「メルヘン」

 私は今、蔵を眺めている。両岸に理路整然と組まれた蔵の中央を一条の川が流れている。城下町を貫く川の果ては海でもなく、滝でもなく、かといって田畑(でんぱた)等の土に辿り着く訳でもない。此の川は総じて神社の池に落ち着くのである。地形を想像する必要は無い、無理に繋ぐ事の適わぬ事象は多いもの、力づくで近づけようとするならば五色(ごしき)綾糸(あやいと)は忽ちに五体砕けて春の夢よりも軽いその身を塵の仲間に数えねばならなぬ悍ましい凌辱を働くと同義である。手毬糸は分らぬことを分らぬと言ってそのままにしておける丘の雑木林がお気に入りのようで、その丘は今 (まさ)に私が蔵を眺めるのに座っている場所であった。
 丘は城下町のルールを受け付けぬ。最も城よりこの丘の方が随分昔に在ったので、人間達が後から作ったルールを門前払いして担当の役人達はほうぼうの(てい)で逃げ帰って来た事件は城下町ではすっかり知れ渡っている。丘を何と言われようが構わない。此処に人が入って来なければ良い。人に要る食料も水も此処に来なくても手に入る、充分な量だ。
 自然に在る場所は言わずもがなだが、神社の境内も人が鎮座し生活する為の場所ではない。此の国の自然が北方や砂漠のように圧倒的な力量差で人の生きる場所すら抑え込むようにしないのは、その方が人間は自然に干渉する事は無いだろうと私の御先祖様がお考えになったから。人の営みを調和出来る程度の力で接する方が人が躍起になって開拓しようと思いづらいだろうと取り決められたから。聡明な御思考だ、人と離れる為に人に優しくするなんて。私達は長くそう在り続け不変の態度を継続していたけれど、反対に人間は流動し続ける生物で、私達が他国のように残酷な被害を残さないと気づき油断したのだろう。此の国の自然は人類にとって過ごし易い丁度良いぬるま湯だと。
 哀しいかな。人と自然、よくある二項対立は幾度も議論されて来たのに答えは出ぬまま此の様だ。知らずとも良い事を知りたいと求め理解出来ないままで良い事を理解したいと求める、明らかにしなくては気が済まない性分は、きっと人間に与えられた何かの罰であろう。
 あゝ此の名状し難き感情の為に私は蔵を眺めている。

「佐吉、とッととしねェか。」
「はい、若旦那様。」
 丁稚の少年佐吉の齢は十四、早朝から寝起きの髪のほつれも欠伸の呼気もぶら下がる眼脂も見せない整えられた顔貌(かおかたち)の眦涼しく眉には凛と気の籠もり唇は横一文字にいつも真剣を表す此の町内では中々に珍しい美少年、手脚はいつもきびきびと働き鶏よりも早く起きては黒猫の笑う瞳が山の向うに沈むまでまめに立ち働く律儀な性分、その為に奉公先の大旦那夫妻は佐吉を可愛がることこの上無し。
 此処は線香を商う店であり、大旦那が最初店を構えた時、その当時はまだ今のように立派な店構えでなく、侘しいあばら家の住居(すまい)の表で茣蓙の上に並べて売ったのだが、その際初めてのお客さんが代価と共に一輪菫の花を、土も虫も付いていない清らかな紫水晶の如きをくださった。その菫の花を妻と毎日丁寧に手入れして世話を欠かさずにいると不思議なや、次の日からお客は大入り線香を作る手が旭にも月にも忙しなく輝く職人の手は齢の為にもう作業は出来ぬとなった後も帳簿を付けることは出来ると言って大層元気なご隠居である。此処まで道を違えず歩む事が叶ったも霊験あらたかなる菫の花一輪のお蔭と、看板に記すは「菫屋」の二文字、飾りの無い性分が反って粋で快い。
 と、大旦那は見事な人徳者なるが善き人の子が必ずしも善き人に生れると言う道理は無く、佐吉を店頭(みせさき)でこれ見よがしにいびるのは実の息子の若旦那、年齢三十三を過ぎたる者で若い娘の後ろ姿ばかりを追い掛け鼻をひくつかせる色欲魔、大金を落す客にはニコニコ、線香一本をおつかいに来た女の()には素見(ひやか)しなンざ止めてくれィと愛想も何もあったものではないのだから、巷じゃ当然バカ息子だのどら息子だの本当に血が繋がっているのかしらんと悪口(あっこう)のひそひそ声は鳴り止まず。
 自分が一代で築いた財を息子の代で呆気無くも潰しては、それも世の移ろいなどの人に抗えぬ理由からならまだ耐えられるが我子の不徳の所為で退転となっては御先祖に申し訳も立たぬと苦肉の策、後継者とは内緒にして一人丁稚を新たに雇ったのが、この佐吉だったと言う訳である。
 仕事や他人の感情の方面の勘は全く以て不能であるのに此の若旦那、名前は宮男(みやお)と言うのだが、宮男は自分を蔑ろにする行為に関してだけは恐ろしく勘が働いた。父親が自らを頼りとせず他所の者に信を置き、店を継がせる腹積りではないのかと、佐吉を一目見た瞬間嗅ぎとったのである。不満があるなら両親に問えば良いものを、宮男にはも一つ難儀な癖があった、不満や苛立ちを顕にせず胸中に溜め込んでおくのである。何か具合が悪いのかと問うても別にとぶすくれ、不満な事でもあるのかと気遣(きづこ)うても別にとぶすくれた物の言い様、鬱々と抱え込んだ苛立ちは哀れな年下の佐吉への言動となって当てられて、また暫くすると変に機嫌好くなりその間は丁稚をいじめる事はせぬがまた暫くするとあっという間に御立腹。両親が不憫な佐吉をかわいがる度佐吉は手酷く扱われた。最も酷いのは佐吉が床に伏した時、いくら愛された者でも病には勝てぬ、此処へ来てから佐吉は幾度か熱を出して医者に掛かったことがある。それは決まって宮男から陰険な舌打ちや溜め息をくらわされた時で、真面目に働く未だ青年ならざる男の子には堪え難い悲しみと苦しさは身体に悲鳴を上げさせた。原因は自分であるにも関わらずまた宮男は舌打ち暴言溜め息を患者に唾と共に浴びせまくる。しかも其等の仕打ちは必ず両親の知らぬ場所で実行され、佐吉は若旦那を悪く言えば大旦那と奥方が非常に悲しまれるだろうと恩人の親心を思い如何しても宮男が自らにする陰湿な態度を暴露するのを出来ないで日々を過ごしていた。
 この菫屋の陰惨な家庭状況を、無表情に眺めている者が居た。

「メルヘン」

「メルヘン」

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-11-27

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