『なんもしったこっちゃない。』

『なんもしったこっちゃない。』

『月。』

今日はベランダから月が綺麗に見える。

月のクレーターまで模様のようにわかる。

満月ではないけれど冴えた光の重さとひやりと肌寒い夜風、穏やかな虫の音は季節の足音のようだ。
月見に良い季節をむかえつつあるのだ。



月とは少し離れた空に飛行機なのか、点滅し規則的に動く光も4つほど見つけた。
飛行機も衛星も、わたしからは視認できるのにそちらからはわたしは見えないからなんだか不思議なきもちになる。
見えている、はお互いではなく一方通行もありえるのだと改めて感じる。



太陽は、わたしにとって太陽そのものより熱さや影のほうが印象的で、星々は夜空を彩る光の一粒にそれぞれ見え、あれもこれもと艶かしい誘惑が多いような気がしている。


月は、ずっとひとつだけであり、ありのまま。
じっと見つめても平気だからわたしは月が好きだ。


月が太陽のエネルギーをうつしているという事実は知っている。
太陽の熱量をささやかに柔らかく、見上げる全てに月は届けてくれる。



わたしが眼鏡を取ると裸眼で見上げる欠けた月は光量を増す。
月の花びらが大輪となって咲く。
わたしの目に、月の模様や輪郭は溶けてしまうけれど月は少しだけ慎ましやかさを抜け出して太陽に似て美しい暴力性をおびる。



眼鏡をかけて矯正された慎ましい欠けた月と、裸眼で輪郭も模様も溶けた月の花びら。
どちらがわたしにとっての現実なのだろう。



想像を巡らせてしまうほど今日は月がわたしのそばにいるような気がする。
誰のものでもない月だからこそ、そう感じるのかもしれない。

月に薄く雲がかかった。
雲まで月光色に染まっている。

『この街。』

元気がない。


刺々しい刺激だらけの日常とこの街を忘れたくてココアを飲む。


元気のない日の、1日のはじまりは朝ごはんをゆっくり食べて甘いものをいただく。

朝からジャンクなお菓子やアイスは罪悪感を覚える可能性があるのでほっとする甘い温かい飲み物や頭がすっきりする甘酸っぱいくだものがいいと思う。



日々ののりこなしかたは人それぞれだ。
言いたいことをたくさん呑み込むとからだのなかに哀しみのあぶくが生まれる。
あぶくはたくさん積み重なっていつかは弾け飛ぶ。
弾け飛んだ飛沫に周りの人びとは濡れてしまう。
この街はそんな哀しみに濡れた人びとの集まりだ。



自分自身に丁寧に優しくしたい。
それは自分が思う過去も未来も大切なひとたちのためだ。
そうやってわたしの本来の人間関係は循環していく。
会えていないようで会えている。
話していないようで語りかけている。



その理由を知らないふりをするこの街は、わたしには刺激が多くてわたしの生命力を少しずつ削ってわたしはさらに疲弊していく。



ココアは冷蔵庫のあまりものをつめこんだ。

小鍋に牛乳を温めて泡立て器で大きくかき混ぜる。
キャラメルを1個入れ溶かしきったらビターチョコもひとつ割って入れてみる。
市販のココアパウダーを大さじ1温めた小鍋の牛乳に投入し溶かす。

牛乳が沸騰直前まで温まったらコップに注ぎ入れて、シナモンパウダーをふる。
あまりものたちで作った、それでも想い出がつまるおもちゃばこみたいなココアが完成した。



シナモンスパイスがふわっと香りキャラメルのふくよかな甘さ、ココアのまろやかさ、後味はビターチョコのほろ苦さを、すべて温かい牛乳が包みこんだ喉に優しい味。


誰からも教えられなくても、ちいさな工夫をして自分自身を喜ばせることができるひとはきっと強い。
生き残るちからが強い。

もしもこれを読んでくださるあなたがそれができるのならわたしはあなたにきっと憧れてしまう。



こころの傷痕を解決する策はなにも思いつかないけれどそうっと慰め撫でるようなちいさな魔法はわたしには使える。
そう信じることしかできない日がある。
元気がないからこそ生まれる魔法がある、と。

『星。』

晴れた夜空。
ベランダから見える星々の小さくても確かな存在感。
そして夜を飛ぶ規則的な飛行機ライトの瞬き。
コントラストは綺麗。


星も飛行機も遠く、地上に届くひかりはささやかだからわたしは眼鏡をかけないとよく見えない。
スマートフォンカメラにも映らない暗闇のなかの道しるべ。


行き交い走る車の音が街によく響き聞こえる。
冷たい夜風を震えさせている。
秋のはじまり。


本当は秋の夜に、外へ裸足で飛び出したい。
落葉をかさかさと踏みしめ土の匂いのする朽ちる森のひと呼吸を胸奥で護りたい。
真夜中は、誰も居ない街より、呼ばれていることがわかる場所へ行きたい。


夜にわたしがよく笑っても、星たちもそばで一緒にちかちか笑い合うあたたかさが良い。
星を見る場所は海でも土でも空でも素敵だ。
凝り固まった視線をうつせば、星々は現在地の不思議さをおもいださせてくれるから素敵なのだ。


日常、見上げる先に星空があって良かった。
ビロードの深い闇がもしも夜空だったならわたしは息ができない。
闇色を遠く裂くひかりたち。
今日も美しい。

『なんもしったこっちゃない。』

『なんもしったこっちゃない。』

エッセイ集。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-09-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 『月。』
  2. 『この街。』
  3. 『星。』