
養老の滝と竜宮
指小説です。
龍神がその山におり立ったのは十万年も前のことだろうか。
山に雨を降らせ、小さな滝を作り、滝壺の周りには植物や茸が育っていった。
龍神は滝壷を住処とした。
滝壺からあふれた水は小さな流れとなり、小さな流れが合流しながら大河となって海に注いだ。
大きな川の山裾には縄文人がすむようになり、滝のあるあたりを人が歩き始めた。
縄文人はふえ、一万年をすぎたころ、新しい人間がうまれはじめた。
まだ言葉もない時代、一人のじいさんが龍神のいる滝壺にたどりついた。いずこからか長い間歩き続けていたのだろう、羊歯におおわれ苔むし、濃い青緑の滝壺をながめ、髭にたまった滝から落ちる水のしぶきを一なめすると、おおーと声を上げ、ぺろりと舌をだした。また一滴、口の中に吸い込んだじいさんはよろよろと、滝壺のふちにすわりこんだ。
かかるしぶきをからだで受け、とうとう、滝壺の水に口をつけて吸い込んだ。
酒だ。
じいさんは酔っ払い、滝壺に転げ落ちた。手を動かすどころか、丸まっちまったじいさんは滝壺に吸い込まれていく。
ち、
午睡を楽しんでいた龍神は舌打ちをして、滝つぼのそこから頭を上げ、落ちてきたじいさんを水面に向かって突いた。
じいさんは泡ぶくに包まれ水面に顔を出した。
命をもらったじいさんは、滝壺から這い上がり、ふちに座り込んだ。毎日毎日、滝のしぶきを口にふくみ、酔ったまま生きていた。骨のようになったじいさんはそれでも滝のしぶきを浴びて生きていた。
また違うじいさんがやってきた。骨になったじいさんの隣で、滝のしぶきを受け、同じように酔っ払い、やがて滝壺に落ちた。
龍神はまたもや、水からそのじいさんをつきあげ、じいさんは滝壺の脇で、しぶきの酒を口に含み、骨だけになっていった。
じいさんを区別するため、龍神は最初のじいさんを甲と呼び、後のじいさんを乙とした。
それからどのくらい経ったかわからぬが、またじいさんがやってきた。
こんどのじいさんは、いきなりごくごくと、滝壺にたまっている水を飲んだ。口に入るとそれは酒に変わり、その場で酔いつぶれた。口だけは水に入れたまま飲み続け、やがて骨になった。
龍神は手間のかからなかった三番目のじいさんを丙と名づけた。
長い長い時が経ち、滝壺の水が流れて大きな海とつながったとき、果てしもなく長いうなぎが海から泳いできた。
龍神は滝壺のそこに来たうなぎを見て顔をもちあげた。
水の流れは時の流れ、このものたちが時を飲んでしまい、時がよごれておる、海がにごっておるなんとかしてくだされ
それはうかつなこと、わかりもうしました。
うなぎは時の神の化身、水を産む龍神の師、龍神はすぐ行いますと答えた。
それには海の汚れをしらねばならぬ。
ウナギは海の中で育つ間にいろいろな海の生き物にあい、水の世界を教わり、時の神としなったという。
海の底で、魚たちに教えを授ける魚神が寄生虫病にかかり、タイやヒラメが虫退治の舞を舞っているのだが、いっこうによくならない。大人の魚が虫退治にかかりっきり、そんな中で育った魚の子供たちが、やりたい放題に海を汚し、魚神にますます寄生虫がついてしまったという。
寄生虫は神吸虫と言う。神の力を栄養として生きていて、深い海の底の泥の中で生まれるのだが、酸素の多い海の表面にはでてくることがない。それが、海の汚れで浮上することができるようになり、ふらふらと上ってきてしまった。
魚神は見回りも自分の役目、汚れ具合などを海面近くで見て回っていたときである。神吸虫が魚神にとりついてしまった。とうとう海は不法領域になってしまったのである。今海は荒れ放題だとウナギは龍神に説明した。
何とかならぬか、龍神どの。
はて、どうしたらいいかと龍神は落ちる滝に稲光を当てた。落ちる水にきらびやかな金の粉が混じった。
滝壺の周りで、口を開けて空を見ている三人の老人に金の粉の酒が注ぎ込まれた。
じいさんたちはごくごく飲んだ。
やがて、三人のじいさんたちに肉がつき、滝壺であぐらをかいた。
龍神は滝壺から顔を出しじいさんたちを見た。
じいさんたちは龍神を拝んだ。
海にいっしょにいってくれまいか。
龍神は三人のじいさんに言った。
へい、この滝壺とわかれるのは辛うござんすが、今までのうまい酒のお礼でございますで、海でもどこでもまいります、三人は声をそろえた。
それはありがたい。
龍神はこれをもってついてまいれ、瓢箪を三人にわたすと、滝壺からぬるりと流れにみをまかせて、川へとはいった。
ひょうたんの蓋を開ける前から、じいさんたちは酒の匂いをかぎ取っていた。
ひょうたんに口を付けると、それはそれはうまい酒が喉にながれこんだ。
不枯れの瓢箪と申してな、酒はいつまでもでる。これから手伝ってもらう礼じゃ。
川に入った龍神が振り返った。
じいさんたちは、ひょうたん片手に、酒を飲みながら、滝壺の周りをひょひょこ踊り出した。
踊るのは海でやれ、
龍神は三人のじいさんたちに背中に乗れとうながした。
じいさんたちが、龍神にまたがった。
滝壺から顔を出した時神のウナギに、海をきれいにして参りますが、時かみさまはいかがされますか、と龍神がきいた。
わしは、この養老の滝壺で、時を流すことにすると返事をした。
それからはこの滝は時の流れになった。
三人のじいさんを乗せた龍神は、川から躍り出ると、空中に舞い上がった。
あれよあれよと言う間に陸地から離れ、南洋の海にやってきた。
なんとも暖かな風が吹きよるわい、とじいさんが下を見ると、雲が浮かんだ平和な空とは大違い、大きな波のうねりが白いしぶきを上げている。
あ、みたこともない大きな渦巻き。
龍神は、その真ん中に、急降下。角の生えた頭からズボリと音をたて、じいさんたちを乗せたまま一気に海の中に入った。
瓢箪の酒で酔っちまっているじいさんは、怖いなんて感じる暇もない。
背中にしがみついていたとたん海のなか。
黒い海の水が眼にしみる。
確かに汚れておる。
そういいながら、龍神は海の深い深いところまでもぐった。
真っ暗な中でも、龍神が青白く光り、周りを照らすので、あたりがよく見えた。
海の底には珊瑚の林がひろがっている。
黒く汚れているが、赤白黄色のきれいな珊瑚。
ずいぶん疲れておるのう
龍神が珊瑚に声をかけた。
ああ、龍神さん、よくきてくれた、とポリプを伸ばすのだが、クシャミ連発。海の水が汚たのうて弱ってとる。
そうだのう
龍神が珊瑚に言う。ここにわしの社を建ててくれ、さすれば、海の水をきれいにしてつかわす、
それを聞いた珊瑚のよろこびようったらない。ポリプが分裂して、珊瑚が増殖。あっという間に、えもいわれぬみごとな城を築いてしまった。
龍神の館である。
さて、それでは、海から汚れをなくしてやろう。さあ、じいさんたちの出番じゃぞ、そういわれて、じいさんたちは、龍神の背中からおりた。
龍神の館にはいったてみると、中はきれいな部屋ばかり。
館の中で、龍神はじいさんにきいた。
女になることができるか。
龍神の問いに、甲と丙は、ワシ等は女しか知らんで、だからむりだろうなあ、と答えた。
乙は、ワシャ、少しはその気があったから女になれるかもしれん、と答えた。
そうか、それなら、乙じいさんには女になって、この城で鯛と平目とともに、魚たちに舞を教えろ、甲は亀になり、海と陸の間をとりもて、丙は海の中で葉を茂らせる海の草となれ、と申し付けた。
そういわれたじいさんたちは、そうなろうと思うと、あっというまに甲は亀になり、乙は見目麗しい女になり、丙は海の中の緑の葉、海草となった。
甲は人間をこの城につれてまいれ、乙はもてなせ、丙は酸素を蒔け。
こうして、海の深い深いところに、龍神の館が作られ、魚たちが舞い踊り、海の水を清らかにし、人間を呼んでもてなした。
海は清らかになり、平和があふれた。
人間たちは、それを竜宮と呼び、乙姫が住む館だと、言いふらしたのである。
ところが、養老の滝に、時の神、うなぎを置いてきてしまったことから、竜宮では年をとらない。亀におくられ竜宮から戻った人間はすぐに骨と皮になり、万が一助かった者も白髪の痴呆となり、竜宮のある場所を忘れてしまうということである。乙姫の手が触れた喜びだけを覚えていた。玉手のあたたかいこと。
今も南方の海の底、時を忘れた竜宮城が、誰にも知られることなく輝いている。
養老の滝と竜宮