短歌修行5
非言語的な試みを行える実験の場として「詩」を位置付けていたせいか、短歌における共感性に難儀します。「詩」は容れ物=論理としての形がしっかりしていれば、中身=感性の部分は個々人に託せる。でも、短歌ではそうはいかない。自分だけが気持ちいいじゃいい短歌を詠めない。けれどこの共感性を意識し過ぎると、どうしたってどこかの誰かが詠んでもいい歌になってしまう。独自性ないしオリジナリティをどう出せばいいのか、どこに見つければいいのか。ひたすら格闘。詩とはまた違う快感。
あのカラスゴミ出し終えたわたしたち ビルの隙間を縫う朝ぼらけ
正常なオートロックに告げられ妻でも愛人でもない廊下
うららかはるの問い合わせ ツーツー切れる黄昏待てり
移り気に抗せず子らはいちご狩り小粒に残る酸味は大人
ともし火手にして廊下に並ぶつま先丸めた聖夜のかたこと
好きなだけ「好き」とは書かない文庫版 重く頷くこうべを洗い
叱られる 思い思いに瞬く言い訳染め付ける逢魔時
何者も住まわぬ月に蝉しぐれ 機能せし脚たましい抜け殻
蝉の死骸は軽い脚をつまめば伸び縮みする機能的だな
これ以上燃えない灰を被り読むかぼちゃの馬車が走れる魔法
燃やせるのその灰被り読み上げる戦禍の一報轟き消ゆ
かれやさし 呟く友が口付けた毛深い指に湿るあっこ
稲光街へと急かす天神の袖を引っ張り誘いし小雨
《炎舞》
火が絶えぬ御舟の肌に浮く玉の汗ぼうぼう盛る蛾諸共
妹よ かえるのうたはやがましね下戸の兄さま恃みかけっ子
短歌修行5