色盲
ハシバミ. 作
夢をみた。
私は初めて会うひとたちと、昼ご飯を食べる予定だった。春の空に見守られ、ドレスアップした姿でヒールをかつかつ鳴らしながら歩くのは快感だった。かなり早く家を出たので集合までの時間はたっぷりあった。初めて降りる駅で私はのんびりウィンドーショッピングをしていた。目に映る服や靴はどれも素敵で、誰かの「かわいい」が形になっていて、きらきらしていた。世界はすべて、思い出みたいにパステルカラーで、輪郭を失ったような風がやわらかで心地よかった。
目的地へ到着した。建物に入る前に見上げてみる。大きくて、四角くて、空を切り取ったみたい。目を細めて、行くはずの階を見つめる。建物から店員が出てきた。名前を告げ、案内してもらう。一番乗りだった。昇っていくエレベーターの中で私は、今日の会のことを考える。何を話そうかなあなんて、そんなことを、少し寒すぎる空調の中で考えていた。
部屋についた。最上階のその部屋は全面ガラス張りで見晴らしがよく、はるか下の方で人がうごめいていた。ふと、誰かの席、私の隣の席に、金魚鉢が置いてあることに気がついた。水は張ってあるが、中には何もいない。頭にきた。失礼にも程がある。このままではタチの悪い嫌がらせだ。店員は一体何を考えているのだ。誰かが来る前でよかった。私がどかしておこう。金魚鉢を手に取る。間違いなくそれは金魚鉢だった。たぷんと、中の水が揺れる。手のひらに吸い付くような曲線は、ひんやりとしていた。私はこれみよがしに、部屋の入口にある花瓶の横に金魚鉢を置いてきた。
しばらくして、女のひとがやってきた。とても綺麗なひとだった。真っ黒のワンピースからのぞく肌は驚くほど白く、透き通っていた。こんなに綺麗なひとに無礼をはたらくなんて。彼女と言葉を交わしながらも、私の怒りはおさまらなかった。ふいに、彼女がなにかに気づいた顔をする。視線の先には、金魚鉢。私は会話を続けようとした。すると彼女は立ち上がり、金魚鉢の方へ歩いていった。そして、それを手に取り戻ってきた。私は唖然とした。「どうして」声が漏れる。それに気づいた彼女は「あなたがどかしておいてくれたの?」と聞いた。小さく頷くと、彼女はとても、とても美しく、微笑んだ。
料理が運ばれてきた。いつのまにか全員揃ったらしい。乾杯をしている間にも金魚鉢は彼女の目の前にあるまま。私は理由を聞けなかった。聞けないまま、前菜のサラダが運ばれてきた。外の世界とは裏腹に、鮮やかな緑、オレンジ、黄色。そして、彼女には、真っ赤な金魚。運ばれてきた金魚が次々と音もなく金魚鉢へ入れられる。優雅に尾をひるがえしてゆっくりと泳いでいる。「ちょっと」私は店員に怒ろうとした。それを彼女は手で制すと、徐にスプーンを使って金魚をすくった。そのまま口へ運ぶ。綺麗な赤色を塗られた口に、赤い金魚が消えていく。ゆっくりと、喉が動く。私は目が離せなかった。訳がわからなかった。彼女が微笑む。ぞっとするくらいに美しく、哀しげな微笑み。そして口をひらく。
「あなたは知らないかもしれないけど、私はこういう人間なの。おかしなことをしているのはわかっているわ。だから、気にしないで」
次々と金魚が消えていく。頭の中が真っ白になる。私は、知らなかったのだ。鼓動がはやくなる。知らなかったのだ。金魚を食べる人がいるということを。私の感じる「綺麗」が、他の人にとってもまた綺麗なものなのだと、信じて、疑わなかったのだ。周りを見わたす。こちらを気に留めているような人はいない。
しかし、ひとり、一番遠くに座っている男性がこちらを見ていることに気がついた。憐むような眼差し。彼は、知っているのだ。いや、彼だけではない。ここにいる全員、私以外のすべての人は、このことを知っているのだ。自分たちと違うものを食べる人がいるということ。そして私は気づいたのだ。自分が分け与えたと思っていた善意が、誰かを追い詰めるかもしれないということに。
傷つけてしまった。謝らなくてはいけない。それでも言葉がでない。私の謝罪ですらまた、彼女を傷つけるかもしれない。「本当に気にしなくていいのよ」彼女の言葉に、涙がでた。知らない、たったそれだけで、私は彼女を傷つけてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。きずつけてしまって、なにもしらなくて、ごめんなさい。なみだにうもれて、こえが、ことばが、でない。とどかない。
目が覚めた。
色盲