偉い人

偉い人

 今年もこの季節がやって来た。梅が出回る時期である。梅を漬けるようになって何年経っただろう。漬けない年もあったが、毎年この鬱陶しいじとっとした梅雨の時期にあって、唯一の楽しみとなっている。

 町の小さな八百屋で梅の実を買うことができればいちばんなのだが、生憎、私の住む町にはそんな八百屋は一軒もない。したがって、スーパーへ梅の実を買いに行くことになるのだが、そこで梅の実をじっくり選んでいたら、背後から声をかけられた。
 振り返ると、私の母とどっこいどっこいの年格好の女性である。

「梅、漬けるんですか」
「はい」
「ご自分で」
「えぇ」
「まぁ、偉いのねぇ」

 梅を漬けるだけで、「偉いのねぇ」と言われるのは何だか申し訳ないが、私はそのおば様からご覧になったら偉いのである。

「何キロつけるの?」
「えぇ、5キロ程」

 私が答えると、おば様が話し出した。

「私は毎年、10キロ漬けていたんだけど、ここ数年は梅が高くてね。とてもじゃないけど10キロも漬けられないから、今年は漬けるのやめたの」
 おば様は、目の前に並んでいる南高梅のパック、1キロ1580円の値札を眺めながら、残念そうに私に言った。

「でも、せっかくですから、1キロだけでもお漬けになったらいかがですか」

 そう言い返したが、おば様が1キロ1580円の南高梅をカートンに積み込むことはなかった。

「本当に偉いわね、感心しちゃうわ。頑張って美味しい梅漬けて下さいね」

 おば様はまた私のことを偉いと言って、カートンを押しながらレジの方へと姿を消した。

 ひとりになった私はそれからさらに悩み、南高梅は高いからという理由で埼玉県の梅処で有名な越生町で生産されている越生梅を2袋手に取った。傷んだものが入っていないか良い梅か、それは厳しい目で職人のように細々と舐めるように、隅から隅までチェックした。青梅だから少し追熟させなくてはならないが、漬けたことのない梅だからどんなものかと、試しに2キロ買った。

 会計を済ませてると、梅をリュックに優しく仕舞った。できるだけリュックを背中にぶつけないように、ゆっくりと加減して歩き始めた。梅は衝撃に弱い。ぶつかって潰れたところから傷み始めてしまうから、下へも置かず大事に家まで持って帰った。
 家に着いてリュックを開けると、何とも言えない梅の爽やかな匂いが私の鼻をくすぐった。袋から梅を取り出し、菓子折りの空き箱に大事に並べると、そのまま追熟期間に突入したが、翌日、チェックしてみると、もうすでに成り口の部分に一つ、梅の天敵である白カビのようなものが生えていた。何個か黄色くはなって来たが、このまま追熟させるのは難しいと思い、2日目で追熟させるのをやめてしまった。
 梅が出回る時期は毎年、店先に並ぶ梅を見ずとも友人が送ってくれる立派な梅を見て知るのだが、今年は珍しく友人からの梅便りはなく、いささかタイミングを逃してしまった。

 梅と同じように、赤紫蘇もモタモタしている間に 店頭からは姿を消し、途方にくれた。どうしても赤紫蘇が入らないと私の梅干しではないのだ。昔だったらきっと、もうこの時点で赤紫蘇は諦めて、ただの塩漬けの梅干しとなるのだろうが、今は通信販売というものがある。いささか割高になってしまうが、背に腹は代えられない。ここでまたモタモタしていて出荷終了となってしまったら、本当に塩漬けの梅干しとなってしまう。既の所で赤紫蘇を五パック購入し、何とか赤紫蘇漬けの梅干しとなった。

 毎年、赤紫蘇も群馬県で生産された物を買っていたが、今年は愛知県で生産されている「へきなんのあかしそ」というのを手に入れた。赤紫蘇と言っても裏表どちらも赤いというものではなく、どちらかというと表は赤く裏は青じそのような、まだ少し緑が残っているような赤紫蘇である。非常に爽やかな匂いが特徴である。梅も埼玉県の越生梅、赤紫蘇もへきなんのあかしそと、初めて手にしたものがどんな梅干しになるのか、毎年のこととはいえこうした新たな出会いもあるから、梅干し作りはやめられない。

 梅売場で出会ったおば様が言うように、私はちっとも偉くはない。自分好みの梅干しがどこを探しても売っていないから自分で漬けているだけで、材料費と手間を考えた時に見合うものがあるのなら、何も大変な思いをして5キロも梅を漬けることはしないだろう。なんて思ってはいたが、やはり大変でも一年のうちの限られた時期に、こうして毎年変わらぬことができる喜びを、様々な経験を経て感じるようになったのかもしれない。

 食いしん坊が幸いして梅仕事を楽しめるようになった。梅干しはどうか知らないが、いろいろ手作りしているという俳優の斎藤工さんと話す機会があったら、きっと話が盛り上がるだろうと思う。そんなことになったら別の意味で、私はエラい人である。

偉い人

2025年7月10日 書き下ろし
2025年7月26日 「note」掲載

偉い人

今年も 梅仕事をした。食い意地が幸いしてか、苦ではなく楽しい作業である。今年は凄まじい暑さだから、うまく出来るような気がする。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-07-26

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