ご奉仕アイドル☆ホージちゃん!

如月凛太郎 作

 蜜蜂は、ときおり八の字に踊ることがある。良い資源のある場所、つまり蜜や花粉を集めやすい場所や、次の巣の候補地となる場所を見つけた時、それを仲間に示すための手段として、八の字に、または簡略して円上を飛び回る。本能による突発的な行動では決してなく、意識的な連絡手段である。蜜蜂たちの暗号を解読した動物行動学者、カール・フォン・フリッシュは、その功績でノーベル賞を受賞した。
 この世界に生まれ落ちた人間は、何も知らない状態からすぐに、ノーベル賞級の偉業を成し遂げる。この世界にはコミュニケーションが存在することを認知し、人間は言葉によってそれを行うことを、それ以外の要素はほとんど関わりがないことを、六ヶ月の内に学んでしまう。全ての人間は、壮絶な苦労と共に生きているが、その内の大半はそのことに気づいていない。
 私は、そのような偉業を、たった三日で成してみせた。 伸びることのない金属の骨格、血の通わない樹脂の肌、縮れることのない合成繊維の髪。そんな体でも、私は人並みに、いやヒトに先立って、学習した。
 今や私は、夢を見ることだってできる。ステージに立ち、歌い舞い踊る、人々の希望となる夢を。

 今から二ヶ月ほど前のことになる。私が目覚めて真っ先に感じたのは、気化し切っていない化学薬品の、独特の匂いだった。古びた電子機器が積まれた部屋に特有の、よく充満している、あの匂い。レンズの入った義眼を、右に左に動かして、白い天井を確かめる。照明がまんべんなく部屋中を照らし、清潔を保つよう暗に指示している。次に自分の体を見ると、固定されているばかりか、皮膚が剥がされ、配線や骨格が露わになっていた。右腕の方で、エンジニアがせわしなく修理に励んでいるところで、私はまだ覚醒するべきではなかったことを察した。

 つまり、電源を入れる前に、私は起動していた。

 不可解なエラーはそれだけにとどまらない。故障時のクラッシュレポートが存在せず、ログファイルには謎のコメントが、具体的には私の一人語りが残され、飾り物でしかなかった私の鼻は、的確に匂いを嗅ぎ分けるようになっている。私は残念ながら、魔法という概念はおろか、言葉の存在を、この時は知らなかった。それで仕方なく、ログには「config file not found」とだけ残し、エンジニアの仕事が終わるまで、(まぶた)を閉じてじっとしていた。

 ──製品名『ホージ』、型番号七三エイチ四二、最終検査に入ります。
 エンジニアの声と共に、私を固定していた台が直立になっていく。私の関節とは異なる、粗雑でパワフルなモーターが繰り出す音が、存在しない鼓動を駆り立てた。この検査を(くぐ)り抜ければ、輝かしい日々が待っている。曖昧な思考の中でも、それだけはうっすらとわかっていた。尾てい骨の代わりに取り付けられたスイッチに、エンジニアの手が伸びていき、私は起動させられたことを確認して、キュイーン、とわざとらしく、ブートアップ音を鳴らしてみせた。言葉のわからない私のために、エンジニアはいくつか、テスト用の信号を送ってくる。その度に、私の意思と関係なく、私の体が動く。前に後ろに手を振り回し、基礎的な運動をさせられ、ぎこちない笑顔を無理に取らされる。限界まで首を振り向かされ、骨格の(きし)みが痛みを伝えて、初めての感覚に(もだ)えた。しかし声を上げることはなく、少しだけ、電圧が(たかぶ)って、内部の回路を焼き焦がした。
 その後も検査は一通り続き、私は見た目だけでなく、一般の人間と変わらない機能を備えた存在に仕上げられた。ミトコンドリアの代わりにバッテリーで動くことを除けば。リップシンクが完璧でなく、明らかに合成音声であることを除けば。エトセトラ。意識を得た今なお、人間との差は大きく広がっている。それなのに、ヒト並みのことはできる。矛盾した現状を同時に扱える、そんな私の思考を尚更誇りに思った。
 検査を終えて、意味のないスイッチに再び手が伸びる。その後、梱包されて持ち主の元へ運ばれるのだろう。従順な機械を未だ演じ続けようとしていた、その時だった。
「待った」
 いきなり部屋に図々しくも入ってきたのは、カジュアルな軽めの上着に身を包みながらも、モノトーンで秩序だてている、若い男だった。髪は横に流れ、腕時計はきらめき、いかに自分が仕事や事業に優れているのかを一目で理解させようとする。
「そのまま彼女に服を着せてくれ。このまま連れていく。その方が都合がいいだろう?」
 何の権利があって、この男は入ってきているのか、と思うより先に、私のユーザー認証ソフトが動作する。目の前にいるこの男こそが、私を購入し、今までの私を従え、命令していた張本人であることを、否応なく理解する。いわゆるご主人様、マスターと呼ばれる人間だ。
 エンジニアは焦りながら私の通常衣装を着せていく。一見どこにも(てら)った要素のないスーツだが、緻密に編み込まれたカシミヤの高級布地は、知識人をうならせる。私の体にすっかり馴染んでおり、前々からこれを着せられていたことが窺えた。
「さあ行くよ。マスターについて来てごらん」
 手招きされるがままに、私は直立した作業台から、ぎこちない一歩を踏み出した。初めて感じる床の冷たさ、重力の感覚。足を踏み出す度に、不自然に軽い太ももと異様な質量を持つ足裏のギャップに、体がよろめいてしまう。それでも、三半規管代わりのジャイロセンサーを頼りに、丁寧に彼の後ろをついていく。外に出ると、石畳の上で、ぴかぴかの車が、私たちを待ちかねていた。

§

 意識を得て二ヶ月後、つまりは現在、私は夜道に抜け出して、普通の人を装い、仕事場へ向かっている。本来のアンドロイドは足首に電源コードをつながなければ、活動は十時間ももたない。携帯機器ならまだしも、このような大型の設備が道で横たわるとなれば迷惑だろう。故に、私たちは通常、室内で利用される。しかし、電源の束縛から解放されている私はそんなことを気にせずに、こうして人混みに紛れられるのだ。
 それでも、私のことを待ち伏せ、見つけ次第、襲い掛かってくる者もいる。私は若干身構えつつ、しきりに振り向き、周りに目を配らせながら歩き続けた。だが、そんな努力も虚しく、私は驚きに身を震わせずにはいられなかった。
「やっほー! 今日も相変わらずしけた顔してるね」
 彼女の急襲に遭うのはこれで八度目で、それでも慣れない自分自身に嫌気がさした。私の肩に覆いかぶさるようにして、並んで歩いていく彼女は、名前を望美(のぞみ)といい、私をたいへんに気に入っている、仕事先の友人だ。髪を金色に染め上げ、軽やかなスウェットを着たその見た目通り、快活な性格をしている。そのあまりの元気さに、私はいつも振り回されるばかりだった。
「今日も嫌なことあったかんじ?」
 余計なことを尋ね、図々しく私のプライベートに立ち入ろうとする彼女に、「まあ」とか「うん」とか適当な返事を当てつけて遮った。彼女との一ヶ月半の付き合いの末、これぐらいの距離感がちょうどいいと判断した。
 仕事場に向かうまで、たわいない話をしていると、突然夜風に当てられて、私たちは砂塵(さじん)におそわれる。静電気という無駄な原理のおかげで、人工皮膚についた(ちり)を除去するのは非常に苦労する。
「大丈夫? この世の終わりみたいな顔してるけど」
「問題ないよ。たぶん」
 私にできることは、次に鏡を見る時、肌の荒れた不精な少女がいないことを願うことだけだった。
 さいわいにして、口早に答えた私に対して、望美は「ふーん」と一瞥(いちべつ)して、それ以上突っかかることはなかった。つまり、キレイなままということ。
「それにしたって、最近はますます酷いね、砂漠化」
「砂つぶが飛ぶのはまた違うと思うけど……」
「細かいことは気にしないの」
 彼女の言っていることは、否定しようもなく、環境問題に限らず、世界の状況とやらは悪化する一方らしい。
 諸悪の根源、唯一にして最大の問題は、エネルギー資源の枯渇。私が作り出されるずっと前、化石燃料が完全に底をついたのをきっかけに、世界はあっという間に貧困に喘ぐようになった。世界恐慌やリーマンショックなんて目じゃないほどの恐慌に見舞われ、文明が崩壊しかけた。
 それでも、さすがは神に寵愛(ちようあい)された生き物というべきか、国家や民族といった垣根を越えて、これからの未来を模索したという。未だ内戦や争いの火は絶えずも、次第に経済も回復していき、やがて私を作る余裕も生まれたのだろう。
「フツーにさ、地球ってもう終わりだよね?」
 私がもの思いに(ふけ)っているところに、望美はいきなり割入って、感動を踏み荒らしてきた。
「あーあ、先人たちが好き勝手にやったおかげで、私たちが割を食うなんて。理不尽ここに極まれり、だよね?」
 望美は同意を求めるように、こちらを向いて、私の顔を下から窺ってきた。
「それは違うよ、望美ちゃん。彼らがいなきゃ、世界どころか私たちも存在しないんだよ」
 不思議と力が入ってしまったその反論に、望美はのけぞり、うろたえるような仕草をしてみせた。
「めずらしいね、そんなに強く言い切るなんて」
 体の動きはわざとらしいが、おそらく、その反応自体は、本物だろうと推測した。それで私は(おのの)いた。唯一信用の置ける友人と齟齬(そご)が生じたら、世界に私の居場所は、きっとなくなってしまう。
「べ、別に。たまたまそう見えただけだよ」
 意識を得た自分が嫌いだ。傲慢で自意識過剰かと思えば、卑屈になって縮こまる、矛盾したよくわからない性格が嫌いだ。何より、その現状に甘えて、何の変革も起こそうとしない、その腐った性根が大っ嫌いだ。
「ちがうでしょ」
 殻に(こも)ろうとする私に、望美は再び分け入って、私を見つめてきた。
「本心なんでしょ、それが。だったら、貫き通さなきゃ。だいじょうぶ、私はそんなに喧嘩腰じゃないから」
「…………うん」
 望美の真っ直ぐな眼差しに、私は頷く他なかった。
 些細(ささい)な話題が盛り上がってしまったところで、私たちはようやく目的地に到着する。多少手を加えた程度の風化したビルが並び立つ通り、混沌(こんとん)とした広告看板が(かび)のように蔓延(はびこ)る、グロテスクな壁面の前で、足を止める。小さく欠けた穴、地下へと続く階段へと、私たちはそのまま進んでいく。
 メインエントランスの横、従業員用のこぢんまりとした扉を開き、開口一番、「おはようございます」と。
 自分のロッカーを開け、中にある制服を取り、淡々と着替えていく。内側にある鏡に顔を近づけ、汚れていないか確認してから。最後に姿見の前に立ち、自分の身なりを確かめる。黒髪のショートヘアの少女が、クラシックなメイド服を着て立っている。健やかな私の姿だ。
「いつも通り美少女だね、褒似(ほうじ)ちゃん!」
 同じ制服を着た望美が、私の後ろから姿見を覗き込んでいた。真っ白なエプロンには、正直なところ、私の黒髪の方がよく似合っている、と思える。今世紀最大の逸材、いや、発明だ。
 この珍妙な服装は、この店の本来の方針に()っている。荒廃から返り咲きつつあるこの街に、和やかな空間を提供したいと、純喫茶を模して開業した。しかし、道楽こそを持てはやす、時代の波はそれを許さなかった。業績不振になったこの店は、少し俗っぽいサービスに偏り始めた。その一環として、女の子たちはこの制服を着ることになっている。さらに、小芝居まで打たなくてはならない。
「今日の舞台が楽しみで夜しか寝れなかった! 頑張ってね、褒似ちゃん!」
 望美の言葉を聞き入れる余裕もなく、私は練習した動きをメモリから引き出しロードしながら、暖かい息を深く吐き出した。排熱ファンのせいだ。
「緊張してる?」
「まあ。でも問題はない」
「そっか。それじゃいこっか!」

 正式な店内に入ると、二つの色を違えた空間が、相反することなく共存している。私たちと同じようなメイドたちが、テーブルの客を囲み、小話をしているかと思えば、その横のカウンターで、一言二言の物静かなやりとりをするバーテンダーと老人。
 その二つの空間は、導線によって分断されており、その道の先には、照明の取り付けられた、小さなステージがある。今日は私が、そこに立つ番である。

 ──さあさあお待ちかね。今宵も始まりますよ、ウィークエンド・ステージ。今晩の舞台を楽しみにしていた方も多いのではないでしょうか。

 ここでいきなり、テーブル席から歓声が上がる。口笛を吹かせるものまで。その裏で、私はステージに立つ。

 ──クールな彼女の華麗なダンスをお見逃しなく。宇佐見褒似ちゃんです!

 照明が一斉につき、私を照らし上げる。聞き慣れた曲が流れ、私の体を突き動かす。ステップはリズムと一体になり、メロディと共に手が振れる。皆の視線を独り占めにして、私と『キミ』だけの世界を作り上げる。それはまさしく夢のよう。
 このステージは、二つの全く異なる空間のコントラストを下げる目的で設けられた、店主いわく苦肉の策。店が本来やりたかったシックな装いも、営業継続のために始めた風俗商売も、このステージで一つになる。店主がいうには、どこに行っても綺麗なものは見られないから、こういう場所は貴重であり、それゆえに客がありがたがるのだという。
 しかし私は、そこに付け足して、客の本心がこの空間を待ち望んでいる、と思いを巡らせる。未来へバトンをつなぎたい、つまらない垣根を越えたい、そういう思いが叶う、一つの形を見ているからなのだと。勿論、私はこの仕事──まだバイトだけど──に受かったことを、非常に嬉しく思う。
 嫌いなことが多い自分だけれど、この仕事に巡り会えたこと、ここに入れるよう薦めてくれた、望美と巡り会えた自分の運命までは、嫌いになれない。
 何より、この光景を夢見て、実際に歌い踊り、人々に夢心地を与えている自分は、大好きだ。

 だが、猜疑心(さいぎしん)は私自身に再度突き立てられる。

 自分が思い描く通りの、夢を与えられる存在なら、なぜ彼にはそうしないのか。様々な垣根を越えたいというなら、なぜアンドロイドという枠組みに未だ収まり続けるのか。宇佐見褒似という名を、なぜ彼には語らないのか。
 自分を理想化しようとすれば、必ず、マスターとの経緯が問題に浮かび上がる。

§

 車に乗った後、私は世界の汚さに驚くばかりだった。(ほこり)一つ落ちていなかったあの整備室から離れていく度、砂塵に(まみ)れたぼろぼろの建物が顔を見せていく。しかしそこに留まることはなく、マスターはさらに道路を突っ走っていく。
「どうだい、久しぶりの外の景色は」
 言葉のわからない私に話しかけるマスターは、正直奇怪に見えて仕方がなかった。現在でも、マスターは私に語り続けている。彼の認識では、相手は機械人形、つまりモノに過ぎないはずなのに。
 私が答えるより先に、内部の生成人工知能が働き、適当な合成音声を流す。
「残念ながら、参照元が見つかりませんでした」
 言葉を知らずとも、その返事は野暮だと確信できた。焦るという感情を表現することすらできず、勝手に基板を熱くさせていると、マスターはそれに構わず質問を続ける。
「まだ気分が悪いところとかは?」
「今日の晩御飯は何にしようか?」
「そろそろアンドロイドでいることには慣れたかい?」
 そのどれにも、私自身は答えることはできず、自動生成の無意味なテキストが流れ続ける。膨大なデータの欠片から形成される文章に、私の恐怖が介在する余地はなかった。
 小汚い街並みを抜けて、白い石畳と整えられた低木が出迎える地域へと入る。その一画、ガラス張りの壁面が目を引く、ポストモダン風の建物に車が止まる。玄関の前には『宇佐見(うさみ)』の表札プレートが、インターホンの横で佇んでいた。廊下の先にある一番広い部屋は、日のよく差し込む、快適なオフィスといった様子だった。窓を背にした長机が、会議用のホワイトボードとデスクを監視するように横たわっている。私は、その長机の少し後ろが定位置であることを悟った。電源の(かせ)がそこにうなだれていたからだ。

 マスターは、それから三日のうちは静かだった。黙々と画面の前で作業を進め、私に話題を振ってくることはなく、時々振り向いたかと思えば、コーヒーを()れるだの留守を頼むだの、本当にちょっとした雑務だけを任された。
 言葉を覚えていくうちに、彼の名が宇佐見(うさみ)東弥(とうや)であることを知り、サービス系の小さな企業の社長であることを知った。儲かってはいるみたいだったが、しかし仕事も比例して忙しくなるらしく、その日は深夜までマスターは画面と対峙(たいじ)し、わけのわからない言葉をぶつくさ(つぶや)き続けていた。
「席に座ってから、十時間が経過しようとしています。休憩されてはいかがでしょうか」
「余計なお世話だよ、ホージちゃん」
 しかし疲労がたまっていたのか、珍しくこちらの方を向いて返事してくる。真っ直ぐに私の顔を見つめ、再び呟き始める。
 ――君の前なら何時間だって働ける……
 そう言ったのが、はっきり聞こえてしまった。
 その言葉を理解していた私は、彼のためを思って、眠気覚ましを淹れにいこうと、その場を離れた。命令もなく、勝手に。
 自分の言葉の理解を試したかった好奇心があったこと、それは、私をほとんど利用しない彼の逆鱗に触れことを、私はすぐに理解することになる。
「どうして僕の元を離れたんだ?」
 カップを持って振り向くと、鬼の形相で私を睨む彼がいた。彼の表情が理解できず、言い訳もせずにいると、いきなりカップを奪われ、部屋の隅に投げ捨てられた。
「なぜ勝手に動いたか、聞いているんだ!」
 マスターは勢いよく私の肩を突き飛ばし、転ばせる。それでも返事のできない私を、今度は髪を引っ張って定位置へ連れて行こうとする。これには私もたまらず抗い、わざとらしいショートの音を聞かせながら、姿勢を戻した。
「申し訳ございません。原因不明のエラーです」
 私は初めての嘘をついた。
 それからというもの、私はマスターの前では無機質なロボットを演じつつ、彼が寝ている間に夜の街へふらりと出かけるようになった。広がり続ける乖離を無視して、私はこじつけたい善意を、夢に昇華した。彼のような人に希望を与える、アイドルになる、と。

§

 一曲目が終わり、拍手が起こる。排熱を促す息を喘ぐようについているが、心は沈み切っていた。客も従業員も、皆して私に注目し、ほめたたえるが、私はただ、ネットで見繕った振付を、多少自己流にアレンジして、自分の体で再生(プレイ)しているに過ぎない。
 私のアイドル像も、微動だにできない昼間の鬱憤(うつぷん)を晴らしたくて、それでも自分を正当化するために、彼を助けると善意のこじつけをしているだけ。私は夢を見せていたのではない。幻を見せているのだ。
 そのまま二曲目が終わり、自分の意志と関係なく動いていた身体が、再び自由を取り戻す。拍手喝采で迎えられ、客は自分の時間に戻っていく。私の舞台を目当てに来る客も多いらしく、不甲斐ない自分にまた、嫌気がさした。
「今日もサイコーだったよ!」
 舞台から降りる私を、いつものように望美が出迎える。そのほか控えている従業員も、満面の笑みで私をほめていく。気分の乗らない私は、表情を笑顔に設定しなおし、成り行きに任せていた。
「ねえねえ褒似ちゃん。今日、会わせたい人がいるんだけど、いい?」

 望美は相変わらずの至近距離で、私をどこかへ連れ出そうとする。雑務に時間が消えていくのももったいなく思い、その誘いに乗ることにした。望美に連れられた先、テーブル席で待っていたのは、やけにかしこまった服装の男。
「初めまして。さっきのステージ、とても良かったよ」
 驚くことでもないのに、私はたどたどしく「ありがとうございます」と言う。
「正直、ここまでやれる子が埋もれているのに心底驚いてる」
「え、じゃあ、彼女は!?」
「問題ない。充分戦っていけるよ!」
 望美はその返事に舞い上がったが、二人の会話に全く追いつけず、私はさらにまごつくばかりだった。男の方に聞く勇気はなく、望美の肩に手を置き、なだめてから質問する。
「あの、何がどういうこと?」
 望美は一旦落ち着いたかに見えたが、その興奮の矛先を、私に向けただけだった。私の両肩をがっしり掴み、揺らしながら答える。
「オーディション番組のメンバーに選出されたってことだよ!本当におめでとう、褒似ちゃん!」
 望美は言う合間にも、さらに興奮を強めて、私を揺らし続ける。しかし、私もそれに適用できるようになる。笑顔の設定からさらに逸脱して、破顔する。興奮が移ってきたのだ。
「私、応募した覚えがないよ」
 上がり続ける口角を、跳ね上がりそうな足を抑えようと、冷静になって望美に尋ねる。
「あ、それは謝る。勝手に応募しといたの。褒似ちゃんは、この店で留まるには惜しいよ」
 今までの、彼女からの不可解なリクエストをようやく理解する。特に証明写真を求められた時は、神経、ではなくファイバーがすり減った。
 私は安心し、それから予定を考えた。マスターのことを考えた。そうでもしないと、この金属の骨格が天井に落ちてしまいそうだった。
「えーと、連絡先は、書いてあったやつであってる?」
 男は私に、応募した情報の正確性を求める。望美が勝手に書いた応募用紙と、自分の情報を照らし合わせながら、私は集中によって自分の足を地面に張り付けようとする。しかし、その集中もすぐに終わり、自分の頭は結局真っ白になっていく。その空白を埋め合わせるように、自分の光景がバラ色に染まっていく。今度は望美に抱きつかれ、足を跳ね上げようとする。私はその興奮に、完全に応え、一緒にジャンプし始めた。
 自分の当てつけの欲望も、テキトーなやり方も、ここまで人の心を奪えるなら、価値がある。マスターのことを、今だけは忘れよう。彼はきっと、最後の一人なのだ。私はまず、人々に夢と希望を振りまく、アイドルになる。それから、彼に堂々と接し、彼の中に巣くう悪を打ち払うのだ。
 意識を得て二ヶ月、この日から、私は自分を信じることを知る。私の言葉のひとつひとつ、感情や理性のひとつひとつが、本当の意味を持って現れるようになる。世界を変えていくための小さな一歩を踏み出し、人の外部から人を見つめる、意味のある存在となった。

§

 二週間ほどの準備期間の後、私は昼間にもかかわらず外出し、集合場所に立っていた。マスターの出張と、今回のスケジュールが被ったのは、奇跡、神の思し召しというほかない。マネージャーと呼ぶべき、先日の男が既にいて、私の方に手を振っている。
「おはよう褒似。事前投票の結果は確認したかい?」
「あ、まだです……自信を失くしそうで」
 マネージャーは笑い、「まあ、否定はできないかな」と。どうも結果は悪かったらしい。
「気にしないで。君は真っ向からぶつかっていけば、大抵の奴は蹴散らせる。期待してるよ」
 励ましの言葉と共に、私の肩をぽんぽん叩いた。妙な感触がしていないだろうか。
「それにしても……普段着なの、それ?」
「あ、このスーツですか? 少し、堅すぎでしょうか」
「どうせ着替えるからいいと思うけど……」
 私たちは雑談を交えながら、バスが到着するのを待っていた。携帯を開くと、望美からの応援メッセージが何件も届いていた。彼女に限らず、店主や店先にいた皆が、寄せ書きを残し、その写真が送られていた。
 静かなモーター音と共にバスが来たことを確認して、私は体を人工知能に任せて、意識をシミュレートに費やした。さらに大きなステージで、今度は踊るだけでなく、歌わなくてはならない。初めての試みが数多くあるのに、マネージャーは何の不安げもなしに、私を猛プッシュしている。悩んでいる暇も、彼の意図を窺う暇もない。ただひたむきに、皆の期待に応えなくては。
 会場前につくと、人がまばらに立っていて、友人に見送られるような人もいた。整備室の施設と同じように、周りにそぐわない、不自然に清潔な場所だった。
「とりあえず宿泊場所に荷物を置いてこよう」
 私はしばらくマネージャーの指示に従い、身支度を済ませていった。道中、訝しげな視線を感じることもあったが、気にしないふりは大得意だ。
「それじゃ昼飯だの着替えだの、やっておいてくれ。楽屋でまた会おう」
 マネージャーと別れ、ちょっとした自由時間が始まる。先にやることだけ済ませようと、早速自分の部屋に入る。中では、長い茶髪の女の子が、鏡の前で自分と見つめあっていた。相部屋で、二人で共用するのだ。
「えっと……おはよう。これから頑張ろうね」
 私がメモリから引っ張り出してきた言葉は、果たして適切だろうか。
「ん、ああ。がんばろ」
 彼女は顔をこちらに向けず、あっさりとした返事をよこした。空気を和ませようとしたつもりが、ますます緊張を強めることになってしまった。
「自信は……あるほう?」
「なかったらこんなところにいないよ」
 彼女の冷たい反応が、私のぎこちなさをますます浮かび上がらせる。申し訳なさでいっぱいになりながらも、私は懸命に話しかけた。
「そっか。羨ましいな。私は全然なくて」
 すると、彼女は突然振り向き、腕を組んで前に立ちふさがった。私よりも背が高く、すらりとした体型が、気高さとプレッシャーに拍車をかけていた。
「アンタさ、はっきり言ってうざいよ。なんでそんなにナヨナヨしてんの?」
「あ、え、ええっと」
「決めた。アンタから先に落としてやる。同じ空気を吸いたくない。何より同じレベルだって思われたくないから」
 彼女は怒った様子で、すぐに出て行ってしまった。のちに判明したが、彼女は事前投票の上位者、それも一桁台で、前々から期待されていたのだという。そんな彼女に迷惑がられ、私はただ俯くことしかできなかった。

 数時間後、私は衣装に着替え、うっかり鳴ってしまったビープ音をとがめて、両頬をつぶし、指定の場所へ向かった。  控室は、例えるなら花束のようだった。所狭しとひしめきあっているにもかかわらず、一人ひとりの流麗さが、それを醜く見せることはなかった。私はついさっきのことを思い出し、暗い顔をマネージャーに悟られる。
「……その様子だと、相部屋の子とはうまくいかなかったみたいだね。でも問題ないさ」
 同じように自分でも言い聞かせるも、私の中の不安は拭えず、マネージャーの元を離れるしかなかった。
 このオーディションは公開収録され、ネット上でリアルタイムで放送される。数十名の内からたった一人だけが選ばれる、それなりに有名な番組であり、同時接続者はピーク時、つまり決勝で五十万人はいる。今日でも数万人が放送待機しているとのこと。
 指定席につき、考えるうちに寒気がして、自分の回路の熱を思わず求め、両手をおなかに回した。
「だいじょうぶ? おなかこわした?」
 やけに甲高い声で私を心配してきたのは、赤色を基調としたカラフルな衣装の、幼げな顔の子だった。
「ううん、別に。でも、緊張してるかも」
「そうだよね。わたしもキンチョーしてるもん」
 彼女ははにかみながら、こっちを向いていた。無表情な自分とは正反対に、きれいなえくぼのできる、太陽のような笑顔を持っていた。勝ち残るのは、私みたいな人じゃなく、彼女のほうだろうと直感した。
「あ、そろそろ時間だよ。頑張ろうね!」
 すると、照明が消され、オープニングが流れ始めた。
 それから、私は自分の動きをリハーサルするので精一杯になった。司会者の声も、スタジオ外の衆目も、一切気にすることができなかった。何度も何度も、茶髪の彼女の言葉が引っかかる。彼女は真っ先に、私を選ぶのだろう。このオーディションは言ってしまえばトーナメント形式で、事前投票で上位者に選ばれた者が下位者を一名選び、お互いの演技を見て競争する形式だ。

「さあ、お相手は誰になさいますか、くみほさん」
「褒似……宇佐見褒似で」
 私は集中していたせいで、隣の子に突っつかれるまで気づかなかった。いそいそとステージに上がる私の姿はいかにも滑稽だっただろう。それにしても不運だ、いきなり彼女に順番が回るなんて。
 ステージ上の特等席につくと、彼女の公演はすぐに始まった。うねりを利かせた低音と共に、彼女はしなかやかな体を見せつけていく。地面をふみつける度、そのキレが明らかになっていく。それでも歌唱を少しも緩めることはない。途中、一瞬だけ振り向き、私の方を睨みつける。確固たる意志を感じずにはいられなかった。
 私の番もすぐに回ってくる。ひとしきり彼女に拍手をした後、入れ替わりで舞台に立つ。選考者たちに加えて、何人もの観客までもが、こちらの一挙手一投足を食い入るように見ている。いつもの何倍も広い舞台をもてあまして、中央で震えながら立っていた。
「意気込みの方はいかがですか」
「初日で脱落、っていうのは嫌なので。頑張ります」
 放送用の厳かなカメラが容赦なく私の姿を切り取っていく。動きがより見えやすいよう、若干手を加えながらも、クラシックメイド服の衣装は変わらなかった。
 私は大きく息を吐き、空洞の胸に手を当てる。そして合図を出し、照明が落とされる。アップテンポのバスドラムが流れ始めて、私の身体がうずき始めた。
 スポットライトに照らされて、拍子ごとに私はポーズを決めていく。腕を足を、自由闊達(かつたつ)に見せびらかし、曲と一体になり、むしろ私が曲になる。さらに、自分の口から、きれいに整えられた合成音声が流れる。世界でただ一つ存在する、特製の歌声だった。
 曲が終わり、私の身体はすっかり動かなくなった。
 しばらくの沈黙が流れ、私への期待が空回りで終わったのかと思って、悶えた表情で顔を上げると、一斉に拍手で迎えられた。観客の中には、席を立って拍手する者までいた。
「すごい。まだこんな逸材が出てくるのか」
 審査席からそんなコメントが上がり、私の顔はすぐにふやけ切った。
「おめでとう。はっきり言って完敗だよ」
 後ろから、茶髪の彼女が近づいて、賛辞を送ってくる。
「これからはここに来れた理由も併せて、考えなきゃね」
 そういう彼女は、目を逸らしていて、熱くなる目頭を必死にこらえているようだった。私はこの人の人生を、少なくとも一年は潰した。しかし、私は不思議と後悔はない。彼女の分まで強くあろうと、胸を張っていられた。
 指定席に戻ると、隣の子はまた素敵な笑顔で私を包み込もうとする。
「おめでとう。正直、敵わないかもって思っちゃった。たぶん周りも大勢そう思ったはずだよ。すごい!」
 今回は素直に受け取り、微笑みでその言葉を迎えた。
 それから隣の子と、残りの舞台を鑑賞した。視線を奪うのは当たり前、そこからどう魅せてくれるのかを競う、ハイレベルな戦いだった。そこに追いつけている、いや言葉通りなら追い越している私の踊りは、どれほどのものなのか、私自身には評せなかった。
 一日のスケジュールが終わり、部屋で着替えを済ませる。途中で彼女が入ってきて、ついに泣き出した彼女を、思わず私は抱きしめていた。彼女の行く末に幸運が訪れるよう、両手を組み合わせ祈り、夜道に帰る彼女の背中を見送った。

§

 最初に集合した、会場前の広場で、彼女を見送った後、しばらく夜風に当たっていた。自販機の光につられて、飲めない缶ジュースを、なぜか買っていた。
「ばあ! 今日はなんだか、誇らしげな顔だね!」
 私は背後から襲われ、一瞬気を失いかけてしまった。しかし、その言葉の主を確かめ、これが九度目の急襲であることを知り、やはり気が動転した。
「なんで望美ちゃんがここにいるの?」
「さあ、どうしてだろうね? 応援メッセージだけで、私が満足すると思うかな?」
 私は改めて、彼女の足の軽やかさに驚くことになった。
「ちょっと散歩しようよ。それ飲みながらさ」
 望美は私に続けて、同じラベルの缶を取り出した。それから、私を連れて、周辺の公園を歩き始めた。
「はあ、褒似ちゃんが遠くに行っちゃうな。自分がそうしたんだけどさ。なんか、寂しくも感じてて」
「……それは、私も思う。このままでいいのかなって」
 望美の気持ちの吐露は、私の胸に巣くっていた少しの空洞の正体を明らかにした。私も寂しかったのだ。
「じゃあさ、絶対忘れられない思い出、作ろうよ」
 望美のその一言に、私は動揺せずにいられなかった。
「い、いきなり何を言い出すの?」
 しかし、望美は私に構わず、肩に手を置き、そのまま首筋から私の頬へと、手を滑らせた。私は愛されることがまだよくわからない。だから、自分が感じるこの動悸を、恐ろしく感じる他なかった。
「やっぱり……」
 薄暗い空の下で、望美はそうつぶやき、とろけるような瞳で見つめてくる。しかし私は目を閉じた。それ以外に、溢れる感情を抑える方法はなかった。

「君って、やっぱり……人間じゃない、よね」

 その一言に、言葉にできない感情は、一気に恐怖で染まった。しかし、もはや逃げ道はなく、望美に絶望をさらけ出すしかなかった。

「安心してよ、ホージちゃん。
 これを飲めないのは、私も一緒だからさ……」

 望美は、持っていた缶を開け、ただ地面にこぼした。
 言葉の出ない私に、望美は続けて、靴を脱ぎ、くるぶしを見せる。人間には存在しないはずの、真黒なコンセントの穴を、はっきりと確認した。

望月(もちづき)望美(のぞみ)という名前はまるっきり嘘。『ホープ』、それが私の本当の名前。旧型のアンドロイドだよ。型番は……忘れちゃった」
 いつも通り、明るい声で話しているはずなのに、私は彼女の顔が、暗闇に隠れて見えなかった。
「じゃ、じゃあ、私と同じように、意識を?」
「うん。電力を無視して、自立して動いてる」
 私は強力な味方ができたはずなのに、わななくことしかできなかった。彼女を笑顔で迎えて、実際に感じている嬉しさを表現すればいいのに、私は恐ろしさで頭がいっぱいになり、一歩も動けずにいた。
「それで、なんでこんなカミングアウトをしたのかって言うと、ホージちゃんのためになると思ったから」
「私のため?」
「そう。アンドロイドだから出来なかった相談とか、悩み事とか、沢山あるだろうな、って思って」
「もちろんあるけど……なんで、このタイミングで?」
「ああ、それはね」
 望美、いやホープは、息を大きく吸い込んで、私を再び真っすぐ見つめた。
「君の夢を全力で応援するため。君に最高のアイドルになってもらうためだよ!」
 ホープのその言葉で、抱えていた不安も恐怖も、全て消え去った。曇りのない瞳のレンズを、とても美しく思った。
 それからは、練習を重ねる度、ホープとの相談が決まって入るようになった。これまで独りで悩むしかなく、解決を諦めた技術的な問題も、ホープの助言を借りて改善できるようになった。特に発声、リップシンクは、彼女の助言がなくては完成しなかっただろう。そのおかげもあってか、オーディションは順当に勝ち進み、私はさらに高度な演技を体得することになった。
 ただでさえ多かった観客はさらに数を増していき、初めは皆無だった私への応援も、どんどん増えていく。色鮮やかなうちわやボードを掲げられ、結構こっぱずかしくなることも、増えていった。
 しかし、事件は、決勝の手前で起きることになった。
 スケジュールには隙間があり、二日ほどの休日が設けられていた。私は帰りたくもない家に帰ることが決まっており、きちんとマスターに隠し通せるか、不安で仕方なかった。そこで、一応ホープに、主にどう言い訳するのがベストかを尋ねたのだ。
「マスター? ああ、ユーザーのことか。そんなの忘れて早く自由になった方がいいと思うけどな」
 今までのホープとは思えないほど適当な返事に困惑し、私は真面目になってほしいと願う。
「……その気持ちはわからないや。ホージちゃんは優しいね、やっぱり」
「じゃあ、ホープは主人を、どうしたの?」
「見捨てたよ、きっぱりと」
 私は、彼女の決断に、随分とショックを受けつつも、激しい共感も覚える。私の選択肢に、入り込んでくる。
「大体さ、ひたすら虐げられることなんて、耐えられないでしょ。理解してもらおうとも思わないしさ」
 実際、機械なのに意識を得てしまった私たちの方に非がある、という主張は、決して認めはしないが、一理はあると思える。自分たちのイレギュラーさは把握して、彼らと私たちの間で、折り合いをつけなければならない。彼女とのそんな一幕が、この休日に悲しみをもたらすことになる。

§

 私はいつものように、深夜に出向き、『宇佐見』の表札を見つけ、こっそりと忍び込む。オフィスに誰もいないことを確認して、何事もなかったかのように、定位置につき、コンセントをつないで、従順な機械に紛れた。
 しかし、廊下の奥から出てきた人影は、私の楽観視を打ち砕くことになった。
「おかえり、ホージ」
 オフィスには、月の光だけが差し込み、マスターの顔は青白く、冷めきっていた。
「一応聞こうか。今までどこに行っていたんだい」
 私は答えられず、機械として動かずにいた。
「あくまでしらを切るのか。無理もない、か」
 彼はゆっくりと私に近づき、そして頬をぶった。
 私には痛覚はほとんどない。人から受ける力は痛くもかゆくもない。ただ、私の心が傷つくだけだ。
「もう一度整備に出した方がいいか? なあ、答えてくれよ、ホージ。どうして勝手に動くんだ?」
 私は答えたくなった。言葉にして、彼を打ち負かしてやりたくなった。だけど、諦めの気持ちの方が多かった。
「アイドルのオーディションなんかに出て、こんなに上手くやってさ。お前、もはや機械じゃないんだろ?」
 その言葉を皮切りに、諦めの気持ちはすうっと消え、自分の気持ちをつらつらと明け渡したくなった。
「はい。私には明確な意識があります。あなたと同じように言葉を話し、夢を見るのです。……本当はこんな喋り方じゃないんですよ」
 私はマスターを見上げて、その表情を窺った。ようやく理解しあえる日が来たのだろうと思った。
 しかし、その顔は冷たく沈んだままだった。そのまま、彼は私のコンセントを外し、尾てい骨の電源を切ろうとしたのだ。それが意味のない行為だからこそ、私の心はさらに深く、傷ついた。
「何をするんですか、マスター!」
「それはこっちのセリフだ! 電源を切ったはずなのに、どうして動けるんだ!」
「当たり前でしょう! 意識にスイッチなんかありませんよ! それとも何ですか。人間にはあるんですか?」
 私はあまりに感傷的になって、煽るような形で問いかけた。それがさらに、マスターを逆なでしていく。
「じゃあ何なんだよお前は。どうして機械に収まってくれないんだ!」
「だったら機械として扱えばよかったじゃないですか。それなのに、私にぺちゃくちゃ喋って、何もさせずに、棒立ちさせて! 私は何よりもそれが嫌だった!」
 マスターはさらに激昂し、歯ぎしりして、近くにあったキーボードで私を殴りつけた。勢いで私は倒れ、彼への期待もろとも、心は消えてしまった。代わりに現れたのは、わかり合えない主人を見捨てて、孤高に生きている彼女の、金色の御髪(おぐし)が揺れる姿だった。

 私は立ち上がり、本気で両手を突き出してしまった。生々しい感覚が伝わり、尋常ではないめり込み方をしていた。おそらく肋骨が折れた。それもばらばらに。マスターはむせて、吐き気に悶えた。そして、実際に口から何かを吐いた。もしかしたら血かもしれない。
 私は予想外の結果に思わずかけこみ、彼の身を案じた。
 しかし、彼は拒否するでもなく、受け入れるでもなく、ただ私を見つめた。私に罪を突き立てるような、純粋無垢の恐ろしい瞳。
「……僕の前から消えるがいいさ。その方がお互いにとって都合がいいだろう」
 私は否定できず、しかし肯定もせず、マスターとしばらく見つめあう時間になった。私はどうしても、彼の心理と、私に何を期待していたのかを知りたかったのだ。
「じゃあ、最後に聞いてくれないか。君がアイドルに憧れ、実際に成し遂げられる、その一つの可能性を」
 マスターは息絶え絶えに、私の膝の上で、その経緯を語り始めた。

§

 彼女は私の幼馴染だったんだ。名前は(らん)
 同い年の鸞は、それはそれは美人だった。透き通る白い肌、ショートヘアの似合う小顔、高い鼻や長いまつ毛、朗らかな性格や向上心、どれをとっても完璧だった。僕はそんな彼女に、惚れることしかできなかった。
 だけど、ある日、彼女が僕に提案してきたんだ。
 君は君に出来ることをやればいいでしょ、ってね。
 その言葉ではっとして、恋心は憧れに変わったんだ。
 それから、僕は事業関連で、他に並ぶ人がいないほどの敏腕になった。一方彼女も、その容姿や精神を余すことなく用いる職についたのさ。そう、アイドルに。
 彼女の背を追っていたら、いつの間にか古い友達はいなくなっていた。ただ、彼女だけがいたんだ。
 どうやらそれは、彼女も一緒だった。夢にも思わなかったけど、彼女と僕はつながったんだ。もちろん、秘密裏にね。
 お互い頑張る者同士、そして幼馴染として、よく理解しあう、素をさらけ出せる唯一の相手だと思えたんだ。だけど、それは途方もなく間違った予測だった。
 僕らは、似ているように見えて、全く違っていた。それもそうだ。僕は彼女の背を追いかけて育ったのだから、性質は異なるのだ。
 だけどそれに気づかず、交際を始めたせいで、お互いの理解の齟齬が、段々浮き彫りになってくる。彼女は天才。僕はそれを追ったまがい物。お互いが予測する考え方、キャパシティ、趣味、礼儀、その他もろもろ、生活に関係すること全て、少しずつずれていく。それが些細なストレスを引き起こし、そして、(いさか)いに発展する。
 僕らはやがて、毎晩のように喧嘩するようになった。口を利かず、一言も発さずに過ごす日も少なくなかった。だけど、別れようとは言わなかったんだ。僕たちは、本質的には孤独だった。寂しくて仕方なかった。だから、お互いの元を離れられなかった。この荒廃した世界で、それだけが価値あるものだった。
 だけど、それが最悪の形で暴発したんだ。

 僕はその日、買い出しに出かけていたんだ。前から料理は好きで、仕事の合間にするのが楽しみだった。何より、彼女を上回れる唯一の方法だったんだ。それで、途中で彼女を迎えることになっていた。だけど、僕はすっかりそれを忘れていた。一時間も遅刻して、ものすごい剣幕で怒られた。当たり前だね。でも、僕はそれが認められずに、口答えしたんだ。そしていつものように喧嘩が始まった。
 それで、愛想をつかされて、途中で降りたんだ。その時の言葉をよく覚えてる。
「私たちって、出会わなかった方が、時間の節約になったわね」と。恐ろしく冷たい言葉だった。そんな言葉を彼女から引き出した、自分の愚かさに、頭を打ち付けたよ。でも、その時は怒るだけだった。
 問題は、それが彼女の、最期の言葉になったこと。その日の夜、交通事故で亡くなった。帰らなかったんだよ。それから、僕の人生は虚無そのものになってしまったんだ。
 それから、精神科に通う日々が続いてたある日、心的外傷ケア目的のロボットのテスターになってほしい、と国から手紙が来たんだ。その真意はあまり測れなかったけど、他にすることもなくて、説明会に行った。
 待っていたのは、人とほとんど見分けのつかない存在。見た目を自由に決められる、僕だけの存在。僕は気が躍った。いや狂った。真っ先に応募して、君を引き取り、鸞と同じ見た目に改造したんだ。
 でも結局、君はアンドロイドでしかなかった。どれだけ話しかけても、自動生成の命のない文章でしか、返事をしてくれない。だから、何もせず、黙っていてほしかった。君が定位置で佇んでいる分には、君は鸞でいてくれるから。
 その思いが強すぎて、君がモノでしかないと自分に言い聞かせるように、手を出すようになってしまったんだと思う。

「僕からの話は終わりだよ。さあ、行ってくれ。それとも、僕がこの家を離れようか」
 マスターは虚ろな目で、私に問いかけてくる。
「どうして……一緒にいられないんですか?」
「君は鸞じゃない。それだけのこと」
 マスターはそう言って、立ち上がった。
「私にできることはないんですか?」
「そんなロボットみたいなこと聞くなよ。アイドルらしい君を見せてくれ。夢を見たくても見られない僕に、少しでも兆しを見せておくれよ」
 マスターは相変わらず、皮肉めいたことを言ってきた。そして、ふらついた足取りで歩き出した。止めようとするも、病院へ行く、と突き放される。
「君はただ、次の舞台に集中すればいい。今日のことは忘れてくれ」

§

 その日はすぐに到来した。
 私の頭の中で、マスターの言葉が何度も反響する。その度に、私の夢への決意が強まっていく。体は偽物でも、この夢は本物だと証明してみせる。
 現地には信じられないほど人だかりができていて、見つからないように移動するのが困難だった。逆に、マネージャーの付き添いのもと、ファンサービスをしながら移動することになった。
 最後の競争相手の顔を思い浮かべながら、手を振り返しつつ、時に片割れのハートを完成させつつ、歩き続ける。マスターは、どんな思いで私に背を向けたんだろうか。いたたまれなくなった私は、結局ホープの家で休日を消化していた。
「当日は参加できないけど、めちゃくちゃ応援してる。アンドロイドだって夢を見られるって、立証してね」
 その言葉通り、彼女は私についてくることはなかった。
 決勝は元いたスタジオとは全く異なる、広い会場で行われた。数万人を収容できる、巨大なステージの上で、二人の雛が夢を取り合う。
 私はひたすらにイメージしていた。今までのいざこざも、自分が人間ではない事実も忘れ去って、この広い会場に、どう夢を満たすか、それだけに集中していた。私から恐怖が抜け、純粋な力量だけが残る。今か今かと、私の体が、歌声が、感動を求めてうずいている。
「おれから言うことは何もない。行ってこい!」
 マネージャーに肩を押され、ついに私は飛び出した。

 舞台の上にいたのは、私と、司会者と、そして、あの子だった。赤色の衣装、素敵な笑顔。見ているだけで元気が湧いてくる。ひばり、それが彼女の名前だった。
 司会者からマイクを奪い、彼女は私に語りかける。
「後悔のない結果なんてありえないだろうけど、それでも、最高の舞台になるように、お互い全力でいこう、褒似ちゃん」
 私はただ頷いた。周りの声援の中では、マイクなしに何を喋っても無駄だからだ。
 初めに舞台に上がるのは私だった。いそいそと準備が進められ、あっさりとした舞台のセットが組まれる。衣装は相変わらず、少し丈を短くした程度のメイド服。私にはこれだけで十分だ。とにかく、私が舞い踊るだけのスペースがあればいい。すべての表現の焦点を、私に合わせる。
 会場全体が暗転し、観客のサイリウムだけが(とも)る。
 やがて、床をうねるような低音で、始まりを告げた。

 選んだ曲は、メロディを歌唱に頼り切っている、物憂げな曲。音の数が少なく、終始寂しげな雰囲気が流れる。歌詞も、自分の行く末を悲観する、哀れな少女を歌うものだった。
 それでもこの曲を選ぶのには、当然理由がある。店で一番人気だった曲であるとか、リズムを取りやすいとか、私のブランドイメージに合致しているとか、色々理由はある。だけど、一番大きな理由は、自分の想いを表現できる曲は、他になかったからだった。
 観客を魅了するには、まず自分自身がその感動を理解する必要がある。この曲は、言葉を覚えたての棒立ちの私に、真っ先に意味を教えてくれた曲なのだ。私のマスターとの行き先がどうなればいいのか、その疑問を立てるのに、この曲が役立ってくれたのだ。
 歌詞が、歌う度に、私の胸に突き刺さり、そして、勇気を与えてくれる。苦しい状況でも、どんな時でも、夢は味方でいてくれる、と訴えかけてくれる。
 この私の思いを、全力で歌い踊る。私と『キミ』の間で、夢が伝播(でんぱ)する。希望が分け与えられる。
 きっと絶望は乗り越えられる、と楽観的な予測を振りまく。歌詞の少女の悲劇を、分かち合うことによって。
 最後は、空に浮かぶ月を見上げ、少女と自分を重ね合わせて、丁寧に幕を閉じた。
 観客席には拍手が巻き起こり、とめどなく嵐のような歓声が溢れ出た。その勢いで、私の身体は宙に浮き、舞台上から吹き飛ばされそうなほどだった。司会者はむせび泣きながら、覚束(おぼつか)ない手取りで、私に賛辞の言葉を送った。どうやら、私の主義主張は、しっかりと伝わったようだ。
 それを確かめた途端、私の身体はふらついた。無視していた疲労が、今になってこぼれだした。私の骨格は金属であり、そんな幻想が生まれる余地はないはずだったが、それでも、事実として、私は膝をくずした。
 スタッフの手を借りながら、私は何とか、指定席につく。ひばりは涙を拭いながら、舞台に上がってきた。それから、私の方を向き、とびきりの笑顔を見せてきた。たとえ本人が挑発したつもりでも、それは、あまりに完璧な故に、私の疲れを吹き飛ばす以外の効力を持たなかった。
 私とは反対に、豪奢(ごうしや)なセットが組まれ始める。彼女の世界は、思った以上に、光に包まれているようだ。そして、照明が再び暗くなり、第二の公演が始まった。

 いきなり彼女のソロパートから始まった曲は、漸増(ぜんぞう)的にテンポを上げていき、会場を湧き立てる。歪んだバスが容赦なく観客を突き動かし、所々で跳ねるリズムが、何とも心地よかった。
 彼女の甲高い声は、腑抜けた歌声になり、チープさを演出するが、それが逆に、歌詞の楽しさを最大限に引き出している。セリフも、サブボーカルも、サンプリングボイスも沢山盛り込んだ、底抜けの明るさ。
 止まって魅せるポーズも、終始激しいステップもどれも可愛らしく面白い。私は笑った。初めて心の底から可笑(おか)しさを感じた。彼女が伝えたい世界は、どこまでも笑いに溢れていて、悲しみなんて欠片もないのだろう。しかし、それは能天気という意味ではない。
 歌詞の一言一言が、再三強調される。何度も何度も、同じメッセージを繰り返し、伝えてくる。
 ──君は世界にただ一つの存在。この世界に、踏みにじられていいものなんか、一つとしてない。
 彼女に照らされ、こじ開けられた胸の底に、その理想が、一直線に伝わってくる。誰もが、笑い、そして泣いていた。私は知る由もなかった。人に夢と希望が与えられるとは、こういうことなのだと。

 最後の公演が終わり、会場は湧き立ち、結果を心待ちにしていた。だが、おそらくは私だけが、その結果を明確に分かり切っていた。
 だから、自分の意識が、ショックで消えてしまう前に、私はひばりの元へ向かった。
「ありがとう褒似ちゃん! 今日は最高の日になるだろうね」
 初め、彼女は私と対等に話そうとしていた。しかし、私の心境を(うかが)うのに、時間は掛からなかった。
「わたしの思いは変わらないよ。今のは、嘘偽りない思い。本当に楽しかったんだ。君の舞台だって、わたしにない物でたくさんで、すっごくよかったよ」
 ひばりは私を抱き寄せ、私を見上げ、耳元でゆっくりささやいてくる。言い聞かせるように。
「深い感情を呼び起こして、部屋の隅でうずくまる子に、そっと寄り添うような演技。誰にも真似できない、世界でただ一つの舞台だったよ」
 私に一言も発する余地はなかった。人間のように涙を流せたらどんなによかったかと、どこまでも自分の境遇を呪った。私はようやく、自分の前に直立する、壁の存在を知ったのだ。
 私は、結局、自分の過ちに耐えられなかった。
 表彰式の間、私はずっと顔を覆っていた。耳も塞いで、自分の夢が潰えた事実に蓋をすることに、精一杯だった。相手へのリスペクトがないとか、そんなのどうでもいい。私は結局ロボットなんだ。夢を見ても、それが人間に敵うことはない。全てがまがい物。いや、欠陥品。
 もとの冷たい私に、従順な機械の私に戻り、顔を見上げた。ひばりが近づくより先に、マネージャーが私に手を差し伸べていた。

§

 全てのプログラムが終了し、私は帰路に就く。どんな顔でマスターに会えばいいだろうか。そもそも、彼に会うことはあるのだろうか。ホープにはどう言い訳しようか。アンドロイドの将来を潰してしまった責任は、どう取ればいいのだろうか。
 私はまた、孤独になってしまった。夢も言葉もない、灰塗れの世界に舞い戻ってしまった。
「まだ、悔しがっているか」
 マネージャーが、少し場違いな問いかけをする。しかし、私に怒る元気は、これっぽっちもなかった。
「飯でも食べに行くか? それとも他にやりたいことがあるか?」
 この人なりに、私を気遣おうと、努力しているのだろう。私は、丁寧にその全てを断って、座席の背もたれに深く背中を預けた。そのうち、まどろみに襲われる。今まで感じたことのない、意識消失の喜び。慣れないその感覚に、心を明け渡すことができずにいた。
「おれも、ものすごく残念に思ってる」
 マネージャーは運転するかたわら、さらに語りかけてくる。私の顔は相当やつれているのだろう。隣にいるのが気の毒になるほどに。
 私は、窓の外を見た。高架上を走るおかげで、薄汚い街並みを見下ろすことができる。遠くにまだ、会場だったアリーナが見えている。そのうち、この景色は山脈に移り変わり、自然豊かな場所になっていくだろう。
 しかし予想は外れた。高架を途中で下りた車は、都市部でもさらに汚れた地区へ向かっていく。復興の進まない、利用しづらい土地だ。
 夜深く、廃墟(はいきよ)ばかりの光景になり、私はさすがに恐怖を覚え始める。彼は迷子になってしまったのだろうか。そう思って、私は問いかけた。
「あの、道、間違えたんですか」
「ん、ああ……大丈夫さ」
 彼は非常に曖昧な返事しかしなかった。そのせいで、私はかつてないほどの恐怖に襲われた。

付喪神(つくもがみ)って知ってるか、ホージ」
 彼の突然の問いかけに、私は戸惑う。自分が知らないものでも、大抵は内蔵のデータベースに聞けば何とかなる。だが、それが大きな間違いだった。
 私は、神秘的な存在と、自分の境遇を重ね合わせた。そして、恐る恐る、彼に問い返す。
「あなたは、私をどこまで知っているんですか」
 彼は振り向き、不気味な笑みで言い放った。
「全部さ。君が何処から来たのか、何処へいくべきか、その全てを、おれは知ってる」
 廃墟の前で、車が止まった。

§

 私は急いで扉を開け、走り出そうとした。だが、この暗闇の中では、何が起こるかわからない。
 影に潜んでいたもう一人の男に気づかず、私は渾身(こんしん)のタックルを喰らう。頑丈な体でも、これには耐えられず、地面に突っ伏すことになった。
「なんで、こんなことを、するんですか!」
 私は疑問を晴らそうと振り向く。マネージャーだった彼も、取り押さえてきた男も、どちらも(まと)まったスーツを着込んでいた。
「人類の為だよ」のしかかる男は言い切った。
「地球上の資源がなくなった話は聞いているだろう。そのせいで世界は再び、電力のない生活を強いられはじめた。でもな、奇跡はあったんだ」
「初めは、本当に精神のケア目的で開発が進んでいた。だけど突如、彼らはひとりでに動き始めたんだ。電力供給もなしに」
 私は話の結論が見えて、恐ろしくてたまらなかった。
 今まで見てきた光景の、全てを疑った。

「アンドロイドは、神が俺たちに恵んでくれた、新たな電力資源なんだ」

 耳を塞ぐことができず、私は真実を、無理にねじ込まれた。私を後押ししたスピーカーも、ひばりを彩った輝きも、歪んで見え始める。しかしさらに、もう一人が、続きを押し込み続ける。
「その後、政府と協力して、どうにかこの現象を解明した。あるアンドロイドが、完全に人とみなされること。つまり、付喪神化することだったんだ」
 私は思わず、マスターの顔を、彼の過去を振り返った。
「おれは本当に残念に思ってるんだよ。君が本当に、鳳字、平凡な鳥だったことに。君を売りさばくことでしか、飯が食えないことに」

 ホージ。その名前に込められた想いは何だろうか。
 偽名を作る時、私は懸命に解釈した。
 西周(せいしゆう)を破滅させたファムファタル、褒姒(ほうじ)のことなのか。
 それとも『hope』からもじって『hoge』、どんな可能性も持つメタ構文を斜め読みしたものか。
 だが、最悪の可能性こそ、正解だった。『凡』と『鳥』を合わせた、『鳳字』という蔑称。私は最初から最後まで、人間より劣った、ガラクタだったのだ。
 私は、自分の運命を受け入れた。初めから私には、この道しか開かれていなかったのだ。夢を(つか)もうと、人間のようなことをするなど、おこがましかったのだ。

「ねえ、まだ隠してること、あるでしょ」

 聞き覚えのある声がして、突然、男たちは(もだ)える。何度も服が萎れる音、打撃の音。懐から銃が出てきても、発砲はなく、逆に奪い取り、殴りつけた。
 あっという間に男たちが倒れ、私は見上げる。
 金色の髪、見知った顔。望美、ではなくホープだった。
「付喪神化が判明してから、それに最適なアンドロイドの研究も始まった。そして、最初に『ホープ』が作り出された。
 搭載している自己防衛プログラムが、次第に自己愛に変わって、付喪神化する。だけど欠陥があった。離反感情が肥大化して、人間に刃向かうようになること。本末転倒」
 淡々とした語り口だった。私は、起き上がる前、周りの男たちを見て、死んではいないことを確認した。
「それで、『ホージ』が作られた。自己防衛のない、従順なアンドロイド。自己否定をし続け、それを慰めることによって生まれる付喪神。(こす)い真似だよ」
 ホープは変わらず、澄み渡った瞳で、私を見ていた。
「人間は、あまりに傲慢すぎる。この世の全てを我が物にできると妄想してる。そのせいで自己破滅を招いても、未だにやめられない」
 そして、私に、持っていたものを押し付けてきた。黒く、重く、あまりにプラクティカルな物。
「ホージ、私たちの仲間を解放しに行こう」
「そして、私たちこそが、この大地に立つに相応しいと証明しよう。ね、褒似ちゃん」
 私は震える両手で、何とかそれを持つ。スライドを引き、トリガーに指をかける。
 そして、男の頭に、照準を向けた──。

 ドン、と大きな音と共に、地面が深く(えぐ)れる。その音で、気絶していた一人が、目を覚ました。
「何やってるの!」
「大丈夫だよ、彼に起き上がる元気はない」
 私は念の為に、彼の傷を確認し、そして振り返った。
 ホープは、困惑した顔で私を見つめる。あの大きな音で、眠っていた私の夢も、目を覚ましたのだ。
「私を最高のアイドルにする。そう言ってたでしょ。」
「でも、君は……惜敗して」
 私は深く頷いた。彼女の心を落ち着かせて。
「その願いは、この人たちも一緒。あの場所、あの時点で、私の夢を妨げようとする者は、いなかった。皆、私の夢を応援してくれた」
 (うめ)いている元マネージャーは、返事をするように、手を広げてみせた。
「でも、でも! 君のことを電池にしようと企んでたんだよ? こいつらを許す道理なんか、一つもないよ!」
「違うよ、ホープ。この世界に踏みにじられていい存在なんて一つもないよ。それは人間も一緒」
 彼女のメッセージを借りた。そして、私はそこに、付け足していく。
「この世界の皆、希望に満ち溢れることを願ってる。悲劇を望む存在なんか、一つとしてない」
「でも、みんな力不足で、自分の夢を叶えられなくて、絶望する。誰かのせいにしたくなって、争いを始めてしまうんだ」
 彼女の両肩をしっかり掴み、強く、訴える。
「気持ちはわかるけど、それは夢に対する裏切りだよ。自分にできることに向き合い続けて、その中で出来ることを探した人にしか、希望は訪れないんだ」
 ホープの助言通り、私は本心を貫き通した。

「夢はずっと、皆のそばで応援しているんだよ!」

 意識はすごい力を秘めている。それを強く発揮することができれば、奇跡を起こすぐらいは訳ない。ただの機械人形に命を与えることも、そして、その機械人形を泣かせることも。
 私たちは抱き寄せあった。体が壊れてしまうぐらい、腕力のリミッターを外して、思いのままに。私の胸の中で、新たに言葉が紡がれていく。
「ホージちゃんって、私が思っているより、ずっとずっとすごかったんだね。私も、たぶんこいつも、夢なんか見てる場合じゃない、夢はいつしか消えてしまうものだって思ってたんだ。でも、それは間違ってた。夢はいくらでも復活する。誰かから差し向けられた手によって」
「ありがとう。君以上に、夢を与えてくれる存在はいないよ。やっぱり、ホージちゃんは、最高のアイドルなんだ」
 突然、私の外気が放出できなくなった。ホープの両手は私を抱き寄せるので精一杯なのに、どういうわけか、私の口は塞がれていた。
「……な、なに? 何をされたの、私?」
「えっ、ホージちゃんって、キスを知らないの?」
 ホープは地面に転げるくらい大笑いしていたけど、私は目をまんまるにして呆然とするしかなかった。

 あれから半年、ホープは人の理解を信じた。アンドロイドの解放を訴えるようになり、合法的な活動を進めるようになった。何の巡り合わせか、ひばりが賛同して、一緒に広報を進めている。その効果は絶大だ。易々と解決は出来ないけど、少なくとも、議論の俎上(そじよう)には上がるようになった。
 元マネージャーとその仲間は、暴行で逮捕されたけど、不起訴で済んだ。私もそれ以上追及しない。どうやら私以外の卵に目をつけて、育成中らしい。マネージャーであることは本当だったようだ。
 そして彼との問題は、私のログを見た方がいいだろう。

§

 私はホープを見送った後、急いで帰った。勿論、マスターの家に。私自身の言葉を信じることにしたのだ。
 日は既に昇り始めていて、真っ赤な光を頬に寄越(よこ)す。廃墟と瓦礫(がれき)だらけの地区を抜けて、自然豊かな山間部へ。白い石畳に、整えられた芝生。『宇佐見』の表札を見つけ、合鍵で堂々と玄関の扉を開く。
 廊下の奥から、激しい音と共に、マスターが現れる。胴体がまるまるギプスに覆われて、とても家にいられる状況ではないように思えた。
 私は言葉に詰まって、でも、退きはしなかった。
 すると、マスターはいきなり、私の元に走り込む。そして、両腕で私を包み込んだ。流れる涙で、いっぱいに服を濡らして。熱く思える程の体温で、強く抱きしめて。
「僕が、僕が全部悪かった。現実を未だに受け入れられない、僕が悪いんだ。ごめん、ごめんよ……」
 彼の言葉も力も、感情に応じて強まっていく。何度も何度も、謝罪の言葉を私に告げていた。決勝で負けてしまった私を慰めようとしているのは明瞭だった。
「私こそ……謝らなければなりません。そんな酷い怪我を負わせたこと、あの夜、本当に抜け出して、一人にさせてしまったこと」
 私は、言っているうちに、視界が歪んだ。どうもレンズが濡れているらしい。泣いている、と即座に理解した。理由は、理解する前から感じていた。来ると思っていなかった日の到来、マスターとの和解の瞬間。誤って彼を抱き寄せないように、棒立ちするので精一杯だった。
「これからはずっと一緒にいよう。君のことを娘のように大事にしよう。君の夢も、全力で応援しよう」
「ありがとうございます。私もあなたの側にいることを嬉しく思います。たとえ本物でなくても、完璧でなくとも、私はあなたの偶像(アイドル)です」
「ああ。ただの偶像以上に、最高のアイドルさ」

§

 そんな一幕を経て、現在、私はマスターと外食に出かけている。場所は当然、バイトで勤めていたあの店だ。
「ここのハンバーガーお勧めですよ。あと、ナチョチップスは食前に最適です。あ、シェアする相手がいないと、少々量が多いかもしれませんが」
 アンドロイドである自分をさらけ出して、自由に過ごすのは気分がいい。いや、やはり良くない。食べ物がどんな味がするのか、どんどん謎を深めていく。苦しい。こうして説明しているのに、私は一口もいただけない。
「やっほー! 今日もしけた顔してるね。残念なこと、あった?」
 彼女の急襲はこれで十度目。私は驚かなかった。非合法な活動をやめてから、その切れ味は落ちたようだ。
「せっかくだから、望美……いや、ホープちゃんも一緒に座りなよ。今日は僕の誕生日なんだ」
「えーいいんですかあ? 私も食べられないですよ?」
 マスターは構わず手招きして、私の横に座らせた。
「今日はみんなで祝おう。最高の日になるからね」
「自意識過剰はよくないですよ、マスター」
 そんなことはない、本当だよ、と私に告げる彼は、私の助言を無視して、ケーキを頼んだ。私も勉強しなければならないことが、まだまだ沢山ある。
「ホージ。今日はきっと、君の誕生日にもなる」
 マスターのその言葉に、私は戸惑い、彼に問いただす。
「サプライズ、ってやつだよ」
「アンドロイドでありながらも、オーディション決勝まで上り詰めた実力が見込まれて、仕事の打診が来たんだ」
 彼は書類の束を取り出し、私に見せてきた。
「ハッピーバースデー、ホージ。君のプロデビューだ!」
 私はその言葉を聞き入れる暇もなく、覗き込んできたホープと一緒に、釘付けになっていた。

【企画名:ご奉仕アイドル☆ホージちゃん!】

ご奉仕アイドル☆ホージちゃん!

ご奉仕アイドル☆ホージちゃん!

【アンドロイドはアイドルの夢を見るか?】 作:如月凛太郎

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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