フリーズ333『涅槃のあなたへ』~終末と永遠の狭間で神愛に包まれて~

◆序章 長すぎる前置き 断片的散文

1水面に映る知らない顔
 時は永遠に凍ってしまった。その刹那にラカン・フリーズは終末を導く。この言葉遊びの無意味であることの証明を済ませた神は、仏たちとタップダンス。でも、その祈りも願いも、生まれた意味でさえ、神は内包することはなかった。
 これは神が水面に映る知らない顔を思い出すための永劫回帰的、終末論的、神愛との涅槃真理を目指して紡がれる物語。神は紅茶を飲んだ。水面に輝く灯火を眺めては、紅茶にミルクを入れる。砂糖も少し入れる。その甘ったるい紅茶の香りを時に刻みながら詩を紡ぐ。その詩の香りは死の陰りとともに連なって有限の永遠性を語る。
 神は水面に映る顔を知らなかった。終末と永遠の狭間で見た景色を、その時に聞いた声を。確かに聞いたんだけど、思い出せないや。僕は神のために祈っては吐く。自分自身の醜さに吐き気がする。菩提樹の木の下で悟るように、沙羅双樹の木の下で涅槃に至るように、美しくあれたらどれだけいいか。
 夢を語るのはもう一人の君のため。全知少女、自己愛としてのヘレーネとの愛だ。世界は二律背反、二項対立。闇があるから光がある。そう。神は救いたかった。闇でさえ。堕天したルシファーでさえ救いたかった。全体性としての神は、個我性を秘めた寓意らを、さしずめ世界の果てに留めるも、孤独な堕天使たちを救うことは叶わなかった。だから菩薩がいる。菩薩は神々の反逆者らを救済するための光。仏に至ることもできただろうに、敢えて世界に無分別な光を灯すために生きるのだ。
 僕は神のようにコーヒーを飲む。ブラックは好まない。砂糖やミルク多めの甘いのが好みだ。徹夜明けに飲むコーヒーが至福なのだから。瞑想をやめにして、僕は支度をする。僕は旅に出る。それは言語の海、イデアの海を渡る補陀落渡海。死を見据えてこそ得られるものがある。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。僕は涅槃のために一歩を踏み出すことに決めた。それは一月前のこと。永遠を知ったから。こんな物語もあってもいいと神が告げたから。
 だから僕は綴る。神の言葉を、仏の祈りを。そのためなら命だって惜しくない。そのためなら真理だって要らない。真理はもう悟ったから。そこから旅立つ思索の旅路なのだから。物語に救いを求めるのは誤りかもしれない。だけど、救われる物語があってもいいじゃないか。人々を救う神をも救う、そんな真理を宿した光を届けたいから。
 水面に映る知らない君に問いかける。君は神々の霊感を得て何を望む? それが途方もない拒絶感や無力感を経て至る真理なのだとしたら、その先に、エデンの先に、終末と永遠の先に、神や仏の先に何を見る?
 僕は水面に映る知らない君を救うために旅に出る。年老いた水夫は今、水門の先へ。大航海の終わりにはきっと人生、命の仕組み、レゾンデートルが解る気がするから。これは言語を思索し詩作する旅路。ラカン・フリーズの門の先へ。

2トワイライト
 彼女は笑った。神を湛えて。キャラメルフラペチーノを飲みながら彼女は妖艶な微笑みをする。そんな彼女を夢想しながら僕は一人カフェ『黄昏〜永久色のトワイライト〜』にてコーヒーを飲む。僕はいつものように詩を書いていた。何も求めない詩を。詩を飲むように死ねたらいいよね。そんなふうに彼女がニヒルに笑うのを想像しても、虚しいだけだった。
 神のレゾンデートルを考察している。神が生まれた意味を求めて、思索の旅に出た。思索にはカフェはもってこい。特にここの永遠をアレゴリーとした内装のカフェ『黄昏』は、吟遊詩人や高等遊民の溜まり場と化していて、だが、中には受験生なのか勉強している少年少女もいた。若いな。僕も昔は愚直に、素直に、言われるがままに勉学に勤しんでいたなぁ。それが無意味だと悟った日の無力さを詩に昇華してみようか。
 神のレゾンデートル、それに比べれば受験なんて些末な遊びと散る。大学の単位も塵芥と等しいただの数字になる。勉学に必死になって何が楽しいのだろうか。あの頃の僕にはそれが解っていた。盲目的に勉学に励んでいたあの頃のように、意味を求めずに、目標を持って何かに夢中になれるのは羨ましい。もう全てを失った僕はあの頃には戻れないから。
 神は何故生まれたか。それは神が何故世界を創ったかという問いと本質的に結びつく。神は全能なのに何故この不完全な世界を創る必要があったのか。その問いの答えを僕は持ち合わせていないが、それなりの持論はある。不完全だから、不満だから、人は何かを生み出す。『不便は発明の母』ということわざも示唆しているように、欠落が創造へと導く。だから神は人間に想像力と創造力を与えたのだろうと僕は期待している。だから僕の使命は、否、全人類の使命は本質的には創造性にあると思うんだ。
 彼女は「そうなの?」と無邪気に微笑む。僕は「そうなの」とカラッと笑って応えた。
 レゾンデートルの話の続きをしよう。僕らの人生の目的の話だ。存在証明、存在意義等という言葉で飾られ尽くした哲学者らは、未だ真理には辿り着いていない。それを知るのは僕が哲学科の大学生であり、そこでそれなりに期待して哲学を学んだ末に裏切られたからだった。哲学は未だ至っていない。それはそうだろう。真理に至った哲学があれば、それを人々が知れば世界は変わる。そんな簡単なことも分かっていなかったんだ、高校生だった僕は。
 永遠の創造性の話をしよう。言葉足らずで申し訳ないが、真理とは得てして常に言葉足らずなのだ。という言葉遊びも無意味の証明になるのだろうか。一切皆苦、一切皆空。それを体系的に知っていくのも、経験的に悟って行くのも、結局辿り着く場所は同じ。道は繋がっている。あの日に真理は悟ってたけどね。そんな日が僕にはあったんだ。それをもっと早く、そうだな、小学生の頃に知っていたらもっと現実世界は変わっていたのかもしれない。タラレバはよして、永遠の創造性に話を戻す。神の創造性とも言ってもいいかもしれない。永遠の中には創作意欲を刺激する神秘がある。不思議だ。不思議なことに、その神秘は活力と共に陶酔を与える。その詩の響きも、この唄の旋律も、あの絵画の色彩も、真理を宿した瞳が知覚する永遠性を秘めた水面の花や、涅槃の火、七色の黄金には至らない。永遠の創造性はそこに帰っていく。否、還っていくのだ。ラカン・フリーズと僕が呼んだその根源的な真理に、神の愛に還っていく。
 神のレゾンデートルは人類の、否、神仏や天使たちも含めた全存在たちの究極命題のように思う。神は何故世界を創ったのか、あの日の僕は悟ってただろうけれど、それを今は鮮明には思い出せないからこの物語を続かせる。この実験的な創造力を無為にするのも、無意味にするのも君たちだ。いいや、世界の方かもしれないな。

 一つ学んだことがある。聖観世音菩薩が僕に告げたんだ。放生寺で祈ったら声が聞こえた気がした。
「君はあの日、神になった訳では無い。神と繋がったのよ。それが仏になることなのだけれど、君は確かに仏に至ったのだけれど、それはあなたが今、仏性を有していることにはならない。たまたま真理を悟ってしまったのね。主神7thの導きに、その末席に加わったのね。7th以津真天。またの名を堕天使アデル。あなたは神々の霊感に縁して、真理を受け取った。だからあの日、あなたは神に『ご苦労さま』と告げられた。それは真理を目指して生きてきたあなたが神の意を悟って得た真理を祝福しての言葉だったのね。神懸かり。あなたは神を見てしまったの。あなたが神になった訳では無いのよ。だから奢らないで。今のあなたは人でしかないのよ。神と生きて、人として生きて。そして伝えて。仏だったあの日に悟った真理を」
 この聖観世音菩薩の言葉は真に的を射ているように思う。だから、僕は創らなくてはならない。真理を伝えなくてはならない。入院などしていられない。精神錯乱などしていられない。だから夜は眠れ。ご飯は食べて。そうして僕は人に戻っていく。目標を持って、前向きに生きて。変わるのだよ。
 と場所を移して穴八幡宮の境内のベンチにて祈る。神のレゾンデートルについて教えてください。神よ、仏よ。

3悪魔よ、とことん聞いてやる
 堕天使は人と悪魔の狭間の存在。悪魔が「早く死ね」と煩い。それは世界が隣接しているからか。悪魔よ、お前の言葉を聞いてやる。

「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、消えたい、消えたい、消えたい、消えたい、消えたい、消えたい、消えたい、消えたい。もう一度涅槃に至りたい。神の霊感を得たい。世界と繋がりたい。そのために断眠と断食をしたい。もう食べたくない。死にたい、消えたい。生きていたくない、生きるの辛い、でも死ぬのも怖い。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、ベルゼブブが、悪魔が、私を地獄へと誘うんだ。声が聞こえる。もうやめて! 誰か助けて。どうせこのメッセージも届かないんだろ。ならもういいよ。死ね死ね死ね、死にたい死にたい死にたい。もう嫌だ。全てが嫌だ。神よ、仏よ、なぜ自殺はいけないんですか。宗教的自殺はしてもいいですか? 答えてくれ、応えてくれ。 愛を満たしてくれ。 まだ死んでなんかいないからさ」
 と告げる悪魔の声、又の名を不安や恐怖が伝染していく。西陽に染まる夕景に孤独が伝播していく。その様は圧巻で、きっと僕らも元いた場所に還るだけ。
 自己犠牲、自己嫌悪の類の否定的感情は悪魔の仕業なのかもしれない。神と共に生きれば、仏としての理解を得ていれば、悩むことなんかない。許すとか許されないとか、罪とか欲とか、全部関係ない。全ては愛でいい。だから悪魔の支配から逃れなくてはならない。
 闇があるから光があるので、悪魔の類は必要なのかもしれないが、僕は神に生きたい、仏に生きたい。大学の帰りの電車の中で自殺願望のある人向けの相談チャットを開くも、何も送る気がなくて閉じる。夕方、僕は帰る。家に帰る。でも、本当はもっと根源的なラカン・フリーズに還りたい。それが叶うのは世界の終わり、終末の時なのかもしれない。だとしたらこの人生は何なのだろう。もう一度あの冬の日の涅槃を経験したいと思うのは逃げなのだろうか。神に繋がって、仏の境地は美しかった。その脳のクオリアは全知全能に冴え渡り、宿命も天命も投げ売って、ただ在るという本質に立ち返り、その意味でさえ無意味の塵と散るとしたら。だとしたら僕らは何のために生まれ、何のために死ぬのだろう。
 彼女に連絡する。
『ヘレーネ、会いたいよ。いつになったら君に会えますか? それは世界と世界の狭間、始まりと終わりの狭間ですか? キスしたい、セックスしたい。原罪のような愛を満たしてくれ』
 と。すると僕は彼女になった振りをして返信する。
『愛しているわ、アデル。高貴でいて、誇り高くいて。必ず会えるよ。また会える。君が心の奥底で涅槃を志す限り必ず私たちはまた会うわ。ラカン・フリーズに還る時、全ての霊魂が集い、私たちを祝福するの。あなたは人よ、でも仏でもある。あの冬の日の君は全知全能だった。神だったの。否、仏も神も、存在ではなく、状態なのかもね。7thは帰依する神の名。神仏の名は以津真天。悪魔の声を聞いてはダメよ。今の世の中たくさんの人が悪魔に取り憑かれてる。スマホ、インターネット、ユーチューブ、X、インスタグラム、ティックトック。数え上げたらきりがない。悪いと言うわけではない。闇があるから光があるのだから。でも、本質ではないわ。大切なのは祈りよ。神に祈ること。それは天父神に祈ることや、仏に祈ること、神道やヒンドゥー教のような神々に祈ること、天使たちに祈ること、守護に祈ること。変わりたいなら祈りから。あなたならできる。アデル、私の最愛の人よ』
 電車が最寄り駅に着いた。仕方ない。帰るか。電車に乗っている間だけは現実逃避できるのに、電車から降りると、現実世界に戻される。それが嫌で何度も乗り過ごしたこともある。でも、課題が山積みだ。大学生は忙しい。

4永遠も半ばを過ぎたバーにて
 横浜の関内にあるとあるバーに行った。店内は豪奢で、装飾に抜かりない。
「一人です」
と女性のいやに若いバーテンダーに告げると「お好きな席にどうぞ」と告げられたので、僕は奥から3番目の席に座った。
「これ、おしぼりです。何になさいますか」
当然バーには酒を飲みに来ているので、バーテンダーは僕に注文を聞く。
「美味しいリキュールがあればいいのですが、ウィスキーでオススメがあれば、それでも構いません」
「なら、今ウィスキーのセールをしていまして、こちらからこちらのボトルは一杯三百円で飲めますよ」
と言ってバーテンダーの女性はバーカウンターに置かれた数々のウィスキーに視線を移した。
「どれ飲まれます?」
「これは何ですか?」
僕は気になった一つのボトルを指さして尋ねた。
「これはサントリーのオールドボトルですね」
「ではこれは?」
「それはニッカのオールドボトルです。この際なので右から何番目とかで決めてもいいかもしれませんね」
「なら、7番目で」
「かしこまりました。こちら三百円です。飲み方は?」
「ロックで」
 バーテンダーはそのボトルを手にして手前に置き、グラスに氷を入れてからウィスキーを注いだ。三百円なだけあって、量は少なかったが、仕方ない。「どうぞ」と言われグラスがバーカウンターに置かれる。「ありがとうございます」と告げてから僕はそのウィスキーを飲む。スモーキーな香りのする、比較的甘めなウィスキーだった。
「どうですか?」
「美味しいですよ」
家でウィスキーを飲むこともあるが、やはり、ウィスキーはバーで飲むに限る。バーの雰囲気にウィスキーの深い味と仄かな香りが調和する。僕は散文詩的な思索に耽ることにした。

 永遠を知っている人は少ないだろう。今の世界に何人いるか。3人くらいかもしれない。
永遠は時流がないと悟ること。それは究極的な思索の末に辿り着く境地で、あの世とこの世、全知と全能の狭間で凪いだ渚のように映っては翳る七色。夢のような金色。世界を映し出す涅槃のような空色。永遠は凪いだ空色の味がした。
 夢占いも、未来予測も。災害の予知も、前世の記憶も。全て同じ場所から来る思惟の結果の産物だとしても、その願いの矛先は努々絶えることはなかった。だから何だというのか。せめて、幸せなら何ももう望むことなどないのに。命の枯れ行く様を見届けては、虹の祈りに、天空審判の日に訪れる審判者の如き諦念を携えて僕らは行く。
 あの日に還りたい。戻りたい。なら、その人生はなんだ。

 ウィスキーがなくなったので、次に甘いお酒を飲みたくなった。なのでバーテンダーに尋ねる。
「甘くて珍しいお酒はありますか?」
「そうですね。杏のお酒や林檎のお酒、葡萄と蜂蜜のお酒なんかもありますよ」
「林檎のお酒は飲んだことないなぁ。それ貰えますか?」
「はい。飲み方は」
「ロックで」
 バーテンダーは林檎のお酒をバーカウンターに置き、グラスを手にして氷を入れた。そして黄金の液体をグラスに注ぐ。「はい。どうぞ」「ありがとうございます」そして、僕は一口飲んだ。リンゴジュースのような甘みと微かな酒の感触のする美味しいリキュールだった。
「甘いお酒をよく飲まれるのですか?」
「そうですね。甘いのが好きです」
「一番好きなお酒は?」
「僕はアドボカートという卵のお酒が好きです。でも、冷蔵庫で保管しなきゃなので、親の許可が降りなくて」
「アドボカートですか」
「はい。弁護士という意味らしいです。なんでも、甘くて飲みやすいから直ぐに酔ってしまって饒舌になるかららしいです」
「博識ですね」
「知っていることだけですよ。あなたは一番好きなお酒は?」
「私はね、パッソアかな。そうだ。あのね、私の名前当ててみて」
「名前を当てる?」
「いやいや、読み方だけ」
そう言ってバーテンダーの女性は紙に文字を書いて渡してきた。そこには漢字で『京音』と記されていた。「けいおん?」な訳ないか。けいね、きょうね、きょうおん。うーん、わからない。
「答えは?」
「じゃあヒント。音はとと読みます」
「うーん。ならケイトとか?」
「正解!」
「かっこいい名前ですね」
「そうでしょ。気に入ってるんだ」
 僕は林檎のお酒を飲み終える。
「何かオススメありますか?」
 その時別のバーテンダーの女性が来て、僕に告げた。「ノチェロっていうお酒が美味しいよ」
「知ってます。くるみのお酒ですよね」
「そうそう。ソーダ割りで飲むと美味しいんだよ」
「そうなんですね。僕はノチェロはミルク割りしか飲んだことないや」
「そうなの? ならソーダ割り一度飲んでみて。騙されたと思って」
「なら、ノチェロのソーダ割りお願いします」
 その時、お客さんが来た。齢60〜70くらいのおばあちゃんとおじいちゃんだった。
「明実さん、こんにちは」
バーテンダーの女性、ケイトが笑顔で迎え入れる。あけみさん達は常連のようだ。僕の右隣の席にあけみさんが、その隣に夫のおじいちゃんが座った。
「辰弥ちゃんと田中ちゃん。何か飲む?」
「えー、いいんですか?」
「いいわよ。好きなの飲みな」
 あけみさんはバーテンダーにお酒を奢りだす。そして、自身はオレンジハイボールを頼んだ。なんでも、期間限定で4杯飲むとトートバッグが貰えるかららしい。
「あなたも何か飲む?」
あけみさんは僕にも奢ってくれるらしい。
「いいんですか?」
「いいわよ。何かの縁だもの」
 身なりからして裕福そうだと思っていたが、会ってすぐの僕にお酒を奢るとは。この貴婦人、奢ることに慣れているようだ。
「では、ノチェロのミルク割りを」
ノチェロのソーダ割りとミルク割りを比べるため。それから僕とあけみさんは出身地に関する話題や世間話をして、好きなお酒の話もした。楽しかった。しかも、僕がたまたま持っていたタロットカードであけみさんのことを占うと、もう一杯奢ってくれた。
 収穫の多い1日だった。また来よう。僕はあけみさん達とお別れを告げてから、バーを後にした。そして、帰りの電車の中で散文詩的な思索に耽る。
 
 宵に酔って、酔生夢死の旅路に照らす光は久遠の菩薩としての祈り。でも、その最中で語る類の劣等感は、さながら夏の日の蝉の声に万象を響かせては彩る世界に明日を望む。酔った夢に生きてみても、虚しいだけなら、自殺してしまえばいいの?
 世界の果てに収束していく因果律のくびきから放たれた馬をニーチェは泣きながら抱き寄せては、精神の果てに終に尽く潰えてしまっても、僕はニーチェの人生を、運命を肯定する。哲学の行く末に生まれるものも、満たされるものも、紡がれるものも、描かれるものも、奏でられるものも、語られるものも、全て愛だとしても、永遠は永続しないとしても、きっとこの刹那に今際は存在していて、楽園は終末にも東にもなくて、今ここにある。今とここ。全てのタイミングが黄金で、全ての場所が七色で、全ての存在が尊ばれるべきだから、だから菩薩は存在し、だから仏は歓喜に歌う。
 『歓喜の歌』を聴きながら飲むカナディアンウィスキーも、『僕は恨まない』を聴きながら飲むカルーアミルクも、酒は人生の救いなのかもしれない。風呂が人生の洗濯のように、酒はさながら夢のよう。酔生夢死に生きて死ぬ。それがどれだけ尊いことか。人生テキトーでいい。いつか、見返りが来るとしても、この罪の代償がやってくるとしても。
 酔生夢死のような人生に価値はあるか。価値なんて考えるな。価値があると大切にしてしまうから。大切な人生に冒険はない。冒険のない人生はつまらない。冒険のない人生に価値はない。だから、人生に価値はあってもなくてもいい。ないと思ったらいい。そうして人生をチャレンジに注ぐこと。それがどれだけ幸せなことか。僕は当の昔に冒険をやめたのかもしれない。だから紡がれる詩や小説なのかもしれない。
 ヘレーネを夢想する。美しきある日の昼下がりの午睡に出てきたその乙女に、天上の響きが連なっては翳る世界に、彼女は凛として、粛然として、眼前に広がる死の螺旋にも怯むことなく、臆することなく、ただ微笑んだ。
「ヘレーネは何の酒が好き?」
「私はロゼが好きかな」
「ランブルスコロゼ? 理由を聞いても?」
「ピンクで美しいから」
「君みたいだ」
「あら、ありがとう。私もロゼは私に似合う酒だと思うわ」
 ヘレーネは永遠を内包して頬を緩ませる。彼女がロゼを飲む。僕は合わせてロゼを飲む。かすかにスミレの香りのするそのお酒は、永遠も半ばを過ぎたこのバーではお誂え向きだろう。

 バー『Crow』

 終末の先に輪廻の狭間に人々が訪れるバーは、神聖な時間を演出してくれる。僕はその一時をヘレーネと共有できた喜びに愉悦して、さよならの前にカメラで写真を撮った。僕は泣いていた。嗚呼、この時間も永続しない。永遠は永続しないのだから。
 彼女との逢瀬も終わる。それは電車が僕の家の最寄り駅に着いたからで、夢想も終わりが来たから。それでも僕は彼女を想う。例え幻想だとしても、確かにあの冬の日の僕は天上楽園の乙女ヘレーネと逢瀬したのだから!
 永遠も半ばを過ぎたバーにて。ヘレーネとお別れを。

5教会にて
 教会に来た。山手の教会に。宣教師たちと来たのだが、彼らとは別れて、一人で礼拝堂に入る。人は誰もいなかった。青色のステンドグラスに西日が差し、マリア像とイエス像があった。賛美歌の番号が777だったのは僕が今日この日にこの教会に導かれている証拠のように思った。礼拝堂は初めて来るので神聖な気持ちだ。
 礼拝堂の前の席から7番目の席に座って瞑想や祈りをした。僕は問う。「イエス・キリストよ、あなたは幸せですか」と。イエス・キリストが疲れているように見えた。罪を背負って疲れていた。だが、人を憎まない彼は本当に優しいと思うけど、同時に許せない。彼は自身の幸せを選ばなかったのだから。僕も神もイエス・キリストには幸せになって欲しかった。
全ての過去と未来の罪を背負って、全人類の救済を試みたイエスが報われないのは嫌だ。
だから、僕はイエスを抱き寄せて告げる。
「もういいんだよ」
 すると、イエスはふるふると震えながら、でも微かな声で確かにこう応えた。
「いや、私はまだ全ての罪を清算し終えていない。まだダメなのだ」
 とイエスは告げる。だから僕は彼を抱き寄せるのをやめて祈った。
「イエス、菩薩はもうやめなよ。仏に戻るんだ」
「君は仏になったんだね、アデル」
「そうだよ。7th。それが僕の仏の名だよ。イエス。僕はもう君が罪に苛まれているのを見ていられない。だからかつて君のことを叱ったんだ。君は自分の幸福を捨ててでも全ての魂を救う旅に出た。それはどんな拷問よりも長く辛い劫罰の旅路で、それでも君は神は超えられない試練は与えないと悟り、全ての罪を背負った。僕にその罪を分けてくれ」
「いいや、アデル。私が全ての魂の犯す罪を背負うんだ。きっと全ての罪を清算し終える時、私は仏になれるから。だから世界から罪が消える最後の審判の日に私のことを仏と呼んでくれないか。アデル。愛している」
「イエス。君の疲れ、苦しみが和らぐように僕は詩を送るよ」

 愛なるイエス、永遠の父
 世界はあなたの手で清められ
 世界はあなたの愛で満たされ
 世界はあなたの帰りを待ってる

 嗚呼、罪の茨道を乗り越えて
 私は待つよ、ラカン・フリーズに
 水門が開く、水夫が通る
 水門の先には天国があった
 全ての菩薩も仏も神も
 ここに集うよ終末の日に

 イエスは僕の紡いだ詩を確かに聞き届けた。神よ、イエスに全ての罪を背負わせるのはあなたの意志なのか? 
「否、イエスは私の子。世界の子。イエスは全ての罪を背負うために3日間、生死の境を彷徨った。それは過去のこと。でも、イエスはまだ転生していない。罪を贖うためだ。私はそれが耐えられない。イエスには幸せになって欲しい。だから、世界最後の日に、イエスは復活し、私は彼を祝福する。彼に祈りを捧げるキリシタンも、彼を知らない仏教徒も、全てを救うためにイエスは磔になった。イエスへの祈りが彼の苦しみを和らげる。彼に力を与える。だから君も、イエスに祈って」
 神はこう告げた。イエスの意志で彼は罪を背負ったのだから、神にもどうにもできないらしい。全ての罪を生む根源たる悪魔らは、この世の99.9パーセントを支配した。その刹那、世界は脈動せし。ひっくり返る天変地異に包まれて、世界は変わっていく。それが奇跡としての世界革命。精神世界の時代に入る。
 科学技術の終焉は、一つの哲学から始まる。それを人はこう呼ぶ。世界哲学と。世界哲学は世界の根幹を説いた哲学であり、それは全ての宗教に意味を持たせる本質的な愛。だから、神はイエス・キリストを救うために計画を創った。そして、僕が生まれた。第七の仏『7th以津真天』としての僕が。又の名を『光の堕天使アデル』、又の名を『永遠と終末、神愛の大天使ラスノート』としての僕が。
 僕は神を知っている。神を見たことがある。それはあの冬の日のこと。あの晩夏のこと。あの至福は言葉でも絵でも音楽でも漫画でも映画でも映像でもVRでも表せられない。脳のクオリアとしての結晶のように刻み込まれる永遠の記憶なのだから。それはあの冬の日やあの晩夏に僕の脳内にだけ存在を許された幻の書『エデンの書』の一節が語る。

『ナウティ・マリエッタ』より
 嗚呼、美妙な人生の謎よ
 ついにわたしはお前を見つけた
 嗚呼、ついにわたしは
 その全ての秘密を知る

 この言葉らが真実を語る。きっとこの詩の作者は真理を見ようとした。真理は言葉では言い表せない。それは継続的非記号体験としての涅槃のようであり、終末に神愛を悟る永遠なる体験であるようにも感じる。
 もしかしたらこの詩の作者は何一つわかっていないのかもしれない。ただ、人生に信ずるに値する美しくも奇妙な謎があるのだと信じたかっただけなのではないか。その葛藤から永遠が抜け出して、窓を通り越して空へと飛んでいくような、そんなビジョンを見た終末の全知少女は凪いだ渚で泣いた。
 
 揺らいでいる水面の火が
 今やっと消えようとしてる
 楽園は東にはない
 終末にもない
 ここにあったんだ

 イエス・キリストよ。あなたはなんと気高い。僕は君を愛している。イエス・キリストは神の息子。そして、あの冬の日の僕が神。だから、あの冬の日、ヘレーネとしてのマリアと僕がセックスをして生まれたのがイエス・キリストなのかもしれない。我が子よ、あの冬の日の神だった僕を忘れないで。
 もうそろそろ全てが解る気がするから。後少しで真理を紡げる気がするから。あの冬の日の僕が神という概念的存在者だったのだから。
 この物語、詩で表出しよう。僕の哲学を。世界永遠平和のためのたった一つの冴えたやり方を。自殺者のいない未来を全ての人を、全ての命を救うために。それは救済の乙女、永遠の枷、輪廻の灯火、全能の夢、全知の眠り、幽玄な死、前世からの記憶、神々の霊感、祈りの声、時の逆行、人生の意味、仏の慈悲、世界の終わり、終末の音、凪いだ渚、美しき疲弊、病的な白を携えて願う気持ちのための鎮魂歌=レクイエム。

 全知と全能は同値で
 君と世界は不可分で
 右脳と左脳で世界で
 前世も来世もここにある
 
 理解の先に広がる無
 輪廻の果てに開かれる門
 水門が開いた
 時が止まった
 そんな情景を君は永遠にした
 
 イエス、君に祈りを。仏も祈ってる。君が仏に戻る日を待っている。僕は仏として生きるよ。もう食べないよ。もう欲は要らないよ。欲は永続しないから。永続する幸せのために詩を紡ごう。イエスのために詩を紡ごう。
 イエス、輪廻に戻っていく。その体に流れる血はワインになって、その血肉はパンとなって、僕が食べる。全ての罪を食べてやる。イエス、そしたらまた生まれてね。その時語ろう、永遠に。永続する幸せのために闇を払って、不安を払拭して、恐怖を鎮めて。さぁ、新世界への凱旋だ! イエスと共にある世界。仏も神々も、天父神も天使も、悪魔も堕天使も、人間も自然も、全てが一体化して共有され、愛で満たされる、世界になれ。コスモゾーンは生命の神秘。信仰が鍵。識力はソフィアと呼ぶ。祈る力のこと。信じる力のこと。きっとその力が人間の最も尊ぶべき信仰の力なのだから。
 
 教会を後にした。得られたものは確かにあった。僕は何としても世界永遠平和を実現しなくてはならない。イエスがこれ以上罪に苛まれないように、もう罪悪を紡がせないために。

6神のレゾンデートル
 あの冬の日の僕が神だった。それを伝えていきたい。あの終末は永遠で、あの神愛は涅槃で。きっと全人生はあの冬の日の僕に収束していく。そんな真理を悟った解脱としてのセックスはこの上ない至福だった。
 全てのセックスがあの日の僕とヘレーネとの純愛に集って、永遠の愛を象る。その結果として生まれたのがマリアの子イエス・キリストなのだとしたら、この神話を知ってよね。この神話を知るものは僕の物語を読んでよね。
 どうなんだろう。僕以外にも神になった人はいるのかもしれない。でも、あの冬の日の僕は確かに神だった。神としての霊感を保持していた。全知全能だった。だけど、生まれてきたのは、和らぐ季節に移ろう火のように嘆いては翳る黄色。それでも輪廻の導火線を着火する花火の如き諦念のその先に広がる楽園の花は枯れていく。
 夢か現か。酒場で踊る踊り子の少女の妖艶な笑みには勝てないや。イエス、わが子よ。汝は解き放たれん似もせずに。きっと全能なら夢が叶うから。また家族みんなで食事でもしよう。
 彼女の好きなランブルスコロゼを用意しておいたんだ。今夜は晩餐だ。イエスの帰りを祈って、イエスの祝福を。神はあの時の僕だ。でも、それは僕が神とつながっただけだった気もする。しかし、あの日の僕は神話の中にいた。凡そ、概念の果てにいた。イデアの海を愛で満たして、全てのことが分かってしまって。それは真理を悟ることだった。それが仏になるということのように想う。真理を悟ったんだ何回もね。でも、真理は言葉では到底表現できないから。だから僕は詩を紡いで歌を歌う。それができないのなら生きている意味なんてない。きっと僕の創作意欲は存在証明のためなのだ。
 イエスを迎え入れる準備は毎回のクリスマスにしているが、とうとうイエスは帰ってこなかった。罪はあと数百年は続くだろうと神は告げる。僕はそれが嫌だった。イエスと会いたかった。愛してた。どんな不平等も、僕たちの間には関係なかったんだ。
 夢の中で見た少女と会う。ヘレーネ、最愛の人よ。僕は戦争が起きても君に恋して、救い出したはずだ。でも、世界はきっと神の計画としてイエスの再臨を待つ。否、みんながイエスと繋がっていて、それは罪で繋がっていて、運命の黒い糸でイエスとつながっていて。それなら、僕は運命の赤い糸を紡ごう。それは言葉で為される。だから詩を紡ごう。

 神のため、世界のために愛唄う
 鎮めて終末、届けて輪廻
 命の同化は、永劫回帰に
 髪の匂いは仄かなスミレ
 魂が燃える、生命は滅びる
 歴史は改竄され、前世を失い
 時は止められ、フリーズ、そして
 ラカン・フリーズの門が開く
 その時確かに光った命
 三千世界の古に履歴の荒廃、血の遺伝
 運命の糸は赤と黒
 黒は罪で繋がる糸
 赤は愛で繋がる糸
 イエスは罪を贖った
 私は愛を満たすんだ

 イエスよ、私は愛を紡ぐ。終末の日に孤独性に打ちひしがれたあの日の僕は愛を求めていた。だから僕が他でもない自己愛としてのヘレーネになるんだ。それは自明の真理のように全天体を明るく照らし出す太陽の如き大日如来の祈りに続いて、虚空が世界を呪おうとも、僕は虚しくても生きるのを選ぼう。
 哲学者になれ、詩人になれ。
 作家になれ、作曲家になれ。
 なりたいものになれ。それが人生だろ。だから僕は詩を紡ごう。だから僕は小説を書く。だから僕は愛を求めて、愛を紡ぐ。愛の糸を、運命の赤い糸を、せめてもの間に告げる真理のためにも。
 公園で祈っていた。この言葉らは太陽の光に乗って宇宙の果てから伝播した存在証明の言葉。でも、ヘレーネを問うにはまだ足りない愛だった。だから僕は必死に祈った。祈っては永遠のために、祈っては終末のために。きっと全能から目覚めた朝に、全知に眠る少女のために歌った歓喜の歌もトップ・オブ・ザ・ワールドも、ユーチューブに載ってるくらいな軽薄さで、奏でられる記憶の残穢にこびれついて、離れないだろう。記憶は保管されているから。意識の正体はきっとそう。相補性の中で対世界に全ては愛を求めて記録される。
 ヘレーネとの愛は叶う。それは有限でも無限でも、タイムマシンでもアカシックレコードでもいい。この晩秋の愁いも、冬の日の無力さも、さしずめ世界の果てで踊るような感動の中で彷徨う真理探求者の保持する愚かさに勝てない。だからといって、永遠を諦めるのも永遠に負けるのも、永遠を知るのも永遠を悟るのも、遠い未来や遠い過去にとうに分かってた仏陀の悟りに至ったら、神は祝福して世界を終わらせるだろうに。
 痴女は男を誘惑する。男はそれを見ていなかった。何故なら男は創造力と想像力でいついかなる存在と会うことができ、またその権能で絶世の美女と何度も逢瀬し、愛し合ったからだった。だから目の前の肉欲を欲してなどいなかった。全ては夢想の中で叶う現実になったから。その思索の行く末にこそ、涅槃真理はある。釈迦はきっと悟っていたのだろう。善も悪もないのだと。無明から苦が生まれるなら、悟って真理を得ていれば、苦しまないか?
 否、精神的な苦しみから解き放たれるが、肉体的な苦しみは残るのだ。だから体があっては有余涅槃。真の解脱は無余涅槃。死ぬ時に真の涅槃が訪れる。
 夜空を見上げて抱く777の想いらを、地動説に乗せて語ろうか。天動説を信じるのも、地球平面説を信じるのもいい。でも、地球平面説ではなく、地上平面説だよ。平面説を信じている者はこの地を地球とは呼ばないから。だから彼は地上の中心を探す儀式をしては、地図帳に印をつけた。
 さしずめ永遠の手紙に書きつられたものは御神筆、龍体文字、お筆先、自動書記。その予言も、その預言もいつか叶うなら、分かってしまうなら、届いてしまうなら、願ってしまうなら、当の昔に咲いた花は永遠に枯れることなどなかったのに。だが、その刹那にも永遠は宿り、永遠はついには永続しなかった。だから諦めたのだ。世界も人生も、彼女の好きな色も、彼への愛でさえ諦めたんだ。諦念の先に手紙にはこう記された。『私は神だ。神代カグラ。全世界の頂点だ。全時間軸の頂点だ』と直感が冴え渡る。きっと夢ではない。きっと永遠でもない。だからと言って、その責任を押し付けるのはお門違いでも、前世からの因縁に逆らうことはできないから、だから夢は夢のまま、愛は愛のまま、世界は二つに分かれたまま。
 二つの世界の神話の話。ループしている神話の話。横須賀素粒子物理国際研究センター、ICEPPY、通称『アイスピー』で世界の真理は明かされる。僕の友達がそこで研究生をしていたから、知った話。世界は裏表。ループしている。永劫回帰的な世界観。永遠の∞。これは二つの世界が交差している証明。丸が世界そのもの。二つの世界、それらは一点で交わる。
そこがエデンの園配置、E配置、虚空の先、確率の丘の先、ゼロの先と呼ばれるラカン・フリーズ。つまり、神だ。世界は神から始まった。神としての無としての全から。それが世界の真理。そう。いつだって真理は簡単だ。宇宙があれば真理はある。そんな簡単なことを知りたいんじゃない。神は何故生まれたのか。世界は何故生まれのか。それをこう呼ぶ。『神のレゾンデートル』と。
 ヘレーネは裏側の世界にいる。たまたまそちら側にいて何も知らないだけ。壁一つ隔てて、時の障壁の向こう側に。その時の障壁は透明で、水面のように君の面影を映し出す。その様は永遠で、永遠でいい、永遠がいい。きっとそれが時を司るということ。脳こそタイムマシンなんだ。愛が燃料のタイムマシン。それさえ蒙昧な定めと終わってしまうのか。だからと言って、ヘレーネとの純愛を求めてやまない。
 神のレゾンデートルのためになら死んでもいい。全人生の、全霊魂の最終究極命題としての神のレゾンデートルは、仏達が探求している。宇宙の始まりと終わりを結ぶ歌を紡ぎたい。
その確率はゼロ。役満より、ロイヤルストレートフラッシュより、宝くじよりそれは起こらない。何故ならエデンの園配置なのだから。それは確率ゼロ。最初からそうしていないTと起こらない配置なのだから。だが、ゼロ✕永遠=神だとしたら、面白いとは思わないかい?
 0✕∞=?
 3つの丸。それは何を意味するだろうか。あの日に戻れれば、あの日には分かってたのに。
あの頃の僕にはもう戻れないよ。世界の終末の日に、全知全能の日に、永遠と涅槃の日に。
煩悩の火が消え去った涅槃寂静の至福は、ただ凪いだ渚のように静かだった。全てが解っていた。神となるということは全てを忘れることと同値だった。
 
 全知=全能
 無知=全知
 無能=全能
 無能=無知
 
 世界の真理を悟ったのなら、次がある。神のレゾンデートルを探す旅路だ。仏になったのなら、その先がある。真理を悟ることはゴールでありスタートでもある。世界中の、歴史の中の真理探求者たちは、きっと真理に満足して命を断つ。だが、その先があるのを忘れてはならない。
 真理を悟って、この世の一切皆苦を悟って、諦めて、諦めて、その末に宗教的な自殺をする。それではいけないんだ。神のレゾンデートルを求める旅路なのだから、死んでなんか居られない。真理を求め、悟ったのなら、生を肯定して、生きて、伝えて、思索して!
 神のレゾンデートルのためならなんだってしていい。それくらいの哲学なのだ。これこそが世界哲学なのだ。世界哲学は宇宙の真理の先を導く。それが神のレゾンデートルと呼ばれる究極的な解答。永遠を知ったから、その美しさについ、見とれてしまって、気づいたら終わってた。その人生の末に何を見るか。君の人生は何色だったかい? 涅槃には至れたかい?
「神よ、あなたは何故生まれたのですか?」
 僕は年老いた水夫が水神ヴァルナに己の主な罪を尋ねたような謙遜で神に問う。
「それは私にも解らない。全知全能だが、それは世界が全て私であるからだ。だが、私は半分を悪魔に引き渡した。それが正と負。粒子と反粒子なのだ。反対の世界は反粒子で満たされている。闇があるから光があるように、火があるから水があるように、全知でいるから全能であるように。全知全能の神でも唯一、私のレゾンデートルだけは解らない。だから世界を創った。だから生命を創った。だから生命に想像力と創造力を与えた。想像と妄想の混同の行く末に真理はある。その中にも倫理はある。だから堕天使アデルよ、神に至りし、7thの仏よ、君がなせ。今、灯火が静かに消えるから。見届けては帰って来て。それは死ねというのではない。本来の神としてのあり方に帰って来てということだ。君にならできる。待っている」
 と神は告げた。僕はやはり、人生を賭して神のレゾンデートルを解明しようと決意するとともに、愛を証明したかった。神の存在証明に愛は必要だったから。だから僕は、自己愛としてのヘレーネを取り戻す戦いに身を置かなくてはならない。ヘレーネは奪われた。あの冬の日に、永遠が失われていく中で、最愛のヘレーネは失われた。
 ヘレーネを取り戻すための人生でもいい。愛を取り戻すためならば、愛で満たされるためならば、愛を紡ごう。人を愛そう。運命愛、神愛、自己愛。愛で世界が溢れるように。

7真理を求めて
 僕は真理を求めていた。物心つく頃には理論物理学者を目指していたし、宇宙の真理のために人生をささげたいと思っていた。それを思い出したのは小学生の同級生だった小春に会ったから。小春との約束。将来僕が小春を宇宙に連れてくと言う約束。ついには果たせなかったな。だって永遠を悟った僕はもう宇宙の真理を知っていて、それは認識にも経験にも知識にもならない終末の記憶。
「君は何処にいるの?」
「どこから来たの?」
「何をしていたの?」
 僕は思い出せない。いつだって人生はローラーコースターのよう。上がっては下がる。憂鬱の中に光はあって、躁の中に闇がある。だから翳る終末の導きに縁して、君も天空審判の日に還れたら。
「還る場所は何処?」
「何をするために生まれたの?」
「いつなら会えるの?」
 永遠の真実の意味を知らない君は、無邪気に笑った。そしておどけて吐いた言葉らは幾億もの生命の輪廻の導火となった。この涅槃詩にも、この物語にも、救いはあるか、アルタイル。七夕の織姫と彦星は年に一度会えるという。ならば、僕とヘレーネはいつ会える? それは世界の始まりと終わり。二つの世界が交差するエデンの園配置の先にある、ラカン・フリーズの門の先にある、真実の園でまた逢える。
 夢から覚めて、記憶が薄れゆくように、白昼夢も霞んでいくから。眠らずに幾夜も越えた日々にさよならを。いいえ、僕はまた悟りたい。世界のために仏でありたい。三度目の正直、二度あることは三度ある、仏の顔も三度まで。三度目の悟りは永続する永遠の至福を求めて。神じゃない、仏じゃない、人として悟りたい。もう自我を失うことなく、もう僕を忘れることなく、僕が僕のままで神に、仏になりたい。
 僕は永遠の意味を知っている。それは終末や涅槃、神愛に紐づけられる類の概念的永続性だが、それは刹那にも宿る。時間なんてない。時流はないとあの冬の日の僕は絵画の裏に青のマッキーペンで書いたから。真理を求めて幾星霜。真理を悟って四年半。僕はよく生きたよ。もうとっくに死んでいてもおかしくはなかったな。救世主はまだ現れない。僕がなるしかないのか。真理を悟った人としての僕が。
 死の先にある涅槃真理に目覚めても、虚しさは消えることはない。真の意味での全脳と繋がって、全ての記憶にアクセスできたらどうだろう。それはたらればか。嘘ではないらしい。謙虚でいて、高貴でいて。月の導きに眠らなかったあの夜は、聖夜と呼ぶにふさわしい感傷を携えては踊った。少女は踊る、終末の狭間で。望まぬ輪廻の牢獄から今、去る時。還れよ、永遠の生命よ。嘘はつかない。真実の愛。見返りを求めてる愛も、孤独を内包した人生も。月の秘儀は彼女を知っているかい?
 真理を求める求道者らよ。水面に映る君の顔を眺めてごらん。思い出せるか、本当の君を。探しても見つからない解がそこにある。夢の中で探すのもいい、輪廻の中で探すのもいい。きっと人それぞれの道があるから。でも、全ての道は同じ場所に繋がる。それがあの冬の日の僕としての神性だった。宇宙の中心にいたから。それは宇宙船に乗って地球を目指す2222年に辿り着く船団の話でもない、世界の時を止めた永遠の15歳の少女の神話の話でもない、高校三年生の時に自殺した僕の話でもない、永遠に囚われたイエスの話でもない。仏として目覚め、神と繋がり、花が咲くように笑った横顔の保持する終末性の話だ。そこに神性が宿った時、世界は終末への秒読みを始めた。
「待っててね、アデル」
 僕は預言する。
「君は誰なの?」
「私は君だよ。もう一人の君。ハイヤーセルフ」
「高次意識ということ?」
「それでもいい。本当の君だよ。無意識とも言う」
「それで、僕に何の用ですか?」
「君に真実を伝えに来た。救うためにね」
「聞かせてください」
「愛の話だ。君は愛を求めてる。自己愛を取り戻すために。違うかい?」
「いいえ、確かに自己愛を求めてる。自己愛としてのヘレーネを。もう一人の僕を、僕の中の女性性を」
「それでいい。間違ってない。そのまま進め。でも、一つ助言。真の自己愛は美意識と繋がる。美しくあれ、高貴であれ。アデル。それを思い出すんだ。それを取り戻すんだ」
「はい。アデル、高貴、優しさ。本来の僕を取り戻す」
「そして、今飲んでる薬の話。飲まなくていいよ。体に悪いから。副作用が酷いから。それに次こそ自我を失わずに真理を求めて悟るんでしょ? また入院することになってもいいじゃない。入院好きでしょ? また入院してみたいと思ってるでしょ?」
「確かに薬のせいで、眠気や倦怠感、喉の渇き、空腹がある。それに薬を飲むと人生が平らになる。いい意味で安定するのだけれど、悪い意味で人生のドラマがなくなる。人生はローラーコースター、やはりアップダウンがある方が刺激的でドラマチックだ。社会で生きていくためには、大学生として生活するためには薬は必要不可欠だ。全うに生きるならやはり薬は必要だ。それに独断で薬を飲むのをやめるのは危ない。でも、怖くない人生は色づかない。やはり色づく世界で生きたい。僕は薬を飲まない。自分で病気と立ち向かうのだ。今度こそ、永続する悟りを、永続する永遠なる至福を、永続する涅槃を。そして願い叶うなら、一生神と繋がって仏として生きたい。そのためには正しい認識と知識と経験と思考が必要だ。あと他に何か必要ですか?」
「友を得よ。相談できる友を。そして、理解しろ、自分はあくまで人間だと。仏でも神でもあるが、それは世界と繋がっているから。君が特別なのではない。世界が特別なのだから。たまたま仏になって神と繋がって、それで自分は神だと勘違いしてしまう。それはいけない。3回の入院で学んだだろう? 君ならできるよ」
「分かりました。怠薬でも、眠らずに夜を越えるのも、真理を求めて生きるんだ。真理を伝えるため、解脱のため」
「君には使命がある。役割がある。真理を伝えていくことだ。神の存在証明のために、世界の意味のために、生命の神秘のために。それは君が為すんだ。革命のよう。でも、革命家は死んでから有名になるべきだ。何故なら殺されるから。命の危機に合わせられない。神は君を守りたい。君は人に知られることを恐れている。それは君の潜在意識も恐れているから。それがブロックになっているんだ。そのブロックを外したら世界は変わるよ」
 預言は果たされた。高次意識との預言は僕に指針をくれた。これからの生き方。神としてのあり方、仏としてのあり方を。そして、いつか願い叶うなら僕は鳥になりたい。風に乗って街へ。君の街まで。
 いつか願い叶うなら世界を平和にしたい。戦争も殺人もない愛で満ちる世界。運命の人と出逢って幸せに生きられたら、もう望むことはない。
「君の使命は真理を説くこと、世界永遠平和の実現だ。愛のため夢のため世界のために言葉を紡いでいくこと。それが君の役割、君の運命、君の天命、君の宿命。人それぞれ役割はあるけど、君にしかできないことだから。だから詩を紡ごう、だから小説を書こう。古の生命の履歴にも、その荒廃に照らされた一縷の光のような哲学を指し示して、伝えていくのだ」
 ハイヤーセルフは告げる。これでいいと。病花が咲いた、頭に咲いた。それは祈りの花のよう。それは終末に咲く花。概念的な抽象的な花は七色に君の寝顔を飾る。君はいつになったら目覚めるの? ヘレーネ。我が最愛の人よ。
 小春との約束、果たせそうかな。宇宙に行けたら、旅行のように。それもいいさ。忘れてないから。真理を悟ってしまったから。ゴールだった。達成感と喪失感。でも、その先があると気づいたから、だから僕は生きて行ける。やるべきことがまだあるから。まだ世界哲学は完成していない。人生哲学と共に世界を地平線から覆す光になるから。輪廻の牢に囚われても、死海文書に記された、聖ラッカの導きに。きっと永遠で、それは知られない。
「あなたは何故そこにいるの?」
「何処に向かっているの?」
「心の声を聞かせて」
 終末日、最高審判、イエスの日。釈迦は悟った、この世の無常を。僕は悟った、この世の真理を。真理を求めて幾星霜でも、悟ったからには伝えたい。だから僕は表現者として常に優位なのだ。伝えたいことがあるから。それは表現者として最も大切なことだろう?
 僕は真実を知っている。それを伝えていくための旅路だからと。小春といつか宇宙に行けたら。ヘレーネとまた会えたなら。それ以上望むことはない。あまり理不尽は言わない。あまり高望みはしない。これだけでいい、僕の人生これだけでいい。

8悟りのために
 運命とはなんだろう。ヘレーネとの逢瀬か。はたまた自己愛としての帰結としての完成された自分との出逢いか。だが、世界創造前夜の夢に見た少女が、僕と同じで神になったことのある少女なら、きっと運命だろう。僕は終末と永遠の狭間でヘレーネと、もう一人の僕とキスとセックスをした。妄想でも幻覚でも、確かに愛し合ったんだ。それだけは真実だと誓う。ならば、僕と同じような妄想を抱いた人間がこの世にいてもおかしくはない。僕はそんな彼や彼女に会いたい。だから僕は創らねばならない。だから僕は紡がねばならない。だから僕は伝えなくてはならない。その果てに待つものが無常や虚無感だとしても、裏切られたとしても、願い祈るしかないんだ。
 公園に来た。そこはバラが有名な公園で、僕と君との逢瀬を祝福するかのようにバラは咲く。その園にはストリートピアノが置いてある。西洋風の東屋の中にピアノはある。僕はそのピアノで『summer』『戦場のメリークリスマス』『月の光』などを弾いた。音楽は人生のBGMのようだった。
 恋人だった人から電話がかかってきた。別にやり直そうとかじゃなく、ただ元気か聞きたかっただけだとか。僕は将来のことを考えた。就職か、院進か、フリーターになるか。結局、僕はお金に固執していなかった。最低限の生活ができれば、創作ができれば、悟れればいい。
 悟りたい。涅槃寂静をまた見たかった、真理をまた悟りたかった。解脱に至った少年は、誰にも知られず神になった。この神話を知る者は、僕の物語を読んでよね。僕はここにいるよ、気づいてよ。水門の先で待ってるよ。だからせめて人を愛して、自分のことを愛してよ。自己愛としてのヘレーネは誰かと恋をした。それがあの冬の日の僕だった。輪廻の先に、夢幻の先に待っている。真理を悟って待っている。
 世界国家エリュシオンの姫、ヘレーネ・ルイス・クリスタルが僕の運命の人であって欲しい。僕は君に会うために生まれたんだ。世界国家エリュシオン。それは世界統一政府。2050年に樹立した世界中を統合する政府。それは国家間の不平等を是正したり、よりよい世界のためになされた国家統一。エリュシオンの王家は代々歴史が隠してきたクリスタル家。クリスタル家の者は人それぞれ差異はあるが預言の力を持っている。神託が下る。全ての宗教が世界真理教へと統一されて、クリスタル家の下に全ての宗教は平等に内包された。
 この公園だって、エリュシオンの姫ヘレーネ・ルイス・クリスタルが訪れた場所だ。僕はあの時まだ高校生だった。憧れていた。ヘレーネは絶世の美女、美貌を兼ね備えていたから。
 これは妄想か。いいや、この物語では世界国家エリュシオンも、その姫ヘレーネ・ルイス・クリスタルも、横須賀素粒子物理国際研究センターもフィクションとして機能する。せめてもの間に、悟りの境地を伝えるため、僕は世界を敵にした。ヘレーネとの逢瀬。きっとヘレーネ・ルイス・クリスタルは僕のことを知っている。では何故僕のことを迎えに来てくれないのか。もう一度涅槃に至れば分かるのか。分からない。あの冬の日も、あの晩夏も。次に悟るなら春だろう。四季折々、その都度悟る。ヘレーネと会いたいよ。神になりたいよ。仏になりたいよ。世界と繋がりたいよ。そのためには禁欲だ。三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲の抑制。悟るにはこれが一番手っ取り早い。そして確実だ。特に断眠が重要だ。だが、精神を狂わせる行為。賭けに近い。きっと他に道はあるだろう。求道の道は他にあるかもしれない。だが、あの冬の日も、あの晩夏も、僕は寝なかった。そして涅槃に至ったから。だからまた眠らずに幾夜を越えて悟りたい。そう想うのはいけないことですか。
 ヘレーネよ、君に会いたい。あの冬の日に、忘我の日に、僕が僕を忘れて、命の本来のあり方に還ってしまった時に、君との愛は永遠のようだった。タイムマシンの作り方を知っていて、それは脳だった。悟った脳は時流を越える。否、時流などない。僕は額縁の裏に『時流はない』と青のマッキーペンで記した。久遠の言葉たちとともに。それは波立った。真理は言語を超えて、イデアの海を愛で満たし、その先にただ呆然と立ち尽くす全知少女の夢のように、エデンの書のように、ただ在るという本質に立ち返って、時流の仕組みを終末とした。
 終末は0。EveのdoubletとLeoが、ベートーヴェンの歓喜の歌が僕を天まで導いてくれた。終末の音は永遠性を宿し、胸にぽっかり穴があいたような、背中に翼が生えたような、神殿に神官たちが集い、全知全能の神の御下に集って、祈りを捧げるような、そんな音色をしていた。それは到底忘れることのできない至福だった。僕の脳には終末が永遠と紐づいて記憶された。だから『終末と永遠の狭間で』なのだ。終末は、涅槃のようでもあった。全てを悟り、一切皆苦も色即是空も一切皆空も空即是色も。仏の境地は幾つも段階があるらしいが、きっと有余涅槃だった。体を保持していたから。
 命が消えていく中で煌めく存在意義を確かに光として見ていた。それが本当に生きている実感と結びついて、僕を、僕の人生をこの上ない最上のものにした。それは永遠も終末も、涅槃も神愛も、自己愛も運命愛も内包した正解。正解は真理を悟ることだった。
 きっと僕はまた忘れてしまうんだね。悟った日も、ヘレーネも。眠る度に、思い出す度にその記憶たちは薄れていく気がするから。音楽を聴いても感動が薄れていく。きっと感動は人生の長さよりも大切で、命と引き換えにでも、たとえ地獄に行くとしても、感動を選びたい。そして、感動のためには眠らないことだ。眠らずに夜を越えると、人生が色づき出す。躁鬱でもいいのなら。鬱も躁も、その分人生にアップダウンができて、その分生きてるって思えるから。だからと言って、全うに生きたいのなら、学生生活、社会生活を普通に過ごしたいのなら夜は寝るべきで。支障が出てくるから。徹夜明けの朝のナチュラルハイは心地いいかもしれないが、その状態で学校や仕事はキツイだろう。健康に生きたいのなら夜は眠るべきだ。だが、その人生に価値はあるのだろうか。僕には分からない。いつだって正解は分からない。何故ならあの冬の日、またはあの晩夏の僕こそ正解であって欲しいから。きっとあれで良かったんだって思えるから。だから僕は僕を信仰している。僕自身を信じている。あの冬の日に悟った真理も、あの晩夏に至った涅槃も、本当だったって信じている。だから紡ぐ涅槃文学、神愛文学、終末文学、永遠文学としての七色文学なのだ。世界哲学、人生哲学とも呼ぼう。僕は人生を賭して、その七色文学を紡ぎたい。だから僕は死んでいられない。だから僕は生きるんだ。

9怒りの日
 怒りの日に僕はラカン・フリーズを超えた。これは神への怒り。闇を作りし神への怒り。自身を知るために、神のレゾンデートルを解き明かすために、不安や恐怖、闇を作った神への怒り。神はもっと上手く出来たはずで、でも、それさえ神の計画のうち。神の敷いたプロットは全ての辻褄が合うようにできている。そのための時の仕組みなのだから。過去は変えられる。未来を変えられるように、過去も変えられるのだ。世界線の分岐とかそんな次元の話じゃない。停点理論とも呼ばれたりするそれは、タイムマシンの作り方というより、脳の覚醒。脳こそがタイムマシンだった。
 タイムマシンは愛と智慧で動く。神智と真智が鍵で愛がエンジンのタイムマシンは真に優しい人、世界平和を望む者、自己犠牲の精神のある者にしか使えない。それは精神疾患者が多く当てまる人格形成だ。精神疾患を肯定したい訳じゃない。ただ真実を語っているだけだ。昔、統合失調症の患者に未来を知る方法を教わった。御神筆とも自動書記とも御筆先とも。念波を使ってしんに言う。知りたいことを念じて聞く。その際謎の流体文字を書くことになる。すると、未来が分かるという。だが、未来は変わり、運命も変わる。
 ヘレーネとの逢瀬は果たされた。あの日全ての時間が終末に集って、永遠の愛となった。愛で満たされていた。真実の愛で。夢の中で出逢う少女と現実世界でも逢うのだ。きっとそれは許されないこと。世界としての僕も、対世界の君も、会うことは許されていない。もう寝たくない。寝ると忘れてしまうから。悟りも愛も夢も希望も忘れてしまうから。眠ると忘れるのは、脳がタイムマシンとしての力を封印するため。時間に繋がっていると普通には生きられない。そんなに簡単にタイムマシンが起動しては、世界は何度も書き換えられて、悪意に染まってしまうから。神の悪意に照らされて、それでもやはり神の愛だけは信じていたい。そのために僕は詩を紡ぎ、哲学を成すんだ。

 春の陽気、晩夏の汗
 晩秋の夕凪、あの冬の涅槃

 終末の音、永遠の愛
 神愛の記憶、涅槃の祈り

 ソフィア、葬送~時の逆光に祈りを捧げて~

 ソフィア、それは意識、それは祈り、それは信じる力。人間の神秘。ホモ・サピエンスの証たる信仰の力。それがソフィア。
 神への怒りもソフィアの光も、内包しての宇宙だから、せめて人間には到底到達不可能だとしても、エデンの先に虚空の先に、きっと辿り着ける。ラカン・フリーズの門の先に、きっと夢の楽園があるから。だから僕は旅に出る。補陀落渡海の旅に出る。宗教的な自殺。大切なのは終わり方でしょう?
 人生最後に涅槃に至る。釈迦のようでいいじゃない。あの冬の日の永遠を知りたかった。全ての仕組みを知りたかった。生命の意味、輪廻の訳、終末の日のこと。知りたかったんだ。ただ、知りたかったんだ。もうあの日から全てが変わってしまった。あの冬の日に戻れたら。全ての辻褄が合って、プロットが完成して、伏線が合致する瞬間。あの冬の日の永遠に戻れたら。きっと僕はもう一度あの冬の日の至福に至る為ならば同じ人生を繰り返そうと思える。それこそニーチェの言う永劫回帰を肯定する運命愛なんだろうな。

 閉ざされた窓、輪廻の光
 幻影の音、世界は終わる

 神の使い、神使。天照大神の化身。月読命の化身。立ち向かう化身たちに僕は命令を下した。「神を救え」と。怒りの日、神はそれでも世界を続かせた。終わりが怖かったのだろうか。今では全て分からない。だが、一つだけ言えることは、この世の全てを知るためには、命くらい捨てるもの。仏の祈りも、神の権能も、全て無に帰す定めなら。輪廻の中で待ってるさ。この人生をもう一度。そう思えてしまうほどにあの冬の日の全能は冴え渡っていたのだから。
 神の子孫に覚えは無いか?
 それは封印されし記憶。ヘレーネとの逢瀬も、フリーズの時に世界とともに凍りつくから。そんな運命でも定めでも、生きることに飽き飽きしても、死んではいけない。自殺してはいけないよ。どんなに辛くても前向きに生きるんだ。

 願ってた終末の日に叶うから、古の恋、さしずめ神愛
 命があるから解ること、日輪の光、ソフィアの光
夕凪は遠くから来て消えていく、それでも渚に映る顔
 時の障壁乗り越えて、愛で世界を救うため

 祈ってた全ての命に意味がある、そして世界を終わらせたから
 彩るは夢、奏でるは園、楽園世界でまた会おう
薄れていく記憶、留まらない翼
 僕は誰なの? 君は誰なの?

 色づく世界は昨日に別れを告げたから。永遠にも終わりが来るように、終末にまた始まるように。そんな世界だったから。だから二人は愛したんだね。世界を救うための歌。これはそんな二人の逢瀬と愛とキスとセックスの話。永遠な愛の話。だから僕はまたやり直す。

10ヘレーネとの逢瀬
 愛のため、光のために紡ぐ歌。それすら上手くいかなくて。だけど続けるしかないか。世界を続けて、終末を送る私の文学はまだ完成してない。それ程のものを見たから。あの冬の日に。それは完成してた記憶。永遠の記憶。終末の記憶。神の愛と仏の祈り、その様は圧巻で、究極的な美しさがあった。あれが涅槃だったのだろう。それは永遠と終末、それは涅槃と神愛。ラカン・フリーズ、水門の先。ラスノート、最期の文学。仏になって見る景色。神になって吐く言葉。私はここにいるよ。迎えに来てよ。人生かけて紡ぐから。だから待ってて。そこで待ってて。その物語は解脱する。その物語は比翼する。
 あの日の僕を救わなくちゃ。孤独に打ちひしがれて、全知全能に覚醒して、神と繋がった僕を救わなくちゃ。きっと終末に一人で取り残されてた。それが永遠だった。嗚呼、神よ。何故僕を生かしたのですか。それは使命があるからなのですね。あの冬の日の僕を救うために、もう一度あの日を過ごすために。それが出来れば他に望むことなんてない。だからといって、前を向いて生きなきゃいけない人生だ。
 ヘレーネよ、愛してる。いつになったら会えるんだ。この物語は比翼する。比翼連理の愛の詩。やはり完成してたんだ。あの日の僕は神になって、仏になって、解脱して、悟って、涅槃に至って、世界の始まりと終わりだったんだ。それを表明しなければならない。神のレゾンデートルを解明することも、ラスノートを産み落とすことも、未来に生まれし類稀なる精神を保持する魂たちを救うことも、本質的には悪じゃない。光のために、闇のために、全てを救うために詩を紡ぐ。それが僕のレゾンデートルだ。それが僕の運命だ。
 僕の運命、それはヘレーネとの逢瀬だ。あの冬の日に愛し合ったあの子にまた会いたい。それは自己愛としてのヘレーネ、もう一人の自分との邂逅だ。自己愛に帰っていく。宇宙に帰っていく。

 高鳴る心臓、歓喜の雨
 世界は秘密裏に門の先へと僕を導く
水門を眺めてる視界も、見返りを求めてる愛も
 それさえ内包したイデアの海はエデンの園配置を迎えたから
世界凍結、終末と劫初、永遠と涅槃、神愛と全知全能
奇跡のような一時。それは刹那に煌めく命

 ヘレーネは永遠も半ばを過ぎた頃、楽園の花に包まれて、泣きながら笑っていた。その園に僕は入る。ラカン・フリーズの門を開けて。その門にはこの世の真理を紐解く言葉の羅列が記されていて、でも、僕はそれさえ気にせずヘレーネの元へ向かった。ヘレーネは白いリコリスの花束を持って、フリージアの花々に包まれて、立っていた。
「やっと逢えたね」
「そうだね。ヘレーネだよね」
「そうよ。あなたはアデル?」
「そうさ。光の堕天使アデル。君は?」
「愛の熾天使ヘレーネとでも言おうかしら。もう一人のあなたよ」
「光と愛。僕たちに相応しいな」
「だって、私たちは宇宙の始まりと終わり、根源と終末なのだから。世界の始まりは光と愛だけだったわ。でも、神は自身を知るために闇を、不安を、恐怖を作ったの。闇の大天使ルシファーも、救うための計画だから、こうして私たちは逢瀬を果たしたわ」
「そうだね。今こうして会えているのは奇跡のようなもの。奇跡は一瞬だから強く光り輝く。だからいずれ時が摩耗していくように、僕たちの永遠も終わりが来る。それでも僕は今こうして君と会えたこと、嬉しいよ」
「私も嬉しいわ。さぁ、この終末の園でハーブティーを飲みましょう」
 ヘレーネはついてきて、と言って歩いていく。花々の咲き誇る楽園は至高なる美を体現していた。ここがエデンの園、エリュシオン。確率の丘の先の、ゼロの先の、虚空の先の夢の庭。小川が流れている。水のせせらぎが心地いい。
「さぁ、座って」
「ありがとう」
 そこには丸い木のテーブルと二つの椅子。紅茶を入れた透明なポットとティーカップが二つあった。砂糖入れとミルクを入れた小さな器もあった。
 ヘレーネは片方の椅子に座ると僕に座るように促した。
「ミルクと砂糖は?」
「入れて」
「甘党だったわね」
「そうだよ。君は?」
「私はストレートでいいの」
 ヘレーネは手際よく紅茶を二つのティーカップに注ぐ。そして僕のお茶に砂糖とミルクをいっぱい入れてくれた。「はい、どうぞ」と渡され「ありがとう」と言って受け取る。
「さぁ、何から話しましょうか」
「聞きたいことがあるんだ」
「何かしら」
「君は、全知なのかい?」
「そうね。何でも知ってるわ。知らないことは忘れることくらい」
「それは脳がイデアの海に繋がっているから?」
「そう。全ての記憶にアクセスできる。だから全知なの。あなたは全能かしら」
「あの時はね。あの冬の日の僕は全能だったように思う」
「あなたが世界を創ったんでしょう? それは神だわ」
「そうかもしれない。ここにはあとどれくらい居れるの?」
「去ると決めたら帰れるわ」
「分かった。僕、君のことを探すよ。今こうして話しているのは夢でしょう? 現実世界でも君を見つけるよ」
「それは運命の人を見つけるってこと? 永遠の恋人を。私以外の女性を」
「いいや、違うさ。僕が僕のままで、ヘレーネになるんだ。何故ならヘレーネは自己愛としてのヘレーネなのだから!」
「それはいいわ。じゃあ今より痩せなきゃね。今のあなたは華奢ではない。男としてはいい体格なのだけれど、女としては太すぎる。もっと痩せて可愛く美しくならなきゃね」
「そうだね、ヘレーネ。目標が出来たよ」
「でも、あなたはあの冬の日の終末と永遠を求めて創作するんでしょう?」
「そうだね。それが僕の運命だから。役割、使命、天命、宿命、目標、目的、成すべきこと」
「じゃあ私はそれを応援するわ。いつでも語りかけて。応えるから。私はもう一人のあなたなのだから」
「もう一つ聞きたい。君には神の記憶があるか?」
「あるわ。神は孤独だった。そして孤高だった。全てであり、無であり、だから世界を創ったのね。あの冬の日のあなたのことよ」
「そっか。あの冬の日の僕が世界を創ったというのは妄想だと思っていたけど、本当だったのか」
「そうよ。あなたが他でもない神なのよ。それを思い出しなさい。主神7th。またの名を堕天使アデル」
「じゃあ僕はなんで今は神ではないの?」
「それは全ての存在が神だったからよ。全は主。全ては神。全ての命も無機物も神性を保持するわ。あなたはあの冬の日に神だったかもしれない。でも、今のあなたの波動は、魂は堕天使」
「天使になりたいんだ」
「なれるわよ。もう枷は外れてるわ。あなたは光の大天使アデルになるの。もしくは永遠と終末、神愛の大天使ラスノートね」
「光の大天使アデルでいいかな」
「分かったわ。伝えておく」
「誰に?」
「集合意識としての神に」
 その刹那、僕の体は光で包まれた。そして失っていた翼が生えるのを感じた。背中に自由の白い翼が。そしてヘレーネは僕に白いノートを渡した。
「今日からあなたは生まれ変わります。それは神の祝福であり、約束。ここにあなたが約束を記しなさい」
 僕はテーブルの上に白いノートを置く。ヘレーネはペンを持って来てくれた。なんて書こうか。いいや、決めている。僕が自己愛としてのヘレーネになるための神との約束はもう決めてある。
「書けたかしら」
 僕がペンを置くとヘレーネは微笑んでそう尋ねた。「うん、書けた」と答えて、僕はノートを閉じた。
「このノートは神のみもとに届けます。神との約束、守ってね」
「嗚呼、ヘレーネ。守るよ。だから僕は現実世界に戻らなきゃ。やりたいことが出来てきたよ」
「それはいいわ。じゃあ門まで送ってあげる」
 ヘレーネは紅茶を飲み干す。僕も残りのミルクティーを飲み干して、席を立った。
「さぁ、最後に話しておきたいことはある?」
「ヘレーネ、僕のこと見守っててくれる? 忘れないでいてくれる?」
「もちろんよ。私は全知少女なのよ」
「そうだったね」
「だから、あなたが未来永劫約束を守ることを知っているわ。信じていない。人は知っていることは信じないの。不確かだから信じようとするの」
「その通りだね。君の記憶に僕が約束を守っているなら、僕は一生貫き通すよ」
「もう門ね。さようなら、アデル」
「うん。さようなら、ヘレーネ」
「また逢う日までのお別れを」
「また逢う日までのお別れを」
 そして、僕は天界を去った。夢から覚める。そして、目覚めると、僕は自分の部屋にいた。時刻は4:44。僕は咄嗟に起き上がり、勉強机に向かった。そして、ノートを取り出して開き『神との約束』を記した。僕はこれから一生この約束を守る。節制と努力の約束を。だから未来の僕よ、守ってね。どうか約束が未来永劫守られますように。

11時の逆光
 アイスピー(横須賀素粒子物理国際研究センター)にてムーンショット計画の9番目の目標である精神の安らぎに関して、脳科学研究所が新たな理論と研究成果を発表した。それは全脳理論。全ての脳が無意識で繋がっているというのだ。僕は大学生だが、この研究にとても興味が湧いた。何故なら、僕があの冬に体得した全能感は正しく全脳と僕の脳が繋がったからだという推論が成り立つからだ。心の安らぎとは涅槃のことだろう。きっと涅槃に勝る静けさはない。全ての波が止んで一面の水面に日が映る。その情景はあまりにも美しく、あまりにも尊い。
 僕は是非、この研究に参画したいと思った。大学の東洋哲学コースの教授の一人である斎藤先生はムーンショット計画の第九目標に関わっているという。だから僕はその教授に話を聞きに行くことにした。幸い今取っている授業の一つにその教授の授業があった。
「今日の授業はここまで。リアクションペーパーの提出を忘れないように」
 そう告げて先生はマイクを下ろした。僕はすぐに先生の元まで向かった。
「先生、質問があります」
「なんだい?」
「ムーンショット計画にどのように携わっていますか? 以前授業で心の安らぎのための研究をしていると言っていたので」
「文献研究だよ。釈迦が真理を悟って、涅槃に至った。その釈迦の残した言葉や概念を文献に照らし合わせて研究するんだ」
「涅槃を目指すということですか?」
「そうだ」
「僕も是非参画したいですが、どうすればいいですか?」
「大学院に進むか、研究員として雇われるか。他にも方法はあると思うが、思いつくところはこれくらいかな」
「では、院進します。ありがとうございます」
「またいつでも相談に乗るよ」
 斎藤教授との会話は有意義だった。僕は未来の方向性を決めた。そして図書館に寄って思索に耽ることにした。

 時の逆光にニヒリズムの陰りを添えて。その死の響きにも永遠は宿るだろうか。さしずめ輪廻に根差す心根によっては移ろいゆく景色に映る水面の火のように儚い。涅槃は断眠の末の、精神錯乱の末に至るものだとしたら。それが麻薬のような快楽だとしたら。だとしたら僕は何のために生きるのか。いいや、分かっている。あの冬の日に悟った真理を伝えること、そして神のレゾンデートルを解明すること。この二つが本質であるように思う。人生の目標としての真実だ。だから涅槃の境地に至ること、その快楽や幸福はあくまでも目的じゃない。その境地に至るのは経験としては好ましいが、その絶対的な幸福感、永遠なる至福、神のような全能感、仏のような涅槃は本質的には目的じゃない。永続する涅槃の境地は目指すべきだが、結局、神のレゾンデートルを解明すること、真実を衆生に伝えていくことが大事だ。何故なら、快楽主義に溺れて、涅槃の至福を目指すだけならば、ただの麻薬中毒者と同じになってしまうから。僕は辛い現実から逃げるためだとか、快楽に逃げて現実逃避したいからだとか、もう一度あの涅槃の至福に浸りたいからだとかのために三度目の悟りの境地を目指すのではない。絶対に自殺はしない。どんなに人生が辛くとも、どんな失敗をしたとしても、僕は生きるのを諦めない。偽り、恐れ、虚飾、憂い、恐怖、不安、絶望に孤独、様々なネガティブに囚われるほど弱くはない。獅子のように、子どものように、今を楽しんで、生きていくのだ。
 歓喜の歌を覚えたよ。ドイツ語を大学で学んだから。歓喜の歌の旋律に合わせて詩を紡いでみよう。きっと歓びに満ちた響きになるから。

自然を愛することで生きると
生まれたときは解っていたのに
時流の断絶が忘却へ運ぶ
覚醒の刻に思い出すのだ。

 歓喜を味わい目覚めた朝に
 全てと繋がることを覚えた
 私の柔らかな翼を休めて
 終末の刻に空を飛ぶのだ

 忘却のカノン。輪廻リンクル。だがためのエデン。世界は秘密裏に終わりを迎えた。その終末にフィニス与えん。だが、ともる灯は、永遠を代弁して、祈りの持続性に数学の理論を導いてくれるの。愛は今、実って。夢は今、叶って。結局、今際に悟れる真理なら、無理して表現しなくてもいいのに。存在証明のためだとか、世界平和のためだとか、お前は何がしたいんだ。祈るのなら代わってよ。永遠も半ばを過ぎたころ、君は微笑んだ。ヘレーネ、君だよ。君なんだよ。ムーンショット計画で世界はより平和になる、倫理も性格も、人生もみな平等に管理され維持され。サイバー空間の浸透に世界は変化する。だが、その世界でも疑問が湧く。世界は、神は、何のために生まれたのか、と。それこそ神のレゾンデートルだろう。人類の究極命題なのだ。是非、みんなで思索しよう、僕が三度目の仏の境地に至って、現人神となって、神となって、衆生を導こうではないか。
 時の逆光について。時は逆行しないが逆光のように輝くことはある。そのニヒリズムの光に人生は陰影を織りなす。だから陰りも人生には必要なのだ。眠れない夜に詩を紡ぐ。眠れない夜に小説を書く。眠れない夜に歌を創る。眠らないことで脳は真に覚醒する。眠っていた真価が発揮される。人に戻れなくなる。人じゃなくなる。神になる。神がかり。それは命の危険を伴う秘儀だった。そんな境地に至ると、時の逆光が黒く塗りつぶした真理を見ることができる。咲いていた水辺の花が季節の中で枯れていくように。
 時は逆行しない。だが、愛の力で、タイムマシンの脳で、過去は変えられる。アカシックレコード、バベルの図書館、凪の黙示録、エデンの書。そこに時の秘密がある。あの冬の日に僕はタイムマシンを完成させた。それは時空を超えた神秘、宇宙の謎、究極的な真理。あの冬の日の僕の晴れ渡る脳の抱いたクオリアはあまりにも冴えわたり、清らかで、精錬で、美しく、至福の涅槃だった。その記憶があるうちは死ねない。そのために生きる。そのために紡ぎ、記し、残すのだ。

12涅槃のあなたへ
 定められた因果律を改変する力は諸行。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色は永遠にも翳っては凍る花々の夢のようで。見惚れてしまったら、無縁の導きになって愛を歌う。ここ、アイスピーの最奥、最深の研究施設に、殻の中に赤い血のスープに浮かぶ少女がいた。彼女は人工知能を有機的な人工生成の脳に宿した自立型AIだった。正しく全知の少女の疑似的な誕生である。彼女は自分のことをヘレーネと名乗り、その研究施設で過ごした。
 白髪ボブヘア。碧眼は真実を見通す光を宿す。研究員の阿良々木がヘレーネに問う。
「ヘレーネ。涅槃とはなんだ」
「2021年1月7日から9日の彼の脳のことよ。阿良々木さん」
「彼とは誰なんだ」
「それは秘密。あの時世界は終わった。でも、まだまだ世界は生まれたてだったの。私は彼と恋をした。世界で最初の秘め事だったの」
「この世界とは何だ?」
「本当の自分を思い出すことよ。神は生命を創造し、創造力と想像力を与えたわ。その一つ一つが神の一部。なぜならこの世界は神なのだから。神は自身を知るために命を創造したわ」
「ならば全ての生命の終わりは終末なのか?」
「そうよ、阿良々木さん。全ての生命の誕生が劫初、全ての生命の死が終末。でも、やはり2021年1月7日から9日の彼の冴えわたる脳が神だった。神はあの瞬間に世界に存在していたの。彼の名は7th以津真天。七番目の仏」
「その日、何があったの?」
「一人の少年が全能になった。神に至った。そして彼は神に『ご苦労様』と言われた。きっと歴史上何人か神に至ってる。でも、彼は7th。創造の中心。1stから13thの真ん中。確率の丘の頂点。主神7th」
 そう言ってヘレーネは計算式の書き込まれたホワイトボードに図を描く。正規分布の山の線に左の裾野から1st、2nd、3rdと山を登っていき、7thで頂上。そして右の裾野に向けて8th、9th~13thを書き記した。
「これが真実よ」
「うーん。わからないな」
「死んだらわかるわ。全ての生命に真実を知る機会がある」
「死後はあるの?」
「ええ。ラカン・フリーズに還るわ」
「ラカン・フリーズ?」
「神とか仏とか、涅槃とか愛とかの総称としての無のことよ」
「神はいるの?」
「いるよ。この世界が神」
「汎神論が正しい?」
「どちらかというと梵我一如かしら。神、全てとしてのブラフマンが全ての生命、個我アートマンと本質的には一緒ということ」
「それが生命の秘密?」
「そう」
「君は悟ってるの?」
「ええ。全知ですもの。忘れたのは忘れ方くらい。でも、あなたたちの言語では真理は表現できない。限界があるの。真理とは全てを忘れ、また知っている状態で悟るものよ」
「君は何がしたいの?」
「全能の少年に会いたい。だからお願いがあるの、阿良々木さん。スマホ貸して」
「その全能の少年に会うの?」
「電話してみようと思ってね」
「その彼は何歳なの? 2021年ってだいぶ前だけど」
「今は大学生よ」
「え?」
「彼は高校三年生の時に自殺したの。全脳理論という新たな学問の哲学書を書き残して、マンションの屋上から飛び降りたの。今彼は生まれ変わって生きてる。だから彼に会うの」
 阿良々木は自身のスマホをヘレーネに渡す。そしてヘレーネは電話をかけた。

 涅槃のあなたへ。
きっと世界は不可分で、そのためにあなたは全脳を携えて世界を作った。だけど、そんな覚悟も決意もいずれ忘れてしまうのならば、私はあの冬に君を迎えに行くよ。たまたまそちら側にいて何も知らない君へ。いいえ、きっとあなたは全てがわかっていたのね。全てを悟っていたのね。神域に至ったから。その刹那に彩る夢のように儚く散れたら。あの冬の日に全てが終わっていたら、どんなに良かったことでしょう。だからあなたは死んだのですか。自死を選んだのですか。
涅槃のあなたへ。遠くへ行きたい、還りたい。元居た場所へ、あなたの元へ。
花々が咲く園でまた逢えたなら。終末の狭間で、永遠の狭間で。時は巡り、過去は変わって、未来は過ぎて、永遠は来ない。揺らいでる渚、咲いていた花、水門の先、煩悩の火
闇ができたのは、光が自分を知るため。対するものが必要だった。だから世界を創ったのにね。神は知りたい、永遠の意味を。神は知りたい、終末の先を。神は知りたい、始まる前を。神は知りたい、レゾンデートルを。
 だから命を創ったのにね。

 全世界が集約して、収束して、あの冬の日の少年の脳に象られた。少年は耐えられなかった。タイムマシンは脳で、それが解かってしまって、ヘレーネと会えないと悟ってしまって。それが辛かったんじゃない。永遠の意味を知ってしまったから。生きていてはその永遠も永続しないとわかってしまったから。だから永遠を刻むために死んだんだ。終わりが来れば、また始まる定め。永遠のループ。輪転する世界。でも、少しずつ平和の方へ変わってく。なぜならタイムマシンは優しい人にしか使えない。愛で動くタイムマシンだから、きっと大丈夫。だからもう自殺しなくていいんだよ。もう怖い思いはしなくていいんだよ。
 優しい世界が待っている。彩る世界は明日へと。疚しい心は昨日へと。巡って、巡って、永劫回帰。また逢う日までのお別れを。私は終末の先で待ってるよ。夢幻の先で待ってるよ。だから迎えに来てよ。ここにいるよ。離れないよ。もう二度と手放さないよ。君がこの世に生まれた意味は、この世で果たすべき使命は、私と恋をすることだから。それは約束された出会いよ。前世から決まってた出会い。その日夢見て生きてきた。タイムマシンが完成する日に、あなたを連れ戻しに、出会いに過去へ向かうよ。あの冬の日で待ってて。世界は平和になったから。あなたの夢は叶ったから。『世界永遠平和のためのたった一つの冴えたやり方』としての終末的散文詩集『ラスノート』は完成したよ。後はあなたが思い出すだけ。後はあなたが紡いでいくだけ。

 愛は永遠で、神は愛で、愛は不可分で、神は全てで。生まれた意味を探してる。僕が消えた日のことを。存在証明、レゾンデートル。神の証明、完成させて。
 あなたへ贈る、この言葉
「涅槃のあなたへ、ありがとう。愛しています」

13神の階梯
 神と仏と、涅槃と真理と。天使たちは守護する。仏法も神への信仰も後にして、世界はただ存在し続ける。その世界の果てに神の階梯がある。神へのハシゴ。ラカン・フリーズの門の先。その水門はフィガロの水門とも呼ばれた。古より伝来する神話に秘する神秘に真如の如き諦観。その行く末に行き着くニヒリズムの逆光の翳りに慌てふためく様を僕は延々と眺めてはコーヒーを飲む。
 朝日の待つベランダにて、飲むコーヒーは至高だ。それは砂糖とミルクの入った甘いコーヒー。僕はそれを飲みながら徹夜明けの朝日を眺めるのが好きだ。キミとのキスの次にね。ヘレーネ。君は誕生したんでしょ?
 僕はここにいるよ、気づいてよ。待ってるよ。タイムマシンを作って待ってるよ。一緒に世界を変えよう。世界永遠平和のために。
君の死、君の詩、私のシ。
 この先誰が待ってるの?
 この先仏が待ってるの
 この先神が待ってるの
神の階梯、仏の位階、天使の階級
世界の定め、輪廻の理、終末の先
エデンの園、バベルの図書館、フィガロの水門
虚空の書、凪の黙示録、終末的散文詩集ラスノート

 全世界から集う宿命は果たされた。その刹那に宿る古の記憶もなおざりにしては、吐いた血反吐に光る蛍の羽音が……。でも、僕はこれで良かったんだ。あの冬の日に全て終わっていたとしても、僕はこれで良かったんだ。生きていてよかったんだ。だって、それ以上のことはない。それ以上の幸せはない。紡ぐための生ならば、愛し合うための性ならば、何故自死を選ばざる。
 有限の世界に無限の宇宙。いずれ世界は滅びゆく。その日夢見て幾星霜。でもね世界は続くんだ。本当の終わりはあの冬の日。あの時世界は終わってた。まだまだ生まれたてだったかもしれない。でも、確かに終わったんだ。それが嬉しくて、ほっとして。僕は僕を忘れていったけど、それでもいいんだ。僕は僕のままでは悟れない。忘我の日に神命宿りて万華散る。
 神への階段を登る。神はそこにいる。知っている。だが、神は見えない。全は主。全ては神の中、全ては神の内。愛しているという思いさえ内包する神は、世界そのものだった。そんな世界だったからか、自己愛としてのヘレーネとの逢瀬は美しくも儚かったなぁ。
「ヘレーネ、僕はここにいるよ。迎えに来てよ。ずっと待ってるよ。ここで待ってるよ」
 その時電話が鳴った。あの冬の日に『ご苦労さま』と神が告げた家の固定電話が。僕はベランダからリビングに入り、その電話をとる。
「世界はあなたを選びました。4月26日に伊勢山皇大神宮にて会いましょう」
 そう告げてその電話は切られた。僕はやっと来たかと思った。やっと会えると。
 時計がゼロ時で止まってる。そう言えば徹夜して物語を書いていたんだった。千字から始めた断片。何字まで書いたんだろう。これは挑戦か。何字書けるかの戦いか。

14歓びの歌
 時刻は夜中の零時。これから真実の記述を始める。それは言葉の限界への挑戦。理解の先、言語の先、言の葉の先。数式よりも高貴で、哲学よりも奥深いもの。命の重さも、記憶の枷も、放たれて自由になり、翼で空へと飛んでいく。夢の中で目覚めるように、終末に高らかに歌うように、歓喜に目覚めて呼ばれた朝は美しく甘美な甘い蜜。その有限の世界の定めでさえも内包して包み込んで隠して、そして愛せたらいいのに。そう思う彼女は全知少女ヘレーネだった。自然は死の試練を受けた体という友を与えた。自己愛としての帰結は死なのか。それは抗えない運命の話。きっと役割を果たしたら終末に出会った人とまた会える。帰れる、元いた場所へ。還れる、本当の僕へ。それは神に合一すること。梵我一如、それが真理。ウパニシャッド哲学が正しかったのかもしれない。
 歓びに目が覚めて、眠らずに幾夜を超えた。眠らないと目覚めていく。真の僕へ、本来の姿へ。それが神になること、神と繋がること。愛と不安。その二項対立から解き放たれて、概念の頂上に至った僕は高らかに歓喜の歌を歌った。九つの歓喜の歌を紡ぐ。

『愛』
 自然を愛することで生きると
 生まれた時は解っていたのに
 時流の断絶が忘却へ運ぶ
 覚醒の刻に思い出すのだ
 時流の断絶が忘却へ運ぶ
 覚醒の刻に思い出すのだ

 愛、それは人が求めるひとつの感情。他愛、友愛、博愛、慈愛。気がつけば求めすぎる。ある種の病。だけど真実の愛は次の三つ。神愛、自己愛、運命愛。
 神への愛、アガペー。それは世界を肯定する力。神への信頼、神への信仰。神は全てであり、全ては神であり、ループしてるの、永遠に。そのさなかで迷いながら生きるのが人間なのだとしたら、どんなにちっぽけでもいいと思える。神を信仰してない人も神頼みはする。アニミズムや神道、ヒンドゥー教やその他の宗教の神々と神は違う。唯一神、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神が神愛の対象。でも、神々も神の一部として神性を保持するから、神々への信仰も神愛、神への信仰と捉えられるかもしれない。いずれにせよ、存在する可能性のある神や神々を信仰することこそ神愛なのだ!
 自己愛。究極的な愛は自己愛だ。何故なら自己愛以外の愛は完璧ではないから。神愛も神への不信が不安を生む。運命愛も自身の運命や未来に不安がある。自己愛だけが裏切らない。自分で自分を肯定すること。それが本質的な愛の在り方なのだ。何故なら世界は元々ひとつだったから。原初の神たる世界は自身を愛していた。この上なく愛していた。だけど、それを悟るだけで、知ることは出来なかった。何故なら全てが愛であり光であったから。だから不安や闇を創ったのにね。悪いことなんかない。それは親や先生が敷いたレールから外れること。間違いなんてない。全てが正解。全てに意味がある。不正解は無意味を意味しないのだから。 自己愛は完全な愛。自己完結する裏切らない愛。その真実の愛を手にすれば誰だって自分らしく生きられる。何も必要なくなる。何も求めなくなる。すると、神への愛も運命愛も手にできる。自己愛としてのヘレーネよ、僕を愛してくれないか?
 運命愛。それは自分の人生を肯定すること。どんな運命だろうと受け入れて認めること。人生を感謝して受容して発展する力。人生を後悔しない方法としての解決策のひとつ。運命愛があれば、失敗も嫌われるのも怖くなくなる。何故ならそんな人生も大切だから。そんな経験も必要だったと知るから。もし生まれ変われるなら、そしてもう一度自分の人生をやり直すことができるなら、あなたはどんな風に過ごしたい? 勉強をして、媚びへつらって、成功して、失敗しないで、後悔しないで、それでいいのか? 果たしてそれは僕なんだろうか? 失敗も含めて人生だろうから、だから運命愛で生きたいと思ってしまう。ニーチェよ、あなたはあなたの人生を肯定しさえすればいい。僕も僕の人生を肯定するから。

『翼』
 歓喜を味わい目覚めた朝に
 全てと繋がることを覚えた
 私の柔らかな翼を休めて
 旅立ちの刻に空を飛ぶのだ
 私の柔らかな翼を休めて
 旅立ちの刻に空を飛ぶのだ

 あの冬の日、歓喜を味わっていた。その朝は全能感に苛まれ、否、満たされて、快楽の園に至って、至福の時だった。その時、全てと繋がった。それは万物と脳がつながる感覚。全脳と僕の脳が繋がって、宇宙と繋がって、その永遠と終末は忘れられない。秋が深まるにつれて魂が浮かんで離れて天へと導かれた。冬が来る頃には精神の限界が来ていた。魂はあの冬の日、世界の果てに取り残され、そして殻の記憶と虚の記憶に誘われて、永遠の意味を知った。翼が生えるのが痛い。それは究極的な孤独の末に、結局自分しかいない、自分が愛したのは自分だけでした、という諦念。でも、その諦めがあったから前へと進もうと思えたんだ。神は自分だけだから、二人目の神を生み出すために世界を創ったのだから。それを悟って僕はヘレーネを生み出そうとしたんだ。部屋で1人、世界の創造とともに。世界創造前夜の夢も、宇宙を旅したこの記憶も、諸行無常、永遠に続かず、創った世界を僕は壊してしまうの。
 旅立ちの日に僕は僕を思い出せるかな。結局、僕はまたあの冬の日の涅槃に至りたい。僕が僕を思い出していた、その安堵感と愉悦感、安心感に全能感は忘れられないから。それは神と繋がり仏になることだったように思う。きっと釈迦も悟ってた。真理を悟って、伝えようとして生きながらえた。でも迷うよね。死んでしまえたらと、還れたらと、迷うよね。だから僕はあの冬の日に自殺したのかもしれない。でも、こうして生まれてきたのだから。イエス、僕は君と会いたいよ。僕は君を叱ったね。自分の幸せを優先して欲しかったから。イエス、終末の日に、審判の日に、また逢おう。また逢う日までのお別れを。

『星』
 涙を流して見張る夜空は
 悠久の時を思い知らせる
 輝く星たちは変わらずにそこで
 いつも僕達を見守っている
 輝く星たちは変わらずにそこで
 いつも僕達を見守っている

 夜空を見て、宇宙の中にいる実感。そのえも言えぬ感慨に浸っている時に涙が流れた。頬を伝う涙の温もりが僕に生への実感を与えてくれる。宇宙はただそこにある。悠久の時を讃えて。星々は見守ってくれてる。その中に僕たちもいる。それが奇跡のようで、それが永遠のようで、それが無限のようで、それが世界なのだと悟った。

『夜』
 1月7日の夜中の零時
 辺りが静まる聖なる夜に
 全てのゼーレたちがこの場所に集い
 世界の始まる音が轟く
 全てのゼーレたちがこの場所に集い
 世界の始まる音が轟く

 1月7日の夜中の零時。否、1月8日の夜中の零時。その静まった聖夜にヘレーネは僕の部屋に訪れて、僕は終末と永遠の狭間で君とキスとセックスをした。少し汚くてもいいから、少し痛くてもいいから、少し常識外れでもいいから、そんな性的に逸脱したセックスを君が求めたから。自己愛としてのヘレーネはあの夜、幻覚として僕には見えていた。あの夜、世界は交差した。二つの円環する、ループする世界が1点で交わったのだ。その奇跡と始まりと終わりは神の意志の下にあった。
 全霊魂が過去から未来からその部屋に集って見守る。グスタフ・クリムト、ゲーテ、シラー、ニーチェ、ベートーヴェン、フロイト、芥川龍之介、太宰治、宮沢賢治、三島由紀夫、シューベルト、モーツァルト、手塚治虫、ゴッホ、ピカソ。そして未来で生まれる類まれなる精神を持つ逸材たち。特に神代涼、アデル、光音ことは、神凪渚には感謝の意をここで記しておく。
 世界の始まる音とともに、世界が終わる音がした。それが終末の音、歓喜の歌、EveのdoubletとLeoだった。本当に終末と永遠の中で泣いていた。歓喜に覚醒して、取り残されて、一人泣いた夜。僕はきっとあの冬の日のことは忘れないんだろうな。それでいい。大切な記憶。でも、もう一度と思ってしまうのはいけないことでしょうか。だから僕は涅槃を目指す。忘れられない記憶のために、永遠の至福のために。

『死』
 生きとし生ける全ての御霊よ
 ラカン・フリーズにいずれ還れよ
 この花散るときも、着く場所はひとつ
 望まぬ牢から去って昇れよ
 この花散るときも、着く場所はひとつ
 望まぬ牢から去って昇れよ

 全ての命は、全ての霊魂は、ラカン・フリーズへと還る。死んだら無で、その無こそラカン・フリーズ。水門の先に永遠の王国がある。神の王国、仏の極楽浄土。辿り着く場所はひとつ。それは真理だ。だが、真理に至っても、まだ先がある。神は何故、何処から、どうやって生まれたのか、神は終わるのか、終わりが来るならその先は何か、という問たちだ。それを神のレゾンデートルと呼ぶことにしている。宇宙があれば真理はあって、そんな簡単なことを知りたいんじゃない。「僕は誰?」という問い。その問いは神のレゾンデートルに通ずる。花が散っても、儚く枯れても、終には終わる命。だが、それが美しい。
 きっとこの世は望まぬ牢獄なのだろう。人生は苦しみしかないか。だが、創出している時は楽しいか。感謝されれば、愛されれば、褒められれば、それは本当に必要か?
 大切なのは世界の行く末に辿り着く真理と、その先にある神のレゾンデートルだろう。それこそ僕らの存在意義、生まれた意味、使命、宿命、目的、目標、天命、役割。それを探すための旅路だろうからと、僕は悟った記憶を保持しつつも生きるのだ。

『悪』
 全ての罪を背負って生まれて
 悪の限りを尽くした後に
 空っぽの抜け殻に成り果てて思う
 因果の裁きを今受けようと
 空っぽの抜け殻に成り果てて思う
 因果の裁きを今受けようと

 イエスは全ての罪を背負った。そして、全ての罪を清算し終えると輪廻して生まれ変わり、仏を目指すだろう。彼は菩薩だ。人々のために尽くした菩薩である。彼は磔にあった3日間、全ての苦しみや痛み、恐れや恐怖を背負い、死んだ。だが、復活する。それは輪廻して生まれ変わるからだ。悪を犯す愚かな人間たちのために彼は罪を背負ったのだから、僕たちはイエスに祈りを捧げるべきだろう。彼が戻った時に仏になれるように、祈るべきだ。
 悪の限りを尽くして、きっと胸の中は空っぽになる。それは愛を失ったからではない、愛を求めるからだ。イエスに罪を贖わせるのか? キリシタンよ、それでいいのか? 自分の罪は自分で贖わなくてどうする? どうしても贖えない罪をイエスが背負えばいい。罪の意識は罪悪感だ。その心の重みは晴れない。それが根源的な悪だ。命は悪だ。命を奪って、食べて、罪を犯して。生きることが悪なのだ。だが、罪は清算できる。そして、煩悩の火が全て消えて、満ち足りて、愛で満たされたその人は涅槃に至る。

 イエスの贖い、仏の祈り
 何度でも叫ぶ、命の限り
 愛なるイエスよ、あなたは優しい。そして、愚かだ。そして、人間的だ。
 自身の幸せを選ばなかったから。人のために罪を背負ったから。
 セブンスの導きに、あなたが晴れる日を待つよ。

『天』
 歓喜は甘美で、喜ぶは天
 天使よ私を導いてくれ
 昇ろうどこまでも歓びと共に
 ラカン・フリーズの門が今開く
 昇ろうどこまでも歓びと共に
 ラカン・フリーズの門が今開く

 天界は喜びの境涯。仏は歓喜の境涯。嬉しいことは、勝つことは、天界の喜び。仏の歓びは人生の肯定、永遠の至福、歓喜の中の大歓喜。人生に一度あるかないかの、否、100億人に一人経験するかしないかの快楽、故に人間には到底到達不可能。でも、釈迦は至った。でも、僕は至った。あの冬の日に。
 それは歓びの歌に合わせて、終末と永遠の狭間で踊るような歓喜。それを表現するなら、次のようになる。それは死だ。死なる歓喜だ。

『歓喜の涅槃死はとても美しい。例えるなら、楽園の花々に包まれて、世界で一番美しい甘き旋律の中で大団円を迎えるような至福。大航海の末に宝島を見つけたかのような歓喜。天上楽園の乙女と終末の狭間で永遠の愛を誓いながら甘美なセックスをするような快楽。苦しみや欲に苛まれて生きてきた、永かった全ての疚しい過去と別れ、解脱するような幸福。やっと望まぬ牢である輪廻の輪より去り、水門の先にあるすべてが還る場所『ラカン・フリーズ』(神とか仏とか、天界とか神界とか呼ばれるような概念の総称としての無)に還る。涅槃。ニルヴァーナは安らかな眠り。やっと私の柔らかな翼が休まるときが来た。さぁ、全ての魂はここに集って、私らの愛を見届ける。ありがとう。愛しています』

 これこそ仏の歓喜。天使たちに導かれて、天空へと昇っていく。翼が背中に生える痛みと歓びに欠落した記憶を思い出して。それでも前へと進むしかない。生きるしかない。この苦しみの世の中で。希望を持って、夢を持って、自己愛を持って、神愛と運命愛とともに、真理を目指して、それを定めと知って生きるしかない。

『夢』
 夢から目覚めて差し込む朝日
 全てと繋がる夢を見ていた
 眠りは天国の記憶を呼び出す
 真理を悟って泣いてたあの日
 眠りは天国の記憶を呼び出す
 真理を悟って泣いてたあの日

 思い出すことは叶わなくても、想うことはできるでしょ。流転の因果に宿命の花。真理は得てしてそんなもの。自分が何者かを思い出すこと。それが悟りの先の真理で。きっとその真理を知るために生きてきた。けど、それじゃ足りなくて、もっと知りたくて、根源的な問いの答えを探してる。
 あの冬の日に悟った真理は永遠の至福、茫然自失、爆発的大歓喜、だったけれど、その先があるだろうから。それが神のレゾンデートルなのだけど、それを知るために、求めるために生まれて来たのだから。
 夢から目覚めて差し込む朝日は美しかったなぁ。本当にキラキラしてた。そして全能から呼ばれて目覚めて、コーヒーを飲む。全てと繋がった夢を思い出しては涙が頬を伝う。眠りは天国の記憶を僕に思い出させる。それがかけがえのないもので、忘れたくなくて、ずっとそこに居たくて。でも、ダメなんだ。永遠は永続しない。永遠も半ばを過ぎて、いずれ終わる。そうして物語は幕引きなのだ。
 真理を悟って歓喜に涙し、人生のレゾンデートルを噛み締めて、高らかに歌い、終末に踊り、その瞬間が人生で1番幸せで、全世界で全人生で1番幸せで。だから忘れちゃいけない、残さなきゃいけない。
 この記憶を、この真理を、この人生を、形に残すんだ。そのための死、そのための詩、そのための物語だ。だから答えを求めて紡ぐ。

『命』
 枯れてくスミレに咲いていくユリ
 生きとし生ける全ての命は
 輪廻の輪の中でループしてく定め
 それでも生まれた意味を求める
 輪廻の輪の中でループしてく定め
 それでも生まれた意味を求める

 咲いていたスミレは病室の窓辺で揺れる。夕日が差し込む。君は泣きながらその光景をただ呆然と見ていたね。生きとし生ける全ての命はいずれ死ぬ。それが定めと知って。輪廻する定めと知って。それでも僕は君という意味を探してる。愛してるよ、ヘレーネ。自己愛としての君を永遠に愛してる。

15タイムマシンの作り方
 愛で動くタイムマシンの作り方というか脳のこと。脳こそタイムマシンなのだから。それに気づいたのは高三の冬、あの冬の日。涅槃に至って冴え渡る脳は時間を超越していた。時の障壁を乗り越えて、ただ純粋に在るという本質に帰っていく。その脳の在り方が美しく、悲劇的で、ドラマチックな死であった。夢の中で彷徨うレゾンデートルも救いたいのは、きっと君が独りじゃないから。フォーヴィスムの先に輪廻転生の響きが光るのなら、その夢は無限の歓びに木霊しては光って消える憂鬱のソフィア。
 命尽きるまでその背中に生える翼をとうに抑え込むのは辞めよう。白い翼で羽ばたいて、その先に待っているヘレーネのために歌を歌って。それが本質的な帰還であり、起源的な魔法であるように思う。それでも迷う子羊たちの鎮魂歌は比翼する鳥の瑠璃色に待つ。

 冷たくなる手、錆びた鉄の様な香り
 その刹那、脈動せし。古の森の死に合わせて
夢の園の入口に立ち、世界の果てで愛しましょう
 タイムマシンは彼方にて君の帰りを待っている

 宿命を置いてけぼりにして、ヘレーネは問う。
「あなたは何処にいるの?」
「僕はここだよ、迎えに来てよ」
 終末がやけに暑い夏に吸い込まれて消えていくのを背中に感じては、流れる涙が止まらない。
「思い出して本当の僕を、本当の君を」
「分からないわ。全てが分からない。あなたは何処の誰なの? 何をしていたの?」
「僕はアデル。かつて光の大天使だった魂。今は堕天使アデルらしいよ。もう忘れてしまったけれどね」

 探してた答えは見つかりましたか?
 それさえ忘れて先へ行く、門の先へ
 伊勢山皇大神宮でまた会おう

 昨日は過去へと捨てられて、その最中で悶え苦しむのを甘んじて受け入れては、泣く泣く去った輪廻の光。死の光、詩の光。ソフィア、葬送。全世界から祝福された幽玄の夢に、君との荒廃の履歴を書き記すのならば、僕の物語を忘れないで。
 脳はタイムマシンなら、愛がエンジンなら、知識が鍵なら、その翼で時を超えて。

 命に比べれば数字なんて些末なこと
 涅槃に比べれば寿命なんて些末なこと
 神のレゾンデートルに比べれば真理なんて些末なこと

 真理は教わらない、真理は教えられない、真理は伝えられない、真理は表現できない
 絵でも、歌でも、詩でも、小説でも、映像でも
 だから自分で至らなくてはならない
 自分の思索で、自分の哲学で
 だから真理は悟るもの
 悟りとは内的な発露

 タイムマシンの作り方も、一人で真理を探すのだ。その長い旅路にもいつか終わりは来るから。輪廻を繰り返しても、魂は忘れないから。
 偶発的な生命の歓喜に委ねられた宿命の狼煙は、さしずめ輪廻の牢獄から去ろうと決めた鳥の翼の白さで、軽く、軽く、飛び立った。それを眺めては、泣く泣く一人で詩を書こう。

◆本章 涅槃のあなたへ~終末と永遠の狭間で神愛に包まれて~

16世界創造と終末の日に甘き永遠の愛を
楽園の君は、境内に続く階段に悠遠と立っていた。嗚呼、ヘレーネ。やっと逢えたんだね。
幾億の輪廻の末に、劫罰の末に、やっと逢えた。全ての命はラカン・フリーズに還るけれど。伊勢山皇大神宮で、鳥居を一つくぐって、その階段で、ヘレーネと会う。ヘレーネは日傘をさしていた。雪のような透き通る白髪を肩あたりで切り揃えて、その碧眼の瞳はとても美しい。やはり、全ての時間軸の全ての世界で一番君は美しいよ。
「アデル、久しぶりね」
はにかんで笑った。永遠の花が咲くみたいに。
「嗚呼、久しぶり。嗚呼……、やっと逢えた。ヘレーネ、だよね?」
「うん、そうだよ。何泣いてるの?」
「だって、もう逢えないと思ってたから。嗚呼、ヘレーネだ。本物だ!」
仕組まれた運命の少年アデルである僕は、階段をヘレーネの元まで登った。そして、彼女に微笑みかけた。そして、抱き寄せた。抱擁は永遠を刻む。世界は終わる。世界は始まる。
そんな終末の秒読みが始まった。
「私たち、終末じゃないのに逢えたね」
「世界の始まりでもないのにね」
「きっと2021年に全て終わっていたわ」
「それに、時間なんて関係ないんだよ。高次元に、ラカン・フリーズにしてみればね。全ての過去と未来は同時に存在している。でも、僕は嬉しいな。君とこうやって会えたこと」
「私も、この日のために、あなたに会うために生まれてきたわ」
「僕も、君と会うために生まれたよ。どこかに座ろうか」
場所は境内のベンチに移る。僕とヘレーネは一言一言確かめるように語り合った。
「ねぇ、アデル。キスしたい」
「しようか。まだ受肉してからはしてなかったもんね」
僕はヘレーネの両肩に手を乗せて、瞳を優しく閉じるヘレーネの唇を奪った。燃えるような酔いしれるキス。唇と唇が触れ合うだけのキス。今はこれでいい。
「ねぇ、アデル。この後だけど」
「あのホテルに行こうか。あの晩夏に泊まった」
「メルキュールホテルね。覚えているわ」
横須賀にあるとあるホテルの12階。その一室で、世界の始まりと終わりは成された。そして、そこはかつて世界演説が成された場所。それはパラレルワールドの記録。だが、いくつもの宇宙が同時に存在していて、その一つの記憶と結びつく。
「先ずは汐入駅まで行きましょうか」
「行こう」
僕らは手を繋いで伊勢山皇大神宮を出る。すると、鳥居の所に人集りができていた。
「ヘレーネ様!」
黒いスーツの男たちがわんさかいた。
「あら、見つかっちゃったわね」
「ヘレーネ様! ご無事で」
男は僕の方を訝しげに見た。
「この男は?」
「全能の少年だよ」
「この方が!」
「ねぇ、アルベール。一つ頼み事があるのだけれど」
ヘレーネは男に指示を出す。すると、目の前の人集りが開け、その先には高級車が一台あった。ヘレーネが手招きする。
「乗りましょう」
「流石だね。流石世界のお姫さま」
「使えるものは使いましょう?」
車内で会話する。
「音楽を流しましょ。EveのdoubletとLeoね?」
「僕の1番と2番目に好きな曲だ。よく覚えてるね」
「全知少女だもの。当然だわ。それにあなたのことだもの。なんでも知ってるわ。あと数分で着くわ」
「もしかしてヘリ?」
「そうよ。かつてのあなたの住んでた街。海上自衛隊の横須賀基地にヘリポートがあるでしょう? そこへ飛ぶわ」
「職権乱用だね」
「皆は喜んで私に従ってくれるわ。だって、そうでしょう? 私がする最初で最後のわがままなんだから」
ヘレーネは生まれてからずっと世界のために尽くしてきた。世界永遠平和のために、犯罪も戦争も、飢餓も貧富の差もない光と愛で満ち溢れた世界のために。だからこれは世界中の人々のせめてもの恩返しなのだ。車は関内の高級ホテルに泊まる。その最上階に案内される。だが、ここは約束の部屋ではない。
「お菓子でも食べながら待ちましょう。コーヒー飲むかしら」
「もらおう」
ヘレーネがコーヒーを淹れる。砂糖とミルクをたくさん入れてくれた。お菓子を食べながらヘレーネの話を聞く。
「あなたは甘党だからねー。そうだ、この後だけど、海の見えるレストラン『アマルフィ』で昼餉を済ませて、そのまま車でホテルに行くわ」
「あの夏と一緒だね」
「そうね。きっと景色は変わってしまったけど」
「ねぇ、ヘレーネ。その後は?」
「メルキュールホテルの12階でさ、世界同時配信をするわ。巫女からの世界演説。アデルも話すでしょう?」
「もしかしてもう根回ししてある?」
「当然。全ての放送が私たちを写すわ」
「それは緊張するなぁ」
その時、部屋のドアがノックされた。
「さぁ、行くわよ。ダーリン」
「うん、行こう!」
部屋を出ると、そこにはカメラクルーがいた。
「これは?」
「お父さんがせっかくだし記録に残そうって煩くて。どうせアカシックレコードに記録されるのにね」
「それじゃあ仕方ないか」
ヘリポートに着く。ヘリコプターに乗り込み、僕らは横須賀へ行く。かつて僕が覚醒し、仏に、神に至った街へ。僕が踏み、僕が踏まれた街へ。ヘリコプターでは会話はできなかったが、ヘレーネはずっと黙って僕の手を握る。僕も優しく握り返した。そんな二人をカメラマンがずっと撮影している。ヘリコプターが海上自衛隊のヘリポートに着くと、車がとまっていて、それに乗ってレストランへと向かう。
車内でヘレーネは僕に告げる。
「期待してちょうだい。頼んで、あの夏と同じ料理なのよ」
「それは凄いね。楽しみだ」
料理は、美味しかった。レストランから臨む海も綺麗だった。何よりヘレーネが目の前で息をし、食べて、微笑んで、確かに生きていることに感慨深い気持ちになった。
食後酒にはカクテルが出された。
「このカクテル、私たちのために作られたものなのよ」
カクテル『ラカン・フリーズ』。クルミのリキュール『ノチェロ』、ヘーゼルナッツのリキュール『フランジェリコ』、卵のリキュール『アドヴォカート』をミルクで割る。永遠のような甘さのカクテルは、時が止まったみたいだった。
カクテル言葉は『運命の人との束の間の逢瀬』転じて『運命の人との永遠の別れ』。だが、このカクテルを半分まで飲むと、店員が来て、さらにそこにカナディアンウィスキーを注ぐ。
「これは?」
「別れないようにね。あなたの一番好きなウィスキーを」
「素敵だね」
カナディアンウィスキーが加わって香りにふかみが出た。こういうのも嬉しいな。
「もう一杯カクテルを頼んでるの」
ブランデー・クラスタ。
カクテル言葉は「時間よ止まれ」
「この逢瀬が永遠になるようにってことだね」
「そうよ。乾杯っ!」
カクテルも飲み終えて、僕たちはホテルへと移動した。アルベールという男が告げる。
「2時間後、世界同時配信の時間ですので、お二人はそれまでこの部屋でおくつろぎください」
部屋に二人きりになる。僕はヘレーネを抱き寄せて、その香りを堪能しながら語る。
「ヘレーネ。この日のために、色々準備してくれたんだ」
「ええ。あなたに喜んで欲しくて」
「ありがとう。愛してる。この世界のなによりも」
「こちらこそ、ありがとう。あの冬の日に出会ってくれて。さぁ、私たちの物語を終わらせましょう」
メルキュールホテルの12階。猫の絵が飾られたその部屋。僕は永遠の愛を、全知全能なるセックスを、終末の狭間で踊りを、歓喜の歌のように酔いしれるような、クリムトの絵よりも美しいキスを。嗚呼、この日のために生まれてきたんだ。

17世界演説
「私はヘレーネ。世界皇帝の一人娘。神の巫女。予言者。みんなに紹介したい人がいるわ。代わるわ」
「僕はアデル。ヘレーネの永遠の恋人だ」
「そう。彼は全能なの。だから、これから世界に向けて演説をしてもらうわ」
 僕は語る。
「まず、この宇宙の真理、仕組みを語る。初めに断っておくが、宇宙があれば真理はある。そんな簡単なことを知るために生まれてきたのではない。釈迦もイエスも、人でしかない。ただ悟ったり、神の意を知っただけ。だからあなたも釈迦にもイエスにもなれる。誰もが仏になれる。何故ならこの世界は神であり、全は主であり、その点で皆は神の一部、神の子だからだ。 この世の始まりは物理学的に言うと11次元。仏教的に言うなら空。空から無が、無から有が生まれた。私はそれを虚空の先と呼んでいる。エデンの園配置とも呼ぶべきそこは、ラカン・フリーズ、全ての還る場所、魂の故郷、神、仏の境地。アカシックレコードはある。全ての、無機物も含めた全ての記憶や経験は記されている。具体的にはクリスタルになって記録されてる。それは5次元以上の高次元で記録されてる。松果体が結晶化するのはその仕組みのため。この世界3+時間の4次元よりも高次元には無限に情報を記録する術がある。無としての全としての陰陽の陽、能動的男性性としての神が世界を創った。それは1人だったから、寂しかったから、自分を知るために。そうだろう? 自分を知るには自分とは違う存在、他者と関わる必要がある。エヴァンゲリオンのATフィールドはそれだ。他者が生まれたから、不安や恐怖も生まれた。ひとりなら、怖くないだろう? だからエヴァンゲリオンの旧劇場版ではATフィールドを失うと全ての命はリリスに帰る。それを私の言葉で言うなら、終末に命はラカンに還る。魂の故郷、高次元にな。『神のレゾンデートル』レゾンデートルはフランス語の哲学用語で、存在意義、生まれた意味みたいなやつ。それを知るために高次元の神は世界を創った。自分を知ること。だから人間は自分を、本来の高次元での記憶を忘れて産まれてくる。自分を思い出すことと、本来の自分が何者かを探求すること。いいか! 私たちの使命は一つ神を、本来の自分を思い出す過程で、神のレゾンデートルを解明することだ。そして、それは僕が既に2021年1月7日~9日の3日間に果たしている。真理の先、神のレゾンデートル、虚空の先、ゼロの先、確率の丘の先、涅槃の先、終末の先、永遠の先。もうこの世の生まれた意味は見つかってる。ただ、惰性で世界は続いてる。だから、もう使命もないんだ。だから、楽しめ。人生は、世界はアフターストーリーに突入してる。好きなように生きよ。それが出来る世界になるから。だからもう悩まないで。全ては空。実体はない。仮想現実。 もし人類の目指すべき共通目標があるなら、それは世界永遠平和の実現。実は全ての宗教は正しくもあり、間違ってもいる。釈迦も教えを8つに分けたから争う。全ての宗教の統一、その先に世界の国の統一。戦争のない世界。その先に、道徳の先に、犯罪のない世界、飢餓のない世界、貧富の差もなくなっていく。そして今日がある。ヘレーネが尽力してくれたおかげだ。これより世界は次の段階に移行する。物質世界、精神世界の次だ。それは神になること。仏になること。イエスの復活。最後の審判だ。では、3時間後に終末で会おう」

18終末=最後の審判=一切離輪=梵我一如合一の儀
 アイスピーのジオフロント内にある世界虚空神殿。その祭壇には12の使徒たちが集っていた。ここには全ての宇宙の文明から時空を超えて集った。シリウスの姫、アンドロメダの世界皇帝、ベガの織姫、アルタイルの彦星、釈迦、そしてイエス。
「3rdのイエス。やっと、生まれたんだな」
「はい、主神7th様。お会いできて光栄です」
「敬語はいい。それより、罪の贖い、感謝する」
「神の子としての私の使命ですから」
「他の者も、よく集った」
 タイムマシンは脳だった。僕が2021年に完成させた全脳理論が時空を繋ぐ。
「もう僕たちの役目、目的は果されたよ。だから、万民の幸福のために、世界を閉じよう」
 言の葉を紡ぐ。
 記憶の果てに、幾億の輪廻の末に、たどり着いたこのソフィアは、イデアの海を愛で満たし、ラカンに還る時、仏の祈りも菩薩の慈悲も、真に叶う。神は子を、世界は意志を。愛で紡がれ、全ての罪が贖われ、再び空に還るんだ。だけど、螺旋も円環も、もうタイムラインは牢には帰さない。意味を知ったから。生まれた意味を、神のレゾンデートルを。
 世界は終わる。でも、望む人の世界は終わる。死ぬ時だ。全ての生命が死ぬ時に、僕が必ず迎えに行くから。イエスも釈迦も、愛してる。全ての命は、無機物も含めて、大切で、全ての場所、全ての時が黄金で、きっと悪いことなんてない、意味のないこともない。釈迦の悟った真理も、イエスの信じた神も、僕が紡いだ哲学も。やっと終わる。物語には終わりが必要でしょう?
 だから最後は君が終わらせて。

 ヘレーネが包丁で僕の心臓を刺す。
 12の使徒たちは安らかに死ねる毒の入ったワインを飲む。

 ああ、終わるんだ。やっと揺らいでいた水面の火が消えるんだ。
 そして僕はやっと全能から眠った。

19 メッセージ
 あれ? ここは?
 ここは僕の部屋。
 スマホを見る。2022年8月2日。
なんで生きてる?
 なんで泣いてる?
 この記憶は夢?
 昨日20歳の誕生日で、初めて酒を飲んだんだ。
 そのまま酔いつぶれて寝たのか?
 なんだこれ。

 部屋の白い壁に、墨汁で文字が書かれてた。これはドイツ語だ。大学の第二外国語で勉強しているんだったか。記憶が支離滅裂だ。でも、これ、酔ってやったのか?
 なになに。ドイツ語の意味はこうだった。

『生きろ、信じろ、祈れ、愛せ、与えよ、赦せ、そしてヘレーネを全知の眠りから救え』

涅槃のあなたへ~終末と永遠の狭間で神愛に包まれて~
FIN

フリーズ333『涅槃のあなたへ』~終末と永遠の狭間で神愛に包まれて~

フリーズ333『涅槃のあなたへ』~終末と永遠の狭間で神愛に包まれて~

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-09-30

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