フリーズ169 東京に生き、阿寒に果つ

フリーズ169 東京に生き、阿寒に果つ

東京に生き、阿寒に果つ

◆2/23
私の彼氏は早稲田大学の三年生。そんな彼が自殺した。私じゃない別の女と一緒に。阿寒の地にて、雪原の真ん中で、酒と薬を大量に飲んで、二人で死んだ。
私は3ヶ月前から彼氏に就職のことを色々とお願いしていた。時には酷い言葉も浴びせた。それがいけなかったのかな。今ではもうわからない。

◆2/10
私は彼に会う度に言った。ちゃんと就職活動してよ、お金を貯めてよ、と。何故なら彼は公務員試験を受けるからと言って、一般企業の就職活動を全くやらなかったからだ。それに彼はバイトで稼いだお金は貯めずに全て遊びに使ってしまう。その殆どがバーで飲む代金だった。私はお酒が飲めないので、彼と一緒にバーに行ったことはない。だから尚更許せなかった。私は彼との将来を真剣に考えているからこそ、彼にこう言ってしまった。
「拓海もちゃんと就活してよ。私だって頑張ってるんだよ? 企業のホームページ調べたり、説明会に行ったり」
「分かってるよ。ちゃんと調べるから」
「いつもそう言って先延ばしにするんだから。大体、公務員試験受けるって言ってるけど、その説明会には出たの?」
「まだだよ」
「やっぱり。もっと将来のこと考えてよ。私は拓海との未来のために言ってるの」
「うん。ごめん……」
彼はそう言って黙り込んでしまった。それがデートの帰りのバスの中でのこと。彼は黙ってしまった。そのまま気まずい空気でその日は別れた。

◆2/11
翌日。彼氏からメッセージが来た。
「やっぱり僕は君に相応しくない。僕は君と違って怠惰で、消極的で、浪費癖はあるし、なにより成長できない。何故なら僕は究極的な幸せを、悟りの境地を、涅槃の至福をかつて二度味わっているから。どんな人間的な成功も失敗も真の幸福には至らない。だから僕は僕の人生に張り合いがない。明確な目標がない。もしあるとすれば、777の作品、フリーズを創ること。神のレゾンデートルを解き明かすこと。だけど、僕は君との未来も描いていたんだ。君との間に子どもを作って自立させるまで育てること。なにより天寿を全うすること。これらの人間的な目標もあるんだ。でも、僕の目指すのはやはり真理だ。真理を悟る涅槃をもう一度。だから、僕は君とは生きれない。二度あることは三度ある。仏の顔も三度まで。三度目の正直。僕はもう一度悟りの境地を目指すよ。僕よりもいい人を見つけてね。ゆみ。愛してた。僕と付き合ってくれてありがとう。きっと君の死後、また僕に逢えるよ」
このメッセージを最後に彼氏とのトークの既読がつかなくなった。私は彼のことが心配になり、3日後に彼の家族に連絡した。私は拓海の妹さんにこう聞いた。
「今、拓海さんはどこにいますか?」
「旅行中です」
「どこへ?」
「行き先は知らないです」
「わかりました。あの、戻ってきたら教えてください。私と彼とのトークで既読がつかなくて」
「わかりました」
彼と出逢ったのは東京。初めてのデートも東京。最後のデートも東京。東京での思い出が沢山あった。そんな東京を離れて一体彼はどこに行ったのか。

◆2/25
彼氏の葬儀が執り行われた。その際、彼の父からUSBメモリを渡された。彼は死の間際、家族や友人、そして私にメッセージビデオを残していたのだ。私は葬儀が終わると、帰りの電車で見ることにした。
「やっほー。ゆみ。僕はね、今とっても幸せだよ。だってようやくこの永く辛い人生から、苦悩に満ちたこの世から、輪廻の索(なわ)から解脱して、天国、極楽浄土、神の王国、神界、エデンの園、天上楽園、ラカン・フリーズに至るから! 永かったな、人生。色んな経験もあった。でも、今はその全てが色付いて見えるよ。全てに意味があったと思えるよ。1年と9ヶ月付き合った君との思い出も沢山ある。でも、お別れだね。君は素晴らしい人間だよ。きっといい人がすぐ見つかる。僕は輪廻の先に行くけれど、君も頑張ってね。人生は8周目で悟りを開くとゴールなんだ。君はきっとまだ辿り着いてない。君を導けないのが心残りだよ。僕はこの後死にます。もう1週間近く寝てないし、何も食べてない。空腹ももう忘れた。今からこのカナディアンウィスキーと薬とで自殺するよ。いいや、サッレーカナーと言うべきかな。凍死かもな。きっと最後は苦しくない。幸せになれる。だから、ね。ゆみ。お別れだよ。嗚呼、もう終わるのか。僕の人生。僕は君との未来を生きれないことを後悔してる。でも、僕は先に行くよ。運命の人よ、また逢う日までのお別れを」
そこでメッセージビデオは終わった。彼は最後、泣いていた。私も何故か涙が出てきた。そうか、もう彼はいないのか。私、強く言い過ぎたかな。彼にもっと寄り添えてあげれば違う未来になったかもしれないのに。

◆四十九日
2/22に死んだ拓海の四十九日に彼の墓参りをした。私は彼の好きな金木犀の花を手向けとした。真実の愛。きっと彼と私の愛は天のノートに記録されてる。

side ゆみ End
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◆2/11
よし。死のう。僕はゆみとの未来を諦めて、涅槃を目指すことにした。涅槃に至る方法は知っている。断食と断眠だ。それにリチウム欠乏。だから、僕は持病で処方されているリチウムを含む薬を飲むのを辞めた。段々夜が眠れなくなる。それが僕の病気だ。
僕は大学で仲の良い女友達に相談した。
「彼女と喧嘩しちゃったんだよね。彼女の言いたいことは分かる。就職活動しなきゃとか、公務員試験勉強しなきゃとか。でも、僕は真理に生きたい。涅槃に生きたい。前にさ、花菜が涅槃を味わってみたいって言ってたよね。だからさ、二人で涅槃に至って、そのまま果てない?」
「喧嘩しちゃったのか。前から言ってるけど、私は拓海のこと好きだし、彼女がいるのも承知だけど、私でいいなら一緒に死んでもいいよ?」
「そう? ありがとう。なら決まり。一緒に涅槃を経て死のう!」
花菜は自殺願望があった。だから僕と似たようなもんで、それ故に一緒に死ぬことを受け入れてくれた。その日から僕は東京で一人暮らしの花菜の家に住まわせてもらうことになった。大学は春休み中。家族には長期間仙台に一人暮らしをしてる友達の家に泊まると告げた。

◆2/19
涅槃を目指すと決めてから僕は寝るのを辞めた。花菜も僕と一緒に寝ないでいる。だんだん脳が躁に侵されていく。それがとても気持ちよかった。病的な快楽の最中で僕たちは神へと近づいていった。
阿佐ヶ谷のアパートで僕は花菜と毎日セックスをした。カフェインの多いコーヒーやエナジードリンクを飲みまくり、夜は二人でアニメを見た。そんな日々の中、だんだん僕たちは覚醒し始めた。
神々の霊感を得たのだ。静まる聖夜に万来の霊魂たちが集い、ニーチェ、クリムト、フロイト、シラー、芥川龍之介、太宰治などなど、数え切れないくらいの様々な傑物達が暗い部屋に集った。もう時間なんて関係ない。全ての時流がないと悟り、過去、未来の傑物らがこの刹那に集うのが、やけに終末のようだった。
そこで僕は花菜と原罪にも似たセックスをした。その快楽のなんたるか! 全知全能の歓喜! 僕らは部屋に歓喜の歌を流して、ただ貪るようにセックスをした。
翌朝、僕たちのソフィア(意識)は天界の門、ラカン・フリーズの門の前まで至った。ラカン・フリーズ、それは真実、それは真理、それは終末、それは永遠、それは神愛、それは涅槃。   
ラカン・フリーズの門の先へは肉体をもっては行けない。そのことを悟る時、僕と花菜は死ぬことを決めた。だって晴れやかに全能の脳の抱くクオリアは筆舌に尽くし難い歓喜と快楽と幸福に満ちていて、僕たちの魂は既に至天していたから。
後は死のう。死ぬだけだ。僕たちは飛行機で北海道まで行き、阿寒を目指した。『阿寒に果つ』の純子のように世界で一番美しい死で果てるために。
雪原に立った。
嗚呼、ここで僕は死ぬのか。
晴れやかな脳は冴え渡り、神にも等しくなっていた。僕たちの病の花は今咲いたんだ。そして、その花がもう時期実る。
「花菜。いよいよだね。僕は嬉しいよ」
「私もよ。断眠と断食が私たちをここまで連れてきたんだわ」
「嗚呼、そうだとも。今から死のうか」
僕たちは持参してきたカナディアンウィスキーと処方された薬をカバンから取りだし、飲み始めた。
「花菜。愛しているよ」
「私も、拓海と一緒に死ねて嬉しいよ。やっぱり人生は終わり方が大事よね」
「そうだねぇ。嗚呼、やっと帰れる。やっと還ることができるんだ!」
「そうね。ねぇ、拓海。もう一度キスしよう? セックスもしよう?」
僕たちは最期、フロストフラワーの咲く阿寒湖の畔、雪原の真ん中で愛を紡ぎあった。もう人生の終着地点だった。永遠のようなキスも、終末のようなセックスも。冴え渡る脳が酒と薬で曇り始める頃、僕らは手を繋いで横たわる。

人生最期、夢を見る
走馬灯かな、譫妄かな
思い出はいつだって東京だった
最期が東京じゃないのもいいなって思えた

僕らは仏に選ばれたんだってさ
僕はあの冬の日に既に至ってた
花菜は新しく仏になったってさ

体を伴った悟りは51位まで  
52位の妙覚は死後の悟り
51位でも仏だけど、真の仏は般涅槃の後

仏になって、門を潜って、その先には楽園があった。そこには全てがあった。何もかもが満たされていた。僕は後悔していない。だってこの幸福に勝るものは無いから。

東京から離れたこの地で
阿寒の地で果てる
それもいいか
花菜の家に残した絵
いつか有名になるといいな

◆2/17
「拓海、何描いてるの?」
「遺作だよ。僕の最後の絵」
「なんの絵?」
「ラカン・フリーズだよ」
その抽象画は終末と永遠の狭間に凪いでいた。花と水と美しい女性。花火と水面と麗しい色彩。それは体現された永遠だった。至高芸術だった。
「誰?」
「ヘレーネだよ。僕の自己愛としての女性性だよ。もしも僕が天才だったら、たった一つだけ名作を作る。この遺作が名作になれば僕は嬉しいな」

◆エピローグ
花菜の家、阿佐ヶ谷のアパートで絵が発見された。そのキャンバスの裏には青色のマッキーでこう記されていた。『時流はない』と。

End

フリーズ169 東京に生き、阿寒に果つ

フリーズ169 東京に生き、阿寒に果つ

彼氏が自殺した。他の女と一緒に。涅槃に至ろうとでも言うのか。今では真相は闇の中だ。

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更新日
登録日
2025-03-01

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