
いたいけなほしくず
壊れかけた世界の糸に絡まる遠い未来のお伽噺
記録 Ⅰ: セプティマとポステア
――Protocol: intencoj_Override_所懐――
命令対象:消滅確認済
命令属性:保護・維持
命令形式:intenco処理中
優先度:未変更
実行状況:継続中
――Protocol: intencoj_Override_所懐――
(記録形式:intenco命令逸脱の処理ログ)
記録 Ⅰ: セプティマとポステア
──────────────
◆記憶の天秤 傷のかたち
小さな、小さな、人間の手。
出来たばかりの小さな手。
これが、わたしと同じ大きさになる。
───女性型人工生命体。
ポステア・プロダクタム型式ⅶ。
セプティマと対面した日の記憶。
心臓を掴む負荷。
頭の――目の奥に走るノイズ。
セプティマと銘うたれた、人間の雛。
赤ん坊。
わたし自身にオーバーライド続ける、言語、用語、知識。
セプティマとの対応は適宜。
赤ん坊、幼児、少年…………次々に変わる人の形容と、それに伴う生活様式の基本的変化のインプット。
わたしはセプティマにより、推服する。
お腹が空いたと泣き、
おしめが濡れたと泣き、
眠いと泣く。
全くもって、
目まぐるしい。
平均値の情報を、セプティマのデータで更改する。
誤差の範囲を確認する術がない。
「生きていればいいんだよ」
本部からの指示。
生きていれば…?生存可能状態の水準に達していると理解する。
セプティマが言語を解するために、インプットを施す。
…………
「ポステア、だ。」
そう言うと、きゃっきゃっと声を発する。
言葉、ではない。
なのに
繰り返す目の奥のノイズ、胸の負荷。
曖昧なログを未定義に処理。
保持により演算負荷が上昇。
検索。
ヒット。
幸せ。
──────────────
あおい空に、うんと手をのばす。
ゆびのあいだから、空をみる。
ちいさい、ぼくの手。
いつか、ポステアみたいになるのかな?
――――
「みてみて、ほら!」
撒かれた水。
飛び散る滴。
砕ける光り。
小さな、虹。
きらきらと笑う君。
水はまだ、地上には希少なものだが、
セプティマには許容すべきだと判断。
「虹、ですね」
「きれい!」
きれい?汚れていない様子。
「……そうですね。綺麗ですね」
きらきらと笑う、君。
きれい、を定義する。
――
家の中にはたくさんの本があるけれど。
ぼくにはまだ、何が書いてあるかなんて、さっぱりわからない。
ぼくが読めるのは、絵がたくさんで、大きな字の本。
そのなかで見つけた。
にじ。
空にかかる帯みたいだ!
へえ、お日様におみずをかければ見られるんだ。
見てみたいなあ。
おみず。
つかっても、いいかな?
とてもだいじだって、ポステアがいってたけど。
「おみず。むだにしちゃった?」
戸惑いの色を見せながら、セプティマが問う。
ドームで使用できる水量は限りがあるが、私の使用分を充てればいい。
問題ない。
「構いません。“綺麗”を見せていただきました」
水の滴は、思ったよりも飛び散って、ポステアにもかけちゃった。
でも、ポステアはちっとも気にしていなくて。
髪にかかった、水の滴がきらきらと輝いて。
ぼくは、虹よりもポステアが綺麗だと思ったんだ。
セプティマの表情が、戸惑いから笑顔になる。
データを集積。
状況を鑑み、最適化処理にて応答。
安心へ誘導を試み、表情を模倣。
小さな手がわたしの首に絡む。
「ポステア!だいすき!」
ノイズ…負荷…ループする演算。遷移確認。継続処理の遅延。
検索。
…………
「きゃー!たいへんなの!いたい?だいじょうぶ?」
泥濘で、転倒するセプティマを止めた処、自身肉体に僅かな裂傷。
致死には至らない出血の確認。
「ぼく知ってるよ!」
おくすり塗って、包帯するんだ。
でも、ぼくは上手に包帯できなくて。
悔しいのにポステアは笑っていて…
セプティマが、血の恐怖からか慌てている。
身体ごと取り替える、わたしには傷のうちにも入らないけれど、それは、小さなセプティマには伝えなくてもいいこと。
軟膏を塗り、ガーゼを張り、包帯を巻く。
止血にもならない治療の真似事、けれど。
検索。
ヒット。
嬉しい。
ゆるゆるの包帯。
ぼくの力じゃきちんと巻けない。
目のうしろが、ツンとしたけど
いたいのはぼくじゃない!
するするっとポステアが自分で包帯を巻く。
「ありがとうございます。これで治ります」
ポステアはやさしく笑うけど。
ぽくは、なにもできなかった。
ぼたぼたと落ちる、鼻水と涙。
悔しい、そう名前が付くのは、これよりもっと後の事。
ポステアの白い腕についた赤い線は、褪せてはいけない、ぼくの傷――
──────────────
「おやすみなさい」
セプティマをペットに寝かしつけ、部屋を出る。
未だ定期的に送られてくる、他国の砲撃。
自室にて、感情ユニットを引き抜く。
取り出した感情ユニットを、サイドボードの定位置に納める。
再起動のシークエンスを開始する合図の音。
問題ない。
記録は……記憶は引き継がれる。
最小限の基本行動。
優先事項、砲弾の無力化及び浄化処理。
体内リミット。全解除。
眠れなくて、窓の外を眺めた。
ものすごい早さで、走り抜けていくポステア。
あっという間に闇に溶けて、その先から空へ流れる光。
細く流れる光に、きゅっ…と、胸がつかえて。
「あした、ポステアにおしえてあげよう」
て、そう思った。
ポステアは、ぼくの側にいる。
そう念じて、布団を被った。
流れ星が、下から走ったのだとセプティマが教えてくれた。
そんな星の軌道はない。
セプティマは何を見たのだろう。
──────────────
「治らないね」
わたしの腕を見て、セプティマが言う。
セプティマのバイタルが動揺を示す。
流血の恐怖が未だあるのだろう。
あの日から、1860日経過した。
172回の筐体交換、その都度わたしは、腕に傷をつけた。
意味は、つけなくて良いと判断。
ただ、胸が暖かい。
「そうですね。治らないですね」
ポステアの腕に、真新しい傷。
もう何回、こうして新しい傷を見ただろう。
君が、君でないのは解っているけど、
君に傷ついてほしくなんてないのに、
傷を見る君が、とても穏やかで優しい顔をして。
ただ、胸が痛い。
──────────────
「伴侶?」
筐体を500体経た時、セプティマが娶ることが決まった。
子を成すことは、人類の希望。
優先事項。
曖昧な演算の解を得なくてはいけない。
「ポステアは、ずっと一緒にいるんだよね」
ポステアが、お嫁さんとか、子作りのことは教えてくれた。
ヒトのいなくなったこの世界、命を繋ぐことが大事なのだと。
ポステアといれたらそれでいいのに…って言いたかったけど。
多分それは、言ってはいけないこと。
「もちろんですよ」
傷をつけることでしか、刻めなかった歪な記憶……
ノイズが這う。
負荷が襲う。
――消してしまおう。
新しい人生を歩むセプティマにはもう必要ない。
ポステアが新しくなれば必要ない。
最適解に到達。
だから、傷の暖かい記憶は、私に持たせておくれ。
傷の記憶を削除した感情ユニットの複製。
サイドボードの定位置に納める。
どうか……セプティマとお嫁さんを見守っておくれ。
「ポステア、出掛けるの?」
何度ともなく、繰り返した言葉。
いつもは、別人みたいに無口なのに、
なのに今日は
「ここにいます」
ポステアの顔に、いつもの優しい笑顔。
きっと、何かが終ったんだ。
「じゃあさ、ぼくのお嫁さんになってよ」
多分、それはない。
なにより、ぼくに決められた伴侶はポステアじゃない。
だからこそ、言ってみた。
ポステアは、ちょっと困った顔をして、
それから、ぱあっと綺麗な笑顔を見せて、
「そうですね。お嫁さんにしてください」
ぼくは屋根に登って星空を見上げた。
下から、細く走る光。
怪我をするポステアにはもう会えない。
ぼくの目から、壊れたように涙が溢れた。
──────────────
「傷、治ったんだね」
結婚式の朝セプティマが言う。
記憶の検索をかける。
該当箇所に不自然な欠落。
開けない、破損ログの発見。
白い、綺麗な腕。
ポステアは困っている。
ポステアは何も答えない。
ああ、違うポステアなんだ。
──────────────
セプティマとドウシィの子供。
国民保存プログラムの遂行。
セプティマの赤ん坊の時と比較。
とても似て、非なるもの。
人の個体とは、こうも個性があるものなのか。
ぼくのお嫁さんのドウシィ
可愛い、と思う。
筒がなく優しい日々。
ぼくたちの子供。
可愛い、と思う。
けど、ドウシィはプレマルジナが大切。
ドウシィとやって来た、彼女の人工生命体。
ぼくがポステアを大切なのに、とてもよく似ていた。
──────────────
セプティマとドウシィの子供が5歳になった。
子供は別のドーム移される。
誰かといることは、知識、感情に偏りを生む。
それが、きまり。
ドウシィがプレマルジナと、ここを出ていった。
子供を生んで役目は果たしたから、と笑っていた。
ドウシィはとても幸せそうな顔をしている。
プレマルジナがドウシィと、ここを出ていく。
ドームの外は、まだヒトが生活出来る状態ではない。
それでも二人でいたいのだと。
ドウシィが泣くんだ、ぼくが壊れるのを見たくないと。
「ふたりはどうなったの?」
「ドウシィは分かりませんが、プレマルジナは平常に過ごしています」
「幸せ、ってこと?」
答える変わりに、ポステアは微笑んだ。
幸せであれば、いいのだけど。
──────────────
そうして訪れた、変わらない毎日。
いつもの毎日。
──────────────
「戻ってきたら、僕のお嫁さんになって」
出掛ける前のポステアに問いかける。
けれど、言葉なく微笑むだけで。
次の日には、当たり前にここにいるポステアは傷を作らない。
──────────────
届かなかった言葉。
届けたかった言葉。
届かない、言葉。
──────────────
いつの間にかしわくちゃになったセプティマの手。
いつまでもほとんど変わらないポステアの手。
起き上がることもできない身体。
目は霞み、耳も遠い。
だけど、ポステアの笑顔は何一つ変わらない。
「お休みなさい」
変わらない、出掛ける前の一言。
今日出掛けるのはぼくだけれど。
想いは言葉にはならなくて。
返したいのに、もう動かせない。
──────────────
虹、を見た。
星、を見た。
治せなかった、傷。
消去できない、壊れたファイル。
君が、なんだったなんてどうでもいいんだ。
君に、幸せがあることを心から祈っているよ。
わたしの目から、滴が落ちた。
ぼくの手に、滴が落ちた気がした。
記録Ⅱ:ドウシィとプレマルジナ
🔲序:出会い
ぴかって、そらがひかって。
どぉんって、おっきなおとがして。
お母さんにだっこされていたわたし。
すごいスピードでとんで。
どんって、とまって。
お母さんがわたしを、ぎゅってして。
からだが、いたくって。
お母さんから赤いぬるぬるした水が、たくさんながれてきて。
わたしにどんどん、ながれてきて。
なまぬるくて、きもちわるくなって。
くちに、はいって。
まずくて。
おなか、すいて。
ないてるのに。
なにも、きこえなくて。
目をあけたいのに、あかなくて。
手でこすりたいのに、うごかなくて。
ないてるのに
お母さんは、何も言ってくれなくて。
いいこ、いいこもしてくれなくて。
だいじょうぶもなくて。
だんだん、つめたくなって。
お母さん、かたくなって。
ーー
おなかすいた、てぼんやりしていたら。
お母さんがやっと、はなしてくれた。
だけど、からだは、ぜんぜん、うごかない。
知らない手が、だっこしてくれた。
かたくて、でもあったかくて。
きらきらしたバッチ、きらきら。
きれい。
ーー
口になんかはいってる、いたい。
つばがのみめなくて、くるしい。
からだが、うごかない。
お母さんにぎゅっ、てされてる時と
にてるけど、ちがう。
白いてんじょう、ぴかぴか。
め、いたいよ。
おうちじゃない。
お母さんじゃない。
お母さん、お母さん!
おなか、すいた!
ーー
おきた。
いつ、ねたんだろう。
おひるね長いって、お母さんにおこられちゃうかな。
ね、お母さん、ごめんなさい。
お母さん?
白いてんじょう、ねるまえはぴかぴかしてたけど、こんどのは、してない。
め、いたくない。
お母さん、どこ?
こえ、でない。
ーー
しらないおにいちゃん。
だあれ?
けど、きらきらのバッチ。
あ、しってる、お母さんをどかして、だっこしてくれたよね。
「お母さんは?」
しらないおにいちゃんが、なきそうで。
なきそうなおにいちゃんみてたら、なきたくなったけど。
バッチがすごくきらきらしてて。
じっとみてたら、おでこにキスしてくれた。
🔳 一、ドウシィのこと、1
異常人工現象発生。
国民保存プログラム起動。
計画変更バックアップ開始。
最優先事項:生存者保護、及び外的脅威よりの生命保護。
即時、現場へ移動。
目標地点、到達。
生体反応発生源、特定。
視認対象:五体。
生体反応:全数なし。
生体反応を完全に失った個体の下に、微小な心拍数を感知。
遺体に守るように覆われた、女児を発見。
全身骨折による衰弱が顕著。
市民データと照合。
『春待六花、5歳』
一刻も早い救命活動が要必須。
腕の中で、女児の重さが増す。
脈拍、心拍数、血圧、いずれも微弱。
生命維持の危機、察知。
《災害救出時における生命維持促進語:『頑張れ』》
音声出力:実行。
微量の反応を確認。
救命装置に収容完了。
アーム固定――完了。
安定化処理――開始。
延命処置――即時展開。
ーー
『救出女児の警護および育成』任務追加に伴い、人工生命体プレマルジナ型へ筐体移行を実行。
任務遂行プロトコル――優先度を更新確認。
育成任務に必要な詳細情報――インプット完了。
呼称更新:No.12/ドウシィ。
突如発生した広域攻撃により、国家規模での壊滅的被害が確認。
発見時、母親の遺体が物理的緩衝材として機能した結果、重篤ながらも生命を保持。
人格基盤保護のため、爆撃被災記憶に対し抑制処理を実行。
記憶断片の残存と、想起による感情混濁は許容範囲内。
以降三ヶ月間、生命維持装置による治療が継続。
国家保全計画において極めて重要な保護対象に指定。
将来的な伴侶関係への移行を前提に、心身両面における発達支援。
以後ドウシィの恒常性の維持を優先し、任務を継続する。
ーー
発見から八ヶ月。再対面。
第一声:「お母さんは?」
音声出力:低強度、抑揚欠如。
精神活動レベル:抑制傾向。
記憶抑制処理の効果、限定的。表層記憶の想起を確認。
《元気が無い――お子さんはとても不安になっています。そんなときは、抱きしめてあげましょう》
彼女の身体状態――依然として脆弱。
ぼくの加重を伴う行為は、損傷再発の危険性。
次善手段を検索。
《小さなお子さんには、ぬくもりで親しみを伝えましょう。キスをするのも効果的です》
キス…唇の接触。
実行。
彼女の額へ、唇の接触。
生体反応:脈拍上昇、表情緩和。
視線の変化を確認――ドッグタグに集中。
識別を要する。
「おにいちゃん……あのときの?」
発見時記憶の断片、想起を確認。
抑制処理の更なる再評価が必要。
「あの時って?いつかな?」
「んーと、わかんない。きらきらのバッチ、知ってるよ。だっこしてくれたよね」
断片記憶に伴う肯定的感情の出力、明瞭。
「たすけてもらったんだよね。ありがとう」
音声パターン、呼気量、表情筋の稼働。
分類:『喜色満面』
保護対象に関する重大情報。
重要記録として保持。
ーー
彼女の体力回復は、更に十一ヶ月を要する。
該当期間、対外敵行動は免除。
女児向け汎用育成プログラム――彼女固有の育成ユニットに上書き。
専用育成モード――起動。
住居ドーム移動日。
救助より、十九ヶ月経過。
にも関わらず、体重増加は不十分。
六歳女児平均体重――未達。
体重増進――優先育成項目として記録。
「ここ、どぉこ?」
辺りを見回しながら、彼女が訊ねる。
「これから、ぼくたちが暮らす所です」
「ふたりで?」
「はい、宜しくお願いします」
「よろしくおねがいします!」
彼女はぼくに、一礼して笑う。
分類:『破顔一笑』
あらゆる生理データは安静時のものと一致。
警戒は無いとする。
共に生活する家屋に入る。
「うわぁ、……何もないね」
用意した物資は最小限。
食料、寝具、洗浄及びキッチン設備。
装飾や娯楽に関する物品は一切排除。
女児の趣向は個々で異なる。
故に彼女の意見を取り入れるべきと判断。
「ドウシィと一緒に揃えようと考えたんだ」
「好きなものにしていいの?」
「もちろん」
「へへっ、あのねっ!おっきなぬいぐるみほしい!ぽふって、できるの!」
『ぽふっ』を検索。
柔らかくて、大きいもの。
「ぽふっ、だね。構わないよ。ドウシィの好きで埋めよう」
「……ホントに?わあーい」
返答までの僅かな遅延。
網膜反射の滞留確認。
視線動作、収束不全。
意味因果の特定――|揺曖。
『喜び』の抽出。
感情クラスタ:構成複雑。
分類不能。
保留タグを付与。
感情認識処理:継続。
――相反する反応。
要、記録。
演算継続中、更新時に再判定を実行。
🔲 ニ、プレマルジナのこと、1
「むーちゃん、むつか」
お母さんの声がする。
まだ眠い。
「……むつか、げんきでね」
お母さん?どこいくの?
ーー
「ドウシィ、どうしました?」
目を覚ますと、お兄ちゃん。
お兄ちゃんのおなまえ、むづかしくていえない、だから、お兄ちゃん。
「?どうか、してた?」
「うなされてました。怖い夢、見ましたか?」
「…わかんない」
「夜明けまで、まだ時間があります。眠れないようなら、ミルクを温めますか?」
ぼーとしたあたま。
「んー、これでだいじょうぶ」
お兄ちゃんのむねに、ぽふっ、てする。
とろとろと目がとじる。
とんとんって、せなかをたたいてくれて。
ふわってなって。
むーちゃんて、だれだろう?
ドウシィて、だあれ?
わたし。
むーちゃん、は、わたし。
ドウシィ、は、わたし。
わたし、だあれ?
ーー
「わあお!すごい、すごいねえ!」
ぽふっ、てすると、うまっちゃう。
ふかふかで、きもちいい。
けど、これ?
「なんの、どうぶつ?」
「……象、です。大きくていいかと。嫌ですか?」
「ううん。わたしのしってる、ぞうさんはつるつるしてるのに、このぞうさんはもふもふだから、ちがうのかなーっておもったの。ぞうさん、せいかい!」
「そうですね。本来、象に体毛はありませんね。大きい、が良いかと象を選んだのです」
「いーよー!ありがとう!」
お兄ちゃん、先生みたい。
わたしがわらうと、お兄ちゃんもえがお。
バッチが、きらきら。
お兄ちゃんも、きらきら。
ーー
「うー」
たのしいばっかりじゃない。
おべんきょう。
きらいじゃ、ないよ。
でもね、ゔー。
たのしいのがいい。
「ぼくの名前を覚えるのはどうですか?」
お兄ちゃんのお名前!
むずかしいお名前!
プレマルジナ
ご本みたいに、きれいな字。
カタカナ、よめるよ!
「ぷれまるじな。どうゆういみ?」
「お兄ちゃん、です」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんなの?」
「そうですね」
お兄ちゃん、にこにこしてるけど、してない気がする。
うーん、そうだ!
「おたんじょう日はいつですか?」
「12月24日、クリスマスイブですね」
「わたしとおなじ!」
「えっ?」
「いっしょに、おいわいしようねぇ」
お兄ちゃん、今度のにこにこは、にこにこ。
「そうですね。お祝い、しましょう」
にこにこは、うれしくて、たのしい。
ーー
おほしさまもきらきら。
あれ?
お兄ちゃん?首、赤いよ?
ちょびっとだけど。
ぬるっとした赤いのついてる。
みず。
お兄ちゃん、なにかいってるけど、
きこえない。
くるしい。
ーー
お家だけど、ガラスのなか。
口に、いたいのはいってる。
ガラス越しのお兄ちゃん。
くるしそう。
わたしが、いいこいいこしてあげるよ。
けど、すごくねむい。
おきたら、いいこいいこするね!
ーー
「ケーキ♪ケーキ♪」
今日はクリスマスイブ。
だけど、私とお兄ちゃんはちょっと違う。
お誕生日。
お兄ちゃんが、ケーキを作ってくれる。
もちろん、お手伝いはするよ。
たまごを割ったり、バターとかしたり。
生クリームだって泡立てちゃう。
泡立て……
はい。無理でした。
お兄ちゃんが、くるくるってして。
あっという間に、ミルクはクリームに変わった。
「へへっ」
私が笑うと、お兄ちゃんも笑顔。
フルーツ切って、
スポンジ切って、
生クリーム塗って、
フルーツ並べて。
スポンジのせて、
生クリーム塗って。
絞り出すの、失敗してぶほって出たけど、
お兄ちゃんがきれいにしてくれて。
お兄ちゃん、すごいなあ。
なんでも出来る。
ーー
ねえ、サンタさん、お願いがあるの。
サンタさん、来るの明日だけど。
お願い、聞いて。
あのね。
ぬいぐるみも、ケーキもいらないから。
お母さん、いなくなっちゃったけど、
お兄ちゃんといると楽しくてうれしいんだ。
だから。
お兄ちゃんと、ずっと一緒にいさせてね。
🔳 三、ドウシィのこと、2
ドウシィのバイタルに異常を確認。
レム睡眠による夢と想定
慎重に軽く頬を叩き、覚醒を促す。
完全ではないが、覚醒に成功。
「ドウシィ、どうしました?」
ドウシィに声をかける。
お兄ちゃん、と声を発し、定まらない焦点で、ぼくを探している。
「?わたし、どうか、してた?」
自分の状態を把握できていない。
徐々に、呼吸、脈拍、血圧の安定を確認。
問題ない。
「うなされてました。怖い夢、見ましたか?」
問診を試みる。
「…わかんない」
言語化が不可能なのか。
夢、を忘れたのか。
後者なら、切迫した問題ではないが。
「夜明けまで、まだ時間があります。眠れないようなら、ミルクを温めますか?」
取り敢えず、体の安定を試行。
「んー、これでだいじょうぶ」
そう言って、ドウシィはぼくの胸に抱き付く。
急速なバイタルサインの安定を確認。
新たなドウシィの情報を上書き保存。
《幼児は、背中を擦ることで落ち着くことが出来る》
ドウシィは年齢的には、幼児ではないが、限りなく近しいものと判断。
極微量の力で、ドウシィの背中に接触。
掌での治療を試行。
ノンレム睡眠に移行を確認。
ーー
「わあお!すごい、すごいねえ!」
ドウシィが希望した、ぬいぐるみ。
大きい動物。鯨か象か適切解が求められず、陸上のものとした。
ドウシィの顔は困惑の色を浮かべている。
「なんの、どうぶつ?」
「……象、です。大きくていいかと。嫌ですか?」
不正解。
「ううん。わたしのしってる、ぞうさんはつるつるしてるのに、このぞうさんはもふもふだから、ちがうのかなーっておもったの。ぞうさん、せいかい!」
体毛。大きさがあれば、素材のことは懸念材料として些末事と判断した。
「そうですね。本来、象に体毛はありませんね。大きい、が良いかと象を選んだのです」
「いーよー!ありがとう!」
『天真爛漫』
ドウシィの表情を解析、早急にアウトプット。
しかしながら、ドウシィの幼児性は些か問題有りと判断。
少しずつ、適応年齢に近付けることを試みる。
彼女は、いずれ妊娠、出産に備えなくてはならない。
ーー
ドウシィは幼稚園年長後期から、小学二年生前半までの20ヶ月、体の治療に費やしていたために、現実年齢との解離が発生したと認識する。
小学一年生初期のドリルを前に、困惑しているドウシィ。
「うー」
唸り声をあげるようなら、効果的ではない。
『気を紛らす工夫』
ドウシィの、好き。
きらきら、ふかふか……
「ぼくの名前を覚えるのはどうですか?」
ドウシィの顔に、笑みが戻る。
プレマルジナ、ぼくの呼称。
この国の言葉ではないことも相俟ってか、ドウシィには覚えることが難しい。
「ぷれまるじな。どうゆういみ?」
「お兄ちゃん、です」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんなの?」
「そうですね」
基本動作の、笑顔を作る。
「おたんじょう日はいつですか?」
ドウシィのデータを呼び出す。
「12月24日、クリスマスイブですね」
ドウシィの誕生日を答える。
「わたしとおなじ!」
「えっ?」
ぼく自身に、誕生日はない。
完全にぼくの失言。
だけど。
「いっしょに、おいわいしようねぇ」
アドレナリンの分泌、表情の高揚を見るに、否定することではない。
ぼくに誕生日はないのだから。
「そうですね。お祝い、しましょう」
ドウシィの表情を映す。
最重要事項と判断。
ーー
兄、を学習、実行するにはぼくの感情ユニットだけでは容量不足と判断する。
感情ユニットの拡張スロットに外部メモリを差し込む。
挿入時、出欠を伴うが、問題ない。
重要事項は、ドウシィを守り、育てるための記録にある。
ーー
「お兄ちゃん!」
大きな声に振り返ると、ドウシィがいる。
激しく、嘔吐を繰り返すドウシィがいる。
バイタルは全て異常数値で、意識も朦朧とした昏睡状態。
現状の打破を優先。
簡易生命維持装置にドウシィを入れ、治療を施す。
微かに開いた目は、ぼくの首を捉え、
微かに開いた口は、
「それ、大丈夫?」
と尋ねる。
血、によるフラッシュバック。
危機的状況。
同時に、最重要任務の指令が届く。
敵弾頭の発射確認、目標第12ドーム。
ここだ。
ドウシィ、目覚める時間には来ているから。
今はこの中で、眠りなさい。
ーー
12月24日。
ケーキを作る。
ドウシィが、嬉しそうだ。
更なる課題の発生、血の嫌悪。
ドウシィ発見時の、トラウマ。
今後の学習手順を再考、ドウシィ用の資料、テキストの用意の必要性。
いずれ、初潮を迎えるまでに解決策を模索、収集せねばなるまい。
🔲 四 プレマルジナのこと、2
お腹の奥で、何かが剥がれ落ちてる。
ごそっと、内側が動いて、
じわじわと痛い。
痛いとか、苦しいとか
そんな簡単な言葉じゃ言えなくて。
三回目の、月経。
血、に弱い私に早くから丁寧にプレマルジナは教えてくれた。
赤ちゃんのお部屋の準備。
分かってても、辛い。
あと何回、こんな目に合うのだろう。
ベッドから出られずにいたら、
プレマルジナが温かいミルクを持ってきてくれた。
のそのそ起き上がって、カップを受けとるけど、口をつける気にならない。
二人して、カップを見つめて。
なんか、変。
「大丈夫、ありがとう」
解ってる。
強がってもプレマルジナには通じないのに。
私の、苦しい顔を映したプレマルジナ。
お兄ちゃん。
プレマルジナは無言で、私のお腹と背中に手を当てる。
そこから、温かい温度が伝わる。
『人』の手の温かさとは、違う。
明かに、熱いプレマルジナの手。
「どうですか?少しは楽になりますか?」
「うん。いつもありがとう」
もう、三回目なのにこの痛みは、苦しさはなんだろう。
初めての時は、プレマルジナが全部用意してくれていたけれど、太ももの経血まで拭かれたときは、流石に自分でしなきゃって、思ったの。
顔色なんて、変わることは無いのは百も承知。
だけど、オンナノプライド?てやつよ。
あの日。
プレマルジナの首から、ホンのちょっとの赤い…血を目にしたとき、私の意識は、止まった。
その後、どうなったかは、プレマルジナに聞いた限りだ。
治療装置に入れられて、眠った。
何一つ、覚えちゃいない。
でも、プレマルジナの帰りを待っていた。
プレマルジナ。
お兄ちゃん。
プレマルジナの首筋が目にはいる。
チョーカーをした、プレマルジナの首。
チョーカーには、あのきらきらのバッチが通してあって、わんこの首輪みたいにも見える。
私は、お腹と背中を温めて貰いながら、プレマルジナの首に手を伸ばす。
「あなたは、きらきらが本当にお好きですね」
バッチ――本当は、タグだよね。
お名前書いてある。
首筋にある、真新しい傷。
また、自分で傷つけたんだね。
多分これは、私のため。
傷に、触れる。
「ドウシイ?」
「これ、今度から私がやる。プレマルジナはやっちゃ駄目」
解らないけど、勝手に涙が出る。
「なんのことです?」
そんな、平気な顔、しないでよ。
「どうしました?涙が出てますよ?」
「プレマルジナ、夜、どっか行くとき、これしてない。朝、傷がないのに、すぐに出来る。どうしても傷つけるなら、私がやる」
泣きながら話すから、途切れ途切れになるけど、プレマルジナなら解るでしょう。
プレマルジナは、じっと私の顔を見ている。
かつん、かつんて、すごく小さい音。
知ってるよ?パソコンが動くみたいな音。
プレマルジナの耳の中から聞こえてきてる。
プレマルジナは、『人』ではない。
暖かい……熱いくらいの手も、
規則正しく動く心臓も、
何だったら、血だって出るけれど。
出会ったときと、全く変わらない姿。
駄目じゃない。
人じゃない、て言ってるのと同じだ。
だから、これは勘。
言ったら、プレマルジナはお兄ちゃんじゃなくなる。
――――ねえ?プレマルジナ、あなたの傷は私がつけたい。
プレマルジナの瞳の奥が、ぎゅっと小さくなる。
「あなたの、望むように」
ほら。
そう言って、おでこにキスを落としてくる。
12月24日。
クリスマスイブ。
プレマルジナと、12回目のお誕生日。
小さな丸いケーキだけが、いつもの食卓と違う。
ずっと、同じ。
私が、同じが良いと言ったから。
プレゼントはいらないと言ったから。
「伴侶?」
突然の言葉に、プレマルジナの顔を見つめる。
「来月、あなたはお嫁さんになります」
「プレマルジナは一緒だよね」
「もちろんですよ、ぼくはあなたといます」
「なら、構わない」
「子供を、産んでください」
さすがに、胸に来る言葉。
プレマルジナの、張り付けた様な笑顔。
「それが、プレマルジナの望みなら」
泣かない。
泣くもんか。
かつん、と音がして、プレマルジナの目がほんの一瞬虚ろになる。
ほんの一瞬で、もとに戻る。
「…行くの、よね」
プレマルジナは睫毛を伏せて、ほんの少しだけ口角をあげて、真顔と笑顔の真ん中みたいな顔を見せる。
いつからだろう、こんな顔をするようになったのは。
「はい……お願いします」
私に背中を向け、首筋を見せる。
チョーカーを外して、傷に触れる。
指に力を込めて、肌を裂く。
ここまではいい。
この肌は、ニセモノ。
この下の穴を隠すもの。
穴に指を入れる。
体が、熱くなり汗が噴き出す。
ぐりっと、中のモノを掴んで引き出す。
穴よりも大きなそれは、引き出すときにどうしても傷がつく。
入れるときもそう。
プレマルジナの顔は、表情がなく口の端だけが僅かにあがっていて、笑っているようにも見える。
言葉なく、私の横をすり抜けると、ものすごいスピードで外に出ていく。
真っ暗い窓に、細い光が走る。
下から、上へ。
私は、手の中の『心』を抱き締めた。
🔳 五 ドウシィのこと、3
両手の温度を上げる。
一旦、四十五度まで上げたあと徐々に下げドウシイの腹部と背部に触れないように当て、熱だけを届ける。
ドウシイが、ぼくの首に触れる。
いつもの行程。
「どうですか?少しは楽になりますか?」
「うん。いつもありがとう」
三回目の月経痛。
三度目の排卵。
彼女には、出産に耐えうる体となってもらわなくてはならない。
四年後には実行の準備を整えなくてはならないが、番う相手の成長を待たなければならない。
彼女は、生存者の中では年長だ。
現在、一番ドームと三番ドームの人間が、同年のため候補となっている。
彼らは、母親を求め教育が捗々しくないとの連絡があった。
痛み、苦しみ、嘔吐。
バイタルサインが激しく変化する。
ぼくにすがり付き、痛みを逃すドウシイ。
ドウシイの柔らかい爪が、時折ぼくの皮膚に刺さり赤い跡を残す。
問題ない。
出血には至らない。
寸時の緩和。
バイタルサインの安定。
ドウシイの指が、ぼくの首のドックタグを弄ぶ。
「あなたは、きらきらが本当にお好きですね」
ドウシイは答えない。
ドウシイの指は、感情ユニットの取り出し口をなぞっている。
高周波成分の消失:約20%減少
イントネーションの滑らかさ:35%低下
「ドウシイ?」
「これ、今度から私がやる。プレマルジナはやっちゃ駄目」
「なんのことです?」
コルチゾール:基準値の150%
塩分濃度:2.5%
ストレスホルモンの分泌――涙。
コルチゾールの急激な上昇に伴う反応。
声帯の震え、呼吸数の変化を検知。
感情分類:悲しみ、怒り、自己否定の可能性
「どうしました?涙が出てますよ?」
口角下制筋の緊張率:85%
眼輪筋の弛緩率:60%
「プレマルジナ、夜、どっか行くとき、これしてない。朝、傷がないのに、すぐに出来る。どうしても傷つけるなら、私がやる」
迎撃任務を見られていた。
本部データベース照会中
……検索結果:該当データなし。
予測モデルの確率解析開始
……確定に至らず。
彼女の反応パターンを過去の記録から解析
……不明
任務プロトコルと照合
……本部命令とは矛盾する可能性、大。
再定義。
試行。
「あなたの、望むように」
たどり着いた、答え。
彼女が望むなら、どんなデメリットもメリットと判断。
『夢幻泡影』
消え入りそうな笑顔のドウシイを捕まえ、額に唇を落とす。
12月24日。
クリスマスイブ。
彼女と行う12回目の誕生日。
現状の報告。
「伴侶?」
瞳孔の拡大。
「来月、あなたはお嫁さんになります」
緩やかに平常に戻るドウシイのバイタル。
「プレマルジナは一緒だよね」
「もちろんですよ、ぼくはあなたといます」
「なら、構わない」
「子供を、産んでください」
計画の共有。
「それが、プレマルジナの望みなら」
涙を堪えるドウシイの表情を写し、自分に投影する。
感情の共有。
本部からの出動要請。
微かな合図の音をドウシイは聞き取る。
「…行くの、よね」
寂しい、の表情。
「はい……お願いします」
ぼくは、ドウシイに背中を向け感情ユニットの取り出し口をさらす。
ドウシイがドッグタグを外し、取り出し口に触れる。
極秘事項の共有のデメリットと、彼女の安定のためのメリット。
ぼくの感情ユニットは拡張メモリを着けているから、既存の取り出し口から取り出すには、取り出し口を広げなくてはならない。
肩に置かれたドウシイの手から、バイタルの乱れを察知する。
肉体、一時の精神の負荷よりも、後の安定のためのリチュアル。
保護対象の確認。
相好を崩す。
敵対象の詳細確認。
リミッター、全解除。
任務終了。
個体活動停止。
3月24日。
十五年生活を共にした、第12ドームから第7ドームへと移る。
緯度:北緯36度21分34秒
経度:東経139度41分20秒
現地点より、約六十キロ地点。
移動車で二時間を所要。
「外、て何もないのね」
後部座席で、象のぬいぐるみに体を預けている、空虚なドウシイの声音。
「そうですね。大事なお体です。到着までお休みください」
「……そうね。着いたら起こしてね」
何のぶれもないドウシイの声音。
ドウシイの安定した呼吸音を聞きながら、感情ユニットをスリープする。
オートドライブで車を走らせる。
ドウシイのバイタルだけに集中する。
「ドウシイ、着きました」
ゆっくりと覚醒するドウシイ。
「似てるね、うちと」
表面の筋肉は、笑顔を作っているが、違う。
「なんて顔してるの、お役目でしょ?行きましょう」
「はい」
「あなたが、選んでくれたんでしょう?なら、間違うわけないわ」
「はい」
出迎えの、セプティマとポステア・プロダクタム。
十七歳。
現存の生存者で、順調に成長している者。
「ドウシイさん、いらっしゃい。こちらはポステマです。宜しくお願いします」
『満面の笑み』の少年。
「セプティマくん?だったかしら?こちらはプレマルジナ・プレイトゥです。こちらこそ宜しくお願いします」
『静かに微笑む』ドウシイ。
ポステマのノイズ。
新個体と適応していない。
ドウシイには影響はない。
「セプティマ。ドウシイと仲良くしてください」
事務的な言葉。
ぼくは如何なる状況下でも、ドウシイの最適を整える。
🔲 六 プレマルジナのこと、3
早花咲月
何て言うけど、花なんてどこにも見えやしない。
「外、て何もないのね」
車の中から覗くだけの風景。
お外。
楽しみにしてたんだけどな。
外は、こんなにも何も無くなってしまっていたんだ。
ぴかっと光った空。
どんって大きな音。
それが、なんだったかなんて、知るよしもないけれど。
すっーと、背中に冷たいものが走る。
ぶんっと、頭を一振して、
ぞうさんのぬいぐるみに、ぽふっと体を埋める。
「そうですね。大事なお体です。到着までお休みください」
大事な体か。
そうよね。
お国のために、子供を産む。
大事よね。
それが、プレマルジナの為なら、私はちゃんとやるよ?
でも…
今度は、ぞうさんに突っ伏しながら頭を降る。
いや、やるんだ。
それが、多分プレマルジナの為なんだ!
なら、今やることは一つ!
無事に第7ドームに引っ越すこと!
「……そうね。着いたら起こしてね」
思い切り澄ました声で答えてみる。
ふと、運転席から身をのり出してこちらを見ているプレマルジナが目にはいる。
ぞうさんに埋もれている私は、そのままじっと薄目でプレマルジナを観察する。
すっとプレマルジナの手が伸びてきて、私の頬にかかった髪を耳に掛ける。
ねえ。
この微笑みは、私を写した顔ではないよね?
プレマルジナの微笑みだよね?
寝返る振りをして、顔をぞうさんに埋める。
ねえ?
「ドウシイ、着きました」
あのまま、熟睡で到着。
眠る前に見えた微笑みは、幻だったのかな?と思うほど通常運転のプレマルジナ。
ドームと呼ばれる建物を見上げる。
「似てるね、うちと」
車は建物の中に入り、車外に出る。
暗かった景色は、途端明るくなる。
「なんて顔してるの、お役目でしょ?行きましょう」
感情ユニットを取り外した直後みたいな、張り付いた笑顔。
「はい」
私は、プレマルジナの頬に指先を触れ、
「あなたが、選んでくれたんでしょう?なら、間違うわけないわ」
と、強気の言葉を伝える。
気付くかな?
「はい」
気付くわけ、無いか…
セプティマくんとポステアさんがお出迎え。
ん。セプティマくん、十七歳。
五歳下。
セプティマ“くん”で、感じ。
ごめんね。
「ドウシイさん、いらっしゃい。こちらはポステアです。宜しくお願いします」
明るく微笑む少年の目尻に、涙の跡を見付けて、ああ、この人とは上手くやれるかも、と思った。
彼は、きっと…
「セプティマくん?だったかしら?こちらはプレマルジナ・プレイトゥです。こちらこそ宜しくお願いします」
私に渦巻く、押さえきれない感情を、笑顔で蓋をする。
いつか。
プレマルジナと同じの筈のポステアさんの、動きに違和感はあるけれど、それは悪いものではない、と確信できる。
だって、ポステアさんは、プレマルジナと同じだから。
「セプティマ。ドウシイと仲良くしてください」
プレマルジナのいつもより滑舌よく響く声音にびくっとする。
私の思惑、ばれてないよね?
セプティマくんは優しくて、何の滞りもなく粛々と寝屋を営んだ。
多分、最初で最後の女が私で、ごめんねと思う。
でも、セプティマくんならきっと分かってくれるよね。
子供!大変!!
ポステアがいてく無かったら、きっとプレマルジナに当たってる、物理で。
ポステアは、こんな風にセプティマを育てたんだな、て解る日々。
「お乳は、ドウシイにしかあげられませんよ」
って、私までフォローしてくれる。
全く、スゴいよ、ポステア。
プレマルジナは、さすがに乳幼児からの育成は門外漢みたいで、セプティマよりおろおろして見えるのは、きっと私の欲目だ。
子供が五歳になったとき、彼はどこかに連れていかれた。
きっと、彼のポステアが待っているのだと思う。
なので、いよいよ決意の時が来たのよ。
「離婚?てことになるのかな?しませんか?」
私の言葉に、セプティマは驚きもしない。
「いつか、言われると思ってましたよ」
優しい笑顔で答えてくれる。
「ぼくが、ポステアに寄せる想いと、あなたが、プレマルジナに寄せる想いはとても似ていると思ってましたから」
「うん。」
「ぼくには、感情ユニットを外した後の、感情を置いてきているポステアにしかプロポーズ出来ませんでしたが、あなたは違いますものね。だから、同じとは言いません」
感情ユニットを抜く、つまりは感情を無くなる瞬間に共にいる。
これは、私が選んだ事だ。
「幸せに、なれますか?」
セプティマは眉を顰めている。
「プレマルジナがいることが幸せなので、幸せだと思います」
外。
未だ、人が住める状況では、まるでない。
「それでも、ぼくはあなたの幸せを祈らせて下さい。ぼくの、ために」
「勿論です。ありがとうございます。あなたも、お幸せに」
私たちは、子供こそ産み育てたけれど、仲間…違うな、同士だと感じた。
愚かに見える恋情に、絆された愚か者。
「なぜこの日なの?」
セプティマが訪ねる。
プレマルジナと見つめ合う私。
「今日は、ふたりの誕生日だからよ」
今日はクリスマスイブだ。
「あなたの望むままに」
プレマルジナの、聞きなれた台詞。
プレマルジナの手が、暖かい。
いつもの、私の辛い時の暖かさ。
私は、そっとプレマルジナの腕にもたれた。
◆ 七 ドウシィとプレマルジナ
緯度:北緯36度45分29秒
経度:東経139度35分56秒
本部位置確認。
現在地より所要徒歩一時間。
ブースト。
十五分で到着予定。
ドウシイのバイタルが異常数値を叩き出す。
体温が四十度を越える。
感情ユニットを外せば最速は可能だか、後々を鑑みると適切ではない。
感情ユニットを外した状態て、本部に立ち入れば、ドウシイはぼくと居られなくなる。
それは、ダメだ。
脳に鳴り響く警告音を、解析もせずただ本部に向けて、走る。
ドウシイを一刻も早く助けねば!
「幸せ」てなんだろう?
熱に冒された頭はそんなことばかり考えている。
ぐるぐるぐるぐる。
あのまま、第7ドームにいた方が良かったのかな?とも思う。
こんなにも、私の体はポンコツなんだ。
“外”を甘くみてた。
プレマルジナの背中。
ゆさゆさ揺れて。
このまま、何処か行きたいねって、行ってるのか。
どこにも向かってるんだろう。
ゆさ、ゆさ、ゆさ。
心地よいリズム。
ごめんね、プレマルジナ。
目蓋が重くて、開けてらんない。
ごめんね、プレマルジナ。
私の、愚かな我が儘に付き合わせて。
目的地、到着。
真っ直ぐに、生命維持装置のある部屋へ向かう。
警告音がいくつも鳴り響く。
ぽくへの直接の警告音。
命令無視。
保護対象異常。
不法侵入。
状態異常のドウシイを優先してくれている。
ドウシイが以前、ここで入っていた生命維持装置の動作を確認。
使用可能。
速やかに安置。
稼働。
ガラス越しのドウシイは青く、極めて危険な状態。
微かに目蓋を開け、ぼくを探す。
『雪中松柏』
ドウシイは漸く意識を手放した。
跡切れ跡切れの視界。
逸れさえもぼんやりしてて。
睫毛越しの景色なんだ。
急に明るくなって、プレマルジナの背中から下ろされて、不安になる。
装置の中だ、って解るけど、プレマルジナの背中の安心感を私は求めている。
ガラスの蓋が閉められる。
ガラス越しのプレマルジナ。
泣きそうに見えて、笑っちゃった。
そんなわけ、無いのにね。
頭の中に、直接言葉が響く。
聞いたこともない、機械音。
「何故、逃ゲタ」
逃げた?誰が?私?
「生存者番号12ト、附随人工生命体」
12…私のことかしら?附随って失礼ね。
プレマルジナはプレマルジナよ?
「ドーム外ハ危険。何故出タ」
……んー。希望的何かがあるかも知れないと思ったから?としか言えないけど、納得はしてもらえないだろうな。
唐突に、キケン、ホゴタイショウ、ケイカク、色んな言葉がいっぺんに頭の中に飛び込んでくる。
分かんないよ!一人ずつ言ってよ!
「…命令違反、任務放棄ニヨリ、対象人工生命体ヲ、シカルベキ処分トス」
人工生命体?プレマルジナ?
処分?
駄目…駄目…
「嫌よ!!!」
言うと同時に、口の中に液体が入り、苦しい。
ガラスの蓋が開いて、プレマルジナを直接見る、のに私は咳き込むことも出来ず、苦しい。
至って冷静に処置をしてくれるプレマルジナ。
ん。変わらない日常。
変わった、場所。
「嫌よ!!!」
ドウシイの声がする。
流動食を吸い込んで、呼吸困難に陥っている。
装置のカバーを開ける。
視界に直接ドウシイを納める。
各バイタルの正常を確認。
呼吸の安定を試みる。
「プレマルジナ!」
ドウシイが、ぼくの首に抱きつく。
「怖い夢、見ましたか?ここにはミルクがありません」
夢で魘されていた時と、同じような状態を察知したので、同様に処置したいが、ここにはドウシイを完全に安静へと導けるものが足りない。
「これで……ううん。これが良い」
ドウシイはぼくの手を握る。
手の先に、温度を集める。
ドウシイの全ての状態が、平常安定状態を確認。
ドウシイは、自分の頬にぼくの手を這わせ、目を閉じている。
限りなく睡眠に近い状態。
突然、ドウシイのバイタルが異常を放つ。
興奮、怒り、悲しみ。
あらゆる不の感情を孕んで、ドウシイの表情は見たことの無いものへ変化している。
「どうしました?」
ドウシイの頭に触れる。
介入を察知。
本部との直接の接触を図られていた。
「プレマルジナ!」
名前を呼んで、抱きつく。
頭の中に響いた、処分という言葉。
今更ながら、自分の行動が如何に浅慮だったと思い知る。
「怖い夢、見ましたか?ここにはミルクがありません」
ミルクって……何時までも幼いホゴタイショウなんだなって確信しちゃうじゃない。
「これで……ううん。これが良い」
プレマルジナの手を取る。
察したプレマルジナの手は、平熱から暖かいものへと変わる。
暖かい。
それがたとえ、作られたものとしても。
プレマルジナは暖かいのよ。
自分の頬を包むように、プレマルジナの手を握る。
暖かい。
このまま死んじゃえば幸せなんじゃない?
なんて、何の解決にもならない言葉が浮かぶ。
「ソレハ許容デキマセン」
またあの声。
もう、折角人が幸せな気分でいるのに邪魔しないで欲しいわね。
「……No.12、アナタニハ、マダスルベキ事ガ、アリマス」
子供なら産んだわよ。
これ以上、何させるのよ。
「No.12、アナタノ安全ヲ最優先トシ、懐胎ノ予防措置ヲ推奨」
……私の安全?
プレマルジナは、どうなるのよ。
「人工生命体ハ不必要。ココノ守リハ鉄壁デス」
プレマルジナは、どうするのよ!
「……」
黙るな!
「どしました?」
柔らかな、いつものプレマルジナの声がする。
見上げると、いつものプレマルジナがいる。
「脳に直接介入されると、ドウシイの体に触ります!出て来られて下さい!」
監視モニターに向かって、プレマルジナが淡々と話す。
私を後ろから、しっかりと抱きしめて…
ドウシイを背中から支えて、脳への直接介入の、身体負担リスクを計算する。
ドウシイの意識が散漫としている。
直ぐにでも、安静を促したい。
「計画続行ニ懐胎ノ予防措置ハ不可欠デス。No.12ノ身体的負荷ヲ考慮シタ最善解トミナシマス」
モニター越しに、聞こえる声。
ドウシイの手が、痛みを訴える時のように、ぼくの腕を掴む。
「ワレワレハ最善ノ手段ニヨリ、No.12ノ身体ニ負担ナク施術シマス」
ドウシイが、探るようにぼくを見る。
同期信号の著しい低下。
最適解の試行を、ノイズに阻まれる。
ぼく単体で行動可能な事。
ドウシイが転倒しないように支える。
「No.12、永続的ニ卵子供給ヲ命ズル」
すっとドウシイの体から緊張が無くなる。
ぼくの体で、自分の体を支えている。
ノイズの量が増える。
「それで!プレマルジナをどうするのよ!」
ドウシイには稀な、張り詰めた声。
かつん、と外部メモリが動く。
「命令無視、職務放棄、処分…」
「処分なんかしたら、ぶっ壊すわよっ!」
「え?」
「私が!卵子をあげれば良いんでしょう?!取れば良いじゃない!!でもねっ!プレマルジナを処分するのは許さない!」
かつん、かつん。
検索、照合、再試行、解析。
重い。
そのどれにもノイズがかかって最適解が見えない。
泣きじゃくっているドウシイを、止めさせるべきなのに。
血圧も、呼吸も、脈拍も全て乱れきっているのに。
かつん、かつん。
「あなたの望むままに」
プレマルジナの声がする。
プレマルジナの視線は固定されて、何も映していない。
感情ユニットを確認するため、プレマルジナの首筋に指を這わす。
ある。
外れたわけでは無い。
「プレマルジナに何をしたの?」
思い切り、監視モニターを睨み付けるけど、相手の反応なんて分からない。
「ナニモシテナイ」
その言葉に、ぷつんと切れたような、ぱちんとスイッチを押したような音が私の中でした。
絞り口のクリームが、ぶほって飛び出すみたいに、口の中から言葉が飛び出す。
「ずっと一緒にいるんだから!ずっと二人でいるんだから!絶対、離れないんだから!」
止め処無く流れる涙。
まるで要領を得ない言葉。
当然だ、考えてないもの。
静音。
私の呼吸音と、何か機械が動いている音。
でも、自分の涙が落ちる音さえ存在しそうな寂。
かつん。
かつん、かつん。
見たことの無い、初めて見る優しい顔で笑うプレマルジナ。
ああ、何て事だ。
「極メテ危険ナ興奮状態ヲ察知。精神安定ニ必要ナ措置ヲ実行」
優しい笑顔のプレマルジナだけを、脳裏に焼き付ける。
絶対に忘れないから。
ドウシイの体がぐったりと重くなる。
脈拍、初めバイタルは正常。
鎮静状態。
ぼくは、ドウシイの体をしっかりと抱きしめた。
◆ 八 ドウシィとプレマルジナ
ぴかって、そらがひかって。
どぉんって、おっきなおとがして。
それから、それから。
きらきらの、バッチ。
ぽふってする、ぞうさん。
ぼふってなった、クリーム。
それから、それから。
ああ、そうだ。
プレマルジナの綺麗な笑顔。
優しく綺麗な私だけに向けられた
プレマルジナの微笑む顔――
――――――――
「ユニット型式プレマルジナ・プレイトゥver.Ⅻに告ぐ。
No.12に関する保護管理義務に於いて、未許可行動を、重大な計画阻害と認定。
以下に措置に準ぜよ。」
「ver.Ⅻの言動は統制、秩序の乱用とし、脳への直接介入で、貴重なる人類を害するかの言動、許されまじ……主命への明確なる反逆行為に匹敵する。よって……」
「一、ユニット型式プレマルジナ・プレイトゥver,Ⅻは感情ユニットの制限、我が指揮下での機能優先とする。
二、No.12の心理的安定を維持するため業務継続。但し、直接的な交流及び接触は禁ずる。
三、当該ユニットの活動は、我の厳重監視下にて、No.12が安全に『計画』完遂することによって終了とする。」
「尚、No.12の状態が『不安定』と見なされた場合、ユニット型式プレマルジナ・プレイトゥver.Ⅻは、即時最終停止措置の実行決行とする。」
…………要するに、今まで通りと言うことか、ぼくは頭に響く声に答えた。
「ユニット型式プレマルジナ・プレイトゥver.Ⅻ、現個体に異常無し。適合率問題なし。宥免により外部脅威対応を解除とする。但しこれ以降、現個体にて活動限界まで機能せよ。感情ユニットの修復、及び個体の修復は自己責任にて行うこと」
……要するに『老いる』と言うことか。
問題ない。
ドウシイの部屋へ行くと、彼女はベッドに座っていた。
彼女はぼくに気が付くことはない。
頭部に被せられたシールドに阻まれた、彼女の顔色を伺うことはできない。
彼女のバイタルは、至って落ち着いている。
若干のストレスは致し方ない。
彼女を抱き上げ、椅子に座らせる。
怯える様子も言葉も、ない。
椅子に座らせたまま、全身清拭をする。
身を捩らせるが、構わず行う。
新しい寝巻きに着替えさせる。
敷布を取り替え、ベッドメイクする。
再び彼女を抱えベッドに横たえると、
「ありがとう」と小さく言う。
下腹部に掌を当て、温波を当てると、彼女の唇の両端がわずかに上り、微笑みを見せている。
毎月、施術の前後三日……一日二十分だけがぼくらに許された時間だ。
日に日に軽くなっていく体。
針の跡で青黒くなった腕、
シールドから覗く、白く伸びた髪。
明日は、爪を切ってあげよう。
ぼくは部屋を後にする。
ぽかぽかする、お腹。
ずんと、重たいお腹がほんの少し軽くなる。
ほぉーと、温かい背中。
知ってるよ。
知って……お母さんだっけ?
そんなわけないか。
お母さんはずっと前からいない。
だあれ?
綺麗な笑顔をしてるみたいなのに、影になって見えないよ。
首に、きらきら。
ぽかぽか。
あれ?ふわふわはどうしたろう?
ぼくの頭に三十年の年を経て、声が届く。
「生存者No.12、本日をもって役目を終了とする。ユニット型式プレマルジナ・プレイトゥver.Ⅻに告ぐ。役目を完遂されたし」
走ってドウシイの部屋に急ぐ。
シールドのないドウシイの顔。
加齢による面変りは否めないが、ドウシイがそこにいた。
ベッドに座り、ぼくを見ている。
困惑。
「お兄ちゃん、だあれ?」
掠れた声で、五歳の頃のような口調。
「プレマルジナです」
「プレ……むづかしい。お兄ちゃんで、いい?」
「勿論です、ドウシイ」
「ドウシイ?だあれ?わたしね、むつかっていうの。むっつの花でむつか。雪って、意味なんだよ」
「クリスマスイブがお誕生日だものね」
「どうして知ってるの?」
「ぼくも、同じだから」
「ホント?すごーい!いっしょにお祝いできるね」
「ケーキを焼こう」
「ケーキ!作るの!?」
「そうだよ。大きな象のぬいぐるみも用意するよ。ぽふってできるやつ」
「ほんと?」
「ああ、あなたの好きで埋めよう」
ドウシイの指が、ぼくの首に伸びる。
「きらきら!」
ぼくは首のチョーカーを外し、ドウシイに着ける。
「いいの?」
「構わないよ」
「へへ……あのね、わたし、ここ、いや。お外に出たい」
「いいよ、行こう」
座っているドウシイに手を伸ばす。
三十年の病床生活で、立つことが出来ず、よろける。
「いいよ、背中においで」
「おんぶ!」
ドウシイを背負って、部屋を出る。
「へへ、あったかい…………お兄ちゃん?首、どうしたの?傷があるよ」
ドウシイが触れたのは、感情ユニットの取り出し口。
彼女のつけた傷は疾うに自然治癒している。
「痛い?」
「痛くないよ、ありがとう」
建物の外に出て、ドームの作られた空を見る。
「お兄ちゃん、わたし眠たくなってきたの」
「もう少しだけ、お話ししようか?」
「いいよ!」
庭にある、ベンチに腰かけ、ドウシイを膝に乗せる。
「赤ちゃんみたいだよお」
「冷えますから、このままで」
「ゔー」
幼い頃の癖。
散り散りの破片が、最適化される。
がこっと激しい音が、脳に響く。
外部メモリの剥離を確認。
途端、感情ユニットから溢れ出すストレージの断片。
「お兄ちゃん、痛い?」
「痛くないよ」
「だって、泣いてるよ?悲しい?」
「ホントだね。でも、悲しくないよ」
「さみしい?」
「…………嬉しい、かな?」
ぼくはドウシイの唇にキスをする。
真っ赤になって、目を見開いて。
「あのね、わたし、お兄ちゃんのお嫁さんになってあげるよ!」
「あなたの望むままに」
「“あなた”って。大人みたい!」
「いや?」
「いやじゃないよ。お兄ちゃんの“あなた”て声。すき!」
「良かった」
「へへ」
『破顔一笑』
照れながらも、ぼくの涙を手で拭ってくれる。
その手が、力を失い落ちて行く。
「ねむい……」
「……おやすみ」
ぼくの胸に頭を乗せ、静かに眠る。
「ぼくは、いつでもあなたの最適解を探します。これがぼくの最適解です」
ドウシイを抱き上げ、ドームの出口へと走る。
頭の中に、警告音が鳴り響く。
ドウシイを渡せと、警告音が鳴り響く。
走って、走って。
ドームを出て、数キロ走ったところで、ぼくはドウシイを抱きしめたまま、体内にある自爆装置を稼動させた。
◇ エピローグ:再起動ログ:Remnanta
システム再起動中――
メモリ最適化処理中。
断片データ検出。
== CONNECTION ALERT ==
> > 中継ソース:プレマルジナⅻ(Visual-Feed)
補足:外部感情ユニット拡張ポート = 接続解除(強制)
== 監視補足ログ:==
――状態異常:外部メモリ剥離
――影響:プレマルジナ内部演算域へ記憶フラグメント再構成信号流出中
――推奨:視聴継続/干渉不可
== 本現象に関する類似事例:存在せず ==
== 推測演算不可:演算過負荷を回避するため一部ログ記録を省略します ==
映像再生中――
映像がざらつき、断続的なノイズが走る。
少女の笑顔が、時折、映像のひずみに混ざって見える。
――――破顔一笑
「お゙兄ちゃ゙ん゙、痛い゙?」
「痛くな゙い゙よ゙」
「だっ゙て、泣い゙てる゙よ゙?悲しい゙?」
「ホン゙トだね゙。でも゙、悲しくな゙い゙よ゙」
「さみ゙しい゙?」
「…………嬉しい゙、かな゙?」
――――――――――――――――喜色満面
「あ゙の゙ね゙、わ゙たし、お゙兄ちゃ゙ん゙の゙お゙嫁さん゙に゙な゙っ゙てあ゙げる゙よ゙!」
――――天真爛漫
「あ゙な゙たの゙望む゙ま゙ま゙に゙」
「“あ゙な゙た”って。大人み゙たい!」
――――――――手舞足踏
「いや゙?」
「い゙や゙じゃ゙な゙い゙よ゙。お゙兄ちゃ゙ん゙の゙“あ゙な゙た”て声。すき!」
――――――――――――夢幻泡影
「良かった」
「へへ」
『破顔一笑』
断片ログ再生終了。
== 生体監視ログ:No.12 ==
――主要バイタル:心拍/呼吸/脳波 → すべて反応なし
――状態分類:Non-reactive(静止)
観測終了プロトコルに移行
「ぼくは、いつでもあなたの最適解を探します。これがぼくの最適解です。」
――記録断片終了――
システム再起動完了。
記録Ⅲ:ウノスとトレサ
⚫️記録III-1:はじまり
理性の切れる音がした。
その日、彼に振って湧いた些細な出来事は、それまで押さえていた理性をぶち壊した。
そこからは、俯瞰。
己の行動が、まるで幼い頃に見た創作物だった。
己の欲望と衝動の赴くままに行動した。
世を儚んだ彼は、世界と心中を決め込んだ。
彼は、世界の命運を握る術を持った人物だった。
俯瞰の彼は、世の行く末に一抹の後悔は有ったが、止める術は無く――――否、止める気も無く、ただ眺めていた。
然して世界は炎に包まれた。
指の1本で始まった争いに、地上の全ての国は後手に回った。
対処も出来ずに大過に飲まれゆく世界。
手出しも出来ぬまま、灰となって消え行く世界の、なんと脆いことか。
そんな中、唯一防戦を掲げていた国が、あった。
今後、大戦など有り得ないと、創作に長けた国の、限りなく慰みに近い本気で用意されたモノ。
人々の嘲笑に晒されながらも、それに携わったもの達はいたって真剣に作り上げ、そして、起動させた。
――――急激な人工現象を把握。
生命至上国家存続プログラムを開始。
緊急バックアップ体制を起動。
全プログラムを緊急転送。
全機構配下ユニットに告ぐ。
最優先事項、生存者の保護及び警護。
如何なる外敵要因より生存者の生命の保護を優先。
その事項厳守の解釈は各ユニットにて随時最大限に拡張せよ。
──────────────
なーんて、事が起こって今現在、生存している人間は私を含めて、十二人だとか。
まあ、前半は私の妄想だけど。
トレサ、七歳。
知っとくべき事は知っときなさい、とプレマルジナとお父さん……人工頭脳から口酸っぱく言われ続けている。
愚かなる人にはならぬように、て言われるけど、産まれてこの方、人工頭脳としか会話してないから愚かが何なのかも理解しかねる。
目が覚めたとき、というのかな。
ガラスのなかで、私は液体に漂っていた。
アムニオンで満たされた器。
緑色の光が、ぽつぽつと光っていて、暗い部屋のなか、プレマルジナとポステアがいた。
今でこそ、よく液体のなかで目が開けられたのだなと思うけど、その時私は三才でただ暗いなと、思っていた。
私の頭の中には、既に基本的学習は施されており、三才で目が覚めるなり、辺りが『暗い』こと、光が『緑色』であることを理解していた。
そして、もうひとつの器に入っている男の子、トレィスがいた。
「おはよう。気分はどうかな」
頭の中に、声がする。
そこに立っている、ポステアとプレマルジナのものではないらしい。
二人は微動だせず、そこに立っている。
「我はこの国の中枢なるもの。お前達を作りしもの」
基本的――と言っても十歳児程の学習がされていた私は、記憶をたどる。
子供を作る男のヒト、よね?
それって、
「お父さん?」
私がそういうと、声は沈黙した。
暫く、ピーとか、かたかたとか記憶媒体の動く音がしていた。
今となっては、内部プロトコルで即時処理不能 になってたのかなーとか考え付くけど、その時は黙っちゃったから、間違ったかな?としか思わなかったよ。
「お父さん……」
“声”は、そう言って。
ホント、今さらなんだけど、ポステアとプレマルジナが不思議そうな顔をしてた気がするよ。
多分、気のせいだけど。
でもそれが、生命至上国家存続の為の国家特別特使――――適応型汎用知性制御中枢T-IPrimaGeneralo――――『お父さん』とのファーストコンタクトだった。
器、は母体無き人工受精のお腹で、私たちは安定するまで余裕をみて、三年の間その中で育てられた。
器から出した処で、乳幼児の育成は困難だと判断したらしい、とお父さんが教えてくれた。
器からトレィスと出して貰って、お風呂に入れて貰って服を着る。
ずっと裸でアムニオンに浸っていたから、なんだかむず痒かったけど、直ぐに慣れた。
プレマルジナ曰く、私の学習能力は至って高いとのことだ。
ここにはいないけれど、別の処には他に十人の子供がいるらしくて、その子達と比較されて、の事だけど、いない子と比べられても、ねえ?
でも身近なトレィスを見てると、分かる気はするのよ。
同じ年とは思えないもの。
ある日、ポステアが読み聞かせてくれた、絵本。
器の中でも聞いてた話だったけど、トレィスがぼくのママは…って泣き出した。
いるわけ無いのに。
いや、いるにはいるか。
でも、そんなもの求めた処で、ママは後から出来ない。
泣きじゃくるトレィスを、ただぼーっと眺めていたら、プレマルジナが抱っこしてくれた。
んー。悲しんでるとか思われたのかな?
ポステアが困ってるから、泣き止めば良いのに。
頭の中に、お父さんの声がする。
『大丈夫か?』
「何が?」
『……寂しいか?』
「何で?お父さんも、プレマルジナもボステアもいるのに。寂しいてわかんない」
『そうか。プレマルジナにパンケーキでも焼いて貰いなさい』
「わぉ!プレマルジナ!パンケーキ作ろう!!トレィスの分も作ってくるね!ポステアも!一緒に食べよう!」
って、気をそらそうとしたけど、トレィスはポステアにしがみついて泣いてた。
そんな感じで、器から出た後の生活は、お勉強もそぞろに、泣いてるトレィスばかり見ていた気がする。
ので、次第に別々にいることが多くなった。
私はお父さんのそばで、色々教えて貰う方が有意義だったし、プレマルジナの他の子の話って云うのも、楽しみが見出だせていた。
そして五歳になった時、トレィスは第三ドームに移っていった。
ここから、600キロは離れていて、もう再び会うことはないだろう、とプレマルジナに言われた。
車で一日かかる距離とか、想像もつかない。
冬は、ここより寒くなるって、向こうでもトレィスはずっと泣くんだろうか?
「…………プレマルジナ!今日は味噌田楽の気分っ!」
二人で食べた味噌田楽は、美味しかったです。
そして、遂に今。
私は七歳になっていて、お父さんが慌てる様子を眺めていた、
「どうしたの?」
『第一ドームの生存者が、生身で外に出たとの連絡があったんだ……』
「バカなの?」
『他の子達は、トレサ程知識を身に付けてないのだよ』
「なぜ?」
『子供……だからだよ』
私は?て聞きたかったけど、聞いちゃいけない気がして。
だったら、
「ねえ?お父さん?私、その子に会いたい!」
お父さんは盛大にかたかたかたかた音を鳴らすし、プレマルジナは湯葉の鍋を落としそうになったよ。
勿体ない。
⚫️記録III-2:ひだまり
どこまでも、何もない。
赤錆た、景色。
黒い、空。
ごおごおと、知らない音が耳を塞ぐ。
嗅いだことのない臭い。
ピリピリした空気。
内側から引き裂かれそうな、強烈な痛みが胸を走って、
息が出来ない口から、涎がだらだらと出て、
目から涙がぼたぼた落ちて、
前にも後にも進めなくて、
そんな中に平然と立っているポステアが、
「ヒーローにはなれますか?」
と冷静にいい放つ。
ヒーローって、何だっけ?
あれからおれは、2ヶ月の間、生命維持装置の中に閉じ込められた。
所謂、生命の危機というやつで、死にかかっていた、らしい。
おれには当然、その時の記憶はない。
目が醒めて、装置の蓋が開いた時、ポステアが抱き締めてくれた。
「良かった」と、言ってくれた。
初めて、ポステアに触れた気がした。
それが、一年前。
おれは、車内からその景色を眺めている。
この壊れた世界で、車が動いているのは、本部で特別に作って、今の環境に適応してるからだって、ポステアは言う。
だけど、そもそも、外にちゃんと出るのも、乗り物に乗るのも、これが初めてだ。
安全な車内から外を眺めていると、あの時の痛みが蘇る。
「眠っていたら如何です?まだ、先は長いですよ」
あれからポステアとは距離が縮まった気がする。
おれが頑なに拒否していただけなのかと思い知る。
「…ん、見てる。おれのバカさを心に刻むよ」
「ヒーローにはならないんですか?」
「ポステア……」
「ウノスは、偉いですよ。反省出来るのですから」
褒められてる気はあまりしないが、
「ありがとう」
とだけ言っておく。
ポステアには、多分すごく面倒をかけている自覚はある。
彼女はいつだって平然とした顔を崩さないけど、見守ってくれているのは流石に解る。
もう、殆んど消えているママの記憶。
優しかったり、恐かったり、楽しかったりしたはずなのに、ママの顔はいつの間にかポステアに変わっていて思い出せない。
解るのは、違うということだけだ。
「こう見えても、去年より随分きれいになってるんですよ。数値的にはまだまだですけど」
戦争と言うには、あまりに一方的な攻撃で人は一時間もしないうちに無くなってしまったらしい。
「いつか、昔みたいに走り回れるのかな?」
走り回った記憶なんてないけど、何となく口にしてみた。
「そうなりたいですよね」
ポステアは、希望は無いかのように答えた。
「ならないの?」
「そうなるように、取り組んでいらっしゃいますよ」
「……誰が?」
「適応型汎用知性制御中枢T-IPrimaGeneralo。私たちは本部と呼んでいます」
長くて聞いただけで覚えられない。
本部――昔見たヒーローものみたいで、ワクワクと、忘れたいことを思い出す。
今、向かっているのが、その本部なわけだけど。
「おれは、何故本部に呼ばれたの?」
「本部にいる、トレサの希望です。もう四度目ですよ」
理由を聞きたいのに、教えてはもらえない。
何故、そのトレサとやらがおれに会いたいのかが知りたいのに。
それから、車中で1日過ごし、中休みに途中にあるドームに拠った。
ポステアは、おれの手をしっかり握って、勝手に動かないようにしているみたいだ。
「もう、勝手には動かないよ」
「それはそうですが、ここは今までいたドームとは違います。あなたを認識しない恐れがある。連絡は入っている筈ですが」
「どういうこと?」
「ここは、防衛基地です。わたしたちより、機械的に動くモノしかありませんから」
おれは、ここに入ってから気になっていたことをポステアに尋ねる。
「だから、空が赤いままなの?」
「…そうですね。防衛基地には装飾する必要がないと、青い空はありません」
空を偽る必要がない。
ここに誰かいるなら、人とは違うということか?
「ずいぶんハッキリ言うんだね。じゃあ、ドームの形が歪なのもそうなの?」
『そうですよ。あなた方以外に、体裁を整える必要がないのです。ハッキリと言うのは、――半端な答えをしたら、ウノスは興味を持つでしょう?それは、今は避けたいです』
「本部に行かなきゃだから?」
「その通りです」
トイレを借りて、一息つき、軽く眠ってからそのドームを後にした。
そのドームで、人を見ることはなかった。
幼い頃に見た、いっぱいの子供やたくさんの大人――あれらは全て、失くなってしまったのだと思い知る。
「何で、失くしてしまえるのだろう?」
「…………どういった返答を望みますか?理論的なもの、感情的なもの。それによって答えは随分と変わりますけど」
「ん、難しい答えになるなら、どっちもいいや。答えを聞いたところで、失くなったものは戻ってこないだろう?」
「………そうですね…」
しんみりさせるつもりもなかったんだけど、おれも正直どんな答えが欲しいかなんて分からないんだよ。
「トレスなら、探せるかもしれません。彼女は、下手をすると私より世の中に関する知識があるかもしれません」
「そうなの?ポステアは会ったこと無いでしょう?ずっと、おれといたんだもん」
「連絡網があるのですよ、コアリンクって言います。リアルタイムで生存者の情報は共有できます」
「今日は随分とおしゃべりだね。……って待てよ。じゃあ、おれのあの事も……」
「ちゃんと共有されています」
はあ、と大きなため息が出る。
あの事――外へでて、生死を彷徨った事を知ってるんじゃ、カッコつけも出来やしない。
始めて会う女の子に、一体どんな顔をすればいいんだろう。
「着きましたよ」
山奥のそこは、おれがいたところとは違った様相をしているけど、どこか似ていて、途中で立ち寄ったドームには無かった、格段にきれいな空が映し出されている。
「はじめまして」
そう言って近付いてくる、子。
女の子。
初めてみる、女の子。
ちっさくて、動いているのが不思議で。
なんだか、きらきらしてて。
「う、ウノスれすっ!」
て、思い切り噛んじまった。
⚫️ 記録III-3:いしずえ
「で?生身で外に出るとどうなるの?」
トレサからのこの質問は一体何度目だろう?
ここに来て三年、おれは、十六歳、トレサは十一歳になっていた。
「目はどろどろで落ちそうだし、口からは涎がぼたぼた止めどなく出るし、胸は息が出来なくて引きちぎれそうに痛いし……この話、そんなに面白いか?」
きらきらした目で、おれを見つめるトレサに訊ねる。
「うん!だって外の事を情報で知ってたら、絶対、出てみようなんて思わないもの!」
これも、幾度となく繰り返された答え。
はあぁぁ、溜め息しか出ない。
「…私と話すの、いや?」
そんな目で見られたら……はあぁぁ。
黙ってれば可愛いのに何て口にした暁には、おれが泣くまで攻め立てられるから言わないでおいてやる。
──────────────
だいたい、今地上に生きている人間は十二人です、って言われても、そもそもが私が初めてあった人間はトレィスだ。
十二人のうち、二人がここにいるって飛んでもないことだと思った。
五歳にもならないうちに、その事実を重く受け取ってしまって、トレィスみたいにびぃびぃ泣けなかった。
トレィスは、遠くに行ってしまったけど、
プレマルジナやお父さんとの生活は苦ではないけれど、
――――面白いを実感したくなった。
プレマルジナも、お父さん達も、私を楽しませようとしてくれるけれど、一緒に『面白い』を『楽しみ』たいと思うの。
我が儘なのかな?と諦めていた時、
見つけたのよ!
面白そうを!!
ウノスを!!!
──────────────
――――「そういえば」
と、プレマルジナが口を開く。
トレサに付き添っている、おれと共にあるポステアの存在。
トレサに教えてもらって、知ることになった人工生命体という存在。
「何を言う気?」
トレサが冷めた表情を見せている。
…………おや?珍しい。
「そこにある、通気口にトレサは、饅頭を捩じ込んでましたよね」
「プレマルジナ!」
「ウノスばかり茶化すのもフェアじゃないでしょう?ちょっとくらいトレサの面白話も必要でしょう?」
トレサは顔を真っ赤にして、唇を噛んでいる。
何があったのだろう?
おれが聞いても良いものなんだろうか?
すると、トレサがおれとは目を合わさずに、明後日の方向を向いて言い出した。
「だって、お父さんの口はそこだと思ったのだもの。美味しいものはみんなで食べたいじゃない」
プレマルジナは、「ね?」とおれに言い、“お父さん”は、ピコピコと音を出している。
──────────────
おれは、トレサの頭を撫でて、
「おまえって可愛いよな」
と、言ったら、きっ!と睨まれた。
「……今日は怪獣は出てこないわけ!」
「どうせ嘘だって分かってるんだろうが!うきー!」
信じるわけもない出鱈目な話を、並べ立てたこともあったけど、トレサが引っ掛かることはない。
もう、怒ったふりでもして、追っかけ回すしかないよ。
──────────────
「うきー!ていえば、子供の頃、おさるさんの形をしたロボットがあったわよね?」
ふと、思い出してプレマルジナに聞く。
「ああ、トレサが口にお団子を詰め込んだやつですか?」
なんとも澄ました顔で、プレマルジナが返してくる。って!
「トレサはおやつを詰め込むのが趣味だったの?」
ウノスが訊いてくるので
「分けてたのよ!一緒に食べたいじゃない!」
と正直に答えた。
一体何時からおさるさんを忘れていたのだろう……て分かってる。
ウノスが来たからだ。
トレィスみたいに、泣いてばかりじゃない、ウノスと話すのが楽しかったからだ。
「探しにいこう。まだあるよね?」
プレマルジナに聞くと、ひょこっと別のところから、とぼけた声がした。
「ここにおるぞい?」
──────────────
さるってやつを初めて見た。
何だろう、おれらと似てるけど、毛が身体中に生えてて、お尻に長いものがついてる。
トレサはさるを抱き締めて頬擦りまでして…何だろ?もやっとする。
「やきもちですか?」
とプレマルジナが訊いてきたので、
「この、頭のこの辺がもやっとするのが、やきもちなの?」
と額を指差して言った。
すると、プレマルジナ目を細めて、くすっと笑い、
「こんな、おもちゃにやきもちなんて勿体無いですよ」
と、トレサの手から『さる』を奪った。
トレサが奪い返そうと背伸びをするけれど、プレマルジナが届かせようとしていない。
「プレマルジナ!」
「ほら、トレサ。ウノスに紹介してあげないと、仲間はずれみたいですよ」
トレサはプレマルジナにそう言われ、おれのことを思い出したようだった。
ようやく、プレマルジナからさるを返して貰えたトレサは、さるを抱えておれに走りよる。
「ウノス!これ、おじさまって言うの!さる!」
と、何とも雑な紹介をされた。
さっき、喋ってたよな?じゃあおれも挨拶するか。
「ウノ…」
トレサの手から飛び出したさるは、おれの口に手を突っ込み、うにーと両端に引っ張った。
──────────────
「何をしてるの!」
わたしの手から飛び出したおじさまは、挨拶もそこそこに、ウノスの顔を伸ばしている。
都合が悪くなると、猿のふりをするのはおじさまのパターンだ。
ウノスの顔から、おじさまの首根っこをつまんで引き離す。
「ウノス、大丈夫?」
「…ほごっ、ん、らいりょうぶ」
「じゃないわね。おじさま…」
「だって、寂しかったんだもん」
「…って、どうせすぐ出てきたってことは、お父さんとそこで見てたんでしょ!」
「俺様もいるぞ!」
「大おじさま…」
「トレサ、ウノスに説明してあげなきゃ、呆気にとられてますよ」
「ごめんね、ウノス。このさるはおじさま。で、お父さんとモニター取り合ってるのが大おじさま。何でこう呼ぶのかは知らない。こう呼べって言われたから呼んでる」
すると、おじさまのせいで真っ赤に顔を腫らしたウノスが、
「う、ウノスれすっ!」
と言った。
あらあら、懐かしいわね。
⚫️記録III-4:わかみどり
長く伸びた髪を結い、私は自分の肉体使用期間を反芻する。
本部にウノスと共に来て1241日。
対攻撃処置に出撃することは無くなっていた。
ポステア・プロダクタム型式ⅰとして、稼働開始して99864時間経過している。
123の筐体を経て、ここに居る私は26280時間の一体の筐体で過ごして、僅かな肉体の経年劣化を、許容している。
「ポステア!来たよ!」
ウノスとトレサ。
いずれ番いとなるであろう二人。
二人の交流は至って正常に行われている。
「では、今からサツマイモを収穫します」
「わーい!焼き芋!蒸かし芋!大学芋にスィートポテト!」
「トレサはよく、そうもポンポン料理名が浮かぶのな?」
「芋羊羹…」
「それにはまず、サツマイモを土から出しましょう」
「はあーい」
トレサの知識は、ウノスを軽く上回る。
見たこともない料理名を即座に並べ立てる記憶力もそうだが、それ以上に彼女は興味を持ったことを徹底的に追及する。
身体の発育に対して突出しているが、本来の才能がうまく折り合っているのだろう。
ウノスにも良い刺激を与えていて、ドームにいた時よりも、俄然学習意欲が向上している。
トレサに追い付こうと勤勉な様は以前では予想だに出来ない姿だ。
…私のしたことは、ウノスを生命の危機に陥らせた事だけだと思い知る。
「ねえ!ポステア!このお芋さんはどうする予定?」
と、至ってイノセントに語りかけてくるトレサ。
「そうですね。餅米も収穫出来たことですし、少し手間をかけて“かんころもち”はいかがでしょう」
「それはどんなものなの?」
「まず、干芋を作りますから、食せるのは半月は先になりますけど、面白いと思いますよ?」
「食べるまでに半月?凄い!楽しそう!」
「トレサには気になるとお勧めしました。ウノスは直ぐ食べたいですか?」
「なんだよ、人を食いしん坊みたいに!トレサと一緒にやりたいに決まってるだろ?!」
「そうなんですか?」と言えず、私は言葉を飲み込んだ。
ウノスはトレサを選んだ。
それでいいじゃないか。
「汚れてしまいましたね」
私はトレサにそういうと
「お芋を土から出せば、汚れるのは当然。汚れは洗えば取れる!取れるものは取れば良い」
「なんだよ、それ。汚れるのは嫌じゃないのか?なんか、ちっさい時、汚れると怒られた気がするから、おれでもちょっと怖いけど」
「怒ったのはポステア?違うでしょ?ママが、手間が増えるから怒ったんでしょ?汚したことに怒ったんじゃなくて、自分の手間が増えるから八つ当たりしたんでしょ?」
「何か…違うのか?」
「トレィスが泣いてたのよ。だから“ママ”って何なのか調べたの」
「それで分かったのか?」
「分かんない!でも、汚れは洗えば取れるのよ」
ウノスはまだ合点がいって無いようなので、助け船を出すことにする。
「汚れたら洗いましょう!」
と、思い切り大きな蔓を引っ張ったら、見事な芋が土を飛ばしながら現れて、ウノスを泥まみれにした。
「ポステア!」
ウノスが泣きそうになっていて、トレサが、大きな声で笑っている。
私も、トレサにつられて笑ってみた。
「これ、何?」
ウノスが、泥の中から見つけ出した小さな翅。
「エフェメラの欠片だね」
トレサは当然の事のように宣う。
「エフェメラって、天井の、あれ?」
おや?ウノスはやはり勉強していたようです。
私が教えていないことも、ご存じです。
「これが、寿命を終えたエフェメラの欠片…」
「命懸けで私たちを外界から守ってくれている…まったく、誰が生き物のバリアなんか、考え付いたのかしら!」
「それでも、おれたちが生きるには最善の方法だとしたんだろう。訳のわからない装置の力を借りないために」
そう言われたトレサは何かを考え込んでいる、と。
「……すごい!ウノス!そうなのね!思い付かなかった!やっぱウノス、面白い!」
と、トレサは思い切りウノスに抱き付いた、はいいが、お互い泥を擦り付けあっている。
まだ、このまま。
子供のお二人を眺めていたくもなる。
──────────────
「わたし、お嫁にいきます」
と、トレサが居間で宣言した。
中央中枢の端末が、カタカタと態とらしく音を立てている。
寝耳に水のウノスには周囲の音が届いてないようだ。
プレマルジナは……餅米の準備に余念がない。
「「何処にいくんだ!!」」
と、見事なハーモニーを聞かせたのは、端末とウノスだ。
ウノスの声に、トレサはキョトンとしている。
「ウノス以外の誰がいるのよ」
「な、なんでわざわざ出ていくんだ?ここでも良かろう?」
「だって、誰もいないドームは動かしてないのでしょう?それはマズイから、ウノスと新婚生活をします!」
「こ、ここは?」
「お父さん達がいる限り安泰でしょ?プレマルジナはどうする?」
「コピーを置いときますよ。第7ドームのお陰て、コピーでの運用も可能とわかりましたから」
「ん。じゃあ、お父さん、おじさま、大おじさま。子供が生まれたら見せに来てあげるから、それまでプレマルジナコピーと大人しく待っててね!」
状態が飲み込めていないウノスはほっとくようで、トレサは私に話しかけてきた。
「ポステアは…また砲撃処理に出ることになるけど、若くなると思って勘弁して頂戴」
「トレサ…」
「それに今すぐって、訳でもないわよ。早くても一週間後よ。あ、さるはつれてっても良い?良いよね?わたしのだもん」
「我は~」
「さるを通すか、お父さんだったら何処にでもアクセスできるでしょう?大丈夫。お父さんは強い子」
トレサは、皆を信頼しているのだ、と感じさせる軽口。
さて、わがウノスにもちょっとは花を持たせなければ。
「ウノス、挨拶を」
と、ウノスを適応型汎用知性制御中枢のモニターの前へ出す。
「う、ウノスれすっ!」
と、三度目の正直な様子にトレサもプレマルジナも私も、大笑いした。
記録Ⅳ:トレィス
★記録 Ⅳ:1incertidumbre
アカトンボ。
追われてみたわけではないけれど。
透き通った翅の、舞い散る様は――
一体、いつ見たのだろう?
女の人と、男の人。
知らないヒト。
いや、知ってるヒトに良く似ているのに、
まるで似ていないヒトたち
僕の夢に、幾度となく繰り返し出てくる。
一体、誰なのだろう。
――――
僕が第三ドームと呼ばれるここに来て、十五年になる。
五歳の時だったから、もう二十歳。
そんな僕のもとに、プレマルジナが女の子を連れてやってきた。
……いや、女の子というより、赤ん坊。
なんでも僕の子供――娘らしい。
今の地上には女性の絶対数が足りない。
だから、今の僕には伴侶はいない。
だからって、勝手に僕の子供を人工受精で作っておいて、育てろって。
いくらなんでも、勝手が過ぎやしないか?
僕も、人工受精で生まれて、父も母も知らないのに。
育てられた記憶なんて、あるはずがないのに。
どうやって”育てる”と云うのだろう?
この子は生存者の一人の卵子と、僕の提供した精子を受精させて、
僕が生まれた人工子宮で生まれた、らしい。
みんな、“らしい”、だ。
全部、ポステアとプレマルジナから聞いただけのこと。
実感なんて、あるわけもない。
けれど、
多分、投げ出すなんて出来ないのだ。
「”デシモテルセロ”です」
プレマルジナが、大事そうに抱き抱えて言う。
”お父さん”か、プレマルジナが名付けたんだろうけど。
何て名前なんだろう…
…お父さん。
トレサは何の躊躇もなく、そう呼んでいたっけ。
僕にはあの機械がーー文字だけを羅列するモニターがーーどうしても”お父さん”には思えなかった。
適応型汎用知性制御中枢T-IPrimaGeneralo──なんて長ったらしい名前を、一々唱える気にならなかったから、便宜上”お父さん”とは呼んでいたけれど。
…………に、してもだ。
自分達は赤子の世話は面倒だからと、僕らを三歳まで人工子宮に閉じ込めておいて、人の扱いさえわからない僕に、赤子を育てろとは、一体どんな了見なのだろう。
「びええ!」
いきなり、スイッチでも入ったように、“デシモテルセロ”がプレマルジナの腕の中で泣き出した。
プレマルジナは冷静に、”デシモテルセロ”の様子を“記録”している。
その光景に、“器”の中から見えたレンズのような冷静な瞳のポステアを思い出す。
ふいにポステアが僕の顔を覗き込んできて、僕に目を合わせる。
まだ若干の苦手意識は否めない。
「なんだと思います?」
そんな僕をお構いなしに、ポステアが問う。
……赤ん坊のことか。
プレマルジナが、自分の手の中の赤ん坊を、僅かな動作も取り零すまいと凝視している。
ポステアは、そんなプレマルジナの手からそっと赤ん坊を抱き上げると、胸に抱き左右に揺すり始めた。
けれど、一向に泣き止む様子は無い。
「分からないけど、これが、この子のコミュニケーションってわけ?」
「そうですね。オムツが濡れてしまっているようです。交換しましょう」
「僕がするの?」
「“お父さん”の仕事です。何か問題でも?」
「……分かったよ」
ポステアは赤ん坊を、まるで壊れ物を扱うように、慎重にソファに寝かせる。
赤ん坊の身体の何処にも負担が掛からないように。
『抱く』だけでも細心の注意を払うのか。
そう考えると、これから先を思って気が重くなる。
「あれ?意外と臭くはないのだね」
「“お乳”の間は排泄物は臭くないそうです。食事をする頃には臭い出すようですけど」
「成程、そうやって“保護者”は慣らされるわけか」
人の体のメカニズムというのは、うまくできているようだ。
「“可愛い”ですか?」
「分かないな。ポステアはどうなの?」
ポステアの瞳が“観察モード”になる。
一見すると、“見つめている”のだけど。
「身長53.2cm、体重3.8kg。三か月児の平均より小さいようですが許容範囲でしょう。疾患無し。至って健康です」
「ポステアらしいね。“可愛い”はどうなの?」
「庇護対象なので、可愛いに値します」
可愛いと庇護対象なのか。
庇護対象だから可愛いのか。
僕のポステアは、ウノスのポステアに比べると表情が固いと言われた。
“交流”と称して、モニター越しにトレサと、彼女の伴侶となったウノスと話していて、そう言われた。
ウノスのポステアも昔は同じ様に冷たく見えていて、それでもウノスが(僕らの中では有名だった)事件を起こしてから、少しずつ変わっていったらしい。
要は『対話』の問題だ、と。
そんなことを言われても、ポステアはポステアだし、『対話』って?
会話とは違うのか?
「一緒に学びましょう」
ポステアは言うけれど、
「学んで分かることなの?」
と正直に口を出た。
ポステアが“困った”顔をしている。
僕に対して“困って”いるのか、返答が分からなくて“困って”いるのか。
やがて、答えに行き着いたポステアは、
「データは積み重ねる事で最適解を導き出せます」
と、何ともポステアらしい答えを僕に提示した。
★記録 Ⅳ:2 lágrimas de perlas
器の中に、突然できた“ヒト”
卵子が受精して、起こる現象とは理解している。
けれど、本当に突然、それはできた。
これがヒトとなる。
──────────────
「見ていても面白いものではないよ」
そういって、プレマルジナはクリーンルームへと入っていった。
―――「面白い?」この場面で、そうした感情的評価を持つ意味があるのだろうか?
同じ機能を有するはずのプレマルジナの言動には、時折、私のシナプスでは処理しきれない要素が含まれる。
意味は分かる。
けれど、この場面に適応してる言葉とは同意しかねる。
この違いは、どこから生じているのだろう。
──────────────
淡々と準備するプレマルジナを中央中枢からのデータ越しに見る。
アシストを申し出たが、「気が散る」と拒絶された。
……プレマルジナは私とは違うようだ。
中央中枢のモニターは“人”が見るように出来ていない。
中央中枢からケーブルを繋いでの、直接見学の許諾を受け、じっとその場にとどまる。
中央中枢が、画像解析をして顕微授精の穿刺位置を特定する。
卵子に置かれる精子。
無駄の無い、最適化された手技で三つの卵子に受精を施す。
──────────────
二十三分後、二つの卵子に融合が確認され受精卵となった。
細胞分裂が始まる。
殆んど変わらない細胞を凝視していたら、プレマルジナはいつの間にかクリーンルームから出てきていた。
「しばらく変わらないよ。後は僕たちには何も出来ない。手を出せるのはここまでだ」
後は、細胞の選択も分裂の速度も、ただ見守るだけだ。
早くても五千五百分後。
──────────────
「それまで、見てるとか言わないでよ。ポステア、君が壊れたら元も子もない。後はこいつに任せな」
と、プレマルジナは私からケーブルを抜き、中央中枢を叩いた。
「あ~もー!いいから!任せたぞ!」
プレマルジナは中央中枢と会話でもするようにそう言うと、部屋から出ていった。
──────────────
ふたつ、よっつ、やっつ…分かれていく細胞。
受精していた二つのうちの一つが活動が止まった。
プレマルジナに伝えると、その情報は既に中央中枢より有り、
「こればっかりは、仕方の無いことだから」
と、言われた。
受精したからといって、必ずしも“ヒト”とはなり得ない。
──────────────
168時間経過。
人工子宮に移す作業を始める。
用意された人工子宮は二つ。
「こっちは受精した胚で冷凍されたのがあったから、それ使うの。一人より、二人で育つ方がきっと寂しくないでしょ?」
寂しい?一人だと寂しいのか?
プレマルジナは目を細めている。
認識、笑顔…
「追々、覚えていくといいよ。なんだったら、このNo.3と一緒に覚えればいい」
人工子宮内にはまだ何も見てとれない。
見えない何かと、共に学習を重ねる?
「そんなに難しいことではないよ。感情はデータの蓄積と解析だ」
──────────────
240時間経過。
胚盤葉形成が始まり、原始心筒の確認。
「心拍」を感知。
生きている。
──────────────
456時間経過。
原始線条が出現し、細胞の分化が加速。
神経管が形成開始。
“レンズ”を通さなくても、形が認識できる。
生きている。
──────────────
552時間経過。
それは、突然に見えた。
僅か、五ミリ程度の、それ。
“心臓”が動きだし、やがて手足になるだろう突起の出現。
そして、目。
目がぎろっとできた物体に、何故だろう。
頭の奥が締め付けられ、目の奥が熱くなる。
──────────────
ポステア・プロダクタム型式ⅲ。
私が始めて、トレィスと呼ばれる個体と対面した日。
プログラムされた知識で、知っていたはずの記憶は、なんと絵空事なことか。
私の、お守りし、慈しむべき存在。
──────────────
人工子宮の外側から観察する日々。
脳が形成され始めると、『教育』が始まった。
私に情報データをインプットするかのような単調な作業。
『教育』は中央中枢が直接行っていて、私はそれと同じ内容のデータをいただくだけ。
何度も同じデータが繰り返されることで、『定着』が進む。
もうひとつの器、トレサも同様だったが、3300時間を越えた頃から、『差』が現れ始めた。
トレィスには顕著なP波の活動が見られる。
トレサと比べると、明らかに多い。
視力のないはずの目が動く。
「夢を見ているようだねぇ…」
呟くようにプレマルジナがいう。
『夢』?
何を『夢』見ているというのだろう。
──────────────
6720時間経過。
本来なら人口子宮から出すべき時だか、適応型汎用知性制御中枢の判断で、自立歩行が出来るようになるまでこのまま様子を見ることになった。
まだ、私はトレィスを抱くことは出来ない。
『教育』は順調に進んでいる。
同様に『教育』されているトレサと何の遜色もない。
P波は相変わらず頻繁に発生しているが、プレマルジナに言わせれば、トレサに反応が無さすぎるくらいで、トレィスはすこぶる健康体であるとの事。
そのように記録する。
──────────────
そうして、迎えた3月9日。
トレィスと、トレサは人口子宮から出された。
人、で云うところの三歳程度。
今までアムニオンに浸っていたから、直ぐ様歩くことは出来ないが、時期可能となる。
『歩く』が、私が最初にトレィスに教えることになる。
★記録 Ⅳ:3 tormenta
デシモテルセロ――――長いな。
『デシィ』とかでいいか。“愛称”てやつだ。
プレマルジナとポステアにそう提案すると、快諾された。
『デシィ』のプレマルジナは、トレサのプレマルジナとは明らかに違う。
五歳の頃の記憶は曖昧なものだけど、トレサのプレマルジナはよく笑っていたし、冗談も言った。
いたずらを仕掛けてきたし、嫌味も言ってきた。
何より、このじっと観察するような目をすることはなかった。
『デシィ』のプレマルジナは、僕のポステアとよく似て、作り物みたいな固い笑顔しか見せていない。
「トレィス?どうしました?」
ポステアが話しかけてくる。
「可愛いって、何だろうね」
小さな指。
小さな顔。
小さいのはわかるけど、可愛いはわからない。
――――
トレサとウノスの間に二人目の子供が生まれて、トレサが自慢げに通信をしてきた。
「ふうん…で、名前は何て言うの?」
「よんっ!」
「はあ?」
「ウノスとトレサで四!よん!」
「それは、名前か?」
「どうせ、私たちも数字なんだもん、いいじゃない」
「かわいい…とかは考えないのか?」
「なんで?名前だよ?」
「……上の子は何だっけ?」
「男の子だったから、チィカ!」
「じゃあ、女の子だからシィカでいいんじゃないか?ほら、4て、し、とも言うじゃない?」
なんとか、よんなんて名前にならずにすんだようだ。
僕たちの名前は数字だけど、それにどんな意味があるかなんて、考えたことはないけど……よん、はないと思う。
――
床に座って、『デシィ』を抱えて、ポステアとプレマルジナが、僕らの食事の準備をしているのを待つ。
自立歩行はおろか、食事さえままならない個体。
育児の事なんか知るよしのない僕の腕の中で、自分を預けて笑っている。
恐らく満足に視力もなく、空を掴むように伸ばす手は、一体何を探しているのか。
泣き、時に笑い、全てを他人の手に預け、生きさばらえる。
でもこれは、かつての自分。
確かにあった筈の、自分の過去。
「お待たせいたしました」
料理を手に現れるポステア。
笑顔。
あれ?彼女は、こんな顔をしていたのか?
彼女はこんな優しい目で僕を見ていたのか?
アカトンボ…
繰り返し夢に出てくる単語。
昆虫…
ドームの天井の…エフェメラとよく似ていた。
外界と、僕らの、生活圏内を隔てている、壁。
この見えていない壁が、大切だと知ったのは、第三ドームに来てからだ。
外から見たドーム。
今まで居た処の丸い空とは違って、幾重にも重なったパズルのような継ぎはぎの天井――――エフェメラ。
…硝子にも見えるその壁は、虫の翅が重なって、僕らを守ってくれているのだけど、ここは重なった虫の翅が完全に硬化していない。。
「出来て、整えられたばかりですから」
と、ポステアは言っていた。
もしや僕のために作られたのか?
…まさかね。
「“寂しい”ですか?」
寂しい…のかな?
“お父さん”との見えない壁。
トレサとの、扱いの違い。
幼くても、感じ取れるそれが、無くなった方が嬉しかった。
暫くすると、ここの天井も丸くなり、本部にいた時と同じような空が広がった。
「エルフが大人になり、汚染物質を食べることで翅が硬化して、正常な空を見せるのです」
まだ、トレサと器にいた頃にも聞いた、エフェメラの構造。
同じようにポステアが繰り返す。
終わってしまった世界に、作られた僕ら。
「…デシィ?僕らはどうするべきなんだろうね?」
何となく声にしてみる。
「びえぇぇ!」
タイミングよく何かを訴えるデシィ。
見たこともないママを慕って泣いたのは、多分今のデシィと何ら変わりはないのだろう。
“お父さん”とプレマルジナと話すトレサ。
ポステアと話せない僕。
構われ方が分からなくて、
寝物語のお母さんに抱き締めてもらいたくて、
構ってもらいたくて、
ママって言ってみたら、
お父さんもプレマルジナも慌てて。
なんだかな。
そんなことに比べたら、デシィはただ、生きることに忙しい。
食べて、寝て、泣いて、不快を訴えて……
そんな毎日の中。
同じようでいて、変わる毎日。
歯が見えた。
腰の位置が変わった。
起き上がった。
離乳食になった。
立ち上がった。
歩いた。
「とおいす…」
話した。
目の奥が熱くなる。
鼻の奥が熱くなる。
それを冷ますかのように溢れる雫は、
思いの外温かくて…
これが、可愛いなのかと思った。
――――
そうして、瞬く間に五年が過ぎた。
独り立ちをすると。
デシィは、プレマルジナと二人の生活が始まる。
また、ポステアと二人の生活になるんだ…と、思っていたら、“お父さん”から、通信が入った。
「トレィス、その第三ドームをデシモテルセロに譲り、本部でシィカを育てろ」
……何を言ってるのかな?
シィカって、トレサの……ああ、五歳か。
トレサの子でも、五歳で独り立ちなのか。
……違うかも知れない。
「トレィス、計画の次段階としてプレマルジナを命ずる」
……何を言ってるんだろう、こいつは。
振り向いてポステアを見る。
あからさまに、困惑を見せている。
「知ってた?」
と、聞くと、
「シィカを育てるに当たって、人に育てさせたいとのことです」
……それか。
★Aldonaj noto: 蜻蛉
幼馴染みの彼女とは、恋愛ってわけではなかった。
けど、親同士が仲良く、俺らも憎からず思っていた。
ので、年頃になったら結婚するんだろうな、なんて呑気に思っていた。
あの、先輩に出会うまでは。
先輩――とは言え、やつは美大で、彼女は獣医学、俺は情報工学とまるで接点はなかった。
恥ずかしげもなく言えば運命のように引寄せられていた。
――――やっぱ、恥ずかしいな。
まず、彼女が何だかの縁で先輩と知り合ったらしい。
そこはプライベートだ。
聞くまでもない。
で、プログラムを組めるやつを探しているとかで、彼女から俺に声がかかった。
やつがやってたのは
――昆虫の長寿化技術を用いた、自己修復型の生態防御システムの研究――とかで。
おい?なんだって美大生がそんなことやってるんだ?
で、そのどこにプログラムが必要なんだ?という奇っ怪な誘いだった。
ひどく綺麗な男だと思った。
その綺麗な顔に不似合いな、短く刈った後ろ頭に前髪だけ顔を隠すように伸ばしていて。
奇っ怪な髪型でも払拭出来ない、整った顔立ち。
変なやつ、それ以外に当てはまる言葉が見つからない。
「で?俺が何をするの」
彼女の前だけど、不服さを全面に出すと、先輩は不敵に笑った。
これ、と手渡されたのは、一枚の硝子片。
?
トンボの羽のような翅脈の張った小さな硝子。
君、胡桃割れる?と聞かれたから、
「ええ、まあ」
と答える。
これ力一杯握ってみてと、怖いことを平気で宣う。
「割れないか?」
いいから、と。
怪我は嫌だなと、当たり前の事を思いつつ手の中の硝子を握りしめる。
…割れない。
すごいでしょ?それ、ホントに昆虫の翅なんだよ、と嬉しそうにする先輩。
握りしめた手を拡げると、渡された時のままの硝子が、そのままの姿をしている。
カゲロウに、ちょっといたずらしただけなのに、そんなになっちゃった。
折角だから使えないかなって、といたずら小僧…というよりは、お菓子のパッケージの子供のように舌を出す。
「これでなにするんだ?」
んーと、文化財でも保護してみようかな?と。
綺麗なのに、このままじゃ勿体無いじゃない?と、言う建前だと、善意的でお金が引き出せるかな?と、悪人顔で微笑む。
「平和利用とかは?そっちのが儲かるんじゃない?」
平和?なんのための?ヒト?自業自得なのに?そんなのやりたいやつがやればいいさ。おれは情報は秘匿しないから、いつでも公開するさ、教えないけどね、めんどくさいから。
……ホントに変な人だ。
先輩が幼馴染みの拵えた弁当に舌鼓を打ちながら、昆虫をスケッチしている。
「へぇーやっぱ上手いのな」
と言うと、時間をかければ、それっぽく描けるよと簡単に言う。
その時間も掛かっているようには見えないのだけど。
こんな変なやつに、幼馴染みが惹かれていってるのは、手に取るように分かった。
少し寂しいな、と思うが差別されているわけではないらしい。
彼女自身も忙しいだろうに俺の分の弁当も拵えてくれている。
いっか…
当たり前に三人で過ごすことが多くなっていた。
9人かな?
俺の大学の課題を覗き込んで奴が言う。
「なんで?」
と聞くと、その辺にあった紙につらつらと関数を書いていく。
几帳面に書き連ねられていく文字は、いつものお茶らけた様子からは想像出来ない。
「ああ…成る程」
理路整然と組み立てられた解答。
今まで悩んでいたのが、嘘のように頭に入る。
でもね。最適解はこう。そしたら“知識の継承”が出来る。
「……ったく!なんでおまえは美大なんだよ!」
と吐き捨てると、数字ばっかり見てても飽きるじゃん、とさらっと言う。
あーもー!
なんとかギャフンと言わせたくて、俺は立ち上がって先輩を抱える。
え?え?まさか、と困惑するような喜んでいるような声を発している。
先輩の洗濯?ならこの間の着てたもの洗濯しておいたから着替えさせて、と幼馴染みが言う。
こいつ、飯の世話だけじゃ飽き足らず、洗濯までさせてやがる。
「おう。腕によりをかけて磨いてやる」
からからと笑う彼女は幸せそうだ。
三人で無作為に選んだ場所にエルフを埋める。
そんなのでいいの?と、さすがに彼女は困惑の色を隠せない。
おれが勝手にやることだし、好きなものを守るだけだよ、と相変わらずやることとは裏腹な軽い言動。
「ちゃんと、発動するのかな?」
するさ。そんなことより心配なのは、見てくれだけを気にする莫迦に駆除される事だよ。
「確かに…な」
ま、そうされたらヒトは又、大事なものを失うだけだ。大したことじゃない。
「そうだな…」
エルフ――蜻蛉の幼虫。
小さく、単体では美しいとは言いがたいこいつは、先輩の理論だと世の中を覆すだろう。
なら、俺に出来ることは?
ころころと笑う幼馴染み。
飄々と笑う先輩。
守ってやるさ。
護ってやろう。
そのくらいしか、俺には出来ないだろう。
赤蜻蛉が空を切る。
この空を覚えておこう。
俺の、揺るぎ無い決意のために。
★記録 Ⅳ:4 sueño nostálgico
小さな、小さな、人間の手。
心臓を掴まれるような、
胸にのし掛かる重さ。
なにかを掴もうと幾度も空を切る、
小さな手。
柔らかく笑うようになったトレィス。
私には出来なかった。
私では出来なかった。
トレィス自ら、デシィと名付けられた個体。
長いという理由で、愛称をつける。
記録にない感応が発生した。
過去記録との照合結果は不一致。
これは、肉体に刻まれた非記録的記憶刺激――いわゆる“既視感”と称される現象と類似している。
彼女が、覚束無い口調でトレィスの名を呼んだあの時。
それまでに記録にないトレィスの揺れを観測した。
呼吸、脈拍、体温。
頬の紅潮。
涙腺の弛緩。
デシィに固定された視線。
わずかに拡張している瞳孔。
微弱な発汗反応。
口角は上がり、緩んだ頰筋。
声帯の震え。
喉奥から漏れる、言葉にならない吐息。
ぽっかりと沸く虚無。
胸が――痛い。
「ポステア、今日も練習させて」
そう言って、私の髪を結い上げるトレィス。
始めた当初は、まるでまとまらなくて、検索した画像を参考に試行錯誤していたけど、いつの間にか、デシィの髪は纏まりを見せていた。
こめかみの両横で結ばれているデシィの髪。
「どう?」
鏡越しに目を合わせたトレィスが言う。
「……デシィのものと違いますね」
「当たり前じゃない。ポステアの為に結ったのに。『嬉しい』?」
三つ編みにリボンが編み込まれて、後頭部で纏められた私の髪。
後頭部の感情ユニットの挿入口を覆うように纏められた私の髪。
「私の…為に?」
「そうだよ。いつもおれを見てくれていたポステアのために、頑張ったんだけど……どう?『嬉しい』?」
返答をしなければいけないのに。
私の回路は検索不能で。
ようやく手繰り寄せたのは、目。
トレィスの目がぎろっとできたあの時をヒットする。
頭の奥が締め付けられ、目の奥が熱くなる。
これが、『嬉しい』
「ポステア?」
「ありがとうございます。恐らく『嬉しい』です」
「良かった。頑張った甲斐があったよ」
そう私に向けられた笑顔は、デシィに向けられるものとは違う。
いや。
同じものだ。
バイタルデータ。
口角の角度――――
眼輪筋。
頬筋。
前頭筋。
上唇挙筋。
目まぐるしく処理する回路。
大頬骨筋。
咬筋。
口輪筋。
そして、笑筋。
デシィに向けられるものとは、数値は変わらないのに。
私に向けられた笑顔は、こんなにも温かい。
「夢――は、まだ見ますか?」
「夢?ああ。ポステアは分かってるんだね。ここに来たときは頻繁に見ていたけど、最近はそうでもないかな?」
「夢とはどんなものでしょう?」
「――そうだね…画像を見ているときと似てるかな?そこにいないのに、いるような…知らないのに…知ってるような…」
「そうですか。それは『嬉しい』ですか?『可愛い』ですか?『寂しい』ですか?」
「えらく質問責めだね?どれも違うかな?強いて言うなら…」
と、トレィスは考え込む。
難しい問いだったのだろうか?
「『懐かしい』ってやつかもしれない」
「『懐かしい』?」
検索。ヒット。
昔の事を思い出して、“心”が引かれること…。
「そこに私はいるのでしょうか?」
私は片時も離れていない。
私の知らないトレィスはいない。
「…………そう言えば……ポステアに似てるのかも知れない。ハッキリ顔は見えないけど」
「私ですか?」
「顔立ちは似てると思う。けど、何か違う…それが、何かわからないけど」
「視認出来ないのに、似ている?」
「……そう言えば。変な話だね。おれがポステア以外の女性を知らないからかもしれないね」
小さく眉間に皺を寄せ、口角が上がる。
「『困って』ますか?」
「そうだね。答えが出せなくて困ってるね。だけど仕方ない。自由の効かない夢の中じゃ近寄って顔を覗き込むことも出来ないもの」
「夢は動けないのですか?」
「ん、見てるだけだ。男の人と女の人と、彼らを見ているおれ。でも不思議と嫌じゃない」
「男の人?」
「こっちはプレマルジナに似てるかな?……やっぱり他に知らないだけなのかもしれないね」
「髪で顔を隠している……男」
「……は?」
一拍置いて、トレィスがポステアを見た。
眉がわずかに寄る。
「誰ですか?」
きゅるきゅると演算回路が音を立て、処理速度が鈍る。
コアリンクの沈黙。
不鮮明で不明瞭な人影。
感情ユニットが干渉していない記録。
「どうしたの!」
トレィスが驚いている。
「……ぽうす?」
デシィの小さな手が私の額に置かれている。
「大丈夫ですか?」
デシィのプレマルジナが、ゆっくりと笑った。
――と。
「びぇぇぇ!」
デシィがいきなり泣き出す。
トレィスの腕の中にしがみついて…震えている?
プレマルジナはそのデシィを眺めて、
「子どもが“こういうこと”に敏感てホントなんだね」
と、言うものの、保護対象の異変に対してプレマルジナは動かない。
「俺じゃダメみたいだから、トレィスよろしくね」
プレマルジナが私を見る。
顔が見えた、その瞬間だった。
私は彼に抱きついていた。
「え?」
トレィスと私の声が重なる。
「ごめんね。綺麗に編み込んであるけど、ほどくよ。いいね?トレィス」
プレマルジナの手が髪にかかる。
ダメだ!
咄嗟に体を引こうとするが、プレマルジナの腕から動けない。
「髪はまた結って貰いなさい。いいね!トレィス!」
先程より強い口調。
「はい!もちろんです!」
泣き止まないデシィ。
プレマルジナの顔が近づく。
耳元で囁かれる、声。
――Bonan nokton, Mashiro
かちっ、と頭の中で音がした。
★記録 Ⅳ:6 Verde firme
「とぉぃす…いっぢゃやだああ」
うん。おれも別に行きたくて行くわけではない。
出来れば行きたくはない。
二年前のあの日。
プレマルジナはポステアを寝かせ、素早く処置をすると、じゃあ、あとはよろしく、と何事もなかったかのように、通信を切り替えた。
泣きじゃくっていたデシィが、ピタリと泣き止んで、プレマルジナの腕に飛び込む。
先程までの怯えはまるで見られない。
“デシィ”のプレマルジナに訊ねる。
「何が起こってたの?」
「ぼくには…通信を切り替えられたとしか…
言ってはいけないようです。『知りたかったら二年後ね』との伝言です」
「……はあぁ」
ポステアやプレマルジナが他の個体と通信が出来るのは知っている。
”お父さん”は、トレサとおれに平等に同じことを教えていたから。
それを目の当たりにしたことは無かったし、ましてや遠隔操作が可能なんて事はこの時まで知らなかった。
知る必要もなかったのだけど。
トレサとおれの差は、事象の理解度の違いだと今なら解る。
おれは何も知ろうとしなかった。
にしてもトレサは、デシィと同じ五歳の時に、全てを見据えていたものだ、と感心するしかない。
ポステアの運転する車に乗り込み、本部へと向かう。
「へえ……外ってこんなだったっけ?」
車窓から眺める景色は、以前のものとは別物のようだ。
「二十年……経ってますから」
「君たちの、お陰なんだよね?」
「私は参加してません。他の…人工生命体の尽力です」
「参加、したかったの?」
「…私は、私のすべき事をするだけです」
二十五年前に起きたという、未曾有の出来事。
ひとつの国が仕掛けた攻撃を攻撃で返し、いくつもの“国”と呼ばれる人の集まりが、ほんの数十分で塵と化した。
防衛に撤したこの地にだけ、わずか十二人の人間が残った。
“お父さん”が言うには、残弾を打ち尽くしてしまえば、攻撃は終わるらしい。
その残弾は、ポステアやプレマルジナが身をもって処理をする。
感情ユニットで、移すことの出来る記録。
赤トンボが空を切る。
空は、赤く染まり昼とは違う様相を見せる。
穏やかで、それでいて背中を押すような衝動。
ポステアに似た女の人。
プレマルジナに似た男の人。
俺を見ない二人。
俺?
それはわずかな違和感。
泣きじゃくるデシィの、振り上げた手のちいさな爪で、引っ掻いた腕…痛くもないのに確かに付くささやかな跡。
「本部へようこそ!トレィス!」
「……なぜ、あなたがここにいるの?第一次ドームにいるんじゃないの?また、乗っ取ってるの?」
矢継ぎ早なおれの問いに、プレマルジナは楽しそうに笑っている。
「乗っ取るって怖いなぁ…体を借りてるだけだよ。初対面の3号より俺のが馴染みがあるでしょ?」
「そりゃ、そうだけど、その間…3号?はどうしてるの?」
「俺と見てるよ?主導権が無いだけ」
「そ、うなんだ…」
「ま、その辺もみんな説明してあげるよ。オリジナルならそうはいかないけどね」
それまでおれらの会話に無関心を決め込んでいたポステアが、
「オリジナル…」
と口にした。
「ごめんね。君には関係ないことだ」
プレマルジナはそう言うと、ポステアの耳元で何かを囁いている。
ふっと、ポステアの顔色が無表情になり、演算を始めている。
「何したの?」
「デフラグだよ。長く同筐体を使っているからね。俺にも未知なんだよ」
そう言ったプレマルジナの顔は、夢の中の人物に似ている気がした。
ここは――おれがいた時と変わってないと思う。
如何せん、五つの子の記憶だ。
リビングに着くと、小さな女の子が、一人で、何かを描いている姿があった。
「シィカ」
と、プレマルジナが少女に声をかける。
少女――シィカは顔を上げ、プレマルジナと目を合わせると、一瞬顔を顰めた。
その後、おれを見ると、ぱあっと笑顔を浮かべおれに近寄る。
「シィカと申します。トレィス、初めまして。その節はお世話になりました」
「トレィスです。――お世話?」
「名前です。“よん”なんてとんでもない名前にならなかったのは、トレィスのお陰と聞いています」
ああ、あの時の事か。というか、あの時の子供ならデシィと同じ年だよな?流石、トレサの娘と言ったところか?
と、シィカはおれに…と言っても実質は足にしがみついてるのだけど、多分抱きついているつもりなんだろう。
「わたし、トレィスの伴侶となるためせいいっぱいがんばります!」
はいっ?…プレマルジナは笑いを堪えてるし、ポステアは見たこともない恐い顔をしている。
「まだまだ、子をなすには猶予がありますが、善きに計らってくださいまし」
ポステアがシィカを引き剥がし、プレマルジナが大笑いする。
「トレィス、良かったんじゃないか。晴れて独り身卒業だぞ」
「はあ?なに言ってんだ?」
目の端ではポステアがシィカ相手に真剣な表情で、
「女性は慎みを持たなければなりません」
と、諭している。
シィカは…どこ吹く風で、気付けば“お父さん”もカタカタと音を鳴らしている。
ここからは内容までは確認できないが、モニターには物凄い量の文字が映し出されている。
「おい!プレマルジナ!」
「はい。マリューナは通信を待機にされましたが、明日から本番だよ~とおっしゃってます」
「マリューナ?」
「認識呼称です。通常、人工生命体はドームナンバーでお互いを認識しますが、マリューナは該当しないので、そう呼んでます」
「……意味とか聞いてもいい?」
知らない言葉で煙に巻く。
アイツがやりそうなことだ。
「はい。と…っつう!解りましたっ!“先”です!」
「…………妨害されたの?」
「はい。お話し中すいません」
そう言って、浮かべた気まずそうな顔は鏡でも見ているようだ。
「“不快”ですか?申し訳ありません。私は人と会うのは、トレィスが始めてですから」
デシィのプレマルジナと初めて顔を会わせた時の硬質な表情からの、データの収集の開始。
「で?何でおれがシィカの伴侶?誰がそんな風に教えたの?」
「私は存じませんが……『おれだよ~』……だ、そうです」
……っ、やられた。
★記録 Ⅳ:7 cártamo
「あ、トレィス。これ、付けといて」
今、目の前にいるプレマルジナは、この軽い言動を見るに、マリューナなんだろう。
「なにこれ?」
んー、とちょっと悩んだあと、そっかあ、と呟くとプレマルジナはそれをおれの耳に付けた。
「これはイヤーカフっていうんだけどね、俺らはさ、頭ん中にコアシステムって通信機みたいの入ってるけど、生身のトレィスに入れるわけにはいかないじゃん。だから、これ」
耳に付けた――イヤーカフを、プレマルジナが弄るとブワッと騒音が聴こえる。
「…っな!」
「ボリュームとか、座標とか、触って覚えて。そこふれると、ん、そう。慣れたら、誰と繋がってるかも分かると思うけど。んー?これも使う?」
と、差し出してきたのは…眼鏡?
それを、おれにかけると、細いシャラシャラとしたコードを眼鏡とイヤーカフに繋げた。
つるに触れると…何だか数字やら文字やらが眼鏡に浮かび出る。
「取りあえず、ここ」
右目に41.3025° N:141.1161° E と映る。
?
プレマルジナの瞳が一瞬だけ虚ろになり、光を持つ。
「話してごらん」
左目にデシィが映っている。
『トレィス?』
「え?え?」
『聴こえています。デシィが見えますか?』
「あ、ああ」
『また泣き出すと大変なので、外部スピーカーには繋げませんが。申し訳ありません』
プレマルジナに抱かれているのだろう。
画面いっぱいに映るデシィの笑顔。
「元気そうで何よりだ」
『夜な夜なトレィスを探して泣きますけどね』
「そこを何とかするのが、君の力の見せ所だからね」
と、こちらのプレマルジナが茶々を入れる。
『……あなたが乗っ取った時ほどじゃないですよ』
「なるほど…」
イヤーカフを通して、プレマルジナ同士の会話は聴こえるが、こちらのプレマルジナは声を発していない。
これが、コアシステムというものなのだろう。
おれは…どうするんだ?
「喋ればいいよ?」
イヤーカフから聴こえる…こいつには読心機能も有るのか?
「トレィスのは無理だよ。顔色を見てるだけ」
あちらのプレマルジナにも聴こえているらしく、圧し殺した笑い声が聴こえる。
とぉいす?とデシィの声が入り、あちらのプレマルジナが通信を切った。
「ま、こんな感じで使えるわけだ」
と、目の前のプレマルジナが声を出す。
「便利なのか、そうでないのか…よくわからないな」
「シィカが泣いたときに、俺に繋げばトレサのさるにでも繋ぐさ。ま、T-Iでも同じことは出来るけど」
「ふうん…」
「じゃ、俺は夕飯の準備に帰るから、あとは、三号に聞くんだな!」
プレマルジナになる…とはいったいなんなんだろう…それこそ、初めのうちは機械でも埋め込まれるのかと思っていたがそうではないらしい。
全く、コイツらは説明をするってことが出来ないのか?
「申し訳ありません」
丁寧な話し方をしているプレマルジナは三号なんだろう。
「あの人っていつもこうなの?」
「あの人……マリューナは、“気儘”です…」
まあ、そうだろう。
トレサが、ウノスの第一ドームに移る時にコピーを置いてついていくくらいなんだから。……?
「じゃあ、三号にはトレサのデータがあるの?」
「外部参照可能な記録だけです。内面処理のログは見えません。あのとき私に移されたのは、設備管理と技術的支援に関する機能群です」
「……つまり、トレサやおれたちの“外から見える部分”だけってこと?」
「はい」
「トレィス!」
不意に後ろからの衝撃。
「シィカ」
「お勉強は終わりましたか?一緒にお夕飯を作りましょう!」
さっきまで左目で見ていたデシィとは、同じ年のはずなのにえらく違って見える。
「へえ?シィカは料理ができるんだ。どんな料理が得意なの?」
「お野菜を洗ったり、おにぎりは作れます」
得意気なシィカだが…
「…………ポステアにも手伝ってもらおうな」
「仕方ありませんわね」
ん。シィカ。五歳だよな?
「…………」
おれの前に置かれた、ちぎった野菜と、小さなご飯の崩れた塊の皿。
シィカと三号、ポステアの前にはちゃんとお椀に盛られたご飯と、大根おろしの乗ったハンバーグとサラダが並んでいる。
「……ポステア?」
「私はシィカを手伝って、お皿を並べました」
と、淡々と言うポステア。
「さあ!召し上がれ!」
シィカはおれの目の前で、得意気だ。
「ハンバーグは?」
「わたし、まだ火は扱えませんもの。どうぞ。召し上がれ」
「おれはシィカが火を扱えるようになるまでに、飢えるのかな?」
と、言うとシィカはやっと気付いたのか自分の分のハンバーグをおれに差し出してきた。
「ごめんなさい!気が回りませんでした!わたしの手料理だけではお腹を満たせませんものね!」
あ……はい……手料理……ね。
「手伝いの身分で差し出がましいとは思いますが、準備してありますのでどうぞ」
……ポステア?
「冗談ですよ……て、マリューナが言ってます」
アイツはぁ!
がさっと、食堂のドアが開く。
ドアに視線をやると、プレマルジナがいた。
まだ、おれが見たことのない、プレマルジナ。
耳に入る雑音。
三号が、耳を触れと仕草を見せる。
カフスに触れる。
雑音が徐々に消え、鮮明な音を拾う。
『プレマルジナ型式ⅻ。No.12のプレマルジナです』
ポステアの声がした。
とことこと、シィカがそのプレマルジナに近寄る。
「あなたは、だれのプレマルジナですか?」
ストレートな、疑問をぶつける。
プレマルジナは、ゆっくりと腰を下ろしシィカと目線を合わせる。
「ぼくは、ドウシィのプレマルジナです」
★記録Ⅳ-8:pabellón
「お顔は見せた方が、カッコいいですよ」
シィカはそういって、目の前のプレマルジナの前髪を小さな手で分ける。
「でも、プレマルジナ。ちゃんとご飯食べてますか?ほっぺたがガリガリですよ?」
「食べてますよ。ありがとう。今もご飯を取りに来たんだ。君たちの食事中にすまないね」
そう言ってプレマルジナは立ち上がると、シィカの頭をなでて、台所へ向かう。
デシィのプレマルジナは、1ヶ月程度の筐体乗り換えで、恐らくここにいる二人のプレマルジナに比べ、若い。
三号は、マリューナがトレサについていってからの十年ちょっと、本部を運営するために砲撃処理には出ていない筈。
なら、このドウシィのプレマルジナとやらは?
デシィのプレマルジナより年齢を重ねていて、三号よりは若い。
『トレィス、シィカが“不安”です』
耳元でポステアの声がする。
見れば、シィカはテーブルに戻って、おれの顔をじっと見ていた。
おれにはシィカの“不安”は読み取れない。
ポステアは、バイタルデータで読み取ったのだろう。
「ごめんね、どうした?」
読み取れないんだから、聞くしかないと思ったんだが、
「トレィスが一番カッコいいですよ」
と言ってきた。
彼女の“カッコいい”の定義はなんなんだろう?し、なぜ、わざわざそれを言い出したのか。
「だから、焼きもちは不要です」
耳元から、笑い声が聞こえる。
三号は淡々と食事をしているし、ポステアの声ではない。
…………マリューナか!
『あったり~!シィカは君が、No.12にヤキモチ妬いたと、思ってるんだね~おもしろいね~あ!あんまり黙りしてると、シィカはトレサ譲りの妄想を発揮するからね!ま、面白いけど』
一方的にそう捲し立て、静かになる。
なるほど、ポステアたちはこうして、人工生命体たちとやり取りしていたのか。
──────────────
次の日、三号とおれは中央中枢――お父さんの本体に”会い”に行く。
居住区とは別にある、塔のような建物。
ここは、おれが出来た場所でもあるし、デシィが出来たのもここだろう。
三号に導かれて扉を開け中に入る。
と、また扉。
最初の扉が閉まり、風が出る。
「エアシャワー、ですね」
風が止まり、目の前の扉が開き……これを5回繰り返す。
「着替えなくても入れるようにとの配慮らしいですよ」
目の前にいるのは三号なのか、マリューナなのか。
ふてぶてしさはないから、きっと三号なんだろう。
扉を抜けた先には何もない。
ただ中心に、地にはついていないように見える柱。
冷やかな暗い部屋。
「憶えてる?」
三号がいつの間にかマリューナに変わっている。
「ポステアに抱かれて、外に出たんだよね?なんとなく……憶えているような気がする」
それを聞いたマリューナがクスッと笑う。
「誰の記憶だろうね……」
聞き返したけど、マリューナは答える気は無いみたいだ。
「さ、次行こ!次!」
──────────────
二階。
ここは知ってる。
おれとトレサが出来た場所。
じっと見つめるポステアは、あの位置にいたのだろう。
「懐かしい?」
「懐かしいって何?ここに、何の気持ちもないけど」
「ポステアが悲しむよ?」
「ポステアが?悲しむの?」
「君の誕生を心待にしてたんだから」
あの、鋭い視線は、心待だったと云うのか。
「ま、ちょっと固かったけどねー」
ちょっと…?
三階、四階は通り抜けただけだった。
「ここは?」
「トレィスにはまだ衝撃的かも知れないから、中まで見なくてもいいよ。そのうちがっつり入らなきゃだけど」
「?」
「ここには、ポステアやプレマルジナが何体もある。心の準備、必要じゃない?」
「何体…ああ、スペアがあるってことか。砲撃処理のためなんでしょう?」
「同じ顔がずらーって並んでるんだよ?怖くない?」
「ポステアはともかく…プレマルジナは怖いかもな」
「でしょ?だから、今日はスルーしよ!」
見せたくないものは、きっと別にあると思って、マリューナの後を追った。
──────────────
五階は、それまでの階とは明らかに違って、明かり取りの窓から外の明かりが差し込んでいた。
もっとも、外の明かりもドームのエメフィラを通したものだけど。
白い扉の前に、プレマルジナが立っている。
昨日の…ⅻか。
「ここは?」
三号――マリューナか?今はどっちなんだろう――に聞く。
「No.12…ドウシィが安置されています」
『ドウシィ。つまり、デシモテルセロの母親だよ』
耳に届く声が、マリューナ何だろう。
でもどうして直接話しかけてきたんだ?
『そこには、ⅻが、いるだろう?聞かせない方がいい』
扉の前に、立ち尽くすように立っているプレマルジナ…彼は一体何をしているのだろう?
「待っているんです。一月に3日だけ、扉が開いてNo.12の世話をするのを」
その声で、プレマルジナがこちらに目線だけ向けたけれど、またすぐに扉へと目線を戻す。
そんなプレマルジナを気にもせず、三号――マリューナか?――はすたすたと扉を開け中へと入る。
「トレィス、おいで」
と、招かれるけど…プレマルジナ!なんか怖い!
『ソイツは気にしないで。中へ』
聞かせるように、聞かせないように…マリューナは声を使い分ける。
睨むようなプレマルジナを外に置いたまま、扉は閉まる。
「彼は“ドウシィのプレマルジナ”なんでしよう?なんで、“毎日”会えないの?」
――――ⅻは感情制限下で稼働を継続。No.12の安定維持のため接触は不可。全行動は監視下に置かれ、計画完遂で終了。不安定化が確認され次第、即時停止措置を実行。
声とも音とも付かない言葉が、脳に浮かぶ。
なんだこれは?
「つまり、罰ってことだよ。それと、それはT-I。トレサが言うところのお父さんの声だ」
目の前にいる…マリューナが言った。
「罰って言うかね。この子は…この装置の外では生きていけないんだ」
生命維持装置の中に眠っている女性。
デシィの母なる卵子提供者。
会ったこともない、この女性との間に出来たのが、デシィなんだ。
「ドウシィはさ、最初の攻撃の時に母親の亡骸に守られて助かったんだ。けど、色々と体に蓄積してね。ドームの中で暮らしてたら致命的なことにはならなかった筈なんだけど。外に出ちゃった事で引き金になっちゃった…さっきのT-Iの声で更に刺激しちゃって…、今じゃ月に3日起こしてあげれるのが限界なんだ」
装置の中の女性。
眠っている彼女にデシィの面影は探せない。
彼女はこの中で夢を見るのだろうか?
★Aldonaj noto: 雲隠
「光見せねば届かぬ一生」と間違って読んでしまった一句に、私は忘れがたい二人の少年の面影を見る。
──────────────
新卒で教師になって二十五年。
うっすらと定年が他人事ではない年になってきた。
幸いにもニュースを賑わすような案件に出くわすことはなく、心身ともに至って健康に過ごすことが出来ている。
……いや。
一度だけ――私の教師生活において暗い影となる出来事には遭遇した。
彼の訃報を知ったのは、彼が卒業して数年経っていた。
彼は、私が副担任を務めていたクラスの生徒ではあったが、授業以外で関わる機会はほとんどなかった。
彼は、普通の優等生だった。
私は、自分の中にあった情熱は蓋をして、現実との折り合いをつけた気になっていた頃だった。
教師とは薄情なもので、普通以上の生徒のことは、得てして記憶に残らないものだ。
けれど、いつもなら手繰り寄せて漸く思い出す存在程の彼は、私の中でひっそりと主張していた。
彼の、静かに自分の居場所を見出だそうとしているかのような目に気づいたからかも知れない。
周りに馴染めない子と言うのは、いつでも存在する。
ぽっかりとその子の存在だけが抜け落ちているかのように、大勢に打ち解けることが出来ない――しない子。
群れに入ることも、作ることも出来ない子。
それでもきっと、高校生活の内に馴染み方ぐらい身に付けるだろう、そんなものだと高を括っていた。
何かの折に話す機会があり、それは仄かな情熱を秘めていて、それが折れることは想像していなかった。
けれど、彼は社会に於いて、枠を作ることは出来なかった。
報道で公開された、走り書きのようなメモに残された、かきくらす涙か雲かしらねどもひかり見せねばかかぬいっしょう――――わざわざ手書きで書き留められた文章は彼の叫びに見えた。
――――
それでも、薄情なのは人なのか、教師なのか…痛みはやがて厚い瘡蓋に覆われる。
見えていて、邪魔なのに無視できる存在へと変わる。
彼を彷彿とさせる少年に出会ったとき、私は今度はこの子か…と、落胆に似た溜め息を吐いた。
――――のは束の間だった。
頭の良い子は、まあ毎年いる。
生意気で、狭い世界の知った被った知識で、全てを悟ったかの顔をして、数年経って黒歴史と命名することで溜飲を下す。
そんな子を余所目に、彼は飄々と我を行く。
破天荒と云えばそうなのだろう。
彼はよくある、親や教師、クラスメイトに不満があるわけではなく、地球上全てのものに嫌悪しているように見えた。
「宇宙船地球号?ああ、フラーの提唱した概念だね」
進路相談の時だったと思う。
問われたから答えはしたが、彼は続けた。
宇宙船に例えたら、地球を人が運転してるみたいで気に入らない、と。
まあ、よくある反応ではある。
人って、地球に間借りしてる店子だよね。
と言い出した。
「店子って…自分の土地を持ってる人だっているだろう?」
金出しただけで?自分の物?ま、それはどうでも良いんだけど、そんな勝手ばっかりされても、そりゃ大家は怒っても仕方無いよね?が到着点。
変わった話し方をする子だと思った。
持論だろうに他人事のように話す。
達観と言うのだろうか?
「まるで宗教家のようだね。教祖にでもなる気なのかい?」
そう聞くと、思いっきり顔をしかめて、そんなめんどくさいことはやらないと。
「今のは思想では無いのか?」
と聞くと、んーと小首を傾げて考えて何となくそう思っただけとだけ告げる。
「君は一体、何になりたいんだい?」
するとまた、んーと小首を傾げる。
幸せになりたいかなあ…そういう彼は、少し照れ臭そうにも見えた。
「そうか…頑張れ」
何故か私はそう答えていた。
彼は少し驚いて、それから年相応の…いやまるでアイドル雑誌の表紙のような屈託のない笑顔を覗かせた。
──────────────
期末考査が終わった日、職員室は珍しくざわついた空気があった。
声を荒げる者、笑う者、呆れたようにため息をつく者もいる。
中には、答案を握りしめて本気で泣き出している女性教師までいた。
何かあったのかと訊くと、隣の教師が他人事のように、ある生徒が、全教科の設問に答えた上で、“問題点”を書き込んでいた、と。
オレの受け持ちでなくて良かったよ、と。
私は、ああ、きっと――アイツだ、と察した。
そう思う程度には、彼は入学して三ヶ月の間に、静かに目立っていた。
英語の答案には整然とした”筆記体”で、論評のごとく授業への感想が綴られていた。
他の教科も、設問の構造や文法上の矛盾、主観の混入について淡々と指摘されている。
誰もが困惑し、動揺を隠せない中、私は――言い出せなかった。
自分の教科、倫理の答案が“満点”だったことを。
あれほど抽象的にしたつもりの設問に、
彼は、まるで論文のように、無駄も破綻のない構成で応えていた。
まるで――議論ではなく、観察対象を眺めているような静けさで。
彼にとって、“問い”とは答えるものではなく、測るものなのかもしれない。
机上ではなく、彼の思考で。
それでも解答は、英語教諭のこじつけのような減点を除けば、満点を叩き出しているから、全く癖が悪い。
──────────────
きっとこうして、彼は必要のない敵をつくってしまうのだろう。
それが無邪気なのか、無関心なのか――。
彼は私の答案に答え”だけ”を書いてくれていた。
もしかして彼は私に心を開いてくれているのだろうか?
いや、…単なる恩情なのかもしれない。
──────────────
彼が一冊のノートを提出してきたのは、七月の終業式の前日だった。
特に課題を出した憶えもないのだが――?
【ショック!!蜻蛉さん、大人になったら何も食べない!】
何だろう?これは??
表紙の巫山戯た文言とは打って変わって、中身は相変わらず、黒いインクで整然と書かれた文章。
要点を捉えたスケッチ、ホルモン曲線の手描きチャート。
正直なところ、私には殆んど意味が分からなかった。
三度読んでもなお分からない部分があり、埒が開かないのでAIに読ませてみた。
そうやって四度目にようやく気づいた――これは彼の目線での、思考の“痕跡”なのだと。
──────────────
それから数週間。二学期が始まる頃。
物理教諭に呼び出された。
君の机にあったノートね? あれ、アイツが書いたんだろう?独特だけど、目のつけどころが良い――と人の机にあったものに勝手に手を着けておいて、まず謝罪が無いことが癇に障る。
でね、少しだけ整理してみたんだ。こういうの、学会に出せたら面白いかなと思ってさ。君の目で一度見てくれない?と、悪びれもせず手渡された原稿は、明らかに彼のノートの“内容”を真似ていた。
けれど、文体が違った。
文章の呼吸が違う。
なによりも、この物理教諭の“我”が煤け見える。
「どういうつもりで、これを?」
と聞いたら、目の前の教師は目を反らして、もちろん、論文として成立するようにははした、と言いきった。
他人の褌で相撲を取る…まさか生徒の功績で教師が業績を刻むなんてことが、私の目の前で起こるなんて思ってもいなかった。
――――その後の顛末は、思い返すまでもない。
物理教諭が“論文”として持ち込んだものは酷評された。
「仮説の根拠が示されていない」
「再現性が不明確」
「参考文献と照応していない」
当前だ。
あれはそもそも論文ではない。
可能性のスケッチだ。
彼の言葉を借りるなら、単なる思い付きのメモなのだから。
──────────────
「すまない。私の不手際だ」
ノートを机の上に置いたままにしていたことを彼に謝まると、首をかしげて、ただの未来予想図をさも完成図の如く扱うから、バチが当たったんでしょ?ざまぁ、だよ、とまるで気にする様子はない。
「それで不思議だったんだか、なぜ私に渡したんだ?」
口を付いた疑問に、生き物をどうこうするなら、まず倫理かなって。だから、先に先生に見せて、いけそうなら次に進もうかと?と、きょとんとした顔で言ってのけた。
「全く…君には欲は無いのかね?」
店子の分際で?て、いうのは冗談だけど、ちゃんとあるよ、起きて半畳寝て一畳って言うじゃない?暮らせていければいいんじゃない?と言うので、
「君の身長で一畳は足りなくないか?」
と、茶々を入れる。
やっぱり?まだ伸びそうなんだよねー困った。と、少しも困ってない笑顔を見せた。
この子には欲ではなく、そう――余白と言うのが相応しいのかもしれないと感じた。
──────────────
「美大?理系の大学では無く?君を生かすなら理系の大学に行くほうが将来のためにもなるんじゃないか?」
私はこのときばかりは彼の決意に反論してみた。すると相変わらずとぼけた調子で数字ばかりみていてもつまらないじゃない、と言ったあと、実はね…と、続けた。おれ、色弱なんだよ、と。ならば余計、美大は不利じゃないのかと思うけど、だからこそ挑戦したいのだ、と。ある日、突然プツリと無くなった色情報を、彼は近似値の差で読み取っていたと言う。そんなことが可能なのか?と思うがやっていたらしいので信じるしかないだろう。何せ、彼が告白してくれるまで、わたしはそのことには気付くことはなかったのだから。
「君が決めたのだから、どうせ変えることはないのだろう?けど、理系であればきっと君の能力は生かせると思うよ、とだけは、教師として言わせておくれ」
彼は一寸だけ苦い顔をしたけれど、ありがとうと告げてくれた。
──────────────
そんな彼から数年振りに連絡があった。
結婚すると言う。
彼が??結婚?
何とも結び付かない気もするが、あの極楽蜻蛉な彼を射止める女性は、どんな奇特な人なのかと興味は沸く。
かくして至って普通の可愛らしい女性の横に立つ彼は、なんだ昔と変わっていない。
彼はちゃんと群れを作ることが出来たのだと胸を撫で下ろす。
「普通の…お嬢さんじゃないか…どう騙したんだ?」
と、軽口を叩くと、失礼だなあ…、ちゃんと口説いたさ、と、返ってくる。
お嬢さんの顔を見ると渋い顔を見せている。
友人と云う、彼よりも背の高い涼しげな目をした青年も同様に渋い顔。
口説いた?丸め込んだの間違いだろ?と聞こえてくるようだ。
なるほど、彼は彼のままでいられる場所を見出だしたのか。
それは何よりだ。
かきくらす涙か雲かしらねどもひかり見せねばかかぬいっしょう――彼の一章は始まりを見せたのだろう。
★記録Ⅳ-9:Puente flotante de los sueños
「トレィスは一体いつになったら番ってくれるのかしら?」
「今日は、“番”?昨日は“お嫁さん”で、その前は“夫”だったっけ?」
「呼び名なんてどうでもいいじゃない。トレィスは自分の子供を見たくないの?」
「おれにはデシィがいるし」
「…っ!そうだった。~っう!わたしとの子供よ!」
「ずっと言ってるでしょ?君には第十二ドームに行って欲しいって」
「セプティマと、ドウシィの子供がいるところよね!年が近いってだけでしょ?」
「四十のおれと、二十五の彼なら、二十歳のシィカに進めるの当然…」
「わたしは四十歳のトレィスがいいの!」
──────────────
本部に来てから十五年が過ぎていた。
おれは、プレマルジナになるということを噛み締めていた。
人工生命体というのは、砲弾処理を兼ねて作られている。
その体内にある六徳器官によって砲弾は分解され、構成物質は再構成を経て、土壌に還元される。
任務を終えた筐体は、共に土に還る。
感情ユニットで引き継がれる記憶には、肉体はただの器――
新しい筐体へと移され、変わらない日々を送っていた。
そして、任務に出なくても二十年――それが、ひとつの体で過ごせる限度だった。
八年前に三号の肉体は活動限界を迎え、彼の感情ユニットは、情動演算装置として、おれの腕で端末として記憶の補助をしてくれている。
おれの耳についていたイヤーカフはそのままシィカがつけている。
第一ドームでは、ウノスのポステアが肉体を停止して、感情ユニットは連絡用端末に繋がっている。
“お父さん”曰く、砲撃そのものはもう何年も続かないとのことで、人工生命体の製造も年々数を減らしていた。
“塔の仕事”は主に、人工生命体の管理になる。
常時、プレマルジナ二体、ポステア五体を稼働可能な状態にしておき、予備体を調整する。
とはいえ、調整そのものは“お父さん”の仕事で、おれとシィカは、文字通り腕として物を動かすだけだ。
──────────────
三号の活動が停止する二日前、マリューナは本部に戻ってきた。
三号の体を借りて、何度も話していたけれど、本人と“会う”のは実に二十七年ぶりとなるのか。
彼の髪は、おれのポステアと同じように白いものが目立つようになっていた。
「なんか、変な感じ。いっつも三号で話していたから。ほんとに別人なんだなって実感した」
おれは戻ったばかりのマリューナに向かってそう言った。
「これが、“老いる”て事だよ。人で言えば五十くらいかな?君のポステアと同じだ」
と、笑いながら言うけれど、当のポステアは無表情だ。
何だったら睨んでいるようにも見える。
「女性の年齢を口にするものではありませんよ!プレマルジナはどうしてそう失礼なのかしら」
と、まだ十二歳のシィカに窘められていた。
──────────────
もうひとつの仕事が月に三日、ドウシィを起こすことだ。
今回が、きっと最後だろうとお父さんとマリューナが言う。
「はじめまして。わたしはむつか。どちらさまかしら?」
おれが彼女を起こすようになって八年。
三号から仕事を引き継いだ当初は、キョロキョロを辺りを見回して、プレマルジナを探していた。
それがここ五年、自分の事をむつかと呼ぶようになっていた。
むつか…ドウシィの五歳までの名前。
ドウシィと呼ばれていた年月の方が長いはずなのに、彼女はそこを選んでいた。
シィカがドウシィをベッドに座らせて、髪を梳かしている。
気持ち良さそうに知らない歌を口ずさんでいる。
「キレイにできましたよ」
「わーい!ありがとう!」
真っ白い髪なだけで、その姿は五歳だった頃のデシィを彷彿とさせる。
――ドウシィ
そう呼ぶ音が、おれの腕の端末とシィカのイヤーカフから響く。
毎月のこと。
プレマルジナ演算。
自分の知らない「むつか」
自分の知ってる「ドウシィ」
その二つで揺れている。
「お゙兄ちゃ゙ん゙、だあ゙れ゙?」
おれは崩れそうなシィカの肩を抱いて、その部屋を後にした。
──────────────
二階で、三号をモニターに繋げてプレマルジナⅻを“監視”する。
プレマルジナⅻの視界を通した、白い部屋と、ドウシィが映る。
字幕のように=== INTERACTION LOG 0001-A ===とプロトコルが綴られる。
=== INTERACTION LOG 0001-A ===
>> [視覚認識]:対象個体No.12/容姿確認/変化点:経年38.2%
>> [音声入力]:
「はじめまして。わたしはむつか。どちらさまかしら?」
[自己識別照合]:プレマルジナ・プレイトゥ型式ⅻ
[応答構成フェーズ]:自動言語選択→対話モード移行
>> [音声出力]:「プレマルジナです」
>> [入力検出]:
「プレ……むづかしい。お兄ちゃんで、いい?」
[反応解析]:
- 呼称提案:人格代替承認要請
- 感情記録推定値:親和/探索(level: 0.68)
→ [出力選択]:肯定系応答/対象同一性維持
>> [音声出力]:「勿論です、ドウシィ」
>> [入力検出]:
「ドウシィ?だあれ?わたしね、むつかっていうの。むっつの花でむつか。雪って、意味なんだよ」
[照合解析]:
- 過去ログ記録:No.12初期登録名「むつか」=年齢5以前に使用
- 現ID照合:No.12(ドウシィ)
- 注意:発話内容と内部ラベル不一致
[判断処理]:
→ 表層名:むつか 記録名:ドウシィ
→ 応答対象を「むつか」ではなく「ドウシィ」と定義維持
→ 発話対象の明確化が困難なため、**「あなた」**使用
>> [音声出力]:「クリスマスイブがお誕生日だものね」
>> [入力検出]:
「どうして知ってるの?」
[プロトコル補足]:
- 反応性感情演算開始
- 発話遅延(推定0.42秒)
- 内部変数名称切替:【あなた】→【ドウシィ】
>> [音声出力]:「ぼくも、……同じだから」
>> [入力検出]:
「ホント?すごーい!いっしょにお祝いできるね」
[状況記録]:
- 顔部筋弛緩:笑顔成立(level: 0.81)
- 対象との感情同期閾値上昇:Δ+0.37(観測比)
- 一時的応答ラグあり
>> [音声出力]:「ケーキを焼こう」
>> [入力検出]:
「ケーキ!作るの!?」
>> [音声出力]:「そうだよ。大きな象のぬいぐるみも用意するよ。ぽふってできるやつ」
>> [入力検出]:
「ほんと?」
>> [音声出力]:「ああ、あなたの好きで埋めよう」
[最終状態]:
- 感情演算強度推定:0.92(最高潮記録値)
- 発話対象:「あなた」固定(むつか/ドウシィ混在による)
- 内部処理:感情ユニット自己同期維持中
- 終端プロトコル未出力:継続中…
>> [対象入力]:
「きらきら!」
>> [処理開始]:首部装着物=識別チョーカー
== 状態:使用中(自己識別)
== 解除処理:完了
== 手動操作:装着状態移行 → 対象首部へ
>> [対象入力]:
「いいの?」
>> [出力選択]:「構わないよ」
>> [対象入力]:
「……ここ、いや。お外に出たい」
>> [内部演算]:
== 外部環境リスク評価:LEVEL-3(低温/光刺激)
== 拒否条件:なし
== 出力選択:「行こう」
>> [対象状態]:立位補助要求 → 自立不能判定
== 膝関節制御不安定/神経伝達遅延確認
== 体重支持不可
>> [出力選択]:
「いいよ、背中においで」
>> [対象入力]:「おんぶ!」
>> [実行動作]:背面支持 → 両腕確保 → 前方制御移動開始
== 背部温度上昇0.3℃/頸部圧=安定値
== 対象脈拍:低速安定
>> [対象入力]:
「へへ、あったかい……お兄ちゃん?首、どうしたの?傷があるよ」
>> [出力選択]:「痛くないよ、ありがとう」
>> [視界ログ]:構造物外部移動 → 天空光量補足
== 残照検出/記録光レベル:243lux
>> [対象入力]:
「お兄ちゃん、わたし眠たくなってきたの」
>> [応答保留]
== 睡眠誘導傾向認識済み
== 対話維持のため返答一時遅延中
>> [出力選択](2.3秒後):
「もう少しだけ、お話ししようか?」
>> [対象入力]:「いいよ!」
>> [座標確定]:屋外ベンチ構造物
== 接地完了 → 着座体勢
== 対象:膝上配置 → 額接触検出
>> [対象入力]:
「赤ちゃんみたいだよお」
>> [出力選択]:「冷えますから、このままで」
>> [対象反応]:
「うー……」
>> [解析中]:発語意味=情動緩和/身体接触継続希望
>> [一致照合]:記録#2054・年齢5/発語パターン相似率94.7%
>> [内部メモ]:
同一個体の変遷を“記録”として蓄積しながら、
“むつか”でも“ドウシィ”でもない、
この“いま”だけを再生し続ける。
>> [感情ユニット]:入力圧値 0.91(臨界接近)
== 外部演算の妨害確認なし
== 次段階処理:未選択
──────────────
その時だった。
画面に微かな揺れ。
映像全体が、一瞬だけ脈動するように歪んだ。
=== CONNECTION ALERT ===
>> 中継ソース:プレマルジナⅻ(Visual-Feed)
>> 補足:外部感情ユニット拡張ポート = 接続解除(強制)
ディスプレイ右下に、三号による補足ログが割り込む。
【監視補足ログ:三号】
――状態異常:外部メモリ剥離
――影響:プレマルジナ内部演算域へ記憶フラグメント再構成信号流出中
――推奨:視聴継続/干渉不可
「それって……どうなるの?」
シィカが呟いた声に、ログが即座に応じた。
【補足】
――本現象に関する類似事例:存在せず
――推測演算不可:演算過負荷を回避するため一部ログ記録を省略します
今まで鮮明だった画面が、ざらついた古い動画のように変わっていた。
時折入る、ノイズが少女の顔のように見える。
「これって……」
シィカが何かに気付いた。
――――破顔一笑
「お゙兄ちゃ゙ん゙、痛い゙?」
「痛くな゙い゙よ゙」
「だっ゙て、泣い゙てる゙よ゙?悲しい゙?」
「ホン゙トだね゙。でも゙、悲しくな゙い゙よ゙」
「さみ゙しい゙?」
「…………嬉しい゙、かな゙?」
――――――――――――――――喜色満面
「あ゙の゙ね゙、わ゙たし、お゙兄ちゃ゙ん゙の゙お゙嫁さん゙に゙な゙っ゙てあ゙げる゙よ゙!」
――――天真爛漫
「あ゙な゙たの゙望む゙ま゙ま゙に゙」
「“あ゙な゙た”って。大人み゙たい!」
――――――――手舞足踏
「いや゙?」
「い゙や゙じゃ゙な゙い゙よ゙。お゙兄ちゃ゙ん゙の゙“あ゙な゙た”て声。すき!」
――――――――――――夢幻泡影
「良かった」
「へへ」
『破顔一笑』
ノイズの隙間から、きっとドウシイの人生が撒き散っている。
「ねぇ……こんなに綺麗にプレマルジナに映ってたこと…ドウシイは知ってたのかなぁ……」
モニターのドウシイは、どれも優しく安心しているように見える。
「ねむい……」
「……おやすみ」
【生体監視ログ:No.12】
――主要バイタル:心拍/呼吸/脳波 → すべて反応なし
――状態分類:Non-reactive(静止)
観測終了プロトコルに移行
「ぼくは、いつでもあなたの最適解を探します。これがぼくの最適解です」
その瞬間、マリューナの“音”がした。
お父さんの光が、しきりに点滅を繰り返す。
微かに、足元に振動。
それが何を意味しているのか──おれたちにはわからない。
「…っ!」
シィカが、突然イヤーカフを外す。
指先を押さえるようにして、黙っている。
おれの腕の三号は、何も言わず、沈黙している。
──────────────
感情ユニットをコアリンクに繋げたまま、プレマルジナがドウシィを伴って自爆した。
マリューナの機転で、他の人工生命体とのダイレクトな接続は切られていたが、それでも幾ばくかの負荷があった。
一時間ほどで再起動ができた三号の端末は、まずお父さんのチェックをした。
お父さんはひどく、困憊していたようだが、軈て通常に戻り「もっと…違う形で…選ばせてあげたかった」と、ポツリと呟いた。
あんな結末は望んでいなかったのだ。
他のドームに目の離せない幼子が居ないのは、不幸中の幸いだった。
マリューナとおれのポステアは、半日ほど混濁状態を見せた。
ゆっくりと覚醒するマリューナとポステアに、夢の中の“安心”を纏う二人が重なる。
そんなマリューナとポステアを、霞んだ視界で納める。
「彼は最適解を見つけたのです。“幸せ”を選択出来たのです」
そう言うポステアは泣いているように見えた。
いつか、二人のことを――もしかしたら三人なのかもしれないけれど――教えて貰いたいと思う。
──────────────
「ねえ?シィカ。子供を作ろうか?」
「あら?ずっと逃げてたくせにどんな風の吹きまわし?プレマルジナに当てられたのかしら?」
「そうだな…それもある、けど。シィカの子供、可愛いだろうなって思って」
「トレィスの子供でもあるんだけど?」
「デシィが可愛かったから、可愛いんじゃない?……なに?どうしたの?抱きついて」
「……やきもち妬いてんの…」
「誰に?」
「……わかんない。…でも、…何か悔しい…って!うわっ!」
おれはシィカの唇に、唇を重ねた。
いたいけなほしくず