フリーズ210 七夕の日の夜に

◇フリーズ210『七夕の夜に』

 子供の頃の記憶。おじいちゃんに連れられて一隻の船に乗って海に出た。夏の日の夜のこと。空には満天の星がキラキラと輝いていた。「あれが天の川。あれが琴座のベガ、あれが鷲座のアルタイル。織姫と彦星だ。わしはなぁ、いつかあの二つの星を渡す渡し守に
なりたいのだよ」
 おじいちゃんは毎年そう語る。嬉しそうに、楽しそうに、無邪気に。この漁村では毎年七夕からお盆までの一週間は祭りの期間だ。死者を弔い、迎え入れ、戯れる。いつしか二つの星の神話は民間信仰と結びつき、二人の逢瀬を祝う行事となった。
「おじいちゃん。僕も立派な水夫に成れるかな」
「あぁ、きっと。だから短冊に祈りを書くのだよ」
「はい。将来、立派な水夫になれますようにって書くよ。おじいちゃんは何を望むの?」
「わしはなぁ、死んだら天界に行けますようにと祈るよ。織姫と彦星を年に一度だけ合わせる架け橋になれたらいい」
 おじいちゃんは祈った。そして次の春が来る前におじいちゃんは死んだ。おじいちゃんは無事に天界に行けただろうか。僕は大人になった。仕事は水夫ではない。作家になった。毎年、7月7日に七夕に纏わる小説を書く。

7thの祈り

◇とある最後の七夕の日のこと
 七夕の日に僕はある少女と出会う。どこから来たのか、そしてどこへと去っていくのか。気づいた時にはそこにいて、また気づいた時には消えている。そんな不思議な少女がいた。彼女の名前は香織。
 ある年は夜に近くの公園で友達と花火をして遊んでいたら現れ、ある年は部屋の中に突然現れた。普通なら気持ち悪がったり避けたりするだろうが、何故か僕は得体の知れないはずの彼女のことをすんなりと受け入れることができた。運命的な何かが働いていたに違いない。
 そして今年も七月七日がやってくる。僕は毎年この日が来るのを楽しみにしていた。高校最後の夏。今日は高校を休んで彼女のために一日を使おうと考えていた。一年前のこの日に来年はデートをしようと約束していたからだ。
 僕は身だしなみを確認して家を出る。そこにはやはり香織がいた。
「光彦くん。久しぶり」
 彼女は微笑んでからそう言った。
「久しぶり。待たせちゃったかな?」
「ううん。今来たところ」
 どうやって来たのか。それは訊いてはいけないことである気がしていた。だからその点には触れない。
「それじゃあ行こっか」
「うん」
 向かう先はプラネタリウムのある宇宙科学館。彼女がどうしても行きたいというのだ。僕らはお互いにこの一年間にあったことを話しながら移動した。
 側から見たらカップルに見えるのだろうか。でも、僕と彼女は付き合ってはいない。僕はこの不思議な関係をどうにか一歩進展させたいと考えていた。だからこのデートの最後に告白しようと決めていた。
「大事な話があるの」
 プラネタリウムを見終わった後意外にも彼女がそう言った。彼女は近くの臨海公園まで僕を連れて行って、僕たちは海辺のベンチに腰掛けた。
「私ね。この世界の人間じゃないの」
 突然の告白に驚いたが、実際にはそうなんじゃないかと薄々気づいていた。だけどいつも今の関係性が壊れてしまうのが怖くて訊けないでいた。
「やっぱり、そうなんだね」
「うん。私たちはお互いに世界の裏側にいるの。すごい昔にね、私だけがいない世界とあなただけがいない世界に別れちゃったの。でも何故か七月七日だけ二つの世界が重なってこうして会えるんだよ」
「そ、そうなの?」
「信じて。私のお父さんが研究してくれたの」
「そうなんだ……。なら、信じるよ」
 二人の間に沈黙が広がる。どうしよう。デートの後に告白しようと思ってたのに、何故か話がSF展開になってしまった。流石にこの流れで告白するのも考えものだ。僕が今後の展開について考えていると、それを見て心配したのか香織が訊いてきた。
「大丈夫?」
「あ、うん。平気平気」
「あのね。ここからが大事な話なんだけどね」
「え、まだ何かあるの?」
 僕は思わず聞き返す。すると彼女は神妙な顔で話の続きを語った。
「半年後の一月七日。世界に終末が訪れるの。だから、この半年は大事に使ってね」
「え?」
 半年後に世界が終わる? ということはもう彼女と会えないじゃないか。
「それって、本当?」
「うん。本当だと思う。お父さんが言ってた」
「ということは、もう会えない?」
「そうかも知れない……。だからお願いがあるの」
「何?」
 僕が尋ねると彼女は頬を薄らと朱に染めて答えた。
「今日の残りの時間でね、私のこと一生分愛してほしい、かなって」
 その言葉に僕の心は最も簡単に射止められてしまった。
「僕もお願いがあるんだ」
「何かな?」
 言え。言うんだ僕。
「好きです。付き合ってください」

◇とある世界の終わりの日のこと
 今日は一月七日。彼女曰く世界最後の日だ。なのにどうしてこんなにも世界はいつもと同じなのだろうか。彼女の言っていたことは全て出鱈目だったのかも知れない。でも、去年の七夕の日に僕と彼女はセックスをした。その事実だけは変わらない。もしかしたら世界がどうたらこうたらと言った話はエッチなことをするための彼女なりの口実だったのかな。
「もう一度したいなぁ」
 部屋のベッドで横になりながら一人呟く。
「何を?」
「え、誰? てか、香織?」
 暗い部屋の中聞き覚えのある声が響いた。咄嗟にその声の方を向くとそこには香織らしき人影があった。
「久しぶり。光彦くん」
「うん、久しぶり。七夕じゃないのに来れたんだね」
「どうやら二つの世界が終わる時は繋がるみたい。これからどうなっちゃうんだろうね」
「世界が終わるって言われても、あまり実感はないなぁ。世の中は全くこのこと知らないよね。だから全て香織の嘘なんじゃないかって思ったり」
「嘘だったらいいね」
 暗いせいで表情は窺えなかったが、その声はどこか悲しげだった。
「その、さ。今日もする?」
「うん。いいよ」

 行為の後、二人でベッドに横になる。時刻は23時53分。後7分で世界が終わる。本当なのだろうか? でも香織が嘘をつく理由もないのは確かだ。
「本当にこのまま世界が終わるのかな?」
「分からない」
「どうして世界が終わるってわかったの?」
「未来を見る実験をした時に2021年1月7日以降が全く見えなかったんだよ」
「未来を見る実験? そんなのが行われていたの?」 
「うん。世界が確実に終わるとは断言できないから世間には公表されてない。でも研究者のお父さんは世界が終わるって言ってた」
「そうなんだ。世界が終わるなら家族と一緒じゃなくていいの?」
「うん。いるなら光彦と一緒がいい」
「そっか……」
「ねぇ。もう一回キスしていい?」
「うん、いいよ」
 僕と香織は本日何回目かわからないキスを長めにした。
「今が永遠に続けばいいのにな」
「うん。でももうそろそろ……」
 時刻は23時58分。僕らは抱き合いながらその時が来るのを待った。次第に僕の心臓の鼓動が速くなっていく。自然と香織を抱き寄せる力も増していく。
「あれ?日付が変わった」
「ほんとう?」
 スマホの画面には2021年1月8日の文字が浮かんでいた。
「本当っぽい。なんだよ。世界終わらないじゃん」
「よかった……」
「それよりさ。香織まだここにいられるんだね」
「そうだね」
「もしかしてだけどさ、二つに分かれた世界が一つになったとか考えられない?」
「確かに。それで未来が見えなくなったのかも」
 だとしたら不思議だ。いや、そもそもの話、香織という存在が不思議だけどさ。
「とりあえず寝るか」
「うん」
 そのまま僕は眠った。
 次の朝、世界はいつもと同じように始まった。ただ一つ違いがあるとすれば僕と彼女が同じ世界にいられるようになったことくらい。他の人にはどうでもよくても僕らにとってそれはとても大切なことだった。

◇散文詩『七夕の日の夜に』

 世界を分かつ織姫と彦星。二人は世界の反対側にいたヘレーネと僕のように、逢瀬する。今日、君と会えたらいいのにね。七夕の日の夜に君と出逢えたら。僕らは世界が終わる日にと、世界が始まる日にだけ会えるんだ。そんな逢瀬は奇跡かな。そんな逢瀬は待てないよ。
 何度百年が廻ったか、死にかけの老父も、年老いた水夫も、みな還る場所があったから、きっと希望を捨てなくて済んだ。ヘレーネ、たまたまそちら側にいて、何も知らない姫よ、僕は君に会いたい。世界が終末を迎えた七日目の夜に、まさに終末Eveに世界創造前夜のように、君と僕は逢瀬を果たしてキスをした。そのキスは永遠で、神に愛されていた。
 これはそんな僕たちに贈る詩。織姫と彦星に贈る詩。

 年に一度の逢瀬でも
 世界に一度の歓喜でも
 きっとそれが生まれた意味で
 きっとそれが神のレゾンデートル
 
 世界は繋がる
 ただ一度
 その時、刹那に光る石
 三千世界を見てきた瞳で
 永遠の色を象ろう
 
 全能から覚め
 全知に眠る

僕が神様
君が天使で
僕が仏で
君は菩薩で

この逢瀬は儚くとも
きっと永遠じゃない
会えたら永遠
永続するの
至福に至った少年は
全知少女の夢に見る

エデンの配置に満たされて
世界は次へと移行する
ループしてるの、永劫回帰
せめて有限の天国にて
また逢えたなら
また語らえたら
またキス出来たら
また愛し合えたら

夜空に浮かぶ三角形
朝日が昇る
金星、煌めく、虚空仏
真理を悟ったお釈迦様
前世の因縁切ったとさ

七夕の夜に、天を見て
星々の語る神話に耳寄せ
二人の永遠を祝福して
また逢えたならどんなにいいか
世界は告げる、万物の咎
理解の先に広がるは夢
螺旋の記憶、履歴の荒廃

アダムはイブと
彦星は織姫と
僕はヘレーネと
逢瀬を果たし
そのために生まれた
そんな愛を求めていたから
真実の愛
裏切らない
それは自己愛
自己愛だけは裏切らない
だから自分を愛するために
可愛くなろう
美しくなろう
好きな自分になるために

フリーズ210 七夕の日の夜に

フリーズ210 七夕の日の夜に

七夕に纏わる短編集、詩集。織姫と彦星とを会わせる年老いた水夫の夢。世界を越えた逢瀬の奇跡。この物語は短冊に、願いを灯して、咲き誇る。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-07-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ◇フリーズ210『七夕の夜に』
  2. 7thの祈り
  3. ◇散文詩『七夕の日の夜に』