私と誰か

『失くし物』



箒はある。
でも、塵取りがない。
細かく集めたものまで
ゴミ箱の中に
上手に捨てられる自信も。



裸足にならなきゃいい。
床の上に積もる埃なんて
それであっさりと
無視できるだろうから。
履き物なんて山程あるし



その存在を輝かせる
外から差し込む光なんて、
一晩かけて
分厚くなった瞼が蓋をする。
考えすぎる頭も休めるし



駄々を捏ねる言葉も
ずっと泣いている水道も、
首を絞めるみたいに
ギュッとできる。
漏れ出ていく時間。



軽くなったその分だけ
空いた手を動かして
机上の計画を練ったり、
夢にも思わない未来を賭けて
誰かと闘えたのも。



抜け殻になった指をとって
約束を交わした相手、
あるいは
叶った願いに想いを溢れさす。
その時の相手にも



私は、私の顔をしなかった。
神様の力も借りずに
失くしたものを取り返せたのに。
綴り方を覚えて
囀りもしない鳥のまま



空(から)になって
静かになった籠の金属。
綺麗にそこに
舞い戻って来ても
卓上カレンダーは捲れない。



散り散りになって
あの日のことや
この日のことを
悲しまなくていい。
くしゃみひとつで痛みも殺せる。



そんなムズムズとする感覚で、
細々となっていく私。
それを思い出せる誰か。
離れてこそ残る、
心のようで少し怯える。



外で吹く風を見たい、
その為に少し近付いて
目の前を真っ白に曇らせる、
その歩数の分だけ
背中の羽が抜け落ちる。



ズルズルと引き下がって、
季節を覚える部屋。
また人間に戻ったみたいに
見えない魂を、
感じることでしか。



袖口でほつれるものを直す。
それとも
先に泣かれた言葉を思い遣ろうか。
私の変化は長いから。
どんな光にも困らない。



床に温もりを分けて、
壁に預けた体重。
返して、と呟いて聴く。
鳥のような歌にも
天使の囁きにも程遠い響き。



さらさらとし出して、
いつか時間は流れ始める。
開いた瞼をまた閉じて、
見失うものを増やして、
この足から動くだろう。



起点に対して私は生まれる。
その確信だけが私を育む。
だから私は何もしない。
空いたこの手を動かさない。
思うままに包まれて、




奇跡をこの世に産み落とすのだ。



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『モザイク』



私の長すぎる話に合わせて沈む時間が遅れた夕陽。その日の夜の訪れを待っていた街と人々の騒めき。しきりにチェックされる気象情報、それと見比べられた空の色。
次第に広がっていった混乱の様子は様々で、一番近くにいた子供たちはもっと遊べると喜ぶ。その子供たちを迎えに来た親たちが囁き合っては戸惑う。路肩に停まって一人の乗客を降ろしたタクシー運転手は、しかしそのまま走り出そうとせず、降車した乗客も歩き出すことなく、ずっと向こうに見える輝きにその目をゆっくりと、細めていく。何が異変なのか、どちらが異変なのか。きっと誰も分かっていない。
前へ進む者たちは、ノイズキャンセリングに優れたヘッドホンを耳に当てて、好きな音楽を好きなだけ聴いている彼であったり、事に備える覚悟を思わせる慎重さで手にしていたスマホを鞄に仕舞い、決死の足取りですぐそこのお店に入っていく彼女であったり。歩道や車道をぴょんぴょん跳ねながらゴミを漁るカラスだって、こうして、人の言葉で記す字面の印象よりずっと誠実に生きている。だから大事に抱える遺骨も箱の中でカタカタ鳴って、花束も揺れて、信号待ちを無事に脱する。前へ進む者たち。
後部座席から伸びてくる手の平に飴を一個、二個と乗せていき、三個目の味を今度は口に頬張って味わえば昔の話も、これからの話も上手くできない。流れるように過ぎて行く景色を眺めようにも、もう眩しくて、痛くて、とてもじゃないけど直視できなかったから。残酷なぐらいに飽きてみせて、思いつく限りの悪口を頭に浮かべて、消えるのを待つ。焼かれるように。長い、長い一直線の道。



夜を迎えるのが遅くなった分、次の日の朝も遠ざかる。それがどうしたって喚き上げる、あの橙色。あの強さ。羨ましがれよ、狂おしいほどに。

私と誰か

私と誰か

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-07-01

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