追憶と看過のルラード

蒾沙狐雪󠄁 作

(いちぃ)
 ()さった。
 ()()いたら、()さってゐた。(まわ)りを()(わた)す。()()()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》の(なか)()ろうか。
 ()う、()さってゐる、()(きゅう)に。
 (あし)(もと)(どろ)(よう)()って、(じょう)層《そう》に(すい)層《そう》を(けい)(せい)してゐる。()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》の(そと)(がわ)()()い、(この)(あし)(もと)(どろ)(およ)(みず)(じょう)(しょう)する、(また)(おのれ)(にく)(たい)(しず)んだら(おぼ)れる()(のう)(せい)()るか。(いや)(この)()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》の(ない)()の、(いま)()(ぶん)(じょう)(はん)(しん)()れてゐる(くう)(かん)には(くう)()()()められてゐる、()して(げん)()(てん)では(ない)()(くう)()(どろ)(みず)()(あつ)(りょく)(がい)()(たい)()(どろ)(みず)()(あつ)(りょく)()()ってゐる(よう)だから(しず)んではゐ()いだろう。だがしかし、(くう)()()()められてゐる()(ぶん)(あな)()けば()()(しず)むか()から()い、()(ゆる)りとしてゐられ()い。
 で、(なに)(ゆえ)(いま)(じょう)(きょう)()るのだろうか。(いま)(いた)(まで)()(おく)()()()い、(じょう)(きょう)(じょう)(きょう)だから()()(なに)()ったのかは()になる。
 (しばら)(かんが)えてゐて、()()()(ぶん)()()た。()()(しょう)してゐる、()うだ、()(いちご)《?》《ぉ》の(よう)(しょくぶつ)()ろうとして(とげ)()()(しょう)したのだ。
 (おも)()した。(ゆき)(やま)(さん)(さい)()りに()ったのだ、()(しき)()かぶと(どう)()()(はん)(しん)から()(よう)(さむ)さが(のぼ)って()た。()()(いっ)(こく)(はや)(この)()(しょ)から()()さねば。
 (ゆき)(やま)(どう)(ちゅう)(けい)(たい)(たん)(まつ)から(とう)稿(こう)(どう)()(こう)(かい)()(しょ)()た、(わに)(かい)(てん)(うん)(どう)(きょう)(えい)(せん)(しゅ)(きょう)(えい)する(どう)()()(おく)(よみがえ)って()た。
 (かい)(てん)(うん)(どう)()()れば(この)()(しょ)から()()せる()(のう)(せい)()るやも、しかし(げん)(じつ)(てき)では()い。
 ……やってみるか。(いろ)(いろ)(ため)してゐる()(かん)も、(そもそも)(ため)(さく)(せん)を練《ね》る()(かん)(おお)()いだろう。()(こう)する(こう)(てい)(かえ)りたく()い。(こま)かい(けい)()()てからゆっくり(おも)()せば()い。()()たら()()る、()んな()がする。()(わたし)()(ぶん)()(しん)()()(あん)()()けた。
 (かく)()()めて、(わたし)はぬじぬじと(おと)()身體(からだ)(ひね)り、(ぎゃく)(ひね)りと(はん)(どう)()けて(かい)(てん)(うん)(どう)(はじ)めた、と、身體(からだ)がじりじり(しず)んで()く。(わたし)(かお)(ぢゅう)(あな)()じて(かい)(てん)(うん)(どう)(けい)(ぞく)した。
 がはっ、ぐっ、ごっほっ、はぁはぁ
 (そと)()るが(はや)いか、(わたし)(はい)(どく)(だん)()(きゅう)(さい)(かい)した。
 ()られた。

(にぃ)
 ()(たか)(もの)の、(かげ)ってゐて(やわ)らかな日差(ひざ)しだ。(そと)(くう)()()()しい(もの)だ、と(おも)ったががらがらと(ぎっ)(しゃ)(とお)(おと)()こえて()た、()()(みち)(ちか)くなので()ろう。()んだ(くう)()とは()()いな。(あた)りを()(わた)して()(はい)ったのは、
  (まば)らな()()(みち)
  (みの)った(むぎ)みたいな(くさ)(はたけ)
  (つつ)まれてゐた墨《すみ》(いろ)(ぬま)
  ()()()()()()(ごえ)(とり)
 か。(じょう)(ほう)には()()さそうだ。()して、()()()()なのだろう。
 (ゆき)(やま)(なか)か、(ゆき)(やま)(そと)か。()()から(ゆき)(やま)()()い、(ゆき)(やま)()ってゐるが(ぜん)(たい)(てき)(うす)()()もってゐるだけで(ほん)(かく)(てき)(ゆき)(ゆき)しさでは()い。(また)(ゆき)(やま)(とお)くに()えたから()()えず()かってみたと()(えん)(けい)(しゅっ)(しん)()(まえ)()()(やま)()るが、(この)(ゆき)(やま)での()()ヿ《ごと》が(さき)(じょう)(きょう)(いた)(けい)()(ひもと)(かぎ)()るやも()()い。
 (ひと)()(てき)(とう)(ほう)(こう)(ある)いて()(なが)ら、()ったヿ《こと》を(おも)()そう。
 ()()ヿ《ごと》、()(けい)(れつ)(じゅん)(なら)()ければ()()いのか。(わたし)()こった()()ヿ《ごと》を()()から()(らい)への(ほう)(こう)(へい)(こう)(なら)(なお)したり、(いん)から()(ほう)(こう)()(きわ)めたりするのは(にが)()だ。
 (まえ)にも()んなヿ《こと》が()った。(さかのぼ)るヿ《こと》(こう)(こう)()(だい)(わたし)()(ほん)()(せん)(たく)し、()(けい)(れつ)(なら)(なお)しで()(ろう)した。○達も()(ほん)()(せん)(たく)だし、(にん)()(たん)(とう)(せん)○《せい》から()される()(だい)(すく)ないと()(じょう)(ほう)()ったのだ。
 (とお)()()(はなし)()いて()いて、()()(おも)()せる(かぎ)りの()(おく)(いっ)(たん)(れっ)(きょ)するか。

(さぁん)
 いさ、()りしヿ《こと》(ども)()かるは
  (ひとつ)(あき)(びと)()ひき
  (ふたつ)(にわか)(ゆき)()るるに()ひき
  (みつ)(とな)鹿(かい)めかしきに()ひき
  (よつ)()(いちご)めかしきを()がむとせり
  (いつつ)(くるま)()かむとしつれど、(なか)らにて()りき
 (しか)(ばか)りかや。(とき)(あと)(さき)()()()(あひ)(かず)(しぼ)()みたければ、(おの)(おの)(すぢ)(つぶさ)(おぼ)えむ。

(よぉん)(いちぃ)
 ()ずは(あき)(びと)(わたし)(やま)(みち)の、(とく)(ひと)()()(とお)りを(のぼ)ってゐる(とき)(よこ)()()(なか)から(おお)きな(はい)(のう)()()った(あき)(びと)(にわか)(あらわ)れた。
 (あき)(びと)()(たけ)(やく)(いっ)・《てん》(なな)(めぇとる)(せい)(べつ)()者《しゃ》視《し》(てん)(せい)(ひょう)(げん)《》:《(じょ)(せい)(だん)(せい)》=《(れい)・《てん》(さん)(れい)・《てん》(よん)()》《(ぜん)(たい)()者《しゃ》視《し》(てん)(せい)(ひょう)(げん)()(れい)・《てん》(なな)()》、(ひょう)(げん)(がた)(だん)(せい)(こう)()》、と()った(ところ)だったか。
「もし、(この)(よう)(ところ)(なに)()されて」
(さん)(さい)()りに(まい)った。」
(てき)(せつ)()()での、()()()(ふく)む、()(がく)(ぶっ)(しつ)(にん)(げん)()()れたがる(りょう)(たい)する(はん)(すう)()()(りょう)(おお)さを(もと)に、(ほか)のと()(かく)(じふ)(ぶん)(おお)いと()られてゐる(ぶっ)(たい)の、(この)(やま)(しょく)(ぶつ)(いち)()として(いま)()()()○《せい》するは、(ほか)()()のと()(かく)(すく)ないと()えようぞ。()つ、(しょう)(かん)()(まえ)(ゆき)のヴ《ゔ》ォ《ぉ》イ《い》ル《る》を(まと)(やま)()()るのに()(よう)(さう)(ぞく)では(こころ)(もと)()からんか」
(ふゆ)なりとも、(そう)(もく)(なん)()かは()るだろうと。(じつ)は、(わたし)(きゅう)()ヿ《ごと》の(やす)みを()って、(やす)みの(あいだ)(さん)(さい)()りをしようかと(おも)()きまして。(じゅん)()する()(ゆう)()かった(もの)ですから。」
 ()(こた)えた(のち)(あき)(びと)(しばら)(わたし)(よう)()()(さだ)めてゐる(よう)()ったが、(かん)(てい)(けっ)()()(じょう)()かったのか、(あき)(びと)(これ)(まで)(いぶか)しげな(たい)()()って()わって(にゅう)()(ふん)()()()った。
()(よう)()()いましたか。()(まえ)(この)(やま)(あた)りで(もの)()(ある)いてゐる者《もの》で()ります。(おも)()(だん)から(やま)()(ぎょう)をしてをられる(かた)や、貴方(あなた)(よう)()(てい)()(やま)()らっしゃる、(かん)(こう)()(ざん)(など)(もく)(てき)()(きゃく)(さま)()けて(しょう)(ひん)(そろ)えてをります。(ただ)(いま)(れい)(ねん)だと(しん)()()(きゃく)(さま)(ほとん)()らっしゃら()()()ですので、(この)()貴方(あなた)(はん)(ばい)()()ます(しょう)(ひん)(よう)()(かぎ)られてをります。」
(いま)(ところ)()()(けん)(かん)じる(ほど)(こま)ってはゐ()いので、(こん)(かい)()(おく)らせて(いただ)きます。」
(やま)貴方(あなた)(おも)うゟ(きっ)()(なん)(ばい)(おそ)ろしい(もの)ですよ。(かく)層《そう》の()(しゅつ)(おお)貴方(あなた)(さう)(ぞく)ですと(ぼう)(かん)(ため)()(ぶくろ)()(ざん)(ぐつ)()れに(かい)()(えり)(まき)()って行かれるのを()(すす)めしますよ。」
 ()()うと、(あき)(びと)(わたし)(ことわ)(もん)(ごん)(なら)()()(うち)(げん)(きゅう)した(よっ)つの(しょう)(ひん)(なら)べて()った。
(ちゅう)()(しょう)(ひん)なんですか」
()(ざん)(ぐつ)()(ぶくろ)(ちゅう)()(もの)しか(いま)(ざい)()()()いません(ゆえ)。都《と》(かい)(ちか)()(いき)とは()え、()(がい)(やま)()らす(かた)(がた)(むかし)(なが)らの(ふう)(しゅう)(なら)ってゐて、()(ぶん)使(つか)()()っても()使(つか)える(もの)()(まえ)(よう)(あき)(びと)()ったり(しん)(せき)()げたりです。(もち)(ろん)(ちゅう)()(ぶん)()(やす)く、()()から(さら)(そう)()ゟも()(やす)(いた)します。」
()(いく)らですか」
(よん)(てん)()はせて(ひゃく)(ろく)(じふ)()ラ《ら》ン《ん》です。」
(ひゃく)(よん)(じふ)()ラ《ら》ン《ん》で如何(どう)でしょうか」
()いでしょう、()れでは(よん)(てん)(ごう)(けい)(ひゃく)(よん)(じふ)()ラ《ら》ン《ん》に()ります」
(ひゃく)()(じふ)ラ《ら》ン《ん》()(あず)かり(いた)します。()ラ《ら》ン《ん》の()(かえ)しで()()います。()()()(あり)難《がと》う()()います。」
()れでは(また)()(かい)()りましたら。」
「ええ、()()()けて。」
 ……とまぁ、()んな()(あひ)だった(はず)だ。
 (ひと)つでは(じゅん)(れつ)(そう)(すう)(ひと)(とお)りしか()い。(つぎ)(おも)()そう。

(よぉん)(にぃ)
 (ゆき)(やま)をすげすげと突《つ》き(すす)んで()くと、(にわか)に視《し》(かい)(ゆき)(よう)(しろ)さに(つつ)まれた。(ゆき)なのだが。
 (とう)(ぜん)吹雪(ふぶき)に視《し》(かい)(うわ)()きされた(わたし)()()から(うご)(あて)()()った……(いや)(わたし)()ってゐた(えり)(まき)(はし)()(きん)()ち、()(もと)(かい)(てん)(ちゅう)(しん)にもう(いっ)(ぽう)(はし)(えん)(うん)(どう)して(もら)い、(あた)りを(さぐ)(なが)(すす)(つづ)けた。
 ()(ちゅう)(いく)()(だい)()()え、雪崩(なだれ)()きた(よう)だが、吹雪(ふぶき)()(まで)()(しょう)は免《まぬか》れた。
 (えり)(まき)()(さん)()かったから、()(けい)(れつ)(あき)(びと)から(えり)(まき)(こう)(にゅう)した(あと)だな。

(よぉん)(さぁん)
 (わたし)(ちょう)()(てい)()()()()(ほう)から()()()()たった(とき)()(うえ)()たる()(ぶん)の、(みつ)()(たか)(もり)(なか)から馴鹿(となかい)《?《ぃ》》がすぱっと(かお)()した。
 (せい)()()ぎた(ばか)りで()るが、()(おく)れたので()ろうか。
 馴鹿(となかい)《?《ぃ》》は(わたし)(ほう)へと(あゆ)んで()て、(わたし)馴鹿(となかい)?《ぃ》 の(ほう)へと(ちか)()ろうとしたが、馴鹿(となかい)?《ぃ》 は(きびす)(かえ)して()()かへ()けて()って()()った。
 (わたし)(さき)()(いちご)《?《ぉ》》が()ればと悔《く》いた。
 とすれば、()(いちご)《?《ぉ》》を()()れられ()かったというヿ《じ》(じつ)(のち)馴鹿(となかい)《?《ぃ》》に()ったのだから、馴鹿(となかい)《?《ぃ》》は()(いちご)《?《ぉ》》の(あと)()ると()えよう。
 (くつ)()いてゐ()くて馴鹿(となかい)《?《ぃ》》に()いて()くのを(あきら)めたし、()れで(あき)(びと)(ぼう)(かん)()(すす)められたから、(あき)(びと)(まえ)とも()えよう。

(よぉん)(よぉん)
 (わたし)(ほう)(こう)()()器《き》に()たる(あひ)()()して(ふく)(どう)(しん)()(へん)(こう)し、(しばら)(ちょく)(しん)した。と、(ぜん)(ぽう)(くろ)(むらさき)(あか)(つぶ)(つぶ)(たく)(さん)()(かん)じな(みどり)(しょくぶつ)に○《な》ってゐるのを(はっ)(けん)した。
 (せっ)(きん)すると、()れは()(いちご)《?《ぉ》》の(よう)()った。
()(いちご)《?《ぉ》》、(さん)(さい)か。(もら)って()かせて(もら)うとするか。」
 (わたし)()(いちご)《?《ぉ》》に()けて、()()()()ばした。
()っ……!」
 ()(いちご)《?《ぉ》》の(くき)には(とげ)が○《は》えてゐたのだ。
 (とげ)が○《は》えてゐるのなら、(あきら)めるか。(とげ)()()()()(しょう)して()()った。
 ()()()ったと()(おく)してゐるし、()(ぶくろ)()った(あと)()(ぶくろ)をずっと()けて(ある)いてゐた(はず)だから(これ)(あき)(びと)(まえ)馴鹿(となかい)《?《ぃ》》に()った(とき)()(いちご)《?《ぉ》》の()(おく)()ったからして馴鹿(となかい)《?《ぃ》》の(まえ)()るか。
 (つぎ)()こう。

(よぉん)(ごぉ)
 (わたし)(ゆき)(やま)(まで)(くるま)()たのだ。しかし、()(もつ)()(どう)(しや)なので()(りき)()りず、()(ちゅう)()りた。
 (ほか)()(おく)徒步(かち)なので、(これ)(この)(なか)(いち)(ばん)(まえ)か。

(よぉん)(ろくぅ)
 (なら)()えてみると、
 (ゆき)(やま)()(もつ)()(どう)(しや)()たが()(ちゅう)()り、()(いちご)《?《ぉ》》を()ろうとして(とげ)()(しょう)し、馴鹿(となかい)《?《ぃ》》が()って()き、(あき)(びと)から
(ぼう)(かん)()()い、吹雪(ふぶき)()ったと()(なが)れか。
 ()んな(かん)じで()(おく)缺片(かけら)辿(たど)ってゐると、(ゆき)(やま)()いた。(ゆき)(さき)(ゆき)(やま)()いてゐた(よう)だ。
 (かんが)えヿ《ごと》をし(なが)(ある)いてゐたからか、(ゆう)(がた)()らぬ()(おとず)れて()らぬ()()()げた(よう)だ。
 ()()まれそうに(ふか)(やみ)(いろ)(そら)を、(まばゆ)(ほし)(ぼし)滿()たす。(しん)(げつ)か、()(よい)(つき)姿(すがた)()()たら()い。(はげ)しい(せい)(さい)()びた(ゆき)(また)(きら)めく。()()()(ほど)(あか)るい(よる)だ。
 (わだち)()()けた。(ふたた)(くるま)()ったんだった。(わたし)吹雪(ふぶき)()った(あと)(くるま)()()けた(ため)(さん)(さい)()るのを()めて(やま)()りると()めたのだ。と()ると、(ゆき)(やま)(わたし)()さった(げん)(いん)()った(わけ)では()いのか……。
 (わだち)()()てみる。(ちい)さな(なみ)(よう)()(よう)()(そく)(てき)(なら)んでゐる。()社《しゃ》の()(もつ)()(どう)(しや)(とく)(ちょう)(てき)()(ざい)(とく)(べつ)()(ひん)(つく)られてゐる。()()()(ぎっ)(しゃ)()(しゃ)(じん)(しゃ)(よう)な、(あしあと)と、(しん)(こう)(ほう)(こう)(へい)(こう)(せん)と旅《たび》の(はじ)まり()わりの(へん)(かこ)まれた()(けい)(わだち)には()()いので()る。
 (わたし)()んな()社《しゃ》の(くるま)(さん)(さい)()りに()たのは、()ヿ《ごと》をサ《さ》ボ《ぼ》タ《た》ー《ぁ》ジ《じ》ュ《ゅ》る(ため)だった。

(ごぉ)(いちぃ)
 (わたし)の勤《つと》めるとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》は、(なが)きに(わた)りてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》と(きょう)(ごう)(かん)(けい)()った。()(たが)いに(あら)たな(よう)()(かい)(はつ)しては()社《しゃ》に()けてゐられ()いと(いさ)()って、()いつ()われつしてゐた。
 (ある)()、てくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》は()()からか()()()(まき)(もの)()()れた。()(まき)(もの)(しょう)(さい)()(ぎょう)()(みつ)(よう)(たし)かな(じょう)(ほう)()いのだが、()()(さかい)にてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》は(くも)(うえ)(そん)(ざい)()って()()った。(ほど)()くしてとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》はてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の(まき)(もの)(ごう)(だつ)する(ほう)(しん)()めた。
 とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)(いく)(たび)()(しゅう)()け、てくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)()()(あら)(あらそ)いを()(ひろ)げて()た。(たが)いに()(だい)()(せい)(はら)いつつ、(つい)にとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》が(まき)(もの)()()れて()()った。(もち)(ろん)、てくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》は(まき)(もの)(うば)(かえ)()く、とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)(せい)(あつ)しに(あらわ)れる。(わたし)は、とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)では()るが()んな(せん)(そう)(あま)(さん)()したく()い。だから、今日(きょう)()かう(はず)(あい)()()いて、()社《しゃ》の(くるま)(せん)(そう)()けに(ちか)くの(やま)(さん)(さい)()りをしに()ったのだ。(さん)(さい)()りにしたのは()れた(さん)(さい)()れば(かね)()(はい)るかと(おも)ったからで()る。(なに)()()かったが。
 ()(まき)(もの)如何(どう)して()んなに()()れたがるのか。(ふう)(ぶん)()ると(まき)(もの)使(つか)うと(ねが)いが(かな)うらしい。(じっ)(さい)(まき)(もの)()()れてからてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》はどんどんと(せい)()()したし、とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》が(まき)(もの)(うば)うと(こん)()はとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》も(いっ)()()(だい)()()いた。()(じょう)(きょう)(かんが)みるに()()(はなし)だ。
 (じつ)は、(まき)(もの)(じつ)(ぶつ)(いち)()だけ()たヿ《こと》が()る。(ちょう)()とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》がてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》(ほん)(まる)()()んで(げん)()()(れい)()(おお)()れの(ころ)(わたし)もてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(ない)()()んでゐた。とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)がてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》(ない)(まき)(もの)(うば)って()(かん)する(とき)(とう)(ぜん)(てき)(じん)()()るからして(まき)(もの)(いっ)(ぱん)社《しゃ》(いん)()(とど)(じょう)(たい)()(はこ)ばれた。(わたし)(まき)(もの)(ない)(よう)()になったので、(すき)()()けて(まき)(もの)()()り、(なか)()(すこ)しだけ(なが)めた。()(しゅう)(よう)(ない)(よう)だったかと(おも)うが、()()から()いか()(あん)(しゅう)(ちゅう)して()()かったのも()り、(わす)れて()()った。(ただ)()()(ひと)つ、(みょう)()(おく)(のこ)った()(ぶん)()った。

(ごぉ)(にぃ)
 (わたし)()(とき)()(ない)(よう)(しゅ)()って()る。(さっ)(そく)(しゅ)()()()し、(がい)(とう)()(しょ)(さが)す。が、()()()()なヿ《こと》に、(しゅ)()は「(しょう)(せつ)(よう)(ぶん)(しょう)()かれてゐた。」と()った(ない)(よう)で、「(たん)()」の()すら()()()かった。(たし)かに(たん)()(なら)びを()(おぼ)えが()るし、(ぎゃく)(まき)(もの)(なか)(しょう)(せつ)(よう)(ぶん)(しょう)(なら)()()(そう)(ぞう)()()い。()(かた)()く、(なん)とか()(おく)(なか)(がい)(とう)()(しょ)(おも)()す。
 ()()かれてゐた。
  なみさだめ はちをゆらした くせものが
    ふぁそらにあいそ つれいることよ
 (この)(たん)()()()()かったらば(ねが)いが(かな)うのだろうか。(くち)()しいヿ《こと》に、()から()い。「なみさだめ」は「(なみ)」と「(さだ)め」で()ろうか、「()(さだ)め」も(ふく)むので()ろうか。「(なみ)」として、社《しゃ》(かい)(てき)(もの)か、(しん)()(てき)(もの)か、(ぶつ)()(てき)(もの)か。「(さだ)め」は()(りつ)(よう)(かんが)えると()()()か、()(あく)する(よう)()()か。「みさだめ」が「()(さだ)め」ならば、()()()(きわ)め」で()いのか。
「はち」は「(はち)」で()ると(おも)うが、()れは(きん)(ぎょ)(ばち)(よう)(はち)か、(うえ)()(ばち)(よう)(はち)か。「はちをゆらした」は「(はち)()らした」と(おも)うが、()()(はち)」の(おお)きさに(とど)まるのか。「(なみ)」は(はち)(なか)(はち)(そと)何方(いづれ)もか。
「くせもの」は「(くせ)者《もの》」と(おも)うが、()(だん)使(つか)われ()(ひょう)(げん)()る。()えて()(だん)使(つか)()(ひょう)(げん)使(つか)うヿ《こと》で(もと)(もと)(こと)()()()()(べつ)し、()(にく)(ひょう)(げん)()るヿ《こと》を(ほの)めかしてゐると(かんが)えられるか。
「ふぁそら」の「ふぁ」は(とく)()()()いのか。()かんで()()いな。
「つれいる」は「()()る」と(おも)うが、(だれ)()()にかは(めい)()されてゐ()(よう)だ。「(くせ)者《もの》」が相應(ふさわ)しく()(だれ)かを(はい)っては()()()()かに()れて行くのか。「ことよ」は(さき)の「くせもの」と(あわ)せて(えい)嘆《たん》しつつ()(にく)(ひょう)(げん)()るか。
 (おそ)らく()()とした(よう)()()るだろう。「ふぁそら」が(ごと)(ゆる)(あそ)びや、(だい)ヿ《じ》な(よう)()()(のが)したかも()()い。
 (これ)()(じょう)(しん)(てん)(たい)(へん)だ、(あきら)めるか。()(ろく)(のこ)し、(うた)調(ちょう)()()めた。

(ごぉ)(さぁん)
 (くるま)()った(あと)(なに)()ったのだろうか。(ゆう)(きゅう)(きゅう)()()ろうとした(とき)に、(じょう)()から(さい)(きん)(いろ)んな(はん)の社《しゃ》(いん)()()()ってゐて(たい)(へん)だから()れる(とき)()()しいと()われたな、(おお)(かた)てくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》との(こう)(そう)(かん)(けい)だろう。(わたし)(こう)(そう)(えい)響《きょう》を()けた()(のう)(せい)()るのだろうか。調(ちょう)()()()まった(いま)(いっ)(こう)(あたい)しよう。
 (あや)しいと()うか、(しょう)(きょ)(ほう)(てき)()()(まで)でてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》として(かか)わりが()ったとすれば(れい)(あき)(びと)か。
 ()(かんが)えたら、(あき)(びと)(きゃく)()()(ほう)()いだろうに、(ひと)()()(とお)りの、()れも(ちか)()()いと()()(よう)()()(なか)から()()たのは()()だろうか。(むし)ろ、()(にん)()られたく()かったと(かんが)えた(ほう)()(ぜん)()る。(もと)(もと)(れい)()(しょ)()(にん)()られ()(ぜん)(てい)(なに)かをしてゐて、(たま)(たま)(わたし)()ったから(とっ)()(あき)(びと)()(せっ)(てい)にしたとも(かんが)えられる。
 もう(いち)()(わだち)(あた)りを(なが)めると、(うす)(べつ)(わだち)を視《し》(にん)()()た。(しか)(わだち)()社《しゃ》の(とく)(ちょう)(てき)なのと()てゐる。(わだち)(やま)(おく)への(ほう)(こう)辿(たど)ると、(あしあと)()()けた。(あしあと)(さら)辿(たど)って()く。(いろ)(いろ)()(のう)(せい)只管(ひたすら)(おも)いを(めぐ)らせ(なが)()(じつ)(さかのぼ)り、(わたし)()の者《もの》に()()った()()え、()()(あいだ)()って辿(たど)()いたのは、(ゑん)(ちゅう)(じょう)()の○《は》えてゐ()(せま)(くう)(かん)だった。(まわ)りを()(かこ)まれてゐて(みち)から()(なり)(はず)れてゐる(ため)()()(さぐ)りで辿(たど)()ける()(しょ)では()い。()う、(この)(あしあと)()って()たから(あしあと)(はじ)めから()るのが()()(ぜん)で……。
 ……(あしあと)()()だ。(かんが)えるヿ《こと》に()(ちゅう)(あしあと)()(のが)したのだろうか。(いや)(わたし)()(ちゅう)(なん)()()がった、(みち)()かる(あしあと)()ければ()()(あいだ)(せい)(かく)(すす)(つづ)けられ()(はず)だ。では()(じるし)()()(しき)()()けたのか……。(まわ)りを()()ると、(ある)()(あおい)(いろ)(いと)()いてゐる、(いと)(せん)()(かん)(いろ)からして(わたし)()の者《もの》から()()った()(ぶくろ)(せん)()()()かった(もの)だろう。(これ)で、(すく)なくとも(ただ)しい(ほう)(こう)(すす)んでゐたと()かった。しかし、()(みち)()(かえ)しても(わたし)()(あしあと)()るだけで、(ほか)(ひと)(どころ)()()(がい)(もく)視《し》()()る○《せい》(めい)(たい)(おも)(かげ)すら(かん)じられ()い。
 ()(ほう)には()びやかな()(たたず)まいに(あっ)(とう)される。(そら)には()(ぜん)(こぼ)()ちそうな(ほど)(きら)めく(ほし)(ぼし)()るのに、(あた)りは(なん)()(くら)(かん)じる。(むな)(さわ)ぎがして()た。(いま)()ぐに(この)()(しょ)から()()したい。(はや)(かえ)(ため)には(はや)調(ちょう)()(すす)めるんだと()(ぶん)(さと)す。
 (あし)(もと)(ゆき)(てい)(ねい)()ってみると、(ゆき)(もと)から(よご)れてゐる()(ぶん)()った。()(あた)りの(つち)(さら)()る。(まわ)りゟ()(やす)い。()(すす)めると、(つち)(なか)(ねむ)ってゐた(なに)かが()えた。(まわ)りを(さら)()り、(つち)から()()げる。
 (そう)(はく)(はだ)(いろ)をした、(きゃ)(しゃ)(にん)(げん)(からだ)だ。しかし、(うつぶ)せで()ても()()(なか)()()(かん)じられず、(なめ)らかな(りん)(かく)だが、(かた)(つめ)たい(しょっ)(かん)()(つた)わった。(くわ)しく調(しら)べる(まで)()く、(この)()(かつ)(どう)()えた(あと)だろう。(いっ)(たん)(かの)(じょ)()(たい)調(しら)べるのは(あと)(まわ)しにし、()(つづ)(ちか)くの()(めん)()って、(ほか)(なに)か、(だれ)かが()まってゐ()いか調(しら)べるヿ《こと》にする。
 (けつ)(ろん)から()って、(さき)(かの)(じょ)()はせて()(にん)()まってゐた。(ちか)くに()った(もの)(だれ)かの()(もの)()ろう。(みな)(うつぶ)せで()まってゐたので()(まま)(なら)べたが、もう(これ)()(じょう)(この)(あた)りに()()()った(けい)(せき)(かく)(にん)()()()い。()(たい)(おもて)(かえ)して()(たい)()(もの)調(しら)べるとするか。
 (ちか)くの(さくら)(いろ)(かみ)()(たい)(りょう)(うで)(した)に、(そと)(がわ)から(つつ)(よう)()()()む。(ふく)()(ゆび)(さき)()れた(とき)、ぬちゃっと(ねば)(おと)がした。()()(かん)(はん)(のう)した(とき)には既《すで》に(かの)(じょ)(てん)()いてゐた。()(からだ)には、()()かった。(ふく)()()いた(あな)から()()(さわ)った(よう)だ。(くち)(ひら)いてみると、(なか)から(あま)(かお)りが(ただよ)う。(くち)(なか)(のど)()ると、()(かん)(ほう)にも(なに)(こん)(せき)()り、(しょく)ヿ《じ》としては()()(ぜん)()えるからして、()んだ(あと)(なに)かを(くち)から()()まれた(よう)だ。(ほか)()(たい)(おもて)(かえ)すと、()(にん)とも()()かれてゐる。()して、(ほか)()(たい)(くち)(なか)にク《く》レ《れ》ム《む》が(いっ)(ぱい)(はい)ってゐた。()(にん)(ぶん)()(くち)()(れい)にするのは(たい)(へん)だったのだろう。()(かげ)で、使(つか)われたク《く》レ《れ》ム《む》はてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》が(かい)(はつ)したマ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》と()かった。(この)さらさらとした(さわ)(ごこ)()(すこ)(どく)(とく)(ふか)みの()(かお)り、(なめ)らかな(した)(ざわ)り、(こく)(あま)みの()(ゆた)かな(あじ)わい。()(ちが)()い。しかし、マ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》はてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》が(あたら)しく(かい)(はつ)した(もの)で、(いま)()(しょう)(ひん)では(ほか)のク《く》レ《れ》ム《む》と()ぜて使(つか)われてゐた(はず)だ。と()ると、()(たい)にマ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》を()めた――()(ぶくろ)(せん)()から()の者《もの》だろう――のはてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の(かん)(けい)者《しゃ》の()(のう)(せい)(たか)いか。(すべ)ての()(たい)から()()()られてゐたのは、(くち)からマ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》を(なが)()んだ()、から(あたら)しい(しょう)(ひん)(かい)(はつ)(けん)(きゅう)(ちゃく)(そう)()(ため)()ろうか。てくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》はとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》の(かた)()れの(よう)(もの)だ。(わたし)(たち)(さき)(おも)(いた)()た。()(なか)(はい)るク《く》レ《れ》ム《む》は(しょう)()()()(まえ)()いて()かれて()()った(かく)(よう)(さい)()(ばん)(さん)(つつ)()む。()()るが(ゆえ)()(げき)(てき)(さん)(あじ)()けは、(とき)(のが)すと(みづか)らを(こわ)(はじ)める。泡沫(うたかた)(おつ)(あじ)だ。
 ()(たい)()(もの)からとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)(しょう)()()けた。(れい)(ごと)(はじ)めに()()した()(たい)にはとことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》を(おも)わせる()(もの)()かった。と(おも)ったが、(くつ)(なか)(やぶ)られた社《しゃ》(いん)(しょう)(はい)ってゐた。()社《しゃ》の(じょう)(ほう)(えつ)(らん)し、()(にん)(ゆく)()()(めい)の社《しゃ》(いん)(かく)(にん)()()た。
 (この)(はっ)(くつ)(ひん)は、とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》とてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》との(こう)(そう)(かん)(けい)()えよう。()の者《もの》はてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)()()()(たい)(あつか)ってゐて(ひと)()()いと(おも)ってゐたが(わたし)()って()()った、()()()の者《もの》が(はじ)めに(あき)(びと)()()()かったヿ《こと》からして、(さき)(わたし)(すい)()し、(わたし)(けい)(そう)(しょく)(ぶつ)(すく)ない()()(さん)(さい)()りに()たと(こた)えたから、()の者《もの》は(わたし)(たい)して(あき)(びと)(いつわ)って(ごう)(いん)(はなし)(すす)めても(あや)しまれ()いと(はん)(だん)したのだろう。(あき)(びと)(いつわ)って(まで)(ほん)(とう)(こう)(どう)(かく)したのは、()の者《もの》は(わたし)()って(てき)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)だ、(しか)(つめ)たく()った(うち)の社《しゃ》(いん)(よう)()()(たしな)んでゐた。(うら)(かえ)せば(しん)(そう)()()()(ゆう)()いだろう。()の者《もの》からは、()(ぶくろ)(かい)()(なが)(ぐつ)(えり)(まき)()った。()(ぶくろ)()けた(じょう)(たい)()(たい)(あつか)い、(なが)(ぐつ)(あしあと)(のこ)るから、()(ぶくろ)(なが)(ぐつ)(しょう)()(ひん)()る、()れを()(にん)(わた)すヿ《こと》で(つう)(ほう)されても()(かん)(かせ)ぐヿ《こと》が()()る。()(ため)(すこ)()()()()だったのか。(かい)()(えり)(まき)(かん)しては(とく)(しょう)()(ひん)では()いが、(しょう)()(ひん)だけを()(まま)(わた)すゟは(おもて)(もく)(てき)(どお)りの(しな)(もの)(まぎ)()ませた(ほう)()いと(はん)(だん)して(つい)()したのだろう。()うすると()(ぶくろ)(なが)(ぐつ)()(たい)()()わってから()えたヿ《こと》に()る、(よう)()(しゅう)(とう)()る。(そもそも)(ひと)を殺《ころ》す(てい)()では(たい)した(つみ)には()()い。(くわ)えて(まき)(もの)(しゅ)(だん)(えら)ばずとも()()れさえすれば、()()(かん)(かせ)ぐヿ《こと》が()()れば、(うん)(めい)()(まま)に。
 と、(わたし)(すい)()()んな(ところ)()る。が、(けっ)(きょく)()の者《もの》は(わたし)(てき)()()したのだろうか。()の者《もの》に()っては(てき)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)では()っても、(わたし)(こう)(そう)(ちょく)(せつ)てくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)(けん)()るった(おぼ)えは()い。()まる(ところ)(わたし)()さったのはヿ《じ》()なのか。

(ろくぅ)
 (つぎ)()()かりを()(うしな)(わけ)には()()い。(げん)()(もど)るか、(ある)いは(ほか)(あん)を、(いや)()れは()しだ。(かんが)えるのは()免《めん》(こうむ)りたい。(はじ)めの()(しょ)(もど)ろう。(あたま)(いた)い。(かね)(おと)(みちび)(よう)()(だま)する。(こま)ったヿ《こと》に、(この)(かく)されし(もり)(けん)(きゅう)(じょ)から(わたし)(はな)れる(ほど)(つよ)く響《ひび》く(よう)だ。(しばら)くは(だっ)(しゅつ)(こころ)みたが、(あしあと)()く、(つね)()ってゐられ()(ほど)()(つう)がすると()()(ぼう)()()(じょう)(きょう)()()かえ()かった。
 (あきら)めて(もど)って()(わたし)(せん)(たく)()()()かった。()(こう)(はじ)める。(これ)(まで)(じょう)(ほう)から(ほか)(しん)(てん)する(なに)かを(さが)す。
 (たす)けを(もと)める(よう)(そら)(あお)ぐ。(あれ)だけ(にぎ)やかだった(せん)()(うそ)(よう)(ほし)(ぼし)姿(すがた)()く、(いっ)(さい)()()まんが(ごと)()(くろ)(そら)はすっかり(あい)(いろ)(あさ)()けに()()えて(すそ)(あけぼの)(いろ)(なび)かせる。()わりを(おも)わせる(こう)(けい)(もと)で、()()めた(いと)()れた(かん)(かく)がした。
 (わたし)()()(しき)(うち)()(そむ)けて()()()(かん)(ひと)つの()(せつ)として(わたし)(のう)にはっきりと()かび()がって()た。
 ()(まき)(もの)()(まき)(もの)(ねが)いを(かな)えるなんて()(らく)(もの)では()い。()(つづ)けた(さい)()()(おく)(わたし)(もと)(かえ)って()る。
 (ゆき)(やま)()(わたし)を、()の者《もの》は(つい)(せき)した。(わたし)()の者《もの》の(せっ)(きん)()()(まで)()(かん)()から(かんが)えて、()の者《もの》は(わたし)(てき)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)(そく)()には()()()かったのだろうか。(じょう)()(わたし)()ったヿ《こと》を(ほう)(こく)したとかで()(かん)()()()き、(わたし)(てき)社《しゃ》の社《しゃ》(いん)()るから(こう)(げき)(たい)(しょう)としたのだろう、()しくは(わたし)()(たい)(はっ)(けん)する()(のう)(せい)(かんが)えてか。(けっ)()として、(わたし)()の者《もの》の()(くるま)(かえ)(みち)()()かれ、()の者《もの》は(くるま)にて(わたし)()(くるま)()(なり)(そく)()(たも)って(そく)(めん)(しょう)突《とつ》した。(わたし)(けっ)(きょく)(なに)()()()かった()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》(ない)(うん)(てん)(えん)(かく)(そう)()しつつ(くつろ)いでゐたが、(そく)()視《し》()(さい)(げん)(えい)(ぞう)(とお)して(わたし)()()まるが(はや)いか、()の者《もの》は(そく)(めん)(しょう)突《とつ》を()()(まい)した。
 とことこ(あめ)(ひや)社《しゃ》やてくてく(あめ)(ひや)社《しゃ》の(とく)(しゅ)(しゃ)(りょう)()(なか)(おな)(よう)(おも)(しゃ)(りょう)(すく)ないヿ《こと》から()(がい)とひ(よわ)で、()んな(しゃ)(りょう)(どう)()()つかって()()ったら(くるま)(たち)()(とう)(かい)(ひら)かれる。(さら)に、()の者《もの》は()ってか()らでか、(わたし)()ってゐた()(もつ)()(どう)(しや)()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》は()()ろしの(かん)(たん)(ため)(はず)(やす)くて、(じょう)()だが()(かく)(てき)(かる)い。
 (もの)()ヿ《ごと》に(てき)()(やく)滿()()りて、(しょう)突《とつ》を()けた(わたし)()()()()()()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》(ごと)ぐるぐると(まわ)(なが)(あく)(やく)(ごと)()()んで()った。()(しき)()(ちょく)(ぜん)()(えい)(ぞう)では、()の者《もの》は(さわ)やかな(ひょう)(じょう)()かべた(まま)(えい)(ぞう)(じゅ)(しん)器《き》や(どう)(りょく)(げん)()いた(わたし)(くるま)(ぜん)()と、(わたし)()()んで()ったとは(はん)(たい)()える(おか)との(あいだ)(はさ)まれる(よう)()えて()った。
 (ようや)(しん)(そう)(はん)(めい)した(わけ)()るが、(おお)きな(もん)(だい)()る。(はげ)しい(かい)(てん)(しょう)(げき)()()()けた(わたし)は、(とう)(ぜん)()れに()()ふだけ(いた)()けられる。()(おく)(くだ)ける(ほど)()(しょう)で、(わたし)(うご)ける(ほう)()()しいのだ。(これ)(まで)にも、()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》から()(とき)(いま)(かんが)えると()()()(うご)きだった。(わたし)(おも)()んだ(とお)りに()(かい)(かん)(かた)()わってゐる。(わたし)()(かん)だけでは()く、()(はや)()(しき)(まで)もが(わたし)(にん)(しき)()(そん)する。()(よう)なヿ《こと》が()こり()(じょう)(きょう)(ひと)()ってゐる、(ゆめ)だ。
 ()まり、(わたし)(さい)()()(おく)(あと)(ひど)(いた)()けられたが(ゆえ)身體(からだ)(うご)()かったが、()ぬヿ《こと》は()く、(のう)()()めた。()して(わたし)(のう)(いま)(じょう)(きょう)から○《い》き(のこ)ろうと、(うしな)った(ちょく)(ぜん)()(おく)缺片(かけら)(あつ)める(ため)に、(きん)(きゅう)(ゆめ)(よう)(げん)(じつ)(さい)(げん)したのだ。
 ()(じょう)(わたし)()(せつ)()る。(まき)(もの)には(わたし)(ゆき)(やま)からの(かえ)りに()()ぶヿ《こと》が()いて()ったと()(おく)してゐる。(しゅ)()()(かえ)すと、()()りと()()きか、()のヿ《じ》()()(ろく)()()わりに()(おく)()(たん)()()かれてゐた。(すく)なくとも、()(まき)(もの)(わたし)(たい)して(なん)()かの(えい)響《きょう》を(およ)ぼしてゐる。()して、()れに()()いて()()ったと()うヿ《こと》は、(わたし)(ゆめ)から()める(はず)で……。
 (あつ)い。(あつ)い。(あたま)(なか)(すべ)()()きて(しま)いそうな(ほど)(あつ)い。()()がする。身體(からだ)(ぢゅう)(いた)い。(なに)()きてゐるのか(かんが)えようとするが、(あたま)(よう)(だい)(あっ)()する(ばか)りだ。とは()え、(かんが)()(よう)になんて(とて)()()だ。()()くと(まわ)りは(ゆき)(やま)(もど)ってゐた。()()しと(ゆき)()(かえ)しで(まぶ)しくて()(ほそ)()る。だが如何(どう)()(わけ)()(つう)()()()()いでゐる。(いち)(おう)身體(からだ)(うご)くが()え難《がた》い(いた)みを()びた(まま)だ。(だれ)でも()いから(たす)けて()()いか。()うだ、()(わたし)(にん)(しき)()えられる(ゆめ)(なか)ならば。(わたし)(いた)みを(かん)じると(おも)ったが(じつ)は、(じつ)(のう)(いた)みを(かん)じてゐる(ひま)()いと(かんが)えて(つう)(かく)()視《し》し(はじ)める。()して(いろ)()()りの()(はな)()()くされて、(わたし)()()()(ころ)がって(しあわ)せに。……()わら()い。(しか)(あたら)しいヿ《こと》を(かんが)(はじ)めて()()ったが(ゆえ)()(つう)(ひど)()った。(かんが)(つづ)けるヿ《こと》は()()(もの)の、(かんが)えた(ところ)(かい)(けつ)()(よう)()(この)(とく)(しゅ)(じょう)(きょう)()いて、(のう)(せい)(のう)()(かん)(とも)(げん)(かい)()えて(はたら)いて()(ねつ)してゐるのか。(きん)(きゅう)()(ひっ)()(かんが)えようと()(にん)(げん)()(ふだ)(うら)()()(よう)だ。と()うゟ、(わたし)()(だん)(かんが)えるヿ《こと》を()けてゐた所爲(せい)だ。


 已矣哉(やんぬるかな)、もう(せい)(ぎょ)()()そうにも()い。()きて(はじ)めは(かんが)えるのに()(ろう)したのに、(いま)(かんが)()()(よう)()(ろう)してゐる。()(にく)(もの)だ。身體(からだ)(とう)()(そく)()(かい)(てん)する(よう)だ。(みみ)()りがする。()(しき)(とろ)けて()く。
「『()べられる(しょく)(ぶつ)(すく)ないですよ。』」「()()くと()()(とお)くへ()()()った()たいだ。()てる(あいだ)にも(くるま)(みち)沿()って(すす)んで()れたのか。ん、()()如何(どう)()ってゐるんだ。何時(いつ)()にやら(わたし)は、()(わた)(かぎ)(どく)(りつ)した(みち)(くるま)しか()(くう)(かん)(まよ)()んでゐた。(どう)()(どう)()()()まれた()()(げん)(こう)(ぞう)だ。」「(あめ)(まき)(やま)()(ざん)(どう)(さん)(ごう)() (あめ)(まき)(やま)(でん)(せつ)」「()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》からしゅーと(おと)がする。(あし)(もと)(どろ)からはこぽこぽと(おと)がして(あわ)()がって()る。」「『()()()しむな。あんたに()()()って(かん)(じゅ)(なが)らの(いま)(まで)(けい)(けん)はあんたの(まえ)()器《き》として(ころ)がる。あんたが()れだけ()器《き》(よう)でも()()者《しゃ》()()器《き》()(まわ)しとけば()たる(とき)()たる。』」「『()べられるとは(なん)ぞや』」「(まわ)りを()ても()(どう)()()()から()()()びてゐるのか(まった)()から()い。(しか)も、()()ると(まわ)りの(くるま)()んな()きの(どう)()でも()()(よう)(はし)ってゐて、(じょう)()(ぜん)()()(ゆう)()から()()って()く。」「(あめ)(まき)(やま)では、(ふもと)(ひや)()(まち)から(やま)(えら)ばれた(おさな)()(やま)(ささ)()ければ()()い。」「(しょう)(げき)()けて()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》には(きず)()いてゐたのか。()(たい)(とお)()けられる(あな)()いて()()ったらば(じゅう)(りょく)()()(ちから)()(もつ)()(どう)(しや)(よう)()(そう)(よう)器《き》の(なか)(くう)(かん)()えて()()う。(ひと)()(あか)りを()けるか。(わたし)(あたま)(うえ)()った提燈(ちょうちん)()(とも)した蝋燭(ろうそく)()れる。」「『あんたは(うち)(はたら)いてゐる。使(つか)()れた()器《き》ならもう()ってる、(あと)(ぼう)(けん)するだけだよ。』」「『(すく)ないとは如何(いか)(よう)か』」「(やま)(おく)大人(おとな)()れて()き、(あめ)()いて大人(おとな)から(ちゅう)()を逸《そ》らし、大人(おとな)()(ども)()()りにして(やま)(なか)()(そな)えする。(あめ)(まき)(やま)()(ざん)(どう)()()んでゐるのは()(ため)だ。」「(おお)きくて()(まる)(つき)()()きた。(わたし)何時(いつ)から()()にゐるんだろうか。(わたし)(これ)から如何(どう)()るのだろうか。(わたし)()()では(うつぶ)せから身體(からだ)(ほとん)(うご)かせ()くて()()がれ()い。(いた)みは()いのだが、()()にゐると(むね)(おも)(くる)しい。(わたし)(さい)()(たか)()(はな)(たち)(よこ)()()(なが)(おも)う。(しあわ)せだ。」

追憶と看過のルラード

追憶と看過のルラード

【閑散とした長い夜にどうぞ。】濃厚でゐて纖細な漢字達の織り成す追憶と看過の生地に、たっぷりの小ネタと少々の香辛料を練り込んで卷き上げました。 作:蒾沙狐雪󠄁

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-03

Copyrighted
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