二酸化炭素依存

太古より――自分で変化させた環境によって自分の首を絞める生命達。

 原始、生命は二酸化炭素に依存していた。

 ところで生命とは何か。

 まず、何らかの膜で外界と分かれて存在している。外界から分離された我々。孤独の根源である。
 次に、代謝する。変化を続けられなくなれば即ち死。我々の不安の元凶である。
 最後に、自分の複製を作る。親や子どもが自分の複製だなんて嫌だ! 断る! というもっともな感覚は、じゃあバナナと人間を比べた場合どっちがあなたっぽいでしょうかねえ、ぐらいの大まかさで捉えて欲しい。それでもバナナだという方はご自由に。皮はゴミ箱へ。

 どうしてそんなことしてしまったんだろうな、との疑問は尽きない。つまりどうして生命は現れる気になっちゃったんだろうなということだが、とにかく現れてしまった。

 四十数億年前とされている。

 で、二酸化炭素である。

 原始生命は、パラドクスを克服して誕生した。ただしこの時の生命は、「我々はパラドクスを超克して現れ出でたのだ」などと、妙なプライドを持ったりしていない。勝手な後付けで驕り高ぶるのは我々の悪癖だ。

 悪癖ではなく二酸化炭素である。

 膜を作り、代謝を行い、自己複製するには、単純でいいからそれができる有機物の構造が必要だ。原始の海は、生命にとって必要な水でできており、有機物の材料も充分溶かしていた。そう、溶かしていた。つまり有機物が生命になろうにも、水はそれを溶かしてしまう。外界を遮断するための膜すら作れない。水は必要不可欠だが、水の中では命になれないパラドクスだ。
 ところが当時の海底に多数あったと思われる熱泉噴出口付近でたまたま、同じく海底から噴出した二酸化炭素が海水に触れ、低温によって液体状から固体状の二酸化炭素ハイドレードを形成、さらにハイドレードの下では液体と気体両方の性質を兼ね備える超臨界状態となった二酸化炭素が水中の有機物を多量に溶かし込みつつ水の間近にしかし水とは分離した状態で存在するという、ねえそろそろ読んでいる人が疲れるから読点を打って行を変える頃合いなんじゃない、ぐらいの、異質な事態が起こっていた。

 そこで生命が誕生した。

 で、二酸化炭素である。

 生命は、食わねば生きられない。原始生命は周囲の、二酸化炭素と水素が酸化還元するエネルギーを「食って」生きていた。ご飯の中で生きていた、というか、原始生命はとても単純な構造で、ご飯の中でないと生きられなかった。

 養われてるだけでは、まずいんじゃね? と、思ったかどうかは定かでない。

 まずい、とは、ご飯が口に合わないのではなく、周囲の二酸化炭素に寄りかかって存在することが、だ。いやまずくない。ただ存在しているだけで良い。と、なぜ、思わなかったのか。
 それは全く分からないがある時、二酸化炭素と水素の消費に太陽光もプラスすればもっとアグレッシブにエネルギーを作れると、思ったか思わないかは別として急に「やりだした」やつが現れた。

 恐るべき光合成により、酸素が発生した。

 酸素は強すぎた。食えないというか猛毒だった。光合成を始めたシアノバクテリアにとっても廃棄物だったが、手近に二酸化炭素と水素はまだまだ全然あったため、彼らはいえーい光合成めっちゃエネルギー取れる快適! と、周囲の迷惑を顧みず光合成しまくった。出しまくられた酸素は、二酸化炭素と違って水に溶けにくいので、大半、海上の虚空へ出て行った。何億年か過ぎ、大気中に酸素が増えた。そんなつもりは全くなかったのだがシアノバクテリア先輩は、結果的にオゾン層を作った。なんか空が、昔より青くなった。この時点でまだ青い空を見られる視覚の持ち主はいなかったが、宇宙から飛んでくる生命破壊光線宇宙線や、太陽から降り注ぐ生命抹消光線紫外線はオゾン層で大幅カットされるようになった。

 その上、生命は酸素に対応した。

 二酸化炭素と水素だけ食ってのんびりやっていけないことが分かってきた時、なら酸素使ったらぁオラァ! と無謀にも海中の猛毒に挑んだ生命はだいたい死んだが、中で成功したものがいた。酸素を使えば活動力がアップし、動き回って他の連中を食えるようになった。やがて構造を複雑化させた魚っぽい動物が海中にうじゃうじゃした。こう見ると結果オーライ良い話感があるが、それは結果から見るせいだ。もし生命が酸素に対応できなかった場合、シアノバクテリア先輩はどう落とし前をつける気だったのだろうか。

 陸はハゲ散らかしていたが、紫外線問題等が解消したので、上がって上がれなくもなくなっていた。競合他者のいない二酸化炭素たっぷりの大気を狙ってか、植物が上陸した。彼らはフロンティアを独り占めし、大型化して光合成しまくった。すると大気中からますます二酸化炭素が減り、温室効果も減ってひんやりしてきた。とっても温かく二酸化炭素いっぱいだからこそでっかく伸び伸びやっていた植物先輩達は、自分で変化させた環境によって自分の首を締めていた。生命は、何事もほどほどに、ということをさっぱり覚えない。

 それから少し経っての、今である。

 初めのうち他の動物同様、身の丈の二酸化炭素を吐き出していた人間は、一瞬後にはやたらものを燃やして二酸化炭素を出しまくるようになった。今まで生命が自分で自分の首を絞めた時は大体、二酸化炭素に依存しすぎていたためだったが今度、人間は二酸化炭素の「排出」に依存し過ぎて環境を変化させているのだった。明らかにまずいんじゃね?

(おわり)

二酸化炭素依存

二酸化炭素依存

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-05-01

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