フリーズ215 カクテル『ラカン・フリーズ』

カクテル『ラカン・フリーズ』

題:カクテル『ラカン・フリーズ』
テーマ:フェイクラブ(偽りの愛)

季節は夏。テストもレポートも終わり、夏休みに入って1週間。私は20歳の誕生日を迎えた。
生まれ変わる。それは簡単に言える言葉だが、とても大変なことで。今日、20歳になった私は一端の大人へと成長し、確かに変わったはずなのに、何も実感が得られない。それはそうだ。20歳になったからと言って変わったのは年齢だけ。実質なにも変わってない。
そんな今日、友達と初めてバーに行く。1つ年上の彼女の行きつけのバーがおすすめだと言う。西早稲田にある今年で24周年のバーらしい。
「チャージ300円で1杯700円から1200円くらい。何飲むかによって変わるね」
と七色のポンチョを纏う友達のはるかは語る。
「お酒は何が好き?」
「そもそも飲んだことないんだって」
「そうだったー。今日20歳かぁー」
そう言ってはるかは「若いね」と笑った。
「じゃあ色々飲んでみよう」
はるかは大学の文芸サークルで出会った友達。書いた詩や小説を月に1回見せあって感想を交換するという活動だった。その中で彼女の小説によくお酒やバーが出てくる。そんな折、私の20歳の誕生日を祝うという体でバーに誘ってくれた。今日は奢ってくれるらしい。
「さぁ、着いた」
「うん。緊張するよ」
「大丈夫だって」
シックな入口。大人への新たな1歩を踏み出す。
「いらっしゃい」
男のマスターが出迎えた。他に客はいない。開店と同時に来たからそうだろう。「どうぞ」とおしぼりを渡してくれる。
店内にはロック、ヨーロッパの『ザ・ファイナル・カウントダウン』が流れていた。マスターはロック好きらしい。
「メニューあるから」
「うん。ありがとう」
「みつきはお酒飲んだことないんだよね。じゃあ飲みやすいのがいいかな」
「そうだね。何かおすすめある?」
「うん。ここのカルーアミルクはカルーアっていうコーヒーのリキュールじゃなくてエスプレッソを使うんだ。珍しいと思う。しかも甘くて飲みやすいよ」
「へー。カルーアミルクは聞いたことある。それ飲んで見ようかな」
「いいね」
「はるかは?」
「私はウィスキーかなー」
注文が決まった所でマスターにはるかは告げる。
「カルーアミルクとカナディアンクラブ12年」
「ウィスキーの飲み方は?」
「ロックで」
マスターは頷くとお酒を作り始める。そして少しするとコーヒーの香りのするカクテルとウィスキーが出てきた。ウィスキーは球状の氷に薄茶色の液体な満たされていた。対してカルーアミルクはよくあるコーヒー牛乳のような見た目だった。
「乾杯」
はるかと乾杯する。グラスはぶつけないのがマナーらしい。私はそのカクテルを飲んで驚く。予想していた以上に飲みやすかったのだ。コーヒーの香りと甘さ。他にもヘーゼルナッツのリキュールやクリームのリキュールを使っているらしい。私はあっという間に飲んでしまった。
「いい飲みっぷりだ」
「これ美味しかった!」
「そうか。ならみつきは甘いのが好きなのかもね。じゃあ次はこれ飲みなよ『ラカン・フリーズ』」
「何それ?」
「これは私とマスターが作ったオリジナルカクテル。フランジェリコ、アドヴォカート、ノチェロの3つのリキュールをミルクで割るんだ。甘いよ」
「じゃあそれ飲む!」
「マスター。『ラカン・フリーズ』を二つ」
私は気になってはるかに聞いた。
「ラカン・フリーズってどういう意味なの?」
「時が止まるように甘いって意味と、私の哲学に出てくる言葉かな。何度か小説にも出してるけど」
「そうなんだ」
「マスターが私の小説を気に入ってくれてね。せっかくだしオリジナルカクテル作ろうってなったの」
「楽しそう」
「楽しいよ」
しばらくするとカクテル『ラカン・フリーズ』が出てきた。ベージュ色のカクテルだった。マスターがリキュールのボトルをテーブルに置いて説明する。
「これがノチェロ、クルミのリキュール。これがフランジェリコ、ヘーゼルナッツのリキュール。これがアドヴォカート、卵のリキュール。この甘い3つのリキュールをミルクで割るのが『ラカン・フリーズ』時が凍るように甘いカクテルだよ」
「へー、素敵! じゃあ飲みます!」
私は一口、ラカン・フリーズを飲んだ。するとナッツの香りとプリンのような甘い味がしてとても飲みやすく甘いお酒だった。確かにさっき飲んだカルーアを使わないカルーアミルクよりも甘く感じられた。
「これお酒なんですか?」
「そうだよ〜」
そう言ってはるかは嬉しそうにしてる。自分の小説に出てくるラカン・フリーズというカクテルを友達にも飲んでもらえて嬉しいのだろうか。
「甘くて飲みやすいから酔いやすいのよね。アドヴォカートってオランダ語で弁護士だから。すぐ酔って饒舌になるってね」
「へー。詳しいんだね。でも、美味しい!」
「そう言って貰えて何よりです」
私はラカン・フリーズをあっという間に飲み干してしまい、次に何を頼もうか悩んだ。
「次はマスターにお願いしてみたら?」
「えー。緊張するよー」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ先に私が手本見せるよ」
そう言ってはるかはマスターを呼ぶ。
「さっぱりしたカクテルで、度数が高いのが飲みたいです」
「ウォッカベースのメロンボールかスクリュードライバーはどうでしょか」
「メロンボールいいですね。それでお願いします」
そう言ってはるかはバーテンダーに注文した。
「さぁ、みつきも頼んでみな」
私は恐る恐るマスターに話す。
「甘いお酒が飲みたいです」
「カルーアミルクもラカン・フリーズもかなり甘かったと思うけど」
「なら、もっと甘いカクテルありますか?」
「うーん。なら、フレンチ・コネクションかな。甘いよ」
「では、それでお願いします」
私は高鳴る心臓を抑えてはるかのことを見た。
「出来たじゃん」
「緊張したよー」
「よく頑張ったね。あのさ。前にさ、マスターに一番甘いカクテル飲みたいって言ったら、ガムシロップかカルピスの原液でも飲んでろって言われたんだよね。だから甘さだけじゃなくて香りとか甘さの奥行とか分かるともっと楽しくなると思う」
「確かにね。糖度的にガムシロップより甘くならないかー」
「うん。それで言うとみつきの頼んだフレンチ・コネクションはアマレットっていう杏のお酒とブランデー使うから、お酒の香りもあるし、甘いと思う」
「はるかが頼んでたのは? メロンボールだっけ」
「あれはミドリっていうメロンのリキュールとウォッカとオレンジジュースのカクテルだよ。来たらちょっと飲む?」
「いいの?」
「うん」
そして、少しするとフレンチ・コネクションとメロンボールが出てきた。フレンチ・コネクションはウィスキーのような見た目をしていた。メロンボールは黄緑のカルピスのような見た目だった。
「乾杯!」
「はーい、乾杯」
フレンチ・コネクションの味は甘ったるいが、ラカン・フリーズよりは甘くない。そして、ちょっとアルコールの香りが強い気がする。度数が高いのだろうか。杏の香りは確かにする。杏仁豆腐みたいな感じだ。
「じゃあメロンボール飲む?」
「ありがとう。一口貰うね」
私ははるかからメロンボールを貰う。それはメロンの味のする美味しい飲み物だった。飲みやすい。
「これ飲みやすいでしょ」
「うん。でも度数高いの?」
「ウォッカは飲みやすいんだよ。でも、度数高いから飲む時注意ね」
「はるかもフレンチ・コネクション飲む?」
「私はフレンチ・コネクションはいいや。正直に言うとアマレットが苦手なんだよね」
「どうして?」
「前に友達とアマレットを飲んだ時に悪酔いしてね。その時にマッキーの香りがするって友達が言ってて、それからアマレットの香りがマッキーに思えてしまってトラウマなのよ」
「そうなんだー」
「みつきは飲める? 大丈夫?」
「大丈夫だよ!」
「そう。なら良かった」
少しはるかと談笑して、次のお酒を頼むことになった。
「みつきは酒に強いのかな。酔ってきてる?」
「うーん。体は温かいよ。でも意識はまだ大丈夫」
「ならどんどん飲もうか」
そう言ってはるかはメニューを開く。
「マスター。このジャニス・ジョプリンっていうカクテルはなんですか?」
「それはうちのオリジナルカクテルで、ジャニス・ジョプリンっていう歌手が居てね。彼女が自殺した時に飲んだ酒と言われるサザンカンフォートと昏睡っていう意味のヒプノティックっていうお酒のブレンドだよ」
「面白そう! ならそれ飲みます」
「じゃあ、私もそれ飲もうかな」
私ははるかと同じジャニス・ジョプリンを頼む。すると、さっきまで軽快に笑っていたはるかが真剣な顔して私に問いかけた。
「実はさ、私大学一年生の時に自殺未遂してるんだよね。オーバードーズで」
「えっ」
「ウィスキーと睡眠薬で。結局死ねなかったけど」
「そうなんだ……」
私は咄嗟のことになんて言えばいいのか分からなくなった。自殺未遂のことを、普通話さないだろう。自分からその話をしたということはそれなりに私のことを信用してくれているということだろうか。
「悩みとかあったの?」
「違うんだ。私は幸せだった。むしろ幸せすぎて死にたくなったんだ。みつきは知ってる? 真理の先の至福を」
「真理の先……?」
「そう。私は過去に二度真理を悟ったことがあるんだ。それは究極的な思惟の果てに至った真理だった」
「釈迦と同じ?」
「うん。たぶん。それでね、分かったんだ。私が生まれてきたのはこのためだって。真理を悟ることはとても甘く美しい、この上ない最高の快楽であり至福であり大歓喜なのよ。言葉に表せない。そして、そのまま死にたくなるくらい幸せなの」
「それで自殺未遂を?」
「そう。この絶高なる境涯で死にたいって思ったの。物語は終わりが大事でしょう? それと一緒」
「でも、はるかが生きてて良かったよ」
「え?」
「死んでしまったら私たち会えなかったから」
「そうだね……。あはは。そんなこと言われたのは初めてだよ」
はるかは驚きの表情を隠せないでいる。その時、カクテルのジャニス・ジョプリンをマスターは二つ机に置いた。
「さっきメロンボールじゃなくて、スクリュードライバー頼んでおけば良かった」
「え、なんで?」
「《あなたに心を奪われた》から」
そう言ってはるかは私に向かってウインクをした。ジャニス・ジョプリンの味はよく分からなかった。だってその頃には私は酔いが回ってきていて、ふと目が覚めたら裸になってて、裸のはるかと一緒に寝ていたから。
「ここは?」
見回すと生活感のある部屋だった。ホテルではないみたい。昨日の記憶が思い出せない。頭が痛い。
「みつき?」
「はるか。起きて」
はるかは目を覚ます。
「ここはどこ?」
「んー。わたしんち」
確かはるかの家はバーのすぐ近くって言ってたっけ。ということはあのままバーで潰れて、私ははるかの家に来たということか。だけど、なんで私は裸なんだろう?
もしかして、セックスしたのか?
昨日のことが思い出せない。
「ねぇ、はるか。なんで私は裸なの?」
「えー。みつきの裸見たかったからー」
はるかはそう言って伸びをする。私はベッドの上に私の下着や服が置いてあるのを確認すると服を着始めた。
「ごめんごめん。実はさ、絵を描いてたんだよ。これ」
そう言ってはるかはベッドから少し離れた所にあるキャンバスを指さす。私は服を着終えるとそのキャンバスを見た。そこに描かれていたのは裸の私だった。しかも幻想的で色とりどりな花々が私の周りに描かれていて、その絵は抽象的で美しかった。
「私ね、酔うと絵を描きたくなるんだ」
「これが私の絵、か」
「そうそう。みつきが酔いつぶれて、私がこの家に連れてきて。そのまま酒飲みながら私はあなたの絵を描いて、描き終わったら眠くなってそのまま寝たのよ」
「そうなんだ」
「そう。私ね、あなたのこと愛してるわ。みつき」
「えっ……」
「だから付き合いましょう」

その日から私とはるかは付き合うことになった。デートは年上のはるかがリードしてくれた。はるかの家に泊まることも増えた。夜は愛し合った。愛の言葉を紡ぎ合った。初めてのクリスマスの日にはるかは私に告げた。
「ねぇ、みつき。来年の1月7日、一緒に死にませんか?」
私はもちろん嫌だと答えた。
「なんで死にたいの?」
「もう一度涅槃に至って、そのまま死にたいからよ。でも一人で死ぬのは怖い。だからみつきと死にたい」
「それって私のこと愛してないってこと?」
「愛してるわ。私はみつきを愛してる」
「だったら死んじゃダメだよ。涅槃も目指さないでよ。愛してる人を死なせるなんて、そんな愛は偽りだよ!」
「そっか……そうだよね」
そう呟いてはるかは虚空を見つめた。すると次の瞬間私のことを見据えてこう告げた。
「嘘嘘。冗談だよー!」
「えっ?」
「冗談、冗談。分かった。みつきには本当のことを話すよ」
はるかは語る。実ははるかの元彼がはるかに「一緒に死のう」と言ったらしい。はるかはそれを断った。そして、彼は一人で自殺したらしい。
一人取り残されたはるかは何故彼が自殺しようとしたかを知りたくて、彼と同じことをしようとしたらしい。
大学一年で自殺未遂したのも、真理を悟ったことがあるのも、はるかの元彼の話だった。はるかは元彼の振りをすることで、彼が何を考えていたのか知ろうとしたという。
つまりは、はるかにとって彼はまだ消えていなくて、欠けた彼の分を補うのが私だったのだ。その愛は偽りの愛。本当の愛じゃなかった。
私は腹が立った。人の感情を弄んで、死ぬ気もないのに「一緒に死のう」なんて言って。
「みつき、怒ってる?」
「うん。怒ってるよ。それより呆れてる」
「私のこと嫌いになった?」
「いいや、好きだけど、はるかは本当に私のこと好き? 正直に答えて」
「……正直に言うと分からない。今でも元彼のことが頭から離れないから」
「もし元彼と私を重ねて見ないなら付き合い続けてもいい。でも、それが出来ないなら別れよう」
「うん……、わかった。みつき、別れよう。今までありがとう、本当に」

その後、私は一人ではるかと初めて行ったバーに向かった。そしてカクテルのラカン・フリーズを頼む。

カクテル『ラカン・フリーズ』のカクテル言葉があるとするなら、それはきっと「運命の人との束の間の逢瀬」か「 運命の人との永遠の別れ」だろうな。そんなことを考えながら私は泣いた。甘いのだけは辛うじて分かった。

Qカクテル『ラカン・フリーズ』のカクテル言葉はどっちがいいと思いますか?
・運命の人との束の間の逢瀬
・運命の人との永遠の別れ
または他に案があれば教えてください。

フリーズ215 カクテル『ラカン・フリーズ』

フリーズ215 カクテル『ラカン・フリーズ』

20歳になった私は1つ年上のはるかに連れられて、初めてバーに行く。そこでオリジナルカクテル『ラカン・フリーズ』を飲む。そのまま私ははるかと付き合うが、彼女は初めてのクリスマスで語る。「来年の1月7日、私と一緒に自殺しよう」と。

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更新日
登録日
2025-07-31

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