
10°カフェ コラボ 詩、ショートショート
お題 自由 ホットミルク
◇詩 ホットミルクな自由の翼
朝起きて、牛乳を鍋に
ホットミルク
砂糖を入れる
甘いのが好き
ベランダに出る
曙光を浴びる
この時間に全ての今が収束して
その度に私は自由を感じる
ホットミルクの甘さに酔って
この刹那を永遠に
記憶の果てに空へ飛ぶ
そんな夢見て今日が始まる
自由の翼に
甘い一時
終末も終わる
そんな気がした
◇ショートショート 朝の一時
朝起きてミルクを温める。冬の寒さの中、震えながら私は鍋からミルクをコップに移す。そして、ベランダへと向かう。朝日を望むのが好きなのだ。冬の朝は遅い。まだ日の出までは少し。
私はホットミルクを飲む。やはり甘いのが好きなので、砂糖を入れる。甘くて暖かい。この温みが体に染みる。
日がでてきた。私は思考を自由にさせる。まるで空へ飛ぶような夢想を。この一時を永遠にしたかった。
「さぁ、今日も仕事やりますか」
私の息は白くなって空へ消えていく。冬の朝を私は抱いて、ホットミルクを飲み干した。
海 (八九雲)
テーマ 海
暗雲の立ち込める海岸通り。空は鈍色に暗い。初夏なのにやけに涼しい風が不安を誘う。私は親友との約束を果たすためにここに来た。手には毒薬。彼が自殺したのは1週間前のこと。私には何も告げずに死んだ彼が、自殺の直前に私に渡した毒薬は、空色の毒薬だった。
私はその毒薬の入った小瓶を開けた。芳香性の毒薬を手に、空を仰ぐ。風が吹いた。空が晴れてきた。なんでこんなに終末のように、永遠のように。私はここで死ぬのか。
私は毒薬を飲む。すると何故か涙が出た。なんで、甘いの?
そして悟った。彼は私に生きろと告げたということを。親友を失っても生きて欲しいと、その想いが胸に甘さと共にしみ渡る。
そうか、私は生きなきゃいけないんだ。彼の分まで。空は晴れ渡り、雲間から光が覗いて、その海はとても美しいと思った。
この夏は忘れない。
テーマ 薔薇(なお)
人生はバラの道
茨の道を駆け抜けて
罪の蕾を摘みながら
命の理由を失いながら
輪廻の中で探してたもの
あなたは見つけられましたか?
その生に価値はありましたか?
バラの香りのする記憶
パルフェタムール
完璧な愛
スミレと薔薇の香りのする
カクテル飲んで空を仰ぐ
香りが園に抜けていき
花々の咲く光に包まれ
愛を抱いて生きていく
愛し愛され生きていく
薔薇をあなたに供えましょう
あの日の僕へ、あの子の元へ
テーマ 極限
数列の極限
稀代の天才数学者ライオット・フィールデントが死ぬ時に1つの数式を書いて死んだ。彼はそれを遺言とした。
limx→0 x×∞=?
This answer is the truth of the universe
この数式は世界中に瞬く間に広がった。哲学者らは0×∞なら0だが、極限ならどうなるだろうと答えは出せなかった。数学者らはこの式を譫妄の類と捨て切る者が大半だった。だが、物理学者らはこの式をとても重要なものとした。
この極限に似た概念をエデンの園配置と呼ぶことがある。それは初めからその配置にしないと辿り着かない真実の配置。極限0×∞は何になるか。それが宇宙の劫初と終末に関わる真理なのだとしたら、フィールデントの人生を賭した遺言は何の意味があるのか。
ある詩人がこんな散文詩を書いた。
詩『神のレゾンデートル』
永遠と終末の狭間に真理はある
神も仏も終わりが来て
その末に辿り着いたこの数式は美しい
きっとそれが涅槃寂静
きっとそれが神の愛
嗚呼、美妙な人生の謎よ
ついにわたしはお前を見つけた
ついにわたしはその全ての秘密を知る
limx→0x×∞=1=0
何故なら神は無としての全
何故なら神は愛としての光
ゼロであり1である
そこに真理の謎がある
始まりは空でも
それが仮想でも
その結果の世界なら
私は生まれた意味を探す
神が生まれた訳を
それを神のレゾンデートルと呼ぶ
そのために世界は生まれたのだから
この詩は真実への洞察を秘めたものとして、哲学界を沸かした。だが、その詩の美しさも哲学も広くは理解されないものであった。だが、それから100年後の世界で、ある学生がこの詩を引用して論文を書いた。その論文の名は『全脳理論と神のレゾンデートル~この世の真理についての省察~』というものだった。
その論文を書いた少年ヨハンは18歳にして真理を悟った。それは永遠の愛であった。彼は晴れ渡る空の下、釈迦やイエス、ニーチェにアインシュタイン、様々な天才たちと心を通わせた。そして泣いた。彼らの想いが哲学となり数学となり物理となったのだから。その連綿と続く歴史の中で、ヨハンは人間愛を唄った。
ヨハンの求めるものは世界永遠平和だった。全ての人が幸せに、愛で満たされるように。そのために彼は哲学を紡ぐことにした。結局、数学も物理も政治学も経済学も、哲学へと収束していく。
ヨハンは世界に一つの哲学書を残した。『Nirvana of God Love』
その哲学書は売れなかった。退廃的な理論として歴史の波に飲まれた。ヨハンは有名ではなかったから、彼の命を賭したその哲学、文学はついに人々の元へ届かなかった。だからヨハンは飛び降りた。高三の冬に、マンションの屋上から。彼の死後、その哲学書は歴史に刻まれることになる。いつの時代も天才は死後に評価されるものなのだ。
22世紀の現代で、彼の哲学は教育に根ざし、世界永遠平和に寄与した。22世紀最大の哲学者となったヨハンを人々は忘れない。
「ねぇ、ヨハン。君はなんで死んでしまったの?」
ヨハンの恋人は今は亡きヨハンに向けて告げる。
「僕は世界を救いたかった。世界を平和にしたかった。でも、それが出来なかったんだ」
「あなたは世界を救ったわ。それはあなたの哲学が、あなたの想いが結晶となった結果よ」
「そうなんだ。なら良かったよ」
ヨハンはそう言って微笑んだ。彼の墓の前で、私は祈る。彼が見つけた理論。ソフィア理論は人間の祈りの力、意識の力としてのソフィアを肯定するもので、神の祈りも、仏の祈りも全て繋がっているというもの。
それは究極的な人間愛であり、世界を肯定する愛と祈りの力だった。
1月8日に亡くなったヨハンを追悼する世界平和式典が毎年開かれる。私は彼との間に出来た一人娘と共に葬送の花束を墓石に置いた。
海 黒
暗い海原に船を出す
水夫は黒い光を見た
それは死のようで
それは終末のようで
記憶が失われてくように
季節が死んでいくように
その黒は海を侵食する
神が死んだ日に
年老いた水夫は船を出す
水門が開いた
その門の先へ
人生の終わり
世界の果て
海は黒の死に眩んでも
微かな光が見えたから
揺らいでる灯火に
願いを乗せて夜風に唄う
きゅうり
テーマ きゅうり
私はきゅうりが大好きなのに、最も栄養価のない野菜と揶揄されているきゅうりが可哀想で、私はきゅうり愛好連盟を設立した。大学の非公認サークルのきゅうり愛好連盟の活動理念はただ一つ。きゅうりを愛すること。もちろん冷やし中華にきゅうり入れるし、きゅうりのピクルスも食べる。
そんなきゅうり愛好連盟のメンバーは私を含めて二人だ。もう一人は一つ下の男の子。彼もきゅうりが好きなのだが、今日はそんな彼ときゅうり農家に行くのである。きゅうり愛好連盟の合宿で、一泊二日できゅうり農家を三つもハシゴするのだ。
「ねぇ、あずさん」
「なに、少年」
「なんできゅうり好きなの?」
「えー。水水しい所かな」
「その他には?」
「うーん。きゅうりが可愛いのよ。それに不遇なきゅうりに同情しちゃってね」
「そうなんですね」
「そんな君はなんできゅうりが好きなのかい?」
「それは緑が好きだからですね。きゅうりの緑が野菜の中で一番深くて好きですね」
「そうか。その視点は面白いなぁ」
夏が過ぎていく。きゅうり愛好連盟は絶賛新規会員募集中。合宿のお土産は袋いっぱいのきゅうりだった。
10°カフェ コラボ 詩、ショートショート