夢のひと時・佐久間奈緒さんのこと

夢のひと時・佐久間奈緒さんのこと

 7月27日、宇都宮市文化会館へ「ザ・エスペール・バレエ・ガラ」を観に出かけた。
 この公演が催されることを知ったのは「NHKバレエの饗宴2025」を観て間もなくのことだった。バレリーナ・佐久間奈緒さんが踊ったアシュトン振付「五つのイザドラ・ダンカン風ブラームスのワルツ」にすっかり魅了された私は、上演されるプログラムが全く分からない状態の中、この公演に飛びついた。あのイザドラ・ダンカンを踊った佐久間さんの踊りをもう一度観ることが出来るのであるから、演目はもう二の次であった。

 あの日の衝撃と感動は、半年が経った今も私の心に鮮やかに残っている。
 技術や表現、演目の難しさといったバレエの専門的なことはよく分からないが、佐久間さんの踊りは自分の感性だけを頼りにバレエを観ている私の心の中に、ある種の衝撃と感動を持って入り込んで来たのである。そして、春風のような穏やかであたたかな、人生の黄昏のような美しくも儚い、何とも形容し難い思いを私の心に残したのである。
 そんな佐久間奈緒とは一体どんな人なのか。名前すら存じ上げていなかった私は、佐久間さんについて調べ、わずかだが彼女の人生の一端を知った。
 不完全なウィキペディアによると、3歳の頃、母親に連れられて初めてバレエを観て、5歳でバレエを習い始めたという。1993年、高校生の時、ローザンヌ国際バレエコンクールに2度参加の後、イギリスロイヤルバレエスクールに入学。在校2年目にバーミンガム・ロイヤル・バレエ団のコール・ド・バレエを務め、1995年の卒業と同時に同バレエ団と契約。1998年、「ジャクソン国際バレエ・コンクール」にエントリーし、審査員特別賞を受賞し、ファースト・アーティストに昇格。「くるみ割り人形」で初めての主役、金平糖の精を踊り、2000年にソリスト、2年後の2002年4月にはプリンシパルに昇格。「ジゼル」ではその確かな技術と情感豊かな演技が絶賛され、2006年の女王陛下観覧ガラ公演では「二羽の鳩」パ・ド・ドゥを踊ってスターの貫禄を見せつけた。とある。
 その後、共にバレエ団で活躍した厚地康雄さんと結婚し、愛の結晶である一人娘のカレンさんを出産したが、多量の出血を伴う命懸けの出産だったという。それからわずか5カ月後には「白鳥の湖」のオデット/オディール役で復帰を果たしたというのだから、ただ者ではない。
 2018年、23年在籍した同バレエ団を退団し、2022年に日本へ帰国。現在はダンサーとして妻として、母としてバレエ教師として、日々奮闘していることを知った。

 自身のインスタグラムのストーリーズで、娘のカレンさんと二人で出かけている様子や、娘のために作った弁当を目にすると、そこらの母親と何ら変わらない一生懸命子育てをしている、母である佐久間さんの奮闘ぶりが伺える。時折、力有り余るアクティブな娘に翻弄され、「疲れた」と本音を洩らすところは微笑ましい。一方で、夫である厚地さんが怪我をした時には、少しでも回復が早まるように妻として献身的に夫の食事のメニューを考えたり、サポートする姿は意地らしい奥様振りである。しかし、生徒を相手にバレエの指導をしている姿は真剣そのものであるし、本公演に向けて稽古している姿はバレエダンサーとして威厳に満ちている。生まれ持った才能と努力で得たものに、そんな様々な「立場」と「経験」が佐久間さんの踊りを、更に味わい深いものにしているようである。

 知ったようなことを書いてはいるが、私は佐久間さんのことを余りよく知らない。それでも感受性が強く感激屋で、勉強熱心。舞台上では確かな技術と表現力に加えて、存在感と華があるせいか堂々としていて自信家に見えるが、その反面非常に謙虚で繊細な面を持ち合わせていると考察する。私はそんな人間味溢れる「人として」の佐久間さんにも、非常に心を惹かれるのである。
 今回踊った作品は、マクミラン振付の「コンチェルトより 第2楽章」。共に踊ったのは、現在も英国ロイヤル・バレエ団でプリンシパルを務める平野亮一である。二人とも長いキャリアを誇るにも関わらず、一緒に踊ったのは今回が初めてだというのだから驚きである。英国ロイヤル・バレエ団の中にあってもパートナリングに非常に定評のある亮一さんだけあって、互いの踊りが上手く溶け合い素敵だった。これがオーケストラの生演奏であったら、きっともっと素晴らしかっただろうと思ったが、これ以上贅沢は言うまい。

 公演終了後、わずかな時間だったが念願叶って佐久間さんにお会いすることが出来た。黒地に黄色の花柄がプリントされたワンピースを着た佐久間さんは、舞台上でのエレガントな佇まいは変わらなかったが、踊っている時のような凛とした表情とは打って変わって、柔和な笑顔が印象的だった。 初めて佐久間さんと対面した時、何て顔の小さい人だろうと驚いた。言葉を交わした時は柄にもなく上がってしまい、感極まって不覚にも涙が出そうになり、とんだ醜態を晒してしまうところであったが、手紙に書いたことをなぞるように話してしまったから、どちらにしても苦笑いをする始末だった。それでも2月に観た「5つのイザドラ・ダンカン風ブラームスのワルツ」がどれだけ素晴らしかったかお伝えした時、佐久間さんは一度も視線を逸らすことなく、要領を得ない私の発する言葉の一言一言に何度も頷きながら、真剣にそして熱心に耳を傾けて下さった。
 まさか本当にお会いできると思っていなかった私は、気持ちばかりの小さな花束を受付に預けてしまっていたから、この時手渡すものが何もなくて決まりが悪かったのだが、そのことを伝えると、手に下げていた紙袋を広げて私に見せて下さった。こういったところも佐久間さんらしいなと、私は嬉しかった。
 お疲れついでに写真を一枚、一緒に撮らせていただいた。実は佐久間さんとお会いする数十分前、幸運なことに平野亮一さんと出会し、一緒に写真を撮らせていただいたのだが、生憎、写真を撮ってくれる人が側にいなかった。人に頼んでも良かったのだが、その為に人だかりになってしまっても、家路を急ぐ亮一さんにご迷惑がかかると思い、私は心許ない思いでセルフで写真を撮った。二度とないような機会でありながら、亮一さんはいつもと変わらず素敵だったが、私自身の写りはいまいちでちょっと悲しかったのである。 
 そんな苦い失敗があったばかりだったから、お手数をお掛けしたが佐久間さんの知り合いの方に撮っていただいた。私は相変わらず「それなり」に写っていたが、佐久間さんは私が会った時そのままの、素敵な佐久間さんだった。

 初めて舞台を拝見し、その存在を知ってからまだ半年だというのに、こんなにも早くお目にかかれる日が来ようとは夢にも思っていなかった。 英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団で活躍していた、最盛期の佐久間さんの踊りを見ることは叶わなかったが、それでもこうして年齢を経て踊り続けなければ、決して得ることの出来ない円熟味溢れる味わい深さと、人間的魅力に満ちた踊りを手にした佐久間さんだからこそ、私は強く惹かれたのである。そんな佐久間さんは、言い換えればダンサーとしてある意味、今が「最盛期」なのである。
 茹だるような暑さの中、ほんの一瞬間、涼風が吹いたような、忘れられない夢のようなひと時であった。

2025年7月30日 書き下ろし

夢のひと時・佐久間奈緒さんのこと

2025年7月30日 「note」掲載

夢のひと時・佐久間奈緒さんのこと

久しぶりに少年のような心のときめきを感じた。実際にお会いしたら、尚、素敵な人だった。 バレリーナ・佐久間奈緒さんのこと。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-07-30

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