終わりなき神話第22話
1
Part1
ドーバー海峡を吹き抜ける冷たい夜風が、イギリス軍避難船のデッキを激しく叩いていた。ロンドンの喧騒と、そこを襲った未曾有の混乱から逃れてきた人々を乗せた船体は、波間に揺れながらも力強く進んでいる。ジェフ・アーガーは、手摺りに置いた自分の手が微かに震えているのに気づき、それを隠すように強く握り締めた。背後からは、軍靴の規則正しい足音と、避難民たちの押し殺したような話し声が混じり合い、重苦しい空気を形成している。
「ジェフ、そんな顔をするな。我々は絶望へ向かっているわけではない。むしろ、世界の希望をこの目で確かめに行くのだからな」
ベアルドが、重厚な軍服の襟を立てながら隣に立った。彼の視線の先には、霧に包まれた海原が広がっている。しかし、その霧の向こう側には、避難民たちが噂する「幻」などではない、確かな文明の光が待っていることをベアルドは確信していた。アトランティス――かつて神話の向こう側に語られたその地は、今やこの混乱する世界において、唯一無二の繁栄を誇る実在の都市として、イギリス軍との外交の要となっていた。
「分かっています、ベアルド。でも、ロンドンがあんなことになって……僕たちがアトランティスへ行くことで、本当に何かが変わるんでしょうか」
ジェフの問いに、ベアルドは答えず、ただ静かに水平線を睨み据えた。船内には、ポリオンやブレグドもそれぞれの想いを抱えて留まっている。彼ら一行を乗せたこの船は、単なる避難船ではなく、アトランティスという未知なる強大国との接触を図るための、イギリス軍の命運を賭けた使節の役割も兼ねていた。アトランティス人は、地上人が経験したことのない高度な技術と、独自の社会を築き上げているという。
甲板の照明が、波しぶきを浴びて鈍く反射した。ジェフは、自分の懐にある、今回の任務において重要な意味を持つであろう書状の感触を確かめた。彼に課せられた役割は重い。アトランティスという、地上とは全く異なる法と倫理で動く繁栄都市において、彼は一人の目撃者として、そして交渉の一端を担う者として、その土を踏まねばならないのだ。
船が大きく揺れ、遠くの霧の中から、これまで見たこともないような巨大な構造物のシルエットが浮かび上がってきた。それは、荒れ狂う海を鎮めるかのように海面にそびえ立つ、アトランティス外縁部の防衛塔であった。近づくにつれ、その表面を走る幾何学的な光のラインが、高度な文明の息吹を無言で告げている。
「……見ろ。あれが、アトランティスの門だ」
ベアルドの声に、ジェフは息を呑んだ。アトランティスは死んだ都市などではない。今この瞬間も、数百万の民が息づき、最先端の繁栄を謳歌している、生きた巨大国家なのだ。イギリス軍の船は、その巨大な門へとゆっくりと、吸い込まれるように進んでいった。
アトランティスは繁栄を極める現役の巨大都市であり、一行はイギリス軍の船でその壮麗な港へと入港しつつあります。ジェフ、ポリオン、ベアルド、ブレグドの4名の視点から、その圧倒的な文明の光景と入国の緊張感を描写いたします。
避難船がアトランティスの外縁防衛線を通過した瞬間、周囲を包み込んでいた荒れ狂う海鳴りが、嘘のように静まり返った。そこには、地上人の想像を絶する巨大な人工入江が広がっており、海面は鏡のように滑らかに、都市が放つ無数の光を反射している。ジェフ・アーガーは、甲板の手摺りを掴む手に力が入り、指先が白くなるのも忘れてその光景を凝視していた。ロンドンの石造りの街並みや、煤煙に曇った空とは対極にある、一点の曇りもないクリスタルのような文明の極致がそこにあった。
アトランティスの港湾部は、巨大な白い大理石と未知の合金が織りなす幾何学的な構造物で埋め尽くされている。空を見上げれば、音もなく滑るように移動する浮遊移動体が、光の糸を引いて網目のように行き交っていた。それは、地上の技術が数百年かけても到達し得ないであろう、洗練された秩序と繁栄の証明だった。港に並ぶアトランティス独自の船舶は、どれもが有機的な曲線を描き、真珠のような輝きを放っている。
「信じられない……。ここには、ロンドンのような混乱も、飢えも、死の影も存在しないみたいだ」
ジェフの呟きに、隣に立つポリオンが静かに首を振った。彼女の瞳には、かつての文献で読んだ以上の、生きた文明の持つ圧倒的な質量が映し出されている。ポリオンは自らの杖を胸元で抱きしめるように持ち直し、周囲を警戒する視線を崩さなかった。
「ええ、ジェフ。ここは確かに天国に見えるかもしれない。けれど、あまりにも完成されすぎた秩序は、時に外からの異物を排除しようとする強い拒絶反応を伴うわ。私たちイギリス軍の船は、彼らにとっては泥にまみれた難民の小舟に過ぎないのかもしれない」
ポリオンの言葉を裏付けるように、港の各所には、洗練された武装に身を包んだアトランティスの警備兵たちが整然と整列していた。彼らの持つ長槍のような形状の兵装からは、目に見えぬほどの高密度のエネルギーが微かに漏れ出し、周囲の空気をピリつかせている。
船がゆっくりと接岸の体制に入ると、巨大な磁力係留装置が作動し、重厚な金属音が響いた。ベアルドは甲板の上で、イギリス軍の制服を正し、鋭い眼光で迎えに来るアトランティスの役人たちを見据えている。彼はこの入国が、単なる避難以上の、歴史的な交渉の始まりであることを誰よりも理解していた。ベアルドの背中からは、軍人としての誇りと、この強大国に対して一歩も引くまいとする強い意志が立ち昇っていた。
「……浮つくのはそこまでだ、ジェフ。我々は観光に来たわけではない。アトランティス人が我々地上人に何を求め、何を差し出すのか。それを冷徹に見極める必要がある」
ベアルドの声は低く、そして重い。その傍らで、ブレグドは一言も発することなく、都市の深部を凝視していた。彼の沈黙は、この光り輝く繁栄の裏側に潜む、アトランティス人さえも気づいていない「何か」を嗅ぎ取っているかのようだった。ブレグドの存在は、この清潔な都市の空気の中で、唯一異質な影を落としている。
タラップが降ろされ、アトランティスの役人が、優雅でありながらも高圧的な所作で歩み寄ってきた。彼らの肌は健康的な血色を湛え、纏う衣服は絹よりも滑らかで、計算し尽くされた装飾が施されている。その一人一人が、まるで地上の王族のような威厳を纏っていた。
ジェフは、自分たちが履いている泥のついた靴が、この美しい港の床を汚してしまうのではないかという、場違いな羞恥心に襲われた。だが、懐にあるイギリス政府からの正式な親書が、彼の背中を微かに押した。
(僕たちは、ここへ助けを求めに来たんだ。ロンドンの人たちのために、この繁栄を分けてもらうために……)
一歩を踏み出したジェフの靴音が、アトランティスの滑らかな床に初めて刻まれた。それは、地上文明と海中文明が、最悪の危機の中で邂逅を果たす瞬間の響きだった。
Part2
アトランティスの入国ゲートを通過した先には、港湾部での驚きを遥かに凌駕する光景が広がっていた。そこは、海中という概念を完全に覆す、光と緑に満ちた巨大な人工楽園であった。都市全体を包み込む透明なドームの向こう側には、深海の紺碧が広がっているはずだが、内部は計算し尽くされた人工太陽の光によって、永遠の午後のような柔らかな輝きに満たされている。ジェフ・アーガーは、地上では絶滅したはずの極彩色の花々が咲き乱れる大通りを歩きながら、あまりの非現実感に眩暈を覚えた。
「信じられない……。ドームの向こう側は深海数千メートルのはずなのに、ここでは風さえも心地よく吹いている」
ジェフの呟き通り、都市の区画を分ける運河には、濁り一つないクリスタルのような水が流れ、その水面上を流線形の小型艇が滑るように行き交っている。通りを行き交うアトランティスの市民たちは、皆一様に背筋を伸ばし、その表情には地上を覆う飢えや恐怖の欠片も見当たらない。彼らが纏う衣服は、光の角度によって色を変える未知の繊維で織られており、その優雅な挙動は、数千年にわたって積み上げられてきた文明の余裕を感じさせた。地上のロンドンが火の海に包まれ、人々が泥を啜って生き延びようとしている現実が、ここでは質の悪い悪夢のようにさえ思えてくる。
「ジェフ、上を見て。あれがこの都市を支えるエネルギーの循環システムだわ」
ポリオンが杖で指し示した先、都市の遥か上空には、無数の光の導管が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。それは都市の心臓部から四方八方へと伸び、生命維持に必要な熱と光を隅々まで届けている。ポリオンの瞳は、魔導士としての直感と学術的な好奇心で激しく揺れていた。彼女にとって、アトランティスは単なる避難先ではなく、失われた叡智が結晶化した巨大な教室のように映っているのだろう。だが、その瞳の奥には、あまりに完璧すぎるこの秩序が、外敵の侵入に対してどれほど残酷な牙を剥くかという懸念も同時に宿っていた。
一行を先導するアトランティスの文官は、一度も後ろを振り返ることなく、滑らかな足取りで中央広場へと続く大階段を昇っていく。その背中は、地上人という「未開人」を案内することへの隠しきれない優越感と、事務的な冷淡さに満ちていた。ベアルドは、その文官の背中を射抜くような鋭い視線で追っていた。彼の腰にある軍用ナイフや装備品は、この洗練された都市の中ではあまりに無骨で、血生臭い違和感を放っている。ベアルドは、アトランティス人が見せる「歓迎」の裏に潜む、彼らの真の目的を嗅ぎ取ろうと神経を研ぎ澄ませていた。
「……連中の目は、我々を同等の人間としては見ていないな。壊れかけた玩具を品定めするような、不快な視線だ」
ベアルドが低く吐き捨てた言葉に、ブレグドは沈黙をもって同意を示した。ブレグドは、大理石の壁に刻まれたアトランティスの歴史を物語る壮麗なレリーフに一瞬だけ目を向けたが、すぐに興味を失ったように視線を外した。彼の存在は、この清潔で明るい都市の風景の中で、唯一拭い去ることのできない「影」となって浮き上がっている。ブレグドの手は、いつでも得物に届く位置を保ったままであり、その殺気はアトランティスの役人たちが放つ高圧的な威圧感さえも、静かに押し返していた。
大階段の頂上に辿り着いた一行の前に、アトランティスの行政中枢である「白亜の議事堂」が姿を現した。その建物は、重力を無視したかのような細い尖塔が幾重にも重なり、頂点には巨大な純白の結晶が、街の守護神のように鎮座している。広場の中央では、優雅な音楽と共に人工の噴水が空高く舞い上がり、虹色の霧がジェフたちの頬を湿らせた。あまりの美しさに足を止めそうになるジェフだったが、ベアルドの厳しい視線に促され、再び歩みを早めた。
(僕たちは、この繁栄を壊しに来たわけじゃない。でも、彼らは僕たちの味方になってくれるんだろうか……)
ジェフの胸には、期待よりも大きな不安が渦巻いていた。地上を蹂躙するデヴィルの脅威は、この堅固なドームに守られた都市にとって、本当に他人事なのだろうか。それとも、彼らは地上の滅びを、高みから見下ろす観客に過ぎないのだろうか。イギリス軍の親書を握り締めるジェフの手に、じっとりと汗が滲んだ。
白亜の議事堂へと続く回廊は、外の広場の喧騒が嘘のように静まり返り、ただ一行の足音だけが規則正しく、そして冷徹に響き渡っていた。壁面を彩る未知の合金は、ジェフ・アーガーたちの姿を歪んだ鏡のように映し出し、まるで彼らの内面にある不安や迷いを見透かしているかのような錯覚を抱かせる。ジェフは、自分の足取りがこの汚れなき床を歩くたびに、ロンドンから持ち込んだ死と灰の匂いを撒き散らしているような、形容しがたい背徳感に苛まれていた。アトランティスの空気はあまりにも清浄で、それが逆に地上から来た彼らにとっては、首を絞められるような圧迫感となって襲いかかる。
「見て、ジェフ。この壁に流れている光の脈動……これは単なる装飾じゃないわ。都市の意志そのものが、この建物を通じて私たちを監視しているのよ」
ポリオンが、震える指先で壁の一点を指し示した。彼女の指摘通り、半透明の壁の奥では、微細な光の粒子が神経細胞のように明滅を繰り返し、一行の動きに合わせてその色調を微妙に変化させている。ポリオンの瞳には、高度すぎる技術への畏怖と、それを操るアトランティス人への強い警戒心が混在していた。彼女は自らの杖を盾にするように抱え直し、アトランティスが放つ不可視の圧力から自分たちを必死に守ろうとしているようだった。ポリオンの纏う魔導士としての感性が、この都市が持つ「完璧さ」の裏側に潜む、ある種の冷酷さを敏感に捉えていた。
「監視だろうが何だろうが、構うことはない。我々は正式な使節としてここに来たのだ。胸を張れ、ジェフ。貴様が萎縮すれば、それだけイギリスの立場が危うくなると思え」
ベアルドの叱咤は、鋭い刃のようにジェフの思考の混濁を断ち切った。ベアルドは、アトランティスの役人が放つ無言の軽蔑を、その強靭な精神力で真っ向から跳ね返している。彼の軍靴が刻む音は、この静謐な空間において唯一の、力強い現実の響きだった。ベアルドにとっては、この都市の美しさも、高度な技術も、交渉を有利に進めるための情報の一つに過ぎない。彼の視線は、議事堂の奥深くに鎮座しているであろう、アトランティスの指導者層が待つ謁見の間へと向けられていた。
その傍らで、ブレグドは一言も発することなく、影のように寄り添って歩いていた。しかし、彼の周囲だけは、アトランティスの柔らかな人工光さえも届かないような、濃密な沈黙が支配している。ブレグドは時折、天井の遥か上方、都市を覆う巨大なドームの接合部へと視線を送っていた。その瞳の奥には、繁栄を謳歌する市民たちさえも忘却している「世界の歪み」を見通すような、底知れない暗い光が宿っている。ブレグドの存在は、清潔で無機質なこの回廊において、血と鉄の匂いを思い出させる唯一の異物であった。
一行がついに謁見の間の巨大な扉の前に辿り着いたとき、先導していた文官が静かに足を止めた。扉は音もなく左右に開き、その奥からは、アトランティスの心臓部とも言える、巨大なエネルギー結晶の残光が溢れ出してきた。そこは、この世界のあらゆる法や常識が通用しない、絶対的な知性と権力が支配する空間であった。ジェフは、懐にある親書を握りしめ、自分たちの運命、そして地上の何百万もの人々の運命が、この扉の先にある言葉によって決定されることを悟った。
(逃げることはできない。僕たちがここに来たのは、この世界の崩壊を止めるためなんだから……)
ジェフは深く息を吸い込み、肺に満ちるアトランティスの冷たい空気を覚悟と共に飲み込んだ。一歩を踏み出す瞬間の足音は、これまでになく重く、そして決然としていた。背後でゆっくりと扉が閉まる音が響き、地上との唯一の繋がりが断たれたかのような孤独感がジェフを襲う。しかし、ベアルドの逞しい背中と、ポリオンの静かな決意、そしてブレグドの冷徹な沈黙が、彼を支えていた。一行は、光り輝く繁栄の深淵へと、ゆっくりと、だが確実に足を踏み入れていった。
第23話‐2へ続く
2
エレベーターは広く、重機もらくらく入る程の大きさである。錆びた鋼鉄で作られており、網目になった周囲の周りを人が手を出さないように、安全に運行でいるよう、シールドが展開している。
高速エレベーターは停止する様子もなく、下へ降りた続ける。140万の都市階層の最下層部を一行は目指していた。
教団の目の届かないところとなると、危険だが無法者が集まる最下層に行くしか、答えはなかった。
メシアは冷たい鋼鉄の上に体を横たえ、僅かしか時間を過ごさなかったが、自分のために命を投じた者たちの顔を思い出していた。
「僕を守る為に命を落とす必要はあるのか?」
銃の手入れをしていたイラートは、表情を変えることなく、答えを口にした。
「人ってのは運命ってのがあると思う。言葉にすれば簡単だが、きっと運命で命を落とすときが決まってるんじゃないかな。少なくともメシアを守る意義はある。この宇宙もそうだが、すべての生命体がデヴィルに支配されている今を変える力を持つお前を守ることは、無駄じゃない」
メシアには返す言葉がなかった。
しばらく沈黙していたメシアは、ふと今いる宇宙のことに興味が出た。
「この宇宙はどうなってる?」
教団に支配されているのは、メシアにも理解できていたが、それ以外のことを知らなかった。
イラートは銃の手入れをする手を止めて、まだ蒼白のメシアに視線を落とした。
「宇宙はこれまでにない変化を起こしている」
第22話−3へ続く
3
鋼鉄のエレベーターは、重々しい音を立てながら落下を続けていた。メシアは床に横になり、イラートの言葉に耳を傾けていた。
「宇宙は、さらに単純には語れなくなった」
イラートは鋭い目で彼を見つめた。
「宇宙は未だ解明されてないが、単一の宇宙であることは確かなんだが、いたるところにエネルギートンネルができて、ネットワークの網のように複数の宇宙が繋がった。これはマルチバースとは違う話。つまりは単一の宇宙がネットワーク複数繋がった形容できない形に変化してる」
「ネットワーク?」
メシアは眉をひそめた。
「じゃあ、今、僕たちはどこに?」
「分からない。確実に単一の宇宙だったのは6年前までだ。俺が来た7年前は確かに宇宙は1つしかなかった。それがネットワーク構造へ変化したのが6年前。突然、宇宙にエネルギートンネルが複数発見され、調査しても別の宇宙へつながっている。今も宇宙中の専門機関が全体像を掴もうとしてるが、全体像は未だに見えない。ある意味では開かれた宇宙が本当に形になったってことだな」
イラートは小さな球体を取り出し、それをひねるように動かした。球体の表面には無数の模様が現れたり消えたりしている。
「俺たちが向かうのは惑星ゲート」
エレベーターの速度が増し、壁の鋼鉄がかすかに振動を始めた。青年はその感覚に戸惑いながらも、イラートの言葉に引き込まれていく。
イラートの声は低く、鋭さを増した。
「星系のある場所は分かってる。問題はそこがデヴィルズチルドレンの巣になっていることだ」
「でも、どうして宇宙が激変を?」
イラートは球体を更にひねり、宇宙の構図を光として空中に投影した。そこには中心などない、ネットワークのような宇宙空間が広がるが、まだ未完成である。
「お前だよ、メシア。もう宇宙を激変させるほど、お前の力は覚醒してきている」
第22話‐4へ続く
4
メシアは目を見開き、信じがたい言葉に息を飲んだ。
「僕が……宇宙を?」
イラートは静かにうなずき、指先で球体をさらに回転させた。投影された光の構図は複雑に絡み合いながらも、中心部に収束していく。
「お前は世界の中心。次元の特異点なんだ。この層を超え、中心に近づくほど、その存在はますます現実を歪ませる。だが、それは同時に敵を引き寄せることにもなる」
メシアは拳を握りしめた。自分にそんな力があるという自覚はなかった。ただ、心の奥底にくすぶる不安が、イラートの言葉によって少しずつ現実味を帯びてくる。
「教団って一体何者なんだ? なんで俺を狙う?」
「教団はアモンの円卓の騎士の1人が設立し、宇宙を蝕んでいる。人は信奉するが、盲目的であり現実が腐っているのを感じ取れない」
イラートの目が鋭さを増した。
エレベーターの振動が激しくなり、金属音が耳をつんざいた。二人は一瞬体を揺らしたが、すぐに踏みとどまる。
「だったら、俺はどうすればいい?」
メシアの声にはわずかな震えがあったが、その目は決意に満ちていた。
「自分を受け入れろ。そして、力を使え。俺たちがたどり着くコア宇宙で、お前自身の真実を見つけるんだ」
イラートの言葉とともに、エレベーターはさらなる深淵へと突き進んでいった。
第23話−5へ続く
5
ホログラム時計を起動させ、時間をイラートが確認すると、大体、エレベーターに彼等が乗り込んで、2時間が経過しようとしていた。
流石の高速エレベーターでも、最下層へ向かうには時間を必要としていた。
エレベーターの車輪がゆっくりになり始めたのを、耳に響く音と身体に伝わる振動で確認すると、横になっているメシアが起き上がった。
未知の世界の最下層という異空間に自分が入ろうとしていることに、緊張していた。
エレベーターが完全に停止すると、周囲を囲んでいたエネルギーシールドが消失し、金網のエレベータードアが開いた。
イラートとコールド、ジントも緊張感が一段階上がったように、表情が硬かった。
「ここは無法者の隠れ家。180以上ある国のどこにも属していない空間だ。地上に近く、惑星全土、どこにでも逃げられるから、犯罪を犯した者はまず、地下に潜るのがセオリーになってるくらいだ」
小型の光学武器をホルスターから抜き、イラートが言った。
「増してやあんた立ちは教団に狙われているんだから、信者も追いかけてくるだろうしね」
と、タイミングを見計らったかのように、薄暗い都市に巨大ホログラムが現れた。
それは教団の枢機卿の1人、サイダリアンのヤーグの白い顔であった。
「信徒の皆様、ごきげんよう。今宵は悲しいお知らせをしなければなりません。我がアリッタ様が卑劣なテロリストの攻撃を受け、ケガをなされました。命に別状はありませんがテロリストは最下層へ逃げたと思われます」
言い終えると2つの顔のホログラムが現れた。それはメシアとイラートの物であった。
「この2人がテロの首謀者です。信徒の皆様には是非、信仰をしめしていただきたいのです。エリスもすでに動いております。無理をなさらず、見かけたら、エリスへの報告だけでも構いません。神のご加護が皆様にありますように」
と、ヤーグ枢機卿の声とホログラムは消えた。
冷や汗を流したコールドは、2人の顔を交互に見やった。
「こりゃ死刑判決を受けたも同然だぜ」
要約すると全宇宙が2人の命を狙い始めたことを意味していた。
第22話‐6へ続く
6
地下へ向かうエレベーターは様々な種族がぎゅうぎゅうにつまり、混雑していた。
教団の処刑宣告に近い、ホログラムでの手配を受けたメシアとイラートを探すべく、信者たちが一斉に地下へ移動していた。それはまるで民族の大移動の如く、数十億人単位であった。
一方のメシア、イラート、コールド、ジントの4人は、腐敗臭や汚物臭がする薄暗い地下都市を走っていた。元は環状線だったと思われるセラミックの大きな道路の中央を、遮る物もなく走る。
上階では空中を反重力で飛行する車や船が飛んでいるが、ここにそんなものはない。まだ地上を自動車が走っていた頃の建造物なので、今はジャンキーや酔っ払い、貧困層のたまり場となっていた。そうした人々は他人に興味はなく、ただ自分の悲運を嘆くばかりだった。
どうしなしてあげたい、どうにかしなくちゃ、と慈悲の心を置き去りにしたまま、メシアは前を走るイラートの後に続く。
都市機能はまだ停止してはいない。天井の巨大ライト、橋がとビルが同化した巨大な建物、環状線のエッジラインが光るライト。どれも先を見通すには十分な光源だった。
無気力な様々な種族が環状線の中央分離帯や策にもたれかかり、走り抜ける彼等に興味すら持っていない。
だがイラート、コールドはどこに敵がいるか分からない状況は、冷たい汗につながり、走っているのとは別の汗が出ていた。
環状線を抜け、ビジネス街だったところだろうか、ビルがそれまで以上に並び、天井を支えるエリアにたどり着いた一行。
すると戦闘を走るイラートが足を止めた。
目の前には身体を前かがみにした、肌の色が紫色をした、人間型の人種、ウドラ人の老婆が立っていた。老婆など無視して逃げればよいのではないか、とメシアが思った矢先、老人の手元で何かが光った矢先、メシアの前にコールドの腕が素早く伸び、何かを弾いた。
よく見ると老婆の手には明らかに拳銃らしき武器が握られていた。
「神のご加護を」
老婆はそういうと、引き金を何度も引く。
第22話‐7へ続く
7
老婆から発せられた銃弾をコールドはすべて鋼鉄の腕ではじき返し、イラートが光学武器をホルスターから抜き、老婆の眉間を撃ち抜いた。
やらなければ、殺される。分かってはいるのに、メシアの心には老婆の死が、悲しく、残酷さと人の持つ凶暴性が自分にもあるのだと感じ、嫌悪感を覚えた。
老婆の攻撃が合図だったのだろうか、無数の光学兵器の弾丸が八方から飛んできた。
慌てて毛のない猫に似たジントがシールドを張り、弾丸を弾き飛ばした。だが光は雨のように降りやまない。
ジントはイラート、コールド、メシアが走り出したのに合わせ、動いた。
古びたビルの入り口にたどり着いた一行。コールドが鋼鉄の扉の継ぎ目に指を突っ込んだ。鋼鉄はひしゃげ、隙間ができ、それを彼女は一気に左右に広げた。
入り口が確保されたことで、一気に一行はビルの中に殺到した。
入り口の壁面にあるガラスが光に撃ち破られ、ビルの中まで弾丸が入ってきた。
メシア、イラートはロビーらしき空間を支える柱の裏に隠れ、コールドとジントは受付らしい鋼鉄のデスクの影に飛び込んだ。
武器を手にするイラート。同じくデスクの影で両腕を変形させ、攻撃態勢に入るコールド。
だがメシアはこの戦いを望まなかった。もう自分のせいで死者が出るのが嫌だった。
撃たれれば死ぬ。分かっている。理解してはいるのだが、メシアには割り切れなかった。
第22話‐8へ続く
8
メシアはこの状況をどうにかしたかった。だけど光の弾丸は容赦なく建物のロビーに入ってきては、金属の壁面や床、天井を黒く焦がした。
メシアとイラートが隠れる柱にも容赦なく光は飛んでくる。
どうすればいい。メシアがそう焦った感情を心に持った瞬間、脳内に何かが横切った。解決策がほしい、ともっと願った刹那、脳内に光が複数現れた。
それは最初、ぼやけていたが次第に人型になり少し時間がかかったが、メシアはそれが敵の位置なのを理解した。
鋼鉄の冷たい床に掌を当てると、光はさらに鮮明になった。メシアは眼を閉じ、心の中で念じた。
気絶しろ。
その瞬間、あれだけ飛んでいた光の弾丸が停止した。
何が起こったのか戸惑いコールド、ジント。
イラートは横にいるメシアがなにかしなのを感づいて、立ち上がり柱の横に出て、
「敵は無力化したらしい。とにかくここから離れよう」
9
一行は走った。
地下の廃墟街から抜け出さなければ、次の動きに移れない。イラートは先頭を走りながら、路地の先にあるエレベーターに向かった。
メシアを間にはさみ、彼を守ることを優先に移動していた。
その後、エレベーターまでに教団の信者が現れることはなく、無事に錆びついた少し小さめのエレベーターの前にたどり着いた。
ジャンキーやアルコール中毒者などの姿は見えず、まるでここまでの道中が嘘のように、エレベーター周辺は波打たない湖面の如く静かだった。
鉄の地面をコツッ、コツッと進む一行は、あまりの静寂に警戒心で胸の鼓動を高鳴らせていた。
錆びだらけのパイプが周囲に張り巡らされ、同じく錆びついたエレベーターの金網の穴は、朽ちて大きくなっていた。
エレベーターに慎重に地下ずく一行。
と、コールドが右からの衝撃を受け、錆びついたパイプに身体を打ち付けた。太いパイプが彼女の身体に合わせて凹むほどの衝撃で飛ばされていた。
身体の痛みに顔が歪むコールド。
何が起きた?
先頭を歩くイラートが後ろを振り返る。
同じくイラートの背後に着いていたメシアも背後を遅れて振り返る。すると穴の開いた引きちぎられたような黒いケープを身体に纏わせ、錆びた鉄のプロテクターを体中に身に着けた、皮膚が灰色のしわがれた、しかしその耳元まで裂けた口には無数の黄ばんだ牙を、粘液で光らせた化け物が立っていた。
デヴィルが放った追跡者、グルズである。
静けさが破かれたと同時にパイプの影から無数のグルズが姿を見せ、瞬く間に一行は囲まれてしまった。
第22話‐10へ続く
10
毛のない猫のような顔をしかめ、4本の耳を逆立てたジントが、小さい身体にもかかわらず前に進み出て、両手を上げシールドを展開した。
ジント本人にも、この能力がグルズに通用するのかは判断できなかった。それでも守ることができるのは自分しかいないと、自然と脚が前へ進み出ていた。
刹那、周囲を囲んでいたグルズの一部が空中へ飛び上がり、ちぎれたケープをたなびかせ、シールドに飛び掛かってきた。
シールドは化け物の身体を見事に防ぎ、粘着テープに巻き取られた蠅のように、身体に似合わない細長い四肢を上下させた。
けれども一行にも攻撃手段がない。イラート、コールドもシールドから外に出なければ攻撃はできず、出たところで数で圧倒されている現状、命を無駄にするだけだった。
イラートが苦い物を飲んだように、どうするべきか考え、とりあえずホルスターから銃を抜き、銃口をシールドの外へ向けた。
コールドも両腕を変形させ、中に仕込んである太い針をグルズへと向けた。
その時であった、2人は信じられない光景を目の当たりにする。一番無防備なメシアがなんの躊躇もなく、シールドの外側へ出て行ってしまったのであった。
「メシア」
イラートが絶叫するかのように叫んだが、メシアの歩みは止まらない。
これを好機とばかりに、蟻が砂糖に群がるかの如く、メシアへ向かってグルズの群れが動いた。
ジントのシールドに張り付いていたグルズも、バッタのように飛び跳ね、メシアの後ろに着地した。
「お前を失ったら、あたし等の仕事は終わりなんだ、早く戻りな」
コールドも叫ぶが、メシアの歩みを止まらない。
グルズの群れの中央へ出たメシアは、そこでようやく歩みを止め、周囲で体液を口から垂れ流しながらギョロリとした眼で見てくるグルズを、見つめ返した。
彼の胸にはもはや迷いはなくなっていた。自分のせいで大勢の命が消えた。それをもう見たくはない。メシアは大きく息を吸った。そこにはグルズが放つ腐臭が漂っていたが、彼にはもはや関係なかった。
一匹のグルズが裂けた口を開き、体液をまき散らしながら、獣の雄たけびを上げる。
と、そのまま凄まじい勢いでメシアへ噛みついてきた。
「逃げろ」
イラートがまた絶叫する。
しかし鮮血は流れなかった。自らの首筋を狙ったグルズの頭を、むんず、とメシアは自らの手で掴み勢いを止めていた。
メシアがグルズを見た時、その瞳は黄金の光を帯びていた。
第22話‐11へ続く
11
掴んだグルズの頭を力任せに引っ張り、巨体を空中へ投げ飛ばしたメシアは、その反動を利用して背後のグルズの顎を消し上げた。
下すその脚で今蹴り上げたグルズの脳天へ踵を落とし、力でグルズを錆びついた鉄の床へ屈服させた。
身体を回転させ裏拳で複数のグルズを吹き飛ばして、脚を止めると今度は屈みこみ、グルズの鋼鉄のプロテクターを貫き、拳をグルズの硬い皮膚へ喰いこませた。
拳を喰らったグルズは体液を口から放出。苦しみで倒れてもがく。
さらにメシアの攻撃は続き、膝を伸ばした勢いで別のグルズの顎を砕き、牙を破壊した。間髪を入れず後ろ回し蹴りで複数のグルズをなぎ倒す。
それはもはやこれまでイラートが見てきたメシアとは別人のようだった。
そうしてイラートが唖然としている間も、メシアは化け物の群れをなぎ倒し続けた。
グルズが伸ばす、鋭い爪の不気味に干からびた長い腕を掌で払い、グルズの頬を殴り、吹き飛ばした。
けれどもグルズは打撃だけでは倒すことができず、うなり声と共に起き上がっては、化け物たちの唯一の生きる理由、メシア殺害を達成しようと群がっていく。
ジントがシールドを解除して、イラートとコールドが援護しようとグルズを狙うが、メシアが群れの中にいると、狙いが定まらなかった。
再び苦い顔をするイラート。どうすればいい。
そう心の中で地団駄を踏んでいた時、メシアの動きにこれまでにない異変が起きた。
あれだけの動きが急激に収まり、メシアは棒立ちになった。これでは本当の餌食である。
グルズに躊躇はなく、また一斉に襲い掛かった。
メシアは脚を上げ、鋼鉄の床を強く踏んだ。鋼鉄と靴がぶつかる音が響いたと同時に、金色の光が周囲に波紋を広げた。すると邪悪なる追跡者グルズが光を浴びた瞬間、砂の塊がほどけるように肉体が光となって消えてしまった。
グルズの群れは完全に消え、静寂と唖然がその場を包んだ。
第22話-12へ続く
12
静寂の中、変貌したメシアが口を開いた。
「逃げても逃げきれない。誰かがいなくなるのはもうたくさんだ。逃げて誰かを失うのなら、戦って僕が皆を守る」
それは宣言であった。救世主として覚醒しようとしているメシアの精一杯の気持ちの表現だった。
瞳から黄金の光が消えたメシアを見たイラートは、銃をホルスターに戻し、メシアへ近づいた。
彼の肩に手を置き、
「惑星ゲートを目指そう」
そう言いながらエレベーターの方へ向かい、金網を開き、エレベーターの中へ入っていった。
コールドも両腕の機械仕掛けの武器を収納、ジントと眼を合わせ、軽く微笑みエレベーターへ向かった。
最後にメシアがエレベーターに乗り、上階都市へ向かう。
*
枢機卿たちは、他の枢機卿たちを前に、大聖堂で演説していた。数百名が終結した大聖堂の光景は壮観で、これが宇宙を支配している人物たちであることを考えると、権力を象徴する場所でもあった。
アリッタ教団の中枢、デヴィルズチルドレンの黒いタール状の粘液で覆われた恒星系の端に位置する惑星ライアスの衛星キャドライアに築かれた聖堂。そこが枢機卿たちの本部として使われており、この禍々しい星系の唯一の生命体が生息できる場所とされていた。
サイダリン人のヤーグ枢機卿がサイダリン人独特の白いペンキを塗ったような顔を、様々な種族からなる枢機卿たちに向け、眼を見開いて口を開けた。
「アリッタ神は憤慨してらっしゃる。現世の最高神で唯一神のアリッタ神は、偽りの救世主の命を供物として求めていらっしゃる。各枢機卿方々も、各国へ呼びかけ偽りの救世主拿捕を願いたい。我々もエリスに願い動いてもらっています。偽りの救世主を一刻も把握、捕獲していただきたい」
彼の耳にもメシアたちが逃げたことが耳に入っていた。だから焦りがあったのである。
それぞれの種族、宇宙のほぼすべての種族の代表である枢機卿。この宇宙ではアリッタ教団が政治、軍事、金融よりも力を持ち、枢機卿たちの発言は、宇宙の各惑星、衛星、人工天体に建国されている国家へ、多大なる影響力があった。
それに加え、先のヤーグ枢機卿の全宇宙向けのホログラム演説により、メシアたちは確実に追い詰められていた。
それからヤーグ枢機卿は各国の動き、教団の各支部の報告などを受け、集会は終わり各枢機卿はそれぞれに帰路へ着いた。
役割を終えたヤーグ枢機卿は、祭壇のそばに立ち、アリッタ神の巨像を見上げていたエッカ枢機卿の元へ歩み寄った。
エッカ枢機卿は2人の枢機卿の中でも裏方、事務関係や資金関係を管理することが大きな仕事であり、テファリアンという独特の見た目からも、自ら表へ立つことはほとんどなく、枢機卿集会でも、誰よりも身体を隠すガウンを身にまとい、人の形に見えるようにはかたどっているが、ガウンの中身は触手の塊であった。
「異分子はまだ惑星ギントルにいるのか」
さっきまでの大きな声とは違い、小声でヤーグ枢機卿は話す。
祭壇からガウンの袖より伸びた触手の先端に着いた眼をヤーグ枢機卿へ向け、エッカ枢機卿はガウンの中にある口で、少しくぐもった声で答えた。
「信者、エリス、グルズも目標を発見はしたが、未だ捕獲には至っていない」
「ギントルは大きな惑星だ。国家も180ヵ国以上ある。数国の除けば我等の思いのまま。逃げ場などない」
ヤーグ枢機卿はメシアたちが捕まるのも時間の問題だと思って、ほくそ笑んだ。
「だが反乱軍が厄介だ。数日前にギントルの反乱軍が動きを活発にしているとの報告が上がってきていた。目標を先に抑えられては、まずいことにならないか」
エッカ枢機卿は自分たちの掌から外れた異分子のことを気にかけている様子である。
「心配ない。反乱軍とて所詮は有象無象の集まり。目標を奪われたとしても、叩き潰すまでのこと」
そういうと踵を返し、聖堂の荘厳な風景をヤーグ枢機卿を見上げた。
しかしエッカ枢機卿の胸中には、一抹の不安がどうしてもぬぐい切れずにあった。
第22話‐13へ続く
13
時折、金属のきしむ音がするエレベーター内部で、上階都市へ向かっていたメシア達は、どこまでも続く、上階に移動する度に都市構造が変化する不思議な光景を見つめていた。
惑星ギントルは銀河の中心部を、銀河の中心に凛然と存在する巨大ブラックホールの周りを、公転している。銀河の交易中心惑星でもあり、銀河のあらゆる物資が集まってきていた。最初は1つの都市から始まった文明も、時代と地理的優位性を生かし、膨大な人口、資金が流入したことで、都市は爆発的に発展し、人口も移民により増加した。そこから惑星中が都市化、さらに人口増加により都市の階層化が進み、今では140万階層の都市が重なりあり複雑化、紛争、戦争がこの建設が続く惑星の長い歴史にも起こり、国家が180ヵ国を超えていた。
国家の中にはアリッタ教団の影響を拒否する国家もあるものの、ほとんどの国が正教国家の形をとっており、アリッタ教団の枢機卿たちの命令は絶対であった。
また宇宙のほとんどがそうであるように、住民のほとんどがアリッタ教団に入信しており、その信仰は絶大なる信仰心であった。
そうした惑星を地下から地上へ向かうエレベーターの中から。ビルが天井を支えるという巨大都市構造を見ながら、メシアはこれまでの状況を追憶していた。
マリア・プリーストとの平凡な日常。さざ波と建設現場の騒音。仕事場で必死に仕事を覚えようとしていた日々、そこから別の宇宙、神々、デヴィル、神話とされていた存在達、サイエンスフィクションの世界に入り込んだような現実。自分を護って命を消した者たち。信頼していた者の裏切り。自分の中で変わり始めている何か。
あまりにも多くのことが変化したことで、メシアは戸惑う暇もなかった。
「メシア、平気か」
呆然と都市を見やる彼の様子に、イラートが心配げに声をかけた。自分は運命の子供として産まれ、前世で姉を愛するという禁忌を犯してしまっている。それは神々の預言者オルトが許したとしても、倫理的に不浄であることは理解していた。現世で能力者として、救世主を護る役割を果たすため、ある程度の現実は認識している。しかしメシアは違う。平凡な人間として産まれ、両親に捨てられたという闇の部分を抱えてはいるが、愛する人もいた。それが忽然と目の前から消え去った。イラートには分からないことも多い。
だから心配だった。さっきのような無茶をして、まだ覚醒していない力を使うことが、本当に正しいのか。
「それにしてもすごい光景だ。あの建設途中の街から始まったとは思えない」
心配をかけまい、とメシアは話題をそらす。
イラートもそれを察して、ただう頷くだけであった。
エレベーターは次第に速度を落とし、最下層の都市から随分と上層階都市へと移動を終えようとしていた。
第22話‐14へ続く
14
エレベーターを降りると、そこはホログラム溢れる繁華街だった。最下層とは違いあらゆる種族が行きかい、安全性はかろうじて保たれているようにメシアの眼には見えた。
が、不意に街に出た一行の前を通り過ぎた人型種族でありながら、腕が6本あり、太い尾が尻から垂れた紫の皮膚に、強靭な筋肉をして、飾りのついたパンツ一枚の、性別が定かではない人物が急に右の真ん中の腕を伸ばし、メシアの首をガツリと掴んだ。
イラートが素早く銃を抜き光学武器の銃口を異種族へ向ける。
けれどもそれを止めるかのように、メシアの首に紫色の指が喰いこむ。
メシアのつま先は鋼鉄の地面から離れ、宙づり状態になっていた。
コールドが飛び掛かろうと身構えるも、やはりメシアの首に指が喰いこむ。
メシアは生きができない状態に陥っていたが、再び瞳に黄金の光が宿った瞬間、紫色の腕を掴んだ。
あまりの力に異種族は手の力を失い、メシアの首を離した。
刹那、メシアは身体を回転させ異種族の腕を中心に回り、紫色の頭を蹴飛ばし、巨体を倒した。
それを見ていた周囲の様々な種族は急に脚があるものは脚を止め、浮遊して移動している者は、空中で停止すると一行に視線が注がれた。
するとまるで時が止まったかのような群衆の中から、小さい声が聞こえた。
「神のご加護を」
人間の7歳くらいの女の子がメシアを感情のない眼で見つめ、呟いていた。横に立っている母親らしき人間の女性は、逆に怒りに近い感情の光を帯びた眼でメシアを睨みつけていた。
すると硬直する群衆の中を金属を叩くような音が無数に聞こえ、鋼鉄のプロテクターを身に着け、ヘルメットを被った兵士のような複数の種族で構成された集団が前に走り出て、所持している光学武器のライフルを、メシア一行に向けた。
同時に無音で上空にドローンのような鋼鉄の浮遊兵器も現れ、下方についている光学レーザーレンズをメシアへ向ける。
さらに群衆の背後には無数の5メートルはあると思われる二足歩行型ロボットが巨大なライフルを構えて現れた。
アリッタ教団の施設軍隊エリスの兵士たち。半円陣形を作り一行を完全に取り囲んでしまった。
おそらく指先1つ動かしても、無数のレーザーが彼等を襲うであろう。
イラート、コールド、ジントの額には、脂汗が一瞬でにじんだ。
第22話‐15へ続く
15
枢機卿たちは機械が無数に置かれた、自室にいた。ヤーグ枢機卿の部屋にエッカ枢機卿が来て、2人で宇宙各地から取り寄せた美酒を味わっていた。
ヤーグ枢機卿は浮遊するグラスに入った透明な液体を飲み、エッカ枢機卿は茶色の液体を丸い水槽のような大きな器には似つかわしくない小さい口に触手を入れ、吸い取るように飲んでいた。
「捕獲できたようだ」
施設軍隊エリスの方面軍司令官から、兵士たち、宗徒たちがメシア一行を包囲したという報告を受けていた。
「アリッタ神もこれで安泰というわけか」
触手をガウンの袖の置くに戻し、エッカ枢機卿は満足げに言う。
だが2人にはまだ安心材料が少なすぎた。アリッタ神が唯一神であることは疑いようもない。けれどもその影にもっと大きな何かがいることは、2人も気づいていた。
アリッタ神と初めて遭遇した時、まだ貿易商をしていた2人が、宇宙船の前に現れた異形の神と出会い、宗教を立ち上げたあの時から、アリッタ神の力は絶大であり、瞬く間に宇宙は教団の支配下にくだった。それでもアリッタ神だけの力なのか、疑問は常に2人の中にあったのだ。
もしかすると宇宙ごと、アリッタ神の影にいる存在が消してしまうのではないだろうか。そんな疑心暗鬼に2人は包まれていた。
と、そこへ無線脳波通信が2人の脳内へ響く。エリス方面軍司令官からの報告であった。
「申し訳ありません。標的を逃しました」
ヤーグ枢機卿の真っ白な眉間にしわが寄った。完璧に包囲した、と報告を受けていたのに、僅か4人でエリスの部隊と宗徒の群衆から逃げ出せた。何が起こったのかヤーグ枢機卿は脳内で聞く。
「それが何が起こったのか。わたしにも把握しかねる事態が起こっておりまして」
司令官も困惑気味な答えしか用意できなかった。
何が起こった?
2人は視線を交わした。
*
繁華街で包囲されたメシア一行。
時間は枢機卿たちが報告を受ける少し前に遡る。包囲され銃口を四方八方、そびえたつビルの上からも教団施設部隊エリスの兵士に狙われている状況に、イラートとコールド、ジントは苦虫を噛んでいた。
ただ冷静だったのは、さっき巨大な紫の異種族を蹴り倒したメシアだった。
冷静に銃口を向ける兵士とその背後に群がる信徒の群衆を視線で一瞥すると、ゆっくりと両の瞼を下した。それは撃たれるのを覚悟したようにも見えたが、異変が起こったのは、施設軍隊エリスの兵士と教団の信徒たちの方であった。
突如として複数の白い光が個人個人の前後左右に現れ、人の形となっていく。光は対象相手に触れると、涙するものが出てきた。様々な種族が混在しているので、涙という形容は相応しくない種族も中にはいたが、人間の涙に近い物が溢れ出ていた。
すると皆が安心したように微笑み、自然と武装したエリスの兵士たちの銃口が下へさがっていく。
信徒たちも力が抜けていくのか、鋼鉄の地面に座り込む者も現れた。
緊迫の糸が緩んだ時、メシアは瞼を開き、安堵の吐息を漏らしたのだった。
何が起こったのかさっぱり状況が呑み込めないイラートだったがとりあえず、自分たちへの攻撃がなくなったと判断し、その場からメシアを連れて逃げ出した。
繁華街を抜け、今度はガラス張りの大型高速エレベーターが街の中央に配置されていたので、そこへ一行は駆け込んだ。
ホログラムネオンが宣伝する中、エレベーターは高層ビルの間を抜け、さらに上層階へと一行を運ぶのだった。
第22話‐16へ続く
16
エレベーター内部はちょっとしたホールのようになっており、中央には円形の浮遊ソファが配置されていた。ここまで逃げっぱなしの一行はソファへ腰かける。
コールドが大きく溜息をつき、
「お前、何をやったんだい。あれだけの人物を硬直させるなんて、どんな力を使えばできるのやら」
と半ばあきれた様子でメシアへ尋ねた。彼女も急なメシアの豹変ぶりに驚いていた。
イラートもそうである。これまで護る対象であったメシアが、次第に変化していく。しかも急加速度的に。彼の気持ちも追いつけていなかった。
「誰にだって大切な人はいる」
鼻の横を搔きながら、メシアは自分でも自分の中で起こっている変化に戸惑っている様子で、言葉をゆっくりと口にし始めた。
「心の隙間っていうのかな。誰もが大切な人にその隙間を埋めてもらっている。だから自分は存在できる、ここに居ることができる。自分の存在理由は、きっと大切な人がいるからこそ、成立するものだと思うんだ。僕はそれを見せ。その人それぞれの大切な人を」
高速で下方に過ぎていく摩天楼を見ながら、メシアは言葉を切った。明確に説明できないから、頭の中を整理しながら喋っていた。
「きっと兵士も教団を信じる人たちも、仕事、家庭、神にすがって生きていると思うんだ。不安だからそこにいる。欠けている物があるから世界に居続け、なにかを頼る。僕はその人々の助けになる大切な人物を見せただけなんだ。自分と他者の境界線を曖昧にして、大切な人と結びつくことで、心の解放を行ったって言えばいいのかな」
コールドとジントは互いを見やって、言っていることがわかるようでわからない表情をした。
だがイラートだけは違った。メシアはさっきの瞬間、とんでもないことをしていたのだ。他者の心に入り込み、存在理由を大切な人物と結びつけ、兵士の仕事としてのアイデンティティや、教団への信仰といったものを忘れさせた。つまりは心への浸食をおこなっていたのだ。
精神攻撃にも似たあの行為を、イラートは今のメシアの言葉で恐ろしく感じた。メシアがもし、悪意ある人間であるならば、他者の自我崩壊、精神異常を引き起こすことができる。
これまで信頼していたメシアが急に遠くへ離れて行った気がするイラート。
高速エレベーターは地上近くの都市へと到着しようとしていた。
第22話‐17へ続く
17
黒いコートに身を包み、デヴィルズチルドレンの粘液の上を平然と歩く、見た目は人間だが人間が生きていられない空間で生存できているという時点で、彼は人間ではないことが分かる。
そこはアリッタ神が鎮座する禍々しい星系の中心部であり、そこからデヴィルズチルドレンが生まれ続けていた。
異形の神アリッタは、その人間が突如現れたことに、驚きと深い敬意を、その異形の姿で現していた。
「ちっとも良い報告がねぇなぁ」
口悪く人間の姿をしたデヴィル、アモンがアリッタ神を見上げた。
黒いミイラの様な顔に恐怖に近い表情が浮かぶ。頭が2つ後頭部がつながった形をしているアリッタ神は、両方の顔で自分を産み出した存在を前に、何もできずにいた。
「言ったよなぁ。犬の王を捕まえて殺せって。聞いてないとは言わせねぇぜ」
12本の干からびた腕をばたつかせ、アリッタ神は二重の声で言った。
「理解しております。居場所は常に把握していますので、今しばらく、猶予をいただければ感謝いたします」
この宇宙の殆どを支配するアリッタ神でさえ、デヴィルの前、自らの産みの親であるアモンの前では、小動物のようにおびえていた。
するとアモンは自分の嫌う人間の肉体の腕を伸ばし、人差し指をアリッタへ向けた。
と、指先から黒く細長いレーザー光線のようなものが一閃したと思った時、アリッタ神の腕が一本途中からなくなり、切れ落ちた腕はデヴィルズチルドレンのタール状の液体の上に、ネチャリと落ちた。
傷口からは黒い鮮血がほとばしり、そこを別の手で押さえ、アリッタ神は獣のような悲鳴を上げた。
「デヴィルとして、俺は本当に優しいねぇ。ベルゼブルだったらお前、消えてるぜ」
他のデヴィルより寛容である自分に微笑みを浮かべるアモンは腕を下し、苦痛に歪むアリッタ神の巨大な顔を見上げた。
「いいか、もう一度言うぜ。犬の王を捕まえて、殺せ。お前も俺の円卓の騎士を名乗るなら、救世主殺し、くらいはしてくれよ」
真顔で言ったと思ったら、またアモンは笑い、振り返ると物体が消失するようにその場から姿を消したのだった。
デヴィルから忠告を受けたアリッタ神は、侮辱を受けたという怒りが込み上げ、2つの口で怒りの雄たけびを星系全体に轟かせたのであった。
第22話‐18へ続く
18
地上が近い都市に出たメシア一行は、人目を避けながら裏路地を抜け、地上へ向かうエレベーターの近くまでもうすぐという場所まで来ていた。
下層の都市とは違い、規模も巨大化し、空中をエアカーが行きかい、忙し気に様々な種族が大通りを行きかっていた。金融街ということもあってか、ホログラムも店への勧誘なのではなく、相場の数字があらゆる文明の数字で表され、常に変化していた。
ホログラムばかりではない。天井を支える巨大摩天楼も建物自体が渦をゆっくりと描くものや、縦がたではなく、真ん中に穴の空いたリング状の建物など、建物の中にも個性が出てきた。
そうした街中をアリッタ教団の施設軍エリスの兵士が光学武器のライフルを所持して、周囲を見回しながら明らかにメシア一行を探していた。兵士ばかりではなく、浮遊型の球状ロボットも周囲を監視しながら兵士を周りを飛び回っていた。
その警戒網の中を一行は逃げていたのだ。
路地裏はロボットによる清掃が行き届いており、鋼鉄の箱などの荷物は置かれておるものの、ジャンキーなどは1人もいない。
もう少しでエレベーターだというのに、ここにきてコールドの表情が曇っていた。何か気にしていることは明らかで、隣を歩くジントもまた異種族ながら、険しい顔をしていた。
この街がそんなに嫌悪するものなのか、メシアには快適そうにしか見えず、2人の顔の意味が分からないでした。
複数の金属の地面を走り抜ける音が路地の先から聞こえてきた。
見つかったか。
先頭を歩くイラートが銃を構え、後方のコールドは腕を変形させ、ジントは短い両腕を上げて構えた。
しかし間に挟まれているメシアは、これまでに接してきた教団の猛進とはなにか違う、熱いながらも正義と自由という大きなものを抱えた人々が現れる予感がして、戦闘の構えにはならなかった。
すると背後からも足音が響き、現れた集団に一行は取り囲まれてしまった。
アリッタ教団施設軍隊エリスとは、見た目が明らかに違う。型落ちの光学武器。かき集めたと思われるプロテクターの統一感のなさ。中には薄汚いシャツを着ている者もいた。
種族は様々で、4足歩行の足先が触手になった種族や、蜘蛛のように尖った脚で身体を支えるもの。浮遊カプセルの緑色の液体の中に浮かぶ、裸の赤子にして見えない種族もいた。
それぞれに個性的な武器を構えている。
「来ると思ったよ」
コールドがあきれた様子で腕を元に戻し、集団の中央に立つ、錆びたプロテクターを上半身にだけ装備し、手にはハンドガン型の光学武器を持って、浅黒い顔をコールドに向けている50代前半の人間の男を見た。
男の方もコールドを知っているらしく、軽く微笑んでいた。
集団が武器を下すと、警戒心はあるものの、イラートも銃をホルスターへ戻す。
ジントはしかしコールドを心配してか、まだ戦闘をする気でいた。
「ある意味では心配いらない。教団と戦ってる反乱軍の連中だ」
そうコールドが言う。その言葉にはどこか懐かしい感じを抱えている含みがあった。
一行は反乱軍と共に戦うわけではないものの、教団の眼がある限り逃げられないと判断したイラートは、反乱軍についていくことにした。
第22話‐19へ続く
19
反乱軍の集団はまだ建設中のひし形をした巨大な建物に入っていく。中はまだ工事中らしく、ロボットが内装を作っている最中だった。
そうした無数のロボットを横目に、集団はまだ動いていないエスカレーターを上り、上階へとやってきた。そこもまだ建設途中らしく、内装すらまだできていない。しかも各部屋をしきる壁もなく、広い鋼鉄の部屋が見渡す限り広がっていた。
「ここは建設途中ってことにはなってるが、反乱軍の拠点として偽装した建物だ。だから安心してくれ」
気さくな感じで浅黒い男はイラートとメシアを一瞥する。
浮遊する椅子や鋼鉄のボックスが無造作に並ぶ区画へ到着した集団は、武器を身体から外し、やれやれ、といった感じで気を緩めた。
コールドとジントは何も言われていないのに、勝手に椅子へ腰かけ、不機嫌そうな顔と態度をとる。
イラートとメシアは浅黒い顔の男に促され、ようやく椅子に座った。
「今更、なんの用だい。こちとら教団に追われて、一つのところに留まってなんていられないんだがね」
嫌味っぽくコールドが言う。彼女と反乱軍の間には何かの因縁があるように、メシアには見えた。
「反乱軍も窮地にある。だからこそ君たちの力を借りたい。エジャッタ神のご加護を受けるいい機会だ」
鼻を鳴らし、笑ったコールドは明らかに浅黒い男を毛嫌いしている。
「トリップ。あんた何にも変わってないね。まだジャフテル教の模範的信者なのかい」
トリップ。浅黒い顔をした男の名前だ。彼は腕に着けた銀色で三つの四角形の宝石が並んだリングを触り、自分が信仰する宗教を場何され、少し不機嫌そうな顔をした。
「偽りの神を倒す好機なんだ。各地の反乱軍とも連携が取れている。この意見に反対する者もいるが、俺にはこれしかないと思っている」
とトリップが言った刹那、メシアの背後にいた頭が三角形に伸びた、金属的な皮膚をし、その頭から湾曲した突起物が前方に出て、肉体は球体であり、浮遊するロボットなのか生命体なのか分からない異種族が、球体の肉体の一部を液体金属として変化させ、筒状してメシアの後頭部へその筒状の物の先端を突きつけた。
「偽りの神を倒すために偽りの救世主を囮にする。偽りの神が現れたところを一気に反乱軍の総攻撃であの忌まわしい星系ごと、吹き飛ばす」
コールドは椅子から飛び起きるなり、腕を変形、銃口をトリップに向けた。
「これも仕事なんでね。邪魔されるわけにはいかないのさ。戦争なら他のところでやんな」
一気にその場に緊張の糸が張った。
第22話‐20へ続く
20
そこはメシア・クライストが今いる宇宙から次元を無限に上り詰めた場所にある、このオムニバースの神々が鎮座する、ヘブンバースであった。
可視化されたヘブンバースの中央にある宇宙。黄金に輝くその宇宙空間には果てがなく、超銀河団、宇宙の大規模構造がどこまでも続く。しかしその中心部は確定していた。
宇宙の中央には黄金の幾何学的建物が宇宙空間に浮遊していた。大きさは人類の単位に換算すると縦200万キロ、横300万キロである。しかし内部は次元がまた違っており、無限の空間が広がっていた。
様々な形状をした神々がそこには無限にいた。それぞれに黄金という統一の色をしているが、見た目は人型から非人型まで様々で、それが無限、黄金の空間に見渡す限り存在していた。
そこには過去の神、現代の神、未来の神、記録すらない神が揃い、それぞれ観測、記録、沈黙などの役割があった。神々はそれぞれに話し合いをしており、空間は神々の声に包まれていた。
その中央というべきか、無限空間の中央に背中にブラックホールを背負い、人間サイズの顔には黄金のマスクを着け、長く床まで垂れた黄金の髪の毛を伸ばし、ブラックホールの前、背中からは黄金の翼が生え、身体は黄金が常に流動している神、エジャッタが鎮座していた。鎮座といっても椅子などはなく、空中になにかあるように座っているだけだ。
オムニバースという、過去も現在も未来も、可能性も非可能性も、生命、植物、動物の思考がすべて現実となり、文字、音楽、絵画、データ、万物の最小単位が現実となる世界の象徴たるエジャッタ神は、無限の現実の代弁者であり声、といっても脳波で会話するのだが。その声が無限に重なっていた。
「救世主は前を向いた。いずれ偽りの神をも倒すであろう」
円形に空中に座った形のエジャッタ神を含めた7柱の神々は、頷く。
オムニバース内の微生物から宇宙を回遊する巨大生物までを司るボノス神が脳波でいう。
「世界が我々の意にそぐわない形で変化したのは、遺憾ではあるが救世主の覚醒が我らがオムニバースで行われるのは、めでたいことではある」
黄金の巨大な頭に6つの眼を持ったボノス神は、微笑む。
「生命体の動向がきになるところではあるが」
しわがれ声をしている黄金の軟体動物のような触手が体中に巻き付き、触手の間からかろうじて見える3つの瞳を持つハーワ神が脳波で危惧する。
オムニバースの植物、新芽から落ち葉まで、あらゆる植物の過去、現在、未来を司る神。
「太陽の運行も変動をきたしている。デヴィルが我等がオムニバースに来ている証拠であろうな」
ジャフテル教として屈められている神々だけではない、そこにはアルジャナ教の神、太陽神テピナもいた。
7つの黄金の顔を持ち、その1つひとうの顔に黄金の長い髭を蓄え、小太りな肉体をしている。
太陽神が恒星の運行の以上がデヴィルのせいであるという意見は、神々も見た異論はなかった。宇宙の法則を簡単に変える。それがデヴィルが現れるということ。
「戦闘になった際は我が軍勢を率い、オムニバースを死守する。任せておけ」
ひときわ脳波の声が大きなのは、アルジャナ教の軍神、チャルラ神である。筋肉の塊であるチャルラ神は、四肢に刃が突き出しており、いかにも戦いを好んでいるという風貌であった。
「偽りの神なれば問題ない。しかしデヴィル、あのアモンを相手とするとなると、戦力が足りるかどうか。生命体の意思は今もバラバラで、結束するということができません」
ケナイフ教の生命の神であるトーナイカ神が下半身の伸びた綺麗な鱗に覆われた尾を振り、背中の有機体の無数の突起物を動かし、七色の髪の毛を光らせながら言う。どこか女性的な見た目ではあるが、神々に性別はない。
生命体のもう1つの意識の集合体であるトーナイカ神は、生命体たち1人、1人の意識を認識できていた。
同じケナイフ教の星々の神であるラカ神は、黄金の体毛に覆われた4足歩行の、牙が生え、頭に5本の角が生えた獣のように見えるも、冷静な判断を下していた。
「生命体、文明に頼るのは時期尚早。我等がオムニバースには超知性体にまで進化した種族は未だいない。星々でさえ支配できない生命体に、アモンの相手をさせるのは難しいであろうな」
エジャッタ神は黄金の仮面を円形に鎮座するそれぞれの神へ向けた。
「偽りの神が増えようとしている今、救世主の保護こそが最優先であろうな」
「覚醒前の救世主を我等が保護してよいものか」
エジャッタ神の言葉に問いを投げかけたのは、テピナ神であった。
「神という存在。我々の存在は、存在するだけで自然に影響を及ぼします。だからこうしてそれぞれのヘブンバースにいるのです。確かに不用意に今の救世主に接触するのは、危険かもしれませんね」
ボノス神が巨大な黄金の顔をしかめた。
「ならば彼に任せるしかありませ。同じ神として我々とは違い、人間としての経験もある彼ならば、救世主を導いてくれるでしょう」
希望を込めて流動的に髪の色が虹色に輝くトーナイカ神が言った。
神たちは議論を終え沈黙した。
周囲にいる無数の大きさ、姿が違う無限の神々。それぞれに語られ、あるいは語られずにいる神々は、個々に神話を持ち、崇められていた。けれどもそれも時代が過ぎてしまい、アリッタ神という神がオムニバースを蝕んでいる。
神々として単身の神として戦うことも可能だ。だがテピナ神が言ったように、神という存在は生命体、空間、時間、動植物にあまりには絶大な影響を与えてしまう。姿を見せた刹那、負の側面が出るかもしれない。それだけは避けねばならない。
無限の空間に無限に存在する黄金色をした神々は十分に承知していた。
第22話‐21へ続く
21
タール状のデヴィルズチルドレンに覆われた部屋に常にいるアリッタ神は、何かを感じ取ったらしく、2つのミイラの様な巨大な頭を動かした。
するとデヴィルズチルドレンの、粘度の高い液体から8つの何かが飛び出してきた。アリッタ神はそれがなんであるか、どんな存在なのかすぐに理解した。
「兄弟、ずいぶんと上手くやっているではないか」
八つ並んだ黒い影の中で開口一番に言葉を口にしたのは、白いロン毛が異常に伸び、汚い包帯を頭から腰まで巻き、顔が見えず、腰には黒い鋼鉄のスカートを履いたドーボだった。この異形の人物もまたアモンの円卓の騎士の1人である。
「何をしにわたしの宇宙へやってきた。ここはわたしの物だぞ」
アリッタは、先日、自らの親であるアモンの黒いビームで焼き切られた腕がすでに再生しており、それらの腕で8人を指さした。
「同じアモン様から産まれた兄弟ではありませんか。仲間以上の存在なのですから、敵対心はよしましょう」
タガエ。灰色の皮膚をしており背中には巨大なコブがある。両腕は骨と灰色の皮でできた鎌状の形をしている。大きいさはアリッタと同等の巨体である。それでいながら言葉は優しかった。
「宇宙の多層化で、お前が支配してる宙域も、せまくなっちまったな。たかが宇宙1つの生命体を使って、犬の王一匹捕まえられないってのは、アモン様も怒るよな」
先日のことを知っているパマトが荒々しい口調でいう。全身を尖った鎧で覆い隠し、顔も兜を点けているので見えない。手には鉄板をそのまま使ったのではないかと思われるの大剣を持ち、その重さから肩に担ぐ形をとっていた。
「黙れ。わたしにはわたしのやり方がある。口出しは無用だ」
アリッタ神は激怒した様子で、前後のミイラ顔を苛立たしそうにしかめた。
「しかし長くは待っていられません。わたし達が思っている以上に、犬の王が覚醒するのが早い。すぐに始末しなければ、貴方が危険なのですよ」
蜘蛛。見た目は人のサイズよりも巨大な雲である。しかしその前方に着いた本来の蜘蛛よりも無数の眼球が、アリッタ神を見つめ、ヨリブは心配している様子で言った。
「そうですよ。わたし達は貴方を心配しているのです」
くすんだ肌色に欠陥のような太い物が表面に浮かび、見た目は巨大な脳のような、浮遊した物体のシハが、左脳右脳の間にある巨大な目玉でアリッタ神を見た。
「心配なぞ無用だ。常に犬の王の居場所は把握している。今は反乱軍と行動を共にして、いずれは、わたしの前に現れその首をわたしが切り刻んでみせよう」
憤慨から余裕の顔になるアリッタ神の2つの頭。
「反乱軍は潰すべきだったな。ワシなら少なくともそうしていた。異分子は少ない方が計画は順調に進む」
アリッタ神のやり方を柔らかく否定した、黒い鱗の付いたドラゴンの様だが、腰の部分から頭があるであろう部分まで引き裂け、中の鋭い骨が牙のように生えたカイケケズが、開口した腹部の奥から言っていた。
それを聞いた卵型の球体、真ん中からひび割れ、触手が這い出ている、不気味な姿のポーラドヴが、感情があるのかないのか分からない姿から声を発する。
「変化したとてどうということはない。わたし達のやるべきことは1つ、アモン様の意思のまま。こんな宇宙など破壊しても良いのです。犬の王さえ消えれば。問題はありません」
「やり方はそれぞれだ。アモン様の一瞬の思考から誕生した我等円卓の騎士。宇宙の誕生と崩壊を数えきれないほど見てきて、ようやく我等が使命である犬の王抹殺が叶うのだ。いがみ合いはやめようではないか」
全体的に脂肪の肩まりであり、腹からは肉が垂れ下がった身体を衣服も着ずに裸体で黒い肌を露出している、口が十字に裂けたセマイラが諍いをする面々に言う。
「問題は犬の王ではなく、犬の臭いが宇宙に充満していることです。わたしがこの宇宙へ来た時点で、すでに犬の臭いがしていました」
犬とは彼等の宿敵たる神のことであった。
アリッタ神は少し気まずそうな顔をして、あれだけ広げていた12本のミイラみたいな干からびながらも、巨体に似合う太い腕をだらりと下げてしまった。
「犬の臭いは常々していた。きっと王を迎えにきたのであろう。わたしも探してはいるのだが、気配はするが肝心の姿がみえない」
「それじゃあ、犬探しは俺等がするか」
役得だと言いたげに、粗暴なふるまいをするタガエが肩に担いだ大剣をカチャンと鳴らす。
「宇宙の多層化。面白い変化を犬の王は起こさせましたね。この宇宙と繋がっている、アリッタも異変に対応できないのでは?」
ポーラドヴが起伏のない口調でいう。
「問題はない。宇宙の拡大はわたしの力となる」
アリッタの2つの顔が笑う。
「そんなことはどうでもいい。どの犬が王を迎えにきているのか、それを確認できない内は危険すぎます」
ヨリブが何も考えずに行動するタガエの行動をいさめるように言った。
デヴィルの円卓の騎士たちは、主であり親であるアモンや、他のデヴィルと違い、兄弟であるせいか、どこか互いを心配している様子もうかがえた。
だが、心中では言葉とは裏腹に、兄弟のことなど考えもせず、自分が手柄を上げる。神々と楽しむ。救世主を捕らえる。そればかりがあり、本音を隠しながら会話をしていた。
「とにかくワシ等は多層化した宇宙のどこかに潜んでいるであろう犬を探す。アリッタ、お前は犬の王だけに集中だ」
裂けた身体の奥から骨の牙を抜けてカイケケズの声が響く。
異形の彼の言葉を合図にそれぞれが、それぞれの能力である転送を使い、多層化した宇宙へ散らばっていった。
アリッタ神は両方の顔を苦々しく歪め、自分を無能扱いされた気分になり、ヌメヌメとしたデヴィルズチルドレンが常に流動する、巨大な部屋の中で獣の断末魔のような雄たけびを2つの口から上げるのだった。
第22話‐22へ続く
22
反乱軍幹部トリップは、同盟構造である反乱軍の各方面支部へ連絡を入れ、メシア、イラート、コールド、ジントを光学ロープで拘束、アジトを出発した。
街に出るのは危険だと判断したトリップは、綺麗に清掃された裏路地を進むことにした。上層階都市へ向かえば、そこから宇宙船で惑星を脱出できる。トリップの狙いはそこにあった。
メシアもそれを理解していた。だが分からなかった。教団に引き渡せば、それで済む話ではないのか。メシアは疑問に思いつつ、反乱軍の指示に従った。
力の覚醒がメシアを強くしていた。光学ロープを引きちぎろうと思えば、簡単に引きちぎれる。それをしないのは、無用な争うを避けるためと、教団との争いを回避するためである。
メシア、イラート、コールド、ジントを引き連れた集団は、裏路地に教団の信徒がいないか確認しつつ、進んでいく。
アジトから半重力エレベーターまでの距離はそう遠くない。
数分の間、メシアが歩いていると反乱軍の面々の間に緊張が走った。
また嫌な予感がする。
メシアが感じた嫌だ予感は的中した。巨大が強化ガラスチューブが上階の天井を貫き、上の階層まで続いている、半重力エレベーターの前に、教団施設軍隊エリスの分隊が陣取って、明らかに獲物を待ち構えている様子だ。
謎の雑音が聞こえた。電子音に聞こえるその声は、さっきメシアの後頭部へ銃口を向けた、奇妙な形をした生命体だった。
「迂回するしかない」
トリップが渋々、仲間の言語を聞き、いやいやながら言ったようにメシアには見えた。
反乱軍にまた来た道を戻らされ、少し歩くと広い場所に出た。鉄の塀で囲まれた、駐車場にメシアには見えた。現に駐車場には複数台のエアカーが置かれていた。
荷台付きのエアカーに押し込まれたメシアは、隣に座るイラートを見た。彼の様子は平然としていて、武器も奪われたせいか、抵抗する様子はない。
その横のコールドとジントは、何かを言い合っている。ジントの言葉は分からないが、コールドの口ぶりでは、反乱軍から逃げたい、抵抗したいらしいが、光学ロープが外れず、2人とも苛立っていた。
メシアは軽い重力を感じ身体が押し付けられるような感覚になる。小さい窓から外を見ると、空中に浮きあがっていくのが見えた。
様々な形のビルやいろいろな形をしたエアカーが行きかう巨大都市。見たことのない光景に、一瞬だけメシアは現実を忘れたのだが、エアカーが強引に飛び始めた瞬間、その場にいた全員の身体が傾いたことで、自分が捕虜なのだと現実に引き戻された。
複数台の車列はビルの間、法律で決められたエアカーの飛行ルートを、他のエアカーと共に車列を組み飛び、街を離れようとしていた。
「他国へ逃げる気か」
イラートがメシアの横でポツリと独り言のように言う。
「他国って」
メシアが聞くと、イラートは向かい側の小さい丸窓から見える、都市の風景を眺めながら説明した。
「この惑星ギントルはメタラ銀河の中心部に位置する、交易の拠点だ。国の数は180ヵ国以上、都市階層は140万階層にもなる、ほぼ人工的な惑星。建設を繰り返したせいで、都市構造は複雑化、エレベーターでの移動、あるいはエアカー、エアトレインなどの移動で都市間を移動できる。だが教団はおそらく周辺のエレベーターは押さえているはず。となると教団の息のかかっていない、反乱軍を庇護してくれる国へ出国して、再度、上層階へ向かおうってことだろうさ」
教団の力が改めて強大なのをメシアは感じ、また外を見た。
都市中心部から離れ、ビル群が延々と続く空中を車列は進む。
隣国へ逃げるのにどれだけの時間が必要なのかとメシアは思いながら、これまでに見たことのない光景をずっと眺めていた。
第22話‐23へ続く
23
エアカーの中で数時間が過ぎていた。
メシアは流石に尻が痛くなって、体勢を変えながら到着を待った。
するとちょうど、エアカーが降下していく感覚を身体が軽く浮き上がる感覚で実感した。
車列から離れ反乱軍のエアカーは、エネルギーシールドに覆われた駐車スペースの上空に待機、運転手が手続きを行い、シールドが解除、中へと着陸した。
メシア達はエアカーから降ろされ、駐車場から鋼鉄の幅のある通りに出た。
そこにもまた、巨大なビル群が天井を支え、巨大照明が太陽のように照らす、巨大構造都市があった。今度はしかし鋼鉄の色が白に変化しており、ここが数時間前までいた都市とは違う場所なのだとメシアは、ビル群を見上げて実感した。
「ここまで巨大な構造物を建てる必要があったんだろうか」
唐突にメシアが呟く。ここまでの道中で見てきた都市は確かにすごい。壮大で圧倒する迫力のある光景だった。ただ恐怖に近い感覚も同時に感じていた。あまりにも人工物しかなく、この中で生命体が暮らしている。それが生命活動と呼べるのか。
「この惑星の歴史を考えれば、当然の摂理ってことさ」
と、浅黒い顔のトリップが答えた。
「ぐずぐずするな。教団が政治に入っていない国ではあるが、国家が教団を完全に拒絶しているわけじゃないんだ。信徒がいる可能性もある。行くぞ」
トリップはメシアにそういい、反乱軍とメシア一行は白い都市の中を歩いていく。
「貿易が始まり、宇宙は広がった。超光速航法が開発され、宇宙貿易は一大産業となり、ギントルは銀河の中心として貿易拠点となった。物、人、金が集まる場所には自然と都市が構築される。それが銀河レベル、宇宙規模で集中してるんだ、当然、都市発展は加速する。結果、今の都市が惑星の地上すら覆う、巨大都市ができたってことさ」
トリップが当然のように惑星が都市化した歴史を簡単にメシアへ説明した。
「それでみんな満足してるのかな?」
メシアがまた呟く。
「人にはそれぞれ生活がある。日常がある。世界はそうやってできている。人は人、自分は自分。満足するかは個人の人生の作り方によるだろ。なにを変なことを言ってんだ」
トリップはそう言いながら建物の前で脚を止めた。一団もそれに従うように脚を止めると、巨大な鋼鉄の、しかし流線形でデザインにもこだわっているビルが建っていた。
円形の自動ドアが真ん中から波紋が広がるように開き、1人の女性が出てきた。
それを見た瞬間、コールドの顔色が変わり、不自由な義手で光学ロープをほどこうとしながら、暴れ、そのまま出てきた女性へ体当たりしようとした。が、それを反乱軍の面々に阻止され、制圧された。それでもコールドは獣のように暴れる。
「久しぶりね、コールド」
黄緑色の皮膚、薄く透けた衣服、胸から複数の触手が垂れ、肩からも太い触手が生えている。ファキエ人の女性である。
彼女はコールドと知り合いらしく、軽く微笑んでいた。
第22話‐24へ続く
24
「スティ、話は聞いているな」
トリップが言うと、スティと呼ばれた黄緑色の肌のファキエ人女性は、薄く微笑んだまま答えた。
「ええ。まずは中へどうぞ」
彼女はそう促し、円形の自動ドアを通って建物の中へと入っていった。
メシアたちも後に続く。コールドは光学ロープで縛られたまま、反乱軍の兵士に両脇を抱えられ、無理やり引きずられていった。その表情には、抑えきれない憎悪が滲んでいた。
ロビーに足を踏み入れた瞬間、メシアは息を呑んだ。
無数の種族が行き交っている。人間型、昆虫型、気体生命体、光の塊のような存在まで。だが、その多くが機械義体を纏っていた。腕が金属製のもの、頭部の半分が透明なケースになっているもの、下半身が完全に車輪とキャタピラに置き換わっているもの。
天井には青白いエネルギー配線が幾重にも走り、脈打つように明滅している。空中には無数のモニターと浮遊端末が漂い、リアルタイムで情報を更新していた。
メシアは内心で呟いた。
(ここもまた、何かを守るために何かを失った世界)
教団が支配する星々も、反乱軍が築いた拠点も、結局は同じなのかもしれない。何かを得るために、何かを捨てる。それが宇宙の摂理なのだろうか。
スティに導かれ、一行はロビーを抜けて廊下を進んだ。
やがて、鋼鉄の自動ドアの前で止まる。ドアは波紋が広がるように中心から開き、内部が露わになった。
完全な金属空間だった。壁も床も天井も、継ぎ目のない銀色の金属で覆われている。球体型の照明が天井から吊るされているわけでもなく、ただ静かに浮遊していた。
部屋の中央には、浮遊する椅子が楕円状に配置されている。円ではなく楕円。その配置が、微妙な序列を暗示しているようにメシアには感じられた。
「光学ロープを解除して」
スティが指示を出すと、反乱軍の兵士がメシア、イラート、コールド、ジントの拘束を解いた。
メシアは手首をさすりながら、浮遊椅子の一つに腰を下ろした。不思議と身体が椅子に吸い付くように安定する。イラートとジントも近くの椅子に座った。
コールドは椅子に座るなり、スティを睨みつけた。
スティは正面に立ち、コールドと視線を交わした。彼女の表情には余裕の笑みが浮かんでいる。
コールドの顔が歪んだ。殺意を抑えているのが、メシアにもわかった。
だが、コールドは何も言わなかった。ただ、拳を握りしめ、沈黙を保った。
過去に何があったのか。メシアにはわからない。だが、この場の空気が張り詰めているのは確かだった。
トリップが席に着くと、スティが口を開いた。
「さて、本題に入りましょう」
その瞬間、トリップが立ち上がった。
「スティ、俺たちの提案はすでに伝えてある。この青年、偽りの救世主を囮にして教団を動かす。現代神アリッタのいる星系に、全支部が連携して総攻撃を仕掛ける。全支部が一致した結論のはずだ」
彼は拳を振り上げた。
「今しかない。神を討つ機会だ」
部屋の奥に控えていた反乱軍の武闘派支部員たちが、一斉に頷いた。
「その通りだ!」
「今こそ反撃の時!」
声が重なる。
だが、スティは静かに首を横に振った。
「却下よ」
一言。それだけで、部屋の空気が凍りついた。
「なぜだ。お前も賛成したはずだろ」
トリップが怒鳴る。
「理由は四つ」
スティは冷静に指を折った。
「一つ、情報不足。二つ、突然変化した多層宇宙が不安定。三つ、メシア、その子が偽りの救世主として手配されている意図が不明。四つ……」
彼女は言葉を切り、トリップを見つめた。
「貴方は戦争を従っている。自由という旗を掲げているけど、わたし達の支部が独自に調査した結果、アリッタ神は何らかの宇宙構造と繋がっていることが判明しているわ」
その言葉に、メシアは眉をひそめた。
宇宙構造? それが何を意味するのか、メシアにはわからなかった。
スティは手を振り、空中にホログラムを展開させた。
「何故だか分からないけど、宇宙の層が増加している。データを見て」
映像には、複雑に絡み合う層構造が映し出されていた。まるで何枚もの透明なフィルムが重なり合い、それぞれが微妙にずれているような構造だ。
「大規模なエネルギー衝突が起これば、層が歪む。最悪の場合、層そのものが崩壊する可能性がある」
スティの声が、会議室に響いた。
「つまり、総攻撃は宇宙そのものを壊しかねない」
沈黙が訪れた。
やがて、支部員たちが口々に意見を述べ始めた。
「それでも今攻めるべきだ!」
「いや、まずは偵察を優先すべきだろう」
「補給が不安だ。総攻撃など無謀すぎる」
「そもそも、内部に教団の目があるかもしれない」
会議室が荒れた。反乱軍は一枚岩ではない。それぞれが異なる思惑を抱えている。
メシアは自分の手を見つめた。
彼らは自分を何だと思っているのだろう。
象徴? 兵器? それとも餌?
「僕は……戦うための道具なのか?」
メシアの声が、静かに響いた。
会議室が、一瞬で静まり返った。
全員がメシアを見つめた。
スティは目を細めた。
「……あなたが何者で何故、教団に追われているのかは分からない。でも貴方が今現在の宇宙の鍵なのよ。理解して」
スティは立ち上がった。
「結論を出すわ。我が支部は総攻撃には反対。まずはアリッタ神がどういう存在なのか、確認するのが先決よ」
トリップの顔が歪んだ。明らかに不満を隠せていない。
だが、スティの決定は覆らなかった。
その時だった。
天井に浮遊していた球体型照明が、ぐにゃりと歪んだ。
まるで空間そのものが捻じ曲げられたかのように。
警告音が鳴り響き、空中に赤い文字が浮かび上がった。
『多層歪曲反応検出』
メシアは息を呑んだ。アリッタの星系からの攻撃か?
ホログアムが出現し、惑星ギントルに複数の宇宙戦艦が向かってくる様子が映し出される。
「教団が本気で来たわね」
第22話‐25へ続く
25
会議室全体に警報が鳴り響いた。
スティが素早く手を振ると、空中に巨大なホログラムが展開された。
そこには、無数の光点が映し出されている。
「教団私設軍エリス艦隊……降下ポッド多数」
スティが冷静に確認していく。だが、その表情はわずかに強張っていた。
メシアは映像を見つめた。イデトゥデーションと行動を共にした時のことを思い出す。宇宙空間が押し寄せてくるような数の宇宙艦隊であった。
「捕縛作戦。目標は彼ね」
スティがメシアを一瞥した。
トリップが歯噛みする。
「ここまで大規模に動くとは……」
イラートは無言のまま、ホログラムを見つめていた。
次の瞬間、鋼鉄ビル全体が震動した。
建物が変形していく。外壁が展開し、装甲プレートが幾重にも重なっていく。青白い電磁シールドが建物全体を包み込んだ。
ロビーでは、機械義体を纏った無数の種族が武装を整えていた。砲台が展開され、エネルギー砲が充填される。
ここは反乱軍の最前線拠点。容易には落ちない。
通信が入った。
ホログラムに、エリス艦隊の指揮官が映し出された。白い法衣を纏った、冷たい目をした男だった。
「偽りの救世主の身柄を引き渡せ。引き渡すのであれば、他の者の命は救われる」
その声には、一切の感情がなかった。
スティは即座に答えた。
「あなた方の"救い"は、星を滅ぼす」
指揮官の表情が歪んだ。
「ならば、すべてを滅ぼすまでだ」
通信が切れた。
直後、外壁が爆発した。
降下ポッドが次々と突入し、信徒たちが波のように押し寄せてきた。
ロビーで銃撃戦が始まる。エネルギー弾が飛び交い、爆発音が響き渡った。
だが、メシアは戦闘音の中で、何か別のものを感じていた。
唸り声。
誰にも聞こえない、自分だけに聞こえる低い唸り声。
それは、グルズの気配だった。
メシアは天井を見上げた。
一瞬、空間が歪んだ。鋼鉄が波打つように揺れた。
だが、周囲の誰も気づいていない。
その時、イラートがメシアの肩を掴んだ。
「……来てる」
イラートもまた、何かを感じ取っていた。
「長期戦は不可能よ」
スティが決断を下した。
「教団は増援を呼ぶ。このビルごと消される可能性がある。撤退する。第三宇宙港へ」
彼女はトリップとメシア一行を振り返った。
「ついてきて」
一行は会議室を飛び出し、廊下を駆け抜けた。
やがて、半重力シャフトに辿り着く。スティが先頭に立ち、シャフトの中へ飛び込んだ。
メシアも続いた。身体がふわりと浮き上がり、ゆっくりと上昇していく。
だが、その時。
ビル全体が激しく振動した。
外壁が崩壊する音が響き、シャフト内の照明が一瞬消えた。
空間が反転するような違和感。
メシアは背後に気配を感じた。
振り返る。
そこには、黒い縦裂けがあった。
音もなく、空間が裂けている。
そして——グルズが現れた。
巨大な影。裂けた口。無数の目。
グルズはメシアだけを見つめていた。他の者には一切興味を示さない。
イラートが素早く掌を向けた。電撃の球体が発射される。
だが、弾は空間で逸れた。まるで見えない壁に阻まれたかのように。
コールドが義手を振り上げ、砲撃を放つ。
グルズは位相をずらした。弾丸がグルズの身体をすり抜ける。
トリップの部下が銃を構えた瞬間、グルズの触手が伸びた。
部下は即死した。
グルズは振り向きもしない。ただメシアだけを見つめている。
「グルズが進化してる」
イラートが前に出た。
グルズは裂けた口を開き、よだれを垂らした。獣のような唸り声を上げる。
スティの顔が青ざめた。
「これは……なに」
彼女の声には、初めて本能的な恐怖が滲んでいた。
駐車場へ到着した。シャフトの扉が開き 一行は駐車場へと放り出された。
スティが緊急隔壁の操作パネルを叩く。
「早く! エアカーへ!」
彼女はメシアを押し込むようにエアカーへと誘導した。
だが、隔壁が閉まりかけたその時。
グルズが"すり抜けて"きた。
物質を無視するかのように、鋼鉄の隔壁を透過して現れる。
イラートが最後に残った。
彼は両手の指から電撃を放った。青白い光がグルズを包む。
一瞬、グルズの動きが止まった。
その隙に、エアカーが離陸した。
エアカーは炎上するビルを抜け、上空へと上がっていく。
だが、背後からエリス戦闘艇が追尾してきた。
さらに——。
エアカー内部に、再びグルズが出現した。
狭い空間。メシアの目の前に、グルズの裂けた口があった。
メシアは反射的に手を伸ばした。掌に光が宿る。
触れようとした瞬間。
空間全体が"外側"に歪んだ。
まるで宇宙そのものが引き裂かれたかのように。
グルズが消えた。
別の層に引き戻されたかのように。
イラートは窓の外を見つめた。
ビルや都市は炎に包まれている。もはや教団は信仰のない国であろうとかまわず、武力で制圧するつもりなのだ。
教団のこれまでにない大規模武力行動と、グルズの明らかな行動。イラートはメシアを振り返り呟く。
「グルズ、アリッタ。明らかに変化が起きている」
メシアは小さく呟いた。
「それと対峙しないと、先へは進めない」
エアカーは炎に包まれた都市を抜けていく。
背後で、支部ビルが爆発した。
巨大な火柱が天井まで届き、鋼鉄の破片が降り注ぐ。
スティは窓の外を見つめ、静かに言った。
「……さっきのは。教団の他にも彼を狙ってる何かがいるの」
静かに呟き、スティはメシアを見た。
エアカーは闇の中を飛び続けた。
メシアは自分の手を見つめた。
光はもう消えていた。
だが、確かに何かが宿っていた。
それが何なのか、メシア自身にもわからなかった。
第22話‐26へ続く
26
エアカーは中層空域を低空で疾走していた。
背後から、教団私設軍エリスの追撃エアカー部隊が迫る。ビーム射撃が都市構造体を削り、破片が降り注いだ。巻き添えを食らった一般車両が次々と墜落していく。
スティが操縦桿を握りしめた。
「地上に出る。宇宙港へ行くにはそれしかない」
彼女の声には、迷いがなかった。
やがて、都市を縦断する巨大なエレベーター入口が見えてきた。
エアカー専用の高速エレベーター。だが、そこには多数の民間車両が避難しようと殺到し、渋滞していた。パニックに陥った人々が叫び声を上げている。
上空ではエリス部隊が封鎖線を張っていた。
「強行突破する」
スティが宣言し、エアカーを急加速させた。
メシアは窓の外を見つめた。混乱する市民たち。墜落する車両。逃げ惑う人々。
自分のせいだ。
そう思うと、胸が締め付けられた。
エレベーターに突入した瞬間、直後にエリス車両も2機が侵入してきた。
縦坑内部は巨大な光の筒だった。重力に逆らい、一直線に上昇していく。凄まじいGがメシアの身体を押しつぶす。
背後から銃撃が飛んできた。
スティがエアカーの扉を開けた。風が車内に吹き込む。
コールドが後部へ回り、義手を構えて射撃を開始した。
イラートは車内に設置されている電磁銃を手に取り、敵車両のボンネットを撃ち抜いた。
追尾車両1機が制御を失い、壁に激突して爆発した。
だが、もう1機が迫ってくる。
その時、エレベーターの射出口に到達した。
眩しい自然光が目に飛び込んでくる。
だが――。
地上はすでに戦場だった。
上空を覆うのは、エリス宇宙軍艦。
巨大な艦影が、太陽を遮っていた。都市周辺には降下兵が展開され、装甲車両と制圧ドローンが地上を埋め尽くしていた。
そこかしこに、教団旗が掲げられ始めている。
放送が響き渡った。
「惑星ギントルは教団の保護下に入った。抵抗は反神行為とみなす」
思想ではなく、武力。
スティが低く呟いた。
「……始まったわね」
エアカーはビル群の間をジグザグに飛んだ。
周囲では戦闘が続いている。反乱軍の残党が各地で小競り合いを続けているが、規模が違いすぎた。
エリスは本格的な軍隊だ。
トリップが絶望的な声を漏らした。
「総攻撃どころじゃない……殲滅戦よ」
やがて、宇宙港が見えてきた。
だが、宇宙港はすでに半分制圧されていた。軌道エレベーター基部に軍艦が着陸し、大型砲塔が設置されている。民間船は拘束され、一部は撃墜されていた。
スティが決断した。
「正面から突っ込むわ」
エアカーは急降下し、墜落したかのように地上へ落下した。
着地と同時に、全員が飛び出す。
地上では、エリス地上部隊が待ち構えていた。
銃撃戦が始まる。
コールドが義手を振り回し、圧倒的な近接戦闘で敵を薙ぎ払う。ジントが前に出て防御し、イラートが精密射撃で敵を倒していく。
だが、メシアは茫然と立ち尽くしていた。震えていた。自分は何もできない。ただ守られるだけだ。
その時、宇宙軍艦の主砲が空へ向けて発射された。
見せしめだ。
遠方の都市が、一瞬で消し飛んだ。
巨大な爆発が地平線を覆い、衝撃波が地面を揺らした。
教団は本気で惑星を屈服させる気だ。
「僕のせいで……」
メシアが呟いた。
イラートが振り返った。
「違う。お前は生き抜くことだけ考えろ」
スティが近くにあった宇宙港を制御する、作業用端末を操作し、ハッキングを開始した。
「一隻確保したわ。高速小型船よ」
彼女が宇宙港内部を指差す。
一行は襲撃戦を行いながら、爆発が相次ぐ中を駆け抜け、小型船へと乗り込んだ。
急がないと危険だ。
全員が船に乗り込むと、エンジンが稼働した。
コールドが操縦席に座り、レバーを引いた。
小型船は勢いよく離陸し、一気に宇宙空間へと飛び出した。
上空には、エリスの軍艦が多数浮かんでいた。
艦隊は逃げ出そうとする宇宙船を次々と撃ち落としていく。巨大な爆発が宇宙空間に花開いた。
だが、小型船は眼中にないのか、砲撃を受けることなく逃げ切れた。
艦隊の包囲網を抜け、全員が一息ついた。
メシアは窓の外を見つめた。
惑星ギントルが、炎に包まれている。
イラートも7年間くらしていた惑星が炎に包まれていく光景を静かに、しかし胸が締め付けられる思いで見つめた。
美しかった都市が、今は戦火に覆われていた。
自分を守るために、多くの人が死んだ。その事実が、メシアの胸を締め付けた。
その時、船の中で物音がした。
全員が振り返る。
船の奥から、一人の人間が現れた。
フードを被り、顔は見えない。
スティが素早く銃を構えた。
「誰!」
第22話‐27へ続く
27
船内に金属が擦れる音が響いた。
全員が一斉に武器を向ける。
スティが素早く銃を構え、トリップがエネルギー銃の安全装置を解除する。ジントは盾を構え、イラートは電磁銃を手に取った。
コールドが静かに音の方へ近づいていく。義手を構え、いつでも攻撃できる体勢だ。足音を立てず、獣のように忍び寄る。
貨物コンテナの陰から、人影が現れた。
痩せた浮浪者風の男だった。
青い長い髪をしている。普通なら美しく見えるはずの髪色も、手入れされていないせいで色あせて見えた。着ているコートや衣服には穴が開き、ところどころ破れている。ぼさぼさの髪は長く伸び、顔の半分を隠していた。汚れた外套は、かつては高級品だったのかもしれない。青い無精髭が顎を覆っている。
だが、その目だけは違った。
落ち着いていた。深い海のような、何もかもを見透かすような目。
戦場から逃げてきた浮浪者には見えない目だった。
男は両手を上げた。
「撃たないでくれ」
スティが銃を向けたまま問いただした。
「どこから乗った?」
「港が爆撃された時だ。死にたくなくて、慌てて駆け込んだのがここさ」
男は肩をすくめた。
トリップが険しい表情で尋ねる。
「名前は?」
「名前なんて忘れちまったよ」
その言葉を聞いた瞬間、メシアは不思議な感覚に襲われた。懐かしさ。なぜだろう。初めて会ったはずなのに。まるで遠い昔に会ったことがあるような、そんな感覚。心の奥底で、何かが共鳴している。メシアは自分でも理解できない感情に戸惑った。
ジントが船にあった手のひらサイズの生体スキャン装置を取り出し、男の体に這わせた。
装置が青く光る。
ジントはコールドに向かって彼の種族の言葉で話す。こればかりはコールドにしか分からない。
「異常なし。普通の人間だとよ」
だが、イラートだけがわずかに眉をひそめていた。
何かがおかしい。
惑星ギントルが炎に包まれ、無数の命が失われていた。爆撃の恐怖、死の恐怖、そういったものが渦巻いているはずだ。なのに、この男はまるで動揺していない。
戦場から逃げてきた人間の顔ではない。まるで、すべてを予期していたかのような、そんな顔だ。
イラートは男の一挙手一投足を注視した。
男がメシアを見た。
ほんの一瞬、それは"知っている者"の目だった。
初対面の人間を見る目ではない。長い年月を共に過ごした者を見る目。あるいは、遠い昔に別れた者を再会したときの目。
メシアの心臓が高鳴った。だが、男は何も言わなかった。
「まだ大人にはほど遠いな」
ただそれだけ呟いた。
その声には、どこか寂しげな響きがあった。
メシアは理由なく胸がざわついた。この男は誰なのか。なぜ自分を見る目が、まるで昔から知っているかのようなのか。なぜこんなにも懐かしさを感じるのか。
スティが判断を下した。
「本来なら拘束するところだけど、状況が状況よ」
彼女は船の制御パネルを見つめた。燃料が不足している。人手も必要だ。
「余計なことをすれば、宇宙に捨てる」
青い髪の男は微笑んだ。
「怖いねぇ」
その言葉が、妙に古い響きを持っていた。まるで何世紀も前の言葉遣いのような。
船は交易航路宙域を漂っていた。
エリス艦隊の追跡は、今のところない。
イラートは窓の外を見つめながら、ある異変に気づいていた。グルズの歪み反応が消えている。あれほど執拗にメシアを追っていたのに、今は何の気配もない。
あの男のせいか? いや、偶然か?
イラートは青い髪の男を横目で見た。
男は何事もなかったかのように、貨物コンテナに寄りかかって目を閉じていた。
船が夜間モードに入った。照明が落とされ、薄暗い青白い光だけが船内を照らしている。静寂が船を包んでいた。
メシアは一人で、鋼鉄製のクッションが薄い椅子に座っていた。窓の外には、無数の星が輝いている。あの星々の向こうに、どんな世界があるのだろう。平和な星もあれば、戦争に苦しむ星もある。そして、教団に支配された星も。
メシアは自分の手を見つめた。この手で、何ができるのだろう。
何も持たない。何も知らない。ただ、周りの人々を危険に巻き込むだけ。
その時、青い髪の男が隣に座った。
「怖いか?」
男の声が静かに響いた。
メシアは少し考えてから答えた。
「……怖さか。最初は自分だけが怖いと思ってたんだけど、それよりも人の命が消えるのが怖い」
惑星ギントルで見た光景が蘇る。墜落する車両。逃げ惑う人々。消し飛ぶ都市。自分のせいで、多くの人が死んだ。
「それよりも、自分が何もできないことが怖い。ただ守られるだけで、何もできない」
メシアの声が震えた。
男は静かに頷いた。
「それでいい」
青い髪の男は宇宙を見つめた。その横顔には、深い憂いが浮かんでいた。まるで、長い年月を生きてきた者の顔。
「神を名乗る者ほど、恐れを失う」
メシアは意味を理解できなかった。
神を名乗る者? 教団のことだろうか。それとも、アリッタ神のことか。あるいは、この男は何か別のことを言っているのだろうか。
理解できないメシアの顔を見て、青い髪の男は優しく微笑んだ。
「今は感じるままに。それだけでいい」
そう言うと、男はメシアの肩に手を静かに置いた。
その瞬間、メシアは急激な眠気に襲われた。まるで何かに引き込まれるように、意識が遠のいていく。
気絶するように、メシアは眠りに落ちた。
男はメシアの寝顔を見つめ、小さく呟いた。
「まだ早い。まだ、お前が背負うには早すぎる」
その声は、誰にも聞こえなかった。
第23話‐1へ続く
終わりなき神話第22話