インターネットの怪 YouTube篇

 今思えばスマホをポケットに入れとけばよかった―ということになるのだが…。クレジットカードでもいい。薄くてかさばらない。だが自宅でYouTubeを見るためにスマホやクレカを用意するだろうか…何の為に?

 郷里の新町川。映像は春日橋たもとの階段で藍場浜公園沿いの遊歩道に下りる。対岸に阿波銀行本店のビル。西船場の見慣れた風景だ。こちら側の藍場浜公園は花壇のあるだだっ広い広場。阿波踊りの期間は巨大な桟敷席ができる。
 映像は遊歩道を進む。広いところで5,6メートル幅か。狭いところでも3メートル位。ところどころベンチが置いてある。やがて新町橋。遊歩道は水面より下に下がって橋の下をくぐる。遊歩道に沿った壁面の一部が透明になっていて水中や川底が見える。濁っていてよく見えない。橋の下をくぐると行き止まりだ。左に階段。階段を上がる。足裏の妙にリアルな感触。水際公園に出る。その瞬間、私は電撃に打たれたように立ちすくんだ。
 ―これは現実だ! 
 この空気感。橋を渡る車の音。街のざわめき。横断歩道のピヨピヨ音。顔を撫でていく新町川の風。
 -新町橋のたもとに私はいる。リアルに!
 新町川水際公園の現場に生身の自分が今立っているという、馬鹿馬鹿しいほど驚愕の事実。
 -階段を上がる時にユーチューブの映像から現実の世界に行ってしまったのか?
 ―引き返したら戻れるかもしれない。
 急いで階段を下りた。新町橋をくぐって足早に遊歩道を引き返す。前から犬を連れた年配の女性が来た。犬が吠える。女性が軽く頭を下げた。まだ相互作用が成立している。映像ではなく現実の世界だ。そんなことはとっくに解っている。解っているが動転していた。どうしたら元の書斎に戻れるのか。
 ―映像の始めまで巻き戻したら…。
 遊歩道を春日橋のたもとまで走った。そこから階段を上がると-、やっぱり現実の藍場浜公園だった。現実の延長は現実でしかない。どこまで行っても現実なのだ。当たり前の話だ。力なくベンチに座り込んだ。
 ―どうしたものか。
 目の前を時々人が通る。時間も判らない。曇っていて太陽の位置が定かでないが日が傾いているようだ。何とかしないと…焦るが何も持っていない。手ぶらなのだ。アイフォンも現金も、クレジットカードも無い。妻に連絡できないし、愛知県の自宅に帰る手段がない。鳴門の義姉に電話して迎えに来てもらえばいいが、連絡手段が無い。公衆電話で使う小銭もなく。だいたい公衆電話がどこにあるのか。交番で窮状を訴えて電話を借りようかと思ったが、義姉のスマホの番号を覚えていないことに気が付いた。鳴門まで歩くのは距離がありすぎる。
 ―近い知り合いは?
 昔の職場は徒歩で15分の距離だが、知った顔はいないだろう。皆退職しているはずだ。佐古4番町の従兄の工務店へ歩いて行けば? 歩けない距離ではない。従兄は義姉の家の修繕を手掛けている。従兄の店に行けば電話を借りられる。姉に窮状を伝えて迎えに来てもらえるだろう。
 希望が湧いて私は立ち上がった。国道192号線を西へ。室内履きのスリッパは歩きにくい。雨でなくてよかった。佐古大橋を渡る。この辺に昔住んでいた。無性に懐かしい。が、今感傷に浸るわけにはいかない。30分ぐらい歩いただろうか、従兄の店に辿り着いた。
「あら…どうしたん?」奥さんの驚いた顔。
「主人今仕事で、しばらく帰って来んのやけど…、それにしても久しぶり…」と戸惑った様子。
 私は慌てて同意して「ああ、そうやね。何年ぶりかな…それにしても」と言い、脈絡もなく「…ちょっと電話貸してもらえる?」
 切羽詰まった言い方に奥さんも押されて、
「ええ、どうぞ」
 急いで店の奥に通されて、私は黒電話の受話器を上げた。
「鳴門の小宮の電話番号分かる?」 
 奥さんは電話番号帳を開いて指さしてくれた。
「ああ、もしもし…」私は姉に、私の身に起こった経緯を説明した。姉は只ふんふんと相づちを打ち、すぐ迎えに行くと言って電話を切った。
「なんかややこしいことになってるみたいやね」と奥さんが心配そうな顔で私を見た。
 奥さんにしてみたら、店に入って来た私を見て直感的に変な感じがしたに違いない。足元は室内用スリッパ、くたびれた部屋着のままで奇妙に思ったが、今の電話のやりとりで、理解できない話だと思っただろう。やがて従兄が帰ってきて改めて二人に、姉に話したと同様の説明をしたが、私の頭がおかしくなったと彼らが思ったとしても仕方がない。

「ユーチューブ見てたら瞬間移動して…」と迎えに来た姉にも車中で詳しく話したが、「へー」「そうなん」と、驚きながら相槌を打つばかりだった。
 私との電話のあと姉はすぐ勤務中の妻に連絡し、佐古の北山工務店へ今から迎えにいく。今日は自分の家に泊まってもらう。愛知までの交通費や衣類、靴など購入する金を立て替えると妻に話した―。

 翌日帰宅後、妻は私に、YouTubeを視聴するときは、充電済みのアイフォンとクレジットカードと家の鍵を身に着けて、スニーカーを履くことを約束させられた。
 特に郷里を紹介する動画を見る場合は、持病のクスリ3日分とお薬手帳、薄手のパーカーと帽子、マイナンバーカードと免許証と保険証、キャッシュカード、硬貨千円分と千円札10枚の入った財布をリュックに入れて、それを背負っておくことが奨励された。そして玄関のドアロックは必ず外しておくようにと…。

 ―以上準備しながら、私は快適なYouTube旅が味わえることを期待した。瞬間移動で「行き」の時間が節約できるし、何より交通費が浮くのだ。しかし残念ながら、あの現象は未だに再現できないでいる。
 遠い未来には実現できるかもしれない。人類が5次元を利用できる頃に―。
             (了)

     出典 サイト名:YouTube 著者:日本待太郎 
     タイトル:「新町川沿いをぶらりと散歩…」
      URL: https://x.gd/wCdLk

インターネットの怪 YouTube篇

インターネットの怪 YouTube篇

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-08-14

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