悩んでいる人の文章

悩んでいる時に綴った文章です

お前からこれを取ったら何が残ると言うんだ。
というセリフに気付かされたことがある。今の人生で私からこれを奪うと、途端に何も無い状態に変わる。
とはいえそれ一筋というものでもない。仕事に目一杯ではあるが、仕事第一の人生というには言葉がすぎるし、仕事をする前からの自分の人生も間違いなく私のものであり、それを何もなかったとは言えないと思う。
しかし、現状の私を構成するもので明らかにこれは大きな割合を占めている。あるときは仕事でありあるときは学業であった。それが今何に変化していても、常にそれを取った自分というのは、ひどく空っぽの存在に思えた。
では空っぽの存在という私には何が残っているのか。なにかあるはずである。食べ終わった器にも、なにか料理が乗っていた痕跡は必ず残るはずだ。それを探したいのだが、なかなかこれが難しい。

思えば、やることがなくなると私は読書をする。外からの情報を得ようとするよりも、目で見た文字から得た情報を感じ、解釈することでなにかを成した気になれると思っているからだろうが。そして読書の最中、つい文章を書きたくなる。頭の中で解釈して生まれた言葉や思いを吐き出す場所を欲しているのだと思うが、それが正確に吐き出されているかどうかは、微妙なところだ。私の書いた文章は後で読み返すとほとんどが脈絡なく言葉が変わり、表現が変わり、読みづらい傾向にあると知っているからだ。
多様性という言葉の中で、性自認という言葉がよく注目されるが、そもそも自認というものを意識していなかった。生まれた時から私の性別は確定しており、疑問を持つという経験はなかったからだ。疑問も何も、答えが提示されているのだ。疑う余地はない。だが、小説の中で出てくる女性に共感もできる。アニメの女性キャラクターの心情は理解できるし、ドラマの女性に私みたいだ、と思ったりもする。しかし私は男性であり、それは事実のまま。では、私の中に女性が存在しているのではないのか、その女性が共感しているのではないだろうか。不思議な話でもないと思う。事実性別は手術を行えば変更できるものだ。0か1かという事実は存在するが、これは数学の話ではない。その可能性も含まれている、と考えることは出来ないだろうか。

飽きるのも最近は早い。興味を持って行動こそするが、思うようにいかないとすぐに他のものに興味が移る。この頻度が特に最近高い。体が言う事を聞かないというのはこのことか、と驚きもした。勉強しなさいと言われて勉強はするが頭に内容が入ってこないというのはよくあることだと思うが、そもそも勉強をする気が起きないのだ。実に困っている。今もまた、この話に飽きてしまった。自分の機嫌を取るのは自分というが、これは相当な駄々っ子だ。気が滅入る。

自分の思いを正確に相手に伝える方法というのに手を焼く。例えば、病院へ行ってどうされましたか、と言われるが、頭が痛いとだけ言っても伝わりはしない。いや、頭の痛さは伝わるだろうが、正確に言えば、頭が痛くはなるがまず喉が少し変な気もするし、薬も飲んでいるがあまり効き目がない、加えて頭痛がすると言ってるが頭痛よりも寒気が今は強く…となる。そこまで言うと医者も事細かく状況を理解してくれるだろうが、そう伝えるのが面倒だし、まずそのとおりに伝わっているか不安である。正確に伝えるには私の気持ちまで表現しなくてはならない。しかし気持ちを伝えてもそれをどう解釈するかは当人次第だし、そもそも診療でそこまで伝える必要はないだろう。何より私自身が正確に言葉を使えている自信がない。詰みである。非常に手を焼いている。困っている。悩んでいる。しかしどれも私の状況を表現するには適切ではない。言葉を盛ればいいものでもないが、適切な言葉というものもない気がする。こんな感じ、とは言えるが、あくまで抽象的である。具体的な中身については、私になっていただいてほしい、としか言えない。困った。
というのも、私は言葉が足りない気がしている。感謝を伝えている気はあるが、伝わっていなければ独りよがりである。これを日々他人に行ってきたとしたら、とんでもない独りよがりな存在である。だが冷静になれば、私も相手の感覚がわからない。相手が疎ましく思っているのか、興味深く思っているのかわかったものではない。そこまで気にすることでもないのかもしれない。しかし、なんと言えばいいだろうか。困ったものだ。

悩んでいる人の文章

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-11-28

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