魅了少女と俺

フルーツ萬太郎 作

 魔眼、というものがある。
 いわく、普通の人間にはできないことをできる、だとか。普通の人間とは違う瞳を持っている、だとか。様々な噂がまことしやかに(ささや)かれている。
 それがいつからあるのかも不明で、どうして人類にそんな力が宿ることがあるのかも不明。おまけに、どんな力があるのかも分かっていない。ただ一つだけ分かっているのは、
「確かに魔眼は実在する」
 ということ。
 けれど、そうそう見れるものではないらしい。一万人に一人だとか、十万人に一人だとか、とにかく珍しいものなんだそうだ。
 だから俺みたいな人間は、そんなものには無縁だと思っていた。

「あー、また落ちちまったよー」
 肌寒さを感じさせるほどの風が吹いている平日の公園。また一つ、バイトに落ちた俺は、いつものベンチにどっかりと座り、透き通るような空を見上げていた。
 これは今年の春、塾のバイトに落ちてからのルーティーンだ。何もない、つまらない日々の中、いつからか俺は嫌なことがあると、空を見上げては時間をつぶすことが増えていたのだ。
 クラスメイトたちは、まだ高校二年であるにもかかわらず、早くも大学受験に向けて頑張り始めているというのに、俺は学校までサボって何してるんだろうか。そんなことばかり考えている毎日だったが、今日はいつもと少しばかり違っていた。
 俺が座っているベンチの端。快晴の空のようなやや薄い青色の髪と、深海のような暗い青の瞳を揺らしながら、鼻歌を歌っているこいつ。缶入りのコーンスープをちびちびと飲んでは、
「あちゅっ」
 なんて言っているこいつ。普段通りに一人で座っていると突然、
「おじちゃん、なにしてるの?」
 なんて言ってきて、初手でこっちの心をえぐってきたり、
「おじちゃん、なんかあったかいものない?」
 なんて、図々しいことこの上ないことを言ってきたりしたこいつ。
 仕方なくいくらかの金を渡して、コーンスープを買ってこさせてはやったが、一体何なんだこいつは。そう思った俺は、その言葉を口に出して、こいつに聞いてみることにした。
「なあ」
「んく、んく。んむ?」
「何でお前、俺みたいな奴のところにいるんだ。ほら、あっちでお前と同じくらいの奴が何人も遊んでるだろ。とっととあっちに行って」
「や」
 指を指し、同年代の奴の方に向かわせようとするが、口の周りにコーンスープを付けたこいつは首を横に振る。意味が分からない。困り果て、とりあえず口のコーンスープをぬぐってやっていると、こいつは口を開いた。
「あのね、おじちゃん」
「どうした」
「みんな、わたしのめをみるとこわがるの」
「は? たかが目だろ、何でそんなもので」
「おかーさんは、まがん、っていってた」
 まがん。……魔眼? そこら辺の子供と変わらないこいつが? 言葉を途中で遮られたという少しばかりの苛立ちは、こいつの放ったそんな言葉で驚愕(がく)に変わった。
 声をかけ、正面を向かせる。改めてこいつの、空よりも濃い青の両目を見てみると、確かに目の中央、瞳のところに、六角形の対角線のような白い線が入っている。それも、なぜ今まで気づかなかったのだろうと思わせるほど、大きなものが。
「おじちゃんも、こわい?」
 こいつはそんなことを聞いてくる。確かに、目は他の奴と違う。それ以外だと、外見がかなり可愛い。……だが、それだけだ。間違っても、こいつのどこかが怖い、とは到底思えない。
「目は他の奴と違うな。それで?」
 そう返すと、こいつは目を丸くして固まった。待ってみると、恐る恐るこいつはこう聞いてきた。
「こわく、ないの?」
 どうやら、こいつは他者に言われてか、自分自身が怖いらしい。なら、と言葉を紡ぐ。
「全く怖くないな。むしろお前はどうなんだ、自分が怖いと思うのか?」
 そう聞くと、そいつは地面を見て、少しの間黙った後、
「わかんない」
 とこぼした。
「だろうな。お前みたいな子供に、そんなことが分かるわけがない」
 そいつはこっちを向くが、黙ったままで何も言わない。俺は彼女に目を向け、言葉を重ねる。
「だからこそ、俺は自分を好きになった方がいいと思ってる」
「じぶんを、すきに」
「そうだ。他の奴にどう思われてもいい、でもせめて、自分だけは自分自身を好きであるべきだ。……なんて、俺みたいな、昼間から学校サボって、ベンチでぐーたらしてるような奴が言えたことじゃないんだけどな」
 我ながら気取り過ぎたか、そう思いそんな言葉を付け加える。けれど、ううん、とそいつは首を振り、
「ありがとう、おじちゃん」
 と笑顔を見せた。
 ……で、それから数日後。
 今日も今日とて平日の真っ昼間からベンチで青空を眺めている。
 ゔあー、なんてまぬけな声がこぼれる。昨日は特に酷い一日だった。
 何もしてないのに教師に呼び出しを食らい。資料の運び出しを手伝わされ。そのせいでバイトの面接にも遅れ、問答無用の不採用。
 ゙あー、と再び声がこぼれる。何もやる気が湧かず、いつにもましてぼんやりと空を眺めていると、
「おじちゃん!」
 と数日前に聞いた声がした。
 首を声の方に回すと、この前の子供が走ってきている。その後ろから、その子供をそのまま大きくしたような女性がこちらに来ていた。
 暁の空のような、赤から紫のグラデーションのかかった髪。目じりが下がっている淡い紫の目は、その相貌と相まって柔らかな雰囲気を醸し出している。さらに、胸や尻は、何というか、その、非常に母性的な凹凸をしていた。
 目を丸くしていると、子供は俺の腹に突撃してくる。突然のことに受け止めきれず、おぐっ、と俺は口から息を漏らした。
「ああっ、大丈夫ですか!?」
 突撃を見て、慌てて走ってきた女性が声をかけてくる。しかし、今の俺にその言葉に答える余裕があるはずもなく、
「オアッ、アオオォ……」
 という意味不明な言葉を漏らすことしかできない。突撃してきた子供はそのまま腹に顔をうずめてぐりぐりとえぐるような動きをするし、女性の方はおろおろと慌てるばかりで役に立たないしで、なんか、もう、誰かどうにかしてくれと願うことしかできなかった。

 それからしばらく後、俺はようやくぐりぐりから解放された。
「あんまりこんなことするなよー?」
「いふぁい、いふぁいよー」
 むにー、と音がしそうなほどに、こいつの柔らかいほっぺたを伸ばして叱っていると、突然女性の方に頭を下げられた。
「すみません、うちの星奈(せいな)が」
「ああ、いえ。大丈夫ですよ、そんなに頭を下げられなくても」
「いえ、そうはいきません。うちの子が明るくなったのは、あなたのおかげなんです」
 そう話し始めた女性、望月玲奈(もちづきれいな)さんの話をまとめると、こんな風になった。
 なんでも、この子、星奈は生まれた時から、魅了の魔眼というのを持っていたらしい。異性を誘惑するそれが原因で、玲奈さんは娘を連れ、離婚をすることになったのだそうだ。引っ越しも行い、この辺りにやってきたそうなのだが、星奈の魔眼がまた誰かに迷惑をかけてはいないかと心配をしていたらしい。その矢先、星奈が俺のことを話したことにより、誘惑されてはいまいか、と着いてきたらしい。
「最近では、魔眼には意志があり、持ち主を乗っ取ろうとする、なんていう噂もあって……。そういう噂ばかり聞いてきたからか、星奈もあまり人前に出ることもなくなってしまって」
「それが、偶然にも私に会い、一気に改善されたので、どうしてか気になって会いに来た、と」
「そうなります。突然会いに来てしまい、本当に申し訳ありません」
「いえいえ。こちらこそ、娘さんに勝手なことをしてすみません」
 ぺこぺこ、ぺこぺことお互いに謝りあっていると、星奈がねえねえ、と声をかけてきた。
「そういえばさー、おじちゃんのなまえってなんていうの?」
「ん? 星川大河(ほしかわたいが)。分かるか?」
 名前を聞かれたので、そう答えると、星奈は何か考え込んだ様子で、
「たいが、たいが……。じゃあ、たいがおじちゃんだ!」
 と元気いっぱいに言った。
 おじちゃんはやめてほしいなあ、と言っても、彼女は聞く耳を持ってくれない。玲奈さんもなんだかうれしそうに、
「ふふ、大河さんね」
 とか言っているので、俺は面倒になって、抵抗を諦めた。 
 それからも、俺と望月親子の交流は続いた。
 俺自身はいつも学生服姿で、カバンを持ってベンチに座っているからか、星奈はすぐに俺を探し出しては突撃してくる。何回も何回もされているからか、俺は彼女が突撃してきた時にはすぐに対応できるようになってしまった。初めてできてしまった日には、割とくだらないことができてしまった虚しさから、下宿先の部屋でさめざめと泣いてしまった。
 驚いたことに、彼女たちの家と俺の下宿先は非常に近いところにあった。玲奈さんとゴミ捨て場で会った時は、夢か何かかと思うほど驚いた。何せ、普通に話しかけてきて、普通に去っていったのだから。後々かなり驚いていたと言ってはいたが、絶対にウソだと思うほど平常だった。
 ただ、その次の週末の方が俺にとっては衝撃だった。なぜなら、望月親子が普通に訪ねてきたのだから。
 あれは酷かった。勉強していたら鳴るインターホン。宅配便か何かかと思い、無防備に開けてしまう俺。飛んでくる星奈。混乱する俺の頭。めり込む彼女の頭。激痛を訴えるみぞおち。いつの間にか家の中にいる玲奈さん。混乱する俺の頭。
 今振り返っても、酷い記憶五選に入れられると思う。
 そうやって、半ば強制的に望月親子が俺の日常に溶け込んで一年ほど。
「今日も彼女らが来るなあ」
「料理は何かなあ」
「そういえばちょっと前に星奈の誕生日会やったなあ」
「楽しんでくれたかなあ」
 とまあ最近は望月親子のことばかり考えている。そんな思考を頭の片隅に置きながらも勉強していると、いつも通りの時間にインターホンが鳴る。
「はーい、今開けまー」
 声を上げながら扉を開けると、そこにはいつも通りの二人が──
「……す」
 いなかった。いや、玲奈さんはいつも通りだ。
「大河君、今日もお邪魔します」
 いやほんと、この人何歳なのかな。一向に教えてくれないのは仕方ないとして、全く歳が変わらないように見えるのは不思議だなあ、じゃなくて。
「お邪魔するね、おじちゃん」
 この前小学校に入学したというその身体は、初めて会った時より成長してはいるものの、まだまだ幼い少女と言いきれるつるぺた。ませてきたのか何なのか、最近は服や髪型にも気を遣うようになってきた。今は腰まである髪をサイドテールにして赤い髪ひもで留め、薄桃色のトップスに白い長ズボンをはいている。
 けれど。あどけないはずのその顔に浮かべているのは、明らかに歳に見合わない気がする妖艶な笑み。なぜこれでおかしいと気づかないのか、そう思わせるほどの、まるで娼婦かなんかが浮かべるような、(みだ)らともとれる笑顔を浮かべている。そうして、彼女は玲奈さんとともに、俺の家に入ってきた。
「どうぞ、二人とも」
 俺は混乱していたが、その表情を表に出すことはなく、二人を居間へと招き入れることができた。何が起きるか分からない、けれどどうにかしなければ。たった一年、二人の日常を(そば)で見てきた身で、そう身勝手な決意を固める。
 玲奈さんは、
「今日は肉じゃがよ。少し待っててね、すぐ作るわ」
 と、台所に向かってしまった。今のこいつと二人きりはまずいんだけどな、そう思いながらも彼女を見送る。
 扉が閉じられると、さっそくこいつが口を開いた。
「ねえねえ、おじちゃん。このゲームで遊ぼう?」
「ん、これか。いいよ、遊ぼうか」
「やったぁ」
 にへら、とそいつが笑う。その笑みは何か嫌なものを思い起こさせた。
 そいつに、恐る恐る問いかけてみる。
「なあ」
「どうしたの、おじちゃん」
 そいつは不思議そうにこちらを見てくる。相変わらずの気持ち悪さに、思わず俺が目線をあてもなくさまよわせると、
「あ、分かった!」
 とそいつが言う。
「どうしたんだ? 何が分かったんだ?」
 と、聞いてみると、そいつは笑顔で答えた。
「おじちゃん、もう何か食べちゃったんでしょ。もう、お母さんが夕食作ってくれてるのに、おじちゃんたらぁ」
 そう言いながら、そいつはまるで俺を(あお)るのかのような仕草をとる。気持ち悪い。最近はこの時間になると腹の虫が音を立てまくっていたというのに、今日この時に限ってはまだ一度も音を立てていない。
 ……それもこれも、何かこいつがおかしいせいだ。そう考えると、何かむかっ腹が立ってきた。数日前の誕生日会の時は、いつも通りに元気いっぱいだったのに、明らかにおかしい。玲奈さんがそれに反応していないのも変だ。まるで魅了でもされて、いる、ような──?
 そこまで考えたところで、ふと思い出したことがあった。

『最近では、魔眼には意志があり、持ち主を乗っ取ろうとする、なんていう噂もあって──』

 ……一つ、仮定をしてみよう。 
 もしも、彼女の人格が今、魔眼に乗っ取られており、何か別のもの、例えば魔眼を活用して生きようとするものになっているとしたら。
 そうすれば、大体のつじつまが合う。そんな気がする。
 この気味悪い(しゃべ)り方や仕草は、相手、この場合は俺を、魅了しようとした結果。玲奈さんが気づいていないのは、すでに魅了の魔眼の支配下にあり、こいつの状態が異常だと認識できないから。
 そもそも、魅了が異性にしかかからないなら、それは異性魅了とか異性支配とか、そんな感じに名付けられるべきだ。つまり、今俺の目の前にいるのは──
「……じちゃあん? お、じ、ちゃ、あ、ん」
 そう深く思考の海に沈みこんでいると、そんな(なま)めかしい声とともに、ふーっと耳に息を吹きかけられた。
 びくりと身体が跳ね、情けない声が出る。
「もう、私を見てくれないと、めっ、なんだからね」
「そうか。ところでさ」
 こいつの言うことを適当に受け流しつつ、単刀直入に本題へ入ろうとすると、玲奈さんが入ってきた。
「二人とも、ご飯できたわよー」
「はぁい」
「……いつもありがとうございます」
「ふふ、そう固くならなくてもいいのに。じゃ、早く食べちゃいましょう」
 玲奈さんはいつも通り笑った。それが逆に、気持ち悪かった。

 食べさせ合いに付き合わされながらも、夕食を終えた後。俺は、居間でこいつと二人、向き合っていた。玲奈さんには食費は自分で出すので、できるだけ豪華な朝食を作ってくださいと頼みこみ、部屋を出てもらった。
「さてと、だ」
 さっそく本題を切り出す。
「なあに、おじちゃん」
「一つ聞こう。お前は誰だ?」
「誰って、まさか、私の名前忘れちゃったの? ひどーい」
 当然、相手はしらを切る。そりゃそうだ、誰だって自分自身が疑われるなんてこと、普通はない。けれど。
「そうだな。お前がいる、その身体に付いた名前なら分かる。じゃあ、お前は誰だ」
「えぇ、私は私だよ? 望月星奈」
 まだこいつはしらを切っている。やはり(けむ)に巻こうとしているのか。
「そうかい、でもすまんな、俺はそうは思えない」
 妖艶(ようえん)さを醸し出すように動いていたそいつの身体が、ぴたりと、時が止まったかのように止まる。
「どうして?」
 単純なはずの四文字は、長い長い沈黙の後に放たれた。
「細かいところがいろいろとな。喋り方とか、仕草とか。そこら辺までは引き継げないのかね、魔眼は」
 何もこいつは答えない。俺は言葉を重ねる。
「とりあえず星奈を返してもらおうか。俺はあいつとの時間が楽しいのであって、お前みたいなもどき《・・・》と関わりたいわけじゃ」
「どうして?」
 俺の言葉はこいつが発した一言に遮られた。目を見てみたが、そいつの瞳からは感情をうかがえなかった。
「どうして? どうして? どうしてどうしてどうして──」
 そいつは言葉を繰り返す。まるで壊れたレコードのように。あるいは、プログラムがエラーを吐くように。けれど、それはいつからか、意味のある言葉の羅列になっていた。
「どうして、アナタは私を好きになってくれないの?
 どうして、アナタは私に支配されてくれないの?
 どうして、アナタは私が分かったの?
 ねえ、どうして──」
 こいつが何を言いたいのかは分からない。けれど、こいつの問いのうち、一つだけ答えが分かった俺は、言った。
「そりゃあお前、いつも最初に俺に飛びついてくる奴が、全く子供らしくもない笑みだけ浮かべて、きちんと返事してきたら、おかしいに決まってるだろうよ」
 奴は再び、その動きを止めた。そして、壊れそうで(はかな)い笑みを浮かべた。
「……そっかぁ」

 話を聞いてみると、やはり彼女は星奈の魔眼自体が形成した、もう一つの人格とでも呼ぶべきものだった。
 出てきたのはあの誕生日の後。つまり、最後に会った日から数日間は、この人格が表に出て、活動をしていたことになる。
 いわく、彼女の目的は魔眼を活動的に使用すること、というか。あまり目立ちたくない星奈とは逆に、目立って生きたかったそうで、周囲の人間を積極的に魅了して過ごしていたらしい。
 記憶やそれに伴う感情は元の人格と共有されているそうで、何も支障はなかったそうだ。……俺が彼女と話すまでは。
 仮に、もし俺が見抜けなかった場合は、元の人格が絶望して、そのうち消えていただろう、とも。
 思わず、ふざけんな、と彼女を(しか)ってしまった。
「彼女には彼女の人生がある。魅了の魔眼はその選択肢を広げるための手段になるものであって、間違っても無理やり使わせるようなものじゃない」
 ──と。
 彼女はそのことに、叱られてようやく気づいたらしく、
「どうしよう、どうやって謝ればいいの? 私、この子の人生、滅茶苦茶にしちゃった」
 と、泣きながら相談してきた。
「まだ星奈の人生は滅茶苦茶になってない。だってお前、出てきてからどのくらい経ってるんだ?」
 と聞いてみると、
「えっと、えっと……。あれ? 三日間ぐらい?」
「そういうことだ。誕生日からそんなに経ってないからな、正確には三日弱ってところだな」
 そう言うと、彼女は目を丸くした後、安心した様子で、
「そっか。なら、私が消えれば解決だね」
 と、とんでもないことを言い放った。
「ストップ。お前、消えれるのか?」
「うん。まだこの子が残ってるから、私はいつでもいなくなれるよ? 能力も解除したからしこりはあんまり残らないはずだし」
 そう言いながら、胸の辺りを()でる彼女。
「そうか。もし消えた場合、お前はもう出てこれなくなるのか?」
「そうなるね。存在自体がなくなる感じの方が近いかも」
「なるほど」
 そうやって魔眼と問答していると、
「いたっ」
 と彼女が頭を押さえる。
「どうした?」
「えっと、これは、どういうこと? あれ?」
 明らかに混乱している様子の彼女。どうすればよいか分からなかった俺は、
「ちょっと失礼」
 と、とりあえず彼女の手を握ってみた。
「ふえ?」
 そんな声を上げ、きっかり三秒で彼女の顔が真っ赤になる。
「はわ、わわわわ」
 と、仮にもそういうことが得意であるはずなのに、思考がオーバーヒートしかかっている彼女に、一つ聞いてみる。
「どうだ? ちょっとは混乱しなくなったか?」
「え、あ、うん」
 どうやら彼女の混乱は収まったようだ。
「で、今どうなってる?」
 と聞いてみると、
「えっ、と。本当の星奈が起きて、私の中で動いてる感じ?」
 と言う。
「それ、本気で言ってるのか? 二重人格者の人格が、二つとも表に出てるようなもんなんだが」
「その例えはよく分からないけど……。とりあえず、ずるーい! って言ってる」
「手か? なら後でいくらでもやるから、ちょっと待ってろ、って言っておいてくれ。他には?」
 普通に主張できる辺り、なんか人格を即座に切り替えられそうな気がするな、なんて思いながら星奈に聞いてみると、
「普通に聞こえてるみたいで、すごく喜んでるよ。えっとそれで、『私』も大事にしてほしいな、とも言ってるよ」
 という返事。
「ふーん、今出てる方も大事にしてくれってことか?」
 と俺が解釈してみると、
「そう、みたい。その子も私だし、友だちになれそうだから、あんまりいじめないで、って」
 と返ってくる。
「……いじめたつもりはなかったんだがな」
 なるほど、どうやら星奈は魔眼の形成した……、ええい、面倒だ。彼女に尋ねる。
「なあ、ところでお前さ」
「私のこと?」
「うん、そっち。魔眼の方。魔眼の、とか本来の、とかだと言いにくいから、別で名前付けてもいいか?」
 俺の言葉に、彼女は驚いたようで、
「いいの? 今なら名前がないから、まだ消えれるけど」
 と言葉を投げかけてくる。
「そういう仕組みなのか。とりあえず、星奈自身が認めてるんだ、別にいいんじゃないか」
 と俺が返すと、ほんの少しの沈黙の後、
「そっか、ならお願いしても、いいかな?」
 なんて甘くとろけるような声で彼女は返す。理性が多少、削れた音がしたような気がするのをぐっとこらえ、やめい、と彼女に軽くデコピンをする。額を抑え、膨れっ面でこっちをにらむ彼女から目を()らすように、俺は思考の海に沈んだ。
 何から案を出そうか。星と奈のうち、どちらかの字は使っておきたい。問題なのは、彼女自身を示す、何かもう一字が分からないことだ。目立ちたがり屋……、目立ってどうなる?評判がよくなる、人気者になる、好かれる、愛される……。そこまで考えたところで、一つ思いついた。
「あ」
「何か思いついたの?」
「漢字は、うーん、まだいいけど、マナ、なんてどうだろう。愛って書いて、まな、とも読むし」
 彼女はこちらを見たまま、目を丸くしている。十数秒、互いに固まった後、妖艶さを全く感じない、年相応の可愛らしいほほえみで、彼女は笑った。
「愛、愛かぁ……。うん、分かった。なら、マナって名乗らせてもらうね。よろしく、えーっと」
「好きに呼べばいい」
「なら、お兄さんで。よろしくね、お兄さん」
「はいよ」

 それから、魅了の解けた玲奈さんに事情の説明をした。
 やはり彼女も、魅了の魔眼の支配下にあったようで、細かく話を聞いていると、三日前、つまるところ誕生日会の後ぐらいから、記憶が微妙にあやふやになっているところがあった。その多くは、星奈の印象に関わるもののようで、今思い返してみれば違和感があったものの、今までは特に何も思わなかった、という。
 マナのことは受け入れてもらえるか、と俺もマナも不安だったが、そこは全く問題なかった。
「星奈に妹がいれば、寂しくないんじゃないかしら」
 とは彼女の談である。
 驚くほどスムーズに進む話に、こちら側の方が驚いてしまった。
「いいん、ですか?」
 マナがそんなことを聞くと、
「いいのよ、マナちゃん。だって、星奈が決めたことだもの。あの子、一度決めたことを曲げることはないから」
 と玲奈さん。それを聞いて、俺には思い至ることがあった。
「あの、玲奈さん。俺との付き合いも、まさか……?」
「ええ。人を怖がることさえあったあの子が、初めて自分から関わってみたいと言った人なのよ? 後押ししてあげるのは、親として当然でしょう?」
 その言葉は、何でもないもののはずなのに、俺の心も揺らした。
 親の強さを感じ、言葉をかみしめている俺の横で、マナは呆然と、けれどしっかりとした言葉で、玲奈さんに問いかけていた。
「あ、の。わたしを、私を家族って、そう言ってくれるんですか?」
 玲奈さんは、マナの頭を撫で、ウインクをする。
「もちろんよ。私のこと、お母さんって、呼んでくれてもいいのよ」
 もう限界だったのだろう、マナの瞳がうるみ、涙があふれだしてくる。
「う、うう……。お、お母ざん……。おがあざん、おがあさーん!」
「あらあら、そんなに泣いたら、可愛いお顔が台無しよ」
「ああ、あああ、ああぁーん‼」
 そんな二人を尻目に、俺は音を立てることなく、居間の扉を開き、自宅を出た。
 外に出ると、もう空は暗くなり、月が顔を見せていた。
 秋にしては寒い風が頬を撫で、俺はブルリと大きく震える。
 ほとぼりが冷めるまでここにいようか、それとも温まる自分の家に……と、そこまで考えた直後、ふと思い出す。
「ここ、俺の家じゃね?」
 物理的には入ることができるのにもかかわらず、自分の家を前にして、その家に入ることのできない、哀れな家主からこぼれたぼやきは、星の瞬く空に溶けて消えていった。

 マナが彼女たちの家族となってから。星奈とマナは、二人仲良く日々を過ごしていった。
 マナには「愛奈」という漢字も付けられた。少々、いやだいぶ当て字くさい名だが、本人も星奈も喜んでいたし、別に使う機会もないと思うのでいいとする。
 彼女たちは学校でも楽しく過ごしているらしい。腹話術と言うか、落語などであるような一人二役をこなしたりして、周りに称賛されることもあるのだそうだ。実際は、二人が入れ替わりながら話し合っているだけなのだが、二人とも楽しそうだった。
 テストの成績は二人の間ではあまり変わらないらしく、二人とも算数は苦手らしい。ちょっと笑ってしまったので、その時は後で、二人がお仕置きという名の遊びに付き合わせてきた。最近のおままごとって、昼ドラ展開が多いのだろうか?
 まあ、そういうことはともかく。俺も二人、いや三人も、楽しく日常を過ごしていたのだ、が。
「ぬーん……」
 俺は現在、進路希望用紙とかいうとても面倒な紙の前でうなり声だかなんだか分からん声を上げていた。
 現在、高校三年の十一月初め。いい加減進路を決めないといけない時期である。分かってはいるのだが、それとできるかは別の話。何も思いつかないまま、ここまで来てしまっていた。
「マジでどうしよう、これ。先生には、来週でいい、ずっと話し合ってきたのに答えが出てないんだもんな、なんて(なぐさ)められたけど……」
 星川大河史上最大ともいえる難問を前に、一人悩み続けていると、インターホンが鳴る。
 はーい、と出てみると、もはや恒例になりすぎて、合鍵でも渡そうかな、とか思い始めた望月親子がいた。
「おじちゃーん!」
 はいはい、と受け止めようとすると、彼女は俺の手をひらりとかわす。直後、わき腹に彼女の頭が突き刺さった。
「゚ミ」
 視界が明滅し、声にならない声が飛び出す。いつもよりいいところに入ったようで、かなり痛むが、その痛みが現実を忘れさせてくれた。
 気分も晴れたところで、いつも通りに彼女たちを招き入れる。しかし、俺は居間にあれが放置されてたのをすっかり失念していた。
「おじちゃーん、これ何ー?」
「あ、ちょっとそれは」
 星奈が持っているのは、いまだ白紙の進路希望用紙。声をかけたはいいものの、何と続けるべきか悩んでいると、玲奈さんがその紙をのぞき込む。なるほど、というように彼女はうなずき、星奈に言った。
「大河君はね、これからどの大学に行こうかなー、って悩んでるのよ」
 その意味が分かったのか、星奈は、
「えー! じゃあ、おじちゃんは遠くに行っちゃうのー!?」
 と俺に詰め寄ってくる。
 やだーっ、と首を振る彼女に対し、えーっと、と俺が目を泳がせながら、あいまいに言葉を濁していると、星奈が突然動きを止め、またも言葉を発した。しかしそれは、
「ダメだよ、あんまりお兄さんを困らせたら」
 という、星奈にしては非常に落ち着いた口調だった。俺が、
「ありがとう、マナ」
 とマナに言うと、彼女は、
「ふふふ、どういたしまして」
 と笑う。星奈と話し合ったあの時から、笑顔が柔らかくなった彼女は、でもねお兄さん、と言葉を続けた。
「私だって、お兄さんには遠くに行ってほしくないんだよ?」
「え。そ、そうなのか?」
 彼女はこくり、とうなずいた後、さらに言葉を続けた。
「だって、私も星奈も、お兄さんに助けられたんだもの。お兄さんがいたから、私たちはこうやって、仲良く生きられているのよ。そうでしょう、星奈?」
「そうだよ、おじちゃん! おじちゃんがいなかったら、私もマナちゃんもこんな風になってなかったもん! だから、おじちゃんが離れるのはやだよー!」
 何の前兆もなく人格切り替えしたな、今。いや腹話術に使えるレベルならそりゃそうだけど。
 で、彼女たちの意見は、まあ要するに俺と離れたくない、と。うーん、どうしようか。というかそもそも。
「俺、そもそも大学に行くかすら決められてないんだけど」
 そう言うと、星奈がぽかんと口を開け、こちらを呆然(ぼうぜん)と見つめた。
「え、そうなの、おじちゃん?」
「まあ、うん。決めなきゃ、と思っても何もしたいことがない、というか」
「そうなの、大河君? ならみんなで考えてみましょうよ」
 玲奈さんが割り込んでくる。確かに、一人で考えていても(らち)があかない。あかないが、これは俺が解決すべきことのような気もする。けれど、うーん。
 思考の袋小路に陥り、腕組みをしながら考えていると、くい、と服の裾を引っ張られた。
「おじちゃん、もしかして、いや?」
 マナから教えてもらったのか、星奈は涙目に上目遣いでこちらを見てくる。それを前にして、俺は考えることを放り投げた。
「分かった、じゃあ一緒に考えてくれるか?」
 俺がそう言うと、星奈は目を輝かせた。
「うん!」

「それで、お兄さんは何か得意なことってあるの?」
 そうして、居間で話し合うことになった。の、だが。
「ちょっと待て。何で俺の上に星奈が乗ってるんだ?」
 何かいい香りがする。……疲れてるのかな。とりあえず二人にここから降りるように言って、
「ここが一番落ち着くんだよ! すっごく安心するの!」
「私も、お母さんと同じぐらい落ち着くかな。いちゃダメ、かな?」
 (ツー)コンボ。どうやら俺は、二人の勢いには勝てないようだ。
 いやしかし、玲奈さんがうまくなだめてくれれば、
「あらあら。あんまり長く乗っちゃだめよ?」
 当の本人から援誤射撃が入った。諦めよう。
「……食事の時はやめろよ?」
「はーい!」
 マナは特に何も言わなかった。おそらく、二人を代表する時は星奈だけが喋るのだろう、というのは置いておいて。
「で、お兄さん。得意なことはないの?」
 マナの質問に、改めて考えてみる。
「えーっと。学業は普通で、身体能力も凡人の域を出ない。だから大学に行ってもあんまりいいことはない、かな。生活能力もあるけど、こっちも仕事に活かせるかと言われると、そこまでのものじゃない」
 そこまで言ったところで、
「聞いてる限りは人に埋没しそうな人にしか聞こえないね。でも、明らかにおかしいところはあるよ」
 と、マナはこっちを見ながら言う。
 さっぱり何のことを指しているか分からず、俺が首をひねっていると、
「ふーん。やっぱり分かってないんだ、お兄さん。じゃあ、ちょっとこっちを見てほしいな」
 とマナが言葉を続ける。
 彼女の言う通りにしてみると、彼女の目が光る。おー、やっぱりきれいな瞳だなあ、と思いながら彼女の目を見ていると、数分の後、目を光らせるのをやめた彼女は、はあとため息をついた。
「どうした? 何か変なことでもあったか?」
 そう尋ねてみると、彼女は答える。
「お兄さん、やっぱりおかしいよ。私がこんなに頑張ったのに、表情すら変わらないんだもん」
「マナちゃん、こうなるのっておじちゃんだけっぽいよね」
「そうだよ。大人の人たちにも、男女も関係なく効くはずなんだけどな」
「そういえば、星奈たちの魔眼って、結局魅了じゃないんだっけか」
「違うよ。確かに魅了なんだけど、男女関係なく効くやつだよ? これで三回ぐらい説明してると思うんだけどなー」
 マナは()ねているのか、やや不貞(ふて)腐れた態度をとっている。もしかしたら怒っているのかもしれない。少しばかり考えを巡らせ、結局何が起きていたのか分からない俺は、彼女たちに尋ねてみた。
「結局、マナは何をしたんだ?」
「魔眼を最大出力で使っただけだよ? これ、ちょっと疲れるのになー」
「え?」
 その割には何も起こらなかったような気がするが……?
 そう思っていると、顔に出ていたのか、マナが言う。
「お兄さんの思ってる通りだよ。なぜかは分からないけど、お兄さんにだけ私たちの魔眼が効かないの」
「だからね、魔眼に関わるお仕事はどうかなって思うんだ、おじちゃん!」
 魔眼、魔眼か。彼女たちのような魔眼を持った人には、実は人格の切り替えのようなことが起こっている。そんなことはほとんどの人が知らないことだろうし、それを知っている俺なら何かできることがあるかもしれない。
「確かに、それなら俺も能力を活かせそうだなあ。いまいち自覚がないのが欠点だけど。それに、他の魔眼が効かないとも限らないし」
「それは試してみるしかないと思うな」
 そっかー、と返しながらぼんやりと仕事をしている自分を考えてみる。魔眼に、星奈たちに関わることで、俺ができたことと言えば、
「カウンセラー、か?」
 俺がぼそりとつぶやいたはずの言葉は、案外部屋に響いたようで。
「いいじゃん! おじちゃんに合ってるよ、それ!」
「そうね、星奈とマナの仲をうまく取り持ってくれた大河さんなら、きっとうまくいくと思うわ」
 ニコニコと笑いながら話を聞いていた玲奈さんも同意してくれる。
 改めて考えてみると、……なるほど、確かにカウンセラーのような、悩みを解決する職業は性に合っている気がする。それどころか、天職にすら思えてきた。
「三人とも、ありがとう。俺、もう一度いろいろ考えてみるよ」
 その言葉に、玲奈さんや星奈は、笑顔を見せることで、背中を押してくれた。
 よし、まずは魔眼に関わる大学を調べてみるか。
 俺はそう決意するのであった。

 それから数週間、俺には望月家の人たちと遊ぶような暇は全くなくなってしまった。
 学校では先生と、魔眼に関わる研究をしていると思われる大学をピックアップしたり、受験関連の手続きに翻弄されたり。
 家でも、魔眼が関わっているような職業について本やネットで調べたり、自分ならどんな風に魔眼と関わりたいか模索したりする日々。
 そうこうしているうちに、年末を過ぎ、年始も過ぎ、共通大学試験も通り過ぎて、いつの間にか一月の末。
 決めた大学は偶然にも、実家の近くだったため、実家にいったん連絡し、そちらに戻ることにした。
 つまるところ、大学が始まるまでにここを離れなければならない、ということになるわけで。
 今現在、俺は星奈とマナにそれをむずかられて──
「おじちゃん、行きたいところが決まってよかったね。ね、マナちゃん」
「そうだね。たくさん頑張ってたの、横から見ててもわかったもんね」
 ──いなかった。
 もはや定位置と化している膝に乗られてはいるものの、意外にも、二人とも快く送り出してくれそうな雰囲気だ。マナはともかく、星奈には泣かれる覚悟はしていたのだが……。
 というか、
「玲奈さんはどうしたんだ?」
「お母さんならね、お買い物中だよ」
「ちょっと遅くなるかもしれないから、お兄さんのところに居させてもらっておいで、って言われたんだ」
 なるほど。玲奈さん、男子高校生の家に、何かこう、この世の可愛さを詰め込んだような子供である星奈たちを預けてったのか。
 思わず両肩に手を置き、俺は言っていた。
「知らない人に着いていっちゃだめだぞ」
「むー。そんなことしないもん」
「お兄さん以外に着いてくことはないと思うな。私たちを見る目って、大人の男の人ほど気持ち悪いのが多いし」
 ならまあ、いやあまり良くないけど、まあ仕方ない。恐ろしい程に整っている……だけではなく、最近は謎の風格のようなものが出始めてるしな。目を引かれても……? って待て。何か進化してないか、彼女たちの魔眼。
 そのことについて尋ねてみると、
「マナちゃんにね、まがん? の使い方を教えてもらってるんだ!」
「星奈はすごいよ、お兄さん。すぐに扱い方を分かってくれるから、私としてもすごく助かってるの」
 実際に鍛えているらしい。マナが扱う方がいいのでは、と聞いてみると、
「うーん、それはそうなんだけどね。星奈の方が、どうも伸びしろがあるみたいなんだ」
 要するに、星奈の方がよりすさまじい効果を発揮できるらしい。なるほど、魅了がより強く……。
 そこまで考えたところで、思わず突っ込んでいた。
「もしマナのやつより強くなったら、よりたくさんのヤバい人が集まってくるのでは?」
「大丈夫だよ、お兄さん。抑え方も並行して身につけさせてるから、そのうち他の人に星奈が()もれるー、なんてことになるかも」
 なるほど、魅了はそのうち封印できるようになるのか。なら安心……はできないな。結局のところ、星奈たちが非常に可愛らしい子供なのは変わってないし。成長しても、その辺りは変わらなさそうだから、護身術か何かを習わせるよう、玲奈さんにそれとなく伝えておくか。
 とまあ、そんな感じで、彼女たちから近況を聞いていると、星奈がそういえば、と聞いてきた。
「おじちゃんは何になるのー?」
「前話したのと一緒だよ。魔眼専門のカウンセラー、というか。星奈とマナみたいに、魔眼に困っている人を助ける人になるよ」
 調べていて分かったことだが、魔眼を持った子供は、やはり、というべきか、その力を扱いきれず、暴走させることが多いようだ。しかし、ある一定の年齢になった瞬間に、魔眼をうまく扱えるようになり、大成していくのだそう。ソーシャルネットワークサービスやネットニュースさまさま、というやつだ。
 どう見ても、星奈がマナに乗っ取られかけた時と同じような感じだ。違うのは、本来の人格が負けているという点。おそらく、親などから存在を十分に認識してもらえていないがために、人格を取って代わられているのだろう。もし、その現状を打破することができれば、何かが変わるかもしれない。
 その辺りは頭の中で反芻(はんすう)しただけだったので、星奈は目をキラキラさせて、
「おじちゃんならなれるよ!」
 と言ってくれた。髪型を崩さないように、丁寧撫でてみると、
「にへへへ」
 という声とともに、雰囲気もキラキラしだした。
「やっぱりおじちゃんの手、あったかいね」
「はいはい」
 そんな風に彼女たちと話をし、やや日が傾いてきたころ。
「星奈、マナ。二人とも、ただいまー」
 そんな声とともに、玲奈さんがうちに来た。
「おかえり、おかーさん!」
「うちは望月家じゃないんですがー」
 元気に玲奈さんへ駆け寄っていく星奈を尻目に、俺はとりあえずお茶を出す。そしてそのまま晩ご飯まで作ってもらえることになるのだった。

 そして、晩ご飯を頂いた後、俺は星奈たちに自分のこれからについて切り出した。
「──というわけで、俺はここ数日中にはこの家を出て、地元の方にある大学に通うことになりました」
「そうなの、(さび)しくなるわね」
 顔は笑顔だが、雰囲気は悲しそうにしている玲奈さん。そんな彼女を励ますように、星奈たちが言った。
「大丈夫だよ、おかーさん」
「そうだよ、お母さん。今生(こんじょう)の別れじゃないんだからさ、きっと会えるよ」
「えへへ、やっぱりマナちゃんはむずかしー言葉知ってるねー」
 迷惑をかけないためか、それとも本当に会えると確信しているのか。
 どこまでも明るくふるまう彼女たちを見て、玲奈さんはハッとした顔になる。
「そうね、可愛い娘たちが頑張ってるのに、私だけ悲しむなんてこと、できないものね」
 そう言って、玲奈さんは改めて笑った。
「よーし、なら大河君の門出を祝って、お菓子パーティーでもしちゃいましょうか!」
「おおー!」
 なぜか変な方向に暴走し始めた玲奈さん。星奈たちも目を輝かせているが、俺はなんか悪いと思い、そこまでしてもらうつもりはなかった。
「え、いやそこまでしてもらわなくても」
「いいのいいの! 私たちがやりたいんだから!」
「そうだそうだー!」
 あ、ダメだなこれ。俺はこの後どうなるか、なんとなく分かった気がした。
 その後、自棄(やけ)になったかのように盛大にお菓子パーティーを開催したために、案の定寝坊することになったのは完全な余談である。

 ──そして、別れの日がやってきた。とは言っても、もうほとんどの家財は実家に送ったため、俺自身の荷物はリュックとスーツケース一つずつしかない。
 あれだけ盛大に祝ってもらったんだ、もうあまり話すこともないだろう。そう思い、朝早くに家を出た俺が、電車を待つため、ホームに立っていると、階段を駆け下りてくる足音がする。
 軽い足音だな、子供かな? と思いながら足音がする方を見ると、ここ数年ですっかり見慣れた空色の髪。
「おーじーちゃーん!」
 というか、星奈だった。飛びついてくる彼女をいつも通りいなし、さらさらの頭を撫でていると、後から玲奈さんも降りてきた。
 なぜ駅まで追ってきたのか聞いてみると、やっぱり最後まで見送りたい、と三人の間で一致したからだそうだ。
 時間が経てば経つほど言葉少なになる星奈やマナ、そして少しずつ涙声になっていく玲奈さん。彼女たちと、出会ってからのことを振り返っていると、
『電車がまいります』
 という機械音声のアナウンスが響いてくる。
「じゃ、お別れだな」
 俺がそう言うと、星奈がおもむろに俺に近づき、持てる力を振り絞って、俺の腰に抱き着いてきた。
 いつものように締め上げられるのかな、と俺が考えていると、いつまで経っても予想していた痛みが来ない。それどころかよく見ると、星奈は何かをこらえるように、体を細かく震わせていた。
 離れたくないんだな、そう思った俺は優しく星奈の頭を撫でる。撫でているうちに気が緩んだのだろう、ふと、弱音のようなものが俺の口からこぼれた。
「ダメダメなおじちゃんでごめんな」
 その瞬間、星奈の顔がはじかれたようにこちらを見上げる。そして、
「おじちゃん《お兄さん》はダメなんかじゃない!」
 その声は、二重になって聞こえた。
 珍しく大声を出した彼女たちに、俺が目を丸くしていると、自分たちが何をしたか気が付いたのか、彼女たちの顔が真っ赤になる。
「え、あ、えっと、その、うぅ……」
 慌てたあげくに顔を真っ赤にして黙り込んだ彼女。それを見て、俺は思わず笑いがこぼれていた。
「ふ、くく、ふふふ」
「うううう、笑うのはダメだよー!」
「あ、ダメだ、ふふ、無理、我慢、無理だ、あっははは」
 ダメと言われるほどに、余計に笑えてきてしまう。ひとしきり彼女たちをからかった後、
『まもなくぅー、発車ぁー、いたしまーす』
 という車掌のアナウンスが聞こえてきたので、俺は電車に乗った。
 顔が真っ赤になったまま、こちらをにらんでくる星奈。きっとマナも同じことを思っているのだろう。そんな彼女たちに、扉が閉まる直前、俺は言った。
「ありがとな」
 目を見開く星奈。電車が走り出す。俺は星奈たちが見えなくなるまで手を振っていた。
「さて、と」
 適当な座席に座ってから、故郷に帰ってからの計画を思い浮かべる。うまくいくといいな、そんなことを思いながらも、早起きしたからか、俺の意識は闇に沈んでいった──

「ん、んん……」
 ふと、目が覚める。どうも事務処理用の机に突っ伏して寝ていたらしい。体を起こし、手を組んで伸ばすと、肩の辺りからバキバキと音がする。
 周りを見渡してみると、俺はいつもの事務所にいる。寝落ちする前、
「のど渇いたんで、お茶買ってくるッス」
 と言って出ていった助手は、まだ戻ってきていないようだ。どこまで行ってるんだあいつは、と寝起きのぼんやりする頭で考える。
 懐かしい夢を見ていた。あれから故郷に帰った俺は、そこの大学で魔眼について研究している教授に師事した。その過程で、やはり俺には魔眼が効かないことが分かった。同じ火でも、コンロの火や焚火(たきび)は普通にやけどするのに対し、火を起こす魔眼で起こした火は、触っても熱く感じなかった。それどころか、俺自身には火を起こすことすらできなかった。この体質は今まで発見されていなかったものらしく、教授が非常に興奮していた。彼は俺に研究所への推薦を書こうと提案してくれたが、俺はその提案を丁重に断り、今はこのように魔眼に関わる相談を取り扱う事務所を開いたのだ。
 当初は全くと言っていいほど人が来ることはなかったが、相談に乗り、解決していくうちに、ここはだんだんと有名になっていった。十年もたった今では、月に二、三回は新しく相談をしに来る人がいる。夢がかなっているし、それはとても喜ばしいことのはずなのだが、どこか寂しいと感じることがあった。
 分かっている。本当は星奈たちがいた、あの日々をもう一度過ごしたいと思っていることなど。けれどあの時、彼女たちと(たもと)を分かつことを選んだのは俺だ。
 過去は変えられない。いつだってそうだった。彼女たちももうすぐ二十歳だ、きっと良い人を見つけているだろう。次会えた時には、子供がいたりするかもしれない。そうなったら、きっと俺はその思いを胸に秘めたまま、彼女たちを祝福するのだろう……。
 そんな、女々しいとも言える思いを巡らせていると、外から男の声がした。
「すいませーん。お茶がなかなか見つからなくて、遅れちゃったッス」
 そう言いながら入ってきた助手に、(あき)れたような口調で返す。
「はいはい、おかえり。だいぶこだわったお茶を買ってきたみたいだな、竜司(りゅうじ)
 皮肉が分かったのだろう、彼はうっ、と声を上げた後、顔の前で手を合わせた。
「ごめんなさいッス。……あの、出た後、なんか変なことあったッスか」
 なぜかは知らないが、彼は心配そうにこちらを見てくる。
「別に何も。俺もさっきまで寝てたし、仮に何かあっても分からないと思う」
 俺の言葉に、彼は明らかに安心した様子で、手を下ろした。
「そうッスか。ならよかったッス」
 なんか様子がおかしいな。まあ、いいか。
 そう思ったところで、俺は彼の妹のことを思い出した。
「そういえば妹さん、どうだ? あれから元気にしてるか?」
「ああ、流花(るか)のことッスか。いやあ、元気すぎて家族一同、手を焼いてるくらいッスよ。この前なんかクラスメイトの前で魔眼使った芸を披露したみたいでッスね──」
 とりあえず応接テーブルに座らせ、歓談していると、彼は突然、あ、とつぶやいた。
「どうした?」
「そういえば今日、テレビ局から人が来るみたいッスよ」
「は?」
 呑気(のんき)な顔で、とんでもないことを宣う彼。
「なぜ、それを、早く、言わないんだ?」
 語気を強めて彼に尋ねると、彼は目を逸らしながら言った。
「いやその、前にテレビ局からの取材をオーケーしたッスよね?」
「そうだな」
「で、あの、今の今までそれをすっかり忘れててッスね、あはは」
 俺はふう、と一度息をつき、テーブル越しで笑っていた阿呆(あほう)の頭をぽかり、と殴った。
「痛ッ! な、何するんすか!」
「何はこっちのセリフだ、この阿呆! この前もきちんと報告はしろって言ったよな!?」
 ぐ、と言って黙る助手。そんな彼を尻目に、俺は事務処理用の机に戻り、書類を片付けながら尋ねた。
「で? いつ、誰が、何しに来るんだ?」
「う……。ええっと、大体三十分後ぐらいに、魔眼のことについて聞きにくるみたいッスね」
「全く時間がないじゃないか。で、誰が?」
「えっと、それが、ッスね……」
 なぜか、誰が来るかのところで沈黙する彼。
「どうした? 竜司に答えられないような奴なら、丁重にお帰りいただこうと思うが」
「あ、いや、そういうことじゃないッスけど。所長、アイドルって知ってるッスか?」
 彼の質問に、俺は呆れかえった。
「さすがにそれくらい知ってるわ。最近は全然テレビもネットも見ないから、細かいことは知らんが。それがどうしたんだ?」
「そんなこと言うから、この前相談しに来た人にまるで老人みたいですねってからかわれるんスよ。たびたび言ってるッスけど、事務所にテレビ置いて、回線引いて、空き時間に見るぐらい、所長なら簡単にできるッスよね?」
 助手の言葉の刃が深く突き刺さる。助手が質問に答えていないことなど、とても気にできる状況ではない。思わず言い訳をしてしまう。
「いや、それは、何というか……。あーもう、うっさい」
「まー所長が時代遅れなのは置いといて。トップアイドルとして有名な、セアって子が今回来るみたいッスね」
「ほう、なるほど。わざわざトップがねぇ……。ここに来る理由とかは?」
「なんでも、ここでないと聞けないことがあるとか何とか。すごく熱意のある人だったッス。ジブンもファンッスよ、あの子の歌と踊りはッスね──」
「あーはいはい分かった、ありがとう。なるほどね、トップアイドルのセア、か……」
 助手はこういうことを話し出すと長い。にしても、トップアイドル、ね。なかなか気になる単語だが、まあそれは後で尋ねればよいだろう。何なら訪ねてきた人に尋ねるのもありかもしれない。無知な人だと思われるかもしれないが、分からないよりはマシだ。
 そうこうしているうちに、テレビが来るまで後数分となった。
「あ、そういえば、今回の取材ッスけど」
 またもつぶやく助手。嫌な予感がして、尋ねてみる。
「まだ、伝えてないことがあるのか」
「あっはい、すいません。実は、この取材、生放送らしいッス」
 が、予想よりははるかにマシなものだった。ほっ、と胸をなでおろし、
「何だ、それならまだいい。俺が心配しているのは魔眼に対する偏向報道とかだからな」
「あー、確かに。そういうのが一番ヤなパターンッスね」
「そういうことだ。悪いことをしていると勘違いされても困る」
 そう話していると事務所の扉がノックされる。すみませーん、という若い女性の声もしてきた。どうやら、時間のようだ。
「すみません、今行きます」
 そう言い、扉を開く。
「どうもはじめまして、あなたがセアさんですね? わたくしタイガー魔眼相談事務所の──」

「……やっぱり、おじちゃんだ」

「──星川、大河、で、す……」
 目の前に立っていたのは、誰がどう見ても美しい、女子高生程度に見える女性だった。
 腰まで伸ばした髪は、まるで晴れた空のように透き通った薄い青色をしており、一方で目は深海のように濃い青色をしている。何より、その特徴的な呼び方。高校生以上で俺を「おじちゃん」なんて呼びそうなのは、この世で一人しかいない。
「……久しぶりだな、元気にしてたか?」
 そう尋ねると、彼女は──星奈は、みるみるうちにその大きく丸い目に涙をため、そして全力で飛びついてきた。
「うん、うん! 久しぶり、おじちゃん!」
 数秒ほど彼女は俺の胸に顔をうずめた後、すぐ離れた。そして、その雰囲気ががらりと、妖艶なそれに変わる。
「久しぶりだね、お兄さん。私もとっても、とーっても会いたかったんだよ」
「お前も久しぶりだな、えーっと……」
「ふふ、私もセア、だよ?」
「そうか、そりゃあ大変、何じゃないか?」
 いつかの時よりさらにすさまじいオーラに、俺は目をやや泳がせる。それでも、何とか答えると、マナはくすくす笑う。
「ううん、みんな優しいから大丈夫だよ。それに、この目もあるし」
 そう言って、マナはキラリと目を光らせる。後ろから俺越しに彼女を見ていた助手が、
「す、すごいッス。まさか、本物をこの目で見られるなんて……!」
 とうるさい。一つ息をつき、助手の頭を小突いたのち、星奈たちの奥でカメラを回していた、スタッフたちに向き直る。
「すみませんね、私情を挟んでしまって」
「い、いえいえ。それより、その、セアさんとは付き合いが……?」
「ええまあ、幼いころに少し」
 と、カメラを回している人たちに答えていると、星奈たちが口を挟んできた。
「おじちゃんには、いっぱいお世話になったんです! ね、私?」
「そうだね、たくさん相談に乗ってもらったもんね」
「そ、そうなんですか」
 成長しても相変わらずな星奈たちの前では、スタッフの人たちもタジタジらしい。それから彼女たちは、
「やったー! おじちゃんと今日は一緒だー!」
 と、くるくるとそこら中を踊っていたが、不意に動きを止めた。
「あ、そうだ! ねえねえ、おじちゃん!」
 そう言い、こちらにやってくる彼女たち。どうしたのだろうと思い、聞き返すと、彼女たちは笑顔で、着ていた服のポケットから折り畳まれた紙を取り出す。
「何だそれ?」
 そう聞いた俺を、俺たち全員を待っていたのは、とんでもない爆弾だった。
「私と、ううん。『私たち』と、結婚しよ?」
 その中身は、婚姻届。どうやったのか、妻の部分が二つになっており、名前の欄に「星奈」「愛奈」と書かれている。
 数秒の沈黙。そして、目をハートにしていた助手が、スタッフらしき人たちが、だんだんと顔を青くさせ、悲鳴を上げる。
「う、う、うわぁーっ!?」
「セナちゃんは好きな人がいるから、いつかその人と結婚したい、とか言ってたことがあるッスけど、それって、まさか……!?」
 周囲の視線が俺に集中する。その眼力は、俺の身体に穴を開けられそうなほどだった。その圧に耐えられなくなった俺は、目線を逸らしつぶやく。
「まあ、そういうこと、なんじゃないですか」
 再び上がる悲鳴、のような絶叫。同時に、そこら中からもそんな感じの悲鳴が聞こえた気がした。
 今を時めくトップアイドルの結婚宣言という、目の前で起きた核爆弾級のスキャンダル。感情がいろいろとないまぜになり、俺はいつかのように天を仰ぎ、青空を見やる。そんな俺を見て、彼女がクスリと笑った。

魅了少女と俺

魅了少女と俺

作:フルーツ萬太郎

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted