恋した瞬間、世界が終わる 第87話「夢の中の現実」

恋した瞬間、世界が終わる 第87話「夢の中の現実」

 例えばそう
 時間は、夢の中にも流れているーー



  夢の中の無時間的に思える出来事たち
  顔を替えて表される
  すり替えられる右眼と左眼
  すり替えられる陰と陽
  現実を模倣しているのか、それとも現実が夢を


 ーーわたしは駅前の通りを歩いています

 何処かへ向かうにつれて人通りが寂しくなる相関関係があるようです

 記憶だけを残し潰れた商店街の跡地が並び、
 それがまた記憶を掘り起こしてゆきます。
 
 「マンション」というには、古く、
 「アパート」というには、新しい。

 どこか団地のような雰囲気、
 駅から徒歩5分ほどの物件。

 そんな近さにある人目につかない質素な建物


 ーー懐かしい匂い

 室内に入ると狭い2LDKの間取りで、2つの部屋が

 リビングはモノトーンの色調で統一されていて、
 棚には何かの花が一輪だけ、いつもの花瓶に生けてありました。

 懐かしい匂いの正体はこれではありません

 室内には花の匂いと、主張を抑えたシャネルのN°5が入り混じり、
 【干渉】し合うように漂っていました。

 【干渉】し合う匂いで、室内には別な記憶や時間が掘り起こされます
 

 ーーリビングに小さく丸い木製のテーブルが置かれました
 

 肩を丸めたわたしと、懐かしい物たちーー漫画の原稿用紙ーースクリーントーンーー鉛筆ーー消しゴムーーGペンーーペン先ーーインクーートレース台ーー近所のダイドーの自動販売機で買った缶コーヒーが1本ーーその影から羽をバタバタさせて、マイマイガが飛ぶーーテーブル上をカーテンが仕切り、その仕切られた先のTV画面にはメトロポリスが放送されていますーー古い映像が欠けた塊のように煙霧をつくるーー大好きな祖母、ばあばの気配がテーブルを隔てた空間に感じるーーでも、手を伸ばすことができないーー夜更かしを続けるわたしに、朝を報せる窓のスズメの音ーー不健康な生活リズムーーカーテンの向こうから子供の誘い声がーー柔らかい日差しが部屋の中を照らすーー盆踊りの放送が流れて、太鼓の打音が木靈する夕方ーー黒い種子のようなものがわたしの前に置かれーーその向こうのカーテンを隔てた場所には白い種子が置かれるーーテーブルの前に人が通りーー徐々に人溜まりができるーーその人溜まりが開く瞬間に入ってきたのはーー【わたし】ーーテーブル越しにある瞳に気づくとーーテーブル越しで入れ替わり立ち位置が逆にーーテーブルの上に、シャネルのN°5のパルファムが置かれるーーその向こうのカーテン越しには、シャネルのアリュールの瓶ーー欲望に塗れた話しに夢中な客の口と眼がシンプルな黒いワンピースでドレスアップした姿に集まるーー遅れてやってきた背の高いバーバリーの黒ではないコートを羽織っている客ーー青い眼が視界に入るーー迎えに座るその人は、左手でグラスを持ち、品の良い飲み口をグラスの縁に残すーー混ぜ合わせた氷の音に会話の切り口を見ているーー落ち着いた香りが漂うーー推し量ることができない官能的な匂いーーその人の左手が回内、回外するーー大好きな祖母のばあばの気配が消えるーーわたしは、頼まれて「カルト作品を作る」ーー「過程」と「結末」を探るための実験ーー不完全なシナリオで、埋もれてーー留まり、拡張し、置き換わり、組み替え、別なものになるーー「新型マナヴォリックウィルス」ーーわたしは同人誌を手伝いながら、背景の仕事や、スクリーントーン貼りなどを任されるうちに独自なやり方を発見し、それを試してみたい欲求に、負け、こっそりと、わたしの色使いへと侵すーー夜な夜な更けてゆくわたしの筆が下細い線を引き合わせた先に誰かの姿を浮かべるーー「カロドポタリクル」がテーブルに置かれるーー置き手紙だけが残るーー


  もうこのアパートは安全じゃないわ
  いい、アリュール。聞いて欲しいの

  私の遺伝子を盗みにまた誰かが来るわ

  その時、アリュールの身も危ないの

  ごめんね。その理由は話せない


  私は、都会の喧騒が好きだった
  考え方の異なる色んな人々で溢れていて
  都会は孤独だけど
  そんな中で誰かと繋がった時に生まれる感情

  だけど、アリュール
  あなたに会って
  田舎というものが、恋しくなったの

  私の価値観になかった
  その憧憬

  私はずっと無理をしていたのかも
  都会が合っていると思ってた
  でも、田舎の静けさが好きだと分かった

  喧騒の中で踊り、踊り終えて、私たちのことを考えた

  だから、アリュールを
  いや、アリュールが大切な人を助けたい

  私は、“次の人”へ賭けてみる

  そして、アリュール
  あなたが受け入れなければならないことは
  誰でもいつかは亡くなるということ


 ーー夢の中のテーブルの上に置かれた薬
   
  カロドポタリクルの錠剤

  わたしが外へ出るために出来ることは、
  わたしの分身を作ること。



タクシーの車内にてーー


雨は上がらず、益々、深く
深淵へと達するまで
その箱を埋めるまで
誰かのことを決壊させるまで
終わらない様相を帯びているように視えます

 
車内の外には、夜明けに浮かぶ月の名残りと、空に居続ける赤い星ーー


わたしの白いブラウスを昨日の血が染めてしまいました。血の匂いは消えたけれど、少しの滲みなのに以前とは別なものに替わってしまったように感じます。
何処かで禊でもしたい気持ちです。この赤い何かが居残り続けることの違和感。
それにあの娘が手当てとして貸してくれた赤くなったハンカチ。こっちは元の色には戻れそうにありません。

「メトロポリスは観終わったけど、これからどうするの?」

メトロポリスを鑑賞後のわたしたちは、運転手の紹介でnew leavesのメンバーの家で一晩を過ごしました

わたしの左眼は、昨夜のうちに幸いにも家の主人である町医者によって適切な治療を受けることが出来ました。
その町医者であり、new leavesのメンバーでもある高齢の男からは「傷がもう少し深ければ失明していましたねえ。この傷痕は残りそうだなあ。ま、あなたは根性ありそうだから、何とかなるでしょ? 大体が根性でなんとかするんでしょ?」と、配慮が行き届いた優しい気遣いが……。


「あのう、どうしてわたしたちを助けてくれたんでしょうか?
 それに……これから一体どうしたらいいんでしょうか?」

あの娘が、朝になっても深々と続く雨模様に何となくの方向性を見ているような車内の不確実性に気づいたみたいです

「つまり君は、確実性…人生に保険が欲しいというわけだね? その人生に必要な保険として、例えばそう、犬が欲しいと思っている。何故かというと、生涯のうちのどの時期を孤独で過ごすのかによって、人生自体の進行度合いが決まってしまうからだ。パートナーを得ることが出来ても、子孫を残せず、古来から続いてきた人類の役目に助力することが出来なく、さらに、死別や離婚などをして、何かの線が途切れたのだと感じたとき、新たな線を見出すにはとても前向きなエネルギーが必要になることを知る。そのエネルギーを一人っきりで産み出すのはとっても大変だと。そんなとき、傍にでも自分の傷を舐めてくれるような犬がいれば、立ち直ってやっていけるかもしれない、と。そんな保険が欲しいのだね」

「その時になってみないと分からないことに、今から予防線を張ることは悪いことではないわ」

わたしは長ったらしい男の話が、益々、この雨を長続きさせてしまうようで、この手の話題はうんざりよ、という気持ちを言い換えてみました

「保険の起源は、ギャンブルだったとする話がある。その時代の『ギャンブル』というものは交易関係にあり、損害に繋がることとは、盗難や天災が主だった。極論を云うなら、ギャンブルの損害を穴埋めする手段が保険であり、そのギャンブルというのは、人が外界と関わるときには、それ自体がギャンブル的な行為になっている。他者と交わらない人生などないのだから、人生は常にギャンブル的な行為であり、確実性の中には不確実性が含まれているというわけだ」

 保険の前史として、紀元前2-3世紀の中国やバビロニアにおいて、商人が荷物を
 紛失・強奪された際の補填が行われていた。また、紀元前1世紀のロドス島で
 は共同海損が運用されていた。地中海貿易では冒険貸借(bottomry)という、
 保険金を商船の出航前に受け取り、商船が無事に商売を終えると保険金に利子
 をつけて返還する仕組みがあった。
 (中略)イスラーム圏は利子を利用する点やギャンブル性を根拠に保険をシャ
 リーアに反すると考えるため、タカフルという共済や頼母子講に似た商品を販
 売している。
 (ウィキペディアより)


「ええと、つまり何が言いたいの?」

「つまり、彼らの『マニュアル』だって確実なものではないというわけだ。彼らが伝えた国民への行動規範は生き方の一つ一つを細かく指示しているが、ただの保険なんだよ」

「国民に相当な貸付を行ったということかしら?」

「ただ、僕らにも保険が必要ではある」

男は、手荷物から古いノートパソコンを取り出しました

いつの物かは分かりませんが、角ばった形で、小さなリュックでは微妙に入らないかもしれない大きさでした。男の仕事用の手提げカバンにはちょうど良いサイズのようです。
車内の席の並びは昨日の距離感が記憶されたままで、後部座席の端から、わたしと、あの娘と、男の人。
わたしは、あの娘越しに男のノートパソコンのデスクトップ画面に映る幸せそうな家族の姿を覗き見ました。

「彼らのコンピュータは、地下にある。それは主に、人の好戦的な意志をコントロールする為に使われた。戦争や紛争や殺傷能力のある道具を用いた事件が起きなかったのはその為だ」

「それは良い事なのではありませんか?」

あの娘は純粋な心でそれを見たようです

「しかしそれは、感知した者の気力を削ぐことでコントロールされている。安楽死が続いたことも不思議ではないだろう?」

確かに…と、ゆっくりと深くうなずくあの娘の頭の動作越しにデスクトップ画面がわたしの視界から消えて、また見えてくると、何かのファイルが開かれていました

「好戦的な気持ちと、昂る気持ちとは紙一重であるということだ」

「保険かギャンブルのファイルでも開いたの?」

「僕らが開発したコンピュータは、地上の上から離れることに重きを置く。詩のように不思議な空間へと連れてゆくものだ」

「そのパソコンを使って何処かの星に移住しようとしているの?」

男はファイルの内容を確認するように目で追っているようです

「この世の“外”に、コンピュータを置くことに成功した。だから、誰も、干渉する事はできないはずだった」

「ひょっとして……そのコンピュータに誰かが干渉したのですか?」

あの娘は男の表情の焦りを見ていたようです

「さっきのあの男……あの見覚えのある顔の客は、それは“テレパシー”そのものとか、コンピュータを作る以前に、人間に組み込まれているとか…あのワクチンには魂が混入されていて、魂の浸食によって、あなたの立ち位置をそっくりそのまま変えてしまうとか…言っていました」

「あの男は誰なんですか…?」

「それに、あの男は、この“ココ”にも何かをしようとしてた」

「動力が必要だということさ」

男は開いたままのファイルに目を落としたまま腕組みをしたようです

「僕らは、クローンみたいなものなんだ
この星にいるほとんどの人間が」

「クローン?」

「そう、オリジナルがまだ何処かで生きているのか分からないけど、
この星はクローンの集まりなんだよ」

「どうしてそんなことが…?」

あの娘も腕組みを始めました

「その【鍵】となるものが地上にあるんだよ」

「その【鍵】となるものって?」

「それは、遺伝子の中にある。みんなのじゃなく、誰かの。誰かの遺伝子の中に隠されている」

「彼らはそれを探しているの?」

「そう。彼らにはとにかく『干渉』するための方法が必要だったんだ」

この今朝の雨が上がらずに、益々、深く、深淵へと達するまで、その箱を埋めるまで、誰かのことを決壊させるまで終わらない様相を帯びているように視えたのは、この男の表情の曇りにまで転移することを予告していたかのように思えてきました。男は、頭を抱え始めました。すると、隣に座るあの娘にまで、その様子が転移して、同じ場所まで落とされるように、あの娘も頭を抱えてしまいました

「マニュアルも所詮は、作り物です。作り物の物語には、作り物の嘘を交えることができます。だから、人工知能を包括する人工知能のようなものを作ればいいのです」

「あなた…もしかして、運転手さん?」

すっかり存在が薄くなっていた運転手さんが出てきましたよ

「はるか昔に、神が与えた物語を忘れてしまった私たちは、作り物の物語によって人類を紡いできました。ですが、“紛い物”の、不自然な想像では、もうダメなのです」

「しかし、神が人類に与えた“あの本”は、何処かにあるはずだ」

男は運転手の言葉に何か気づくことがあったようです

「わたし、頼まれたんです。白い服の人に」

「白い服? それは、もしかして女の人かい?」

男は、今日初めてわたしの方に顔を向けました

「ええ、そうです。その人に、


  ーーあるシナリオを完成させてほしいのですーー

 
そう、頼まれました」


 あの時、わたしの内側で響く声の主から頼まれたこと

あの瞬間ーーわたしーーの考えの中に読み起こされる『物語』が上書きされて、
わたしの“眼”が「未来」と「過去」を『(仮の)現在』として線で結んだーーでも、鈍い痛みが走りーー左眼の傷がその先の視えるはずのことを妨げます

「わたし、預かっている本があるんです」

それでも諦めず、何かを思い出そうと努めたとき、以前に居たココがわたしに“読んでほしい”と貸してくれた本があることを思い出しました。
借りたまま返さず、しかも、読まずにいた本。

これですと、リュックの中身を探ってから取り出したのは、二冊の本でした

「この本は…僕も知っている」

「一冊は、隣りに座るココが貸してくれた詩集です」

隣に座るあの娘はわたしの方を向いて頷きました

「お客さん、その詩集はわたくしも持っています」

運転手が会話に入って来ました

「new leavesに入会すると貰えるんですよ」

そう言って、運転手は助手席の収納スペースのグローブBOXを開けてから、運転に注意しつつ、後部座席に居るわたしたちに見えるように片手で本を取り出しました

「そして、面白いことに…」

と、運転手が伝え方に注意してなのか、少し考える間を置いて

「黒い服の男たちも同じものを持っていると言われています」

「……同じものって? つまり……new leavesと黒い服の男たちは、仲間?」

運転手と男の顔を覗くこうとしましたが、不意の恐れがそれを躊躇いました


運転手は問いに回答せず、会話を続けました

「詩集の中に、このような詩がありますね」



 長い雨は、止まず

 迷っていた
 どこへ行くのか

 道に迷った


 抜け道がある
 きっと底のほうにね
 溜まっているそれを掻き分けて
 そしたら見つかる

 見つけられるか?

 積み上げてきてしまった
 いろんな悲しみ
 それの多さに底さえ見えない

 命が見える
 自分の命が見える


 抜け道がある
 きっと底のほうにね
 溜まっているそれを掻き分けたら
 そしたら見つかる

 長い雨を掻き分ける、書き分ける


「何なんですか、この詩集は?」

「物語…ではある」

男が口を挟みました

「運転手、このタクシーの車内には足りないものがある」

「足りないもの? はて…何ですかね……ロマンス?…あ、ひょっとして…女性性? あ、女性的な魅力が欠けている!!」

わたしは、何言ってるのこの×××と聞こえないほどの“つもり”の聞こえても構わない声を漏れ出しながら、運転手の軟弱な顔に眼の力で過酷なプレッシャーをかけてみることにしました、しましたよ? あれ、どうしたの? こっち見てご覧なさいよ? ん? 誰のことを言っていたの? わ・た・し????

「というのは、冗談です。ココさんが魅力的ではないわけありませんからね」

そうよね。あの娘に魅力がないわけないわ。
そうよ…って、あっれー? わ・た・し・は?

「ちょうど彼らからメッセージが届いているんだよ」

「メッセージ?」

男は、隣に座るあの娘の膝にノートパソコンを置き、わたしにも見えるようにしました


 

恋した瞬間、世界が終わる 第87話「夢の中の現実」

次回は、4月中にアップロード予定です。

恋した瞬間、世界が終わる 第87話「夢の中の現実」

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  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-03-20

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