鶴とからす
こんなお話がありました。
鶴とからすが恋におちました。一目会ったとたん、どうしてもお互い目が離せませんでした。初めて会うのにはじめて会った気がしませんでした。この姿に生まれる前に恋人だったのだと思いました。同じ種に生まれ、同じ時を生きて、みんなに祝福されて、死ぬまで一緒だったのだと。きっと幸せだったのです。やっと再び会えたと思いました。
からすはとても賢く家族思いな鳥。その昔、賢い一羽のからすが鳥たちに危険を知らせる声で、人間たちも救われたという話が伝わっています。そのからすはその功績で地元の神様に人間の姿にしてもらいそのままその土地にいついて人間たちと家庭をもったといいます。そのからすはきっとその生まれ変わりで、鶴はその最愛の伴侶だったのでしょう。
鶴も生涯同じ相手と連れ添う愛情深い鳥です。多くの人にとっては繁栄と長生きの象徴です。
この二羽もそれぞれに伴侶がありとても大切に思っていますが、からすが鶴に、鶴がからすに抱いた思いはそれとは違うただひたすら恋しいというものでした。姿形は違うのに交わることもできないのにどうしてこんなにも恋しいのでしょうか。
からすは鶴の長い首と脚、幾重にも白い羽とのびやかな高い声が好きでした。鶴はからすの何物にも染まらない力強い真っ黒な羽、闇の黒さより深い漆黒の目、頭のてっぺんのふわふわした毛、低く掠れた思慮深い鳴き声が好きでした。
だけど、二羽が一緒にいるとみな怪訝な目でみるのです。それは蔑みといってもよいでしょう。憎しみかもしれません。「まっとうな」相手ではなく本来付き合うことのない相手と楽しそうにしているのですから。本能以外の「心」を持っている存在です。本能に従い生き、番い、子孫を残し生き残ることに必死な鳥たちにとって、そんな余裕のある異質な生き方をしている鶴とからすなんて到底理解できませんでした。まして共感や応援など。当然です。なぜなら今までそんな生き方をした仲間はいないからです。自分達の理解できる範疇を越えた生き方をしている二羽をみんなひどく憎みました。なんてみょうちきりんな。へんちくりんな奴らだ。そしてなんておぞましい。邪だ。自分の家族を捨てるのか、と。
鶴とからすはひどい迫害をうけました。それぞれの仲間から付き合いをやめるようつつかれ、餌場を追われ、家族からも見放されました。からすは鶴からもらった白い羽をお守り代わりにお腹のあたりに指していましたが引き抜かれ捨てられてしまいました。
もともと群れで生活するからすは一羽になるとほんとうに心細いものでした。ですが、からすはたとえ群れからはじかれても鶴をあきらめることはできません。鶴も同じです。それぞれの伴侶と子どもたちを愛してはいましたが、一度気づいた恋心を閉ざすことはできませんでした。
鶴とからすはある日結婚式をあげました。
雪原に立つ鶴は一心に求愛を示すために舞います。その上をからすが同じところをぐるぐると飛び、からすはやがて地上に降りました。不思議とまわりのどこにも生き物はいません。からすがその美しい舞にこたえるようにかあーと鳴きました。鶴は動きをとめてからすと見つめあいます。祝福も、祝ってくれる招待客もいません。
この先、鶴とからすがともに生きていける保証はどこにもありません。子孫も残せません。この冬を生きて越えられないかもしれません。愛する子どもたちのことを時々思い出します。かれらは親から捨てられたと思いながら成長するでしょう。お互いの伴侶に不誠実なことをしました。きっとこの恋は許されず罪深い恋なのです。もっと早く出会っていればよかったでしょうか。いいえ、いつ出会っていても同じことです。この先待ち受ける運命は彼らに優しいものではないはずです。
だが今日は黒と白の特別な一日です。世にも珍しい鶴とからすの結婚式です。
次の春、二羽は折り重なるように死んでいました。病気か、餓死か、他の生き物に襲われたのか。どちらにしてもほぼ同じころに死んだようでした。
鶴もからすも命尽きる間際同じことを思いました。
きっと私たちは、前世でたくさん幸せだったのだろう。一生を何回も生きたほどに愛し合ったのだろう。だから今世はもうそうでなくていい。思い出がある。思う存分愛した記憶がある。でも、もしまた何かの生き物になれて、再びめぐり合う奇跡があるなら願いがひとつある。生まれ変わっても決して相容れない生き物なために結ばれることはなくてもよい。それでもいいから何度でもどんな姿になっても同じ時を生きたい。隔てる壁がいかに高く、厚く、固くともそれを乗り越えて、必ずあなたのもとへ行く。二羽はともにそう思いながら、はかないながらも一緒にいれて幸せだった日々を思いながら永遠の眠りにつきました。
鶴とからす