ただの冷麺
牛肉が苦手なおばあちゃんのお話。
母方の祖母は昭和元年に生まれた。この年代の女性からするとかなり大柄で骨太だった。長年厳しい農作業に従事してきたが、まだ腰もしゃんとしていて食事ともなると人一倍食べた。泊まりに行くたびにおおざっぱでダイナミックな手料理をふるまってくれたが、そのメニューの中に牛肉料理が一つもないことに、子供の私はまだ気が付いていなかった。
あれは小学二年生か三年生の時か、家族五人に祖母を加えて小岩井農場に遊びに行ったことがある。
八月の農場は梅雨明けたてで夢のように青い空が広がり、空気も乾いていて緑も薫り高い。私たち一家は牧草の上で存分に遊び、ポニーと戯れて時を過ごした。
やがて昼が近づき、太陽が天頂に差し掛かる。じりじりと暑くなると喉の渇きとともに空腹を覚えた。だが、日曜日の農場は近隣からやって来た人々に加えて、県外からはるばるやって来た人々で芋洗い状態だった。園内にあるフードコートにはすべて長蛇の列が出来ている。私たちは農場の外でお昼を食べることに決めた。
私たちは農場からほど近い、国道沿いにある、「ドライブイン三千里」に入った。しかしそこも、農場からあふれて来た観光客やらドライバーやらでごった返していたのだった。
「料理が早く来るように、みんな一緒のものを頼もう」
父が言った。私と妹は口をそろえた。
「冷麺がいい」
「ドライブイン三千里」は、盛岡冷麺の美味しい店だ。だが母が言いきった。
「駄目。みんなでラーメンにしましょう」
この時の私にはまだ理解できなかった。祖母が牛肉の類を一切口にしないのには理由がある。祖母が育った農家では、牛馬を家族のように扱っていた。盛岡冷麺はたいてい、牛骨スープでだしをとっている。祖母は歳の割には体格の良い肩を真っ直ぐにして言った。
「おれ、はあ、牛は好かね。おめだつは好きなもの喰えばいじゃあ。だがおれは食わねよ。あさましもんなあ」
私たちは全員ラーメンを注文した。
私たちが入って来た時よりももっと、店は混雑していった。さして冷房の効いていない店内は、冷麺やらカルビスープやら焦げたニンニクの匂いやらが立ち込め、とりとめなくしゃべる声、弾けるように笑う声、子供のぐずる声が、絡まり合った毛玉のように一塊のノイズになっている。
テーブル席に椅子を一つ付け足して、一人のおじさんが私たちと相席になった。おじさんは冷麺を注文して、尻ポケットから出した雑誌を舐めるように読んでいる。
三十分、一時間。注文の料理はまだ来ない。父はセルフサービスの水を何杯も飲んだ。赤ん坊の弟がぐずり始め、母はあやすのに必死だ。私と妹はしりとりを繰り返して空腹を紛らわす。祖母は椅子に真っ直ぐ座ったまま、置物のように動かない。相席のおじさんは雑誌から幾度となく、時計の方へと目を走らせていた。
一時間後、ようやく私達にラーメンが来た。おじさんの冷麺は未だ来ない。
「ったく、何だよこの店! 」
おじさんは再び雑誌を尻ポケットにねじ込むと、毒づきながら帰ってしまった。おじさんが帰ってから三分もしないうちに、悲壮感たっぷりの疲れ切った眼差しをした店員さんによって、遅すぎる冷麺が運ばれてきた。父がおじさんが帰ってしまったと伝えると、お店の人がこう申し出た。
「帰られてしまったお客様のお料理、食べていただけませんか? お代はいただきません」
「食べます」
真っ先に手を挙げたのは祖母だった。合い挽き肉のハンバーグもビーフシチューも敏感に察知する祖母が、涙目になり、せりあがってくる胃液をなだめるようにゴフゴフとむせながら、牛骨スープの冷麺をずるずるとすすり上げた。
了
ただの冷麺