プレゼント
幼いころから容姿にコンプレックスのある私。成長してかけがえのないプレゼントを受け取る。少年少女のピュアなラブストーリー。
容姿にコンプレックスのある私に贈られた、運命のプレゼント
黄色みがかって濁った肌色が嫌いだった。
幼いころから、歳に不釣り合いな透明感の無い肌色のせいで、余計に不健康さが際立って見えた。この肌色のせいで女の子らしいピンクのお洋服はことごとく似合わなかった。桜の花が咲き乱れるシフォンのワンピースも、大好きなキャラクターがプリントされたTシャツも、桃色の金魚が揺れる浴衣も、私の黄ぐすみした顔色をより一層悪く見せた。栄養状態の悪い牛蒡のように痩せた体に、夢見るようなピンクの服をまとって歩けば、隣のおばさんもお向かいのおばあさんも、皆服だけをほめた。白桃のような頬をした妹が、お似合いのピンクのブラウスを着て歩いていれば、よく似合っているとほめちぎり、私は彼女たちの眼中からは意図的に外された。
いきおい、学校に上がる頃には男の子のように、暗い色の服ばかりを好んで着るようになる。別に褒められもしないが、悪目立するよりはましだった。成長とともに栄養状態の悪かった体形は改善されて、黄くすみした肌でもそこまで不健康さを感じさせることはなくなった。私の子供時代はほどほどに幸せだったと言えよう。
学校でダンスのペアにされるたび、男子にがっかりとした顔をされても、キラキラした女子の輪に入って行けなくても、友達はいたし親もけなさなかった。私はいじけていたのではなくて、自分を演出することを遠慮していたのだ。
高校に入学したころ、キラキラが入ったグロスが大流行した。さすがに学校に付けてくる子は少なかったものの、放課後のトイレで変身する同級生たちはこぞってつけていた。色は青み混じりのピンクが主流で、寒色系のラメが入っているのだった。
私はお洒落に興味がないスタンスを突き通していた。ポニーテールのおくれ毛も、前髪の癖も気にしないのだと、実践的に主張していた。実際は興味ありありだった。友達のひんやりと火照った唇を見ていると、置いて行かれたような気分になり、自分もメイクの魔力で、シンデレラのように綺麗になりたいという気持ちが、むくむくと頭をもたげていた。
だがである。私はピンクという色が破壊的に似合わないのだ。顔立ちも大人びすぎていた。馬のように面長で、その割に鼻が低い。目は小さくはないが黒目は小さく、口も大きいわりに肉厚感がない。それに何より黄ぐすみみした肌の色。可愛らしいはずのグロスをつけた途端、若作りのおばさん化してしまいそうに感じた。幾度かドラックストアでテスターを手の甲に塗ってみたが、手の甲でさえ肌の不透明さが強調されて見えるのだ。これを唇にのせたら一体どうなる。
その年代の少女たちの例にたがわず、私もまた恋をしていた。相手は背が低いバスケ部のポイントガード、Rだった。Rは背は低いがなかなかの好男子で、落ち着いた物の分っている女子たちから人気がある。もうちょっと、何かのきっかけさえあれば、気持ちが通じて両思いになれそうな雰囲気だった。私たちはよく、部活終わりの黄昏の道を一緒に帰ったものだ。川沿いの通学路で自転車を押しながら、並んで歩く。二人の横を学校でもお似合いだと評判のカップルが通り過ぎた。彼女の方、一学年上の女子の唇もまた、流行りのピンクのリップグロスが塗られていた。
「Mはさ、化粧とかしないの? せっかく可愛顔してるんだから、もうちょっとおしゃれしてもいんじゃないのか? 」
「可愛い? あたしが? 」
土手に剃った桜並木は真っ赤に色づき、夕闇の中でもまだ瑞々しく輝いていた。私の頬はまるで紅葉したように赤くなったはずだ。この顔の私が可愛い? 格好だって極めて地味だ。制服のセーラー服の上に学校指定の黑いコート、厚手の黑いタイツ、髪型だってポニーテールと言えば聞こえはいいが、ただ黒いゴムで一つに縛っただけの髪型だ。
「あたしが可愛い? 本気で言ってる? 」
「うん……」
二人はそれ以上会話を続けられなかった。
一週間後、私に十七歳の誕生日が来た。いつも通り並んで帰路に就くときに、彼からプレゼントを渡された。
それはあの、大流行中のピンクのリップグロスだった。嬉しい、初めての異性からの贈り物! だが、私を苦しめたのは、これが絶対に自分に似合わないであろうというその一点だった。目をぱちぱちさせ、唇にはひきつった笑みを浮かべながら、私は早口でお礼を言った。
「つけてるところ見てみたいな」
Rは私が一番恐れていた言葉をあっさりと口にした。私は背中に汗をかき、ごまかすように薄笑いを浮かべながら、プラスチックの包みを開けて唇に塗った。
手鏡の中で、不健康にくすんだ顔の娘が不安げにのぞき込んでいた。私は、ガムが歯ぐきから離れないとでもいうような微笑みを口元に張り付かせて、彼を見上げた。彼は黙り込んでしまった。涼しげな一重の眼はわずかに涙ぐんでいるようにも見えた。私は罪悪感から川に飛び込んで、一生この顔が人目に触れないようにしてしまいたい衝動にかられた。ああ、何で私はこんな顔に生まれてしまったんだろうか?
「ありがとう、ありがとうね……」
私は無理矢理に笑いながら必死に言葉をかけた。紅葉はくすんだ赤茶に色を落としていた。冷たい風がざあああッと駆け抜けていって、命を終えた木の葉を散らす。急に辺りの景色が冬めいて見えた。私は一人陽気に笑いながら、嬉しい嬉しいと繰り返した。
次の日から毎日、私は放課後にあのグロスを塗った。Rといるとき、必ず必ずそれを塗った。それが私の彼への愛の吐露のように感じられた。私が彼の夢見る完ぺきな女の子ではなくても、その夢の一端だけは握りしめているのだと思いたかった。それは私にとって苦行であった。一番見られたくない、醜い姿をさらしているのだから。
Rには私の気持ちは通じただろうか? 何も言わなかったけれど、私の醜さについて告白しなかったけれど。
私の苦行はある日唐突に終わりを迎えた。
もう木の葉がすっかりと落ちて、冬の装い、雪を待つばかりのころだった。葉が落ちたせいで枝の間から川のきらめきが目に染みる土手の道で、Rはちょっと照れたように、私に新しい贈り物をしたのだ。それは棗ヤシの実を煮込んだみたいにこっくりと深い赤のグロスだった。
「姉ちゃんに写メ見せて訊いたら、きっとMにはこれの方が似合うって言うから」
彼は頭を搔きながらそう言った。私はピンクのグロスを拭き取って、赤のグロスを塗った。手鏡の中の少女の顔色は急に明るくなり、大人びた顔立ちが冴えてぱっと華やかに見えた。鏡から目をあげてRを見れば、彼の顔色もまた赤々と輝いている。
「うん、似合う、似合うよ」
Rはくしゃくしゃの顔になって笑う。
「うん、ありがとう、ありがとう! 」
「それでさ、前から言おうと思っていたんだけど……」
Rは急に居住まいをただした。四十五度に体を折り、右手を差し出した。
「M、俺、お前のことが……」
この先まで書き表わす野暮を、私から免除していただきたい。
あれから二十年以上経った。今年も彼がプレゼントしてくれたのは紅い口紅だった。私は紅い口紅を愛用している。ピンクは決して塗らない。人それぞれに魅力があるのなら、何も目減りして見えるほうを選ぶことはない。
彼が可愛いと言ってくれるなら、私はきっと可愛いのだ。歳をとり、顔にしみが出来て体型が緩んできていても。みじめだ、醜いと自分を卑下する気持ちは、あのプレゼントを受け取った日に消えてなくなった。
彼が贈ってくれたのはただのグロスではない。生きていくうでどっしりと足元を支えてくれる、かけがえもない愛情だった。
了
プレゼント