無くすのはムリじゃないかなー。あなたたちがただ平穏に暮らしたいなら、この子が別の幸せを見つけることだと思うんですわ。」
『どう云うことだ?』
 
「物語とは言ったけど、結末自体はひとつじゃないの。それぞれは別々のものだから、関与はしない筈。
 本来、セイレン様とヒロイン…マーリアは複雑な手順を踏まないと出逢うことさえないんだけど。だから偶々出会ったんじゃないかな」

『……かの娘は、その物語とやらを知っているということか?』
「知っていたらなおのこと。今ここにいる貴方、“銀髪のセイレン様”には気付かないよ」
 ほら、と紅い髪の青年の立ち絵を見せる。
「ヒロインが出会うのは、この紅髪のセイレン様だから」
『これが…僕?』

 幼い妹の命を絶つことで発生する物語は、銀の髪のセイレン様とは別の話なんだろう。
『……』
 きっと、偶然、ヒロインが別の(ルート)に迷い込んだ。
 それだけなんだ。

「貴方はあなたの物語を紡げばいいんじゃないかな」
『……あの時は済まなかった。でも何故、そんなに僕に優しく出来る?』

 セイレン様は項垂れている。
「んー…|好き《推し》だからかな?」
『…でも…僕は……お前を……』
「んー…でも、それでここに戻れたんだし。そう思えば感謝します。怖かったけど」
 にーっと、態とらしく笑って見せる。

 押し問答が続くのは嫌だったので無理矢理話題をすり替えてみる。
「さあて!これは誰でしょう!」
『なんだ、この年の割に軽薄そうな男……若しやクリストファーか!』
「正解!流石!」

 軽そうで悪そうだとかぶつぶつ呟くセイレン様を微笑ましく思う。

『ありがとう』
 と、不意に言われたので
「どういたしまして」
 と、答えた。

――――
 
 ───翌日。
 
 セイレン様はあの病室にずっといた。

 回診のおり、視線が合うことがあるが何も話さない。
 視線さえ合わないときもある。
 ただひたすら、セイレン様はベッドの彼女を優しく見つめている。

 そうして――――波紋が落ち着くように緩やかに佐東さんは息を引き取った。彼女の胸の辺りから、柔らかな光が溢れ、セイレン様はその光を愛しそうに抱き締めて消えた。
 
 あの世界に魔法なんてなかったはずなのに。
 まるでお迎えに来た天使か、
 ――死神のようだ。

 臨終をご家族に伝えると、孫の世話で忙しくてすぐに行けない、と返された。
 これじゃ、仕方ないな、とも思う。

 誰も訪れなかった病室…
 訪れてくれた人を選んだだけの事。
 多分、それだけなんだ。

 病室でひとしきり泣いて、やるべきことをやって、ナースステーションに戻ると、主任様から少し早いけどあがって良いよと言われた。
「酷い顔をしてる。明日は休んでいいから」
 って、言われたけど、明日は元より休みです、主任様。
 それでも、早退はお言葉に甘えよう。
 
「ご迷惑をお掛けします」
 と、言うと、
「みんな志山には散々代わって貰ってるんだから、文句は言わせないわよ!」
 と、力強いお言葉。
 
 余力を振り絞って、顔に集中して笑顔…らしきものを形成して、
「ありがとうございま…」
 ぐらっ…と、脳みそが揺れる。
 
 立ちくらみ?
 音の無い映像が、ぼやけた視界に映る。
 ……あれ?なんで、風太がいるの?

「志ノ山くん、ナイスタイミング」
 風太の腕の中。よく知った固さ。
「連絡もらってよかったです。ホントにこの人は自分の事に無頓着で」
 ん?デジャブかな?
 
「――――そんなところも好きなんでしょ?」
 主任様?!
「当たり前じゃないですか!こんな頼もしい人、他にいます?」
 
「誰が、ゴリラだ?あ?」
「そこまでは言ってない」
「自覚があるのね?志山…」
 主任様、ひどい。

「くすっ、まあ、意識もあるし、志ノ山くんのお陰で打撲もなさそうだし…念のため精密検査しとく?」

 私は風太と顔を見合わせた。
 大袈裟な気はするけど…医者の不摂生で大事になるのはもっと嫌だ。
 
「今空いてるの…きっと、抜閥先生だけど」
 セクハラ大魔王!
「だめです!」風太、早い。
「今日は遠慮します…」
 
 下半身に力を込めて立ち上がる。
 ふらつきはあるけど、大丈夫…と、思ったら風太くんが支えてますね、はい。ありがとうございます。

「車回す?タクシーにする?」
「タクシーでお願いします」
 と告げて、風太を杖がわりにして更衣室へ向かう。
 
「明日、休みだけど検査しような」
「うん…折角、風太とお休み被ったのに…」
「健康あってのモノでしょ?ちゃんと一緒にいるから」
「ありがと」

 着替えてる最中にも、ふわっと意識が飛んだけど、踏ん張って、扉の外にいる風太の胸に倒れ込んだ。

「意識ある?」
「……ある。風太着替えてる…」
 眩暈と云うより、睡魔みたい。
 
「ん、家に帰ろうな。もう少し頑張れるか?車椅子、持ってくるか?」
「それは大丈夫です!頑張ります!」
「…ぷっ。そんなに頑張らないでいいから。しっかり掴まってな」
 ぎゅうと、風太の腕にしがみついた。

 タクシーに乗り込んで、風太に寄りかかる。
 するすると手の甲を撫でる指に、とろとろと溶ける意識。

 ――――目覚めたら、ベッドにおりましたとさ。
 スマホには主任様から、『明日、十時に円丸先生で予約入れといたから!』って、居酒屋でも予約したかのメッセージが入っていた。

――――

 次の日
 ───なんで、晴天なのよっ。
 
 まだ桜残ってるよ?花見に行こうよ。
 って言ったら、当然風太に怒られた。
 


 

 

4『ひとりごつ──フトダマ』side;志山


「さあ、模擬腕と思ってずぶっ、といくのよ、ずぶっと。」

 総合内科の外来。
 まずは、採血。
 私はこの春入ったぴちぴちの新人を指名した。
 
 この子、入って早々、手術番になって導入薬点滴を施したんだけど、前腕で上手く確保出来なくて、最終的に手首から入れて、プチトラウマを発症してる。
 ので、実験台を志願。

 前腕をゴムで絞めて、ぺしぺし。
 そこよ、そこ!ぐいっと…逃げた。
「もうちょい、力入れて血管固定して…ん、そう。ありんこ潰す位の勢いで……よし!やった!その感触、覚えときなね」

――

「…………また、実験台やったでしょ?」
「なぜ、お分かり?」
「腕、真っ黒」
「ありゃあ、こりゃ当分引かないねえ…」
「具合悪くて、検査に来てるのを忘れないで下さい?」
 
「使えるものは何でも使わなきゃだよ?……次は…MRI?!立ちくらみの検査に?!主任様、どんなセトリよ」
「期待の馬車馬を壊したくないんでしょ」
 風太は、ウホッって、ドラミングの仕草。
「誰が、マウンテンゴリラだ!」
「……そこまで言ってませんけど?さ、次いこ、『使えるものは使う』んでしょ?」
「……くぅ!」
 語るに落ちてしまいました。
 
 ……て、漫才を待合室で繰り広げていたら事務員さんに、「抜閥先生…」て呟かれた。
 お許しを!

 それから、心電図やら、レントゲンやら、胃カメラやらって、健康診断じゃないって!……ついでだからマンモグラフィーと子宮がんもやっとく?という同僚からの提案は謹んで辞退させていただきました。
 
 で、妊娠検査。
 しますよね、やっぱり。
 風太の顔を覗くと、いつもの笑顔。
「なんだったら、帰りに役所寄る?」
 って、牛丼屋じゃないんだから!

「なに?お腹空いたの?」
 …………一体この人は、私をどうしたいんだろう?

――――

 結局、妊娠はしていなかった。
 当たり前だけど。
 風太はちゃんと避妊してくれてるし、私も体調管理にピルを服用してる。
 「検査値が出るまでは何とも言えないけど、疲れからくるものだろうね。少しは、要領よく仕事しなさい」って円丸先生に怒られた。

「“だろうね”だって」
「だろうね。検査結果が出ないと、なんとも言えないさ……言えないけど……くそっ!大義名分がっ!」
 
「……風太さん?」
「これで、晴れて正々堂々、風花と籍を入れられると思ったのに!」
 いつも澄ました顔してるのに、子供みたい。
 
「ね?お役所行こうよ。貰お?婚姻届」
「でも、お父さんは?大丈夫?」
「一年もお試したんだもん。充分だよ。それとも何かな?風太は私に隠してる女でもいるのかな?」
 そんなわけないと思いながら、試すような台詞に後悔先に立たず。
 
「風花……ぼくの目を見て」
 言われて、じっと見る。
 瞳を、こんなにもちゃんと見たことないな。――あれ?風太の瞳って、灰…というか薄い緑が入ってるみたい。コンタクトしてないよね?

 で、つい自然と顔が近づいていると、「……こほん」とわざとらしい空咳がする。
 主任様っ!
「仲が良いのは分かったら、続きは家でする!で、志山は明日は日勤で、整形にヘルプ。体調を整えなさい」
 ありがたいお言葉。
 待合室のあちこちから、クスクスと聞こえてきて、風太は真っ赤で。多分私も真っ赤だ。

 それで、婚姻届もらって帰って、お父さんに連絡して。
 近々にお食事会になりました。
 志山が、志ノ山になる…。
 『ノ』しか変わらないとか…ちょっとしか思ってないもんっ!

 ――――

 整形の病棟は久しぶり。
 いつぶりだろ?
 この病院に来て、最初の配属だったから…三年?四年前?
 わー!
 風太と会ったのもその頃だっけ?
 まだ、学生だった風太。
 …………いかん。顔がにやける。

 六人部屋の――――術後のリハビリメインの患者さん達の検温。
 入り口側のカーテンを開ける。
「失礼します」
 わ、若い。
 中学生くらいの女の子。
 バイタル表を捲って、あ、高校生だ。
 顔色悪いけど、どうしたんだろ?
 お母さんらしき方と、スマホを弄ってる。
 
 …………あれ?
 「デイムメイカー」
 って、思わず言っちゃった。
 盗み見じゃん。
 ――ほら、戦いてる。
 
 いかん、いかん。気を取り戻して、
 「はじめまして。いつもは消化器病棟にいるんだけど、今日はヘルプなの。よろしくね」
 と、簡単に挨拶して体温計を額にかざす。
 スマホを弄りたくてしょうがないみたいだけど、どうしたんだろ?

「看護師さん、デイムメイカーをご存じなんですか?」
 と、スマホを見せてくれる。
 
 思い出すのは血塗れのイベント(笑)
 キラキラのセイレン様(恍惚)
 
「ええ。そのイベントにも行ったわよ」
「この!倒れたのってどなたなんですか?!血を吐いたって!」
 すごい勢いに押されそうだ。
 そばのお母さんも、ため息ついてる。
 どうしようかな?
 でも、心配でたまんないんだね。
 
 
「ふぅ……個人情報だから教えられないのよ」
 ふっ、て息を吹きかけたら、堪えた涙が目から溢れそうだ。

「……そんな泣きそうにしないの」
 ちょっと言い訳を探す。
 ん。 
「今の私はそのイベント会場に居合わせた一般人です」
 そう言って、大きく息を吸う。
 そっと、顔を近づけて
 
「勢雄 祥匡さんって方。血は吐いたけど、軽い胃潰瘍だから大丈夫。くれぐれも内緒だからね」
 耳元でこそっと、囁いた。

 ぱあっと、少女の顔に安堵が浮かぶ。
 ………お母様もですか?
 
 ――ああ、そうだ。
 それなら、私の夢も聞いてもらおうかな?
 夢物語って笑われるかな?それでもいいけど。
 
「代わりって言ったらなんだけど、今度、時間がある時にでも私の話、聞いてくれるかな?」

 ――――

「風太、あのね。あの夢の話をしてみたい子がいるんだ。……莫迦にされるかな?」
「――子?整形の骨折の子?」
「知ってる…よね。もしかして担当?」
「うん。あの子入学式の日に骨折したんだよ。ほら、風花が返り血を浴びてた日。彼女の結果を見に行ってたんだよ」
 家に帰って風太に話すと、風太の受け持ちの子だった。
「個人的な事は話せないけど、きっと、風花と趣味()が合うと思うよ」
 って、それは個人的な事ではないんですか?
「あの子……面白いよ?」

 その、空白は何でしょう?いいけど。

 次の日、消化器の方も落ち着いてるし、整形も人がいるからと急遽、お休みとなった。
 ここまで来て。
 平日はお母さん看護師さんは働きたいのよね。
 
 病室に私服で入るのは中々恥ずかしい。ので、念のため建前。
「ホントは患者さんと個人的に仲良くしちゃダメなんだけどね。私、志山風花と言います」
「杉田 弥依です…」
 弥依って、みいって読むのね。
 可愛いのお…さて。

…………どう話そう?――――えーい!

「早速だけど…異世界転生って、どう思う?」
 ほら、面食らってる。

 ――――

「クリス様やセイレン様が若い…妹がいる…もしかして…あたしも同じような夢を見てるかも、です…」
 ぽそぽそと、言葉を選んで杉田さんが話す。
「セイレン様が大事にしてるなら…もしかして、あたしが産んだ子が、妹なのかもです」
 自信なさげなのは、子供を産んですぐに意識が遠のいて、目覚めると術後の処置室だったと。
「セイレン様も、クリス様がテルルから連れてきた子でした。クリス様が十二歳。セイレン様が七歳。ゲームではクリス様が二十歳の時にセイレン様が生まれているから、あり得ない年齢ですね」
「そうなの?具体的な年齢は知らないけど、私の時のセイレン様は十歳だった」
 
「志山さん?」
 杉田さんは、きょとんとしてる。
 そうですよね。
「はい。まだ、セイレン様を落とせてません。なので、一緒の夢と云うには、私も知らないことが多いです」
「……くすっ。でも、その子があたしの産んだ子なら…クリス様が育ててくれてるんですね。良かった」
 安堵の顔は、マリア様を連想させる。
 
「――あのね、実は三日前、セイレン様、この病院に来ていたのよ」
「何ですと!」
「そりゃあ、もう。ホログラムな美麗なセイレン様が漂っていたわよ、二日前」
「この病院に?」
「この病院に!」

 そんなことを話してたら、杉田さんはリハビリの時間になって出ていった。
 私は…杉田さんのお母様に捕まっていた。

5『ひとりごつ──オノゴロ』side;志山


 杉田さんのお母様は、中々パワフルなお方でした。
 二十分ほど、お母様と……オタクなお話した後、病室を後にする。

 この時間になったなら、風太をもう少し待ってたら上がりだから、一緒に帰ろうかな?と思いながらリハビリ室に向かうと、談話室で杉田さんに声をかけられた。
 おや?一緒にいるのは、勢雄さんじゃないですか。
 なんて、組み合わせだ?

「院内では静かにしてください…て、珍しい組み合わせですね?どっちがナンパしたんです?」
「勢雄さん!だけど、そうじゃなくて、勢雄さん、あたしたちの夢を知ってる!」
 勢雄さん、驚いてますよ?

 ――――

「……殺される子って、ラウノか?」

 と、言う勢雄さんに驚く。
 ゲームでは名無しだったけど、夢の中では名前があった。そう、ラウノ、だ。
 私は無言で頷いた。
 
「…はあぁ……」
 って、勢雄さん長い溜め息を吐く。
 と、無意識なのか持て余した手が、何故か杉田さんの頭を弄っている。
 まあ……杉田さんも嬉しそうだし、いいの、かな。
 なんか可愛い二人だな。

「同じ様なところに偶々居合わせて、脳内電波受信したってことか?」
 と、落とし所を見つける勢雄さん。
 ――夢…だけど、それでいいのかな?
 とも思う。
 …………ん。
 
「あのですね。ここだけの話なんですけど――私が見たセイレン様が消えた時、ひとりの患者さんが亡くなったんです」
 現実の事と、妄想じみた夢を繋げてもいいものか、の懸念はある。
 けど、“何か”違うんだ。
 それが、何かは分からないけど。
 
「マンガとかなら、連れてったって、やつか?」
 勢雄さんでもそんなこと言うんですね。
「分かりません。そうかもしれない。分かるのは(ラウノ)が話したミリアには、こちらの記憶があったってだけです」
「“泣かない”てクリスが思ってたな……子供の体に大人の意識か……」
 
 ぐるぐるぐる…。
 
「――なら、クリスの意識が、“繰り返してた”ってのは、何なんだろうな……」
 別の疑問を投げ掛けられた。
 けど、答えは出ない。
 出せない。
 
 なんて、勢雄さんと話していると、杉田さんが話に入ってこないことに気付く。
 落ち込んでる…?
 ――違う!入ってこられないんだ。
 しくじったな…んー。
 と思ったら、またしても勢雄の手は杉田さんの頭に乗ってた。
 なんだろ?この二人。

 ――

 結局、みんなで同じような夢を見たんだね。
 不思議だね、で解散となった。
 
「それで、なんか進展した?風花さん」
 ソファを背に、床に座って。
 風太の胸に、頭預けて。
 
「…んー?したのかな?してないんじゃないかな?みんな、自分の見てるものしか知らないしね」
 お酒の代わりにホットミルク。
 風太だけ、お酒ズルイ。
「“トリセツ”――俯瞰目線がないって訳か」

 私は、風太にくるまって、お腹にあった傷の事を思い出していた。

 ――――

「数値も画像も特別異常は見当たらないね。
胃が少し荒れたから、気にしといて。まあ、言われたくないだろうけど、疲れとストレスってやつだろうから、用心しなさいね。いいね?」

 検査の結果は…有り体のものだった。
 夜勤の連チャンと……患者さんの死――
 こればっかりは、慣れないよね。

「……良かったぁ」
 と、風太の緊張の糸が切れる。
「そんなんでしょ。働いてたら誰でもあるんじゃない」
 って、悪態ついたら、
 …………風太さん?
「もっと大事にしてよ。君がどうかなったら、泣くよ?」
 て、真剣な顔して、泣きそうにしてる。
「――そいつは一大事だ。私の風太さんを泣かせるわけにはいきませんね。でも、風太もだよ?ね」

 そう言って笑いながら、役所に寄って、書類を提出して───お父さんと約束してたレストランへ向かった。


───

 勢雄さんが退院して、元気がない杉田さんと時々話して――セイレン様の攻略を教えてもらって、漸く落とせた時は感無量だった。
 二人して、セイレン様とのウェディングエンド見てた。
 クリスが参列しているのが確認できて、「親子なんだな」って思ってたら、ホワイトアウト。
「白い――一面の霧って…」
「個別エンド……」

 私と杉田さんは顔を見合わせたけど。
 思い付いた言葉は憶測でしかなくて。
 そしたら、
「不思議な事ってあるもんですね、で良くないですか?」
 と、杉田さんが言った。

 そんな杉田さんも無事退院して、私の妊娠が発覚した。
 ――――双子ですと?!
 風太さん、ガンバってくれたまえ。
 私もガンバるよ!

───

 ――――――そうして。

「きれいな子どもたちだねぇ!見てよ」
「はいはい。風太にそっくりですよ」
「風花にもそっくりだよ!美男美女になるよ」
「――――美男なんだ」
「誰かがそう思えばそうなんだよ!」
「うんうん、わかったわかった」

「ねえ?ありがとう。ずっと一緒にいようね」
「幸せにしてくれる?」
「それを言うならさ。一緒に幸せになろう?」

 風太は満面の笑みで、
 それを見てたら私の頬も綻んで、
 幸せって、こんなんでいいんだろうなって思う。

「……ねえ?見て。この子、手のひらに星があるよ」
「……単純性血管腫かしら?」
 触るとぷにぷにとしてる。

「……なんか、あの時のお腹の傷跡みたいだね――」
「そうだね…」

 産毛のような頭髪は細く、光が透けて銀色に見えた。

「――禿げそう……」
「風花さん?!なんてことを。男の子にはショックな言葉ですよ!」
「まあ、生まれたとき薄いと濃くなるもんだから大丈夫じゃない?」
「経験談?」
「うん。先輩方の」

 風太は何故か新生児の頭のマッサージ(撫でるだけだけど)を始めた。
「摩擦で禿げるかもよ?」
 って言ったら、睨まれた。
 
 可愛いな、おい。

 ――――
 
 
 

蹉跌の月

蹉跌の月

──不可思議な空虚。 沙の極。 たしかな呪文── あたし、──杉田 弥依(すぎた みい)。 高校の入学式当日、玄関ですっころんで骨が折った。 夢のような痛みの中で、 たどった声の 見えないのに確かな糸の輪郭に触れる。 せつなゆたう時間の隙間。 時の舟で流離う想い。 見ていたのは── あおいつきのみちかけ

  • 小説
  • 中編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-10-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1・朔望
  2. 2・蛾眉
  3. 3・弓張
  4. 4・豆栗
  5. 『独り言ち──変若水/ヲチミズ』side;勢雄
  6. 5・既望
  7. 6・片割
  8. 7・哉生
  9. 8・二十三夜
  10. 『独り言ち──月読/ツクヨミ』side:勢雄
  11. 1『ひとりごつ──アシハラ』side志山
  12. 2『ひとりごつ──タヂカラ』side志山
  13. 3『ひとりごつ──ゴトビキ』side志山
  14. 4『ひとりごつ──フトダマ』side;志山
  15. 5『ひとりごつ──オノゴロ』side;志山