ナイト×ファミリー
Ⅰ
「アニキ」
 ふり返る。
「……?」
 聞き間違いと。
「アニキ」
 はっきり。
「………………」
 沈黙のまま。思考し。
「いま」
 口を。
「『アニキ』と言ったか」
 こくり。
「俺のことを」
 こくり。
「………………」
 再び。考え。
「俺は」
 言う。
「おまえの兄貴ではない」
「っ……」
 かすかに。
「アニキだから」
 言って。背を。
「おい」
 追おうと。
「………………」
 理由が。
「……おう」
 軽く。息を。
 こちらも歩き出す。
 釈然としない思いを抱えたまま。
Ⅱ
「花房(はなぶさ)先生」
 呼び止められる。
「何か」
 かしこまって。と言っても、常人離れした巨体のため、相手よりはるかに目線は高かったりするのだが。
「い、いやね」
 気おされたのをごまかし。
「ほら、頼んでいたあの件だが」
「ああ」
 うなずく。
「どうなったかね」
「………………」
 すこし。考えて。
「がんばっています」
「が、がんばっているのはいいがね」
 返事に。困りつつ。
「では、引き続き」
 それだけを。言って。
「………………」
 その背を見送り。
(向いていないのだろうか)
 絶えず胸にある。
 思いが。
「だうー!」
 大興奮。
「だうーっ!」
 ゴロゴロゴロゴロッ!
「だうーっ❤」
 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロッ!
「お、親父」
 さすがに。
「あっ、ジュオ」
 止まる。
「だう~……」
 完全に。目を回し。
「あ」
 気がつき。
「だってー。メオがよろこぶからー」
 舌を。
 と、あっさり。
「だうー❤」
 復活。頬をすり寄せる。
「んふふー。メオはかわいいねえ」
 すり寄せ返し。
「さすが、僕の孫だね」
「だうっ」
 そうだと。ばかりにうなずく。
「この子は本当におじいちゃん子だから」
 そこへ。
「お帰りなさい」
「おう」
 言って。
「………………」
「何?」
 にこにこと。
「わたしの顔に何かついてる?」
「いや」
 目を。
「あなた」
 言われる。
「また隠し事?」
「い、いや」
 そういうことではなく。
「座ってください」
「お、おう」
 おとなしく。
 その後ろでは。
「だうー!」
 ゴロゴロゴロゴロッ!
「だうーっ!」
 抱きしめて転がるのでなく。今度は直に。
「メオはかわいいねえ」
 ご機嫌で。
「本当によく転がるねえ。まるまるコロコロして」
「お、親父」
 さすがに。
「あなた」
 こちらはこちらで。
「どうしたの?」
「おう……」
 笑顔を前に。
「………………」
 沈黙。ただ。
「そう」
 あっさり。
「ごはんにしましょう」
「おう?」
「ほら、おじいちゃんとメオも」
「はーい」
「だ、だう……」
 またも。目を回して。
「リィオ君も」
「がる」
 小さな影が。うなずき食卓に近づく。
「はい」
 それぞれの前に料理が並べられる。
「召し上がれ」
「いただきまーす」
「だうー」
 一際元気に。
「いただきます」
 こちらも。まだおずおずとしながら。
「あなた」
 にこにこ。
「食事のときは?」
「お、おう」
 言われている。
(集中)
 食事に。家族で卓を囲むその団らんに。
「おいしいねー、メオ」
「だうー」
「ふふっ」
 うれしそうに。
「あなた」
「おう」
 正直。味がわからない
「ちゃんと、味わって食べてください」
 言われてしまう。
「お話はその後でゆっくり」
「………………」
 やはり。味がわかる気はしなかった。
「いってらっしゃーい」
「だうー」
 見送られて。
「ふぅ」
 夜。
 寒さが身に染みるというような季節ではないが、自然と襟元を立てる。
「がるっ」
 飛び乗る。肩に。
「今夜も頼むぞ」
「がる」
 うやうやしく。頭を下げる気配。
「みうっ」
「みうみうっ」
 行く先々。暗がりにいる町内の猫たちが頭を下げる。
「おう」
 鷹揚に。手を振り。
「みうー」
 見送られる中。
 駅へと続く道をたどるのだった。
Ⅲ
 繁華街。
 夜でもそれなりの人通りはある界隈なのだが。
「………………」
 黙っていても。すみやかに前が開ける。
 にらみつけたり、威圧するような態度をとっているわけではない。
 そう。思ってはいるが。
(やはり)
 視線が落ちる。
 と、はっとなり。
(情けない)
 自分はいま。何を。
 それを忘れては。
(教師として)
 ぐっ。力が。
「お……」
 さあっ。周りの者たちがさらに距離を開けるのがわかった。
「……う」
 再び。
(教師らしく)
 ない。ただの乱暴者でしかないと。
(いや)
 思いわずらうな。
(行動で)
 示せばいい。
 その想いと共に胸を張る。
「お……」
 明らかに。筋肉で盛り上がった胸部は、周りとはかけ離れていて。
「……う」
 前かがみ。
(い、いや)
 これでは見回りも何もあったものではない。
(教師として)
 胸を。
 それでもあまり威圧的にならないようにと気は使いつつ。
(いないな)
 一通り。主だったところを見て回って。
「………………」
 戸惑いの。息。
(いや)
 いいことではある。はず。
 そもそも。
 夜遅くに生徒たちが街を出歩かないよう、連日こうして出向いてきているのだ。
 効果はあったと。
 思う。
 こうしてまったく姿を見ないのだから。
 ただ。
(俺が)
 おどすようなことになったのだろうか。
 きつく叱りつけるというようなことはしなかったと。
 言える。
 だが。
(俺そのものが)
 恐れられるような。
 何もしなくとも。
(そんな)
 人間が。教師であれるのかと。
「がるっ」
 そのときだった。
「リィオ?」
「がるがる」
 うなずく。
「……そうか」
 引き締まる。
 よけいなことに心を奪われていたせいだろう。
 しかし、こちらもすでにその〝気配〟は感じ取っていた。
「行くぞ」
「がるっ」
 勇ましく。小さいながらも。
「よし」
 肩の〝相棒〟に力をもらい。
 駆けた。
 狭い。
 人並外れた大きな身体ではいっそう。
 そんな路地の奥で。
「おい」
 静かな。それでいてはっきり通る。
「話が」
 びくっ! ふるえが波のように伝わり。
「お……」
 何を言う間もなく。一斉に逃げ出される。
「………………」
 太い腕を伸ばしたまま。
「お」
 気がつく。
「おい」
 近づく。
 いた。一人だけ。
「大丈夫か」
 うずくまった。その背に。
「っ」
 ぴくっ。
「ア……」
 顔を。
「アニキ」
 うれしそうに。
「お……」
 見覚えが。
「い、いや」
 自分は『兄貴』では。
(お)
 自分にも。
 そう呼ぶ相手が。
(兄貴……)
 それは。
「兄貴」
 戸惑いの。目が泳ぐのを見て。
「ご……」
 とっさに。
「ごめんなさい」
「あ、ううん」
 あわてて。
「ちょっと、まだ慣れてないから」
 微笑して。
「そうだよね」
 自分にも。言い聞かせるように。
「ジュオのほうが年下なんだから、僕はお兄さんなんだよね」
「……おう」
 照れ入りながら。
「でも」
 沈む。
「いいのかな」
「!」
 思いがけない。
「お、俺が」
 たまらず。
「ふさわしくないから」
「えっ」
「弟として」
「あ、いや」
 ますます。あわて。
「違うよ」
「なら」
「僕が」
 言いかけ。
「ううん、キミが」
 頭を。
「僕でいいのかなって」
「そんな」
 とっさに。
「兄貴だから」
 それだけ。
「そっか」
 それでも。
「そうだよね」
 笑顔で。
「これからだもんね」
「お、おう」
 頬が。熱く。
「ふふっ」
 こぼれる。
「かわいいね」
 手が。
「お……」
 頭の上。
「よろしく」
 その。感じ。
(親父……)
 同じ。
 あらためて。
(兄貴)
 目の前のこの人を。
 ためらいなく。
「アニキ」
 そして、いま。
「お……う」
 立場を変え。
 くり返されていた。
Ⅳ
 同じように。
 はできないまま。
「連れて帰っちゃったの」
「………………」
 ぴったり。こちらの後ろに隠れるように。
「……おう」
 うなずくしか。
「わかりました」
 あっさり。
「お……」
 いいのか。言いかけたところへ。
「ジュオ君」
「……!」
 久しぶりな。
「あなたは先生です」
「お、おう」
 うなずく。
「だったら」
 以上。
「おう?」
 取り残された感で。
「………………」
 背中越しに。後ろを。
 動かない。ぎゅっとこちらの服をつかみ、うつむいたまま。
(事情を)
 聞くべきだ。わかっているのだが。
「………………」
 聞けない。
 威圧的な。そんなつもりはなくとも、そう取られる気が。
(情けない)
 このままというわけにはいかないのに。
 あの場に放っておけず、こうなってしまったいまではなおさら。
「きゃっ」
 そのとき。
「どうした」
 と、すぐに気がつく。
「だうー?」
 不思議そうに。
「な、何?」
 あわあわと。
「息子だ」
 言う。
「えっ」
 こちらと。交互に。
「アニキの子ども?」
「おう」
「似てるー」
 抱き上げ。
「まるまるコロコロしてるー」
「だ、だう」
 戸惑いの。
「あははっ」
 ゴロゴロゴロゴロッ!
「お、おい」
 そんなに転がしやすそうなのか。
「あまり、乱暴に」
「あっ」
 我に。
「だ、だって」
 もごもごと。
「だう~……」
「ふぅ」
 目を回している。その背をなで。
「なぜだ」
「えっ」
 自然と。空気がほどけたというか。
「なぜ、こんな時間に」
「それは」
 すがるようにこちらを。
「………………」
 それを。受け止め。
「女子だろう」
「っ」
「それが」
 とたん。
「お……」
 目を。
「はい」
 そこへ。
「わたしのお古だけどいいかしら」
 パジャマを手に。
「え……」
 さすがに。
「お風呂」
 当然と。
「寒かったでしょ」
「………………」
 こくり。
「さっ」
 うながされ。
「お……」
 つれていかれるのを。
「あなた」
「……!」
「女の子なのよ」
 にっこり。
「お……う」
 情けない。
 ただただ思い知らされていた。
 翌日。
「アニキ」
「………………」
「ごはんだって」
「……おう」
 それだけを。
「………………」
 考えて。しまう。
(なぜ)
 当たり前のように。
(……アニキ)
 呼ばれて。
「………………」
 あらためて。
 はっきり。させて。
「早くしてよ、アニキ」
「お……」
 面と向かうと。
「おう」
 ただ。うなずくしかなかった。
「はい、メオ、あーん」
「だあーん」
 今朝も変わらぬ。
 ではない。
「………………」
 当たり前のように。
「こっちもあーん」
「だうっ」
 ぷいっ。
「この子、おじいちゃん子だから」
「えへへー」
(い、いや)
 何とも思わないのか。
「あっ、おかわり、いる?」
「はいっ」
(柚子〔ゆこ〕……)
 こちらはこちらで。
(お……う)
 何も。口をはさめそうにない。
「アニキ」
「っ」
 そこへの。
「迷惑だよね」
「お……」
 不意の。
「そ……」
 そうではない。
 言えない。
 教師として。そして、もう一方の立場から。
 嘘をつくことは。
「だあーん」
 そこへの。
「えっ、あたしに」
「だう」
 うなずく。
「いい子だねー、メオは」
 頭を。
「さすが、僕の孫だね」
「だうっ」
 得意げに。
「レディには優しく」
「っ……」
「それがうちの教育方針だから」
「だう」
 そうだと。
「………………」
 かすかな。ふるえが。
「ごちそうさま」
 席を立つ。
「だう?」
 スプーンを出したまま。
「だう……」
 どうしよう。そんな目で。
「メオ」
 優しく。
「メオはとってもいい子だよ」
「だうー❤」
 無邪気に。
「あーん」
「だあーん」
 代わりとばかり。開けられた口にスプーンを差し出す。
「あなた」
 はっと。
「何してるの」
「おう?」
 あわてるところへ。
「あ・な・た」
 にっこり。
「お、おう」
 押されるように。
「いってらっしゃーい」
「だうー」
 のんきな声を背に。
「………………」
 やはり、気は重いままだった。
Ⅴ
「ほら、ジュオ」
 優しく。
「お、おう」
 慣れない。ところはありながら。
「兄貴」
 手を。
「よいしょ」
 驚かされる。
「お……」
「ん?」
 不思議そうに。
「平気だよ」
「………………」
 こくり。
(兄貴)
 そうだ。自分より小柄に見えようと。
 騎士としての力量ははるかに。
「ここが頂上みたいだね」
 すずしい顔でこちらを引き上げてくれた後。
「ふー」
 深呼吸。
「あ、兄貴」
 そんなのんきな。
「ほら」
「おう?」
「ジュオも」
 おだやかに。
「しかし」
 これから。自分たちは戦いの地に。
「大丈夫だよ」
 笑顔で。
「ジュオは強いから」
「………………」
 そんなことは。そちらのほうがずっと。
「っ」
 そうか。
(兄貴は)
 強い。だから。
(こうして)
 いられる。その優しさそのものが〝強さ〟なのだ。
(親父と)
 同じ。
 瓜二つの外見ばかりでなく。
「兄貴」
 あらためて。
「深呼吸」
 はっと。
「おう」
 素直に。
「すー」
「ふー」
 共に。顔を見合わせ。
「行こう」
 笑った。
「お……」
 休日の。静かな町内で。
「みう」
「みうみう」
 囲まれていた。
「うわー」
 ご満悦の。
「みんな、かわいー」
 よりどりみどりと。
「リィオ」
 見る。塀の上に。
「おまえが止めてくれたのか」
「がる」
 うなずく。
「あ」
 こちらも気づき。
「キミかー」
 手を。
「このあたりのボスなんだねー」
「が、がる?」
 唇をひろげ。
「ちっちゃくても、牙、すごーい」
「ぐぁる……」
 どうしよう。そんな目を。
「おい」
 止めようと。
「っ」
 瞬間。表情が。
「おぅ……」
 こちらも。
「がるるっ」
 応援するように。
「……ああ」
 うなずき。
「………………」
 向き合う。
「なぜ」
 口をつく。
「俺を『アニキ』と」
 そのことが。
「そんなの」
 何かを言いかけ。
「………………」
 また。
「俺は」
 あらためて。
「そう呼ばれるような立場では」
「先生だもんね」
 はっと。
「い、いや」
 そういうことを言いたいのでは。
(くっ)
 つくづく向いていないのか。
「いいよ」
 後ろを。
「先生で」
 そこから。
「……で……」
 ぽそり。聞こえないくらい。
「おう?」
 耳を。
「お……!」
 駆け出される。
「おまえたち!」
 とっさに。
「きゃっ」
 展開。逃げ道をふさぐ。
「え、ちょっ」
 驚きの。
「猫使い?」
「いや」
 正確には〝猫〟ではない。
「なーんて」
 軽く。舌を。
「じゃ」
「お、おい」
 あわてて。
「話を」
「そんなのないし」
 言って。
「あっ」
 抱き上げる。
「猫質(ねこじち)だから」
「お、おい」
 だから、正確には。
「何するかわからないよ」
「いや……」
 むしろ、そちらのほうが。
「リィオ」
 万が一にもと。
「がる」
 目で。
「猫使いだったらほっとけないでしょ」
 違うと。
「使ったりは」
 そもそもが。
「違うの?」
「………………」
 どこから。
「俺は」
 あらためて。
「教師だ」
 目をそらさず。
「兄貴のように」
「えっ」
 ゆれる。
「お兄さん、先生だったの」
「お……」
 違う。いまのは。
「って、アニキにもアニキがいたの!?」
「おう……」
 こうなると。
「そうなんだ!」
 はしゃぎ出す。『猫質』をつかんだまま。
「が、がる……」
 こちらが危ないことに。
「おい」
 あまり乱暴に。
「っ」
 腕をつかまれ。再び表情が。
「お……」
 そういうつもりは。
 ない。
 言う前に。
「違うし」
 先に。
「何とも思ってないから」
 そんなことは。言いかけたのをのみこみ。
「リィオ」
「?」
「名前だ」
 はっとなり。
「……ごめんなさい」
 渡される。
「牙、いいねー」
 名残惜しそうに。
「強そうで。ただかわいいってだけじゃなくて」
「おう」
 とにかく。
「………………」
 言葉に。迷うも。
「行くのか」
 結局。
「なら」
 止めることは。
「アニキはさ」
 すると。
「どうしてほしい?」
「お……」
 聞くのか。
「俺は」
 とっさに。〝兄〟ならと。
「っ」
 再び伸びてきた手に。
「あ」
 乗せられる。
「………………」
 どきどき。お互い。
「アニキ」
 重なる。
「いいの?」
 おそるおそる。
「アニキ……で」
 ためらいの。
「………………」
 答えられない。
 それは。
(……情けない)
 肯定と同じだった。
Ⅵ
「いい天気だねー、メオ」
「だうー」
 ご機嫌で。
「………………」
 目を転じる。
 他にも。
 休日の公園には、子どもをつれた多くの家族の姿があった。
「こんにちはー」
 こちらに。
「大きな赤ちゃんですねー」
「でしょー」
 にこにこと。
「孫なんですよー」
「えっ」
 詰まり。顔を見比べる。
「………………」
 見慣れた光景。
 それでも。
「孫なんです」
 変わらない。
「かわいいでしょー」
 あいまいな。笑みが。
「若いもんね」
 隣で。
「おじいちゃん」
 そう言われ。
「おう」
 ほっと。かすかな。
「んー」
 見られる。
「そっくり」
「おう?」
「アニキとメオちゃん」
「お……」
 じわり。広がる。
「息子だからな」
 口に。
「じゃあ」
 期待の。
「アニキみたいになるんだね」
「お?」
「アニキみたいなアニキに! そんなアニキなメオちゃんに!」
「い、いや」
 それはまだ。
「メオちゃん!」
「だう?」
 突然の。
「ねーねー、あたしにもメオちゃんーっ!」
「いいよー」
「だう!?」
 あっさり。
「わー、メオちゃんー」
「だ、だう」
 無理やり。頬ずりを。
「早く大きくなってねー」
「だうぅ……」
「アニキみたいに大きくなってー、それであたしのアニキにー」
「だうっ、だうっ」
 じたばた。
「みんな、メオのことが大好きだねー」
「い、いや」
「かわいいもんねー」
 そんなことを。
「だうーっ」
「きゃっ」
 無理やりに。
「お……!」
 落下。とっさに手を。
「おっと」
 横から。
「うわー。重くなったねー、メオ」
「だう!」
 キラキラキラッ!
「だうーっ!」
 すりすりすりっ! いままでにない。
「メオぉー」
 しょんぼり。
「やっぱり、アリスちゃんのほうが好きなんだね」
 悲哀の。
 と、そんな姿には目もくれず。
「だーう」
「何?」
「だうっ、だうっ」
 非難の。
「う……」
 ひるむも。
「あ、あたしは」
 あたふた。しながら。
「いいんだし」
「そう」
 優しく。
「ありがとう」
「えっ」
「メオと仲良くしてくれて」
「………………」
 とっさに。
「お姉さんは」
 まばゆい金髪。目を奪われつつ。
「メオちゃんの何なんですか」
「んー」
 考え。
「お姉ちゃんかな」
「えっ!」
 勢いよくふり返り。
「こんな大きな娘まで!」
「い、いや」
 どうして。
「へー」
 おもしろそうに。
「そうだったんだー」
「お、おい」
 からかうようなことは。
「だう?」
 何を騒いでいるのかと。
「とにかく!」
 あせって。
「メオちゃんは!」
 取り返そうと。
「あたしが立派なアニキに育てあげるの!」
 手を。
「だうっ」
 かわす。
「だうっ、だうっ」
 俊敏に。よじ登ったり、後ろに回ったり。
「ほらほら、危ないよー、メオ」
 言いながら。あわてた様子のまったくない。
「おい……」
 脇で見ているほうが。
「はぁっ、はぁっ……」
 息を。
「ひょっとして」
 驚愕の。
「メオちゃん使い!?」
「あははっ」
 笑う。
「この子、楽しいねー、ジュオ」
「おう……」
 楽しいどころではないのだが。
「お父さんを呼び捨て!?」
「いや……」
「そういう文化の人!? 金髪だし!」
「………………」
 そうもこうもなく。
「いいなー」
 そこへ。
「みんな、楽しそうでー。おじいちゃんは仲間外れでー」
 一人。ますますいじけ。
「そうだよねー、若くないしー。おじいちゃんだしー」
(い、いや)
 見た目はまったく。
「だうー」
 すると。
「だうっ。だうっ」
「ん、メオ?」
 請われるまま。近づける。
「だうー」
 すりすり。
「メオ……」
 感動の。
「やっぱり、いい子だね」
 こちらからも。
「だうっ」
「えっ」
 あっさり。
「メ、メオ?」
 再び。
「だうー❤」
「メオぉ~」
 完全に。ふられた形に。
(親父……)
 情けない。いくら孫かわいがりとは言え。
(………………)
 孫。
 なのだ。
 その。確かな実感が。
(家族)
 同じく。慈しみの眼差しを注いでくれている。
「姉だ」
「えっ」
 見られる。
「お姉さん?」
「おう」
 うなずき。
「俺の」
 はっきりと。
「姉貴だ」
Ⅶ
「アネキ!」
「なーに?」
 あっさり。
「おう……」
 こうなるとは。
「すまない」
「ん?」
 何が? と。
「ジュオと同じだよ」
「………………」
 その通りだった。
「姉貴」
「え……?」
 泳ぐ。目が。
「あ、ご、ごめんなさい」
 あたふた。
「そうですよね。そう呼ばれるんですよね、自分」
「………………」
 迷惑かと。
「ジュオ」
 真剣な。
「何度も言いましたけど、自分、ジュオと同い年です」
 こくり。
「いいんですね」
「おう」
 迷いなく。
「俺より先に家族だった」
「いえ、家族というか従騎士(エスクワイア)なんですが」
 言うも。
「……そうですよね」
 はにかむ。
「とても良くしてもらっていますから」
 家族同然に。
「仲良くしましょう」
 手を。
「おう」
 こちらも。
「うー」
 ジト目。
「きゃっ」
「おうっ」
 共に。驚き。
「な、なんですか、ユイフォン」
「ずるい」
「えっ」
「なんで」
 じとー。
「アリスだけ、姉貴?」
「お……」
 どう答えたものかと。
「ユイフォンも」
 それは。
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「あうっ」
 蹴り飛ばされる。
「白姫(しろひめ)!?」
 驚きの。蹴られた当人も。
「な、なんで」
「うぜーからだし」
 バッサリ。
「なに、グズグズ言ってんだし」
「だ、だって」
「どーせなら、ぷりゅぷりゅ言うし」
「意味がわかりませんよ」
 と、あわてて。
「やめてください、ユイフォンをいじめるのは」
「いじめじゃないし。しどーだし」
 そういう言い方が一番。
「とにかく、やめてください」
「ぷりゅー」
 じとー。こちらも。
「な、なんですか」
「ちょーしに乗ってるし」
「ええっ!?」
「乗ってる」
「って、ユイフォンまで!」
 あせりつつ。
「乗ったりなんてしてないです! 普通ですよ!」
「ぷりゅぅ?」
「うー?」
 あり得ないと。
「アリスのどこが普通なんだし」
「そんな」
「アリス、普通じゃなくアホだし」
「う、アホ」
「だから、やめてください!」
 いつの間に。矛先が。
「明らかにちょーしに乗ってるし」
「だから、自分は」
「『姉貴』なんて呼ばれて」
「えっ」
 そこを。
「ずるい」
「ええっ!?」
 また。
「ユイフォンも姉貴」
「それは」
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「あうっ」
 またも。
「な、なんで」
 二重に。ヒヅメ痕。
「だから、ちょーし乗んじゃねんだし」
「ユイフォン、乗ってない」
「乗ってるし」
 ぷりゅ。断いななき。
「ユイフォンは『娘』なんだし」
「う!」
「『娘』は『姉貴』になれないんだし」
「そうだった」
 がっくり。
「いえ、あの」
 どういう理屈だ。
(まあ)
 本人がそれで納得するなら。
「あ」
 あぜんと。されているのに気づき。
「あの、いつもはこうじゃないんですよ」
 言いつつ。
(いつも)
 こうな気も。
「ぷりゅっ」
 すると。
「お?」
 にらまれて。
「ここにもちょーしに乗ってんのがいるし」
「やめてください、ジュオにまで」
「やめないんだし。花房家の馬としてぷりゅビシッと言うんだし」
 ぷりゅビシッ! ヒヅメを。
「お……」
 花房家。その言葉に背筋が伸びる。
「わかった」
「ちょっ、ジュオ」
 大丈夫かと。
「おう」
 真剣な顔で。
「その、『おう』がすでにだめなんだし!」
 いななきするどく。
「かわいくないんだし!」
「お……!」
 思いがけない。
「かわいく?」
「そーだし」
 うなずく。
「おう……」
 戸惑い。明らかな。
「ちょっと、白姫」
 さすがに。
「ジュオにそういうのは難しいですよ」
「なんでだし」
「なんでって」
 見た目がすでに。
「問題だし」
 ぷりゅー。鼻息荒く。
「かわいくないのに、弟としてかわいがられるなんて」
「おう!?」
 そのように言われるとは。
「か、かわいがられては」
「いないんだし?」
「………………」
 頬が熱く。
「おかしいんだし。ヨウタローがジュオをかわいがってたら画がおかしくなるんだし」
「『画が』って」
「おかしくないんだし?」
「それは」
 言葉に。
「い、いいじゃないですか。弟なんですから」
「アリスにとっても弟だし」
「えっ」
 こちらに。
「ぷりゅー」
 迫られる。
「かわいがるし」
「へ?」
「弟を」
「ええっ!?」
 それはつまり。
「で、できませんよ!」
「かわいくないからだし?」
「そういうことではなくて」
 見ると。
「う……」
 見られている。
「あ、あのですね、ジュオ」
 どう言うべきか。
「自分、その、まだ従騎士ですし」
「何の理由にもなってないし」
「なってない」
「ユイフォンまで……」
 どうすれば。
「じ、じゃあ」
 覚悟を。決め。
「来てください」
「お、おう」
 ドキドキドキドキ。
「………………」
「………………」
 向かい合う。そして。
「ええいっ!」
「!?」
「高いたかーい!」
 まさかの。
「お、おう?」
 思いもよらない。
「姉貴……」
 これまで以上に。目が。
「ふぅ」
 下に。
「かわいがりましたよ」
 どうだと。吹っ切れたように。
「ぷりゅー」
「うー」
 微妙な。
「な、なんでですか」
 あたふた。
「高い」
「えっ」
「ジュオ、もともと高い」
「それは」
 その通りだ。
「いいじゃないですか、もっと高くなっても!」
 無理が。我ながら。
「とにかく、かわいがったんです!」
 強引に。
「うー」
 険悪な。
「できない」
「えっ」
「ユイフォン、できない」
「それは」
 腕力に自信がなければ。それでなくとも普通に体格差が。
「かわいがれない」
「だったら」
 他のやり方も。
「うー」
 聞く耳持たず。
「見せつけてる」
「ええっ!?」
「調子に乗ってる」
「乗ってんだし」
「って、白姫まで!」
 いつもと逆パターンだが。
「う」
「きゃあーーっ」
 刃が。
「や、やめてください、ユイフォン!」
「いじわるするから」
「してませんよ!」
「お、おい」
 見かねて。
「ケンカは」
「うー」
 にらまれる。
「ジュオが悪い」
「おう!?」
 なぜ? という顔になるも。
「俺が」
 肩を。
「なに、モテモテ気取ってんだし」
「お……!」
 目を。
「ち、違……」
「違わないんだしーっ」
 パカーーーン!
「おうっ」
「ちょっ、白姫!」
 驚いて。
「なんてことをするんですか、ジュオにまで!」
「せんれーだし」
「いりません、そんな洗礼!」
「家族って認めないってことだし?」
「おう……」
「って、真に受けないでください、ジュオもーーーっ!」
(同じ……)
 その言葉は。
「おい」
 びくっ。ふるえる。
「大丈夫」
 優しく。
「………………」
 かすかに。こわばりがとけたのを見て。
「俺は」
 口を。
「おまえに」
 そこからが。
「………………」
「もー」
 仕方ないと。
「ごめんね、ジュオが」
 代わって。
「慣れてないから」
「えっ」
「だって」
 微笑み。
「末っ子だし」
「お、おい」
 あせるも。
「でしょ」
 微笑まれ。
「甘やかされたからねー、メオと同じで」
「だうー」
 すりすり。
「おう……」
 どう。言えば。
「アニキ」
 そこに。
「………………」
 見られる。
「お……」
 このままと。いうわけに。
「俺は」
 あらためて。
「いいなー」
「おう!?」
 突然。後ろから。
「そう思わなーい、ジュオー」
 何が。
「家に帰っても、メオにべったりされてー」
(ああ)
 その。
「ねー、メオー、僕とも遊ぼうよー」
「だうっ」
 ぷいっ。
「メオぉー」
(おう……)
 情けない。
「老い先短いおじいちゃんなのにー」
(いや)
 とてもそうとは。
「お」
 我に返る。も。
「アネキ!」
 当てつけるように。
「あたしも!」
「ん?」
「あたしもかわ」
 言いかけて。
「あ、あたしも、メオちゃん、かわいがる!」
 抱き取ろうと。
「だうっ」
 またも。逃げられる。
「なんで!」
 激昂。
「なんで、あたしのことは」
 言って。
「っ……く……」
 噛みしめる。
「だうー」
「っ」
 なでなで。
「だーう」
「メオちゃん」
 あぜんと。
「だう。だうだう」
「大丈夫って」
 微笑み。
「言ってるよ」
「………………」
 声も。なく。
「ふふーん」
 得意そうに。
「僕の教育がいいからね」
 なでなで。
「だうー❤」
 ご機嫌の。
「じゃあ、そろそろ僕のほうに」
「だうっ」
 それはと。
「メオぉ~」
「だーうー」
 しがみつく。
「こーら、メオ」
 そこへ。
「そろそろ、おねむの時間でしょ」
「だうっ」
 離れない。
「ごめんね、アリスちゃん」
「いいよ、柚子」
 にこやかなまま。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に寝ようかー」
「だーうー❤」
「ええっ!?」
 悲鳴を。
「やっぱり取られた」
 涙に。
「お、親父」
 大げさな。
「だったら、ジュオが寝てくれる?」
「おう!?」
「息子だしー」
 それはそうだが。
「………………」
 またも。一人取り残された感の。
「変わった家族でしょ」
「っ」
 肩に。
「でもね」
 あたたかく。
「家族なの」
 その。
「家族……」
 言葉に。
「知らないし」
 顔を。
「ふふっ」
 大らかな。
「じゃあ、わたしと一緒に寝る?」
「ええっ!?」
「嫌?」
「い、嫌とか」
 そういう問題では。
「変わってるんだよ」
「う……」
 絶句。するも。
「あたし」
 言わないと。
「あたし!」
 声を。
「た……」
 精いっぱいの。
「大公の娘なの!」
Ⅷ
 おかしいとは。
(大公の)
 予想もつかなかったが。
「シードちゃんっていうんだー」
 こちらは変わらず。
「ちょっと、うちの子っぽいねー」
(お、おい)
 また。
「ここのうちの?」
 ちらり。
(お……)
 何と。
「もー」
 やれやれと。
「女の子なんだよ」
「おう」
「だったら」
 言わなくても。
「だうっ」
 同意の。
「メオはちゃんとわかってるねー」
「だうー❤」
 なでられ。ご機嫌の。
「ほら」
「お、おう」
 ようやく。
「………………」
 軽く。咳払いをし。
「どうやってこちらに」
 口にして。
「いや」
 それは重要ではない。
 現に自分だって。
「硬いよ」
 あらたに。脇から。
「レディが困ってるんだから」
「それは」
 わかっていると。
「アネキ」
 頼もしそうに。
(おう……)
 情けない。このような事態になっても。
「まあ」
 そこへ。空気をほぐすように。
「今日はこんな時間だから」
「柚子……」
「大丈夫よね」
 確認。
「………………」
 こくり。
「だったら」
 と、明るく。
「みんなで寝よっか、メオ!」
「だうー!」
「あー、メオ~」
 結局。
(……ふぅ)
 すべきことを。するだけなのだ。
「事情は」
 わかった。
 とは言いがたかった。
「………………」
 複雑な。と言っていいのか。
「ごめんなさい」
「お……」
 またも。
「い、いや」
 また威圧的になってしまったかと。
「だから、だめだってー」
 横から。
「レディには優しく」
「おう……」
 しようと。そのつもりは。
「アニキ」
 はっと。
 こちらが見ると、すぐ。
「っ」
 うつむき。唇を結ぶ。
「お……」
 やはり。
「もー、ジュオー」
 じれったそうに。
「まあまあ」
 そこへ。
「ジュオはジュオなんですから」
「そうだね」
 あっさり。
(お、おい)
 それで納得されるのか。
「シードさん」
 ぴくっ。
「アネキ……」
「うん、アネキだよ」
 にっこり。
(おお……)
 さすがというか。呼ばれ慣れている。
「じゃあ」
 もじもじしつつ。
「あたしのことも」
「ん?」
「『シード』って」
「うん」
 すぐさま。
「わかった」
 抱きしめる。
「シード」
「わ……」
 耳元での。
「だーうーっ!」
「きゃっ」
 足もとに。
「だうっ。だうっ」
「えっ、メオちゃん?」
「もー」
 代わって。
「メオのこともちゃんとかわいがるから」
「だうっ」
 当然と。
「ああ」
 そういうことか。
「ごめんね、メオちゃ」
「だうっ」
 ぺしんっ。
「だうー」
 威嚇するように。
「こら、メオ」
 ちょっぴり。厳しく。
「レディになんてことするの」
「だ、だう」
 だって。
「だうー」
 にらむ。再び。
「う……」
 戸惑う。も。
「あ、あたしだって負けないんだから!」
「だうっ!」
 バチバチッ。火花。
「おい……」
 何を張り合って。
「いいなー」
「お、おい」
 こちらはこちらで。
「アリスちゃん、モテモテだなー」
「いや」
 そんなことより。
「聞いただろう」
「んー?」
 昨夜の。
「いいんじゃない」
「おう!?」
 あっさり。
「アニキなんでしょ」
「それは」
 ただそう呼ばれているだけで。
「っ」
 自分だって。
「もー」
 つん。額を。
「そうやって、すぐ黙りこんじゃうんだから」
「……おう」
 申しわけなく。
「だからー」
 じれったそうに。
「ジュオはいい子なんだよ」
(いい子……)
 そう呼ばれるような。歳では。
(いや)
 子どもなのだ。
 この〝父〟の前では。
 しかし。
(だめだ)
 それでは。
(俺は)
 すでに自分が〝父〟であり。未熟ながら人を教え導く立場。
「おい」
 前に。
「っ」
 またも。
「………………」
 引かない。
 無言のまま。
(俺は)
 おびえていた。
 おびえられることを。何より自分が一番恐れていた。
(もう)
 そんなものは。いまは。
「行くぞ」
「きゃっ」
 腕を。
「行くって」
「決まっている」
 ためらい。ない。
「二人になれるところだ」
「アニキ」
 ドキドキドキ。
「こういうのって、どうかと思うよ」
「そうだな」
「ええっ!?」
 肯定された。
「じゃあ」
「ああ」
 迫る。
「ア、アニキ……」
 言う。
「言え」
「えっ」
 と、あわて出し。
「あたしから!?」
「おう」
 逃げない。
「あたしは」
 口を。
「聞いてたから」
 語り出す。
「アニキなんだって」
 それは。
「おう」
 聞かされていた。
 自分の父――〝王〟。そして〝大公〟の間でかわされたという。
「俺は」
「わかってる」
 先に。
「歳だって、ぜんぜん違うし」
「………………」
「けどね」
 はにかんで。
「あたしにとっては、アニキだったから」
 それは。
「そう思ってたの」
「……そうか」
 それ。だけを。
「わかった」
「っ」
 だから。
「アニキ」
「おう」
 応じる。
「俺は」
 ためらい。ない。
「受け止める」
「っ……」
「ずっと」
 澄みきった。
「そうしてもらってきた」
「アニキ……」
「おまえが」
 背を。
「そう呼ぶなら」
 あとは。
「うん!」
 うなずき。
「アニキ!」
 飛びつく。
「……おう」
 すこしだけ。誇らしい気持ちだった。
「アニキ!」
「………………」
 しかし。
「だめだ」
「えっ」
「ここでは」
 自分は。
「先生だ」
「えー」
 不満げな。
「いいじゃん」
「だめだ」
「ケチー」
 舌を。
「おい」
 ここは。厳しく。
「べー」
 先に。
「お……」
 行かれてしまう。
「………………」
 手を。伸ばしたまま。
「……おう」
 情けない。それはまだまだ変わらないようだった。
Ⅸ
 変わった。
「先生、さようならー」
「また明日ー」
「おう」
 言葉すくなく。それでも以前のようにおびえられることはない。
「ホント、先生って『おう』ばっかりだよねー」
「『アニキ』ってカンジー」
 去りながら。交わされる言葉が。
「………………」
 面はゆい。
 が。不快ではなく。
「おう」
 吐息。
 これまでと違う。重い気持ちからではない。
 自然と。
 胸が張られ。
「アーニキ」
「………………」
 嘆息。
「言っているだろう」
 厳しく。
「『先生』だ」
「へへー」
 ちっとも。懲りる様子のない。
「学校はどうだ」
「楽しいよー」
 そのようだ。
『花房椎戸(しいど)です! よろしくお願いします!』
 初日から。
 その明るさで、あっという間に周りと打ち解けた。
『へー、花房先生の妹なんだ』
『うん』
『ちょっと似てないよねー』
『えっ』
『あ、ううん。だって、先生、怖いっていうか』
『だよねー』
 否定せず。
『でも、アニキだし』
 笑って。言って。
 そして、いつの間にか――
「アニキ?」
「っ」
 我に。
「お、おう」
 不自然な。我ながら。
「ふふっ」
 笑う。
「変なアニキ」
「………………」
 確かに。
「みんな、アニキの変なところがわかればいいのに」
 それは。教師としては。
「あればいいよね」
「おう?」
 何が。
「牙印(ガイン)にも」
 はっと。
「……そうだな」
 口に。
「いつかは」
「えっ」
「俺が」
 言いかけ。
「………………」
 それ以上は。
「あ、待ってよ、アニキー」
 とととっ。ついてくる気配を背中で感じ。
「……おう」
 自然と。また息がこぼれた。
「やー、久しぶりー」
 ひらひらと。
「………………」
 緊張の。空気。
「不快だな」
 即座に。
「ふざけているのか」
「真面目だよ」
 笑みを。
「いつでもね」
「ならば」
 指を。
「それは、何だ」
「それ?」
 瞬間。
「なんてこと言ってるの」
「っっ……」
「僕の」
 抱き寄せる。
「大切な孫に」
「――!?」
 衝撃が。筋骨隆々たる男たちであふれた大広間に。
「だーう?」
 どうしたの? と。
「みんな、驚いてるんだよー」
 打って変わって。
「メオがかわいいからー」
「だうー❤」
 大よろこび。
「フン」
 鼻を。
「つまらない策だ」
「んー?」
「屈しはしない」
 動揺を。抑えこみ。
「牙印は。尾大公(びたいこう)は決して貴様に」
「んー」
 軽く。
「そういうのはどうでもよくてー」
「く……」
「シードちゃん」
「!」
「うちの子になったから」
 衝撃。あらたな。
「な……あ……」
 とりつくろうことも。できず。
「何を!」
「言ったよ」
 にこやかに。
「アニキで妹だから」
「くぁ……」
 意味が。
「待て!」
 去ろうとするその背に。
「無駄なことだ」
「?」
「人質など無意味だと言っている」
「ふーん」
「牙印には」
 ぎらつく。
「獣の掟あるのみ」
 こちらは。対照的に冷めきった。
「まあ、いいけど」
「よくは!」
 身を乗り出す。
 と、その脇から。
「っ」
 ブォン!!!
 振り切られた。丸太のような尾の一閃で、細い身体があっけなくなぎ払われる。
「これが」
 重々しく。
「獣の掟だ」
 おおっ! 興奮の波が。
「ゆるめるな」
 次々と。放たれる。
 襲う。
 頑強な鱗に包まれた肉体が、驚異の敏捷さで床を這い群がり集う。
「たわいない」
 残っていた。こわばりが勝利の確信と共に消える。
「驕りゆえだ」
 断じる。
「このような者など〝聖槍(ロンゴミアント)〟さえなければ」
 跳ね上がった。
「!」
 その背に。
「だうー!」
「!?」
 驚愕の。
「だーう。だーう」
 ぺちぺち。自分よりはるかに巨大なその背を小さな手のひらでたたく。こうしろ、ああしろと言い聞かせるように。
「ばふ。ばふばふ」
 応じる。それに。
「あのような……」
「おかしくないけど」
「!」
 そこに。
「ばふー」
「ばふばふー」
 凶悪な牙が並んだ。長大なその口を開け閉めして。
「かわいがってるだけだよ」
 こうやって。言いたそうに。
「王子様だもん」
(では)
 おまえは何なのだ。
「くっ」
 聞くまでもない。
〝聖槍〟の騎士。
 牙印の精鋭軍を一人で壊滅に追いこんだ。
 それが。
「大公」
「……!」
 すぐ。近く。
「言ったからね」
「ぐ……っ」
「シードちゃんは」
 念を。
「うちの子だから」
 返事を待たず。
「行くよー、メオー」
「だうー」
 ぺちぺち。騎乗したその背をたたく。
 素直に。
 跳び回るのをやめ。
「だーう」
「わー、僕も乗っていいの」
「だうっ」
 そして。
「………………」
 仲良く背にまたがり。去っていくその姿をこちらはただぼう然と見送ることしかできなかった。
「ただいまー」
「だうー」
「あ、メオちゃん、おじいちゃん、お帰りー」
 テーブルを拭いていたところへ。
「わー、お手伝い? 偉いね、シードちゃん」
「偉いっていうか」
 はにかみ。
「か、家族だし」
「うんうん」
 うれしそうに。
「あ、ごはんなんだけど」
 前に。
「この子の分ももらえるといいな」
「えっ!」
 目を。
「これって」
 小さな姿に。変わってはいるも。
「うん、キミのところの」
「じゃあ」
 顔を。
「何か」
 瞳が。
「メーオ」
 そこへの。
「だうー」
 なでなで。
「………………」
 あぜん。そして。
「……ぷっ」
 噴き出す。
「あはっ……はははっ」
 なでられながら。
「おっかしー」
「よかった」
 笑顔。こちらも。
「いいんだよ」
「えっ」
「キミがジュオを『アニキ』と呼ぶのなら」
 限りない。
「僕たちは」
 慈しみの。
「家族だ」
 その。言葉。
「だーうっ」
 同意と。
「………………」
 声が。
「ふぐ……」
「ふぐ?」
「ふ……ふぐぅっ」
 はじける。
「うわーん!」
「わわっ」
 驚いて。
「もー。そんなに泣いたりしなくてもー」
「だう? だーう?」
 あわあわ。共に。
「親父……」
「あー、ジュオー」
 弱ったと。
「なんとかしてー」
「おう!?」
「アニキでしょー」
「お……」
 何が。まず説明を。
「わーんっ」
 それより早く。
「おうっ!」
 胸に。突進される。
「おう……」
 泣きじゃくる。その背に。
「………………」
 大きな。手のひらが置かれた。
Ⅹ
「がる。がるがる」
 一方から。
「ばふ。ばふばふ」
 一方へ。
「がる。がるるっ」
「ばふばふ。ばふっ」
 お互い。真剣に。
「こらー、トロン」
 そこへ。
「リィオちゃんとケンカしたらだめでしょ」
「ばふ!?」
 心外だと。
「ばふ。ばふふっ」
「えっ」
 目を。
「この家のことを教わってたの」
「ばふ」
 そうだと。
「そうか」
 ざらざらとした。頭をなで。
「そうだよね」
 しみじみ。
「家族だもんね」
 それは。自分にも。
「トロンと仲良くしてね、リィオちゃん」
「がるっ」
 凛々しく。小さな身体で。
「ばふっ」
 こちらも。ほぼ同じ大きさながら。
「ふふふっ」
 愛らしいその姿に。
「あ」
 そこで。思い出したと。
「リィオちゃん、このあたりの猫たちのボスなんだよ」
「ばふ」
「トロンはワニ……はあんまり町の中では見ないか。けど、公園にはカメがいたし、あとトカゲとか」
 言って。想像。
「……やめとこうか」
「ばふばふ」
 うなずく。
「だうー」
 そこへ。
「あ、メオちゃん」
「がるっ」
 すかさず。かしこまる。
「どうしたの」
 抱き上げると。
「だうっ。だうっ」
 じたばた。
「? トロンと遊びたいの」
 近づける。
「だうー」
 ざりざり。
「ああ」
 わかったと。
「めずらしいんだ、鱗の感触が」
「だうっ」
「でも、あんまり強くやったらだめだよ。結構硬いし、ケガしちゃうかもしれないから」
「がるがるっ」
 危ない。言いたそうに。
「平気だよー、食べられたりはしないって」
「がる!?」
 とんでもないことを。
「がるー」
「ば、ばふ」
 にらまれて。
「もー、仲良くって言ったばかりなのに」
 苦笑する。
「じゃあ、あたしと遊ぼうか、メオちゃん」
「だうっ」
 ぷいっ。
「あー、かわいくなーい」
「がるるっ!」
「あっ、違って。メオちゃんのことは食べちゃいたいくらいかわいくて」
「がるぅっ!?」
「いや、あたしは食べないし」
「がるぅー」
「ば、ばふっ」
「トロンも食べないし!」
「だーうー」
 ざーりざーり。
「ちょっ、頬ずりは! ほっぺがボロボロになっちゃうよーーっ!」
 騒ぎが。響いてくる中。
「すまない」
「何が」
 包丁を止めることなく。
「……おう」
 それ以上は。
「んー」
 指を。あごに。
「やっぱり、お肉かなー」
「おう?」
「トロン君のごはん」
 トントン。再び。
「でも、水棲? なんだよね。となると、魚だったりするのかな」
「お、おい」
 トントントントン。
「………………」
 おそるおそる。
「いいのか」
 止まる。
「どういうこと?」
 ふり向いて。
「うちにはもう二代続けてサーベルタイガーがいるのよ」
「それは」
 その通りだ。
「すまない」
「ふー」
 やれやれと。
「いい?」
「お、おう」
「あなたは」
 まっすぐ。
「メオの父親です」
「……おう」
「シードちゃんのアニキで、リィオ君のご主人様で、学校では先生です」
「………………」
「だから」
 にっこり。
「堂々としてください」
「っ」
 胸を。つかれる。
「わー」
 パチパチパチバチ。
「さすが、柚子ちゃんだねー」
「お、親父」
 いつの間に。
「でも、抜けてるよ」
 にこっ。
「柚子ちゃんの旦那様でしょ」
 はっと。
「ですね」
 はにかむ。
「息子のことをよろしく」
 深々と。
「親父……」
 あらためて。胸に。
「ねーねー、ジュオー」
 一転。
「聞いて、聞いてー」
「お、おう」
 何を。
「メオがねー、ぜんぜん構ってくれないんだよー」
「………………」
「僕、おじいちゃんなのにー。おかしいよねー」
「おう……」
「トロンとばっかり遊んでー」
 すっと。瞳が冷え。
「ワニ革にしちゃおうか」
「おう!?」
「なーんて」
 てへっ。舌を。
「冗談だよ、冗談ー」
(冗談……)
 聞こえない。
「ねー、メオー。おじいちゃんとも遊ぼうよー」
 行ってしまう。
「……おう」
 どっと。疲れが。
「お」
 気がつく。
「柚子?」
「うーん」
 難しい顔で。
「魚肉ソーセージ」
「おう?」
「かなって。ほら、魚も肉も入ってるし」
「………………」
 そういうものだったろうか。
「おう……」
 今日も。平和ではあった。
「なーんて」
 見ていた。
「丸くなったねー、戦闘隊長サマが」
〝道〟は。つながっている。
 だから――
Ⅺ
「うー」
 ぎゅうぅ~。
「メオ、かわいい」
「だ、だう……」
「おい」
 見ていられず。
「もうすこし優しく」
「う?」
 じー。
「な、なんだ」
「ジュオ、変わった」
「おう?」
 どういう。
「優しくなった」
 さらに。
「優しくなくはなかった」
「お……う?」
 どう。
「けど」
 くり返す。
「優しくなった」
「………………」
 返しようが。
「アリスに聞いた」
「姉貴に?」
 何を。
「メオ、かわいかったって。いっぱいかわいがったって」
 ぎゅうぅぅ~。
「アリスばっかり、ずるい」
「だうぅ~……」
「だ、だから」
 優しく。
「っ」
 はっと。
(昔は)
 これまでの自分は。
(優しく)
 あったとは。
(優しく……)
 されてきた。
 ずっと。
(そうか)
 変わった。確かに。
(俺は)
 優しく。するほうに。
 しなければならない立場に。
「う?」
 突然。抱き取られ。
「だう?」
 当人も。
「………………」
 見つめる。
 そして。
「だうー❤」
 大きな。その手のひらで。
「変わった」
 あらためて。
「う」
 そのとき。
「どうした?」
「連絡」
 短く。言って。
「………………」
「何か?」
「う」
 こくり。
「紗維羅(シャイラ)から」
「姫か?」
「うー」
 首を。横に。
「動きがあるって」
「動き」
 それだけで。
「竜か」
「う」
 うなずく。
「流印(ルイン)が」
「うー」
 否定。それは。
「なら」
「わからない。けど」
 注意を。そういうことらしい。
「わかった」
 うなずく。
「………………」
 かすかに。手に力が。
(守る)
 それは。いままで以上に強い〝理由〟として。
「うー」
 すると。
「いつまで、メオ、持ってるの」
「おう?」
「返して」
 手を伸ばし。
「ほら、メオ、こっち」
「だうっ」
 拒否される。
「うー」
 眉根に。しわが。
「メオ、かわいくない」
 ぎゅむぅ~。
「だ、だうぅ……」
「おい」
 つねるようなことを。
「だうーっ」
 涙目で。しがみつかれる。
「いじめは」
「だって、生意気。おとなしくかわいがられない」
 無茶を。
「しつけする」
 これは『しつけ』とは。
「ふぅ」
 それにしても。
(情けない)
 我が子ながら。
(いやいや)
 赤ん坊なのだと。
「………………」
 それでも。
「おい」
 大丈夫か。成長してもこのままのようなことは。
「だーう?」
「……ふぅ」
 これが〝親心〟というやつか。
 そんなことを思ってしまうのだった。
「こっちこっちー!」
 大はしゃぎ。
「ま、待ってー」
「シードちゃん、速すぎー」
 息を切らせて。
「えー、ぜんぜん遅いよー」
 唇をとがらせる。
「みんな、運動不足すぎー」
「だってー」
「走らなくてもねー」
「そう?」
 走り出したい。そんな気分。
(この世界は)
 まぶしい。
 本当に。
 向こうの。自分の生きてきた場所よりずっと。
(だから)
 はしゃがずにはいられない。
 街で。
 みんなの笑顔があふれるその中で。
「きゃっ」
 ドンッ。
「痛ぁ~……」
 不意の。
「ちょっと、シードちゃん!」
「あの、ご、ごめんなさい」
 あわてて。
「あ」
 ようやく。人にぶつかったのだと。
「ごめんなさいっ!」
 立ち上がり。
(わ……)
 大きい。転んでいなくても見上げるような。
(あっ)
 似てる。かも。
 この背中。
(アニキ……)
 そう。やはり街で。
 見つけた。
 聞いていた通りの。
 大きな。
 一目でわかった。そうなのだと。
 学校で。
 初めて声をかけた。
 けど、それ以上は何も言えなくて。
 再び街で。
 助けてもらった。
「ア……」
 そのときの。想いが。
「アニキ!」
 ふり向いた。
「あ……」
 違う。
「え、えーと」
 体格は似ている。
 けど、雰囲気がまったく。
 そもそも見た目が。
(チャラい)
 正反対。言っても。
「んふふー」
 ぐぐっ。大きな身体をかがめるようにして。
「だーれだ」
「えっ」
「俺にぶつかってきたのは」
「え……や……」
 言葉が。
「あ、あのっ」
 脇から。
「ごめんなさい! この子、ドジっ子で!」
「悪い子じゃないんです!」
「モカ、キッコ……」
 懸命に。こちらのために。
「ごめんなさいっ」
 あわてて自分も。
「よそ見してて、それで」
「そんなことは」
 おだやかに。
「どうでもよし」
「え……」
 顔を。
(この人)
 いまさらながら。おかしい。
 様々な原色に塗り分けられた跳ねた髪。
 それを異常と思わせない。
 異様な空気。
(何……)
 とらえどころがない。それでも本能的に。
(危ない)
 それは。生まれ故郷では生死を分かつ直感。
「二人とも逃げて」
「えっ」
「いいから!」
 説明している暇は。
「!」
 両手が。
「やっ」
「きゃあっ」
 左右ともに。襟首を。
「な……」
 反射的に。
「何して!」
 後ろ蹴りを。
「!?」
 確かな足ごたえ。しかし。
「きゃっ」
 ゆるがない。
 むしろ、反動でこちらが膝をつく。
「く……」
 手。というか足を抜いたつもりはない。
 それは危険だと。
 そんなことができる相手ではないと。
「……!」
 こちらの世界に。
 そんな。
(違う……)
 そもそもの違和感。それは。
「あなた」
「そうさ」
 先に。肯定。
「おかしいかい」
 おかしくは。自分だって。
「って」
 そんなことより。
「二人を放しなさいよ!」
 強気で。飲まれてはだめだ。
「んー」
 首を傾ける。
「どうしようか」
 明らかに。
「放しなさい」
 なめられてたまるか。
 自分は。
「尾大公の娘」
「っ」
「牙印の」
 またも。先んじて。
「だろ」
「う……く……」
 とっさに。
(まさか)
 狙いは。
「許嫁」
「!」
「そう決められていた」
 どこまで。
「会ったこともない男と」
「うるさい」
「しかも、その相手は、他の女との間に子どもも」
「うるさいって!」
 激昂。
「はぁぁぁっ!」
 本気の。先ほど以上の力をこめて。
「!?」
 合わされた。
 同じ後ろ蹴り。しかも、両手に人一人ずつを抱えたまま。
 巨体からは信じられない俊敏さで。
「きゃあっ」
 吹き飛ぶ。
 完全に意表を。受け身も取れずに道の上を転がる。
「シードちゃん!」
「いやぁっ!」
「うるさいなぁ」
 ぽそり。
「もういらないかな」
「っ!」
 いけない。絶対に。
「あたしでしょ!」
 声を。
「用があるのは!」
 沈黙。
「うーん」
 頭をかき。
「そうなんだけどね」
 とことん。つかみどころが。
「まあ、いいか」
 あっさり。
「きゃっ」
「痛っ」
「キッコ! モカ!」
 あわてて。
「平気? ケガしてない?」
 無事を確かめ。
 あらためて。
「信じられない」
 怒りを。
「あたしの」
 噛みしめる。
「友だちに」
「ふーん」
 冷めた。
「どうでもいいけど」
「よくない!」
 キレた。
「ブッ払う!」
 それは。最大級の。
「いいんだ」
 さらり。
「友だちの前で」
「……っ」
 止まる。
「ぬるいなあ」
「あ」
 我に返るも。
「!?」
 闇が。視界を覆った。
Ⅻ
「わかった」
 静かに。
「先生、あの、あの」
「わたしたち、シードちゃんを」
「言うな」
 それだけを。
「俺が」
 それだけで。
「先生……」
「うん……」
 落ち着きが。わずかながら。
「ユイフォン」
「う」
 わかっていると。
「行く」
「お姉さん……」
「送っていく」
「俺の家族だ。心配ない」
「先生の」
 安堵の。
「ジュオ」
 去り際。
「おう」
 大丈夫。目で。
「よろしく頼む」
「う」
 うなずき。二人をうながす。
「………………」
 拳を。
(俺の)
 せい。そこまでうぬぼれてはいない。
 事態の把握もできていない。
「だーう?」
 そこへ。
「………………」
 抱き上げる。
「だーう、だーう」
 何か。聞きたそうに。
(メオ……)
 気がついているのか。
「そうだな」
 そっと。
「家族だ」
 そのことが。何より。
「だうっ」
 うなずく。
「………………」
 手のひらに収まるほど小さい。
 そして、愛おしい。
 その頭を。
『アニキ』
 初めて。呼ばれたときの。
(俺は)
 迷いはなかった。
「僕はね」
 静かに。
「怒ってるんだよ」
 こちらは。
「し、知らん」
 おびえきって。
「何も」
「うわー」
 笑っていない。
「あり得ないよね」
「あ……」
 そんな。言われても。
「知らないって」
 目が。
「娘のことでしょ」
 氷より。
「あり得ないよ」
 首にかかった手に。力が。
「あり得ないんだ」
 くり返し。
「僕から家族を奪うことは」
「わ、わかった」
 何をわかったとも。それでも。
「許されないんだ」
 止まらない。
「絶対」
「知らないのだ! 本当に! わたしはただ」
「ただ?」
「っ」
 ひくつく。
「ただ?」
 再度。
「言ってよ。誰が」
 はじけ飛んだ。
「な……」
 一瞬で。目の前から。
「こうなることはわかってたし」
「き、貴様」
 ぬう、と。
 まだら髪の巨漢が。
「なぜだ! 娘に何を」
「情けないなあ」
 ぎろん。
「大公なんて言ってるくせに」
「くっ……」
「はーあ」
 頭をかき。
「直接はやるなって言わてるから」
 見ると。
「!?」
 いつの間に。
「り、竜……」
 騎士にとって。圧倒的畏怖の対象。
「伝説の『騎士』には違いないし」
 あっさり。
「あ……う……」
 信じられないと。
「こんなもんだろ」
 ゆらがない表情。
 そこに。さげすみの。
「槍のない騎士なんてさ」
 興味は失せたと。
「さーて」
 背を。
「こっちはこっちの仕事に戻らないと」
「聞かせて」
 話を。
「おう」
 うなずく。
 も。わかっていることはすくない。
「どう思う」
「わからない」
 正直に。
「尾大公への脅迫?」
「いや」
 そんなことをする。意味が。
「だったら」
 目を。
「………………」
 うなずく。
「このままにはできないよね」
「おう」
 当然だ。
「こーゆーときこそ」
 そこへ。
「アタシたちの出番じゃなーい」
「紗維羅……」
「機印(キーン)のネットワークをなめてもらったら困るわね」
「チュイッ」
 その通り。隣でも同意する。
「すまない」
 頭を。
「おい」
 ドスが。
「水くさいこと言ってんじゃねえぞ」
「………………」
「副団長に向かってな」
「……おう」
 噛みしめる。
「チュイチュイ」
 こちらも。
「ジュオ、ナカマ」
「それだけじゃないでしょ、微兎(ビット)」
「チュイ?」
「わたしたちは」
 宙に浮く。球体をなで。
「家族なんだから」
「チュイィ~」
 うれしそうに。
「アリス、ジュオ、姫サマ。ミンナ、カゾク」
「そうだよ」
「おう」
「ふふっ。久しぶりの出動ね、団長」
「うん」
 うなずき。
 真剣な。眼差しで。
「輝閃(ひかり)の騎士団」
 背筋が。
「正義と自由のために――戦います」
 一斉に。胸に拳を。
 誓いの証だった。
ⅩⅢ
「出せよ」
 力が。
「出せ」
 それでも。
「出せったら」
 絶望に。飲まれそうになりながら。
「っ……く……」
 なんで。
(くさいし)
 カビなのか動物の糞か。それらの混ざり合ったものか。
 牙印といっても広大だ。縄張りと呼べる地域の外の臭気には、むしろ普通の人間以上に拒否感を覚える。
(正直)
 向こうの世界だって。ぜんぜん平気とは言えなかった。
 それでも。
(帰して)
 心から。
 嘘のない。いまの自分にとってはそれが。
「だーうー」
「っ」
 幻聴だと。当然そう。
「だうっ。だうっ」
「あ……」
 小さな。
 格子をすりぬけ。
「メオちゃん!」
 抱きしめる。
「ウソ……ホントに? ウソだよ、こんなの」
 自分でも。
「だ、だぅ~……」
「あっ」
 力が。
「ご、ごめんね」
「だうっ」
 抗議の。
「アニキは? おじいちゃんは?」
「だうだうだう」
 首が。横に。
「ちょっと」
 がく然。
「一人で来ちゃったの? そんなこと」
 はっと。
 そこには本来の姿に戻った。
「トリン!」
「ばふっ」
 ぎくっ。
「トリンなの! トリンがメオちゃんを!」
「だーう、だーう」
 なだめるように。
「………………」
 言葉が。
「っ」
 あらためて。やわらかな頬に自分のそれを押しつける。
「メオちゃん……」
 あふれる想いが。どうしようもなく。
「おー」
「……っ!」
 毛を逆立てる猫のように。
「あんた!」
 反射的に。小さな身体を深く抱きしめる。
「いやいやいや」
 相変わらずのとぼけた。
「よかったなって」
「何がよ!」
 絶対に。この子だけは。
「そっちだから」
「は?」
「本当にほしかったのは」
 指を。
「まさか」
 ふるえる。
「ん」
 うなずき。
「なかなか、ね」
「何が」
「こっちと」
 指を。左右に。
「あっちのかけ合わせ」
「……!」
「おもしろい材料になると」
 愉悦の。
「思わない?」
「っ……」
 弾けた。
「ざけんなぁーーーーーーーっ!!!」
 前に。
「ブッ――」
 激情のまま。
「払う!」
 ガキィィィィィィィィン!
 太い鉄格子を。それ以上に太い鱗模様の尾が。
「払えぇぇっ!」
 ガキン! ガキン! ガシィィィィィィン!
 止まらない。
「ふーん」
 かすかに。興味の。
「ハァッ……ハァッ……」
 膝を。
「だうっ。だうっ」
 ぺたぺた。頬に。
「大丈夫だよ」
 途切れ途切れの息で。
「あたしだって」
 凛々しく。
「獣騎士(じゅうきし)なんだ」
 立つ。
「悪くない」
 破られた檻をはさんで。
「見栄だけの父親よりずっといいなあ」
「あんた、父さんと」
「うーん」
 一人。考えを。
「これも材料として」
「あんた」
 怒りに。
「魔印(マイン)のやつか」
「え?」
 けげんな。が、すぐ。
「あー、牙印と魔印は仲がいいから」
「違う!」
 バァン! 尾がしなり床を打つ。
「あんなやつら! 命を何とも思ってない!」
「思ってるさ」
 心外と。
「それぞれ、かけがえのない素材だ」
「っ……!」
「大体、牙印はずいぶんグリフォンや魔獣を」
「言わないで!」
 言うや否や。
(やった!)
 とらえた。
 巨体に硬鱗の尾が食いこみ。
「……!?」
 そのまま。
「ふぅん」
 涼しい。
「やっぱり、いいよ」
「く……」
 防御するまでも。ないと。
「わかった」
 何を。
「こちらだけっていうのはフェアじゃない」
 どういう。とにかく油断は。
「あげよう」
「えっ」
「キミが」
 大きな手のひらが。
「ほしかったものを」
 覆った。
ⅩⅣ
「〝ヘヴン〟!?」
 衝撃が。
「らしいわ」
 静かに。
「………………」
 息を。調え。
「やつらが」
 うめくように。
「なぜ」
「そこまではね」
 肩をすくめ。
「森(しん)パパとも」
「!」
「連絡が取れなくなった」
「馬鹿な!」
 声を。
「親父は」
「落ちつきなさい」
 冷静な。それこそ機械的な。
「いまの彼は無敵とは言えない」
「っ……」
「わかっているでしょう」
「……ああ」
 力が。
「なのに、昔の調子で動いちゃうんだから。まったく」
 冗談めかし。
「年寄りの冷や水よね」
「………………」
 冗談では。ない。
「親父は」
 複雑な。
「よろこんでいた」
「えっ」
「言っていた」
 ふるえる。
「『おかげで普通のおじいちゃんになれる』と」
「……そう」
 こちらも。
「ジュオ」
 止められる。
「なに考えてやがる」
 ドスを。
「副団長に逆らうのか?」
「………………」
「あなたの仕事は」
 やわらかく。
「すべての準備が調った後。そうでしょう」
 答えない。それでも。
「ね、攻撃隊長さん」
 その言葉に。
「おう」
 うなずいていた。
「ぷるるっ」
「ぷる、ぷるぷるっ」
「ありがとう、みんな」
「ぷるるーっ」
 いななきを残し。空高く駆けていく。
 白い翼がはためく。
「ペガサスのみんな、どうだった」
 首をふる。
「がんばってくれてるんだけど」
「うー」
 もどかしげに。
「爸爸(パーパ)だったら」
「えっ」
「すぐに助けてくれる」
「………………」
 息を。
「……そうね」
 うなずく。
「わたしもまだまだってことか」
「ユイフォンも」
 共に。
「チュイーーーッ!」
 そこへ。
「チュイッ! チュイチュイッ!」
「えっ」
「う」
 顔色が。変わった。
「……そう」
 静かに。
「ぷりゅ」
「ぷりゅりゅ」
 まだ羽根も生えそろわない。
「ありがとう」
 なでる。手のひらにおさまりそうなその鼻先を。
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅー」
 心地よさそうに。
「………………」
 無言のまま。立ち上がる。
 眼下に。
 はるかに広がる雲海を眺めつつ。
ⅩⅤ
「どんな子?」
「えっ」
「ジュオの妹」
「ふふっ」
 微笑み。
「とってもいい子だよ」
「うー」
 楽しみで。仕方ないと。
「アネキ」
「ん?」
「ユイフォンも言ってもらう」
「んー」
 指をあごに。
「まあ、それは会ったときにね」
「う」
「だから」
 引き締まる。
「助けないと」
「う」
 こちらも。
「チュイーッ」
 そこへ。
「う、微兎」
「向こうはどう?」
「チュイイッ。チュイッ」
「そう」
 うなずき。
「こっちの」
 肩に。手を。
「戦闘隊長もがんばらないとね」
「う」
「落ちつきなさい」
 くり返しの。
「わかるのよ、いつもと変わらない顔してたって」
「………………」
「落ちついて」
 念を。
「大切な相手なんでしょ」
「っ」
 それは。
「当然だ」
 力強く。
「俺の」
 それ以上は。
「………………」
 言う。必要が。
 言わずとも。
「わかってる」
 言って。
「そろそろよ」
「おう」
 静かに。覇気を。
「……!」
 来た。
「っ」
 合図。
「ユイフォン」
「う」
 行く手には。
(甲大城〔こうたいじょう〕……)
 牙印四大公の一角、甲大公(こうたいこう)の居城。
 海沿いに面し、周りを深い堀で何重にも覆われた。伏せた甲殻類を思わせる。堅牢なる鉄壁の城郭。
 かつての激戦の舞台。
 それもすでに廃墟となって久しい。
(そんなところに)
 どのような意図で。
 それでも。
(引けない)
 機印の者たちの助力で、中にいることは判明している。何をされているかまでは不明だが、急ぐに越したことはない。
(けど)
 慎重に。それは絶対だ。
「うー」
 陰に。溶けこむ。
(頼りになるわね)
 こちらの戦闘隊長は。
(お願い)
 心の中で。
(ユイフォン……)
 こちらでも。
「リラックス」
 くり返しの。
「始まったばかりよ」
「おう」
 うなずく。
「………………」
 頭の中で。確認を。
 二手に分かれ。
 内部の正確な状況を把握し、情報を共有した上で同時に突入する。
 シンプルすぎる。
 それでも。
「やれるわよ」
 事実。
「スペシャルなんだから」
「………………」
「アタシたちは」
「おう」
 うなずく。
 そう。
 そのことで、すこしでも成功につながるなら。
「待って!」
 突然の。
「………………」
 沈黙。電子の雑音まじりの会話がわずかに漏れ聞こえる。
「サイアクだわ」
「どうした」
「増えちゃったの」
 どういう。
「っ」
 こちらを。
「おい……」
 嫌な予感が。
「あのね」
 落ちついて。言下の。
「メオちゃんよ」
「!」
 聞き間違えだと。
「何を」
「………………」
 苦しそうな沈黙。それが。
「馬鹿な」
 あり得ない。
 頭が。他のことが。
「ジュオ!」
 はっと。
「わかってんだろうな」
 こちらも。あせりは隠せないながら。
「やることは変わらねえ」
「おう」
「オレたちは」
 噛んで。ふくめるよう。
「救い出す」
「………………」
「それが一人でも二人でもだ」
 沈黙。重く。
「もうすこしだけ」
 優しく。
「待てるわね」
 否も。
「………………」
 応もなかった。
ⅩⅥ
(うー)
 とんでもないことに。
(メオ)
 すぐわかった。
 まるまるコロコロ大きな赤ん坊は、遠目でもはっきり親に瓜二つだった。
「だーう、だーう」
 バンバン。
 透明な。閉じこめられているケージの壁を叩く。
(かわいそう)
 怒りが。まだ接触できていない敵への。
(どこ)
 うかつには。近づけない。
 まずは。
 敵の意図を見定めなければ。
(うー)
 静かに。闇そのものと化し。
 進む。
 内部は把握している。
 以前も侵入し、敵の獣騎士と烈戦をくり広げた。
(う!)
 止まる。
 感じる。
(どこ……)
 ただものではない。
〝ヘヴン〟――来世騎士団(ナイツ・オブ・ヘヴン)。
 力なき人々を守ることを使命とする騎士たちの組織・現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)の宿敵。
 騎士でこそないものの、これまで何度も干戈を交えてきた。
 だが、謎なこともまだ多い。
(うー)
 いま自分たちが対峙しようとしている相手も。
「……!」
 いた。
「やあ」
 背後に。
「警戒して侵入すれば、自然と似たようなルートになる」
 最初から。こちらが来ることを見越して。
「う!」
 ためらわない。
「!?」
 止められる。
 異形の。それは。
(槍……)
 なのか。
 見たこともない。
「うー」
 動揺してはだめだ。刃を交えている最中に。
「実験」
「っ」
「聞いてるよ」
 涼やかな。
「槍でなく刀によって騎力(きりょく)を扱える素体」
「!」
 それは。
「……っ」
 乱れた。我に返ったとき。
「否定することはないさ」
 耳元で。
「まあ、こっちは否定するけど」
「!」
「いらないし」
 槍撃が。
「う!」
 跳ぶ。全力の。
 懐をえぐられる。
 寸前で。
「ふぅん」
 やはり。興奮も落胆もない。
「つまらない」
「……!」
 命のやり取りを。なのに。
「まあ〝輝閃の騎士団〟なんて言ったってさ」
 あっさり。
「意味のない」
 何を。
「ただの」
 それは。
「どうでもいい」
 決して。
「うーーーーっ!!!」
 自分のこと以上に。〝家族〟を否定されるのは。
「はーあ」
 はっと。またも。
「あり得ない」
 軽い。
「道具だろ」
「っ!」
 どうしても。心の沸き立ちを。
「創られた」
 わかって。いながら。
「だったら」
 今度こそ。
「もう」
 回避が。
「チュイィーーーーーーッ!!!」
 横合いから。
「微兎!」
 瞬撃。巨体を跳ね飛ばす。
「チュゥイッ!」
 再度。するどい尖端を持った板状の槍――〝弦兎(げっと)の槍〟を駆り、宙をすべっての突撃を。
「うるさい」
 広がる。
 両手に装着された。
 槍。
 爪を。異常に肥大化した。
 そんなものが左右に各三本ずつ。
 常人なら、その重量で確実に手首の骨が折れる。いくら巨体とはいえそれを軽々と、かつまったくバランスを崩すことなく。
「避けて!」
「チュッ!?」
 ギリギリ。
 罠にかかろうとしていた鳥。それが空へ逃げるように、急激な方向転換によってかろうじて爪牙をかわす。
「う!」
 こちらも。ただ見ているだけでは。
「うーっ!」
 ひねるように突き出す。
 槍と刀を組み合わせた――〝流刃(りゅうじん)の槍〟。
「はぁーあ」
 ガキィィィィィィィン!
 まったく気の入らない態度のまま。
 受ける。
 というより、つまみ止める。
 怪物じみた超技。膂力。
「う……」
 強敵。あらためての実感。
「……っ」
 ガサガサガサッ。
「!?」
 すでに。びっしりと周囲を。
「ユイフォン!」
 頭上から。
「う!」
 跳躍。浮遊する騎士槍をつかむ。
「チュィ~……」
 なんとか。
「うー」
 不満そうに。
「ユイフォン、重くない」
「チ、チュイ」
 言われても。
「蟹道楽」
 はっと。
「好きだろ」
 意味が。
「う……」
 ガサガサガサガサガサガサガサッ。
 見下ろす床は、うごめく大量の生き物で埋め尽くされていた。
「道楽……」
 どころではない。
 そんな甲羅の海の中で平然と。
「じゃあね」
「う!?」
 歩み去る。透明な籠を手に。
「だーう、だーう」
 パンパン。
「メオ!」
 身を乗り出す。
「チューイッ!」
「っ」
 我に。
「ううう……」
 衝動のままには。
 どれほどの俊敏さをもってしても、無事たどりつくのは不可能。ただの大型化した海洋生物ではない。牙印のそれは、騎士と共に戦う猛獣たちなのだ。
「チュ!?」
 バシュゥーーッ! 次々と水流が吐き出され、退避を余儀なくされる。
「メオーーッ!」
 叫ぶ。
 必ず助けに戻る。その想いを乗せ。
ⅩⅦ
「っ」
 顔を。
(今度は何?)
 感じる。
 大量の。うごめく。
(甲大公は)
 滅びた。そう聞いている。
 潮の臭いが石壁深くまで染みこんだこの城郭も廃墟となっている。
 はずだった。
(なのに)
 あんな悪党のアジトになって。
 しかも、いま再び。
「待たせたね」
「!」
 来た。
「く……」
 にらむ。それができる唯一の抵抗だった。
 完全に四肢を拘束されていた。
 ご丁寧に、尻尾まで。
 牙印の城だ。その手の設備には事欠かない。
「最低ね」
「んー」
「女の子に」
 怒りが。
「こんなことして」
 すずしい顔で。
「うれしくない?」
「はぁ!?」
 あり得ない。
「キミはいま主人公だ」
「え……」
 馬鹿な。
「とらわれの」
 ささやく。
「プリンセスだよ」
「………………」
 一瞬。ほんの一瞬。
「だうっ、だうっ」
「!」
 我に。
「メオちゃん!」
 吹き飛ぶ。
「メオちゃん、平気? ケガしてない!?」
「だーうっ、だうっ」
 共に。互いを。
「すごい騎力だよねえ」
 籠を見て。
「何を」
 赤ん坊に。
「騎力だよ」
 くり返し。
「騎士の力」
「そんなこと」
 わかって。
「ない」
 言い切られる。
「ライディング・パワー」
 そうだ。
〝騎乗〟の力。
 馬などに乗ることを可能とし、それが極まれば世界のあらゆる条理にさえ〝乗る〟ことができる。
「それは力自体にも『乗られる』ということ」
「えっ」
 そんな。受け取り方。
「だ、だから」
 何だと。
「乗られるだけの」
 なぞる。
「器が必要なんだよ」
「器……」
 それが。
「そう」
 肯定。
「新品がいいよね」
「し……!」
 なんという。
「新型でもある」
「は!?」
 どういう。
「いいかげんに」
 まるで。物のように。
「他にない」
 構わず。
「向こうとこちらのかけ合わせ」
「……!」
 それは。
「なければないほど」
 にんまり。
「力が好むのかもしれない」
 ぞくっ。
「実際、証明してくれた」
「え……」
 証明?
「来てくれただろう」
 こちらを。
「………………」
 とっさに。
「あ!」
 息を。
「それって」
 ここに。来られた理由。
「あたしを」
 まさか。
「そう」
 肯定。また。
「とらわれのレディを救うため」
 籠を掲げ。
「馳せ参じるのが騎士」
 恭しく。
「それがどこであろうと」
 敬意の。一礼。
「だーう?」
 本人は。
「………………」
 言葉が。
「嘘」
 そう。口にして。
「や……」
 涙。
「あう……あ……」
 止まらなく。
「メオちゃん……、メオっ……ちゃ……」
「だうっ。だうっ」
 またも。小さな手で。
「ありがとう」
 それだけが。
「あーあ」
 そこへ。
「違うんだけどな」
 白けた。
「よっと」
「!」
 軽く。
「メオちゃん!」
 放物線を。
「だうっ」
 引っかかる。燭台用の突起に。
「なんてこと!」
 いまさらの。
「っ……」
 届かない。この虚ろさの前には。
「放して」
 それでも。抑えきれない。
「メオちゃんもわたしも」
「言ったよね」
 肩をすくめ。
「キミの望みをかなえるって」
 拘束が。
「きゃっ」
 解かれる。
「っ!」
 跳ねる。この瞬間を待っていた、まさに獣のように。
「!?」
 引き戻される。
「あ……」
 尾が。そこだけ。
「あはははっ」
 腹をかかえ。
「わかりやすいなぁ」
 遊ばれている。
「いいかげんに」
 たぎる。
「ふんっ!」
 尾なんてちぎれたっていい。そんな思いで。
「だめだって」
 眼前。手のひらが。
「っ」
 それだけで。
(なんで……)
 あらがえない。
 本能。それが。
(くぅっ……)
 悔しい。それでも。
「いい子だ」
 優しく。
 その目に宿る。それは、しかしまったく異質。
 虚ろ。
 どこまでも。
(何なの……)
 恐怖。あらためて。
「レディらしく」
 言い聞かせるように。
「ね」
 逆らえない。
(メオちゃん……)
 自分はどうなっても。
「わかった」
 脱力。
「何でもする」
「違うって」
 指を。
「あくまでキミの望むことなんだから」
 軽い。果てしなく底のない。
「ね」
「ったく、ウザッてぇ蟹どもだぜ!」
 ブォォォン! 甲羅が一直線に踏み割られる。
「しっかり、つかまってな!」
「おう!」
 言われるまでも。
「ランスぅ……」
 エンジン音と共に高まる。
 騎力。
「チャァァァーーーーーーージ!!!」
 騎士最強の。至高の技。
「うぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 バイク型。他に類を見ない騎士槍が、うなりをあげて群れを衝撃の渦に巻きこむ。
「く……」
 同乗している者をもビリビリとふるわせる。
 驚異の。
 さすがは副団長と言うべき。
「開いたぜ」
「っ」
 見渡すかぎり。
 床も壁も埋め尽くすかと思えた無数の甲羅。
 そこに。
「行け!」
「おう!」
 裂け目を埋めようと。早くも押し寄せてきたそのただ中を。
「おおおおおおおっ!」
 駆けた。
「慎重も何もなくなっちゃったね」
「ごめんなさい」
「ううん、責めてるわけじゃないし」
 軽口を。かわしながらも、共にその槍撃と斬撃はするどい。
 寄せつけない。
「ほら、こっちこっち!」
「う! こっち!」
 せめてものフォロー。一匹でも多く引きつける。
(って言っても)
 あまりにもの数。
 脅威の突撃(ランスチャージ)をもってしても、まったく減らせたと思えない。次から次へと湧いてくる。
「うー。甲大公、倒したのに」
 健在の頃でもこんなことができたとは。
(〝ヘヴン〟……)
 底知れない。その不気味さはいまも。
(いけない)
 槍を振るう手を止めることなく。
 気持ちを切り替え。
「わたしたちらしいなって」
「う?」
 何が? と。
「こうなっちゃうのが」
「うー」
 ちょっと考え。
「う」
 うなずく。
「だったら」
 いつも通り。
「勝つだけだよ」
 凛々しく。そして。
(がんばって、ジュオ)
 心の中で。
「うおおおおおおっ!」
 雄叫びを。
 駆ける。
 追跡の気配はない。
 あきらめた。というより、これ以上進むのを恐れているような。
(俺は)
 感じる。
 待ち受けている。
 言い知れない嫌な気配。
 でありながら。
 それは。
(何だ)
 もどかしさ。
(関係ない)
 そんなことより。為すべきことは。
「……!」
 視界が開けた。
 長い地下通路を抜けた。
 そこに。
「いらっしゃい」
 見たのは。
「!?」
 式場。
 シンプルながら清楚なイメージで飾りつけられた。それはどう見ても。
「お……!」
 いた。
「シ――」
 初めて。はっきり。
「シード!」
 紛うことなき。
 花嫁の衣装に身を包んだ。
ⅩⅧ
「っ」
 まさか。
「ア、アニキ」
 こんなところに。
「見ないで!」
 羞恥と悔しさ。破裂しそうに。
(なんで)
 こらえるより早く。
「う……ううっ」
 嗚咽。
 止まらない。
「そうか」
 そこへ。
「そんなにうれしいんだ」
 指が。涙を。
「さわらないで!」
 跳ね上げる。
 直後。
「お……」
 槍が。喉もとに。
 音もなく。
 いや、あまりの速さに。
 まさに野生の獣。
「へえ」
 崩れない。
「そうなんだ」
「………………」
「丸腰の相手に武器を向けるんだ」
 かすかに。
「それがキミの騎士道か」
「………………」
 槍が下ろされ。
「――!」
 有無を言わさない。固く握られた拳が顔面を。
「フッ」
 パァァァン!
(え……!)
 止めた。
「それで?」
 ためらうことなく。
 二撃、三撃。
 そのことごとくが止められる。
(嘘……)
 そばで見ているだけでも。
 圧が。
 硬い表情の中に激しい怒気のこめられた。
 それが届かない。
「あっ!」
 逆に。カウンターが。
「アニキ!」
「おっと」
 すかさず。
「だめだろう、花嫁が」
「誰が!」
 ふざけるにも。
「真剣なんだけど」
 不思議そうに。
「望んでいただろう」
「っ……」
 違う! 違う違う違う!
 けど、その言葉は。
(なんで)
 口に。
「離れろ!」
 迫る。
「おおおおおおおおおっ!」
 雄叫びを。渾身の。
「暑苦しいって」
 止められる。
「イヤになるなあ」
 再びの。攻防。
(やっぱり)
 互角。
 そうとしか。
 見た目からして、もう。
 共に、常人離れした長身と筋骨隆々たる四肢。
 なのに、違う。
 一方は、激情を沈下にたぎらせ。
 もう一方は、あくまで飄々とした態度を崩さない。
 違う。
 なのに。
(何なの、これ)
 前に。あらためて。
「やめて!」
 とっさに。
「っ」
 動きが。
「フン」
 小さな息。しかし、放たれた拳はこれでもかと。
「!」
 吹き飛ぶ。
 巨体が。同じく巨体からの一撃に。
「あ……」
 自分の。せい。
「情けない」
 追い打ちをかけるよう。
「戦ってる最中に」
 そんな。真剣さの欠片も感じさせないほうが。
「だから」
 さらり。
「俺は生まれた」
(……!)
 まさか。
「人造騎士」
 立ち上がりながら。
「やはりか」
「そう」
 微笑。
「わかるよね」
 無言。それが。
「キミだよ」
「!」
 衝撃。
「ア、アニキの」
「えー」
 信じられないと。
「わかってなかったんだー」
 聞いたことは。でも。
「嘘……」
 くり返し。
「そっくりだろう」
 どこが!
 確かに、顔立ちや体格は瓜二つだ。
 いまさらながら。
 しかし、派手な格好や正反対ともいうべき言動がその判断を惑わせて。
「俺はねえ」
 やはり。絶対あり得ないと思える口調で。
「理想」
「え……」
 誰の。何の。
「だろ」
 同意を。
「………………」
(えっ)
 なんで。
(こんな)
 最低な。
「だよねえ」
 にやにや。
「キミはキミが嫌いだ」
(え……)
 そんな。
「無口で不愛想。気持ちをちゃんと口に出して伝えることもできない」
(そ……)
 それは。
「教師であることにも、夫であることにも自信がない」
(……!)
 そんなこと。けど。
「う、嘘だ」
 それでも。
「アニキは」
「何も知らない」
「!」
 そんなわけ。
(あたしは)
 知っている。はずで。
 短いけどそばで暮らしてきて。
 だから。
「………………」
 言えない。
(あたしは)
 知らない。
 本当は。
 どんな思いを抱えていたかなんて。
 わかるわけがない。
(家族じゃ)
 ないから。
「だから」
「っ」
 近づく。
「俺とさ」
 微笑んで。
「………………」
 一瞬。心が。
「っ……」
 見る。しかし。
(なんで)
 止めようと。
(やっぱり)
 違うから。他人だから。
(だから)
 当然だ。
 一方的に。押しかけてずっと迷惑をかけ通し。
 そんな相手を。
「俺は」
 はっと。
「情けない」
 はっきり。
「おまえの言う通りだ」
「アニキ!」
 認めないで。声が。
「俺は」
 やめて!
「逃げない」
 静かに。
「情けない俺から」
「へえ」
 剣呑な。
「戦うっていうの」
 言うまでも。
(!)
 構えられる。
「へぇーえ」
 こちらも。指に。
「〝爪餓(そうが)の槍〟」
「……!」
「呼び方は同じ。けど」
 キンキンッ。
「どっちが強いかな」
 語るまでも。
 必要も。
 ない。
(っ!)
 同時に。
(ああっ)
 不利だ。
 相手は両手に三本、計六本。
 こちらは、両端に穂先があるとはいえ、それでも二つ。
(――っ!)
 キィィィィィィィィィン!
 突き合う。
 互角に。
「〝双牙(そうが)の槍〟」
 ゆるぎなく。
「俺の牙は」
 誇り高く。
「小さな爪など噛み砕く」
ⅩⅨ
(ああっ!)
 殴り合いのとき以上に。
 いや、次元が。
(これが)
 騎士。
 槍を交えての死闘はまさに人間を超える。
 二頭の獣。
 牙と爪とをぶつかり合わせる。
「ハハッ!」
 それでもなお。
「この程度か! この程度なんだな、俺は!」
 あざけりの笑みを崩さない。
 だが、そこに。
「もっと!」
 いままでにない。感情の高ぶり。
「もっと俺を!」
 えぐりこむように。閉じた爪が突き合いをすり抜けて懐へと。
「フンッ!」
 回転。
 反対側の穂先が前へ繰り出され、腹部を襲う寸前の突先を止める。
「小技だなあ」
 まったくの。余裕の。
「じゃあ!」
 跳ぶ。
(!?)
 飛んだ。
「ハハハハハハッ!」
 回転する。
 六本の槍。
 手首を高速で旋回させて。
(嘘……)
 人体の構造上絶対あり得ない。つまり。
(人間じゃ)
 いまさらながら。
「機印の械騎士にも」
 冷静な。まま。
「似たような槍の使い方をする者はいた!」
 投げ放つ。
(っ!?)
 こちらも。また。
「おおっ」
 回転し、飛行する騎士槍が。同じく飛翔する槍の片方を狙う。
「ハハッ」
 あっさり。空中にいることをやめ、床に降り立つ。
「よく言う」
 戻ってきた槍をつかみ取り。
「そちらこそ、小技だ」
「そうかい」
「事実だ」
 ゆるぎなく。
「軽い」
 断じる。
「派手さばかりだ」
「それもキミにないものさ」
 こちらも。
「無駄に重い」
 断じ。
「自分で思わない?」
 あざけり。
「よくそれで」
 さげすみの。
「息子なんてやってられるよね」
「っ……」
(えっ)
 何を。
「伝説の騎士」
「………………」
「その息子って自覚がさー、キミにあるのかなー」
「黙れ」
「お」
 ますます。
「気にしてたんだー。知ってたけど」
「黙れ!」
 声が。
(アニキ……)
 だめだ。相手の。
「それ以外ないだろ」
 たたみかける。
「キミの人造騎士を創ろうなんて」
(っ!)
 そんな。
「………………」
 ふるえが。
「……親父の」
「当然さ!」
 歌うよう。
「たかが牙印王の子どもになんて大した価値はない! 伝説の騎士! 〝聖槍(ロンゴミアント)〟の扱い手たる至高の騎士が目をかけた! それ以外にないだろう!」
「………………」
 屈辱の。
「だからさあ!」
 あおる。
「足りないんだよ!」
 声が。
「この程度なんてさあ!」
 その仮面が。
「アニキ!」
 しっかり。
「おっと」
「!?」
「キミもさあ」
 ぐぐっ。
「もっとその気にさせてよ」
 何を。
「何のためにいると思ってるのさ」
 勝手な。
「あたしは」
 腹の底から。
「認めない」
「はい?」
「あんたを」
 吐き捨てる。
「あんたがアニキなんて」
「事実さ」
 耳もとで。
「認められない?」
「当たり前でしょ!」
「だったら」
 冷たく。
「意味ないね」
 ドスッ。
「っ!」
 刺された。
「………………」
 来ない。
 痛みも。死も。
「く……」
 こぼれる。
「くふ……ふふふふ……」
 身の毛がよだつ。
(な、何)
 起こって。
「最高だよ」
「そうかなあ」
(!)
 その声は。
「おじいちゃん!?」
 顔を。
「……っ」
 ぞくぞくぞくっ!
(何?)
 この感覚。騎士の力にかかわる者なら必ず。
「!」
 咆哮。もはや間違えようが。
「シード!」
 我に。
「アニキ!」
 飛びこんでいく。ゆるんだ腕をふりほどいて。
(ああ……)
 やっと。
 たくましい胸に抱き止められ、自分は助かったと。
「まだだ」
 険しい表情。見つめる先。
「!?」
 信じられない。
「おじい……ちゃん」
 たくましい肩に食いこんだ――牙。
 その持ち主の上に。
「おーい」
 手を。
「大丈夫だったー、シードちゃーん」
「………………」
 声が。
「炎(えん)騎士」
 はっと。
「竜を駆る者」
「ええっ!」
「親父は……そうだった」
 馬鹿な。
 騎士であって騎士でない。
 騎士の宿敵を。
 駆る。
 それが。
「あっ!」
 いまさらながら。
「おじいちゃん!」
 よく見れば。そこに生々しい流血の。
「いやー」
 いたってのんきなまま。
「久しぶりだったからねー。手なずけるのに時間がかかっちゃった」
「……へぇ」
 やはり。顔色を変えることなく。
「すごいよねえ」
「まーねー」
 とぼけたやり取り。
「いいよ!」
 つかむ。
 無理やりに引き抜く。
「へー」
 平静なまま。
「伝説の騎士!」
 両手で。左右の牙をつかんで向き合う。
「これでこそさあ」
 ぐぐぐ……無理やり。口をこじ開けていく。
(なんてやつ)
 竜としては小型かもしれない。
 しかし、平然と人一人を乗せるだけの体格はある。
 何と言っても『竜』なのだ。
 ひるまない。
 正面から相手して。
「うおおおおおおおおっ!」
 押していく。じりじりと。
「ふーん」
 軽く。
(あっ)
 飛び降りる。
「あんまり、いじめないでよ」
「それはさぁ」
 力をふりしぼりながら。それでもすずしい顔で。
「そっち次第でしょ」
「だね」
 あっさり。
「下がってて」
 優しく。手を。
(本当に……)
 おとなしく。その凶悪な覇気が鎮まる。
「フフン」
 こちらも。何ごともなかったごとく。
「もー」
 責めるように。
「久しぶりだったって言ったでしょ」
「加減が利かなかった?」
「そっ」
 つまり。
(本当の力じゃ)
 なかった? 『手なずけ』のときにやりすぎたとでも。
(けど)
 そんなこと。まったく感じさせないくらい。
「まあ」
 向かい合う。
「僕がやるつもりだったけど」
 笑顔で。
「怒ってるから」
(……!)
 怖い。
 理由のない。
(こんなの)
 あり得ない。あの優しそうな『おじいちゃん』が。
「親父!」
 そこへ。
「シードが」
 懸命な。
「メオのことも」
「だーう、だーう」
 パンパン。つり下げられた籠の中から。
「………………」
 沈黙。
「そうだね」
 抜ける。
(あ……)
 恐怖も。
「俺が」
 前に。
「アニキ……」
 名残惜しく。それでも。
(アニキなら)
 きっと。
「じゃ、任せたよ、ジ――」
「なに邪魔してくれてんだ、コラァァァァァーーーーッ!!!」
 獣の。悪鬼の形相で。
 なぎ払った。
ⅩⅩ
「アニキ!」
 恐ろしい勢いで転がりながら。
 それでも。
「くっ」
 踏みとどまる。
「アニ……」
「来るな!」
 足が。
「親父」
 目で。
「わかってる」
 二人のことを。
「あーあ」
 がっかりと。
「せっかくのさー、本気のさー」
「馬鹿な」
 顔色が。
「親父の本気を」
「だからだろぉ!」
 はじける。
「だから意味あるんだろぉ! この程度の竜くらいでやれるなんて思ってなかったさ! ちょっとでもの噛ませ犬さ! 噛ませ竜さ!」
「馬鹿な」
 くり返し。
「狂っている」
「知るかよぉ!」
 完全に仮面をかなぐり捨てた。
「知ってるよ!」
 指を。
「ビビってんだろう、親父にさ!」
 否定は。
「ほら!」
 笑う。
「だからじゃねえか!」
 むき出しの。
「その親父をブッ殺すんだろ!」
(っ……)
 何という。
「なんで!」
 たまらず。
「おじいちゃんが何したの!」
「何を?」
 こちらを。
「知ってるだろ」
「っ……」
 知って。いる。
 伝説の騎士。
 それは恐怖の代名詞。
「で、でも」
 いまは。孫をかわいがる普通の。
「シードちゃん」
「っ」
「ありがとう」
 優しく。
「おじいちゃん……」
 涙が。
(だよね。おじいちゃんは)
 手が。肩に。
「ジュオは」
 言う。
「きっと勝つよ」
 その言葉は。
「……うん」
 胸に。かすかな不安を伴い。
「さあ、さあ、さあ!」
 不気味なテンションの高まりで。
「やるなら、さっさと始めようや! そんで、さっさとブッ殺されてくれや!」
「………………」
「俺はな! 俺になんて興味ないんだよ!」
 またも。驚きの。
「情けない俺! つまらない俺! そんなの全部取っ払ったのがこの『俺』だろうが!」
 答えない。
 向こうは止まらず。
「相手してらんないんだよ! そんな俺が『俺』の邪魔すんな!」
 狂っている。あらためて。
「貴様は」
 静かに。
「何を」
「決まってんだろーが!」
 食い気味に。
「超えんだよ!」
 超える?
「俺を!」
 それは。
「それには俺の相手なんかしてらんねーんだよ!」
「………………」
 沈黙。
(っ)
 頭を。振る。
「ああン?」
 にらみつける。
「どういう意味だぁ」
「そのまま」
 口に。
「俺も貴様に」
 静かな。
「興味はない」
「……!」
 引きつる。
「うぉおらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 吼える。
 魂ごと吐き出すかという。
「『俺』を馬鹿にすんな! たかが俺ごときがよぉ!」
 突きかかる。
「………………」
 ゆるがない。くり出される槍撃を受け続ける。
(アニキ……)
 止まらない。
 それでも。
「勝負あったね」
「えっ」
 こちらを。見ないまま。
「違うんだ」
「違う……」
「どうあろう、どうなろうじゃない」
 真剣な眼差しで。
「どう生きたか」
 たんたんと。
 重く。
「フン!」
 一息。突き合う。
「っ!?」
 弾いた。
 驚愕に。瞳が。
「なんでだよ」
 答えない。
「なんでだって聞いてんだろうがぁーーーっ!」
 もはや。
「俺ではない」
「!?」
「俺から逃げる俺など」
「だ、誰が」
「俺は!」
 力。強く。
「逃げない」
 再びの。
「それが」
 ゆるぎない。
「俺であるということだ!」
 ガキィィィン!
「く……!」
 折れる。一爪。
「し、知らねぇんだよ!」
 それでも。
「『俺』が……俺のことなんか!」
 動揺は。
「逃げだ」
 くり返す。
「逃げない」
 それは。己に。
「俺は」
 迷いなく。
「俺のまま」
(……!)
 取り出した。それを顔に。
「俺だ」
 仮面。
(……え?)
 意味が。
「ライオランサーだよ」
「ええっ!?」
 何だ、それは。
「仮面のヒーローさ」
 ウインク。
「か……」
 言われても。
「だうー! だうー!」
「あっ」
 バンバンッ。
「ほら、メオも大喜びでしょ」
(えぇ~……)
 そんな場合では。
「あっ!」
 ない。
「危ない、アニキ!」
「ライオランサー」
「そんなこと」
 言ってる場合で。
「!?」
 するどく。ふり回される爪から身をかわす。
 これまでにないキレのある動き。
(なんで)
 むしろ、仮面で視界は狭まってるはずで。
「ヒーローだから」
(そ)
 そんなこと。理由に。
(う……)
 なっている。
(すごい)
 完全に。逆転して。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
 あせりの。完全に息を乱し。
「なんでだよ」
 うめく。
「俺が……たかが俺が」
「たかが」
 聞き留める。
「たかがだ」
「……!」
(それって)
 どちらの。
「たかがじゃねえ!」
 激昂。
「俺がたかがだったら、この『俺』は」
 詰まる。そこから先が。
「終わりだ」
 言い放つ。
 深く。槍を引く。
「くっ……」
 こちらも。
「はぁっ!」
 短い。裂帛の。
 駆ける。
(――!)
 気合以上の。
 気迫が。
 その槍に。
キィィィィィィィィィィィィィィィン!!!
(ああっ!)
 突撃(ランスチャージ)――
 突き合った。直後。
「うぐっ」
 押される。それより速く。
「ぐ!?」
 砕けていく。
「ぐはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 破片と共に。
「!?」
 激突。瓦礫の中で動かなくなる。
「……か……」
 勝った。
「言ったでしょ」
 優しく。
「ヒーローは」
 強く。
「負けないんだ」
「……うん」
 うなずく。
「あ……」
 安堵の。ようやく。
「う……ああ……」
 涙。
「シードちゃん」
 そっと。
「がんばったね」
「うん」
 止まらなく。
「あ」
 顔を。
「アニキ……」
 そこに。
「あ、あた、あたし」
 言葉が。しかし。
「おう」
 それだけで。
「……あ……」
 もう。
「アニキぃ……」
 こらえていたものが。
「アニキ!」
 飛びこむ。
「おう」
 やはり。それだけを。
「本当はライオランサーなんだけど」
 微笑し。
「いいよね」
「葉太郎(ようたろう)様」
 波が引くように。無数の甲羅が消えたあと。
「ありがとうございます」
 柱の陰に。
「いや」
 短く。
「何もしてないから」
「いいえ」
 見守ってくれていた。それだけで。
「必要なかった」
 口に。
「もう僕が手を貸さなくても」
 清々しく。
「ヒーローは」
 笑みを。
「一人でいいんだ」
「アニキ! アニキぃ!」
 とどめようがない。
「いいんだよね! あたし、家族のままで!」
「おう」
「アニキがアニキのままで」
「おう」
「よかった」
 それだけが。
「………………」
 何も言わず。ふるえる背中を。
「おう」
 自分は。
 このまま。
「……おう」
 納得。できていた。
ⅩⅪ
「おおお!?」
 足をすくわれ。
「おう!」
 ゴチン! 後頭部を。
「何すんだよ!」
 涙目で。
「情けない」
 一言。
「あんた、何歳になったのよ」
「十三歳だけど」
 その年齢と。かけ離れた巨体ながら。
「情けない」
「だから、なんでだよ!」
「なんででも!」
 言って。
「!?」
 再び足を。
「おおおおう!」
 ブゥン! ブゥン!
「これでも情けなくないってぇ!?」
「やめろよ! やめろよ、姉ちゃぁーーん!」
 涙まじりの。
「もー、シードちゃん」
 そこへ。
「またメオをいじめてー」
「鍛えてるの!」
 ブォンッ!
「おおおおーーーっ!」
 投げ上げられ。
「おっと」
 キャッチ。はるかに小柄な〝祖父〟に。
「じいちゃん!」
 涙ながら。
「シ、シー姉ちゃんがいじめる」
「ほーら」
「『ほーら』じゃなくて」
 ため息。
「そうやって、すぐに甘やかして」
 言いつつ。伸ばしていた尻尾をしまう。
「えー、でもー」
 まったく悪びれず。
「メオ、かわいいからー」
「はいはい」
「かわいいよね?」
「お……おう」
 面と向かって。さすがに恥じ入るものはあるようで。
「いつまでもコアラみたいにしがみついてない!」
「おうっ!?」
 あたふた。
「それで」
 こちらを。
「何を怒ってるの?」
「っ……」
 とっさに。
「だ、だから」
 ごまかそうとして。
「………………」
 無駄だと。
「おぼえてないんだって」
「んー?」
「メオがあたしのことを」
 言いかけて。
「その……」
 言葉が。
「あー」
 わかったと。
「ねえ、メオ」
「おう?」
「ぜんぜんおぼえてないの?」
「おう」
 こくこく。悪気なく。
「まー、赤ちゃんだったからねー」
「だからって」
「そういうところもかわいいけどー」
「へへー、じいちゃーん」
 かわいがられるところへ。
「情けない!」
 怒りの。
「あんた、いつも何て言ってるの!」
「お、おう?」
「言ってるでしょ!」
 ビシッ。指を。
「『俺も伝説の騎士になる』って!」
「お……おう!」
 胸を。
「そうだよ。俺はじいちゃんみたいな」
「だったら!」
 語気を。
「すこしは騎士らしいところを見せたらどうなの!」
「おう!?」
 ひるむ。も。
「わかったよ」
 膝をつく。
「っ」
 手を。そして。
「な……」
 キス。
「な、なな」
 絶句。
「何してんのよーーーーーーっ!」
 ブゥン! またも尻尾で。
「おおおおおおおおーーーーーーっ!?」
 高々と。
「おっと」
 キャッチ。
「じいちゃん!」
「よしよし」
 再びのコアラ状態。
「まったく!」
 動揺冷めやらず。
「なんてことするのよ! 子どものくせに!」
「だ、だって」
 騎士だし。言いたげに。
「まったく」
 そっぽを。火照りが収まらないまま。
「よかったね、シードちゃん」
「な、何が」
 そこへ。
「うー」
「きゃっ」
 ねたましそうに。
「シード、ずるい」
「なんで……」
「メオと仲良くしてる。ユイフォン、久しぶりに来たのに」
「仲良くされてねーよ!」
「あー、ちょうどよかったー」
 わざとらしく。
「かわいがってあげてー、ユイフォンのアネキ」
「おおう!?」
「わかった」
 じりじり。
「ユイフォン、かわいがる」
「なんで、抜刀体勢なんだよ!」
 過去の記憶からか。早くも逃げ腰の。
「おとなしくかわいがられる」
「じ、じいちゃんっ」
「よかったねー、メオ」
「じいちゃん!」
 悲鳴を。
「情けない……」
 あらためて。
「しっかりしてよね」
 ぽつり。
「おぼえてなくても」
 いいから。
「シードちゃん」
「あっ」
 笑顔に。
「そろそろ、ごはんだから」
「うん」
「ユイフォンちゃんに呼びに行ってもらったんだけど」
「あー」
 らしいというか。
「今日はごちそうよ。二人が来てくれたから」
「やったー」
 変わらない。こうして大人になってしまったいまでも。
 ここは。
「ありがと」
 心からの。
「ママ」
 言葉だった。
ナイト×ファミリー
