猫ふんじゃった
指小説
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猫踏んじゃったのメロディーがどこからか流れてくる。子供の頃だから、もう八十年も前のことだが、ピアノを弾きたいといったら、親がおもちゃのピアノを買ってくれた。そのときすぐに覚えたのが猫踏んじゃっただ。
あの曲は誰の作曲で、誰が日本語の歌詞をつけたのだろう。今まで考えても見なかった。
スマホに猫踏んじゃったは誰が作ったのと聞くと、作者不詳とでてきた。だが説はあるようだ。ドイツのフェルディナント ローという人だという話もあったらしい。ドイツではこの曲のことをノミのワルツというのだそうだ。ロシアのアントン ルビンシュタインの曲の中にあるという説もある。日本の歌詞に関しては、酒田という人の歌詞がNHKを介して広まっているようだ。
いろいろな国で、それぞれの曲名がつけられていることがウィキペディアにはまとめられている。26カ国で歌われ、猫の歌詞が六つ、犬が二つ、それにアヒルやロバやとにぎやかだ。どれもがやはり元気に飛び跳ねる様子のタイトルだ。
そこで日本人の私は毎朝の散歩で、放し飼いの猫のしっぽを踏むことにした。
最近うちの猫は部屋猫になってしまっていて、外にあまりでない。猫は猫エイズがうつるといけないので外では飼わないように。車にはねられる猫もいます。といった確かに正しいような飼いかたが奨励されている。本当だろうか。猫の嫌いな人もいる。だがまてよ、今の教育指導と似ていないか。小学生は遊ぶものと思っていたら、中学受験の勉強だと。これは脳機能の発達を押さえ込む効果しかない。猫も遊ばなければネズミの取り方や、他の猫との喧嘩の仕方も学べない。すでにたくさんの小学生や中学生が人の中に入れなくなって困っているではないか。
そう思いながら、杖を突きながら三十分ほどの散歩にでる。戸建ての大きな団地なので、ところどころに小さな公園がある。そこで一休み。
八十になった頃から朝の散歩にでるようになって、もう15年も続いている。
秋も終わり、寒い感じがするときは、外の好きな猫は日向を求めて、石塀の上や、公園のベンチ、草の上にやってくる。
あ、いた。あしたば公園の茂みの脇で茶色のデブ猫が顔を洗っている。ひん曲がった尾っぽの先がぴょこぴょこ草の上で勝手にうごいている。
こいつとはかなりいろいろなところで出くわす。道の角から急にでてきたり、家のエアコン室外機の上で寝ていたりしている。どこかで餌をやっている半ノラのようだ。だいぶ人になれていて、近づいてもすぐには逃げない。
後ろからそうっといって、ズック靴でふんずけてやった。
ぎゃあと言うかと思ったら、なにも言わずに飛び上がって振り向いた。
あの目は「このじじい、よろけて踏みやがった」と言っている。
わざとだとは思っていない。哀れみの目でわしを見やがった。
茶虎の猫はのそのそと公園からでていってしまった。
もう一カ所、見晴らし公園に猫がいる。坂の上だからちょっとしんどいが、調子がいいときには捜しにいく。
よっこらとのぼりつくと、やっぱりいた。草の上に白い猫が日に当たっている。近所の原田さんの猫だ。
そうっと後ろに行って白い尾っぽをふんづけた。
白い猫は金色の目をつりあげて飛び上がった。だが、ぎゃあともいわなかった。だまって歩いていってしまった。
なんだ、鳴かないのか。みんなおとなしいものだ、それじゃネズミをとれないよ、と思いながら、見晴らし公園から下って歩いていった。平山公園まできた。ここはよく管理されていて、ベンチもきれいだ。昼間は母子が何組か遊んでいるのが常である。だが朝には誰もいない。猫は時々みかける。白黒で、顔が黒いのだが、鼻と口にかけて三角に白い。勝手に白黒三角と呼んでやっている。
いるかなと、中にはいると、いた。ベンチの上で寝そべっている。これでは尾っぽを踏むことができない。
この猫はよくなれていて、頭を触ることができる。となりに腰掛けた。
頭をさすってやると、目をつむったまま気持ちが良さそうだ。首筋をなで、背中をなで、長い尾っぽをにぎって、お腹をごちょごちょやってやった。
白黒三角の奴、迷惑そうにこっちを向いた。後ろ足をこちょこちょした。
奴さんとうとう、ベンチから降りてしまった。公園の出口に向かって歩き出そうとした。
いまだよ、ちょいとおいかけて、尾っぽの先っちょを思い切りふんだ。猫はぱっとはなれると、後ろを振り向いた。
踏んだ自分の右足は草ですべって宙にういた。
あわあわして、杖が空中に飛び上がった。左手がベンチに打ち付けられ、後ろにステンと転ぶと、宙に浮いた左足の先までベンチにぶつかった。
いてえ。
悲鳴を上げちまった。
白黒三角は律儀に公園の入り口で立ち止まって、声を上げたわしを見おった。
ざまあ見ろといってやがる。
公園の脇の道を横切ろうとしていた男性が立ち止まって公園にはいってきた。この道は駅に行く通勤客が通る。
大丈夫ですかと声をかけてきた。
ふむ、ワシは何とか立ち上がろうとしたが、足も手も痛い。
その男性は、手を貸してくれて、ベンチに座らせてくれた。救急車を呼びましょうかと言ってくれたのだが、お礼を言って、自宅に電話する事を伝えると、気をつけて、と公園をでていった。いつもの電車に間に合えばいいのだが。
自宅に電話すると、出戻りの娘が、救急車呼んだ方がいいと言ったが断った。左手首と左足首は打ち身だけだろう。しばらく湿布をしておけば大丈夫だ。そういうと、車で行くからまってろという。
ベンチに腰掛けていると、次第に手足が痛くなってきた。いやそれどころか、尻が痛いし、肋骨のあたりも痛い。ぶつけていないが、筋肉が延びたのだろう。
こりゃ大変だ。しばらく寝ててなきゃならんな。
娘がきた。
「なんでころんだの、足は丈夫だって、自慢していたじゃない」
猫のしっぽを踏み損ねたとは言えない。
「うーん、ベンチに座り損ねた」
となんとか取り繕った。
「医者に行った方がいいんじゃない」
「寝てりゃ直る、湿布材を買ってきてくれ」
「立てる?」
「いてえが、やってみる」
落ちていた杖を渡してくれたので、右足で何とかたってみた。体がミシミシなったが、車まではいけそうだ。
公園の入り口まで、杖を頼りに片足で移動した。ずいぶん長く感じた。
入り口脇に止めてあった娘の軽自動車に何とか転げ込み、家に帰りつくことができた。
ベッドに寝っころがると、靴下をぬいだ。左足首のところが赤く腫れている。あきらかに捻挫だ。左手首は赤くはなっていない。指を動かすことはできるが、手首を回転させようとすると激痛がはしった。
娘がトクホンを持ってきたので、とりあえずそれ貼ったが、冷湿布の大きいのを買ってもらうことにした。それで本当のことをいうことにした。
「なあ、今日の朝、猫ふんじゃったがきこえてきただろう」
「NHKのテレビでやってたよ、幼稚園で子供がひいていた、それがどうしたの」
「うーん、それで転んだんだ」
「なんで」
「猫ふんじゃったからだ」
娘はなにいってるのだろう、ぼけたかしら、という顔をして、
「ほんとに大丈夫なの」というから、
「大丈夫だ、杖を使えば、トイレにもいくことができる」と言ってやった。
「そう、それなら、仕事の帰りに駅の薬屋で湿布材買ってくる」
そう言って、でかけてしまった。午前中のアルバイトだ。
さて、動けないし、本を読む気にもなれない。枕元にいつもおいてある携帯ラジオのスイッチをいれた。
ねこふんじゃった、ねこふんじゃった、とながれだした。
何で、この曲が流れるんだ。
ととたん、杖をついて、立ち上がっていた。
靴を履いていつものように玄関を開けようとすると尻から尾っぽが生えてきた。ズボンの尻には穴がない。前にはチャックがついた穴がある。穴を開けなければ尾っぽが外にでないじゃないか、と思っていると、尾っぽが延びてきて、くじいたはずの左足のズボンの中に入ってきた。白黒茶のわっこの模様のある尾が左足のズボンの裾から外にとびだした。
ピコピコ動いている。脳の中では尾っぽが動いているのを感じている。だが、止めようと思って求めることができない。
かがんで尾っぽを触ってみた。
猫がたまたま自分の目の前にきた自分のおっぽをなめているのを見ることがあるが、なるほど、さわると気持ちがいいもんだ。
まあ気にならないな。そう思って、散歩にでた。
あしたば公園にくると、日に当たって茶色のデブ猫が毛繕いをしている。
茶色の猫はわしに気がつくと、とことこと近づいてきた。少しはなれている猫だが、あいつから近づいてきたのは初めてだ。
そうかそうか、と思っていると、かけだしてきて、左足の裾からでている俺の尾っぽに噛み付いた。
「いてえええ」
あわてて、走ろうとすると、左足が痛烈に痛い。
茶色の猫はしっぽにかみついたままだ。
痛みをこらえて公園からでると、目の前に公園があったのではいった。見晴らし公園だった。白い猫がこちらをみた。走ってきた。
白い猫もわしの尾っぽにかみついた。尾っぽには茶色と白の猫がかみついたままだ。
いたたたたた、
あまりにも痛いので飛び上がって、空に舞い、降りたところは平山公園だった。
ベンチの上に白黒の猫が日向ぼっこをしていた。
そいつの目の前におちたら、二匹の猫がかみついている尾っぽにむかって、白黒猫はベンチからとびかかった。
かみつきやがった、ぎゃーーーー、痛てえ、助けてくれえーー
三匹の猫が俺の尾にかみついてやがる。
わしは、草の上で大の字になって手足をばたばたさせた。
いてえ、いてえ、悪かった悪かった、俺が悪かった。あやまるよ、尾っぽは痛いねえ。
「おとうさん、ほら、湿布買ってきたよ、なにあやまってるの」
娘が父親の顔をのぞき込んだ。
寝ている眼がきょろきょろ動いている。
布団のすそがもそもそ動いた。
娘がそちらに目をやった。
猫が三匹顔を出して、にーっと笑った。
23ー12ー30
猫ふんじゃった