その前夜

その前夜

 昨夜、「さて寝よう」そう思い立ち、床に就こうとした時だった。40度という災害級の暑さの中、薄情だが自分の身を守ることが精一杯で、庭木に水をやっていなかったことを思い出した。風呂に入りさっぱりし、エアコンの効いた涼しい部屋でくつろいでいたから、一日くらい水をやらなくても枯れることはないだろうと居直ったが、育児放棄をしているようで胸が悪くなり、外灯をつけ猫の額程の庭に歩み出た。

 地熱が宙を漂っているような、ムッとした空気が私を包んだ。額にはあっという間に玉の汗が出て、首筋にもじとっと熱い空気が纏わりついた。 外はもう漆黒の闇である。向かいの家も暑さ負けして早々に床に就いたと見え、窓に灯りはなかった。
 水道の蛇口につけた短いホースの先を、親指と人差し指で摘むと勢い良く蛇口を捻った。水は二つの弧を描き、びしゃびしゃと音を立てて庭木に降り注いだ。

 手前のひまわりに水をやった時、何かが私の方に向かって飛んで来た。跳ねて来たと言っても良いだろう。不意打ちを食らった私はわずかに後ろによろめいたが、すぐに体勢を立て直し地面を見た。カエルが一匹、行儀よく私の方を見つめるようにじっとしている。数日前、母が庭木に水をやっていると、カエルが一匹飛び跳ねて姿を現したと話していたことを思い出した。きっとそのカエルだろう。

 突然の雨に降られたとでも思ったのだろう。成す術もなくびっくりしたように、カエルはぴょんぴょんと私の元から遠退くように跳ねて行ったが、その体つきはどことなく、「よっこらしょ」とでも言っているように重かった。この暑さでカエルも参っているのだろう。飛び跳ねて行った先でそのままじっとしている。無理もない。日中40度もあっては、いくら土の上、庭木の陰で暑さを凌いでいるとは言え、生きている方が不思議なくらいである。

 その場でじっとしているカエルが何だか妙に気の毒になり、私は如雨露に水を汲むと、カエルの頭上から再びやさしく雨を降らせた。カエルはまたびっくりしたのか、再びぴょんぴょん飛び跳ねたが、またすぐにその場でじっとした。連日、一滴の雨も降らず、土はカラカラである。暑さの中に身を置いたカエルは、毎日がきっと綱渡りなのだろう。恵みの雨と言わんばかりに、頭上からポタポタと降って来る水滴に目をパチパチさせながら、気持ちよさそうな顔をして水を浴びていた。嬉しそうな顔をするカエルが急に愛おしくなり、何度も如雨露に水を汲んでカエルの頭上から雨を降らせた。
 日中の暑さに愚痴をこぼすように、暑い暑いと言っていた私だったが、気がつくと親指程の大きさの小さなカエルに雨を降らしているのだから、我ながら捨てたものではないなと自分を見直した。こんな小さなカエルでも精一杯生きているのである。その小さな命が愛おしくなるのは当たり前ではないか。

 80年前の今日、そして3日後の9日、日本は広島と長崎に人類史上初の原子爆弾を投下された。当時、それがどんなものであるか、想像がついていたのかいないのか私は知らない。いくら敵国の日本だからとはいえ、アメリカもどんなものか知っていたら、こんな惨たらしいものを本当に落としただろうかと、昔も今も疑いたくなるが、どちらにしろ、日本は原子爆弾を落とされたのである。そして、人間をはじめとする多くの命という命が奪われた。
 私のように原爆投下の前の晩、思い出したように庭木に水をやり、カエルが一匹ピョコンと庭木の陰から顔を出し、その姿が愛おしく微笑ましくなり、暑かろうと思い水をかけ、明日も暑い一日かなと思いながら、床に就いた人もいただろう。

 戦争をしている状況にあっても、今日も空襲警報が鳴り、敵の飛行機がやって来て爆撃を受けても死ななかったのだから、きっと明日も何とか生きているだろう。そんな漠然とした生への思いが、誰の心の中にもぼんやりとでも、希望や願いのようなものとしてあったのではないだろうか。 そんな戦時下の慎ましい日本人の、いや、広島・長崎県人の日常は一瞬にして奪われた。私は原爆を体験した人間ではないから、分かったようなことを言うことは出来ない。しかし、あの時代の人々に思いを馳せ、戦争や原爆で犠牲になった人々と対局の、平和というところにいる人間として、平和ではない時代と場所に生きざるを得なかった80年前の人々の思いに心を寄せ、感じることは戦争や原爆犠牲者に対しての最低限の義務だと思っている。

 こんな辛いことは二度と繰り返してはならないのだが、こういうことが再び起こるかもしれないという事実は、愚かだが変えようがない。広島と長崎に投下された原爆は、核という言葉に変わりはしたが、現在進行形で私たち人間のすぐ隣に存在している。核を保有している国がある以上、私たちがこの脅威から逃れることは出来ない。皆、どこまでその現実が見えているのだろうか。

 人にしたことは全て己に返って来るというが、その報いとして原爆投下とは余りに惨すぎるではないか。それでも核はこの世界からなくならない。どんなに声を上げ続けたところで人間がいる以上、核はなくならないし、戦争もなくなることはない。

 広島に原爆が投下されて80年を迎えるが、その間に平和とは名ばかりの程遠いところに、人類は立たされてしまった。一度作ったら増える一方であり、それが上手く出来たら一度は使ってみたくなるのが人間である。しかし、その感情を抑えることが出来るのもまた人間である。

 多くの人々の命の犠牲の上にあぐらをかいて、平和に浸り切っている人間どもは、これからどこへ向かって行くのか。その行く先を、原爆で焼かれたすべての犠牲者が、固唾を飲んでじっと見つめていることだろう。

 彼らの視線を感じながら、私はこれからも生きていこうと思っている。 

その前夜

2025年8月6日 書き下ろし
「note」掲載

その前夜

広島原爆投下から80年が経ってしまった。 自分の周りを見渡しても、戦争と平和について真剣に話をする人が誰もいない。 私が今、思うこと。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-08-06

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