不幸哲学への終止符
取るに足らない不幸哲学を捏ねくりまわすのはもうやめにしたい!不幸がどうした?人間なんて全員うっすら不幸じゃないか。人間に生まれついてしまったというだけで我々はうっすら不幸なんだ。それがいまさらどうした?覆しようのない不幸をあれこれ考え、思い巡らし、傷ついたり哀しんだりしてそれが一体何になるというんだ?何にもなりはしない。永久に定位置で足踏みをしているだけだ。我々は不幸を前にすると動揺し、正常な思考を乱される。それが大きければ大きいほど、実存にかかわってくる。あまりに大きすぎる不幸を抱える人間は破滅の運命にあるのだ。それを誰とも共有できないこともまた不幸。ああ!誰かとこの苦しみを分かち合えたなら!だが共感される不幸というものは小さなものだ。それに対して、あまりに大きすぎる不幸というものは相手にされない!共有したところで顔を歪められ、敬遠されるのがおちだ。そう、あまりに巨大な不幸は共感どころか見向きもされないのだ!ああ、このことはしかと自覚しておかねばなるまい。そして、不幸は誰にも打ち明けず、己の内に永久に秘匿することを終生守らねばならない。
不幸哲学への終止符