孤漏日

こもれび

お人好しの末路

2025/04/23
14時11分
雨の某駅前
喫茶室にて。

私はカフェーの中で
珈琲を啜っておりますが

ガラス1枚を隔てた
すぐ傍、
のようで

室内外の違いは大きい。

雨天ですし。

そこまで強い降りでは無いですけれども。

私は1人、
そして
お外には御三方の御婦人。

多少お若く目に映りますので
同い歳とは
いわぬまでも
私とそれ程には
変わらないでしょうか。

この御三方のうち
傘をお持ちなのはお二人のみで
持たざるお一人を
傘をもつ
お一人がカバーして居られるのですが

・・・

傘があり
カバーしていない1人は
もちろん無事。

そして
残りのお二人は
それぞれはみ出しているぶん
濡れておられます。

もしやしたら
三人が全体制で協力すれば
ぎりぎり
全員
濡れそぼることは
無いのかもしれませんが

いまのところ
そういう気配はない。

これだけ
接近し対話しておられるのですから
それに
気付かぬ訳も無い。

そして
協力しあい濡れている
二人にも
実際の会話以外に
並列思考として
それぞれの思惑が交差しておられるのが
手に取るようにわかります。

さて、
こうしてみると
3人仲良くお話に花を咲かせて
おられるのに比べ

私は1人で淋しくお茶を
しているように
見えるかもしれませんが

件の御三方は
本当に仲間なのでしょうか。

そも
仲間、とは?

その意識があるのなら
難しく考えずとも
それはやはり
仲間なのだとは
思うのですが。

こうして
また朝に出向いた職場で
早々に妙な疎外感を経てから
ここへ来て1人でいる
わたしより

ずっと

和気藹々という心理状態に
全員
充たされておられるのでしょうか。

万が一にでも
捻くれた私の目に映るような
気持ちが

やもしたら
御三方それぞれの
深層心理にでも
刻み込まれ
こういった
仲間意識と呼ばれるような美徳が
恨みや憎しみに繋がっていく
ことは
けして無いのでしょうか。

路傍にて
誰に頼まれるでもなく
いつか芽を出す種子のように。

己の傘は自身が濡れぬ為のもの
忘れて来てもどうにかなるもの
其をどうにも見過ごせないもの


何方も否定はしません、
美しいであろう部分も
それに何かしらの理由も
きっとあるのだと
思います

言えるのは
誰もこの現状に
心から満足はしていない。


わたしに
これらの生き方のどれか、
正解に近しいであろうものを
選ぶのは
年を重ねるほどに難しくなるばかりで。

いえ

面倒になるばかり、ですか。

人生は選択の連続。

だから
せめて
できるものだけでも
最初から放棄し
なるべく関わらないように。

小さな傘は用いずとも
雨の避けようはある。

それか

濡れる覚悟を。

周囲は
こういう部分を
敏感に察知し
私は尚
そういう立ち位置に
自ら歩みを進めているのでしょう。

嘆きばかりではなく
その場所には
其処にしかない救いも
きっとある筈。

私はそれで良いです、

・・・


いまのところは。

孤漏日

BGMで道化師のソネットが流れてます、
・・・それがまた。

なんでしょう、
こういう時に曖昧模糊ながらも
超常な存在の可能性を強く感じますな。

孤漏日

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted