ラキルの騎士

綾野こまどり 作

 キラキラ光る銀河にはお酒が流れている。水面(みなも)からはアルコールのツンとした(にお)いと、川底に沈めたオレンジの(さわ)やかな香り。創世の神々や星の獣に(ささ)げる誇り高きモロモロ族の伝統的な酒、ラキル。流れゆくアルコールに麦やら果物やらをつけてラキルを造る、それが酒守(さけもり)を担うモロモロ族のぼくの仕事。
 モロモロ族には昔から厳しく禁じられてきた行為がある。それは、ラキルを飲むこと。だから、ぼくらは自分たちで造ったラキルの味を知らない。モロモロ族はみな、ラキルの香りとともに育ち、ラキルを(ささ)げることで命を(つな)ぎ、ラキルを造る銀河を渡って命を燃やし、星になる。一生口にすることのないラキルの味を夢に見て、今日も明日もラキルを造るのだ。
 たった一度でいいから、ぼくはラキルを飲んでみたかった。あの慣れ親しんだ香りが口いっぱいに広がり、鼻に抜けるのを味わいたかった。それでも、(おきて)を破って身を滅ぼす覚悟のないぼくは、いつだって手に(すく)ったラキルを眺めるだけ。飽きもせず、ぼくは今日もラキルを眺め、その香りを楽しんでいた。
「あー! 飲んじゃった! あんたモロモロなのに、いいの?」
「へっ!?」
 (とが)めるような、それでいて揶揄(からか)うような声に驚いて辺りを見回すと、向こう岸には見知らぬ少女がいた。首から下げた牡羊(おひつじ)の角の笛は羊飼いの一族の(あかし)だ。ニヤニヤと笑う少女が持っていた瓶に口をつけるのを見て、ぼくも負けじと言い返した。
「飲んでなんかないさ! それに、きみだって! きみの持ってるそれはラキルの瓶だろう?」
「知らないの? これはね……っと、ほい!」
 少女は軽く助走をつけると身軽に銀河を飛び越えてみせる。唖然(あぜん)とするぼくに向かって、少女は何でもない顔で手にしていた青い瓶を差し出した。
「これはラムネよ。ラキルじゃない。一口あげるよ」
「これ、本当にラキルじゃないよね?」
 恐る恐る瓶に触れ、そう尋ねたぼくを少女は笑い飛ばした。
「なあに? 怖いの?」
「そうじゃないってば! ただ、ぼくらはラキルを飲んだら……」
「ラキルじゃないことぐらい、モロモロ族の子どもなら匂いで分かるでしょう? あんたって面白いわね! 大丈夫、ただのシュワシュワする砂糖水よ」
 言われるままに受け取った瓶に鼻を近づけ、()ぎ慣れたラキルの香りでないことを確かめる。初めて嗅いだ甘い香りに誘われ、ラムネがどんなものかよく分からないままぼくはそっと瓶を傾けた。カランと転がるビー玉に舌が(しび)れたのかと勘違いするほどパチパチと(はじ)ける甘い水。
「何これ!?」
「だからラムネよ!」
 やっぱりあんた面白いわ! と少女はケラケラ笑い、ぼくに手のひらを差し出した。
「あたし、ウーラ。笛吹きよ」
「きみ、羊飼いじゃないの?」
「そんな可愛くない呼び名で呼ばないで。あたしは笛吹きよ。いつかこの宇宙のすべての獣をあたしの笛で魅了して、神話になるようなサーカスをしてやるんだから!」
 あんまり自信たっぷりにそう宣言するから、思わず笑ってしまった。ひとしきり笑うと、ぼくも手のひらをウーラに差し出して握手をした。
「ぼくは酒守モロモロ族のチーノ。ウーラ、よろしくね」
 こうして、ぼくらは出会った。

「ウーラは本当に笛を吹くのが好きなんだね」
「ええ、大好きよ! 小さい頃にお祖母(ばあ)さまに習ったの。お祖母さまの笛は笛吹きの民の中で一番素敵なんだから!」
 そう笑いながら笛を吹くウーラが、ぼくは大好きだった。ウーラが笛を吹けば山羊(やぎ)が集まり、牡牛(おうし)が草を()み、牡羊は健やかに眠る。ウーラの笛がこの一帯の獣たちの(おきて)だった。
「チーノは? チーノはラキルを造るの、好き?」
「うん。沈めた果実の香りがお酒に移って風にのって香る瞬間が、昔から一番好きなんだ」
「素敵じゃない! なら、チーノはラキルの王さまね」
 ウーラは瞳を輝かせながらそう言った。
「どういうこと? ぼくが王さま……?」
「そう! ラキルの王さま! カッコいいわ!」
 ウーラがカッコいいと言ってくれたことが(うれ)しくて、なんだか酒気に()てられたようにぼーっとしてしまう。けれど、正気に戻ったぼくはラキルの王さまという呼び名の仰々しさに怖気(おじけ)づいてしまった。
「ぼ、ぼくはほら、王さまじゃなくてただの酒守だし……」
 首をブンブン振って否定すると、ウーラはそっかーと(つぶや)いて何やら考え出した。急に黙り込むから何か気に障るようなことを言ってしまったんじゃないかと焦ってしまったほど、ウーラは真剣だった。しばらくして、首を(ひね)っていたウーラは満足気に(うなず)くとぼくにこう言った。
「ねえチーノ、王さまが嫌なら騎士なんてどう? ラキルの騎士!」
「騎士だって大げさだよ! ぼくはただ酒守の仕事をしてるだけなんだから!」
「だったら、あたしの騎士ってことにしましょう! それならいいでしょ?」
「……それなら、まあ」
「なら決まり!」
 どれだけ断ろうと、次々にアイデアを出すウーラに根負けしたぼくは、酒守からウーラの騎士になってしまった。まあいっか、なんて思ったのは、キラキラした笑顔で(しやべ)るウーラに見惚(みほ)れてしまったからかもしれない。
「でも、騎士って何をするの?」
「さあ? とりあえずラキルで乾杯でもする?」
「ダメだよ! ラキルはぼくらモロモロ族にとっては毒なんだから! 飲んでしまったら最後、ぼくらは獣になって暴走しちゃうんだよ!」
「あら、あたしたち笛吹きは酔っ払うだけよ?」
「きみは子どもだろ?」
「まあまあ、ただの冗談よ! ならラムネで乾杯は? 今日も持ってきたの。飲むでしょ?」
 ぼくは笑えない冗談にムッとしながらも黙ってラムネ瓶を受け取った。ビー玉を押し込むとシュッと泡が出てきて、互いの瓶を軽くぶつけ合う。カチャンと音を立てて、それが仲直りの合図。
「宇宙イチの笛吹きと、その騎士の未来に! カンパーイ!」
「カンパーイ!」
 シュワシュワ弾けるラムネはすっかりぼくのお気に入りだった。ウーラは炭酸に夢中なぼくを見ながらこう言った。
「ねえ騎士さま、騎士さま専用の笛を作りませんこと?」
 ウーラの気取った言い方に、ぼくもウーラ自身も吹き出してしまった。ひとしきり笑い合ったあと、ウーラはぼく専用の笛がどんなものなのかを教えてくれた。
「笛吹きの民は笛の作り方も習うの。笛は作り手や材料で音色が変わるのよ。だから、あんたとあたしだけが知ってる、新しい音の笛を作ろう!」
「ウーラ、笛なんて作れるの? すごいね!」
 ウーラは得意気に笑うと、牡牛の角を削ったり磨いたりしてあっという間に笛を完成させた。
「ウーラ、吹いてみてよ!」
「任せて!」
 牡牛の角でできたその笛は、ウーラがもともと持っていた笛よりも繊細で、高く澄んだ音をしていた。ぼくはすぐにこの新しい笛の音色を気に入った。

 ある時、遠くの銀河である星が爆発した。大きな、燃えるように赤い星。それはサソリの王の心臓だった。サソリ王の心臓が()ぜた時、子どもサソリは一斉に混乱(こんらん)し始めた。混乱は獣たちの間を伝染し、それは銀河のこちら側にいるぼくやウーラの日常にも影響を与えた。
「あたし、行かなきゃ」
 混乱した牡牛や牡羊を笛の音でなだめ続けていたウーラはある日突然そう言った。
「今サソリの群れる(そら)へ行くなんて、どうかしてるよ!」
「でも、みんなサソリ王の死に動揺してるのよ! 行かなくちゃ。あたしが行って笛を吹いて、サソリや他の獣たちを導かなきゃサソリたちの混乱が広がって他の獣たちも暴走するのよ!」
 ウーラは退()かなかった。いつものふざけ調子はどこへやら。見たことのないほど厳しい表情をしたウーラを、ぼくはもう止めることはできなかった。
 ウーラを止める代わりに、ぼくはひとつの覚悟を決めた。
「ねえ、ウーラ。暴走して自我を失った獣たちに笛が効かなくなって、本当にどうしようもなくなったら、その時はぼくを呼んで。必ずきみを助けるから」
「……あたしの騎士(ナイト)なら、今すぐに助けてよね」
 ()ねた口ぶりで、それでもウーラは笑っていた。だからぼくも笑って言った。
「信じてるから、きみのこと」
「あたりまえじゃない! あたしは宇宙イチの笛吹きよ」
 それが虚勢じゃないことをぼくは知っているから。ああ、ウーラはすごいなって、きみならこの混乱もどうにかしてくれるって、そう信じてるんだ。
「いってきます」
 そう告げて銀河を身軽に越えていく背中に、ぼくはいってらっしゃいと返した。

 長い時間が過ぎた。銀河のこちら側ではだんだん平穏が戻ってきて、気が荒ぶっていた獣たちも落ち着きを取り戻している。けれど、銀河の向こう側ではまだ獣たちの混乱が収まりきっていない様子で、時々ウーラの笛の音が響き渡る。ぼくは、ウーラが戻ってくると信じてラキルを造り続けた。

 ある時、ぼくを呼ぶ笛の音が聞こえた。ぼくら二人だけの、あの高く澄んだ笛の音だった。どうか起こらないでくれと願い続けた事態が、向こう岸で起きているのだと瞬時に悟った。ぼくは瓶いっぱいに入れたラキルを持って銀河を渡ろうと辺りを見回した。ウーラみたいに飛び越えるジャンプ力もなければ泳いだこともない。大きな銀河を渡りきるのが無謀なことくらい分かってる。それでもぼくはウーラのために銀河に飛び込もうとした。そのとき。
 バッシャーン!
 水飛沫(みずしぶき)とともに川底から現れたのは大きな(かに)だった。カチカチとハサミを打ち鳴らして見つめる蟹にぼくは尋ねた。
「乗せてってくれるの?」
 そうだと言うようにまたもハサミを鳴らす蟹の背にぼくは勢いよく飛び乗った。バシャバシャとお酒の川を()()らしながら銀河の主は向こう岸まで運んでくれた。
「ありがとう。……そうだ、これ!」
 ぼくは腰に下げていたラキルの瓶の一つを取り出し、ラキルを蟹に浴びせた。蟹は気持ちよさそうに酔っ払いながらハサミを打ち鳴らし、再び川底に戻っていった。

「……ウーラ? どこにいるの?」
 やっとのことでたどり着いた宇宙の彼方(かなた)は、この世のものとは思えない光景をしていた。心臓を失ったサソリ王の(むくろ)の周りに子どもサソリが群がり、互いの身を食い合っていたのだ。王の死を(いた)むように、その苦しみを分かち合うように、残されたサソリたちは()()いを繰り広げて鳴いている。今もなお、混乱は続いているのだ。よく見ると、身食いするサソリたちの周りで牡牛や牡羊や山羊が倒れていた。サソリの毒に中てられたのだ。ぼくは必死にウーラを探し続けた。
「ウーラ? ウーラ!」
 やっとのことで見つけたウーラは倒れた牡羊と山羊の陰で守られるように横たわっていた。笛の音で正気を取り戻した獣たちが、最後の力を振り絞ってウーラを助けたのだろう。
「チーノ……騎士にしては、遅い到着じゃない……」
 ウーラはいつものように軽口を(たた)いてみせたけれど、その声に力はなかった。
「ウーラ、ごめんね。あと……今までありがとう」
 ぼくはそれだけ伝えると、腰から下げていた瓶を手に取った。
「チーノ? もしかしてラキルを……嫌! それだけはやめて!」
 泣き出してしまったウーラに、ぼくはただ首を横に振った。
「もしぼくが自我をなくした獣になってしまったら、きみの笛で眠らせてほしい」
 ぼくはウーラの制止を振り払って瓶の中身を飲み干した。慣れ親しんだ爽やかな香りが鼻に抜ける。後悔はしない。覚悟はできてるんだ。



「チーノ、チーノ!」
 誰かの叫び声と、高く澄んだ笛の音が宙に響いた。なぜか、笛の音がひどく懐かしく感じられた。(さび)しくて悲しくて、笛の音を求めてただひたすら()え続けた。
 吠えるのにも疲れ果てて意識を手放しそうになった直前、一番大好きな女の子の顔が見えた気がした。あれは……誰だったのだろう。

ラキルの騎士

ラキルの騎士

【彼女のためなら、ナニモノにも】銀河にはラキルというお酒が流れています。ラキルの造り手・モロモロ族のチーノがある日出会ったのは笛吹きの少女でした― 作:綾野こまどり

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-03

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