かえるろーど。(三)





 素直なところで賢い梟が貸してくれた言葉によれば,浅薄な夜に低カロリーを売りとするマーガリンまで失くして私はヘコんだ。だから開いた冷蔵庫が吐き出したオレンジな灯りに隠れて,崩せない体育座りにも凭れかかってから,異性を魅せて同性に恨まれる小顔もすっかり隠した。でも10℃以下の冷気の仕事は機械的でも真面目で,冷蔵すべき加工品との区別なく目の前の私にも及ぶ。すぐに足の小指が寒がって親指は強がって,中指は素知らぬ顔で薬指は小指の心配ばかりで,残った最後の人差し指は,指差しまではいかない程度に私ばかりを気にしていた。
 部屋となる室内は電気をつけない夜の中に一つある。同居する,積ん読している沢山の本はテーブルみたく用いられ,山積みになっているCDは椅子のようにも座られて,お互いに迷惑そうに暗くなる日々にある。一応ベランダに通じる窓は開けているけれども,街路樹が多くて街灯が少ない目の前を通るその通りには今も光を期待できない。ほぼな満月な今日の月も随分高く上がっている今の時分にはもう,その明かりが低いアパートの二階の窓に気付く,そんな可能性の端っこも照らせない。屋根の遮蔽は完璧になって雨が降っても構わず,たまに入り込む風と花びらだって,ココはドコって,戸惑って見えた。迷子はこうして出来るんだと,分かったことが嬉しくなかった。春先の寒さなんて教えられても知りたくない。花が散るのも去るのももう,見たくない。
 でも眼鏡をかけて本も持って,シャツの第一ボタンまで閉めちゃっているような仮の声はがらんがらんとぐっすり眠れそうにない起きている私を起こして眺めさせるように話しかけて,聞いてくる。いつもの言葉にいつかの声が乗って来る。
『泣いてんの?』
 そういうぶっきらぼうな口調はカレそっくりで,アクセントはカノジョみたいに聞こえる。そうして『ねえ,泣いてんの?』としつこいところは誰かさんらしい癖だ。九官鳥であることを計算に入れたら入れたで,『ねえったら,泣いてんの?ねえったら,泣いてんの?ねえったら,ねえったら,…。』とその癖らしさはますます増える。
「泣いてない。」
 隠した顔でも,口を開けば声は生まれて通るから繰り返しを邪魔するように事実を言葉にした。そうして静けさは広がったけれども一つだけの,狭い部屋の壁にぶつかって帰っては来なかった。起きたように冷蔵庫が『ブーン。』と今度は言い始めたためでもう一度冷え始めた気持ちを,突つくように九官鳥のように,新たな繰り返しが小さくも無くならずにまた繰り返す。九官鳥も帰ってくる。『ねえったら,ねえったら。ねえったら,ねえったら…。』。
  開いたまんまの冷蔵庫と,沈黙する電子レンジの上に飛び降りてその嘴を,使いたてで半開きの鋏みたいにし続ける九官鳥。悔しいから曲げる意思で両足の指全部を『グー』にすると,弱くなってしまう私のジャンケンがやり切れないまま,固まってしまった三竦みの一角になってしまった私は動けない。否応無く出来た三竦みの立ち止まりから抜け出す方法を探そうとするけど,もう無理みたいだと,無理なんてしなくても思える。機械な冷気の真面目な仕事ぶりに,股関節ももう凍りつき出してる。起きたまま眠るのが良いのかもしれない。
 ほぼ満月な夜中だし,春の中の,日付けも忘れた一日目なのだから。
『春眠暁を覚えず,ということだね?』
 後ろから掛けられる唐突は,でも良いタイミングっていつも思っていたから驚けない。そしてまた,そうして答えるから,驚きはいつも驚けない。
「うん,そう,そうだね。確かそんな感じの,有名で硬そうなやつ。」
『硬そう?そうかい?どこらへんが?』
「『アカツキ』の,『カ』と『キ』が続くところとか,最後の『ズ』,とか。『シュンミン』,とかクシャミみたいで柔らかいのにあちこちに,残った欠片みたいな。」
『ふむ,残った欠片,みたいなね。』
「そう,残っているの。」
『しかもあちこちに?』
「うん,あちこちに」
『ふむ,もう少し噛み砕いて欲しいところだな。』
「うん,食感で近いのは,前に食べたアーモンド入りの,あのパンかな?ふかふかの中の,ゴリゴリって感じ。」
『うん?ああ,なるほどね。あれか。あの感じ。なるほど。共感出来たよ。そして大体は納得出来た。春眠暁を覚えずの,あちこちに残った欠片みたいな,点についてね。』
「うん,よかった。」
『ふかふかの中のゴリゴリ,か。』
「うん,ふかふかの中のゴリゴリだね。」
『ふむ,なるほど,だな。ただ僕の立場上,一点の注意と訂正はしておこう。あのパンの中のゴリゴリは,アーモンドじゃなくて胡桃。木の実だ。』
「あ,そうなんだ。」
『そう,そうなんだ。』
「木の実なんだね。」
『木の実なんだよ。』
「それじゃゴリゴリのはずだね。」
『そうだな,木の実,だからゴリゴリのはずだな。』
「ごめんね。またやっちゃったね。」
『うん,そうだな。またやっちゃったな。』
「きちんと覚えるね。」
『そうだな,覚え直さなきゃな。』
「うん,そう,覚え直すね。でも木の実,か。それはゴリゴリにもなるね。」
『ちなみにアーモンドも,だ。』
「そうか,アーモンドも,なんだ。だからやっぱりゴリゴリなんだね。」
『そうだな,だからやっぱりゴリゴリだな。 』
「そうか,うん。ありがとね,センセイ。」
『どういたしまして,だよ。僕の教え子。』
 決まり事を守りながらもキマリゴトから外れたセンセイは冷蔵庫の前の,体育座りで座る私の背後から声を掛けてくる。授業中の生徒の勉強状況を見回る途中みたいに,そこが私の部屋のキッチンでも関係ないように,声をかける。いつもそうだったし,今もそうだ。
 センセイは決まり事を守りながらキマリゴトから外れているから,私の三竦みも解りながら無視をする。クラスの男子が馬鹿みたいに作った『無敵の手』とかいう奇妙な形をしつつ,三竦みに入ってくる。だから開いた冷蔵庫は抗議の声を上げるし,九官鳥もより誰かさんらしい癖をより強めて『ねえったら,ねえったら…。』と,素早く上がっていくテレビのヴォリュームな足並みと迷惑さで大きく繰り返してまた駆け上がって来る。でも私は立ち上がるために指先の『グー』を開いてしまって,顔ももう上げてしまった。後ろを振り向こうともしてしまっている。股関節も溶けて三竦みはその決まりごと,解けようとしている。
『まけるな一茶。』
「え?」
『まけるな一茶,だよ。覚えているかい?』 
 センセイの私への問いかけは,私自身が半分だけ振り返って,もう半分をまだ振り向き切っていないから,やっぱり私の背後から掛けられた。そして思わず止まってしまった。冷蔵庫を横目に私は私の部屋を暗く眺める。もう半分を振り返るのを先にするか,答えるかで迷う。
 でもまずはセンセイ,と思い直す。素直なところで賢い梟が貸してくれた言葉によれば,再びの出会いでも一期一会は一期一会だと思うし何より,その四つの熟語はセンセイが繰り返して言っていたから,そしてセンセイは答えるのを好むから,私は答えるのを先にして素直に答える。
「ううん,覚えてない。」
『本当に?』
「うん。カリにね,センセイ。覚えていてもすぐには出て来ないよ。私は今振り向こうとしている途中だし,もう半分は済ませてる。そしてね,コウフンもしているんだよ?だから嘘は言ってない。今すぐに出て来ないぐらい,覚えてない。」
 『あはははは!』,とセンセイは笑った。私の答えがセンセイを『掴んだ』時にお腹から出る高くて明るいトーンで,私が好きで,聞きたくて堪らない笑い声だった。耳朶がじんわりと温かくなる。恥ずかしくても嬉しくて,温かくなる。蛍光灯の光なんて要らない音の,世界に変わる。真っ正面の暗い部屋まで一歩,後ろに遠ざかって見えてしまう。
『その答え方はいいね,僕の教え子。いつものように赤ペンを指で回さないでしっかりとチェックしても,確かに嘘はなさそうだ。』
「そうでしょ,センセイ?」
『そうだな,僕の教え子。じゃあ,これを加えてはどうだろう?それでも思い出せないかな?』
「なにセンセイ?おしえてセンセイ?」
『かえる。』
「え?」
『かえる,ゲコッと鳴く,緑の,いや黄緑か,まあそれらに近い,かえる。』
「それらに近いかえる?」
『そう,近いかえる。』
「やせてるような?」
『そう,やせてるような。』
「喧嘩して?」
『それが原因で,ではないとも思うけど,そう解釈する面白さはある。ふむ。いやいやそうじゃない。そこは肝心じゃない。それとまた一つの,またしてもの訂正だ。かえるがしていたのは喧嘩じゃない。相撲だ。』
「5・7・5」
『そう,5・7・5,だ。』
「うん,思い出したよセンセイ。内容のカンショクだけだけど,たしかオウエンしてるようなものだね。」
『そうそれだ。俳句としての面白味は応援という部分ではないとは思うけど,しているのは確かに応援だ。』
「うん,分かった。で,センセイ,そこのココロは?」
 私はセンセイが,良く話が飛躍する私に言っていたフレーズを出来るだけそのままに使って,センセイに聞いた。まだもう半分を振り返らないのはそのままに始まってしまったセンセイとの話を,きちんとするためだった。センセイは私との話をとても大事にする。その区切りをとても見極める。だから正面の部屋も静かに暗く,聞き耳を立てている。
 センセイは少し考えている無言を,私の右横に挟むクッションのように置いてから,少し『ふむ。』と唸った。癖でする肘を顎につけるのは右手になっていて,それを支える左手にはきっと腕時計がある。そう分かる。種類は最後に見た安いスウォッチになっている。分かる,きっとそう,分かる。
『うん,そうだな。僕の教え子。まずは聞こうと思う。』
「うん,なにセンセイ?」
『さっきの5・7・5のかえるさんは相撲に,勝ったと思う?負けたと思う?』
「え?」
 一語の聞き返しにセンセイは,繰り返して聞いてくる。
『さっきの5・7・5のかえるさんは相撲に,勝ったと思う?負けたと思う?』
「さっきのかえるさんの,勝ち負け?」
『そう,さっきのかえるさんの勝ち負け。勝敗ってやつだ。さて,どう思う?』
 聞かれたから少し考えた時間は,けれどもそこですぐに気付いたことを口にする時間になってしまう。ため息まで出たのはセンセイを,少し小突いた気持ちになったからだった。
「センセイ,さっきも言ったよ?私はその5・7・5についてオウエンのカンショクしか覚えてないよ。あとのことは知らないよ?」
 そう言ったイントネーションは抗議のように上がり気味のものになった。でもセンセイはそんな口調のアタマを撫でて,『分かってるよ。』と言うように答えた。
『うん,さっき聞いたから知ってるよ,僕の教え子。大丈夫,この5・7・5に用いられている正確な言葉とその内容を知っていても,またそれだけをより良く調べたとしても,相撲の勝敗については正しく知れない。だから僕の質問は本当にただ思うところを聞いているんだ。だから教えて欲しいんだ,僕の教え子。かえるさんは相撲に,勝ったと思う?負けたと思う?』
 センセイの言うことに少し悪かった機嫌を直して,とても安心して私は答える。
「そうなんだ,でも,うーん,それ知ってもすぐに答えられない。だから,ちょっと待ってね,センセイ?」
『そうだな。確かにすぐには答えられないかもしれない。分かった。待つよ。きちんと待つ。』
 センセイがくれたこの時に,待ってくれるこの時にけれど私は,センセイと一緒に捏ねたパン生地をオーブン機能が付いた電子レンジに入れてから,焼いて作るところを想像してしまった。予熱で十分に温めて,クシャクシャにしたアルミホイルも余すところなく敷いて,乗っけた生地が美味しそうな匂いにつられて膨らんでいく。時間を確認して,またレンジ内の生地を見ることを二人で繰り返して,でもたまにイケナイこともしちゃって,パンがちょっと,場所によってはあるいは,かなり焦げてしまう。『やっちゃったね。』という顔をして二人して,また短くイケナイことを始める。それから二人で片付けるのだ。協力も,助け合いもして,たまに見つめて,長めに横を盗み見て,そうして私はセンセイに一つ聞きたくなって,思ってしまう。ねえセンセイ,これって幸せ?不幸せ?
『どうしてそんなこと思うんだい?』
「どっちとも思えるから。幸せとも,不幸せとも。」
『決められない?』
「うん,決められない。想像でもねセンセイ,一緒に片付けしたり,またさっきみたいにイケナイことをしちゃったりしてると幸せを感じる。ぽわーって体がタクサンにアタタカクなる。今さっきまでグーしていた私の,両方の足の裏を引っくり返してから,見ても,暖房を付けていなくて冷たい一つ前の,季節の,空気の前で裸みたいに,なるようにしても変わらないと思う。ううん。うん,変わらない。』
 センセイは聞いている。右側にいて,ソコで聞いている。
『でもねセンセイ,少し後,うん,例えば私だけ洗面台で手を洗いに行って帰ってくるぐらい本当に少しの,後のことを想像してみると,幸せの温度が急に変わるの。肌の感触で言ってみればね,それは冬に倣って弱くなって,秋みたいに綺麗でまだ温いのに,寂しくて,でも夏みたいに近くて,とってもヒリヒリしたりして,目を瞑ったら瞑ったで春みたいに生ぬるくて,またアイマイになって,起きているのか分からなくなっちゃう。どうでもよくなってどうにもならない,私になる。ねえセンセイ,やっぱり聞きたくて思っちゃう。センセイ,幸せって不幸せ?それとも,不幸せでも幸せなの?」
『ふむ。』
 センセイは今度は長く考えている無言を私の右横に待たせる気遣いのように立たせてから,『ふむ。』とも言わずに考えていた。癖でする肘を顎につけるのはまた右手になっていて,それを支える左手にはまだ腕時計がある。そう分かる。種類はやっぱり最後に見た安いスウォッチになっている。分かる,やっぱりそう分かる。
『うん。そうだな。僕の教え子,まだ聞こえるかい?まだ聞いているかい?』
「うん,センセイ。聞いてるよ。聞こえているよ。」
 私はまだ半分を振り返れずに返事をする。素直なところで言葉を貸してくれた賢い梟の羽ばたきが,開いたベランダから見えて聞こえる。どこかの近くに降りてからどこか遠くを見ないふりを,しているかもしれない。
『その問いに接して実際的に,また経験的に答えることが出来るのは最後の終わりまで生きて,初めて死んだ人になると僕は思うから,僕にその資格はないと思うけど,でも数少なくまた短い僕の経験を想像力で薄く伸ばせば見えるものはあるし,感じることもある。だから,答えてみるよ,僕の教え子。薄ぼんやりとし過ぎているから迎えた朝の陽に,消える運命だとしても,答えてみるよ。』
 夜の真ん中にする朝の話は光量が強過ぎるみたいで随分と右方向にいるはずのセンセイを遠のけて,その声も電波の入りが悪いノイズ混じりなラジオよりも悪くした。それに伴ってセンセイの言葉も薄くなっていって,最後近くに発せられた『運命』なんて見たこともない単語だけ最後に逃れて,床に落ちる音がする予感がした。だから「お願い,センセイ。」と返事は短く,そして素早くした。光なんて到底追い越せないことを心で分かって頭で納得して,そう返事した。
『短く言えば幸不幸は見て聞いて,感じた出来事を仕舞う箱なんだと思う。たまに間違えるぐらいにとても似ていて,持ち上げればその重さも変わらない。色分けだけはきちんとされていて,それ以外の区別はよく知らない。そんな二個の箱だ。』
 今は顔を隠すことなく目を瞑って,私はイメージをしてみる。左に一個の箱,右にも一個の箱。色はそう,分かりやすい青と赤にする。青は左に,赤は右に置く。その二個の箱は間違えそうなくらいに似ていて,木のような石で出来ていそうで,でもたまに金属みたいに鈍くも光る。持てばその重さに変わりはない。
『出来事の分け方は人それぞれだ。失礼の無いようにとても近くで,またはすぐ遠くの場所からでも眺めればそこには同じような,共通するような傾向が見て取れもするけど,全く違う場合もある。人によっては順調に仕舞う。人によっては一つも仕舞うことが出来ない。あるいはまた,人によっては,一方に入れたある出来事をガチャガチャとかき混ぜて,見つけて取り出し,もう一方に仕舞うことだってある。その時の顔は怒っていたり泣いていたり,笑っていたり懐かしんだり,または愛おしんだりしているように見える。』
 どこかの近くに降りてからどこか遠くを見ないふりを,しているかもしれない梟はまだ居て,羽ばたいて,素直なところで言葉を貸してくれる。だからただ眺めることなく仕舞うために,言葉を同じように繰り返して,同じように出来事を振り分けてみる。着せ替え人形やその着せ替えるドレス数着に混じってセンセイとの事も振り分けられて仕舞われる。初めの出会いから始まって年月,月日と細かくなって最後の最後まで振り分ける。それまでに私は泣いたり笑ったり,怒ったり愛おしんだりして懐かしんだ。ガチャガチャとなんて一度も,かき混ぜたりしなかった。
 センセイは,一息ついて続きを話す。
『出来事を仕舞う事が途中でももう,そのことがとても大事で,とても個人的なことなのだとよく分かる。それはとても主体的なんだ,僕の教え子。勿論さっきも言ったようにそこに法則性のようなものも見える。皆に共通するものを,共有も出来る。二個の箱の意味合いも皆で決めて,皆で仕舞い合うことも出来る。左が幸せ,右が不幸せ,ってね。他人が投函出来る郵便箱のように玄関先にぶら下げることも,出来ないことはない。』
 同じように繰り返す。私の左の青い箱を幸せとして,右の赤い箱を不幸せとする。そんな二個の箱を私の部屋があるアパートの,投函ボックスとして見る。そこに誰かが,例えば勤勉なキリギリスが最後から遡ってセンセイとの最初の出会いを右の赤い箱に投函して,それに続く次から次の出来事を,記した日々の紙を同じように次々と投函していく。同僚のコオロギも,近くにいるクロアリも,その良い仕事っぷりに同意する。そうして最後の最後だけようやく左に入れられる。それでキリギリスは自転車に乗って続きの仕事に戻る。左の箱はカランカランに鳴る。
『でもね,いいかい,僕の教え子。この観察自体が想像で,やっぱり僕には分不相応で薄ぼんやりとして,迎える朝の陽に消えるイメージだとしても感じてしまうのは,大事なものとして肝心なものとしてそこに見て取れる,その分け方なんだと思う。その手つきと,そこに付いてくる仕草なんだと思う。仕舞う人が仕舞う時に怒っていたり泣いていたり,笑っていたり懐かしんだり,または愛おしんだりするようにそれぞれの出来事も,同じように一緒になって,怒って泣いて,笑って懐かしんで,愛おしんでいたりする。知らないうちの知らないままに,そこに個人的な関係性が生じてしまう。仕舞う人と仕舞われる,各出来事はその人の,各々の人の手つきと仕草でもうそうして,仕舞われていくんだよ。』
 また同じように繰り返す。私は右の赤い箱から,一つ一つを取り出していく。つい最近の出来事から遡って最初の出会いへと辿り着く。そうして青い箱の中から最後の最後を取り出して,ただ横に置く。出会いの最初と向き合う。一つ一つの記事を読む。一字一字,良く読む。一言一句の間違いより感じた事を感じるように,する。正座は苦手だからまた体育座りになっているけれども,それが私の手つきの始まりだから,私の仕草もここに付いてくる。だから記事の終わりまで読んでから最初の,仕舞いを始める。どっちが幸せで,どっちが不幸せかは決めずに感じたものを感じたままに振り分けて,仕舞っていく。やっぱりバランスは悪くなるように最後の最後は分けられるのだけれども,それで良いのだろうし,それしかないんだろう。個人的な関係性は時と場合によるものだと,素直に梟は言葉を貸してくれる。
『いや,随分と長くなってしまったね。先生として纏めようと思うよ,僕の教え子。僕はね,幸せが不幸せだと思わないし,不幸せでも幸せであるということは,ありうると思う。箱としては両隣に,と,この位置関係は僕のイメージだな,いずれにしろ二個の箱は同じくあるし,二個の箱は二個のままだ。重ねてもいいし無闇に一方を邪険に扱ってもいいけれど,二個の箱の関係性は変わらないし,代わりはない。だから僕の答えは先のとおりになる。いいかい,僕の教え子?幸せが不幸せだと思わないし,不幸せでも幸せであるということはありうる。そう,僕は思うよ。』
 目を開けた私の目の前には変わらず電気の明かりが点いていない1Dの部屋がある。積ん読している沢山の本と山積みになっているCDはテーブルのように使ったり,椅子のようにも座ったりする(私のことをとても迷惑に思っているかもしれない。)。ベランダに通じる窓は開いていて,目の前の通りは街路樹が多くて街灯が少ないから漏れ入る光を期待することが出来ない。ほぼな満月な今日の月も随分高く上がっていたけど真夜中な今の時分にはもう,その明かりが低いアパートの二階の窓に気付くことは,可能性としてその端っこも照らせていない。屋根の遮蔽は完璧になっているから雨が降っても構いやしないけど,たまに入り込む風で花びらが入り込む。その様子はまるでココはドコって戸惑っているような迷子だ。寒さも過ぎた春なのだと,教えられて知っていく。
 私は残ったもう半分を振り向いて,いつかの私の背後だったそこを見た。安いスウォッチは背面の文字盤が左斜めにずれていて正確な時刻を知ることは出来ず,大体でしか知れない。それが良いといつも言っていたその口元は変わらない笑みの形が残っていた。癖でする肘を顎につける右手と,それを支える左手は下ろされて胸元の腕組みとなる。
 質問と答えの時間は終わりを迎えていなかったから,その関係を終わらせるために私は声をかける。
「分かったようで分からないかもしれないけど,イメージは出来たよ。センセイ。梟の助けも借りて,答えらしく,出来たよ。センセイ。」
 センセイも答える。笑みの形はやっぱり変わらない。
『そうか,それは良かった。先生としての役割も一応果たせたかな,僕の教え子?』
 頷くだけにとどめる私は冷蔵庫を閉めた。『そうだ。』とばかりにセンセイは言う。
『何よりもまず,するべきはマーガリンを買いに行くことだな,僕の教え子。では真夜中でも変わらない,買い物に行こうか?』
 「うん。センセイ。」と言った私は閉じていた足を開いてちゃんと立つために,きちんと立ち上がる。一歩踏み出すだけで写ってしまう洗面台の鏡の前で,切ったばかりの出来たてなショートヘアーは一切直さない。宵を越すための『誰かさん』も,お腹がいっぱいの今夜も,満ちて帰した。ロングTシャツの白な薄着は多分ベージュでも隠しきれず,春色なピンクも1mmも表に出ることを止められていない。センセイは『オイオイ,僕の教え子よ。』と言った感じで苦虫を間違えて噛んでしまったような口元をごく自然に作っていたけど,私は着替えをせずに,一番近くでクシャクシャに,とっくに呆れているようなパーカーしてるアウターを手に取って,無愛想にも付き合ってと身につけた着色のままのねずみのように,上半身を覆って姿見とセンセイから逃げた。
 すぐに着いた先の玄関で振り返れば,『ヤレヤレ,僕の教え子よ。』という感じで頭を掻くセンセイは一歩を踏み出していた。けれど立ち止まり,今度は『そうだった。』のようで『しまった。』のようでもある顔して私に言った。
『すっかり忘れていたよ,僕の教え子。僕は質問を投げ掛けたんだった。逸れた横道が大通りだったからついうっかりになってしまった。』
 正確に言えば私は何のことか忘れていたのでセンセイにお願いして聞いてみた。
「なんのこと?教えてセンセイ?」
『ああ,やっぱりもう忘れていたか,僕の教え子よ。まあしょうがない。これに関しては僕に概ねの責任があるしね。では,僕の教え子?もう一度聞くよ?ではまず確認からだ。まけるな一茶。これは覚えているかい?』
「うん,センセイ。覚えているよ。かえるさんをオウエンする,5・7・5でしょ?」
『うん,その通りだ,僕の教え子。ではもう一つ聞こう。このかえるさんがしていたことは覚えているかい?』
「うん,それも覚えているよセンセイ。相撲でしょ?マワシ着けて,するやつ。」
『そう,その相撲だ,僕の教え子。まあ,人と同じようにそのかえるさんがマワシまで着けていたと小林一茶が決めていたかは寡聞にして知らないが,それはまあ,いいことだ。では最後に聞くよ,僕の教え子?このかえるさんは,勝ったと思う?負けたと思う?』
「わかんない。そう思うよ,センセイ。」
 さっきと違ってすぐにそう答えた私の答えを聞いてセンセイは,『おっ。』と短く驚くような,でも『そうきたか。』と感心するような顔をして聞いてきた。
『ふむ,なるほど。最後,と言っておいてまた聞くのを許して欲しいんだけど,僕の教え子?もう一つ,聞いてみていいかい?
 私は勿論答えた。』
「いいよ,センセイ。許します。」
 笑みの形が少し出来て,センセイは聞いた。
『そう答えるために,何でそう思った?』
 私は答える。
「箱は二個,あるんでしょ,センセイ。勝ちと,負けの,二個。そして大事なのはそれを前にした時の,かえるさんの相撲という出来事を知って触れる私の,手つきと付いてくる仕草でしょ,センセイ?だから私はこうするの。勝ちと負けを前にするかえるさんの後ろに立って,頑張れってオウエンするの。私のことみたいにオウエンするの。勝ち負けはどっちでもいいし,どっちも受け入れる。私が大事にしたいのは私のことのようにかえるさんを,オウエンすること。かえるさんと一緒に居ることなの。だから答えはどっちでもいい。でも『答えは出来るだけ正しいように,近いように答えるように努力しなさい。』って,センセイいつも言ってたでしょ?だから今度は自分のことばを探して,それを繋げて答えてみたの。だからね,センセイ?答えはさっきの,『わかんない。』になるの。」
 安いスウォッチの文字盤がいよいよ全部外れたかのように止まったセンセイはだけど,『あはははは!』と今夜二度目の,声にした笑い声を上げた。センセイを『掴んだ』みたいで,やっぱり耳朶がじんわりと温かくなる。恥ずかしくなって,センセイに聞く。
「間違えた,センセイ?」
 笑い声を抑えきれない笑い声も交えて,センセイは答える。
『いいや,間違えていない。間違えていないよ,僕の教え子。それでいい,いや,さっきより良い。これは一茶先生も満足すると,そう思うよ。』
 センセイは止めた歩みを再び始めて歩き出す。だから私も習って歩き出そうとして,まずはそのための道を作るために,部屋の玄関を開ける。マーガリンを買いに行きたい夜の真ん中はほぼ満月な月明かりを天辺にする,眠れない春の夜で,北へ渡る途中の寄り道みたいに,あるいは足取り大きい慌てん坊が壮大に残した忘れ物のように,咲かせているピンクの枝の花が軽薄にも巧みに,単色で純粋に,通りという通りを咲いて汚していた。
 どうしても踏みしめてしまう淡いピンクの死に際は避けようにも避けられないけど,裏から十分に錆びて崩れることを知って待っている賃料5万円以下の都心の,階段も上がった二階上から眺めれば(あるいは斜め下から見下ろせば),綺麗で,灰色で真っ直ぐに硬そうなすぐそこに『通学路』と書いてあるところを虫食いみたいに齧ってもいるけど,数は少ないくせに強い街灯の光が物語が待っているようなスポットライトで,白く焼いて,大切に残している。賢い梟はきっとそんなところに着地する(もう見当たりもしない近所になっているように予感して,しまうのだけれども。)。
「ねえ,センセイ?」
  開けた玄関口に立ったまま,やっぱり後ろに立っているセンセイに私は話し掛ける。
『うん,何かな僕の教え子?』
「『桜の木の下には死体が埋まってるんだよ。』って,言ってたよねセンセイ?」
 私は聞く。センセイは答える。
『ああ,それは梶井基次郎の短編のことだね。読んだことがあるお話について聞かれた時にした,話の一つ,だったかな?あれは見事な文章だよ,僕の教え子。濃縮な描写,読み手としての気持ち悪さまで手にとって,短いのに二度と読みたくないなんて思わせてくれる。梶井基次郎の短編についてはね,僕の教え子,まだまだ,』
「ねえ,センセイ?」
  今夜初めて話を断ち切ってしまったことをイケナイことだと思いながら,私はまだセンセイに話し掛けるために聞く。
『ふむ。何かな,僕の教え子?』
「私はね,センセイ?桜の木の下には死体はないと思う。」
 それを聞いたセンセイは『ふむ。』と,また言って聞いてくる。
『何か,他にあると,思うのかな僕の教え子?』
「センセイはもう帰って来ない?」
  虚をついた訳じゃなく,ただ一番に聞きたいから聞いてしまった言葉はまたいつものように,例えば梟のゆっくりとした飛び去り方のように,飛躍したものになってしまった。でもセンセイは気にせず聞いて答えてくれる。
『ふむ。そうだな,僕の教え子。ちゃんと答えるよ,教え子。今夜は特別でね,ほら,隣町で近く祭りがあるだろう?それに便乗して来れたんだ,今夜だけ,ココにはね。だから言うとおり,君の,確認するとおり,僕はもう帰って来ない。帰っては来れないんだ。』
「うん,分かったよ,センセイ。分かった。」
『分かっていた?』
「ううん,分かったんだよ,センセイ。」
『そうか,君は,分かったんだね。』
「うん,私は,分かったんだよセンセイ。」
『マーガリンは,届いたのかな?君のところに。」
「うん,届いた,って言っていいのかな?ううん,届けられた,が『正しく答えようとした答え』だよ,センセイ。」
『そうか。そうだね,君の言うとおり。届けられた,だね。』
「そうだよ,センセイ。」
『そうだな,僕の,教え子。』
「今は,今夜は,ドコマデ行ける?」
『コンビニが明るく見えるところまでは,行けると思うよ,僕の教え子。以前に試したことがないから,正しくは答えられないけど。』
「ねえセンセイ?あの店員さん,まだ居るよ。あの,気難しそうな,男の子。」
『覚えているよ,僕の教え子。夜中の散歩がてらにあの子と交わす二,三の言葉が楽しくて,行ってたからね。』
「ねえ,センセイ?その子に今夜,聞いてもいいかな?話してもいいかな?センセイのこと,今のこと。」
『ふむ。 』と先生は短い無言を私の背中に添える手のように,置いたけど,センセイは言った。センセイは答えた。
『言っていいと,思うよ,僕の教え子?彼はきちんと答えてくれる。小難しいけど,色々と,きちんとしてくれる。マーガリンもきちんと袋に入れてくれるよ,几帳面にもね?』
「うん,分かったよセンセイ。そうするよ,センセイ。」
『ところで,』
 と聞いてセンセイは先生らしく正すように,私に最後に聞いてきた。それは質問だった。答えを待つ質問だった。
『僕の教え子?桜の木の下には何があると思うんだい?』
 聞いて私は答える。生徒のように答える。
「うん,センセイ。私はね,桜の木の下には蛙さんの死体があるんじゃないかって思うんだ。」
『蛙さんの,死体かい?』
 珍しく,ただすぐに同じことを聞いてきて,センセイの声とそのイントネーションは少し驚いているようだった。そのショウコにまたすぐに聞いてくる。何故という気持ちを隠さず聞いてくる。
『それは,何故なんだい,僕の教え子?何故,桜の木の下に蛙さんの死体があると思うのは,何故なんだい?』
 私は答える。
「だってね,センセイ?ここの通りって蛙さん,多いでしょ?特に春から夏に,かけてね。車も通るイマのヨノナカじゃ,蛙さんもそうそう無事って訳にはいかないと思うの。だからね,一匹くらいは数多い桜の,この通りの桜のどこかの木の下に,眠ってしまっててもオカシクナイないってね,思うの。どう,センセイ?ロンリテキな,答えみたいでしょ?」
 『あはははは!』という笑い声。センセイは言う。
『そうだね,僕の教え子。正に論理的な答えだ。確かにそうかもしれない。一匹くらいは眠っているかも,しれないね。そして蛙さんには,僕から言っておこう。肝心なこととして,気を付けて下さいってね。』
「うん,お願いね,センセイ?」
『了解したよ,僕の教え子?』
  ほぼ満月の中で無意味にしたラマーズ法はかえって息苦しくなって,センセイに怒られた。ゴメンさないとは謝らずに,イタズラ気分でクルクル回った。その夜は晴れて見えて,雲はないけど風は強い。だからやっぱり花は散るけど,きっと自分で踏んづけてしまうけど,気分は散らずに咲く匂いがする。サンダルの底の想像は大きく咲いて,多分感触は花のようになる。赤い色は少なくて,ピンクの色が多くなる。見つけたいコンビニを探してまだ,私は女の子をしている。
 目的は何だったかを忘れないように思い出す時間は意外と長くて,私はじっくりと歩いた。先のスポットライトには梟が居て,素直なところで賢くも,私に言葉を貸してくれる。私は言う。ねえ,センセイ?私はね。
 多分幸せなんだと思う。






(つづく。)
 











 






 


 
 







 

かえるろーど。(三)

かえるろーど。(三)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-31

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