『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』展

一部、加筆修正しました(2025年3月21日現在)。


「どんなに革新的な表現方法も、その新しさが説明できた瞬間から古びれたものとなる。」
 柄谷行人(敬称略)や岡崎乾次郎(敬称略)などの論客が加わったとある座談会を載せた記事を読んでいて、心臓が飛び出るほどの衝撃を覚えたこの一文は、けれど、公設又は私設を問わず各美術館で開催される展示会で作品を鑑賞するにあたり筆者の確かな指針となってきた。
 そもそも世間一般で通用するオリジナリティが決して固有性だけを根拠とせず、先行する歴史を踏まえて認められる新規性に基づいて積極的に評価されている以上、誰にも理解されない革新的な技術などというものは存在しない。そう考えざるを得ない。美術史に名を連ねる巨匠たちの絵が生前は全く売れず、死後になって再評価され、その価値が天井知らずに跳ね上がっていく現実はこの辺りの事情を見事に反映している。そう思う。
 破壊の芸術と評されるダダイズムも、だからこの例外では決してない。
 第一次世界大戦の戦禍があちこちに刻まれたヨーロッパにおいて人間という存在をとことん疑い、その理性を介さない表現を追い求めた運動が頼りにしたのは人の直観ないしは感性であるが、これらはただの認識として片付ることもできる。
 そんなものに恃む作品表現が「どうやって」見る者を感動させるのか。この点についての説明を抜きにしてダダイズムの革新性が現れることはない。人や動物のフォルムを抽象化し、それらを並べたものの「何が」いいのか。数学的な図形の美しさは認めるにしても、それらを描いた画面に色を塗り、完成した一枚の「どこが」今までの作品表現より優れているといえるのか。凝り固まった業界人の説得もそうであるが、何より困難なのは、今までと違うものを世間の人たちが受け入れることはそうそうないというリアルを覆すことであり、その戦略の一環として言葉による説明がどうしたって欠かせないというジレンマの解消である。
 ここであのマルセル・デュシャンの名前を引き合いに出せば、ダダイズムの作家たちが採用した手段をなんとなくでも想像できると思う。彼らの作品を前にしたときに覚える混乱と奇妙さは鑑賞者の口を塞ぎ、あるいは出てくる言葉を澱ませ、なんとしてでも!と血眼になる者たちの手で新たな語り方を作り出させようとする。
 仮にこの流れを絶やさず維持できるのなら、ダダイズムは半永久的に言語ないしは理性の魔の手から逃れ続ける。そのために欠かせないのはダダイズムの運動に対する興味と関心。これらが尽きた途端にダダイズムの歩みは止まる。終わる。かかるポイントに関する彼らの意識と、工夫と、その成否こそが運動としてのダダイズムに眠る面白さではないか。そう思って現在、アーティゾン美術館で開催中の『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』展に臨んだ。夫婦である二人は、どちらもダダイズムの作家としてその名を知れられている。
 まず非常に興味深かったのが、ゾフィー・トイバー=アルプ(敬称略。以下、単に「トイバー=アルプ」と記す)が初めて手掛けた油彩画。図形などの記号的なパターンを基本とし、かかるパターンから逸脱する部分で遊ぶその画面構成は枠の外にはみ出るようなイメージを育み、想像以上の膨らみを獲得して「ここからどうなる?そうなる?」という展開を思わせる。その有り様がまた知的な連想ゲームになりそうでならないという絶妙な匙加減を見せていて、色彩の組み合わせといったお馴染みの表現技法では完全に見極められない。そういった所に尽きない面白さがあった。ちなみに、お勧めの作品は《混沌とした背景の上の鮮やかな色彩の結び目》である。
 ジャン・アルプ(敬称略)については、あのぬるっとした彫刻作品のフォルムを作り出すにあたって最小限の単語のように機能して見えたフォルム群に魅入られた。生涯にわたって詩作を行い続けたジャン・アルプが手掛けるそれらは、「無意味」の海の上に浮かぶ「有意味」な形としてとてもユニークであり、漫画チックな様相を呈していて親しみを持てる。そのフォルムのニュアンスが立体的に構成されると、今度はいきもののような有機的な動きを見せ出すのだが、その生命感が材料に用いられる石やブロンズといった「物」の無機質な感じと相まって作品全体にアンビバレントな印象を残す。視覚で想起される触覚の気持ち悪さないしは落ち着きのなさは、いい意味で癖になる。
 本展には二人の共作である《デュオ=デッサン》も展示されている。各々の線描が自然に溶け合い、それらが全体を成していく様は図形にすら美しさを見て取れる人の感性に対する絶大な信頼が認められて非常に好感を持てた。 二人は互いに信頼し合い、各人の活動領域を尊重し合うベストパートナーだったのだから不思議はない。知人に宛てた手紙の文面でも、トイバー=アルプは夫の彫刻を「いっそう愛らしく」なったと評価したりしている。トイバー=アルプ個人としても「美しさを創り出そうとする欲求が真摯かつ真実である限り、完璧さを目指す努力と一致する」とはっきり明記している。その力強さに肌が粟立つのを止められなかった。
 確かに、どんなに革新的な表現方法もその新しさが説明できた瞬間から古びれてしまうのだと思う。けれど現代まで残された作品に辿り着くまでに作家が究めたもの、その熱意はいつまでも消えないし、今もなお想像的に体験できる。だから尽きない興味と関心。あらゆる運動の命脈はこうして継がれていく。それを思うとダダイズムから分離して始まったシュルレアリスムにも、また強い関心を覚える。やはり「運動」は終わらない。
 『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』展の会期は今年の6月1日まで。興味がある方は是非、アーティゾン美術館に足を運んで欲しい。

『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』展

『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』展

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-03-21

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