ネコといつまでも・にゃー
1
「かーちゃん、メシー」
 返事は。
「は?」
「えー」
 いくらなんでも。
「メシだよ、メシー」
 無視。
「かーちゃん、メシはまだかーい」
「さっき食べたでしょ」
 じいさんか。
「食べてないってー」
「食べるの?」
「食べるよ!」
「生意気ね」
「なんでさ!」
「稼ぎもないクセに」
 ぐさっ!
「それは言わない約束で」
「おい」
「はい」
 小さく。
「あんた、それでもネコノリって言えるの」
「うう……」
「甲斐性なし」
 とどめの。
「うわーん!」
 飛び出す。
「ちゃんと稼いでこないと家に入れないよ! わかったねーっ!」
 行きつけの店。
 ここでも。
「やーん、オトコらしー」
「もっと呑んでー」
「ママ-、こっちボトル追加ー」
 大歓迎。
 されていたのは。
「く……」
 悔しさに。
「あーら、来てたのー」
 こちらは。
「まー、テキトーに水でも飲んでて」
「水って」
 せめて、ミルク。
「にゃー」
 猫。
 ネコノリのささやかなアピール。
「はい」
 出た。
 餌の皿に入って。
「にゃあー(涙)」
 どんなに泣いても鳴いても。
 無意味。
「わかってんでしょ」
「に……」
 わかってる。
 大きな獲物をとってきたものが偉い。
 港の絶対的ルール。
 日帰りの小魚より、遠洋航海の巨大魚。
 それがゆるぎない掟なのだ。
「にゃー」
 ぺろぺろ。
「ほーら、おなかいっぱいお飲みー」
 屈辱。
「ほらよ」
「あ!」
 そこに。
「マドロス!」
 飛びつく。
「にゃー❤」
 猫そのものに。
「おー、よしよし」
 こちらも。まんざらでもないと。
「ぺろぺろぺろ」
「あははっ。くすぐったい、くすぐったい」
 やらさせたい放題。
「おっと」
 手を。
「悪いクセは治ってねえなー」
「に、にゃあ」
「ヒト語で話せ」
「ごめんにゃさい」
 微妙に。
「一杯おごってやるんだから我慢しろ」
「ケチー」
 途端。
「ぐほっ!」
 横から。力いっぱい。
「誰がケチだってぇ」
 ずらり。並ぶ。
「今夜この店はね、マドロスの貸し切りなんだよ」
「まー、まともに漁に出られない誰かさんには無理なハナシだけどー」
 ぐさっ!
「出たくなくて出ないわけじゃ」
 つんつん。指を。
「ねーん、マドロスぅー」
 さらり無視され。
「あたし、買ってほしいものがあってー」
「やーん、わたしだってー」
「みんなばっかりずるーい。わたしもー」
(く……)
 完全に。
「マドロス!」
 たまらず。
「ちょーしにのるなよ!」
 とたん。
「ううっ」
 向けられる。無数の冷めたい目。
「やーねー」
「わかってない子ってー」
(ううう……)
「あれ? 負け犬の遠吠え?」
「負け猫じゃない」
「猫って遠吠えするのー?」
 大爆笑。
「う……ぐぐっ……」
 屈辱。
 もう止まれない。
「せからしか!」
 どこ弁だと。
「勝負だ!」
 言っていた。
2
「それで」
 あきれて。
「なんとかしてほしいと」
「ほしいっス」
 またもの舎弟口調。
「あのね」
 あきれる。
「あなた、わたしに何をしたか忘れたの」
「忘れたっス」
(こいつは)
 本当だからタチが悪い。
「あのねぇ」
 噛んで。ふくめるよう。
「殺されかけたの」
「誰に」
「………………」
 マジか。
「殺されかけたんスか」
 驚き。本気の。
「悪いやつがいるもんスねー」
(頭が)
 言ってやりたい。
「とにかく」
 言ってやる。
「イヤだから」
「そんなー」
 ずるずるずるー。
「ひっつくな」
「やーだー」
 駄々っ子か。
「神なんス」
「は?」
 またいきなり。
「港町には、五十軒くらい酒場やクラブがあるっス」
 知らない。
 そういうところにはあまり近づかない。
 近づけないと言うほうが正確で。
 地元。
 その濃厚な空気が。
「そこでは絶対の掟があるんス」
「はあ」
 あるんだろうな。とは。
「差別っス」
 差別。
「マグロが一番」
 ふーん。
「サンマもイワシもぜんぜん後っス」
 へーえ。
「それが伝統っス」
 伝統。
「伝統的差別っス」
 だから?
「何年かに一度、クジラっス」
 だから?
「これには誰も勝てないっス。ナンバーワンっス」
「わかったから」
 わかってはいないが。
「普通じゃ勝てないんスよ~」
 泣きつかれる。
「クジラレベルがほしいんス~」
 そんなこと。
「知らない」
「そんな~」
 逆に。
 なんで、どうにかなると思った。
「あるんじゃないスか~?」
 何が。
「裏技っスよ」
「………………」
 追いつかない。
「何の」
 とりあえず。
「勝利の方程式っス」
 つかめない。
「えーと」
 なんとか。
「なんで」
 聞く。
「それをわたしが知ってると」
「先生じゃないっスか」
「………………」
 皮肉で言っているのか。
(いや)
 違う。
 バカなのだ。
 根っから。
「はーあ」
 あきらめるしか。
「いいわよ」
 腹を決め。
「あなたには借りがあるから」
「さすが、姐さん」
 誰がだ。
「で」
 本当にいまさらながら。
「何がしたいの」
「勝ちたいんス!」
 それはそうだろうが。
「どうやって」
「お願いしまっス!」
 丸投げか。
「あのねー」
 大体。
「何の勝負なの」
「オトコの勝負っス!」
 でなくて。
(あー)
 イライラする。
「要点だけでいいから」
 とにもかくにも。
「わたしに何をしてほしいの」
「お願いしまっス!」
「ちょっとは具体的に言え!」
 キレた。
「具……タイ?」
「何を想像してる」
 聞きたくも。
「それっスよ!」
 快哉を。
「タイっス! これなら勝てるっス!」
3
「かいせーっス!!!」
 無駄に。元気いっぱい。
「ぜっこーのばくちょー日和っスよ!」
「………………」
 なぜに。
「と、思うのが素人のあさはかさっス」
「えっ」
「あかさかはっス」
 言い直すな。
 言えてないし。
「あたかたは……あれ? あかさたな……んあ?」
 なぜ、どんどん言えなくなる。
「あたたたた」
「おい」
「言えた」
「おい!」
 我慢できず。
「なんでよ!」
「聞きたいっスか」
 得意げに。
「快晴だと見通しが良くなるっス。それは海の中でも同じ。つまり、サカナからもこっちが丸見えなんス」
「そうじゃなくて」
「だから、一番いいのは薄曇りの日! それより天気が悪いと今度は海が荒れるから、やっぱり漁には」
「あのねぇ!」
 いいかげんに。
「なんでよ!」
 うわずる。
「なんで、またこれに乗せられてるのよ!」
「ネコっス」
 ちちっ。指を。
「コレじゃなくて」
 そんなこと。
「タイっス」
「えっ」
「ネコでタイを釣るっス!」
 ことわざか。
「って」
 どんな規模だ。こんな巨大な。
「さー、釣るっスよー」
 無駄に気合を。
「あれ?」
 入れ。かけ。
「エビでタイを釣る?」
「そうよ」
 いまさらながら。
「エビ……」
 今度は何を。
「そんなの乗ったことないっス」
 乗るって。
「動かし方だってわからないっス!」
「違う」
 さすがに。
「エビでタイを釣るのよ」
「え?」
「あ……」
 これでは。
「だ、だから」
 照れまじり。
「エビを使ってタイを釣るの!」
 これでも。
「エビを餌にしてタイを釣るの!」
 これで。
「ええっ!?」
 仰天。
「どんだけデカいタイっスか」
「いやいや」
 何を想像して。
「大物っスね」
 それはそうだろう。
「デカタイ」
 意味が。
「デカタイたい」
 なぜ博多弁。
「燃えてきたーーーーっ!!!」
(勝手に)
 燃えるなと。
「!」
 呼応するように。
「きゃーーーーーーっ」
 急動作。
「ゆ、ゆっくり! ゆっくりって言ったでしょーが!」
「初体験じゃないんスから」
 なんだ、そのオヤジギャグ!
「いいから、ゆっくりーーーっ!」
 叫びも空しく。
「うきゃーーーーっ」
 しがみつくしか。
「静かにするっス」
 できるか!
「騒ぐと獲物が逃げちゃうっス」
 だったら、騒がさせるな!
「む!」
 ピーン!
「っっっ!?」
 突然の。
「な……ななな」
 すべり落ちそうに。
「何なのよ、このななめ体勢!」
「いい角度っス」
 何が!
「これは釣れるっスよー」
 こちらにはまったく理解できない期待満々で。
「竿おろしてーっ!」
 気合の。
「タイの一本釣りっスーーーっ!」
「!!?」
 ぐぐぐっ。
 またも。大きく。
「うりゃーーーーーっ!」
 ふるわれた。その衝撃がビリビリと。
「っっ……!」
 悲鳴もあげられず。しがみつき続けるしか。
「来るっスよー、来るっスよー」
 じわり。動きがゆっくりに。
「は……ははっ……」
 こちらも。なんとか息を継ぐ。
(早く……)
 何でもいいから終わらせて。
「来た!」
 ぐぅんっ!
「!?」
 いままで以上。
「お……おおお!?」
 ビリビリビリビリビリビリビリビリッ!
「暴れてるっス」
 そうなのか。
「悪あがきしてもムダっスよ」
 力が。こめられる。
 操舵管を通して。
(おお……)
 それでも。
 感じる。
 間接的ではあるが。
(あっ)
 よく考えてみれば。
 ほとんどの漁は『間接』と言ってよくて。
 網だって釣り竿だって、それは間接的な手段で。
 直接と言ったら手づかみしかない。
(ネコだって)
 その延長だと。
 巨大すぎではあるが、それだって遠洋漁船に比べれば。
(って)
 その巨体で。
 格闘する魚とは。
(一本釣り)
 言っていた。
(どんな)
 魚なのだと。鯛なのだと。
 正確には『サカナ』で『タイ』なのだが。
(サカナ……)
 それは。
 まだ完全には解明されていない“現象”。
 いや、正確には、ほとんど何もわかっていない。
 ネコと同じで。
(だから)
 自分は。居続けなければ。
 世界の果てと言っていいこの――
「いまだ!」
 ぐぅん!
「!」
 ついに。
「フィーーーーーーーーッシュ!!!」
 大瀑布のごとき。
 豪快すぎる波しぶきと共に。
「!?」
 それは。
4
「はーあ」
 がっくり。
「逃がしたサカナは大きかったっス」
(いや……)
 それは、実際はそれほどでもないということの例えでは。
(まあ)
 大きいことは、大きかった。
(なんで)
 理解が。
「はーあ」
 ため息。
「けど、前向きに考えるっス」
 前向きとは。
「逃がしてないほうで」
 つまり。
 釣り上げた『それ』で。
「何するの?」
「履くっス」
「履く!?」
 履けるわけ。
「長靴なのよ!」
 長靴は履くものだ。
 しかし。
「大きすぎるでしょ!」
 そう。
 この巨大な乗機が手こずったほどで。
「大きいからいいんスよ」
 どういう。
「履けるんス」
 だから。
「ネコが」
「えっ」
 一瞬。
「長靴を」
 ネコが。
「長靴を履いたネコっス!」
 やっぱり。
「さー、これで勝てるっスよー」
 なぜ。
「海で長靴と言えば何スか」
 別に。普通に見るのでは。
「潮干狩りっス!」
 またもや。
「でっかいシオをヒガるんすよ」
 なんだ『ヒガる』って。
(いや……)
 いるのか?
「シオが」
「いるっス」
 言われる。
「さー、ヒガるっスよー!」
「!」
 スピードが。
「ちょっ、いるとかいないとかどうでもよくて! ゆっくり! お願いだから!」
「のんびりしてたら逃げられるっス」
 シオが? って、逃げるものなのか!
「待ってるっスよ、シオヒーっ!」
 シオ『ヒ』!?
「シオヒを狩るっスーーっ!」
「何を狩るってぇ!? って、それもどっちでもいいからーっ! しぎゃーーーーーーーーーっ!!!」
 まともな。悲鳴に。
「にぎひゃーーーーーーーーーーっ!!!」
ネコといつまでも・にゃー
