善因善果 悪因悪果 自因自果
こんばんは、
いつもありがとうございます。
22時49分
お仕事で
けっこうな失敗をやらかし
せめて、と
職場で迷惑を掛けた皆に菓子を振る舞い
なんとか正気を留めている
そんな夜です。
私が
完璧主義に近付こうと
そういう生き方を決めたのは
そもそも
失敗だらけの人間だからなのです
よ。
失敗をしない人間は居ない
と言いつつも
私は
幼い頃から
その独特過ぎる思考力による
大失敗がとても多かった。
その
一番古い記憶を
先ほど
瞑想しながら
探っていました。
あれはたぶん
幼稚園に入る前くらい
と、なれば
3歳くらいでしょうか。
季節は冬
私は亡き母に手を引かれ
畑の合間から
小さな街へと繋がる
いつもの小道を歩いていました。
母
『二、三個あれば良いか!』
得意満面な私
『それってごこ!!くふふ!!』
母
『なぜ五個?』
得意絶頂な私
『にことさんこどからいっそょしてごこ!』
母
『いや、あのね二、三個というのは・・』
[ρ❨ヾ❴︼】》℉ets
どれだけ説明されても
当時の私は
合わせて五個という
己の計算による答え以外を
一切受付けませんでした。
むしろ
大人である母が
間違えている事に
気を遣い
そういうこともあるのだろう、と
そんな答えを結論として出す始末。
これ以上いうと
間違いに気付いたときに
母を傷つけるかも、だから・・・。
として
己の答えは正しいとして
退けぬものは退けぬ、
としながらも
どうしたら
母を傷つけずにすむか、
そんな事を。
三つ子の魂百まで。
私はそういう人間で
間違いを思い込む力が異常に強い。
それに気付いてからは
むしろ
己こそを疑うようになり
それは長じて
もはや万物を疑うようにすら
なってしまいました。
そして
なにより
恥をかきたくない。
気付いたときに
顔からフレアが出るほど
恥ずかしかったので。
その結果
そういう場合の間違いに
耐えきれず悶絶するので
なるべく
予習復習をして
完璧であるふりをしよう、と。
そして
それは
だいたい上手くいきました。
つまりは
頭が悪いくせにプライドが高い。
凡人中の凡人
より
も少し
また低い。
私はそういうタイプ。
そんな私が
久しぶりに大失敗、
被っていた筈の猫どころではない
化け猫が
パージしてしまって。
もー、
しっかり
しがみついてろよー
と。
でもまあ
今回の失敗で
また
学んだことは
結局
タイトル通りだということ。
おそらく
また
間違いでなければ
それは
この世界における真実の一部では
あると考えて
いま
猛省してます。
今日までに
散々繰り返してきたことで
知っていた筈なのに。
馬鹿はやはり
すぐ忘れる。
たとえ一見は
損ばかりのようでも
やはり
優しく全うな道の先こそに
己の幸福もまた待っていてくれる。
その場所を遠ざけるも
わざわざ
避けて歩き
悪路を選び進むのも
全ては
一首一投足
己次第。
だと
これは
確信できる。
うん、
これは
こんな夜だからこそ
言い切りたい。
さて
次に進みますか。
善因善果 悪因悪果 自因自果
いつだって
失敗は
感謝と謙虚を忘れた時にやってくる。