わたしとネギ
わたしとネギ
すぎて、いきすぎて怖くなるとき、あからさまな思いが去来する。
わたしのブレーキは子どものときに、すりきれ、こまぎれ、火花を散らし、壊れてしまった。だからいつも、わたしはひとり、さみしさをヤスリで削る。まっすぐ伸びて、鋭利に、すんと青く、しんと澄むように。森のなかで、耳をすませて、聞こえる水音のように。
さみしさはその先端をあなたに向ける。あなたは何も言わない。奇妙な目をして、わたしを覗く。傍からこぼれたかすかな悲鳴はあなたには届かず、細かくきざまれる。
ネギは青辛く、臭みがある。チャーハンを作るときの、包丁できざむこのわずかな作業に、わたしは感じる。あなたとはちがう、なにか嫌な、だけどやけに心地良い、個性とやらの美しい孤独を。人はなぜ、ネギを拒絶するのか。まえの恋人のようちゃんは、口がくさくなるからと言った。ネギのキスは嫌だろ? だから食べないよ。ネギは残された。丸く固い皿のうえで、しなり、なえて、しょげたネギが、ゴミ箱に捨てられる。
わたしはチャーハンが好きだ。頭に浮かんだチャーハンには、必ずネギがある。じゃあ、ネギが好きかと聞かれると、わたしはまた変になる。好きな人が嫌いと言ったものを、好きと言えない。またあの奇妙な目をされる。変わった人だと言われる。
ようちゃんはそんなこと言わないよ、とママが言う。でもママにわかりっこない。わたしのことも、ようちゃんのことも、ちゃんと知らないから。
変わらない愛はありますか。それは目には見えないけど、ママは確かにあると言う。ママの言葉にわたしはネギを思いだす。皿のうえのネギ。
ネギはお好きですか? 白い帽子のコックがささやく。わたしは首を横に振る。
うそだ。コックは笑う。どうしてあなたにわかるの。
コックは言った。好きなものを嫌いだというとき、たいてい、人は悲しい目をします。
そういうとき、わたしはこう言います。うそだ。あなたはうそをついている。
そうすると、人はこう言います。どうしてあなたにわかるの。
コックは最後に手を振った。この世にあるほとんどの問題は些細なことですよ。つまり、距離と感情の交差点で離れ離れになってしまうだけなのです。
わたしのネギ。世界で一番不幸なのは、あの皿のうえのネギだ。そして、もうひとつ不幸なのは、わたしだ。ようちゃんはわたしが好き。わたしはようちゃんが好き。わたしはネギが好き。ネギはわたしが好き。じゃあ、そのネギを食べますか? 食べられません。どうしてだろうか。わたしとようちゃん、ネギの距離。
わたしはいきすぎて、ひとり突っ走って、とめどない思いがあふれて、それをあなたに伝えたくて、いつも間違える。
さみしいね、とても。そんな思いすら届けられず、ただひとりもだえて、悲しんで、届かずに透明で、誰にもわからずに大切で、ありったけの願いも過ぎ去って、先端はいつもあなたに向かって、あなただけがいればよかったと嘆く。重い結び目はいつかちぎれ、わたしは白い花を真っ赤に染めたくなる。
すぎて、いきすぎて。怖くて、壊れたくて。
だけど傍にいるのが、悲しみ。あの悲鳴の正体。わたしのなかの、悲しみ。あなたと一緒にいたいという叫びも、虚しく、距離と感情の交差点で、わたしは迷子になった。交差点には皿が置いてあって、そのうえには、青いネギがしなっている。わたしのことだ。
ネギとわたし、その距離と感情、その交差点。
わたしとネギ