御伽のバッドランド #1

「騎士様……ですか?」

 目を開けたとき――
 千弦誠が見たのは、透けるように白い肌をした少年の顔だった。
 人のよさそうな丸い顔をしていた。
「………………」
 誠は考えた。
 昨夜――自分は何をしていた?
 比較的おだやかと言える一日だったはずだ。頭の悪い不良男どもにからまれることもなく、話の通じない教師に呼び出されることもなく、こちらの言うことを聞かない女たちにまとわりつかれることもなかった。
 うん、静かないい一日だったと思う。
 なのに、どうしていま――

 見覚えのない場所で、仰向けに寝かされているのだろう。

 しかも、パンツ一枚という姿で。
「……騎士様?」
 丸顔の少年が、心配そうに口を開いた。
 誠はその呼びかけを無視し、自分がいまどういう状況にいるのかを把握するべく周りを見渡した。
 光の届かない高く暗い天井がまず目に入った。デパートなどで見る吹き抜けとは違い、広大な鍾乳洞の地下天井といった趣きだ。次に気づいたのが、古い油がこげるようなくせのある臭い。そちらに目を向けると、壁のくぼみに取りつけられた皿から紐のようなものが伸び、そこに赤々と火が灯っていた。壁に沿って同じ物がいくつか並んでいて、それらがこの空間を照らしているようだ。
 と、誠はさらにあることに気付く。
「石……?」
 火に間近で照らされている壁は、コンクリートや煉瓦ではなく切り出した石を組み合わせてできているように見えた。インテリアでたまにある綺麗なものではなく、印象としてはピラミッドのような遺跡に近い。薄暗さに目が慣れると、広い部屋の全体が石壁だということがわかった。
 石造りの部屋。そんなものが現代日本に普通にあるとは思えない。

 中世ヨーロッパじゃあるまいし。

「騎士様っ」
 丸顔の少年が、息のかかるほど近くにまで顔を寄せてきた。
 涙をにじませながら、じっと誠のことを見つめる少年。切羽詰まったその様子に、普通の人間なら戸惑うなりわけを聞くなりするだろう。
 しかし、誠は平然としたまま、観察の対象を部屋から目の前の少年へと変える。
 丁寧に箱詰めされた大福を思わせる白い丸顔。その上に乗っているのはふわふわとした金髪。さらに誠を見つめる瞳の色はアイスブルー。
 金髪碧眼。ますます中世ヨーロッパな状況と言える。
 しかし、少年がしゃべっているのは日本語だ。すくなくとも誠の知る限り『キシサマ』という英語やその他外国語は存在しない。
(で……)

 なんで――『騎士様』?

「……っ」
 少年が、不意に目をそらした。
 金髪の間に見え隠れする形の良い耳が、先まで真っ赤に染まっている。どうも、間近で誠と見つめあっていて恥ずかしくなったらしい。
「……フン」
 誠の唇が意地悪そうな笑みを形作る。
「キスされるかと思った」
「!」
 突然のささやきに、少年は目を見張って跳び退った。
 誠は、くくくっ、と喉の奥から笑い声をもらした。やっぱり思った通りだ。こいつはからかい甲斐がある。
「き……き……ききききき……」
 動揺して声をふるわせている少年。放っておくといつまでもそうしていそうなので、とりあえず誠は身体を起こすことにした。特に拘束などはされていなかったので、動くことは簡単にできた。視界が変わる。自分の寝ていた場所をあらためて確認すると、そこはベッドではなく石を長方形に切った台の上だった。道理で背中が冷たかったわけだと、ひとまず誠は納得する。しかし、それより気になったのは、台の周りに置かれた無数の小物類だ。ロウソクや花や得体の知れない石像など。それらが台の周りに規則性を持って並ぶさまは誠にあるものをイメージさせた。

 ――儀式?

「おいおいおいおい……」
 やってられないというように誠は頭をかいた。さすがにこれは予想できる範囲を超えている。これが儀式だとしたら何だ? 自分はそれに捧げられる生贄か? なぜ? いつの間にこんなことに? 誠は自分がここで目覚める前の記憶を再び掘り起こす。しかし、やはり異常なことは何一つない。酒に酔って街角で寝入ったり、誰かに襲われて意識を失ったというようなこともなく、昨夜は普通にベッドに入ったはずなのだ。めずらしく誰かが一緒ということもなかった。
 なのに、目覚めてみたらこうだ。
 どう考えても、こうなった理由が誠にはわからない。
 なら聞いてみればいい。そばにいる丸顔の少年。見た目は思いっきり外国人だが、こちらの言葉は通じるようだ。
「おい」
 誠の呼びかけに、少年がはっと息をのんだ。表情を引き締めると、命令を待つ犬のように期待のこもった目で誠を見つめてくる。
「なんでしょうか、騎士様」
「まずそれだ」
 疑問は一つ一つ潰していこう。誠はそう判断し、
「なんなの、その『キシサマ』って? ひょっとして俺のこと?」
「はい!」
 少年は目を輝かせ、
「騎士様こそが、騎士様です!」
「………………」
 ぐったりとした顔になる誠。
 正直、馬鹿をまともに相手するのはキツイ。やはりここは手っ取り早く一番気になることを聞こうと誠は考え直し、
「あのさー、ここってどこなわけ?」
「神殿です。静寂の間です」
 神殿……。いよいよファンタジーくさい単語が飛び出し、誠はさらにぐったりとなる。聞きたくないという思いもこみあげつつ、それでも聞かないわけにはいかないと、
「……で? どこの何様の神殿よ」
「はい?」
 少年が真顔で誠を見つめ返した。質問の意味がわからないというように。
「だからさー……」
 誠は、心の中で「馬鹿の相手はいまだけ」と自分に言い聞かせつつ、
「ここはどこの町の? なんて神様の神殿なわけ?」
「そんなの……」

「『ランス』に決まっています」

「らんす?」
 確かヨーロッパのどこかにそんな街があった気がする。大聖堂で有名なはずだ。ということはつまり、自分がいるのはそのランスの大聖堂――
「いやいやいや……」
 そんなわけがない! 誠はすぐに頭を振る。
 誠が寝ていたのは日本の、東京の、自分の家の、自分の部屋だ。それがなんで目覚めたら外国にいる? 寝ている間に拉致された? 何も気づくことなく外国に? そんなこと普通に考えたら絶対に無理だ。魔法でも使わない限り――
「………………」
 ――魔法?
「おいおいおい……」
 馬鹿馬鹿しすぎて無視しようとしていた予想。しかし、それがかなりの確率で的中しそうなことに、誠はさらなる虚脱感を覚えつつ、
「あの……ひょっとしてさ……」
「はい?」
「俺ってつまりその……召喚とか……されちゃったわけ?」
「はい!」
 少年は笑顔でうなずいた。

 この世界には、数えきれないほどの神が存在する。
 神はそれぞれが『武器』を象徴している。剣、槍、斧、弓といった大きな分類から、さらに幾多もの種類に別れた武器を各々の神は守護する。グラディウス(歩兵剣)神、トライデント(三又槍)神、ハルバード(斧槍)神、クロスボウ(石弓)神……といったように。それぞれの神を信仰する人間たちは寄り集まって国を作り、世界はそれらの国々によって神と同じように無数に分かたれている。
 武装神官アネミス=リア=ランスは、ランス(騎士槍)神に仕えていた。生まれたのもランス神を崇めるランス国である。
 そんなアネミスは、今日、運命の時を迎えた。
 武装神官として彼がすべてを捧げる神の使徒――神聖騎士との出会いである。
 古よりの手続きに則り、ランスの神殿において招きの儀は粛々と行われ、アネミスの前についに待ち望んだ騎士が現れた――

 ――はずだった。

「……ふーん、あっそ」
 アネミスの説明を聞き終えた青年――アネミスの仕えるべき騎士は、疲れたように息を落とした。もう何度目になるかわからないため息だ。
 アネミスはとまどっていた。
 神聖騎士たる目の前の彼は、神から遣わされた勇者のはずだ。なら、いまアネミスが言ったことくらいはすべて知っているはずだ。この地に降り立ったその瞬間より、神の騎士は頼もしい激励の言葉と共にアネミスを手に取り、いままさに訪れているランス国の危機から自分たちを救ってくれる――そうアネミスは信じていた。しかし、その騎士は目覚めた瞬間から気だるそうにぼうっとしていて、しかも心配して顔を近づけたアネミスに言った言葉が、

 ――キスされるかと思った。

「!」
 真っ赤になったアネミスは、思い出したその言葉をあわててふり払った。
 なぜ!? 神より遣わされた偉大なる騎士が、どうしてそんな浮ついたことを口にしたり!? いや、これから自分と騎士が〝行う〟ことは、唇だけのキスよりはるかに深くつながりあうことなのだが、そこはとりあえず問題ではなくて――
「おい」
「わっ!」
 いつの間にかまた彼の顔が急接近していて、アネミスは驚きのけぞった。
 しかし、彼はつまらなそうに、
「いやいや、もうその反応、飽きたから」
「は、はい……?」
「つーかさー」
 面倒くさそうに頭をかきながら、彼は立ち上がった。
「……っ」
 あらためて彼の身体を間近に見て、アネミスは軽く息をつまらせた。
 小柄なアネミスよりずっと大きな身体。裸の上半身には、無駄のないしなやかな筋肉が浮き出ている。全体がすこし細く見えるのは、高い身長と引き締まった精悍な身体つきのためだ。力強さはあっても、決して野卑ではない。そして、黒曜石のような光を秘めた黒い瞳と、夜の海のように艶やかな黒髪。容貌もまた、この世界の者とは思えない妖しい魅力をたたえていた。
 理想の騎士……いや自分の理想をはるかに超える神々しいその姿に、アネミスは自分が彼の物となる運命に感動を覚え――
「おい」
「ひゃっ!」
 おかしな悲鳴とともに、あわてて意識を現実に戻すアネミス。
 青年は、声に不機嫌な色をにじませ、
「いつまで、このままなんだよ?」
「え?」
「だからさー。服だよ、ふーく」
「あ……」
 アネミスはあたふたとなり、
「え、えーと……僕はそういうものにはなれないので……」
「は?」
「あ、じゃあ、僕の服を……」
「おい」
 儀式のために用意された白い貫頭衣を脱ぎ始めたアネミスに、彼はさらに不機嫌そうな顔になって、
「おい、丸顔」
「ま……!」
 ひそかに気にしていることを言われ、アネミスはあわてて、
「ぼっ、僕にはアネミスという名前があります!」
「わー、ファンタジーくせー」
「?」
「じゃあ、俺のことも名前で呼べよ。『キシサマ』じゃなくて」
「はい、騎士様」
「……お約束だな、おい」
「?」
 いちいち言われていることがわからず、アネミスは首をかしげる。
「誠だよ」
「マコト?」
「俺の名前だよ。『キシサマ』じゃなくてな」
「わかりました、騎士様」
「じゃねーんだよ。名前で呼べっつってんだ」
「は、はいっ。その……マコト……様?」
「おう」
 とりあえずそれでいいというように彼――誠がうなずき、アネミスはほっと胸をなでおろす。
「では、あらためて服を……」
「だからよぉ!」
 脱いだ服を渡そうとする下着姿のアネミスに、誠はいら立ちをあらわにして、
「なんで、おまえの服を着なきゃなんねーんだよ!」
「大丈夫です。僕、いらなくなるので」
「いらなくなる?」
「だから、遠慮なさらず着てください」
「遠慮してねーよ。つか……」
 不機嫌だった誠が、おもしろいことを思いついたという顔になる。
「あの……?」
 いやな予感がして、思わず身を引くアネミス。
 しかし、誠はすかさず顔を近づけ、
「なに、おまえ? そういう趣味?」
「し……趣味?」
「隠さなくたっていいぜー」
 いきなり肩に腕を回され、アネミスは強引に抱き寄せられた。
「わっ!」
「たまにいるんだよなー。そういうやつがさ」
「ちょっ……えっ……な、何を……」
 裸で密着しあい、熱と肉の感触がじかに伝わってくる。突然のことに、さらにあたふたとなるアネミスの耳元で、
「俺は高いぜえ」
「え!」
 高い? 高いとは!?
 わけがわからず、完全にパニックになってしまうアネミス。
 何をされようとしているのかわからないまま、肉食獣に襲われる草食獣のような気持ちで卒倒しそうに――

 ウオォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

「!」
 遠くから聞こえてきた男たちの雄叫びに、誠とアネミスははっと身を固くした。
「なんだよ……いまの?」
「門が……」
 アネミスは青ざめた顔で、
「門が破られたんだ……このままじゃ……」
「おい」
 アネミスの顔が無理やり誠のほうへ向かされる。
 至近距離で見つめあう形になり、たちまち真っ赤になるアネミス。しかし、誠はそんなことには構わず、
「説明しろ。いま何が起こってんだ?」
 からかうような表情から一転、真剣な顔で問いかけてくる誠。それを見てアネミスも呼吸を整え、
「カトラスの……者たちが……」
「かとらす?」
 アネミスはぐっと息をのみ、なかば悲鳴のような声で絶叫した。
「敵が攻めてきたんです!」

「おいおい、つまりこういうことかぁ?」
 アネミスと名乗った丸顔の少年から手短に説明を受けた誠は、やってられないというように頭をかいた。
「その敵ってのをやっつけるために俺を呼びだした……つか召喚したぁ!?」
「はい! 騎士であるあなたをランスの神が!」
「いやいやいや、神とか知らねーし」
 アネミスからの期待の視線を手でさえぎり、
「つか、バカじゃねーの、この世界のやつら。自分たちの武器の神? それが最強ってのを証明するために戦ってるとかさー」
「バ、バカではありません!」
 アネミスがあわてて、
「僕たちはランス神の庇護のもとに生きる者たちです。自分たちの神のため戦うことは尊くこそあれバカなどと……」
「じゃー、神様同士でやりあえばいいじゃねーかよ。そのほうが早くねーか?」
「そ、それは……きっと神様たちもお忙しいのです!」
 痛いところを突かれたのか、アネミスは苦しい言いわけをする。
「とにかく、いまはこのランス国の危機なのです! どうかあなたの力で僕たちをお救いください!」
「知るかよ。神様に頼めって」
「その神があなたを遣わしたのです!」
「えー……」
 めんどくせーことしてくれるな、神様も。誠は心の中で愚痴をこぼす。つか、こっちはそんな神様自体知らねーっつーの。
(けど……)
 誠は考えを切り替える。
 確かに面倒な状況だ。自分は、よくわからない世界のよくわからない戦いに巻きこまれそうになっている。
 ただ、向こうが本気で助けを求めているのは事実だ。そして、誠にはその力があると信じきっている。
 となれば、
「あのさー」
 再びアネミスを抱き寄せる誠。アネミスはさっきと同じようにあわてふためき、
「なっ、何をされるのですか! いまはこのようなことをしている余裕は……」
「余裕があればしてくれんの?」
「ええっ!?」
「てのは、冗談でさ。つか、真面目な話があんだけど」
「真面目な話……?」
「ああ……」
 誠は真剣な顔でアネミスの目を見つめ――言った。

「いくら、くれんの?」

 ぽかんとした目で、誠を見つめ返すアネミス。
 そしてぽつり、
「いくら……とは?」
「はいはい、そのパターンねー」
 誠は、わかっていると言いたそうにうなずいて、
「じゃあ、具体的に聞くわ。俺があんたらのために戦うことで、俺にどういう見返りがあるわけ?」
「みか……っ!?」
 今度は伝わったらしく、アネミスは目を白黒させ、
「なっ……何をおっしゃるのですか! あなたは神から遣わされた……」
「だから、ただ働きしろってーの? それってヒドくね?」
「で、でも……」
「大怪我とかしたらどーしてくれんのよ? 慰謝料とか、そこら辺のハナシはどーなってるわけ?」
「イシャリョウ……?」
「あー、ここでそのパターン? 言葉は通じんのに、ちょっと小難しい言葉はわからないってやつかよー」
「? ? ?」
 言うこと一つ一つに、アネミスの目があたふたと泳ぐ。こいつは楽勝だな……誠はほくそ笑む。ごねるのは苦手ではない。というよりその逆で、誠は十七歳という年不相応の豪胆さで人の好いやつらを何人も食い物にしてきた。その経験から言えば、こちらが明らかに有利だ。向こうは切羽詰まっている。
 そして誠の予想通り、
「……わかりました」
 よし。心の中でつぶやく誠。
 しかし、アネミスの次の言葉は、彼にとって完全に予想外なものだった。
「あなたがこの国のために戦ってくれるのなら……僕は……」

「――僕を捧げます」

「………………」
 誠は――固まった。
「……は?」
「さあ、どうぞ!」
 アネミスが誠に向かって両手を広げた。上半身裸のままで。
「さあ!」
「いやいやいやいや……」
 誠は口元をひきつらせながら、
「いや、うん、まー、さっきはおまえのことからかったけどさー。けど、あれはあくまでからかっただけで、俺にそっちのシュミは……」
「さあ!」
「『さあ』じゃねえ! 人のハナシ聞けよ!」
「問題ありません! 僕は最初からそのつもりでした。ランス神の遣わした神聖騎士にすべてを捧げると」
「おまえの『つもり』とか知らねーし! つか、俺が期待してんのは宝石とか秘宝とかそういうファンタジー定番の……」
 などと二人が言い合っているうちに、外から聞こえる雄叫びや剣戟の音はどんどん大きくなってくる。
 アネミスはあせった顔で、
「さあ! 騎士様!」

「僕をつかんでください!」

「って、どこつかめって言うんだよ!」
 たまらず絶叫する誠。
「つかみたくねーよ、俺は!」
「いいから、早く!」
「よくねーって!」
 そのときだった。
 いままで以上に近い距離で破壊音が響いた。
「おい……!」
 石造りの部屋になだれこんできたのは、反り返った曲刀を手にした男たちだった。さすがの誠も、刃物を持った男たちの登場に声を失う。
 その直後、
「騎士様!」
 光が――
 薄暗い部屋を白一色に染め上げた。

 誠が目を開けた時――アネミスの姿は消えていた。
「……丸顔?」
 あぜんとつぶやく誠。と、
〈丸顔じゃありません!〉
 その声――いや声といっていいかわからないものが、誠の頭の中に響いた。
「いるのかよ、丸顔?」
〈だから、丸顔じゃないと……〉
「あっ」
 誠が軽く息をのむ。アネミスの消えたそこに、細長い柱のようなものが立っていた。閃光で奪われた視力が回復するにつれ、やがてそれが柱でも棒でもないことに気づく。
「なんだぁ……?」

 槍――!?

 しかもそれは、木の棒に穂先のついたシンプルな槍ではなく、先端に向かって細く円錐上に伸びた金属の槍――
 馬に乗った西洋甲冑の騎士が手にするいわゆる騎士槍――ランスだった。
 そのランスが、誠の目の前に突き刺さっていたのだ。
〈さあ、騎士様!〉
 再び誠の頭に響くアネミスの声。
〈騎士様! 早く!〉
「ひょっとして……」
 誠はようやく理解したというように、
「これ……丸顔なのかよ」
〈『これ』じゃありません! 丸顔でもありません!〉
 間違いない。アネミスが騎士槍に変身したことを誠は確信する。
「おお……ファぁンタジぃー」
 思わずつぶやく誠。その顔に楽しくてたまらないという笑みが浮かぶ。だるそうに半開きだった目がいきいきと輝き出す。
 そして、気づく。
 騎士槍をはさんで向こう側。曲刀を持った男たちが、誠と同じように閃光のショックから立ち直り始めたのを。
〈騎士様!〉
 さらにあせったアネミスの声が響く。
〈早く、僕を! 神聖武器の僕はあなたに……神聖騎士に振るわれるために存在するのです!〉
 神聖武器――
 こうやって武器に変身できる存在のことを言うのだろう。つまり、アネミスはただの人間ではなかったのだ。
 ようやく誠は理解する。自分はこの武器を持つ戦士として召喚されたのだと。
「なるほどねぇ……」
 誠がのんびりとつぶやく。その声に不適さがにじむ。
 そこへ、回復した男たちが、ゆっくりと誠を包囲し始めた。その視線は、ちらちらとアネミスの変貌した騎士槍にも向けられている。彼らが警戒するだけの力が、おそらく『神聖武器』にはあるのだろう。
「にしても……」
 あらためて男たちを見渡す誠。上品な顔立ちのアネミスと違い、ほぼ全員が無精ひげを生やしたならず者といった顔つきで、まるで山賊か海賊のようだ。そして、全員が同じ形の曲刀を持っている。おそらく彼らも武器の神に仕えているのだろうが、その武器からはアネミスの騎士槍のような〝力〟は感じない。
 と言っても向こうは複数。こちらはアネミスを入れても二人だ。
〈どうしたのですか!? 騎士様!〉
 アネミスの声が必死さを増す。
 誠は――
「………………」
 決断した。
 そして騎士槍となったアネミスに向かって、
「ほらよっ!」
〈ええーーーっ!?〉
 握られると思った瞬間、アネミスは誠に容赦なく蹴り飛ばされた。動揺したのは曲刀を持った男たちも同様で、倒れかかってきた騎士槍からあわてて距離を取る。
 直後、誠が走った。
〈き……騎士様―――っ!〉
 包囲の輪の隙をつき、一目散に石造りの部屋から姿を消す。その素早さに、曲刀の男たちも反応できなかった。
 一団のリーダーらしき男が号令を発し、ようやく彼らも走り出す。
 そして――
 部屋にはむなしく倒れる騎士槍――アネミスだけが残された。
〈ちょっ……騎士様? そんな……そんなぁぁ……〉

 アネミスは打ちのめされていた。
〈そんな……。騎士様が……僕のことを……〉
 失望などという言葉ではまるで足りない。その場に永遠にうずくまりたくなるくらいの圧倒的な絶望感。
 といっても、騎士槍となった彼にはただ倒れていることしかできない。
〈うっ……うう……〉
 アネミスは嗚咽をもらす。しかし、金属の身体からは涙もこぼれない。そして、彼の悲しみに気づく者もこの場にはいない。信仰厚き者がその身を変ずる《神聖武器》は、儀式によって異界から呼び出した《神聖騎士》としか意思を通じ合わせることができない。凡百の武器を遥かにしのぐ力を発揮できるのも、あくまで神聖騎士の手にあるときのみ。それ以外の者ではまったく使いこなせないどころか、まともに握ることすらできない。
 アネミスはずっと夢見ていた。ランス神の神聖武器となれる才能があると知ったときから、自分が騎士の手に取られその力となることを。他国の侵攻を受けアネミスに召喚の儀を行うよう命が下ったとき、使命に燃える一方でついに夢が実現する瞬間が来たとアネミスは心躍らせていたのだ。
 しかし、その夢はあっけなく崩れ去った。
〈うう……う……く……〉
 嗚咽が止まらない。
 涙を流せない姿のまま、アネミスはひたすら悲しみに――

「なーに、めそめそ泣いてんだよ」

〈!〉
 嗚咽が止まった。
 アネミスは感じ取る。騎士の前で神聖武器になることで初めて知った――二人をつなぐ確かな絆の力で。
〈騎士様!〉
 先ほど消えたはずの通路から姿を見せた青年――アネミスにとってたった一人の神聖騎士である誠はうんざりといった顔で、
「なんなんだよ、これ? 離れてても、俺の頭ン中におまえの泣き声が直接聞こえてくるんだぜ。一体なんの呪いだよ」
〈呪いではありません!〉
 悲しみから一転、アネミスは喜びに満ちた声で、
〈絆です! 僕と騎士様は、二人だけの熱く固いものでつながれているのです!〉
「つながれたくねーよ、熱く硬いもので。何度も言うけど、俺にそっちの趣味は……」
 そこまで言って、誠は不意に言葉を止める。
 そして、何事もなかったように、
「……で? 大丈夫だったか、おまえ」
〈はい!〉
 元気一杯に答えるアネミス。誠が一瞬言葉につまったのがすこし気になったが、ささいなことだと頭を切り替える。いまのアネミスでは、まだ神聖騎士の心の奥底までは感じ取れない。しかし、このまま絆を深めていけば、きっと通じ合えるようになるだろう。
 そして、先ほどの逃亡については、アネミスの中ですでに答えが出ていた。
〈わざとだったんですね!〉
「は?」
 けげんな顔になる誠。アネミスはそれを照れ隠しと受け止め、
〈いいんです、わかってますから! 騎士様は逃げたわけじゃない! いったん敵をやりすごしてから、あらためて正々堂々と勝負を挑むつもりだったんですね!〉
「………………」
 数秒の沈黙の後、
「正解だ」
〈やっぱり! 申しわけありません! ほんの一瞬でも騎士様の御心を疑ってしまって! どうぞ、お気が済むまでいくらでも僕に罰を……〉
「そーゆー趣味もねーんだよ、俺には」
〈さあ、あらためて僕と一つに! さあ!〉
 感動のまま、アネミスは自分の熱い想いをさらけ出す。
 しかし、
「……あー」
 誠は、微妙な表情で頬をかき、
「ま、ちょっと落ち着けや」
〈はい!〉
「いや、落ち着いてねーし。とにかく一回元に戻れ」
〈え?〉
「だーかーらー。元の丸顔に戻れっての」
〈で、ですが……〉
 アネミスはあせって、
〈これから手にしていただくというのに元の姿に戻ってしまっては……それに僕は丸顔では……〉
「ふーん……あっそ」
〈!〉
 不意の機嫌の悪化に、はっとなるアネミス。
「じゃあ、いいや。別にこっちはおまえのことなんかどうでも……」
〈あっ……まっ……待ってください、騎士様! いますぐ! いますぐ元の姿に戻りますから!〉
 何をやっているんだ、自分は! たったいま、騎士様を疑った自分を恥じたばっかりじゃないか! 騎士様にはきっとすばらしいお考えがあるんだ!
「お」
 アネミスが光に包まれたのに気づき、去りかけていた誠の足が止まる。
「やればできるじゃん」
 うれしそうに笑う誠。それを見て、人間の姿に戻ったアネミスも尻尾をふる犬のように喜びをにじませる。
 よかった! やっぱり、これでよかったんだ!
「さぁ、騎士様! このあと、僕は何をすれば? すでに敵軍は城壁の内側まで攻めこんでいますが、きっと騎士様にはそれを一掃する作戦があるのですよね! 複数の敵を前にしてもひるまなかった騎士様です! 僕は騎士様の御命令ならどのようなことでも……どのような……こと……でも……」
 アネミスの声が尻すぼみに消えていく。そして、
「騎士……様?」
 先ほどぬいだ自分の服によって、アネミスは後ろ手に縛りあげられていた。
「えーと……これはどういう……」
「あン?」
 またも誠の態度が変わる。面倒くさそうな顔でアネミスをにらみ、
「バーカ。あんな目立つ槍なんか持って逃げられっかよ」
「逃げ……る?」
「っしょ」
「わ!」
 たくましい肩に軽々とかつぎあげられるアネミス。
「え? え!? ええーーーーっ!?」
「ま、これはこれで目立つかもしんねーけど、さっきよりマシだな」
「ちょっ……えっ……騎士様!? これは一体……一体どういうことですかーーーーーーーーーっ!?」
「逃げる」
「えーーーーっ!」
「んで、おまえを売る」
「えぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
「考えた結果、まぁそれが一番いいだろなって」
 誠は悪びれる様子もなく、
「おまえがどんだけすげー武器か知らねーけど、敵は大勢なんだろ? しかも負けかけてるって。んな戦いやってらんねーよ」
「そんな……」
「つか、勝手に呼び出されて、勝手に状況説明されて、んでいきなり戦え? やってられっかよ、バーカ」
「バ……!」
 絶句するアネミス。あまりの暴言に頭の中が真っ白になる。
「さーて、じゃあ、向こうで戦ってるうちにどっか目立たねーとこから……」
「ちょっ……き……騎士様! 本気なんですか? 本気でランスのみんなを見捨てて……」
「だって、知らねーやつらだし」
「なっ……!」
「まー、知ってても逃げるけどさ」
「なーーーーーーっ!?」
 アネミスはいま確信した。
 この人は――最低だ!
 悪い予感は当たっていたのだ!
「や、やめてください! 放してください!」
「っと。暴れんなよ」
「ヒドイです! 最低です! 本気で僕たちを見捨てるつもりなんて……」
「いや、おまえはつれてくよ。ま、売り飛ばすんだけど」

「バカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 アネミスの悲痛な絶叫が、石壁の部屋にむなしくこだましていった。

御伽のバッドランド #1

御伽のバッドランド #1

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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